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英語教育残酷物語、「英語で授業」という名の拷問その1

英語教育(2018/12/08) 「英語で授業」のイデオロギー、英語大好き人間VS英語恐怖症の生徒、心理的カウンセリングの支援体制

『英語にとって教師とは何か』 『英語教育が亡びるとき』で

 最近の国立大学でさえ1年に何回も入試があるので、その問題作成と採点で疲れ切っています。文科省は「世界ランキング○○位に入る大学を目指せ」と上から圧力をかけているのですが、こんな状態では研究に専念する時間が奪われる一方です。
 そのうえ上意下達の無駄な会議や教授会を乱発し出欠点検ばかりに熱心だが、教師に自由に研究する時間とお金をださないという大学運営も、大学教師を疲弊させています。これではノーベル賞をとる研究など望むベクもありません。
 そう言えば、本庶佑氏を初めとする日本人のノーベル賞受賞者も、かつて日本の大学が法人化される以前の、まだまだ自由の雰囲気が溢れていた時代に研究生活を送ったひとたちばかりです。本庶佑氏も1942年生まれの高齢者です。
 今は政府が軍事費をうなぎ登りに増やす一方で、国立大学への交付金は一貫して減らし続けているのですから、大学研究者は民間資金を得るために奔走したり、外部研究費を得るための書類づくりに膨大な時間と精力を奪われています。
 こうして、肝心の研究をする時間が減少し精力が大量に消耗させられています。
 おまけに最近は大学までもが、「共通科目」を「英語で授業おこなう」ことを要請され、教師も学生も、ますます多忙化を極めています。本庶佑氏も、若いときから英語学習のみに時間と精力を奪われていたら、おそらく今日のノーベル賞受賞はありえなかったでしょう
 自由であるべき大学でさえこんな状態なのですから、高校以下の教育現場はもっと悲惨であることは疑いありません。そう思っていた矢先に、ある高校教師(前川さん=仮名)から下記のようなメールが届きました。

<10月半ばに中間考査があり、その採点を済ませ、得点入力が終わったと思ったら⒒月初めに「学力テスト」というよくわからない実力テストがあり、その採点、成績処理が終わったところで、もう今週半ばからは期末試験週間に入りました。
 今はその試験の問題作成です。その途中にも教材研究と教材作成などがあり、このところ土日も学校か家で仕事で、休養できていません。
 先日、校長面談があったので、私は「試験漬け」はやめて欲しいと強く要求しました。度重なるテストで生徒だけでなく教師も疲れ切っているからです。>
 そんなふうで、肉体的疲労がある中で、事件が起きました。一年生の生徒が英語の学力テストの答案用紙に、教科担任の名前を出して「○○死ね」と書き込んだのです。○○先生は流暢な英語を使って「英語による英語」の授業をスラスラ進める女性教諭です。
 生徒指導部の事情聴取でその男子生徒は、「本文も指示も、何もかもわからなくなってきて、”悪いのは先生”だという気持ちが抑えられなくなった」と言っているそうです。私は「とうとう来たか」という気がして気持ちが沈んでしまい、余計に疲れを感じてしまいました。>

 前川さんは、上記で「<とうとう来たか>という気がして気持ちが沈んでしまい、余計に疲れを感じてしまいます」と書いているのですが、私は、これを読んでむしろ一縷の光を見出した気がしました。
 というのは、「英語で授業」という文科省・指導要領の政策は、生徒と教師を疲弊させるだけで教育効果はゼロどころかマイナスになりかねないのですから、いつか必ず何かが起きるのではないかと思っていたからです。
 かつて生徒が英語女教師をナイフで刺す時間が起きましたが、同じことがおきるのではないかという不安です。前川さんも上記のメールで、「とうとう来たか」という気がして・・・と書いているのですから、彼も同じ不安を感じていたことが分かります。
 まさにその不安が的中したわけですが、その一方で、この事件をきっかけに「英語で授業」という文科省や教育委員会の方針に現場から疑問の声が出てくるのではないかと私は期待したからです。「これを読んでむしろ一縷の光を見出した気がしました」と書いた所以です。
 この生徒は、「学力テスト」の答案に、処罰覚悟で、「<英語で授業>という拷問」を告発したのですから、前川さんはその勇気をむしろ褒めてやるべきではなかったのか、「落ち込む」どころか、むしろ「よくぞやった!」と、生徒の行動をバネに、元気を回復すべきではなかったかと思ったのです。
 日頃から管理職や教育委員会から、英語の授業では「日本語を使うな英語だけででやれ」という強い圧力があり、疑問を感じていてもそれに異を唱える自由のない職場では、なかなか声を上げることは難しいでしょうが、こんな事件が起きれば「やはり来るべきものがきた」ということで、意見を言いやすくなるはずだからです。
  文科省による「<英語で授業>という拷問」から生徒を守るべきなのは、本来は、教師なのですから、こんなときこそ英語教師には声を上げてほしかったのです。
 その男子生徒は、生徒指導部の事情聴取で、「(日本語を使わない授業だから)本文も指示も、何もかもわからなくなってきて、”悪いのは先生”だという気持ちが抑えられなくなった」と言っているそうですから、なおさらのことです。
 この生徒の言葉は、<英語で授業>という授業のありかたが、生徒にとって一種の拷問であったことを何よりも雄弁に物語っているのではないでしょうか。


 今度の事件がショックでその女教師も何か反省を迫られたのであれば、それはそれでよかったのですが、前川さんに電話で聞いたかぎりでは、そのようすもなかったようで、それが私のとって大きなショックでした。
 流暢な英語を使って「英語による英語」の授業をスラスラ進めるその女性教諭にとっては、「私のどこが悪いのよ」「私は文科省や教育委員会の言いつけどおり、『英語による英語』の授業を忠実にやっているだけです」と言いたかったのかも知れません。
 中学校で女性英語教教師が刺された事件については「女性教師と英語教育」(『英語にとって教師とは何か』第Ⅱ部第5章(あすなろ社)でも詳しく論じました。英語教師は「英語大好き人間」が多いので、ともすると「英語には興味関心があるが人間や社会にはあまり関心がないひと」が少なくないように思います。
 「英語による授業」は、英語が大好きで「英語を話せる自分」を生徒の前に披露したい教師には、最高の場かも知れませんが、意味不明の英語を1時間じゅう聞き続けていなければならない生徒にとっては拷問以外の何物でもないでしょう。
 国際基督教大学(ICU)と言えば、4年間すべてが教養課程(リベラル・アーツ)であり、英語で授業がおこなわれる大学として有名ですが、その大学の学長である鈴木典比古氏でさえ『TOEFLメールマガジン36号』で、次のように言っていることに注目してください。(https://www.cieej.or.jp/toefl/mailmagazine/mm36/icu.html#top、下線は寺島)

<ICUでは「英語でリベラル・アーツを」がキャッチフレーズですから、英語は授業を受けるための手段です。新入生はほっとする間もなく、入学式の翌日にはTOEFL-ITPを使ったプレイスメントテストで英語のレベルを判別し、クラス分けされます。そこからもう英語がどんどん始まります。
 すごいカルチャーショックもあるでしょうが、これがなるほど大学の勉強かと受け止めざるを得ない。初めにジャポーンとELP(English Language Program)に飛び込み、訳もわからず、犬かきでもなんでもいいから泳ぎだすのが一学期ですから、おそらくかなり大変だと思います。しかしこの1年間の悪戦苦闘が、実は大きな違いを生み出します。>
< 学生が積極的に考え方と生き方の基礎を学び、自己表現を会得するには、バランスのとれたリベラル・アーツ教育が必要です。そのためには心理的カウンセリングの支援体制も必要です。実際にカウンセリングが必要な学生も増えています。>

 つまり、ICUのように英語漬けになることを覚悟の上で、入学した学生でも、「心理的カウンセリングの支援体制も必要で」、かつ「実際にカウンセリングが必要な学生も増えて」いるというのです。
 ましてや英語嫌いの生徒も多く含まれているはずの中学高校で英語漬けにされたらノイローゼ(精神不安定)になるのは当然とも言えます。だからこそICUでは「心理的カウンセリングの支援体制」を整備した上で「英語で授業」をおこなっているのに、公立高校校ではそのような支援体制なしに「英語で授業」が強行されているのです。
 しかも、ここで鈴木氏は「学生と目線を合わせて真剣に意見交換をするには、・・・おのずと少人数クラスになります。現在、先生1人に学生が19人ですが、これでも多いですね」と言っているのです。。
 ところが今の学校では、こんな贅沢な環境は英語の授業に保証されていません。だから馬鹿げた指導要領のもとで、多数の生徒を前に教師がひとりで英語による説明や指示を続けていく授業にならざるをえません。
 これでは、いったん落ちこぼれた生徒は、英語という海のなかで溺れ死ぬ以外になくなるでしょう。しかし哀しいことに、そのことにたいする生徒の不安や恐怖にもっとも鈍感なのが、ともすると「真面目で」かつ「英語大好き」の女教師であることが少なくないのです。
 その結果が先述の「中学生が女教師をナイフで刺す」という事件だったのですが、それが今回は「○○死ね」と教科担任のテスト用紙に書き込んだのが事件となったわけです。

 ところで、鈴木典比古学長は『TOEFLメールマガジン36号』で、次のような興味深いことも述べています。
 「国際化というと英語で全て行うことだと思われがちですが、本来なら英語と日本語で行うべきだと考えます。最近は留学生が、ICUにきたのは日本語で授業を受けられるようになるためだと言って、親切心で英語を使っても逆に嫌がったりしますよ。」
 鈴木典比古氏は上記で、「国際化というと英語で全て行うことだと思われがちですが、本来なら英語と日本語で行うべきだと考えます」と言っているのです。
 つまり、この記事を読むかぎり、ICUでさえ「英語だけで授業」があるのは、新入生のELPプログラム1年間のみで、あとは「本来どおり」日本語と英語の両方を使うと言っているのです。それでも、ICUは少人数体制で、しかも心理的カウンセリングの支援体制があるのです。
 英語漬けになるのを覚悟で、英語大好き人間が入学してくるICUでさえ、このような支援体制を整えてELPの授業をおこなっているのに、そのような体制なしに多人数の中学高校の普通クラスで「英語で授業」をおこなうことが、いかに無謀かつ無意味か。それを、この事件はよく示してくれたように思います。
 というよりも、そもそも普通の中学や高校で「英語だけでおこなう授業」は、「本来」あってはならないことなのです。英語教育の効果から言っても、「害あって益なし」なのですから。

<註> 鈴木典比古死は、ICU学長としては「本来なら英語と日本語で行うべきだ」と言っていたのに、朝日新聞「争論:大学生は英語で学べ」(2014年7月3日)に載ったインタビューでは、私との論争で、「日本語は使うな、英語で学べ」と主張しているのですから、実に不可解な話です。秋田国際大学学長になったとたんに、自分の主張を変えたのでしょうか。


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大学入試「民営化」で苦悩する高校、荒廃する大学――季刊誌『I B』 2018夏季特集号の反響3

英語教育(20181024)、大学入試、主体性評価、e-portfolio、「発話力、スピーキング力」の試験、外部試験という名の「民営化」、CEFR (Common European Framework of Reference for Languages ヨーロッパ言語共通参照枠)

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 沖縄県知事選に引き続き、那覇市長選でも米軍基地反対派が勝利しました。アメリカにとっても安倍政権にとっても手痛い打撃になったことでしょう。もっと大きな衝撃を受けたのは、自民党の傭兵部隊となって選挙戦を闘った公明党・創価学会だったかも知れません。 
 他方、視野を国外に転じると、アメリカは相変わらず混迷と孤立を続けています。一方ではサウジアラビア政府が関与していると強く疑われている殺人事件をトランプ政権は擁護する姿勢を崩していませんし、もう一方ではで中距離核戦力(INF)廃棄条約からも脱退する意向を表明しているからです。
 このようなアメリカの行動に、EUなどの同盟国すらアメリカに対する反感を隠していません。しかし、このように混迷と孤立を続けるアメリカを、あくまで擁護しようとしているのが、東西2匹のプードル犬、すなわち日本と英国です。アメリカから自立する姿勢を強めている韓国やフィリピンの姿と比べると、日本の現状は哀しいかぎりです。
 それをある意味で象徴的に示すが、国民をあくまで英語漬けにしようという安倍政権の外国語政策でしょう。
 このような英語に対する姿勢は外交文書・経済政策にも露骨に顕れています。なにしろトランプ氏が脱退を表明した後、TPPを主導してきたのが日本でありながら、正式な文書が日本語でつくられず、国会でその是非を議論しようにも、英語版しか手に入らないていたらくでした。

 これと同じことが教育現場でも横行しています。その典型例が「日本語を使うな、英語教育は英語だけでおこなえ」という政策でしょう。しかも現場の教師はアメリカからの輸入商品である試験(TOEIC)を、「英語教師に対する研修」という口実で、強制的に受験させられている都道府県が少なくないのです。
 表向きは「英語教育のため」と称しながら、実はアメリカの赤字財政を救うために、英語教育と英語教師が、人身御供としてアメリカ資本に差し出されているわけです。イラク戦争が「大量破壊兵器の存在」を口実にしながら、本当の理由は「イラクの石油」「ドルからの自立を目指すフセイン政権の打倒」だったのと同じ構造と言うべきでしょう。
 安倍政権が同じ口実で、もっと大規模におこなおうとしたのが、「スピーキング力を測る」という口実で、大学入試「英語」を民営化しようとする政策でした。つまり大学入試の科目で英語だけを切り離して、民間企業に任せようとする政策です。
 このような民営化政策が出始めたとき、政府・文科省が初めの頃しきりに口にしていたのが、やはりアメリカ資本の資格試験TOEIC、TOEFLを英語入試として採用し、それを受験生に受けさせるという政策でした。
 すでに日本の多くの大学では、「日本の大学の国際競争力を高めるため」という口実で、TOEICというビジネスマン向けの資格試験が、理工系の学部でさえ、強制または推奨されていましたが、今度はアメリカの大学に留学するための資格試験であるTOEFLまでも追加されたのです。
 アメリカ資本にとっては、こんなに美味しい話はないでしょう。 何しろ以前は会場も試験監督も自費で用意しなければならなかったのに、大学側がそれをやってくれるようになっただけでも有難かったのに、今度は大学入試という口実で、個々の大学ではなく国家が自ら全国に檄を飛ばして、TOEICやTOEFLを受験生全員に受けさせてくれるわけですから、アメリカ資本にとっては笑いが止まらない話です。
 しかし、これには日本の民間企業もさすがに我慢がならなかったのでしょう。「なぜ外国の試験でなければならないのか」「なぜ日本の企業が開発した試験ではいけないのか」というわけです。こうして資格試験の老舗である英検(日本英語検定協会のいわゆる実用英語技能検定)や進研模試で有名だった企業ベネッセだけでなく、他にも多くの企業が名乗りをあげました。

