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翻訳 チョムスキー「企業モデルが米国の大学をダメにしている」その1

「プルートノミー(財閥・富裕層)」 "plutonomy" 、「プレカリアート(不安定労働者)」 "precariat" 、元FRB議長アラン・グリーンスパン、大学のビジネスモデル、「民主主義の危機」、三極委員会、教育原理(2015/08/19)


 去る2004年に国立大学が法人化されてから、2014年3月で満10年となります。その結果、大学は良くなったのでしょうか。
 この間、国立大学は一貫して文科省からの予算を減らされ、他方で「学長の権限を強めろ」という指示のもと、ますます教育研究機関というよりも営利機関としての性格を強めてきました。
 そして「大学を英語化しろ」「グローバル人材を育成しろ」と言いつつ、補助金で大学のありかたを実利化の方向に誘導しています。それどころか最近では、役に立たない人文系・社会科学系の学部は縮小・廃止しろとまで言い始めました。
 このような実利や儲けを念頭においた大学経営は、すでにアメリカで先行しています。文科省の新しい方針は、このようなアメリカの先例を後追いしているだけとも言えます。
 そこで、このようなアメリカの先例をチョムスキーがどう見ているか、その翻訳「企業モデルが米国の大学をダメにしている」を以下で紹介したいと思います。いま日本の大学で起きていることを理解する一助になれば幸いです。


目次
1 終身在職コースから排除した教員雇用
2 高等教育はどうあるべきか
3 「協同統治」と労働者管理について
4 いわゆる「雇用の柔軟性」について
5 「教育の目的」について
6 「教育への情熱」について
7 助手が労働組合を組織すること



企業モデルが米国の大学をダメにしている

Corporate business models are hurting American universities

ノーム・チョムスキー、PA, October 10, 2014
http://www.chomsky.info/talks/20141010.htm


1 終身在職コースから排除した教員雇用

それがビジネス・モデルの一部ですね。工場の臨時社員やウォールマートのいわゆる「協同員(アソシエイト)」を雇うのと同じです。手当・給付金の恩恵のない従業員です。それは企業モデルの一部で、人件費を削減して、労働者の奴隷状態を増大させるように計画されています。大学が企業化するようになると、国民にたいする全般的な新自由主義的な攻撃の一部として、最近の世代に組織的に起きてきているのと同じことですが、大学のビジネスモデルも、問題は最終損益ということになるのです。
*手当・給付金(benefits):共済組合・保険会社・公共機関などの機関や年金制度によって支払われる年金や失業手当など。

大学の実質的所有者は理事(州立大学の場合は州議会)であり、彼らは費用を抑えて、労働者を扱いやすく従順なものにしたいのです。その方法は主として臨時雇用にすることです。新自由主義的気運が高まっていたとき臨時雇用が増えました。それと同じことが大学でも起こりつつあるのです。

そういう考え方は社会を二分しようとします。一つの集団は、ときには「プルートノミー(財閥・富裕層)」 "plutonomy" と呼ばれています。これは、シティバンクが投資家たちに資金をどこに投資したら良いのかについてアドバイスしていたときに使った用語です。富の最上層部であって全世界的な存在ですが、ほとんど米国のようなところに集中しています。もうひとつの集団は、その残りの人々で、「プレカリアート」 "precariat" と呼ばれています。いつ人生の落伍者になるかもわからない不安定な毎日を生きているひとたちです。
*プレカリアートは、「不安定な」(英: precarious、伊: precario)と「労働者階級」(独: Proletariat、伊: proletariato)を組み合わせた語で、1990年代以後に急増した不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者および失業者の総体。

