書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その5)――ノーベル賞・大隅良典氏の軌跡から学ぶ

英語教育(2017/10/04)、ノーベル生理学・医学賞2016、オートファジー (自食作用)、OECDの世界「成人力」調査、生命体の「同化作用」と「異化作用」

ノーベル生理学・医学賞2016年を受賞した大隅良典氏大隅良典


 前回のブログから既に1ヶ月が経ってしまいました。
 この間、チョムスキーの新著Requiem for the American Dream: The 10 Principles of Concentration of Wealth & Powerの翻訳・出版に追われる毎日でした。そのためブログに割ける時間が全く取れませんでした。
 今日ついに。10月15日発売の『アメリカンドリームの終わり あるいは、富と権力を集中させる10の原理』(ディスカバー・トゥエンティーワン)が自宅に届きました。これで、やっと心置きなくブログに専念できます。

 シリアと北朝鮮をめぐって相変わらず、アメリカとロシア、アメリカと中国の熾烈な闘いが続いています。表面だけを見ていると、シリアのアサド大統領とアメリカのトランプ大統領、北朝鮮とアメリカが一触即発の闘いをしているように見えますが、裏の構造をよく見てみると、アメリカがロシアや中国への包囲網をいかに強く締め上げつつあるかが、この間の要点であることがよく分かります。
 その意味では、トランプ大統領は「アメリカ・ファースト」「他国の争いには口を出さない」を公約に掲げて選挙戦を勝利したにもかかわらず、いざ当選してみると、「裏国家Deep State」に進路を阻まれ、今や彼らのいうがままになっています。「アメリカ大統領とは、裏国家の単なる御神輿(おみこし)・操り人形にすぎなかったのだ」ということが、非常によく分かる事態になりました。
 イスラム原理主義集団ISISも、アメリカが裏で操っていた集団だったということも、この間ますます明らかになってきました。次の記事は、そのことを如実に示すものです。
*US to obscure arms exports after Pentagon ‘pipeline’ to Syria exposed
「アメリカはシリアへの『パイプライン』が暴露されて武器輸出を隠蔽しようとしている」
 
https://www.rt.com/op-edge/404311-us-pentagon-arms-exports-syria/

 それはともかく、今回のブログは、ずっと以前から書きたいと思っていた「書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その5)――ノーベル賞2016受賞者(大隅良典)の軌跡から学ぶもの」を書く予定ですので、混乱するアメリカの国内・国外情勢については、今回も割愛せざるを得ません。
 この間、私が一貫して追及してきたテーマは「文科省・安倍政権が強制している英語教育政策は日本を救うか」でした。私の著書『英語で大学が亡びるとき―「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』の題名が、その結論をすでに暗示しているのですが、ノーベル賞2016年度の受賞者=大隅良典氏の軌跡・言動を通じて、そのことを論証しようというのが、今回のブログの目的です。
 大隅氏の経歴をウィキペディアその他で調べてみると、驚いたことに私と生まれた年が1年しか違わないのです。彼は1945年2月生まれ、私は1944年7月生まれですから、全く同じ世代です。しかも福岡県立福岡高等学校を卒業後、東京大学理科二類に進学したそうですから、ひょっとして教養部時代は、どこかで出会っていた可能性もあります。
 というのは、私は湯川秀樹の自伝『旅人』に憧れて前年に京都大学理学部物理学科を受験したのですが、みごとに蹴落とされて、物理学者になることを諦めました。『旅人』には「物理学は若い優秀な頭脳でなければだめだ」という趣旨のことが書かれていたからです。そこで翌年は東大教養学部に新設された基礎科学科に入ろうと思って東大を受験し、運良く理科二類に合格していたからです。
 しかし、私がここで言いたかったことは、私と同じ世代の若者は、特に理系の若者は、今と違って英語学習に血道を上げるということはなかったというこです。私が理科二類に入った時のクラスは第2外国語の選択でクラス分けされていて、ロシア語選択の学生が極めて多かったことが印象的でした。理系の学生にとっては、それほどロシア語熱が盛んだったということでしょう。
 ちょうどソ連が世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げたばかりでしたから、そのショックで、アメリカでさえロシア語教育に力を入れ始めた頃ですから、受験勉強として英語を学ぶことはあっても、英語=科学力という考えは、まったく感じられませんでした。
 大隅さんの高校時代をいろいろ調べてみても、「幼い頃から、兄の和雄に贈られた自然科学の本に親しんだ。特に八杉龍一の『生きものの歴史』、マイケル・ファラデーの『ろうそくの科学』、三宅泰雄の『空気の発見』などに心を動かされ、科学に興味を持った」(ウィキペディア)という記述はあっても、英語学習に没頭したという記録は見つかりません。
 実を言うと、私もマイケル・ファラデーの『ろうそくの科学』、武谷三男『科学入門 科学的なものの考え方』などを高校時代に読んで科学に興味を持ち始めたのですが、少なくとも私は、丸暗記しなければならない単語・熟語が多すぎて、おぼれ死ぬような思いで英語の海を浮いたり沈んだりしていただけでした。
 それはともかく、大隅氏は、教養学部基礎科学科を卒業したあとは、そのまま東京大学大学院理学系研究科相関理化学専攻(同専攻の場所は駒場)に進学したそうですから、私が最初の希望どおり、基礎科学科に進学していれば、ますます大隅氏と顔を合わせる機会が多かったはずなのです。
 しかし残念ながら、私は教養部在籍中に科学史により大きな興味をもつようになり、当時 「教養学部教養学科」に開設されていた「科学史・科学哲学コース」に進学することに決めました。この「科学史」に興味をもつようになったきっかけも、武谷三男の影響でした。湯川秀樹の高弟かつ共同研究者であった武谷三男の著書『科学入門 』は、ガリレオなどの研究を紹介しながら科学史への興味とエンゲルス『自然の弁証法』の世界へと私を誘ってくれたからです。
 私がこのような私事を細々と記しているのは、私の回りの友人や、当時の理系学生のようすを見ているかぎり、英語学習に入れ込んでいる学生をほとんどみたことがなかったという事実を紹介したかったからに他なりません。それにもかかわらず、大隅氏はノーベル賞を受賞するような研究業績をあげ、それを英語論文でも発表しているのです。拙著『英語で大学が亡びるとき』でも書いたことですが、英語力→研究力ではなく、研究力→英語力だったのです。
 つまり自分の研究が進み、その結果、進んだ研究を日本語で読み尽くして、それでも知りたいことがあれば、英語やその他の言語で書かれた先行研究を読まざるを得ません。そして自分に必要な研究を英語論文を読み続けていれば、自然と論文の書き方や発表の仕方も、その論文で身につけることになります。だからわざわざアメリカの大学院に行く必要すらありません。もし武者修行したければ、日本で博士号を取り、自分の研究窮したいテーマが明確な輪郭を結んだ時に、博士研究員としてアメリカの大学に行けばよいのです。
 これが私が拙著『英語で大学が亡びるとき』で主張したことでした。同書では、日本人のノーベル賞受賞者を何人も取りあげながら、そのことを例証したつもりです。そして調べてみると、大隅氏も私が主張したとおりの軌跡を描いているのです。ウィキペディアによれば、氏の軌跡は次のとおりです。