 こうして今や大学入試は混乱の真っただ中です。このような状況のなかで発行された季刊誌『IB』2018夏季特集号への反響も大きかったのだと思います。先日も、ある県の高校教師(英語)から、私宛に便りが届きました。以下がそのメールです。

寺島先生
 ご無沙汰しております。この度は、I.Bを送っていただきありがとうございます。
 この間、大学入試改革が本当にいろいろと進み、昨年より母校の進路指導部長をしているので、立場上その情報を追いかけるのに大変です。
 進路指導主事の会議では、「大学側の主体性評価」と「英語4技能の民間テスト」の話題でもちきりです。ただし、どちらもあまり文科省の思惑どおりには進んでいないようですが。
 「主体性評価」の目玉「e-portfolio」なるものは、私の予想では当分は広まらず、各大学における調査書だけでの評価になる気がします。「4技能テスト」も、CEFRの段階との適合があやしいので、各大学とも相当低い得点化になるような気もします。
 それでもセンター試験は、「共通テスト」と名前を変え、英語は現6年生が高3になるまでは、民間テストと併用で、当分は残るものの、リスニングとリーディングだけとなるようです。文法問題や発音アクセント問題、並べ替え問題はなくなります。
 英語入試改革の目玉は「英語4技能の試験」、とりわけ「スピーキング力の試験」だったはずが、センター試験は、なぜか2技能となるのは変な感じです。ベネッセが、英語資格試験のGTECだけでなく、「主体性評価」では「e-portfolio」なるものも売り出しはじめ、この分野で独り勝ちしそうなのも気になっています。

 季刊誌 IB 夏季特集号で書かれていた「英語で授業」は、以前にも話しましたように、予想通り、現場では、「できる教師はやり過ごす」ってなっていると感じていたのですが、茨城だけなんでしょうか?
 確かに、この間の動きで、生徒に英語を話させる時間はだいぶ以前より増えていると思いますが、教師が日本語を使わず英語だけでおこなうというのは、実際の授業では、生徒にとっても教師にとっても迷惑極まりないものですから、それほど多くの人が、以前よりやっているとは感じていませんでした。
 しかし、「やらないと法律違反」とまで言うお偉い方が今もいるとは驚きです。もっとも、今の文科省教科調査官(英語)の女性は私の県で指導主事をしていた方ですが、何かの会合で、英語でやらないと「単位未履修」になると言って、陰で笑われていました。が、そういうことを言っていた方があそこまで出世すると笑えませんね。

残暑厳しい日が続くかと思いますが、お体ご自愛ください。

追伸:私の隣の席に、年配の先生が座っていらっしゃるのですが、寺島先生のブログを紹介したらファンになって、ブログを楽しみにしています。本も数冊、貸し出しました。この先生は、先生のブログを読んでいたからか、トランプ当選を予想していて、生徒の前でも宣言していた強者です。


 いただいたメールによると、進路指導主事の会議では、「大学側の主体性評価」と「英語4技能の民間テスト」の話題でもちきりだとのことですが、「主体性評価」とは受験生の能力を入試の成績だけで判断するのではなく、受験生の「主体性」も評価の対象に入れろということです。
 しかし、こんなことを大学側に要求したら、今でさえ文科省が大学への地方交付金を削減しつつあるなかで資金繰りのため多忙化を極めている大学は、あっという間にパンクしてしまうでしょう。大学に「世界ランキングの上昇をめざせ」という強い要求を出しながら、こんなことを同時に押しつけたら、大学教員に研究する時間もゆとりもなくなります。
 なぜなら「主体性評価」の目玉「e-portfolio」なるものは、デジタル大辞泉の解説によれば、「生徒学生の日々の学習や活動の記録を電子化したもの」「生徒学生が提出したレポート、教員からのコメント、部活動や課外活動の記録などのデータ」だからです。
 最近では、年に何回もおこなわれるようになった入試業務だけでも疲弊している大学現場で、高校側から提出された膨大な受験生のデータを読んで評価する暇がどこにあるのでしょうか。また高校側でも、最近はますます正教員が減らされているのですから、高校現場も疲弊します。
 そこで「待ってました」とばかりに登場するのが民間の教育産業です。今や税金を食いものにした民間企業が大手を振ってまかりとおる時代になってきたようです。一般市民が貧困化し、ものが買えなくなってきたので、民間企業は政府に商品を買わせようとするわけです。その絶好の機会として大学入試に目を付けたのでしょう。


  他方、大学入試「英語」についても、いただいたメールでは、「4技能テストも、CEFRの段階との適合があやしいので、各大学とも相当低い得点化になるような気もします」とありました。
 ここで言われている「CEFR」とは、“Common European Framework of Reference for Languages”の略で、「ヨーロッパ言語共通参照枠」の意味です。名称にもあるように、この「ものさし」はヨーロッパで作られたものです
 この「ものさし」を、英検、TOEIC、TOEFLなどを受けた受験生の能力を測る共通の道具として使おうというのが文科省の考えですが、もともと目的が違って開発されたものを(たとえばTOEFLは留学生用、TOEICはビジネス用)、強引に大学入試にも利用しようというのですから、初めから無理な話なのです。
 またCEFRはEU加盟国の人間が国境を越えて自由に交流できるようになったことを反映してつくられたものです。ですから「最低二つの外国語を習得しよう」を合言葉にしていますが、「4技能の習得」を目標に掲げていません。そのひとが必要な外国語能力、たとえば「読むこと」だけが必要な人は、それでよしとされているのです。
 ところが文科省は大学入試で「4技能」を掲げ、とりわけ「スピーキング力」を測る試験が必要だからという理由で、入試の英語を民間に丸投げするという施策をとりました。しかし「スピーキング力」を測る試験が必要だというのであれば国家が責任をもって、そのような試験を開発すればよいのであって民営化する必要は全くありません。
 要するに、イラク戦争の時と同じように、表向きの理由とは別の、隠された本音があるのです。つまり、英語の入試を民間に丸投げする本当の理由は、「教育を民営化」し、企業を儲けさせることにあるのです。つまり政府、文科省の政策は、教育の論理ではなく経済の論理で動いているのです。

 前回のブログで紹介したように、羽籐由美氏(京都工芸繊維大学教授)は、「大学入試でスピーキングの試験をするのは反対ではないが、それを種々雑多な民間会社に丸投げするのは無責任であり、受験生にとっても公平な制度ではない」と主張し、その理由を『検証、迷走する大学入試』(岩波ブックレット)のなかで詳しく述べています。
 これは私の意見と似ているようですが、実は似て非なるものです。なぜなら彼女は、「そもそも大学入試でスピーキングの試験をすることは本当に必要なのか」ということを深く考察していないからです。私は大学入試で「発話力=スピーキング力」を測る必要はないと考えているからです。そんなことをしようとすれば莫大な費用と時間がかかります。
 羽籐由美氏が主張するように、「スピーキング力」を測る試験が必要だというのであれば国家が責任をもって、そのような試験を開発すればよいのであって民営化する必要は全くありません。ノーベル賞の受賞者を続出させている日本人の頭脳をもってすれば、そのような試験を開発することは不可能ではないはずなのです。
 そのためにこそ国立の教育政策研究所があるのです。わざわざ外国の商品を輸入する必要もありませんし、民間企業に頼る必要もありません。しかし、そのような「発話力テスト」が開発されたとしても、そのような試験を実施するためには膨大な費用と人員と手間暇がかかります。それは現在の「聴解力テスト」を見れば分かります。
 また、そもそも受験生の本当の「発話力」を測りたいのであれば、英検が今までおこなってきたように、試験官が受験生と一対一の会話を試みる以外にありません。しかし膨大な数の受験生を相手に、そんなことをできるはずもありません。その対策として試験官の数を多くすれば、今度は評価に統一性と客観性が失われていきます。
 これらの弱点を回避するためにインターネットや電子機器を利用する方法も考えられます。実は羽籐由美氏の研究テーマは、まさに「インターネットや電子機器を利用する方法」でした。少しずつ光が見え始めたときに文科省がいきなり民間に丸投げするという政策を発表したのですから、彼女の怒りもひとしおだったことでしょう。
 しかし国が総力をあげて電子機器を利用した「発話力テスト」を開発したとしても、多分それは「真の発話力を試すテスト」にはなりえないでしょう。なぜなら、前述のとおり、受験生の本当の「発話力」を測りたいのであれば、試験官が受験生と一対一の会話を試みる以外にないからです。
 電子機器を利用した「発話力テスト」は、電子機器にのるような問題しか出題できません。ですから本当の発話力をためす試験になりようがないのです。しかも、試験当日も、莫大な費用と人員をかけて全国に会場を用意しなければなりません。つまり、この試験のためにかけたコストに見合った成果を、あまり期待できないのです。


 これは既におこなわれている「聴解力テスト」についても言えることです。同時通訳者として有名だった鳥飼玖美子氏は、「現在おこなわれている聴解力テストは電子機器を提供する企業をもうけさせているだけで、真の聴解力テストとしては役立たない。なぜなら真の聴解力は分からなかったら聞き返す能力だからだ」と述べています。しかし鳥飼氏は現在の聴解力テストに代わる代案を提出していません。
 では現在の聴解力テストの代案として何が考えられるでしょうか。その一番簡単な方法は「直読直解する力」を試すテストです。従来のような「語彙力」「文法力」「精読力」を試すテストではなく「速読力」を試すテストです。読みには「素読」「精読」「味読」の3種類があると言われていますが、「聴解力」の代用として「素読力」「速読力」を試すテストにするわけです。
 こうすれば莫大な費用をかけておこなわれてきた「聴解力テスト」をおこう必要がなくなり巨大な省エネになります。受験生のストレスも回避されますし、聴解力試験を用意したり、試験場に駆り出される教員の、巨大な精神的負担も解消されます。なにしろ現在の試験会場は「針が1本落ちる音」すら許されないのですから、会場で立ち番する教員のそのストレスたるや大変なものです。
 それはともかく、「素読力」「速読力」を試すテストが、なぜ「聴解力」の代用になるのでしょうか。それは「速読力」なしには「聴解力」は成立しようがないからです。音声は瞬間的に消えて行きますが、文字は消えていきません。しかも文字の場合、速読しようと思っても少し意味がとれないと思ったら、立ち止まって考えたり少し前にもどって読み直すことできます。ところが音声の場合、この作業ができません。
 つまり言い換えれば、文字ですら「直読直解」ができないひとが、瞬間的に消えて行く音声の「直聴直解」をできるはずがないのです。だから「速読力」を試すテストは、間接的に「聴解力」を測るテストになりうるのです。従来の英語入試の「読解力テスト」に、新し問題を付け加えるだけでよいのです。こうすれば何度も言うように、現在の「聴解力テスト」に浪費されている時間・費用・精力を大きく節約でき、教員の研究成果もあがります。

253459.jpg 魔法の英会話

 このように言うと、「それでは現場の英語教育は元の木阿弥で、読み書き中心の授業に戻ってしまう」という声が聞こえてきそうです。しかし文科省が「英語を話せない日本人」を殺し文句にして、コミュニケーション中心の授業を推進すればするほど若者の英語力は低下しているのです。これは文科省の調査そのものがよく示しています。私の言う「ザルみず効果」です。
 もちろん、英語には同時通訳の草分け國弘正雄氏の言う「音の化学変化」がありますから「速読力」をつけただけでは聞けるようになりません。語の音声を習得するには独自の方法が必要になります。しかし私たち研究所の実践が証明しているように、聴く力を伸ばす最もよい方法は「英語のリズムで音読する」という方法です。
 不思議に思われるかも知れませんが、聴解力を伸ばすのに最も良い方法は、「繰り返し聞く」ことではなく、英語のリズムで「音読する」ことなのです。つまり「聴解力」は再び「読み」に戻るわけです。とりわけ「音読力」です。生徒・学生に「英音法」についての基本的知識を与えながら「リズムよみ」させれば、「音の化学変化」を着実に身につけ、いつのまにか聞けるようになっているのです。
 ところが文科省は「会話力」「コミュニケーション」ばかりを声高に叫んでいるので、教科書の音読は投げ捨てられ、現場の授業では教科書に出てくるフレーズを使った「会話ごっこ」ばかりが氾濫することになっています。これでは、いつまでたっても、聴解力はおろか読解力も身につきません。ですから文科省が「会話力」を強調すればするほど生徒の英語力が低下するのは当然なのです。
 実を言うと、教育現場では「読むこと」がきちんと教えられていないのです。どうすれば「直読直解」ができるようになるのか、その手順が全く教えられていません。それを素っ飛ばして「会話ごっこ」ばかりやらせるから学力が低下しても当然なのです。読みには先述のように「素読→精読→味読」の三段階がありますが、その区別さえ知らない英語教師も少なくありません。
 私たちの研究所では、この三つの読みを、「構造読み」→「形象読み」→「主題読み」、あるいは「構造読み」→「要約読み」→「要旨読み」という方法で教えていますが、このような丁寧な読解指導なしには、真に役立つ英語力が身につくとはとても思えません。文科省の言う「英語で授業」や「会話ごっこ」では、批判的・創造的に読むちから(Critical reading, Creative reading)は、永遠に育たないからです。
 (以上で述べてきた寺島メソッドについては『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』(明石書店2016)がありますから興味のある方は、ぜひ参照してみてください。)