この考えはときには全く隠すことなく公言すらされています。だからアラン・グリーンスパン(第13代連邦準備制度理事会(FRB)議長)は、自分が動かしていたアメリカ経済の驚異について1997年の議会で証言をしたとき、率直にこう言いました。経済的成功の土台の一つは彼の言う「労働者の更なる不安定化」を進行させることだと。もし労働者がさらに不安定になるなら、経済は社会にとっては非常に「健全」になる。というのは、もし労働者が不安定なら、彼らは賃上げを求めないし、ストライキに入ることもなくなるし、手当や給付金も要求しなくなる。つまり彼らは喜んで、かつ受け身で雇い主に仕えることになるだろう。そしてそれが企業の経済的健康にとっては最善だと。

その当時すべてのひとがグリーンスパンの説明を妥当なものだと見なしたのです。反論は何もなかったし、彼の受けた盛大な喝采から判断すると、そうなのでしょう。さて、それを大学に当てはめてみましょう。つまり、「労働者の更なる不安定化」をどう確保するか? それは決定的に雇用を保障しないことに拠ります。人々をいつでもノコギリで切り落とすことができるようにしておくというよりも、むしろ周縁にぶら下げておくのです。そうすると、彼らは黙って少ない給料を受取り、自分の仕事をしたほうが良くなるのです。そして「もう1年間そのような惨めな状況下で勤めることを許される」という贈り物を甘受するなら、彼らはそれを歓迎して、それ以上を求めなくなるはずなのです。

それが企業の見地から社会を効率的で健全に保つやり方なのです。そして大学が企業モデルに移行するにつれて、まさに「身分の不安定」が教職員に押しつけられつつあるのです。そして私たちはますます多くのそういうものを見ることになるのです。

それが一側面ですが、別の側面もあります。それも民間産業では全くお馴染みのものです。すなわち、管理職層の著しい増大と官僚主義です。もし人を支配しなければならないなら、それをおこなう管理能力をもたねばなりません。ですから他のどこよりも米国の産業では、管理職の多層化があります。それは一種の経済的浪費ですが、管理と支配にとっては有益なのです。

そして同じことが大学にも当てはまります。過去30~40年間、教員と学生に比べて管理職の割合が非常に急増しています。教員と学生の割合は御互いに対してかなり適正な水準ですが、管理職の割合が上昇したのです。

それについての非常に良い本があります。有名な社会学者ベンジャミン・ギンズバーグの『教員の減少:管理職化した大学の勃興とその問題点』という題名の本で、大学のビジネス・スタイルすなわち莫大な数の管理職と管理職の幾つもの階層を詳細に描いています。もちろん管理職層には非常に高額な給料が支払われています。このなかにはたとえば学部長のような教授職の管理者も含まれます。かつては、彼らは2-3年は管理職として勤めるために教授職を離れますが、その後また教授職に戻るというのが普通だったのですが、今では彼らのほとんどは管理の専門家になっており、だから副学部長や秘書等々を雇い、管理職部門と手をつなぎながら、このような構造を拡大する役割を果たしています。これらすべてが、大学のビジネス・モデルのもうひとつの側面なのです。

しかし民間企業のモデルを追いかけるかぎり、安くて攻撃のしやすい労働者を使うということは、どこまでも続く商慣行ですから、それへの対抗策として組合が現れました。大学では、安くて攻撃を受けやすい労働者とは、非常勤講師や大学院生になります。院生は、明白な理由のためにさらにもっと攻撃されやすい存在です。つまり教育を[非常勤講師を含めた教員から]院生という不安定な労働者に移せば安上がりになるからです。そうすれば彼らの規律と管理をしやすくなるだけでなく、教育から別の目的へと資金を移動できるのです。

その犠牲・しわ寄せはもちろん、学生・院生あるいは攻撃されやすい仕事に引きずり込まれた人々に行きます。しかし人々に犠牲を転嫁するというのが、ビジネスが取り仕切る社会の標準的特徴なのです。実際、経済学者たちもこのような体制に無言で協力しています。ですから、たとえば、自分の銀行口座を調べていて何か間違いを発見し、銀行にそれを訂正するように電話をかけたとしましょう。さて、何が起きるかご存じですね。電話をかけると応答メッセージが出てきて「お電話ありがとうございます。以下の指示に従ってください」。その指示項目に目指しているものはあるかも知れないし、ないかも知れません。もし偶然に正しい選択肢を見つけることになったら、少し音楽が流れて、ときには次のような音声が入ってきます。「しばらくお待ちください、ご協力ありがとうございます」等々です。