 さて最後に残された課題として「大学入試の発話力テスト」をどうするかという問題があります。電子機器を使った「発話力テスト」は問題が多すぎるとすれば、その代案として何があるかという問題です。
 結論から先に言うと、私は「発話力テスト」の代案として「自由英作文テスト」が、電子機器を使った「発話力テスト」と違って、入試にかかる莫大な費用もかからず、生徒の会話力を底上げする最も良い土台を提供することになると思っています。
 つまり現在の英語入試と切り離して、「自由英作文テスト」を、「発話力テスト」の代案として、設定するわけです。従来も英語入試にも「英作文」の問題が出されているのですが、採点が面倒だからという理由で、あらかじめ与えられた日本文を英訳する「和文英訳」の問題が多かったのです。
 たしかに「自由英作文」の採点は手間ひまがかかります。しかし電子機器を使った「発話力テスト」にかかる巨大な費用のことを考えれば、「自由英作文」にかかる費用や手間ひまは、許容範囲に入るのではないでしょうか。フランスでは有名なバカロレアという全国統一の学力試験がありますが、どの科目に関しても、記述式のものばかりです。この採点には膨大な手間ひまがかかります。
 バカロレアには、解答選択や穴埋めなどはありません。例えば歴史・地理の問題は、「第二次世界大戦以降の、中東と近東における紛争について説明せよ」というようなもので、これについて年号なども入れながら、論文形式で解答しなければならないのです。フランスでやっていることが、なぜ日本ではできないのでしょうか。私の提案は全科目ではなく「自由英作文」だけという提案なのです。
 ところで「自由英作文」の試験は、なぜ「発話力テスト」の代案になるのでしょうか。それは「書く力があるひとで話せない人はほとんどいない」という事実です。日本語を考えても、饒舌に話す人でも書かせてみると、誤字脱字はもちろんこと、主語と述語が対応していなかったり論旨がでたらめだったりするひとは珍しくありません。しかし論旨の通った文章を書ける人の話は、実に理解しやすい発話になっています。
 これは英語の場合でも同じです。自分の意見を自由に筋道立って英作文できれば、それを口に出して言いさえすれば相手は理解してくれます。取り立てて「発話力テスト」をする必要はないのです。ところが、何度も言うように、文科省が「会話ごっこ」「コミュニケーション」を強調するものとなり、教科書に出てくる単語やフレーズを使っておこなう会話練習ばかりですから、まとまった英文を書く時間がほとんどありません。
 しかし教科書に出てくる単語やフレーズを使って、いくら会話練習をしても、日常的に使わないことばは時間が経てばすぐ消えて行きます。いま憶えたつもりの単語やフレーズも、次週には、もう忘れてしまっていることは、珍しくありません。私の言う「ザルみず効果」です。しかし自分の考えを英語で自由に書く力は、簡単に消えることはありません。それどころか鍛えれば鍛えるほど、その力は蓄積され強力になっていきます。
 ところが、何度も言うように、教育現場では自由英作文で生徒を鍛えることは、ほとんどできません。指導要領がコミュニケーション重視ですから、かける時間の比重が違ってくるからです。それと同時に、「日本語を使わずに英語だけで授業しろ」という文科省の指示が教師を金縛りにしているからです。日本語を使えば「英語が話せないのは日本語ができないからだ」ということを簡単に説明できるのに、それを文科省が妨げているのです。
 具体的に言えば、「自由英作文ができないのは、頭に浮かんでくる複文の日本語をそのまま英語にしようとするからであって、それを易しい短文の日本語に言い換えることができれば簡単に英語にできる」ことを、日本語で実例を使って説明し、練習させることができるのですが、今の学校現場では、それが許される雰囲気ではないからです。下手をすると、管理職が日本語を使っていないかを、いつも監視に来るという学校すらあるのですから。
 いずれにしろ、このような英語教育体制のなかでは、いくら国の総力をあげて大学入試の「発話力テスト」を開発しても、真の「発話力」は永遠に育たないでしょう。財力と精力の壮大な浪費に終わる可能性があります。しかし、だからこそ安倍政権は「発話力テスト」を民間に丸投げしようとしたのでしょう。彼らの頭にあったのは、「いかにして教育を建て直すか」ではなく、「いかにして企業を儲けさせるか」だったのですから。
 (なお私たちの研究所が、この30年にわたって積み重ねて来た「会話力」の研究と実践の一端は、『魔法の英会話』理論編・実践編として公刊されています。時間と興味のある方は参照していただければ幸いです。)


<註1> 
 外部試験という名の「大学入試の民営化」は、大都市に住む受験生と地方の小都市に住む受験生との間では巨大な格差が生じます。まして小さな田舎町や山間僻地に住む受験生は、いったいどうすれば良いのでしょう。また受験料も巨額ですから、貧富の格差が巨大に広がりつつある現状では、別の大きな問題が生じてきます。このような問題については、『検証、迷走する大学入試』(岩波ブックレット)の第1章で、元東大副学長かつ編者の南風原朝和(はえはら ともかず)氏が詳しく論じていますので、ぜひ御一読ください。
<註2> 
 文科省による大学入試「英語」の民営化=「外部試験」で、外資・教育産業がいかに色めき立っているかについては、季刊誌 IB (InfromationBank)2018夏季特集号の巻頭インタビューで、私は日経新聞の記事(2018/4/26)を引用しながら、その一例を詳しく紹介しました。その記事の一部を以下に再録しておきます。
 

全国で社会人向けの教室を186カ所展開するECCは実用英語技能検定(英検)の準2級と2級レベルを想定した授業をする。1回100分、15回が1単位で、料金は生徒1人当たり4万円。高校の授業の一部または放課後の課外授業などとして提供する。
 「高校生はアルバイトをすべきか」といったテーマに対し、賛否双方の立場から日本語で意見を考えさせた上で英訳するなどの方法で記述問題を指導する。全15回のうち最後の3回は面接対策と位置づけ、会話の練習をする。高校生同士で面接官と受験生の役割を演じさせたり、講師が面接官となったりして模擬面接もする。
 初年度は2500人が3単位程度利用すると想定し、売上高は3億円を見込む。
 英語圏出身者が高校などの授業を補助する外国語指導助手(ALT)の派遣事業も強化する。現在、ECCに登録しているALTの候補者は10人。フィリピンにある現地法人などを通じて5年後に300人まで増やす。ALTの採用主体となる自治体への営業も強化して、現在は数千万円程度の売上高を5年で10億円程度まで引き上げたい考えだ。


 この記事では、イーオンなど他の企業も、いかに「大はしゃぎ」しているかについても紹介しています。興味のある方は下記を参照ください。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29858310W8A420C1MM0000/?n_cid=NMAIL007

英語教育を踏み台にして、「美しい国」を破壊している元凶は誰か――季刊誌『IB』2018夏季特集号の反響2

英語教育(201810012) 大学入試、スピーキングテスト導入、民間委託=大学入試の民営化、「美しい国」の荒廃

迷走する英語入試

 相変わらずIBの反響が(電話、手紙、メールというかたちで)次々と届いています。今回は取り合えず以下のメールをお裾分けさせていただきます。
 送り主は岐阜大学医学部の卒業生で、私は彼に共通教育の英語を教えただけですが、いまだに付き合いが続いています。彼はいま私立大学部付属病院で眼科医(医学博士)をしています。
 ちなみに当時の岐阜大学医学部眼科は世界的にも有数の研究と治療技術を誇っていました(現状は知りません)。私は彼を通じて、医者の卵がどのような過程を経て一人前の医者(眼科医)になっていくのかを、つぶさに知ることができました。

寺島先生
 インタビュー記事の掲載誌を下さいましてありがとうございました。
 偶然なのですが今チョムスキー氏の最近の本『誰が世界を支配しているのか』を読んでいるところです。郵便が届いた時に「あ、寺島先生からだ。チョムスキー読んでたからだなぁ!」と自然につながっていました。不思議な感覚です。
 小学生に英語を正式科目として導入する件は、私は反対です。
 日本語で思考するので、小さいうちはきちんと日本語の教育をするべきです。
 大きくなっても(高校や大学で)教育は日本語でおこなうべきです。英語を英語で教育するとは!?それなら語学の超専門家を養成する外語大ではペルシア語をペルシア語で教育するのか!そんなアホなことはありません。
 私は中学の時に英語研究部に所属していて顧問の先生と雑談をする機会があり、学校の英語を習っていてもアメリカ人と会話できるようにはならないのではないですか?と質問したことがあります。
 先生はシェイクスピアの英語劇をしていたけれど英会話が得意ではないと笑っていました。そしてそんなことは当たり前であって、英語を勉強するのは英語圏の文化を知ること、主にアメリカの先進的な研究などの文書(雑誌や論文)を読んで自分で勉強できるようにするのが目的で、会話は別のことであるとおっしゃいました。今でもそれが正しいと思っています。
 私は国家主義的な安倍総理が嫌いです。安倍総理の時代になってから妙に英語教育がかき回されているように思います。(国家主義者が英語一辺倒・アメリカ一辺倒というのもおかしな話ですが)
 これまで「学校の英語を習っても英会話ができないじゃないか!」という声がマスコミで流れても歴代の総理大臣は無視していたか、私の中学の先生のような見解の文部官僚が当時はそれを遮っていたかのどちらかであるように感じていました。
 マスコミが煽っても教育は揺るがなかったのです。ところが安倍総理になった途端に、小学生から導入だとか、会話重視だとか妙な変化が起きました。
 学問体系に沿ってきちんと修練した指導者・文科省役人なら、容易にはこの体系を崩しにかかったりしないと思います。思うに安倍はあまり勉強をしないで大人になったのではないかと思います。だから安易な声に従っているのだと思います。
 読み書き重視の英語教育は、今までは、ある意味での岩盤規制がかかっている状態でしたが、安倍は規制を粉砕することばかりに熱心であるようです(教育における「規制緩和」)。岩盤規制というのは国の根幹を形成している場合が多いので、単に粉砕すればよいというものでもないのです。
 「英語教育を大転換するべきなのか」、それは、そもそも現場の英語の先生たちの意見によって決めることで、教育にはあまり関わりのない種類の(あるいは教育に全く素人の)国会議員が決めることではないのです。

 共通試験の英語の点数を外部の検定試験に置き換えるというのは全く意味不明です。試験問題は、大学教育に必要なレベルを測定するために大学教師が作成するのであって、外部の検定会社を使うというのは目的が違うからです。
 なんとなく良さそうな英語の試験があるから、ちょっとそれを使ってみようかという軽率な考えが透けて見えます。
 そんなことがまかり通るなら、国語の試験は漢字検定と日本語検定に置き換えればよいし、数学などは『大学への数学』誌の懸賞問題にすればよい。

 小学生に英語を教えるとか、高校や大学で「英語だけで授業をする」ということを認めるとしたら、まず全国の教育学部に小学校英語教諭コースと高校英語「無日本語」教育コースを設置して新しい科目の教員を養成しなければならないと思います。
 教員をきちんと確保してからようやく新しい科目をスタートするべきです。これまでの英語とは全く異なるものなので、それぐらいの準備が必要です。というか、先述のとおり、そんなことはするべきではないのです。

 英会話はそんなに必要なのだろうかという疑問もあります。英会話はできないよりできた方がよいけれど、全員ができる必要はない。テニスや野球も、できないよりできた方が良いけれど、全員ができる必要はない。必要な人がやればよい、やりたい人がやればよいのです。
 機械による自動翻訳が登場しています。会話が出来なくても音声解読ソフトで文章化してスマホに表示させたりできます。普通の人の外国旅行はそれで済みます。そんな時代になぜ1億総英会話教育を始めなければならないのかわかりません。

 戦後にアメリカは、日本の強さの根源は大家族生活による知識の伝承であると見て、核家族文化住宅が先進的であると見せ掛けて日本に導入させたと聞いたことがあります。 日本語でしっかり考えることを骨抜きにして英会話に走らせれば、ますます日本は弱体化します。
 安倍は「美しい国」だの「伝統を愛する」だの「国益を守る」という言葉をよく使いますが、英会話を強制したり英語で英語教育をさせるのは、何よりも国益を損ね、美しい日本の伝統を荒廃させているのです。彼はいったい何人(なにじん)なのか?見本人なのか、アイデンティティーはどこなのか?あるのか?

 私の分野の眼科では、20年前は、日本語の眼科医学書は数種類しかなくて、英語の教科書を読む必要がありました。特に手術の本はありませんでした。
 今は日本語の眼科の本がたくさんありますから、後輩たちは英語の教科書を読む必要はありません。
 研究はやはりアメリカが先進的なので、最先端の技術を導入したい場合は英語論文を読まなければなりません。最先端で勝負する眼科医とは、学会のリーダー的な少数の先生やその次を狙う候補生たちです。
 そのような人はアメリカの学会で発表するので英語で討論しなければなりませんから英語のプレゼンテーションが必要です。そのようなひとたちは、この分野で一握りしかいません。
 私のような普通の医者はリーダーが教えてくれたことを実地の治療に使うだけなので、英語は使わなくても済みます。英語学習に無駄な時間や精力を使うくらいなら治療技術を磨くことに使いたいと思っています。
 先生のインタビュー記事を読んでいろいろ考えたことを書いてみました。
 これからもよろしくお願いします。先生ますますのご健勝をお祈り申し上げます。


 以上は大学病院で眼科医をしている教え子からの便りでしたが、次に紹介するのは、英語関係の出版社で編集者をしている方からの便りです。
 この方は、大学入試を民間会社に丸投げしようとする文科省の政策に、強い疑念を提示されています。
 英語関係の出版社は、ともすると、これを機会に、英検・TOEIC・TOEFLその他の受験問題集を売り出して一儲けをしようとするところが多いのですが、そうではない方もいるのだということを知り、おおいに励まされました。
 また下記の便りでは、ほとんどの大学英語教師が文科省の政策と正面切って闘おうとしていないなかで、孤軍奮闘している人物として羽籐由美氏を紹介していますが、彼女の意見を知るには『検証、迷走する英語入試』第3章(岩波ブックレット)が役立ちます。

寺島隆吉先生
 暑かった夏もようやく一段落、ここ数日でやっと秋らしくなってまいりました。その後、すっかりご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、この度は、『I.B』をお送りいただき、ありがとうございました。写真付きの先生のお元気そうなお姿を懐かしく拝見し、また変わらず、現状への批判を忘れない姿勢に感激いたしました。

 このところ、英語教育の議論を見ていると――とりわけ民間試験導入をめぐる論争を見ていると、英語教育関係者の不甲斐ない姿を見せつけられるにつけ、寺島先生のような姿勢を引き継いでくれる人は出てこないものかと思うことが多いので、なおさらそのように思いました。
(私にとっては特に興味深かったのは、「教員の研究費を削ってTOEICの受験料を捻出」という部分です。)

 この半年ほどの私の、英語教育に関することでの最大の関心事は、上に書いたとおり、民間試験導入の件です。世間では4技能か2技能かの対立みたいに言う人もいますが、いやいやどうして、制度設計があまりに杜撰で、これではいわゆる4技能派といわれる人ですら賛成できなような代物です。
 こんなものを支持している英語教員がいるのかと思うとうんざりしますが、先日、大学英語教育学会(JACET)の報告書を見ていたら、民間試験を導入することを推進するための諮問委員になったことを自慢して書いている文章があって、その見識のなさに唖然としてしまいました。
 JACETの人たちは、こういう動きは自分たちの主張する「使える英語」路線を支援するものと思っているのかもしれませんが、こういう政策は、一方では、大学の英語教員への不信感から生まれているところもあるわけで、いずれ大学の英語教員じたいが要らないと言われかねない危険があると私には見えます。
 それなのに、こういう政策を支持するとは、いったいどういうことなんだろう、とあまりのおめでたい姿勢に愕然とします。

 腹立たしいことの多いなかで、この民間試験導入をめぐる議論で、1人だけ、すごいと思った方がいます。京都繊維大の羽藤由美先生です。
 羽藤先生は立場としては4技能派で、みずからスピーキングテストを開発しているような方ですが、今回の民間試験については、徹底批判の側で、いまもっとも実質的かつ徹底的な論陣をはっているのは羽藤先生です。
 JACET会員でもある彼女は、JACETの対応についても孤軍奮闘、闘っています。英語教育にもまだこんな人がいたんだなあ、と思って感心していま
す。
 急に涼しくなってきました。どうぞくれぐれもお体にはお気を付け下さい。
 取り急ぎ、御礼のみにて失礼いたします。


 上のメールで紹介されている羽籐由美氏の主張は「大学入試でスピーキングの試験をするのは反対ではないが、それを種々雑多な民間会社に丸投げするのは無責任であり、受験生にとっても公平な制度ではない」というものです。
 これについては次回のブログで私見を述べるつもりです。というのは、私は「大学入試でスピーキングテストは不要だ考えているからです。その理由については次回までお待ちください。


ソフトバンクCEO「英語学習にうつつを抜かす暇があったら創造的思考力を磨くことに使え」―季刊誌 『IB』2018夏号インタビューへの反響1

英語教育(20181009)、沖縄県知事選、玉城デニー、ソフトバンクCEO=宮川潤一、セミリンガル←→バイリンガル←→モノリンガル、カンピーナス大学=ブラジルの国立大学、英語教師三つの仕事三つの危険

『英語教育原論』

 沖縄県知事選における玉城デニー候補の勝利は実に快挙でした。自民党幹部や公明党・創価学会が本土から乗り込んでいって強烈な工作を展開すればするほど逆効果になったのですから、皮肉なことでした。
 他方で世界情勢です。DeepStateによるトランプ降ろしで、相変わらず混沌としているアメリカ情勢。ロシアのもつ高度な軍事力のため、アメリカやNATO諸国が手を出しかねているシリアのイドリブ情勢。
 これらについても書きたいことは山積しているのですが、これについても断念することにしました。というのは、季刊誌 IB (InfromationBank)2018夏季特集号のインタビューにたいする反響が(電話、手紙、メールというかたちで)次々と私にあてに届いているからです。
 私が本年5月19日に書き始めた連載「世界はいま『大転換』のとき」3部作のうち、第1-2部は書き終えたのですが、第3部がまだ残っています。しかしIBインタビューにたいする反響も、なかなか捨てがたいものが多く、それを紹介してから第3部に移りたいと思うようになりました。

 そこで今回のブログで紹介しようと思っているのは、私が岐阜大学教養部時代の教え子から届いたIB インタビューへ感想です。
 彼女は岐阜大学教育学部(社会科教育講座)を卒業して**市役所に就職しました。就職して最初の所属は、市の国際観光センターでした。
 岐阜県や愛知県ではブラジルからの移民が多かったことを反映して、その国際観光センターは、英語だけでなくポルトガル語や韓国語・中国語など多言語のニュースレターを、毎月、発行していました。
 市民に対する案内が英語一辺倒になりがちな国際都市や国立大学が多いなかで、このような市の対応は、当時としても(現在ですら)非常にユニークなものでした。**市の高い識見を示すものだったと思います。(岐阜大学のキャンパスも英語の案内標識だけです。)
 ですから、この職場は、卒業する前の1年間、ブラジルの国立大学=カンピーナス大学に留学していた彼女にとって、まさにうってつけの職場でした。
 留学するのであれば英語圏を目指す学生が多いにもかかわらず、カンピーナス大学(岐阜大学との交流提携校のひとつ)を選んだというのも、彼女の目の鋭さを示すものだったと思います。
 先述のとおり私は当時、教養部に所属していて、共通教育の英語しか教えていませんでした。しかし彼女は専門学部に異動したあとも私の研究室によく出かけてきました。それでも「今度、ブラジルへ留学することになりました」という話を聞かされたときは、さすがに驚きました。
 文科省は、ポルトガル語を公用語とするブラジルからの移民が激増している最中に小学校に英語教育を導入しようとしました。このような英語教育政策にたいして、急遽、拙著『英語教育原論:英語教師三つの仕事三つの危険』を著して抗議の意志を表明したのは、私が教育学部に異動したあとでしたから、今から考えると、当時の彼女は、はるかに先を見通していたのだと思います。
 そんな彼女が季刊誌 IB (InfromationBank)2018夏季特集号を読んで送ってくれた手紙でしたから、その感想も相変わらず鋭いものでした。ブラジルに移民した日本人がたどった運命と、英語漬けになっていく日本の現状を重ね合わせた考察や、ソフトバンクのCEO宮川潤一氏がたどった軌跡の紹介は、文科省の役人や県の教育長にぜひ読ませたいと思いました。

寺島先生
 過日は、先生の記事が掲載された雑誌を送っていただき、誠にありがとうございました。
 先生のますますのご活躍をうれしく感じながら、また、30年前の学生時代に戻ったかのような感覚を持って、懐かしく、一気に読ませていただきました。
 私は、今、**市教育委員会文化スポーツ課に在籍しており、市の生涯学習事業、スポーツ事業を展開しています。
 私が担当している事業のひとつに、様々な分野の専門家を招いて実施している生涯学習講座「市民総合大学」というものがあります。そこには1000人の市民が受講しており、驚くことに8割近くが70歳以上で、「学びへの意識の高さこそが日本人らしさだ」と感じる今日この頃です。
 一方、学びが喜びだと感じられるようになるには、知識の元となる理解力や読解力は欠かせないと考えます。ここに通う受講者は、今までの人生において知識の元をしっかり培い、持っていらっしゃるように思います。
 しかし昨今の日本の義務教育では、母国語で深く論理的に思考することよりも、英語の低年齢化に重きが置かれ、母国語が確立する前に英語を学ぶことにシフトされつつあるのですね。日本の英語教育の行く末を心配する寺島先生の持論に、共感することしきりです。
 1990年代に日本の労働力として受け入れた日系3世の南米人たちは、30年が経ち、日本で子供を産み育て、言葉の壁がなくてもなんとか生活できる環境を手に入れました。今、世代は、その子供や孫(金)日系4世~5世)に移りつつあります。
 しかし、両親が生活に追われ、教育の機会を失われた子どもたちは、母国語も半分、日本語も半分くらいしか分からない、教養がなく、深い思考が身についておらず、就職もできないという状況で、セミリンガルな世代を作り出してしまいました。
 日本人も英語教育の視点を一歩まちがえると、バイリンガルではなく、中途半端なセミリンガルな子供たちをたくさんつくってしまうのではないかと危倶してしまいます。
 また、過重な教育方針のシフトが、教育を与える側の先生の負担になってしまうのも、大きな問題です。日本人には日本人の思考に合った英語教育があると思います。大事なのは、外国語を学ぶ過程で、違った考え方や文化、外国的な思考法を学ぶことではないでしょうか。
 **出身で一番ビジネスにおいて成功された方に、ソフトバンクのCEO宮川潤一さんという方がいらっしゃいます。この方は、仏教系大学(京都の花園大学仏教学科)を出てITの道を選ばれたので、英語は全くできないそうですが、孫会長の腹心の部下として、世界中でビジネスを展開されています。
 講演会でその方が、「今の私には英語を学ぶ時間はもったいない。言葉のバリアはAIや通訳者が解決してくれる。何億円の決裁案件な翻訳機能で理解できるし、支障がない。創造的に考える力や、プログラミング的思考を磨いた人材が我社に欲しい。」とおっしゃっていました。なるほどと思います。
 ついつい先生の記事に感銘を受け、余分なことまで書いてしまいました。
 寺島先生、今後も大学の英語教育の問題も含め、日本の教育全般に警鐘を鳴らし続けてください。
 また、先月、市の広報で、市ゆかりのまぼろしの俳人「鈴木しづ子」の特集を執筆しましたので、お読みください。
 先生の今後のご活躍、心より、ご祈念申し上げますとともに、残暑厳しい折、お体ご自愛ください。
 草々

なぜ文科省は自発的「植民地化」に邁進するのか――季刊誌『IB』2018夏季特集号の巻頭インタビュー

英語教育(2018/09/15) 「自己家畜化」の英語教育、「ザルみず効果」の英語教育、「外資・教育産業」を儲けさせるための英語教育、←→「母語を耕し、自分を耕し、自国を耕す」ための英語教育

 私へのインタビューが、季刊誌『IB: Information Bank』2018夏季特集号で、「なぜ文科省は自発的『植民地化』に邁進するのか」という題名で、巻頭のトップ記事になっていたので驚愕してしまいました。
 この雑誌を長周新聞に送ったところ、8月27日号の文化欄に、「英語教育『植民地化』の狙いとは」という題名で、このインタビュー記事が紹介され、2度ビックリという事態になりました。
 そこで前回のブログでは、この長周新聞の記事を紹介したわけですが、今回は、季刊誌IBのインタビューそのものを以下に紹介させていただきます。6頁にもおよぶ長いものですが、よろしくお付き合いいただければ幸いです。
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大学入試「改革」 ー 「英米語」「英語人」という商品を売り込む 巨大なビジネス・チャンス

英語教育(2018/09/09) マケレレ5原則(1961、ウガンダ)、大学入試の民営化・外注化、「ザルみず効果」の会話教育、現場を疲弊させる「英語で授業」、NHK外国語講座の講師は母語話者?

『英語で大学が亡びるとき』 『英語教育が亡びるとき』

 先日、私のところに送られてきた季刊誌 IB (InfromationBank)を見たら、私へのインタビューが、巻頭のトップ記事になっていたので驚愕してしまいました。
 まさか「巻頭のトップ記事」として扱われるとは、予想だにしていなかったからです。
 この雑誌を長周新聞に送ったところ、今度は、このインタビュー記事が、8月27日号の文化欄に、「英語教育『植民地化』の狙いとは」という題名で紹介され、2度ビックリという事態になりました。
、「鉄は熱いうちに打て」と言いますから、「世界はいま「大転換」のとき」という私の連載は、いったん中断して、まず長周新聞の記事を以下に紹介することにします。
 次回は、季刊誌『IB』2018夏季特集号に載った6頁のインタビューを、一気に掲載する予定です。

長周新聞20180827 季刊誌IB2018夏季特集号インタビュー

<註> 最近、『検証 迷走する英語入試――スピーキング導入と民間委託』(南風原朝和・編、岩波ブックレット、2018)を読みました。これを読めば読むほど、このたび外注化されようとしている大学入試・英語は、TOEICやTOEFLを初めとする「外資・教育産業」を儲けさせるために導入された政策だったということを、ますます確信することができました。
 これまで私が一貫して主張してきたこと、すなわち文科省がすすめる英語教育「改革」は「教育の原理」ではなく「経済の原理」によるものだということが、今回の英語大学入試「外注化」ほど露骨に示されたことは、かつてありませんでした。その意味で、きちんとした審議会が終わったあとに、横から強引に英語入試の「外注化」「民間委託」をねじ込んだひとたちに、むしろ感謝しなければならないのかもしれません。


英語教師残酷物語―「英語で授業」と「マケレレ原則」

英語教育(2018/02/12) マケレレ原則「英語で授業」、小田実「イングラント」


小田実の英語50歩100歩238

 いま韓国では冬季オリンピックが開幕となり、朝鮮と韓国が合同チームをつくって出場するなど、力による対決とは違った新しい展望が生まれつつあります。
 ところが日経(2018/2/10)によると、9日に韓国の平昌で開いた日韓首脳会談で、安倍晋三首相が文在寅(ムン・ジェイン)大統領に「米韓合同軍事演習を冬季五輪後に予定通り実施するよう」求め、文氏が不快感を示していたことが分かりました。
◆韓国大統領、安倍首相に不快感 五輪後の米韓演習要請
http://mx4.nikkei.com/?4_--_89002_--_1332188_--_86
 影の政府(DeepState)の言いなりになってタカ派の姿勢を強めているトランプ大統領でさえ、あからさまに言っていないことを、そのプードル犬よろしく、他国の主権を踏みにじるような言い方で相手に要請するなど、平和憲法をもつ国の首相としてあるまじき言動ではないでしょうか。
 もっとも安倍首相としては、北朝鮮を挑発して一気に憲法改悪の雰囲気を日本国内につくりたいわけですから、韓国と朝鮮が平和を目指して手をつなぐ事態になれば、これほど都合の悪いことはないでしょう。国内の兵器産業も「武器輸出」で儲けたいわけですから、そういう意味でも今の韓国情勢ほど都合の悪い事態はありません。