最後に、しばらく待った後、人間が出てくるかも知れません。そしてやっとその人に短い質問をすることができるのです。それが経済学者が「効率」と呼ぶ代物です。経済的尺度からすれば、そのようなシステムは銀行に労働コストを減少させています。もちろん、それはあなたにコストを課しているのですし、そうしたコストは大勢の利用者によって何倍にも膨らんでいきます。それは莫大なものになり得るのです――しかし経済的計算からすると、それはコストとして見なされないのです。社会の動き方を見れば、いたるところでこんなことが起きていることに気づくはずです。

ですから大学は学生にコストを課していますし、また終身教授の地位を保証されていない正教員だけでなく何の身分保障もないことだけが明確な非常勤教員にコストを課しているのです。このすべては、企業モデルの中では、完全に自然なのです。教育には有害ですが、教育は彼らの目標ではないからです。

実際、もっと過去を振り返ってみれば、それよりさらに深刻です。もしこんなことの多くがはじまった1970年代初期に戻れば、1960年代の民主的改革運動について、政治的多様性を大きくこえて、多大なる懸念が寄せられていました。それは一般的には「騒乱期」と呼ばれていました。アメリカがだんだん文明化していったので、それは支配者とそれにつながる知識人にとっては「多くの困難に遭遇した時代」だったのです。それは危険だったのです。というのは、人々はだんだん政治的な関心を持ち始めていましたし、女性や労働者、農民、若者、老人などの「特別利益団体」と呼ばれる集団が権利を得ようと挑戦していました。それらは支配者・知識人からの深刻な反動を呼び起こし、それはかなり公然となっていました。

そのなかで政治的にはリベラルと自称する人たちから、1冊の本が出ました。それは『民主主義の危機:民主主義の統治可能性に関する三極委員会への報告書』(ミッシェル・クロジャー、サムエル・ハンチントン、ジョージ・ワタヌキ)で、リベラルな国際主義者の組織、三極委員会が出版したものです。カーター政権のほとんどは、そのようなひとたちから構成されていました。彼らは「民主主義の危機」と彼らが呼ぶものを懸念していました。民主主義が度が過ぎているというのです。

1960年代には国民から政府に対する強い圧力がありました。いわゆる「特別利益団体」が政治的権利を得ようとして、国家に強力な圧力をかけたのです。しかしそんなことは許されないことなのです。この「特別利益団体」から除外されたグループがひとつだけありました。企業・経営者です。その利益は「国家の利益」と一体だからです。企業・経営者は国家を支配すると考えられていましたから除外されたのです。しかしその「特別利益団体」は問題を引き起こしていましたから、「我々は民主主義にもっと節度を持たさねばならない」と彼らは言いました。国民は受動的で無感動に戻らなければならない、というわけです。

そして彼らはとりわけ学校と大学に関心を寄せていました。彼らが言うには、学校も大学も「若者を教化する」という本来の仕事をしていないというわけです。学生運動たとえば公民権運動、反戦運動、女権運動、環境運動などをみれば、若者が正しく教化されていないことは、よく分かるでしょう。

では若者をどう教化すればよいのでしょうか。それには多くの方法があります。ひとつは若者に絶望的などほど重い授業料の負債を背おわせることです。負債はひとつの罠で、特に学生の授業料の負債は途方もないものです。クレジットカードの負債など小さいものです。それは残りの人生をだめにするような負債です。なぜならアメリカの法律は授業料の負債にたいする自己破産を許していませんから、その罠から抜け出すことができないのです。たとえば企業は負債が多すぎた場合、自己破産宣告ができます。しかし個人の場合、自己破産宣告によって授業料の負債から解放されることは、ほぼ不可能です。もし債務を履行しなければ年金や生活保護などの社会保障を差し押さえることさえできるのです。