 それはともかくとして、先日、東北地方の英語教師から下記のような便りが届きました。これを読んで、アメリカが一方的にシリアや朝鮮半島で緊張を煽り立てている情勢と、文科省や教育委員会が、学校現場で英語科教師のみに異常な肉体的精神的緊張を煽り立てている情勢とが、私には重なって見えて仕方がありませんでした。
 数学の教師や国語の教師など他教科の教師が、このような肉体的精神的負担を強いられている話は聞いたことがありません。しかも、このような事態は高校現場だけではなく、小学校での英語教育が叫ばれ始めた頃から、「小中一貫の英語教育」という口実で、中学校でも同じような事態が生まれつつあります。
 こんなことを書き始めると長くなるので、その詳しい解説は後回しにして、まず私のところに届いたメールを以下に紹介したいと思います。これを読んでいただければ、いかに教育現場が英語によって歪められつつあるかが、いかに「英語力=国際力」という考え方が教育現場を疲弊させているかが、よく分かっていただけると思うからです。

(前略)ところで最近、うちの英語科職員はメンタル的にダウンしかけて(またはしてしまって)いました。
 というのは、管理職から「市の中学生の英語弁論大会の審査員を出すよう市教委に頼まれたので、誰が出るか決めてください」とありました。「実施日は*月*日の午前で、数時間顔を出すだけですから」と言うのです。
しかし普段から忙しい中、英語の検定を受けさせられたり、年3回丸一日英語漬けの、しかも宿題(課題)ありの研修を受けさせられたり、ALTとの丸二日の英語漬けの研修に出されたりし、その他にも調査も多く、さらに弁論大会直前に全商英検(全国商業高等学校協会英語検定)もあります。
 たった数時間といっても、弁論大会当日だけでなく、その頃は、通知表や学級通信や封筒表書きなど、終業式の準備に追われている時機です。 ただでさえ普段から体調を崩しがちなのに、「気軽に顔を出すだけですから」みたいに言って来たので、いったんは断っました。
 みんな「こういう状況だし、弁論をただ聞くだけでなく、審査をするのであれば、前もって弁論を読まないといけないし、審査員のALTなどと一緒に意見交換するのも非常に集中力が要求される、とても受けることはできません」と断ったのです
 ところが、今度は「依頼」ではなく、「通知」の形できたのです。一人一人個別に呼ばれたり、すれ違い様に話しかけられたりして、その度に断っていたのですが、何度断っても「出せ」の一点張りでした。
 どうやら近くの進学校に断られてうちにまわってきたようなのですが、うちは市立だから、市の教育委員会からの依頼は受けて当然、という考えなのです。
 いよいよ本番が近くなっても並行線のままでした。ただでさえ数の少ない英語教員のうち二人はその日の午前に年休をとり、一人は保護者の都合でその日の午前しか面談できません。ですから誰も時間があかない。
 しかし管理職は市教委に名前を報告しなければならないので「一人出せ」と迫ってきます。そこで、「私たちの状況を自分たちで市に説明しますから電話していいですか」と確認をとろうとすると、それはできませんの一点張りでした。
 最後に英語科主任が校長室に呼ばれて、「どうしても受けないのか、受けないとなると、私が謝罪をしなければならないんですよ。これまでも市教委から依頼があれば他の教科は協力している。なぜ英語科は受けないのか。子どもじゃないんだから」と言われたそうです。
 でもみんなで「受けられる状況ではない」ことを確認していたので、主任は「受けれません」ということと、その理由を繰り返し説明し、後は黙って耐えたそうです。
 こんなことが何日も続き、最終日に校長は「わかりました、しかし、本来受けるべきです」と言って終わったそうです。
 英語科教員は全員、心労で倒れそうでした。実際、英語科主任は体調を崩し、全商英検の日に休まれました。今日も「病休をとろうかと思った。あれはパワハラだ」と言っていました。実際、今日も朝と夕方に休まれました。
> しかし今回はみんなで団結してどこも崩されなかったから、なんとか跳ね返すことができました。もし今回、英語弁論大会審査員の仕事を受けてしまったら、来年からも当然のように依頼が来ることになったと思います。
 今後、学級減に向かうことがわかっており、職員は減る一方なのに負担は増えることばかりです。今回はとてもきつかったけれど全員の団結で跳ね返すことができたのは一つの成果だと思います。しかし、本当に疲れました。精神的にも肉体的にも。


 以上で、英語教師が他教科の教師と比べていかに多忙化しているかが分かっていただけると思います。
 (不思議なことに、英語スピーチコンテストで全く同じような問題に悩まされ疲弊しているという便りを、九州の教師からもいただきました。英語が全国の教育現場を破壊しつつあるひとつの証左ではないでしょうか。)
 それはともかく、引用したメールでは次のように書かれていました。
 「英語の検定を受けさせられたり、年3回も丸一日英語漬けの、しかも宿題(課題)ありの研修を受けさせられたり、ALTとの丸二日の英語漬けの研修に出されたりし、その他にも調査も多く・・・」
 数学科の教師が強制的に数学検定を受けさせられたという話は聞いたことがありませんし、国語科教師や社会科教師が「年3回も丸一日**漬けの、しかも宿題(課題)ありの研修を受けさせられたり」という話も聞いたことがありません。
 ところが英語科教師だけが、さらに「ALTとの丸二日の英語漬けの研修に出されたりし、その他にも『英語で授業をしているかどうか』などの調査も多く」、1年中なにかの課題で追いまくられているのです。
 修学旅行も昔は広島や長崎を訪れることが多かったのに、今は海外旅行が多くなり、最近も関東のある研究員からは「生徒の英語学習を兼ねて今年は英語が公用語になっているマレーシアに行くことになった」という電話もありました。
 しかも管理職から、首都クアラルンプールでは現地高校生との交流会も企画しろ、その連絡・交渉は英語科がやれと言われて疲れ切っているというのです。
 日本人なら一度は広島や長崎の原爆資料館を訪れるべきでしょうし、そのためには修学旅行は絶好の機会だと思うのですが、それが「英語力=国際力」というイデオロギーのために、みごとに投げ捨てられてしまっているのです。
 核兵器が世界に何をもたらすのか、世界的視点で現在を見つめ直す力、世界平和のためにいま何が求められているのかを考える力こそ「国際力」だと思うのですが、英語力=会話力という近視眼的な視点でしか修学旅行を考えられなくなってきているのです。
 しかも、そのような近視眼的な視点でしか教育を見れなくしているのが、「英語の授業は日本語を使わずに英語だけでやれ」という新指導要領の方針です。これが英語教師を心身的に疲弊させていることは、精神疾患で休職する教師が英語に多いということに現れているように思います。
 (精神的疾患で休職する教師の調査で、文科省からの正式な教科別データはありませんが、私の回りでそのような教師の事例を何人も見てきました。文科省は校務分掌別のデータはもっているのですが教科別のデターはもっていません。私は教科別のデータが今ほど必要なときはないと思っています。)
 それはともかく、「英語で授業」という新指導要領の方針で目に見える教育効果が出るのであれば、「そのような英語教師の、少々の犠牲もやむなし」と言えないこともないでしょうが、文科省の全国の英語力調査でも、会話力を強調しだした頃から英語力は停滞もしくは低下しているのです。
 そもそも「英語学習は母語もしくは国語を使わずに英語だけでおこなべきだ」「したがって外国語の教授はその外国語の母語話者がおこなうのが最も効果的だ」という主張には科学的根拠はなにひとつありません。そんなことが正しいのであれば、NHKの外国語講座はずっと以前から日本人が教えずに外国人だけでおこなわれていたはずです。
 NHKがそのような方針をとっていないのは、日本人が教える方が効果的だと思っているからに他なりません。文科省は新指導要領の方針が正しいと思っているのであれば、「英語教師の英語力=会話力が低いから日本の英語教育はよくならないのだ」と英語教師を追い詰める前に、まずNHKの外国語講座に抗議すべきでしょう。
 実は、「英語学習は母語もしくは国語を使わずに英語だけでおこなべきだ」「したがって外国語の教授はその外国語の母語話者がおこなうのが最も効果的だ」という主張は、1961年にウガンダのマケレレで開かれた「英語教育をめぐるイギリス連邦会議」で提起された、いわゆる「マケレレ5原則」をそのまま鵜呑みにしたものです。
 この原則は、旧植民地をいかにして英国の属国として維持するかを念頭においたものでした。そのためには、当該国を「文明化し民主化する」という口実で、「英語という商品(もの)」と「英語話者という商品(ひと)」を当該国に輸出するのが一番好都合だったのです。敗戦国日本も、まんまと、その罠にはまったと言うべきでしょう。
 マケレレ原則については、月刊『英語教育』2018年2月号の「私の本棚」というコラム記事を依頼されて執筆したものがありますので、以下にそれを転載しておきます。


月刊『英語教育』2018年2月号「私の本棚」言語帝国主義、マケレレ原則227
 ご覧のとおり、この記事では、ロバート・フィリプソン『言語帝国主義』という本だけではなく、『何でも見てやろう」というベストセラーで一躍有名になった作家の『小田実の英語50歩100歩』という本も紹介しました。
 小田実は「英米人はそんな言い方をしない」という言説を初めから蹴飛ばして、「自まえの英語=イングラントで話せばよい」と主張し、アジア作家会議などの国際会議でもそれを実行して喝采を浴びた人でもありました。
 ちなみに「イングラント」というのは、「イングリッシュ」と国際語「エスペラント」を足し合わせてつくった小田実の造語ですが、これは名著『英会話のイデオロギー』を書いたダグラス・ラミス(元津田塾大学教授)の次の主張と通じるものがあります。
 「今や英語の話者は母語として英語を話す人口よりもはるかに多くなっているのであるから、英語の母語話者は、『英米人はそんな言い方をしない』とお説教するのではなく、アジア人やアフリカ人が話す英米語が理解できるようになるために、彼らこそ英会話学校に入るべきだ」
 すでに何か国語にも翻訳されている名著『言語と文化』で有名になった社会言語学者、鈴木孝夫(元慶応大学教授)も、「自分の書いた英語を母語話者に校閲してもらったことがない」と言っているのも、根本的には小田実の考え方に共鳴するところがあるからでしょう。
 日本の英語教育を前進させるために、いま最も求められていることは、英語教師を疲弊させないことです。英語教師が疲弊している現場で英語教育が前進するはずがありません。
 文科省や教育委員会が主催する強制研修会で「砂をかむような思いで」何日も座らされて疲弊させるくらいなら、英語教師が学びたいと思ってみずから選んだ研修会に、公費または出張扱いで出かけることのできる自由を保証すべきです。
 そのほうが教師の英語力と教育力をはるかに高めることに直結するでしょう。生徒と同じで、自らの意思と意欲で学んだことこそ身についた学力になるからです。
 夏休みに自費で海外に出かけたいと思っても、その時間と自由すら与えられない環境で、どのような英語力が花開くでしょうか。


<註1> 上記では小田実(まこと)の造語「イングラント」を紹介しましたが、実は同じ趣旨のことを鈴木孝夫は「イングリック」『武器としてのことば』新潮選書1985、渡辺武達(たけさと、元同志社大学教授)は「ジャパリッシュ」『ジャパリッシュのすすめ 日本人の国際英語』朝日選書 1983という用語で説明しています。
<註2> 文科省は、大学入試の「英語」を民営化し営利企業に任せるという方針を出していますが、これは高校の英語教育をますます受験予備校化させる亡国の教育政策と言うべきでしょう。拙著『英語で大学が亡びるとき、「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』になぞらえて言えば、「英語で日本が亡びるとき」になるかも知れません。これについても書きたいことは多々あるのですが、今は阿部公彦『史上最悪の英語政策—ウソだらけの「4技能」看板』ひつじ書房2017、鳥飼玖美子『英語教育の危機』ちくま新書2018、を紹介するにとどめます。

書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その5)――ノーベル賞・大隅良典氏の軌跡から学ぶ

英語教育(2017/10/04)、ノーベル生理学・医学賞2016、オートファジー (自食作用)、OECDの世界「成人力」調査、生命体の「同化作用」と「異化作用」

ノーベル生理学・医学賞2016年を受賞した大隅良典氏大隅良典


 前回のブログから既に1ヶ月が経ってしまいました。
 この間、チョムスキーの新著Requiem for the American Dream: The 10 Principles of Concentration of Wealth & Powerの翻訳・出版に追われる毎日でした。そのためブログに割ける時間が全く取れませんでした。
 今日ついに。10月15日発売の『アメリカンドリームの終わり あるいは、富と権力を集中させる10の原理』(ディスカバー・トゥエンティーワン)が自宅に届きました。これで、やっと心置きなくブログに専念できます。

 シリアと北朝鮮をめぐって相変わらず、アメリカとロシア、アメリカと中国の熾烈な闘いが続いています。表面だけを見ていると、シリアのアサド大統領とアメリカのトランプ大統領、北朝鮮とアメリカが一触即発の闘いをしているように見えますが、裏の構造をよく見てみると、アメリカがロシアや中国への包囲網をいかに強く締め上げつつあるかが、この間の要点であることがよく分かります。
 その意味では、トランプ大統領は「アメリカ・ファースト」「他国の争いには口を出さない」を公約に掲げて選挙戦を勝利したにもかかわらず、いざ当選してみると、「裏国家Deep State」に進路を阻まれ、今や彼らのいうがままになっています。「アメリカ大統領とは、裏国家の単なる御神輿(おみこし)・操り人形にすぎなかったのだ」ということが、非常によく分かる事態になりました。
 イスラム原理主義集団ISISも、アメリカが裏で操っていた集団だったということも、この間ますます明らかになってきました。次の記事は、そのことを如実に示すものです。
*US to obscure arms exports after Pentagon ‘pipeline’ to Syria exposed
「アメリカはシリアへの『パイプライン』が暴露されて武器輸出を隠蔽しようとしている」
 
https://www.rt.com/op-edge/404311-us-pentagon-arms-exports-syria/

 それはともかく、今回のブログは、ずっと以前から書きたいと思っていた「書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その5)――ノーベル賞2016受賞者(大隅良典)の軌跡から学ぶもの」を書く予定ですので、混乱するアメリカの国内・国外情勢については、今回も割愛せざるを得ません。
 この間、私が一貫して追及してきたテーマは「文科省・安倍政権が強制している英語教育政策は日本を救うか」でした。私の著書『英語で大学が亡びるとき―「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』の題名が、その結論をすでに暗示しているのですが、ノーベル賞2016年度の受賞者=大隅良典氏の軌跡・言動を通じて、そのことを論証しようというのが、今回のブログの目的です。
 大隅氏の経歴をウィキペディアその他で調べてみると、驚いたことに私と生まれた年が1年しか違わないのです。彼は1945年2月生まれ、私は1944年7月生まれですから、全く同じ世代です。しかも福岡県立福岡高等学校を卒業後、東京大学理科二類に進学したそうですから、ひょっとして教養部時代は、どこかで出会っていた可能性もあります。
 というのは、私は湯川秀樹の自伝『旅人』に憧れて前年に京都大学理学部物理学科を受験したのですが、みごとに蹴落とされて、物理学者になることを諦めました。『旅人』には「物理学は若い優秀な頭脳でなければだめだ」という趣旨のことが書かれていたからです。そこで翌年は東大教養学部に新設された基礎科学科に入ろうと思って東大を受験し、運良く理科二類に合格していたからです。
 しかし、私がここで言いたかったことは、私と同じ世代の若者は、特に理系の若者は、今と違って英語学習に血道を上げるということはなかったというこです。私が理科二類に入った時のクラスは第2外国語の選択でクラス分けされていて、ロシア語選択の学生が極めて多かったことが印象的でした。理系の学生にとっては、それほどロシア語熱が盛んだったということでしょう。
 ちょうどソ連が世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げたばかりでしたから、そのショックで、アメリカでさえロシア語教育に力を入れ始めた頃ですから、受験勉強として英語を学ぶことはあっても、英語=科学力という考えは、まったく感じられませんでした。
 大隅さんの高校時代をいろいろ調べてみても、「幼い頃から、兄の和雄に贈られた自然科学の本に親しんだ。特に八杉龍一の『生きものの歴史』、マイケル・ファラデーの『ろうそくの科学』、三宅泰雄の『空気の発見』などに心を動かされ、科学に興味を持った」(ウィキペディア)という記述はあっても、英語学習に没頭したという記録は見つかりません。
 実を言うと、私もマイケル・ファラデーの『ろうそくの科学』、武谷三男『科学入門 科学的なものの考え方』などを高校時代に読んで科学に興味を持ち始めたのですが、少なくとも私は、丸暗記しなければならない単語・熟語が多すぎて、おぼれ死ぬような思いで英語の海を浮いたり沈んだりしていただけでした。
 それはともかく、大隅氏は、教養学部基礎科学科を卒業したあとは、そのまま東京大学大学院理学系研究科相関理化学専攻(同専攻の場所は駒場)に進学したそうですから、私が最初の希望どおり、基礎科学科に進学していれば、ますます大隅氏と顔を合わせる機会が多かったはずなのです。
 しかし残念ながら、私は教養部在籍中に科学史により大きな興味をもつようになり、当時 「教養学部教養学科」に開設されていた「科学史・科学哲学コース」に進学することに決めました。この「科学史」に興味をもつようになったきっかけも、武谷三男の影響でした。湯川秀樹の高弟かつ共同研究者であった武谷三男の著書『科学入門 』は、ガリレオなどの研究を紹介しながら科学史への興味とエンゲルス『自然の弁証法』の世界へと私を誘ってくれたからです。
 私がこのような私事を細々と記しているのは、私の回りの友人や、当時の理系学生のようすを見ているかぎり、英語学習に入れ込んでいる学生をほとんどみたことがなかったという事実を紹介したかったからに他なりません。それにもかかわらず、大隅氏はノーベル賞を受賞するような研究業績をあげ、それを英語論文でも発表しているのです。拙著『英語で大学が亡びるとき』でも書いたことですが、英語力→研究力ではなく、研究力→英語力だったのです。
 つまり自分の研究が進み、その結果、進んだ研究を日本語で読み尽くして、それでも知りたいことがあれば、英語やその他の言語で書かれた先行研究を読まざるを得ません。そして自分に必要な研究を英語論文を読み続けていれば、自然と論文の書き方や発表の仕方も、その論文で身につけることになります。だからわざわざアメリカの大学院に行く必要すらありません。もし武者修行したければ、日本で博士号を取り、自分の研究窮したいテーマが明確な輪郭を結んだ時に、博士研究員としてアメリカの大学に行けばよいのです。
 これが私が拙著『英語で大学が亡びるとき』で主張したことでした。同書では、日本人のノーベル賞受賞者を何人も取りあげながら、そのことを例証したつもりです。そして調べてみると、大隅氏も私が主張したとおりの軌跡を描いているのです。ウィキペディアによれば、氏の軌跡は次のとおりです。

1967年 東京大学教養学部基礎科学科卒業
1969年 東京大学大学院理学系研究科相関理化学専門課程修士課程修了
1972年 東京大学大学院理学系研究科相関理化学専門課程博士課程単位取得満期退学、東京大学農学部農芸化学科研究生
1974年 東京大学から理学博士の学位を取得、ロックフェラー大学ジェラルド・モーリス・エデルマン研究室「博士研究員」
1977年 東京大学理学部植物学教室「生体制御研究室」助手
1986年 東京大学理学部植物学教室「生体制御研究室」講師
1988年 東京大学教養学部・大学院理学系研究科「相関理化学専攻生物学教室」助教授
1994年 相関理化学専攻は「科学史・科学基礎論専攻」とともに理学系研究科から東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻に移管・統合された
1996年 岡崎国立共同研究機構・基礎生物学研究所「分子細胞生物学研究部門」教授 兼 総合研究大学院大学「生命科学研究科基礎生物学専攻」教授
以下、省略


 要するに、ノーベル賞を受賞するような研究をするにあたって必要なのは、語学力・英語力ではなく、科学する心であり、母語で思考しながら疑問をつくり出し、未知のものを創造する力なのです。
 ところが文科省・安倍政権は、御存知のとおり、日本の大学や研究のレベルを世界ランキングに押し上げるためと称して、大学の授業を英語でするよう強制したり、そのような方策をとった大学に巨額の研究資金を出す一方、今まで各大学に交付してきた研究費を毎年のように削り続ける政策を続けているのです。
 こういうバカな政策を続けているかぎり今後、日本からはノーベル賞は出ないだろうと、私は拙著『英語で大学が亡びるとき』で書きましたが、調べてみると、大隅氏も私とまっったく同じ意見であることがわかり、我が意を得たりの思いでした。大隅氏はそれを日経新聞のインタビュー(2017/9/3)で次のように言っています。

――日本の基礎科学力の低下にかねて警鐘を鳴らしておられますが…
 「日本は豊かになったが、精神的にゆとりがない社会になってしまった」
 「日本の大学はすべてを効率で考えるという袋小路に陥り、科学の世界に『役に立つ』というキーワードが入り込みすぎている」
 「研究費が絞られれば絞られるほど、研究者のマインドは効率を上げることに向かうが、自由な発想なしに科学の進展はない」
 「一流誌に論文を出そうとすると、みんなが飛びつく話題の方がいい。そうでないと研究費も確保できないが、自分がおもしろいと思うことをやるという原点が忘れ去られていく」
 ――日本人がノーベル賞を次々に受賞する一方で基礎科学を支える予算は伸び悩んでいますが…。
 「かつての日本の大学は基礎的な研究活動を支える講座費という制度が充実し、みんなが好きなことをやれた時代があった」
 「今は研究できるポジションも少なくなり、親が子どもに大学院進学を止めさせるほど、研究職は将来が見通せない職業になった」
 「このままでは将来、日本からノーベル賞学者が出なくなると思っている。(日本人の連続受賞は)過去の遺産という面もある。」
 「世界的な学術誌に論文が出たからといって新しいコンセプトは生まれない。発想を転換しないといけない。オートファジーの研究には30年近くかかった」
https://www.nikkei.com/article/DGKKASDZ27I6E_Z20C17A9EA3000/



 日本には次のノーベル賞候補者が目白押しだと言われていますが、その多くは現在、60~70歳代です。大隅氏の言うように「過去の遺産」なのです。
 同じことは、OECDの世界「成人力」調査でも示されています。この調査でも日本人は世界でトップの位置を占めているのですが、年齢別の分析によると、断トツなのが高齢者なのです(拙著『英語で大学が亡びるとき』260-274頁を参照)
 大隅氏は、上のインタビューで、「かつての日本の大学は基礎的な研究活動を支える講座費という制度が充実し、みんなが好きなことをやれた時代があった」「一流誌に論文を出そうとすると、みんなが飛びつく話題の方がいい。そうでないと研究費も確保できないが、自分がおもしろいと思うことをやるという原点が忘れ去られていく」と述べています。 しかし安倍政権は、一方で研究費を削減しながら、他方で世界ランキングを上げろと言っているのです。これでどうして世界を驚かす研究ができるのでしょうか。
 学術誌に載る論文を増やすための研究では、ノーベル賞は生まれないのです。大隅氏も学生時代から「論文のための研究」をしていませんし、ノーベル賞をとるために研究したのではありませんでした。この間の事情を産経新聞(2016.10.10)は次のように伝えていました。

 長男の和雄さんが文系に進んだだけに、父親(九大工学部教授)が1人ぐらいは理系に進んでほしいと期待していることを「折に触れて感じていたこともあった」と話す。
 だが、父がいる九大にはどうしても行く気になれず、東京大の理科2類へ進学。できたばかりの教養学部基礎科学科で、科学の全分野を学んだ。「新設学科はやる気にあふれた雰囲気で、実に楽しかった」と振り返る。
 大学院では大腸菌のタンパク質合成というテーマに取り組んだ。当時としては革新的な課題で実験も楽しかったが、大した成果は出なかった。それでも「自分が面白いと思える研究をしているのだから、いいやと思ってのんびり過ごしていた」という。
 大学院時代に同じ研究室の後輩だった妻、萬里子さんに「運命の出会い」を感じ「つい勢いで」学生結婚。子供も2人できた。
 ただ、大隅さんは論文も書かずにぶらぶらしていた。博士課程を修了後、「国内では就職先がない」と米ロックフェラー大へ留学したが、生活は実質的に萬里子さんが支えていた
http://www.sankei.com/premium/print/161010/prm1610100025-c.html


 ご覧のとおり、大隅氏は大学院で「大腸菌のタンパク質合成というテーマに取り組んだ。当時としては革新的な課題で実験も楽しかったが、大した成果は出なかった。それでも自分が面白いと思える研究をしているのだから、いいやと思ってのんびり過ごしていた」「論文も書かずにぶらぶらしていた」というのです。
 何度も言うように、ノーベル賞級の研究は、「自分が面白いと思える研究をしている」こそ生まれるのであって、論文数を増やすための研究からは生まれないのです。まして最近の安倍政権のように、文科省の研究予算を削りながら他方で防衛省の巨額の軍事費から研究費を出そうとする政策から、自由で独創的な研究が生まれるはずがありません。

 以上で、大学で英語に血道を上げているかぎりノーベル賞は生まれないし、論文集をふやすための研究からもノーベル賞は出ないということは、お分かりいただけたかと思います。
 そこで、ここであとひとつだけ書いておきたいことがあります。それは、滅多に単独受賞者が出ないと言われているノーベル生理学・医学賞を、大隅氏が単独受賞することになった研究、細胞の「オートファジー」(自食作用)についてです。
 この「オートファジー」と呼ばれる細胞の仕組みと、受賞理由となった研究について、ウィキペディアは次のように説明していました。

細胞が自らのタンパク質を分解し、再利用する「オートファジー」(自食作用)の仕組みを解明し、悪性腫瘍の特効薬を発明した功績が認められ、2015年にガードナー国際賞を受賞。また2016年10月3日には、飢餓状態に陥った細胞が自らのタンパク質を食べて栄養源にする自食作用「オートファジー」の仕組みを解明した」卓越した成果が認められ、ノーベル生理学・医学賞を単独受賞した。


 私が大隅氏の受賞と研究内容を知ったとき、まず第一に頭に浮かんだのは、日本で古くからおこなわれている断食療法についてでした。この「少食・断食療法」を使って難病を次々と治していったのが甲田光雄医師(医学博士)でした。
 この流れを受けて、独自の「少食・穀菜食」「少食・断食療法」を研究開発し、癌を初めとする難病を、次々と治す成果をあげているのが、森下敬一医師(医学博士、国際自然医学会会長)で、86歳になる現在も、精力的な活動を続けています。
 森下氏は、飢餓や断食で栄養状態が悪化すると、「体細胞→万能細胞(血球細胞)→栄養素(食物)」への変化が起きるという現象(異化作用)を、30年以上も前に発見し観察し、それを医療に応用し、成果をあげてきたのでした。
 つまり、「栄養素(食物)→万能細胞(血球細胞)→体細胞」への変化(同化作用)と全く逆の道すじをたどるのが、上記の「異化作用」なのですが、この理論やそれに基づく医療活動は、今までは全く異端視されてきました。
 しかし、大隅氏のノーベル賞受賞は、この異端視されてきた医療活動「医食同源」「玄米・菜食療法」「少食・断食療法」が、にもかかわらず、なぜ成果をあげてきたのか、その理由の一端を解明してくれたように思います。
 日本は、敗戦後のアメリカによる占領政策、主として学校給食を通じた「洗脳洗舌」工作、すなわち「肉食・牛乳パン食」の食生活を、知らないうちに一般的な生活様式として受け入れるようになりました。が、その結果として大量に生まれてきたのが肥満児と癌患者でした。
 いま安倍政権は、大量の肉と米を、アメリカを初めとする外国から輸入し、米作・野菜づくりを中心とした日本の農業をさらに破壊しようとしています。これでどうして私たち日本人の健康を守っていけるのでしょうか。
 大隅氏のノーベル賞(生理学・医学賞)受賞は、そんなことも私に考えさせてくれたのでした。


<註> オートファジー (自食作用Autophagy)における auto-は、ギリシャ語の「自分自身」を表す接頭語、phagyは「食べること」の意で、クリスチャン・ド・デューブ(ノーベル生理学・医学賞1974)により1963年に定義された。素粒子の多くもギリシャ語で命名されている。ノーベル物理学賞の受賞者=益川敏英氏は、「おれは英語よりもギリシャ語の方が好きだ」と言ったそうですが、それは、こんなところに理由があったのかも知れない。


書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その4)――米国の貿易相手は今や日本ではなく中国!