このような法律は学生を教化し躾けるために意図的に導入されたと言っているわけではありません。しかし実質的には同じ効果をもっているのです。また、このような法律は何らかの経済的根拠があると主張することも困難です。なぜなら世界中どこを見ても、高等教育が無料である国がほとんどだからです。世界で最も教育水準が高いとされる国々、たとえばフィンランドでも(ちなみにフィンランドは一貫してトップの地位にあります)、高等教育は無料です。あるいはドイツのような豊かで成功している資本主義国でも、授業料は無料です。メキシコは、直面している経済的困難を考えれば、その教育水準は賞賛に値するものですが、そのような貧しい国でも無料なのです。

実際、アメリカでも1940年代、50年代にさかのぼってみれば、高等教育は無料に近かったのです。復員軍人援護法(the GI Bill )のおかげで大量の若者が無料で大学に行くことができました。この法律がなければ無理だったでしょう。それは若者にとっても、経済や社会にとっても非常に有益なものでした。それが当時の経済成長率が高かったひとつの理由だったからです。私立大学でさえ、かなり無料に近かったのです。

たとえば私の場合を例にとってみましょう。私は1945年に、アイビーリーグと言われる大学の一つ、ペンシルバニア大学に行きました。当時の授業料は年額100ドルでした。現在のドルに換算すれば多分800ドルぐらいでしょう。しかも奨学金を得ることも非常に容易でしたし、その気さえあれば自宅に住んで、アルバイトをしながら学校に行くこともできましたから、ほとんどお金はかからなかったのです。しかし今は法外な授業料です。私の孫も大学に行っていますが、働きながら同時に大学へ行くことはほとんど不可能です。このように授業料は、学生を教化し躾ける道具になっています。

学生や教員を教化するもう一つの技術は、教員と学生が接触し交流する機会を奪うことです。大人数の授業で、しかも超過労働の非常勤教員を増やすことです。彼らは非常勤の安い給料ではほとんど生きていけません。しかも安定した身分を保障されていませんから研究業績を築き上げるゆとりもありません。だから、もっと良いポスト、もっと良い給料を得ることもできないのです。これらは学生や教員を躾けたり教化したり管理する技術なのです。

それは工場で期待されているものと非常に似ています。工場労働者はきちんと躾けられていなければなりませんし従順でなければなりません。彼らは工場できちんとした役割を果たすものとみなされていません。たとえば、生産を組織したり、どうすれば工場が機能するかを決めたりするのは、労働者の仕事ではなく、それは管理職の仕事なのです。そして、このような労働の形態は大学にまで及んでいます。私企業・産業界で働いたことがあるひとには、これは何ら驚くには当たらないことでしょう。が、とにかくこれが現在の労働形態なのです。

(以下、次号に続く)
 

 「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針は、なぜ間違いか――京都大学新聞インタビュー 「グローバル時代の英語を考える」を終えて

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 京都大学新聞のインタビュー「グローバル時代の英語を考える ― 「外国人教員」「英語で授業」は何をもたらすか」(後編)の発行およびWeb掲載が、先日2月19日に終わり、長い長い旅からやっと解放された安堵感にひたっています。
「グローバル時代の英語を考える ― 「外国人教員」「英語で授業」は何をもたらすか」後編(2014.02.16)
http://www.kyoto-up.org/archives/1972

 インタビューの前編が発行・発売されたのが2013年11月16日ですし、インタビューそのものがおこなわれたのが10月13日ですから、最終的にこの仕事が完結するのにやがて4か月もかかったことになります。
「グローバル時代の英語を考える ― 「外国人教員」「英語で授業」は何をもたらすか」前編(2013.11.16)
http://www.kyoto-up.org/archives/1905