英語教育(2017/09/06) PEW Research Center、購買力平価、中国封じ込め政策、「一帯一路」構想、アジアインフラ投資銀行(AIIB)

今や大逆転した米国の貿易相手!!、中国5%→25%、日本25%→5%
資料 矢吹晋 「日本、中国、米国」 『週刊金曜日』2017年8月4日号(グラフ、貿易相手国)
出典:『週刊金曜日』45頁、矢吹晋(横浜市立大学名誉教授)論文


 いま北朝鮮問題が緊迫の頂点に達しているかのようにみえます。
 これについては独自に論じたいことは多々あるのですが、今はそのゆとりもありませんので、ふれることができるかぎり以下の本文で、少しは言及するつもりです。

 ところで、前回のブログで私は、「アメリカが、科学研究のほとんどの分野で、共同研究の相手として、日本ではなく中国を選んでいる」という事実を紹介し、次のような解説を加えました。
 <これは、アメリカが「日本の科学力が低下する一方だから共同研究するに値しない」と判断したからだ、と考えざるを得ません。アメリカにとって日本は、中国と戦争するときの「基地と兵員(自衛隊)を提供してくれる存在」だけでよいのです。>
 そしてブログの末尾を次のように結びました。
 <要するに、文科省・安倍政権は「英語力=科学力」「英語力=グローバル人材力」というイデオロギーを振り回して、日本の大学を「英語化」することに血道をあげていますが、それに反比例して、日本の科学力は低下する一方なのです。
 それどころか、もう一方で文科省は、小学校まで「英語化」することに邁進し始めているのですから、日本の将来は暗澹たるものです。
 さらに言えば、大学の研究費も削られる一方で、他方では軍事研究には多額の研究費を出す体制を着々と整備しつつあります。これでどうして自由で独創的な研究が生まれるのでしょうか。
 次回は、この点について、大隅良典氏(2016度のノーベル賞生理医学賞受賞者)の軌跡・発言をたどることによって、検証してみたいと考えています。>

ところが、病院で診察の待ち時間に週刊紙を読んでいたら、偶然にも『週刊金曜日』の2017年8月4日号に、「今や大逆転した米国の貿易相手!!、中国5%→25%、日本25%→5%」といった内容の、矢吹晋氏(横浜市立大学名誉教授)の論文が掲載されていることを知り、慌てて同誌を取り寄せて読んでみました。
 すると、アメリカは共同研究の相手としてだけでなく貿易の相手としても日本を全く問題にしていないことが分かりました。つまり日本という国は、北朝鮮の動きを口実にして高価な武器を売りつけ、中国包囲網の基地を提供してくれるだけでよいのです。
 もちろん、いざ有事となれば米軍の代わりに自衛隊がcannon fodder(砲弾の餌食)となり、朝鮮軍や中国軍と戦ってくれることも期待しているに違いありません。
 そこで今回のブログでは、予定を変更して、アメリカにとって日本とはどういう存在なのかを、貿易という視点から再考してみたいと思います。
 大隅良典氏(2016度のノーベル賞生理医学賞受賞者)の軌跡・発言をたどる旅は次回に回したいと思いますんで、どうかお許しください。


 矢吹氏は、PEWという有名な世論調査機関が2015年に実施した調査をもとに、「日本ほど『対米盲信・対中不信』の固定観念にとりつかれている国はない」と述べつつ、上記の『週刊金曜日』で次のように嘆いています。

 隣国・中国の発展をまるで無視し、欠点ばかりをあげつらう日本に未来はあるのだろうか。ましてこの隣国が核兵器大国であり、格段に強化された経済力をもつ場合、経済的共存共栄からしても軍事的安全保障からしても、由々しい事態ではないのか。
 かつて日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界中から羨望の眼で見つめられた一時期がある。その残像に未だに酔い続けている景気循環を軽視し模様眺めをしていたが、不景気は10年続き、次の10年も回復しなかった。気がついて見ると、日本の長期不景気はすでに四半世紀を超えている。
 この間、中国経済は二桁成長が続き、近年は6~7%の「新常態」になったが、それでもゼロ成長で足踏みの日本と比べると、活気に溢れている。IMF(国際通貨基金)や世界銀行の統計を調べると、日本のような、ほとんどゼロ成長に近い国は先進国では見当たらない。「アベノミスク」は大失敗に終わっているのだ。マイナス金利という資本主義の自己否定のような政策を続け、公債をやみくもに発行して、株価だけは維持しているものの、実体経済は体力を喪失して久しい。もはや回復の望み薄い“重体患者”に見える。


 では隣国の中国が世界経済に占める位置は、どのようなものなのでしょうか。それを矢吹氏は世界銀行の調査をもとに、次のように述べています。

 I人当たり所得に人口数を乗じたGDP(国内総生産)ペースで日本のシェアは世界の4・8%を占めるが、中国は14・9%を占め、日本の3倍の規模だ。
 11年時点で米国のGDPシェアは17・1%で、中国の14・9%を2・2ポイント上回るが、その後の成長率を加味すると、14年末時点で中国が米国を超えた。
 日本経済が足踏みしているうちに中国経済は駆け足で日本を追い抜き、追い越し、今やはるか前方を走る。
 この経済的敗北感・劣等感と、かつての優越感との狭間で、日本人は、隣国経済の実像を虚心坦懐に観察する度量を失っているように見える。


 以上のことを図表化したものが、次の表です。これを見ると、「購買力平価」では、中国が13.5兆ドルとなり、アメリカの15.5兆ドルに次ぐ第2位の地位を占めていますが、日本は4.4兆ドルにすぎません。
資料 矢吹晋 「日本、中国、米国」 『週刊金曜日』2017年8月4日号(グラフ、購買力)
 この表でもうひとつ分かることは、日本の「I人当たり購買力」が3万4262ドルで、ドイツ、フランス、英国より低く、イタリアを上回る程度だということです。日本は「自分は世界第2位の経済大国だ」と思っているうちに、どんどん貧困化していることが、この表からでも分かります。
 他方、「爆買い」などと揶揄されている中国の「I人当たり購買力」は、日本の3分のIまで近づいています。今ほど中国との豊かで友好的な交易が求められているときはないでしょう。アメリカに荷担して中国包囲網の一員になったり、今までは「棚上げ」となっていた尖閣列島問題に火を付けて、摩擦を拡大しているゆとりは日本にないはずなのです。


 もうひとつ矢吹氏が取りあげている興味深い数値・事実が、アメリカの「中国と日本に対する貿易額」の変遷です。それを氏は、「米国から見て、日本というパートナーは『日に日に軽く』なっていることがわかる」として、次のように解説しています。

 さて、〈図5〉は何を語るか。米国経済から見ると、対中国輸入は約25%に近づき、対日本輸入は5%に縮小しつつある。米国から見て、日本というパートナーは「日に日に軽く」なっていることがわかる。
 「中国封じ込め」なる時代錯誤の迷夢にとらわれ、自らを孤立させる安倍政権の日本に未来はない。中国から相手にされないだけでなく、米国も相手にしない。沈みゆく日本の実像を国民はいつ自覚できるのか。


 上記で<図5>と述べられているのが、ブログ冒頭に掲げたグラフですが、読者の便を図って、その図を以下に再掲しておくことにします。
資料 矢吹晋 「日本、中国、米国」 『週刊金曜日』2017年8月4日号(グラフ、貿易相手国)

 このグラフを見れば分かるように、矢吹氏の言うとおり、「米国から見て、日本というパートナーは『日に日に軽く』なっている」のです。にもかかわらず、日本はアメリカの軍事戦略、中国封じ込め政策に、益々のめり込んでいます。
 アメリカは北朝鮮という「悪魔」をつくりあげ、それを口実に韓国や日本に巨大な軍事基地をつくると同時に、高額の武器を売りつけてきました。その結果、日本の防衛費は近年、激増する一方で、とどまるところを知りません。
 昨日(6月5日)の中日新聞を読んでいたら、「概算要求最大に、防衛費に再び『節度』を」という見出しで、めずらしく社説に安倍政権批判が載っていました。
 最近の大手メディアは、政府批判をほとんどやめてしまっているのですが、今回ばかりは、さすがに我慢ができなかったようです。社説は次のように述べていました。

・・・防衛予算の二〇一八年度概算要求は、米軍再編関係費などを含めて総額五兆二千五百五十一億円。冷戦終結後は減少傾向が続いていたが、安倍晋三首相が再び政権に就いて編成した一三年度以降、六年連続の前年度比増である。
 概算要求は、弾道ミサイル防衛関連経費千七百九十一億円や、新型護衛艦(二隻九百六十四億円)や新型早期警戒機E2D(二機四百九十一億円)の取得など周辺海空域での安全確保のための予算を盛り込んでいる。
 イージス艦搭載の迎撃ミサイルを地上に配備する「イージス・アショア」は一基八百億円程度とされるが、金額を示さない事項要求となっており、導入が認められれば、防衛予算はさらに膨らむ。・・・


 ご覧のとおり、莫大な予算が軍事費に注ぎ込まれていますが、その一方で国立大学への交付金は毎年、削られる一方です。これでどうして「独創的な研究を生み出し」「世界ランキング10位以内に入る大学」を増やすことができるのでしょうか。
 また小学校で英語を教科化する方針を出しておきながら、文科省から具体的な人的財政的援助はほとんどありません。小学校は原則として担任が全教科を教えるのですから、教師の負担が増えるだけで教育効果はほとんど期待できません。
 まして英語教育の素人が英語を教えなければならないのですから、その肉体的精神的負担を考えると、暗澹たる気持ちにならざるを得ません。
 中日新聞社説は上記に続けて、さらに次のように述べています。

 国民の命と暮らしを守るために必要な防衛力を整備することは、政府の崇高な使命だが、地域情勢の変化を、防衛予算膨張の免罪符にしていいわけではあるまい。
 財源には限りがある。社会保障や教育などほかの分野とのバランスも取らなければならない。整備する防衛力の費用対効果も精緻に検証しなければなるまい。周辺国と軍拡競争の泥沼に陥らないためには、適切な歯止めが必要だ。・・・



 そもそも北朝鮮情勢を緊迫化させているのはアメリカであって北朝鮮ではありません。北朝鮮の一貫した主張は「和平協定が結ばれ朝鮮半島に平和が訪れる条件さえ整えば核兵器など必要ない」とするものでした。
 しかしアメリカにとっては、韓国や日本に高額の武器を売りつけ、軍事基地化した韓国や日本に高度なミサイル配備を認めさせて、中国封じ込め政策を強化するためには、北朝鮮に大暴れしてもらわねばりません。
 日本でも同じことが言えます。「憲法9条」をなくして軍事大国になりたいと思っている安倍政権にとっても、このような北朝鮮の動きは願ってもないことでした。あわよくば北朝鮮を口実に自分も核兵器大国になりたいと思っているに違いありません。
 他方、追い詰められた北朝鮮は、アメリカ(および日本)の期待に応えて、核開発を急ぎました。つまり北朝鮮とアメリカは「二人三脚」をしているとも言えるわけです。
 むしろ、休戦状態にある朝鮮戦争を終わらせ、北朝鮮との間に和平条約を結ばれれば、一番困るのはアメリカではないでしょうか。というのは、中産階級が消滅し、一部の大金持ちは別にして、国民の購買力が激減しているのですから、今のアメリカ経済は、元大統領アイゼンハワーのいう「軍産複合体」に依存しているところが極めて大きいからです。
 同じことは日本についても言えます.先ほど紹介した図表でもお分かりのとおり、日本人の購買力も、世界第2位の経済大国だったはずなのに、今やドイツ、フランス、英国より低く、イタリアを上回る程度にまで落ち込んでしまっているのです。
 そこで安倍政権が考えたのは、「武器輸出3原則」を取りやめ、日本もアメリカやイギリスと同じように武器輸出で金儲けをしようということでした。アメリカが戦争をやめるどころか、戦火をアフガン→イラク→リビア→シリア→イエメンに拡大し、サウジアラビアなどに武器を輸出し続けている理由もそこにあります。
 このままいくと、日本もいずれ、アメリカと同じく、「軍事大国」「死の商人」としての道を歩むことになるでしょう。私たちが取るべき道は、「上は大学から、下は小学校まで」「英語漬け」にして、アメリカ流の経済運営、アメリカ流の軍事戦略に盲目的に従うことではありません。
 そんなことをしていたら、拙著『英語教育が亡びるとき』で述べたとおり、今後この日本からノーベル賞受賞者は出なくなっていくでしょう。今こそ日本はアジアの一員として、遠い将来を見据えた独自戦略をたてるべきときではないでしょうか。
 矢吹氏の論文は次のような文面で終わっていますが、その裏に込められた願いは、たぶん私の願いと同じものだと思います。

 中国が主導する「アジアインフラ投資銀行(AIIB)には2017年3月現在で70力国・地域が加盟。日本と米国が主導するアジア開発銀行の67力国・地域を超え、さらに90ヵ国・地域への拡大を想定している。
 中国が進める「一帯一路」構想とは、陸路の交易ベルトと海上の物流ルートのことを指すが、日本はいつ、このシルクロードの夢を賭けた「一帯一路」と、AIIB「アジアインフラ投資銀行」に参加するのか。
 今やAIIBには、アジア開発銀行の参加規模を超えて、EUからも多くの国が参加しているのだ。




<註1> アメリカと北朝鮮は核開発をめぐって「二人三脚」をしているとも言えるわけです。この裏にはイスラエルやウクライナの動きがあったとも言われています。
*朝鮮にミサイルの性能を急速に向上させ、水爆の開発を成功させた外部要因が存在する可能性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201709050000/
*公邸宿泊は偶然か? 段取りが良すぎたミサイル騒動
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/4609


<註2> トランプ大統領は「北朝鮮が挑発を続けるなら武力攻撃を含めてあらゆる手段を行使する」「当面は北朝鮮と交易をする全ての国に経済制裁を加える」と述べました。
 これにたいしてウィキリークスの創始者アサンジ氏は、「北朝鮮を核開発に追い込んだのは当のアメリカである」「中国との交易を停止すれば経済的に自滅するのはむしろアメリカであり、トランプは即座に辞任に追い込まれるだろう」と述べています。

*Assange: Constant US threats against N. Korea have put it on total war footing
「アサンジ:アメリカの絶えざる脅迫が北朝鮮を全面的戦時体制に追い込んだ」

https://www.rt.com/news/401900-assange-us-north-korea/
*Trump will be "deposed immediately" if he blocks trade with China over N. Korea – Assange
「もし北朝鮮問題で中国との交易を停止させれば、トランプは即座に辞任させられるだろう」

https://www.rt.com/news/401929-assange-trump-trade-china/


書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その3)――米国は共同研究に日本よりも中国を選ぶ!