 この間(かん)ずっと精神的に宙づり状態でしたから、正直言って疲れました。というのは、これが終わらないと他のことに精神を集中することができず、何をしていても、この後編が終わるまでの「片手間仕事」という感を拭いきれなかったからです。
 それでも、このブログ「百々峰だより」では、インタビューでは語りきれなかったこと、あるいはインタビューを裏から支える資料を載せるという観点で、自分なりの努力を積み重ねて来たつもりなので、まあそれなりの意味はあったかなと思っています。

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 しかし「後編」を読み直してみて、京都大学の「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針について、言うべき本質的なことを、あのインタビューでは語っていないことに気づきました。そこで今回のブログでは、この点について詳しく論じてみたいと思います。
 この「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針について、私はインタビュー「後編」で次のように述べました。
京都大学は世界10位に入る大学になるとかいう目標を掲げていましたよね。あれも馬鹿げた話だなあと思う。世界何位って、一体どこが格付けしてるの? 企業でも格付け会社がありますよね。あの格付がいかにでたらめだったかというのは、アメリカの企業が軒並み悪行をはたらいて金融崩壊したときに明らかになりましたよね。有名な話では、エンロンっていう会社があって、そこが格付け会社の評価でAAA(最高位)だったんですよ。だけど後でよく調べてみたら、電力を販売する会社だったんだけど、悪さの限りをしてたわけ。つまり、格付け会社も分からずに格付けしてるし、自分に都合のいいように格付けする。デリバティブなどという摩訶不思議な商品の格付けもそうだったよね。これは間違いありませんっていうAAAの金融商品が軒並み暴落してたじゃない。裏で不正ばっかりしててさ。だとすれば、大学の格付けだってどこまで信用できるのか。


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 しかし、この「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針がおかしいのは、実は「格付け会社の『格付け』がどこまで信頼できるのか」よりも、それが教育学的に見て根本的に間違っているからなのです。
 インタビューに臨む前までは、この点についても語る予定だったのですが、脱線して他のことを話しているうちに肝心な論点を失念してしまったのです。
 では、この「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針は、教育学的に見て、なぜ間違っているのでしょうか。それは次のようなたとえを出すと分かりやすいかも知れません。
 たとえば、親が子どもに「クラスで一番になることを目指して勉強しなさい」と言ったとします。これは子どもを勉強させるための動機付けとして正しいものでしょうか。それとも勉強というものにたいする間違った動機付けでしょうか。
 あるいは、教師が、生徒たち皆に「このクラスで一番になるために勉強しなさい」「この学校で一番になるために勉強しなさい」と言うでしょうか。もしこのような言い方が正しいとすれば、「一番になれない生徒」「一番になることなど望まない生徒」は学校で学ぶに価しないことになりはしませんか。
 また他方で、教師から「クラスで一番になるために」「学校で一番になるために勉強しなさい」と言われて頑張って一番になったとして、その一番だった生徒は幸せだったのでしょうか。そのような動機付けを与えられた生徒は、学習を楽しむことができたのでしょうか。その「学習」は「楽習」だったのでしょうか。

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 実は、上記のような疑問を提起したのは、私の体験からもきています。というのは、私が能登半島の高校に入学したとき偶然にも一番だったのです。そのとき母校の中学校の先生たちは「おめでとう。卒業するときも一番で卒業するよう頑張ってくれ」と言って送り出してくれたのですが、それが私にとっては大きな負担になってしまいました。
 私が中学生の時、他人(ひと)の田を借りなければ生計をたてることができないほどの貧農でしたから、私の高校進学先として普通科高校は選択肢の中に入っていませんでした。通学先としてはかなり遠いのですが、金沢市立工業高校に行き、卒業したらすぐ就職して経済的に両親を助けることしか考えていませんでした。
 ですから母校の中学校で高校進学のための模擬試験が繰り返されていても、それは私にとって日ごろの勉強した結果を試す単なる「腕試し」の機会にすぎず、その模擬試験で何位になろうが私にとっては大きな関心事ではありませんでした。
 ところが1ヶ月に1回おこなわれる模擬試験で、回数を重ねるたびに私の順位が上昇し、高校入試が近づく頃には、私は学内1位になってしまったのです。その頃の私は、自分の好きなペースで好きなように勉強していましたから、勉強することがそれほど苦痛ではありませんでした。むしろ楽しみながら勉強していたように思います。
 ところが母校の中学校の学級担任は、私の母に「金沢の工業高校ではもったいないから地元の進学校に行かせて大学まで進学させなさい」と強く勧めたそうです。それで結局、地元の進学校を受験することになり、結果として入試の成績が一位で高校に入学することになってしまったのでした。
 しかし私にとっては「卒業するときも一番で卒業するよう頑張ってくれ」と母校の中学校の教師たちに言われたことが非常な重荷になって、高校時代の勉強を心底から楽しむことができませんでした。私にとって高校時代は、まさに灰色のハイスクールでした。結果として一番で卒業することはできましたが、そのことに何の喜びも感じられませんでした。後味の悪い思い出だけが残っています。

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 京都大学の「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針をニュースで読んだとき、真っ先に頭に思い浮かんだのが、この私の高校時代の苦い思い出でした。
 勉強というものは,本来「知的好奇心」に導かれておこなわれるべきものでしょう。また教師の任務は「知りたくなる」「学びたくなる」、すなわち生徒の知的好奇心をかき立てるような授業をすることではないしょうか。
 私の家内も、高校に入学したてのときから物理や数学の授業で「この問題は**大学の入試問題です」と言って、その解法ばかりを講義する教師がいて、中学校の時は理科や数学が好きだったのに、それだけで、その科目にたいする興味を失ったと言っていました(ちなみに、その高校は県下のナンバーワン・スクールでした)。
 私の高校時代には、まだ幾何学というものが残っていて、その公理や定理に従って厳密に論理を組み立てていく世界がとても面白く、また「補助線」を一本引くだけで、あっというまに新しい解法が見えてくる世界は、人生を生きていく上でも大きな参考になるように思えました。
 これは他の科目についても同様で、「**大学の合格者数で県下1位ををめざす」ということを目標にして、受験の技術としてしか教科を教えないとすれば、生徒たちは高校でいったい何を学ぶことになるのでしょうか。生徒たちは学ぶことの面白さや楽しさをどこで学ぶのでしょうか。
 京都大学の「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」というのも、どこかの高校が「東大合格者数で全国10位に入る高校を目指す」と言っているのと大同小異ではないでしょうか。
 このような目標を強制される大学で教える教員は、教育や研究を楽しむことができるのでしょうか。このような目標を強制される大学で学ぶ学生は、授業や学習を楽しむことができるのでしょうか。

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<註> 以上のような苦い体験から、私は首尾よく大学に入学できたとき秘かに誓ったことがありました。それは「今後は自分の知的好奇心にしたがって勉強する」「今後は受験や点数や順位のために勉強することは金輪際しない」という決意です。私がTOEICやTOEFLを大学の授業や入試に組み込もうとする今の体制に強い嫌悪感を覚えるのは、このような理由からです。

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 私が石川県で高校教師として教えていた頃、ある事件が起きました。「金沢大学に何名合格させるか」を念頭において受験問題集を解くだけの授業に反発して、それに抗議するビラ「高校は予備校ではない」を学内に貼って回る生徒たちが現れ、教師集団が慌てふためくという事件が起きたのです。
 そのビラは生徒の目に十分ふれる前にはがされてしまい、そんな事件があったことも知らない生徒が多かったようでした。
 生徒指導課が調べて見ると、その事件を起こした生徒たちはいずれもクラスのトップ集団にいる生徒で、志望校も金沢大学どころか東大や京大を志望校とする生徒も含まれていたそうです。
 そのことが分かると、「彼らを謹慎処分などにするとかえってビラを目にしなかった生徒にまで事件を知らせることになる」というので、結局その生徒たちにたいする処分は校長による厳重注意ということで終わってしまいました。
 このビラまきをした生徒たちと、「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針を出した京都大学執行部と、どちらが学問を目指すうえで、高潔な姿勢を持っていると言うべきなのでしょうか。
 私には、その答えは言う必要のないほど歴然としているように思います。