英語教育(2017/08/23) Nature Index Japan、科学技術・学術政策研究所、科学技術指標2017、科学研究ベンチマーキング2017、エドワード・ヴィッカーズ(九州大学准教授)、ジェルミー・ラプリー(京都大学准教授)


日本の科学力、米国は中国と共同研究
出典:日経(2017/8/13)

 
 前回のブログで私は 江利川春雄先生(和歌山大学)の書評とNature Indexの衝撃的な記事「失速する日本の科学力」を紹介しつつ、末尾を次のように結びました。

 私が拙著『英語教育が亡びるとき』「あとがき」で次のように述べたことが、このNature Index Japanで見事に証明されている、と言ったら言い過ぎでしょうか。
 「ですから、何度も言うように、このまま事態が進行すれば、OECDにおける日本の地位も、ノーベル賞受賞者数も、確実に転落・減少するでしょう。そんな不安を私はどうしても拭い去ることができません。私が本書を緊急に出版したいと思ったゆえんです。」

 ところが、このブログを載せたあと、私の予言を再び裏書きするかのように、日本経済新聞(2017/8/13)は、「科学研究で米中接近、日本は存在感薄く。文科省調査」と題する記事を載せました。
http://mx4.nikkei.com/?4_--_74306_--_1422094_--_70
 すぐにでも、この記事を次のブログで紹介したいと思ったのですが、相変わらずチョムスキーの新著『富と権力を超富裕層に一極集中させる10の原理:アメリカンドリーム葬送曲』(仮題)の訳注や索引づくりに追われたりしているうちに、またもや10日以上がすぎてしまいました。
 昨日やっと、「21日までに」という出版社の要求に沿って、初校原稿と併せて訳注・索引を送付することができ、ようやくブログに復帰することができるようになりました。
 そこで以下では、この日経報道を詳しく紹介しながら、私のコメントを書き加えることにしたいと思います。
 (相変わらずアメリカの政情は混沌としていて北朝鮮情勢も一触即発の状況ですが、残念ながら今回もこれに言及するゆとりがありません。)

 
 日経新聞は上記の記事を次のような書き出しで始めています。

科学研究で米国と中国が世界をけん引し、互いの結びつきを強めている実態が、文部科学省「科学技術・学術政策研究所」がこのほど公表した国内外の研究動向調査から明らかになった。


 そこで、さっそく文科省「科学技術・学術政策研究所」のホームページを検索し、「科学技術指標2017」「科学研究のベンチマーキング2017」を調べてみました。
 すると、そのホームページの冒頭では、“「科学技術指標2017」及び「科学研究のベンチマーキング2017」の公表について”と題して、自分たちの調査について次のように説明していました。

科学技術・学術政策研究所(NISTEP)では、日本及び主要国の科学技術活動を客観的・定量的データに基づき体系的に分析した「科学技術指標2017」を取りまとめました。論文部分については、日本及び主要国の科学研究のベンチマーキングを多角的な視点で行った「科学研究のベンチマーキング2017」において、より詳細な分析を実施しています。
http://www.nistep.go.jp/archives/33898


 ではNISTEP(National Institute of Science and Technology)が「日本及び主要国の科学技術活動を客観的・定量的データに基づき体系的に分析した」とする「科学技術指標2017」で、どんなことが明らかになったのでしょうか。
 日建新聞は、“同研究所がまとめたのは、「科学技術指標2017」と「科学研究のベンチマーキング2017」。2015年までの主要国の研究動向をまとめている”と述べつつ、それを次のようにまとめています。

 日本は研究費や研究者数は世界3位につけるものの、世界に影響を与える注目論文の数で米中に遠く及ばない。英国やドイツなど欧州勢にも後れを取っている。日本は抜本的な対策を取る時期に来ている。
 化学や物理学など主要8分野で、他の研究者から多く引用され、質が高いとされる上位10%の論文(TOP10%論文)の数(13~15年の平均)を主要国で比較した。
 研究大国の米国は物理学(シェアは43%)、臨床医学(49.3%)など4分野でトップになる一方、中国も化学(33%)や工学(29.2%)など4分野でトップに立つ。日本は化学(5.6%)の5位が目立つだけだ。


 他方、同じ項目についてNISTEPは、上記ホームページの冒頭部で、次のように自己分析しています(下線は寺島による)。

「科学技術指標2017」から最新の日本の状況を見ると、日本の研究開発費、研究者数は共に主要国中第3位の規模ですが、人口100万人当たりの博士号取得者は主要国で第6位です。
 論文や特許に注目すると、日本の論文数(分数カウント)は世界第4位、注目度の高い論文では第9位であり、10年前と比較すると順位は低下傾向です
 他方で、パテントファミリー数では継続して世界第1位です。日本のハイテクノロジー産業貿易収支比は継続して低下し、2011年以降は入超となり、主要国中第6位です。
 一方、ミディアムハイテクノロジー産業貿易収支比は継続して出超であり、主要国中第1位を保っています。


 これを見ると、NISTEP自身が、「注目度の高い論文では第9位であり、10年前と比較すると順位は低下傾向です」「日本のハイテクノロジー産業貿易収支比は継続して低下し」と言っているのですから、Nature Index Japanによる発表と同じく、日本の科学力の低下歴然としています。
 この、「日本及び主要国の科学技術活動を客観的・定量的データに基づき体系的に分析した」とする「科学技術指標2017」について、日経新聞は、さらに次のような解説を付けていました。

 米中の接近を裏づける分析結果も出ている。
 米国が13~15年に他国とまとめた論文の共同研究相手国を調べたところ、主要8分野のうち6分野で中国が1位だった。ほかは物理学でドイツ、臨床医学で英国だった。
 日本は材料科学で5位に入ったのが最高だった。03~05年では化学と材料科学で3位の位置につけるなど米国との協力関係がみられたが、中国が躍進するなかで米国にとって日本の存在感は薄れている。


 アメリカは、シリアでは裏でISISを支援する政策を続けてきていたのですが、ロシアがシリアからの要請にしたがって本格的に参戦するようになってから負け戦が濃厚になり、ISISの兵力を東アジアに向けて移動させ、中国包囲網を強める政策をとるように変わってきています。
 その典型例がフィリピンにおけるISIS勢力の台頭でしょう。ドゥテルテ大統領がプーチン大統領と会談するためにモスクワを訪れたちょうど同じ時期に、ISIS勢力によるマラウイ選挙という事件が起きました。これは明らかにドゥテルテ大統領に対する脅迫でした。
 アメリカが、フィリピン・ベトナム・台湾・韓国・日本をアメリカの同盟国に仕立て上げて中国包囲網を着々と築き上げてきたつもりだったのに、ドゥテルテ大統領がアメリカを裏切って中国やロシアに急接近し始めたからです。
 中国包囲網を強化しようとする政策にとって、ドゥテルテ大統領は、それを邪魔する邪悪な人物になったのです。
*「欧米に支援された‘聖戦’の冷酷な力が、反抗的なフィリピンに届く」
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-863d.html

 このように、アメリカにとって中国は明らかな仮想敵国なのに、上記の文科省の指標によると、アメリカは強力な同盟国であるはずの日本ではなく、ほとんどの分野で中国を共同研究の相手に選んでいるのです。
 これは、アメリカが「日本の科学力が低下する一方だから共同研究するに値しない」と判断したからだ、と考えざるを得ません。アメリカにとって日本は、中国と戦争するときの「基地と兵員(自衛隊)を提供してくれる存在」だけでよいのです。
 これをみごとに証明してくれたのが、冒頭に掲げた図表ではなかったでしょうか。煩をいとわず、その図表を再度、以下に掲げておくことにします。

日本の科学力、米国は中国と共同研究


 では第2の指標である「科学研究のベンチマーキング2017」については、どうでしょうか。これについてNISTEPは、上記ホームページの冒頭部で、次のように自己分析しています(下線は寺島による)。

「科学研究のベンチマーキング」から明らかになった日本の状況を見ると、過去10年間で日本の論文数の伸び悩みが見られるとともに、注目度の高い論文(Top10%・Top1%補正論文数)で世界ランクが低下傾向にあります
 日本国内の論文産出構造を見ると、日本の論文数シェアの5割を占める国立大学の論文数が2000年代半ばから伸び悩んでいます。また、企業の論文数は1990年代から継続して減少しています
 分野別の状況を詳細に分析すると、臨床医学の論文数が増加する一方で物理学、化学、材料科学の論文数が減少しています。また、分野内においても研究内容に変化が起きていることが明らかになりました。


 このNISTEPによる自己分析をみれば、「日本の科学力の低下」は、この指標からも明らかです。
 「過去10年間で日本の論文数の伸び悩みが見られるとともに、注目度の高い論文(Top10%・Top1%補正論文数)で世界ランクが低下傾向にあります」と言っているのですから、Nature Index Japanによる発表と同じく、日本の科学力の低下歴然としています。
 次々とノーベル賞受賞者を出し、日本のお家芸であるはずの「物理学、化学、材料科学」の分野ですら、論文数が減少しているのです。
 ところが日経新聞は、この第2の指標については、ほとんどふれず、次のような文面で記事を締めくくっているのみでした。

世界が注目する質の高い論文は、国際協力によって生まれやすいとされる。現状を打破するには、米国をはじめとする海外との連携強化や日本の大学に優秀な海外人材を呼び込む施策の充実が必要になっている。


 つまり現状を打破するには、「米国をはじめとする海外との連携強化や日本の大学に優秀な海外人材を呼び込む施策」の充実が必要になっている、というのが日経新聞の主張なのですが、大学の授業を英語化しても日本の大学に優秀な海外人材が来るはずもないことは明らかです。
 その理由を詳述したのが拙著『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』だったのですが、日経新聞は拙著の存在など一顧だにしなかったようです。
 というのは、「米国をはじめとする海外との連携強化や日本の大学に優秀な海外人材を呼び込む施策」に頭を悩ますよりも、日本からの頭脳流出を心配すべきだからです。この間の事情を私は、本書281-282頁(第3章第2節「註2」)で、次のように述べました。

 この頭脳流出にかんして『中央公論』2015年7月号に「外国人教員から見た、日本の大学の奇妙なグローバル化」と題する興味深い論文が載せられている。
 エドワード・ヴィッカーズ(九州大学准教授)、ジェルミー・ラプリー(京都大学准教授)両氏の共著によるもので、
 特に私の目を惹いたのは、「スーパーグローバル大学」と称して「グローバル人材」を海外から引き寄せることもさることながら、「日本のトップレベルの大学が抱える難題は、すでに学内に存在している彼らを引き留めることだ」と彼らが言っていることだ。
 つまり外から外国人教員を雇うことより、すでに日本にいる有能な教員を国内に引き留めることが先決だと言っているのである。京大や九大など旧制帝大でさえ、それほど研究環境が悪化しているということである。悪化している例として彼が指摘している事例を次にいくつか列挙しておく。
(1)むしろ問題となるのは、日本の大学教員の給与と条件が過去一五年にわたって一貫して下降傾向にあることだろう(一八一頁)。教員たちはどのような改革がなされるべきか議論する場をほとんど与えられず、彼らの状況の改善も施されない中、トップダウンの方針に対して不満が募ったのは無理もない。
(2)さらに言えば「国際化」のスローガンを掲げることは「日本の」高等教育を暗に過小評価することにつながり、彼らの反感や抵抗を煽るばかりである(一八三頁)。
(3)会議の多くはすでにどこかで決定された事項の報告及び追認を行っているに過ぎないが、出席は義務であり、出欠は事務職員に逐一記録される。会議に費やす[莫大な]時間は研究や授業ができないということでもある(一八四頁)。
(4)事務職員が教員の行動をチェックし、教員が事務的な仕事や儀礼的業務への参加で評価されるようでは、授業や研究は格下げされてしまっていると言わざるをえないだろう(一八五頁)。


 要するに、文科省・安倍政権は「英語力=科学力」「英語力=グローバル人材力」というイデオロギーを振り回して、日本の大学を「英語化」することに血道をあげていますが、それに反比例して、日本の科学力は低下する一方なのです。
 それどころか、もう一方で文科省は、小学校まで「英語化」することに邁進し始めているのですから、日本の将来は暗澹たるものです。
 さらに言えば、大学の研究費も削られる一方で、他方では軍事研究には多額の研究費を出す体制を着々と整備しつつあります。これでどうして自由で独創的な研究が生まれるのでしょうか。
 次回は、この点について、大隅良典氏(2016度のノーベル賞生理医学賞受賞者)の軌跡・発言をたどることによって、検証してみたいと考えています。


<註>
*「米支配層の予定通りにトランプ政権は中国と戦争を開始、その手先になったインド首相と安倍首相」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/ (2017.08.22)
*Why Siding with Washington on Korea May Be Dangerous
「朝鮮問題で、ワシントン側につくのは何故危うい可能性があるのか」

https://www.strategic-culture.org/news/2017/08/10/why-siding-with-washington-korea-may-be-dangerous.html


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