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 実はこの事件が起きたとき、「このようなことを生徒が自主的にやるはずがない。裏で先導している教師がいるに違いない」と言い出す教師がいて、私までもが校長室に呼び出されて厳重注意を受ける羽目になってしまいました。
 この「濡れ衣事件」の詳細については拙著『英語にとって教師とは何か』(155-157頁)に書いたので詳細は割愛しますが、「このようなことを生徒が自主的にやるはずがない」という感覚そのものが、生徒の能力をまったく見くびった、驚くべき感覚だと私には思われました。
 逆に言えば、このようなことを口にする教師たちの頭には、授業で「創造的思考力」「批判的思考力」を育てることは初めから存在していなかったことを、この事件は問わず語りに語っているようにも見えます。
 京都大学の場合も、初めから「世界ランキングで10位に入る大学」を目指して教員の尻を叩いているかぎり、その目標はおそらく達成できないでしょう。
 しかし逆に、そこで教育・研究にはげむ教員・研究者に思うぞんぶん教育や研究に専念できる環境を保証すれば、教員や院生のなかから多くのノーベル賞受賞やフィールズ賞受賞者が続々と誕生することになり、その結果として「世界ランキングで10位に入る大学」になるかもしれません。だが、その逆はおそらくあり得ないでしょう。
 それは韓国が「**年までにノーベル賞受賞者を**人にする」という目標を掲げながら、莫大な金をかけて英才学校をつくり、授業も英語でおこなうことを続けているにもかかわらず、いまだにそれが達成できていないことをみれば分かります。それどころか、京都大学新聞インタビュー「後編」で述べたように、韓国の優秀な生徒・学生はアメリカその他に脱出しているのです。

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 いま京都大学が目指している方向とまったく逆の軌跡をたどった事例が、東大合格者数全国一で名をはせた灘中学・高校です。今でも灘校は東大合格者数で常に上位の一角を占め続けています。
 今でこそ灘校は「東大合格者数ランキングの常連」「各界の名士を輩出した名門校」などと評価されていますが、今から60年ほど前までは、「公立校のすべり止め」というのが、関西での一般的認識でした。
 1950(昭和25)年、中勘助の自伝的小説『銀の匙(さじ)』を中学校の3年間を通じて読み込むという風変わりな授業が始まりました。始めた教師の名は橋本武(はしもと・たけし)と言い、当時はまだ公立校のすべり止めに過ぎなかった灘校を名門進学校に導いたひとりとして、「伝説の教師」と呼ばれています。
 橋本氏の授業は、『〈銀の匙〉の国語授業』『伝説の灘校教師が教える、一生役立つ、学ぶ力』などで知ることができますが、私がここで指摘したかったことは、私立の名門進学校として知られる灘校の「授業のありよう」です。それは受験問題を解く予備校のような授業ではありませんでした。
 そこには統一進度・統一テストがないどころか、検定教科書さえ使わなくてもよい「授業の自由」「研究の自由」が許されていたのです。
 私が従来から灘校にたいして持っていたイメージは、「東大の合格者数を増やすために、中学時代に高校の教科書はすべて終え」「高校で使う教材は、受験にシフトをしぼり受験問題集だけを使う」というものでした。というのは実際にそのような私立の中高一貫校があることを知っていたからです。
 ところが『〈銀の匙〉の国語授業』などを読んでみたら、実際の灘校はまったく違っていたのです。中学の3年間を『銀の匙(さじ)』だけで国語の授業をするということが許されていた学校があった!「にもかかわらず」東大の合格率が全国一を誇る!これは私には信じがたいことでした。二重の驚きでした。
 しかし、いま考えると「にもかかわらず」ではなく「だからこそ」ではなかったかと思うのです。受験問題集に焦点化した授業をおこなってこなかった――だからこそ真の学力を持った生徒を育てることができ、「東大合格者数ランキングの常連」「各界の名士を輩出した名門校」になったのではないかと思うのです。
 最初から受験問題集しか解いてこない学校から、自分で疑問を創り出し、批判的創造的にものを考える生徒・学生は育ちようがないからです。私には橋下武氏の授業を受けた生徒の中から、海渡雄一(かいど ゆういち)氏のような弁護士が生まれたのも、偶然とは思えませんでした。

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<註> 今これを書きながらもう一つ思い出したことがあります。それは自分が母校の進学校で統一進度・統一テストでがんじがらめに縛られていたとき、「俺に教材の自由、教育方法の自由を与えてくれれば、金沢大学どころか東大にでも入ることのできる本物の学力を育ててやれるのに」と歯ぎしりしていたことです。いま思えば、私の気持ちは『〈銀の匙〉の国語授業』をおこなった橋本氏の気持ちと、たぶん同じだったのです。
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<註> 海渡氏は、このたび大きな問題になった「特定秘密保護法案」を厳しく批判し、日本弁護士連合会秘密保全法制対策本部副本部長という重責を担って活動してきただけでなく、他にも日本弁護士連合会事務総長、監獄人権センター事務局長。脱原発弁護団全国連絡会共同代表、脱原発法制定全国ネットワーク事務局長などの肩書きをもって東奔西走しています。(ちなみに、弁護士で参議院議員の福島瑞穂(元社会民主党党首)とは、夫婦別姓を実行するため婚姻届を提出しない事実婚関係にある。)

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 以上これまで私は、「東大合格者数ランキング20位に入る学校」を目指した教育や受験勉強にだけシフトした授業づくりをしなかったからこそ、灘校は「東大合格者数ランキングの常連」「各界の名士を輩出した名門校」になったのではないかと述べてきました。
 同じことは日本のノーベル賞受賞者の多くについても言えるのではないでしょうか。京都大学新聞インタビュー(後編)でたびたび言及した山中伸弥氏や益川敏英氏も、私が調べたかぎりでは、最初からノーベル賞をもらうために大学に入ってはいませんし、研究テーマもノーベル賞をもらうために設定されたものでもありませんでした。
 ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏も同じです。ノーベル賞をもらうことを目標に研究したのではありませんでした。それは次のような逸話からもうかがうことができます。
東北大学在学時に単位を落とし1年間の留年生活を送り、大学卒業後は大学院へ進学せずソニーの入社試験を受けるも不合格。就職先が決まらず指導教授の勧めで京都の島津製作所の入社試験を受け合格。

 そのうえ田中氏の東北大学における専攻は、電磁波・アンテナ工学であり、化学分野の技術研究に従事したのは、島津製作所入社後に技術研究本部中央研究所に配属されてからです。この点から見ても、田中氏が最初からノーベル賞の受賞を目指していたとは、とても考えられません。
 また、電話による受賞の報が伝えられたとき「びっくり」だと思い(ドッキリカメラの意)本気にしなかったが、家の前に報道陣が大挙押し寄せやっと現実と考えた――という逸話も、田中氏がノーベル賞をまったく意識せずに研究してきたことを物語っています。

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 要するに科学者が研究するときは,純粋に「知的好奇心」「知的探求心」に動かされて研究するのであって、ノーベル賞受賞などという世俗的な動機で研究することはほとんどないと言ってよいと思います。
 それどころか、「世界ランキング何位」とか「ノーベル賞受賞」などという世俗的な動機で研究テーマを選ぶような大学や人物に、そのようなランキングやノーベル賞が訪れた試しはないと言ってよいのではないでしょうか。
 何度も言いますが、「世界ランキング何位」とか「ノーベル賞受賞」などという目標にしたがって研究しているかぎり、ほとんど何も生まれないのです。
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狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

Author:狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

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