1967年 東京大学教養学部基礎科学科卒業
1969年 東京大学大学院理学系研究科相関理化学専門課程修士課程修了
1972年 東京大学大学院理学系研究科相関理化学専門課程博士課程単位取得満期退学、東京大学農学部農芸化学科研究生
1974年 東京大学から理学博士の学位を取得、ロックフェラー大学ジェラルド・モーリス・エデルマン研究室「博士研究員」
1977年 東京大学理学部植物学教室「生体制御研究室」助手
1986年 東京大学理学部植物学教室「生体制御研究室」講師
1988年 東京大学教養学部・大学院理学系研究科「相関理化学専攻生物学教室」助教授
1994年 相関理化学専攻は「科学史・科学基礎論専攻」とともに理学系研究科から東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻に移管・統合された
1996年 岡崎国立共同研究機構・基礎生物学研究所「分子細胞生物学研究部門」教授 兼 総合研究大学院大学「生命科学研究科基礎生物学専攻」教授
以下、省略


 要するに、ノーベル賞を受賞するような研究をするにあたって必要なのは、語学力・英語力ではなく、科学する心であり、母語で思考しながら疑問をつくり出し、未知のものを創造する力なのです。
 ところが文科省・安倍政権は、御存知のとおり、日本の大学や研究のレベルを世界ランキングに押し上げるためと称して、大学の授業を英語でするよう強制したり、そのような方策をとった大学に巨額の研究資金を出す一方、今まで各大学に交付してきた研究費を毎年のように削り続ける政策を続けているのです。
 こういうバカな政策を続けているかぎり今後、日本からはノーベル賞は出ないだろうと、私は拙著『英語で大学が亡びるとき』で書きましたが、調べてみると、大隅氏も私とまっったく同じ意見であることがわかり、我が意を得たりの思いでした。大隅氏はそれを日経新聞のインタビュー(2017/9/3)で次のように言っています。

――日本の基礎科学力の低下にかねて警鐘を鳴らしておられますが…
 「日本は豊かになったが、精神的にゆとりがない社会になってしまった」
 「日本の大学はすべてを効率で考えるという袋小路に陥り、科学の世界に『役に立つ』というキーワードが入り込みすぎている」
 「研究費が絞られれば絞られるほど、研究者のマインドは効率を上げることに向かうが、自由な発想なしに科学の進展はない」
 「一流誌に論文を出そうとすると、みんなが飛びつく話題の方がいい。そうでないと研究費も確保できないが、自分がおもしろいと思うことをやるという原点が忘れ去られていく」
 ――日本人がノーベル賞を次々に受賞する一方で基礎科学を支える予算は伸び悩んでいますが…。
 「かつての日本の大学は基礎的な研究活動を支える講座費という制度が充実し、みんなが好きなことをやれた時代があった」
 「今は研究できるポジションも少なくなり、親が子どもに大学院進学を止めさせるほど、研究職は将来が見通せない職業になった」
 「このままでは将来、日本からノーベル賞学者が出なくなると思っている。(日本人の連続受賞は)過去の遺産という面もある。」
 「世界的な学術誌に論文が出たからといって新しいコンセプトは生まれない。発想を転換しないといけない。オートファジーの研究には30年近くかかった」
https://www.nikkei.com/article/DGKKASDZ27I6E_Z20C17A9EA3000/



 日本には次のノーベル賞候補者が目白押しだと言われていますが、その多くは現在、60~70歳代です。大隅氏の言うように「過去の遺産」なのです。
 同じことは、OECDの世界「成人力」調査でも示されています。この調査でも日本人は世界でトップの位置を占めているのですが、年齢別の分析によると、断トツなのが高齢者なのです(拙著『英語で大学が亡びるとき』260-274頁を参照)
 大隅氏は、上のインタビューで、「かつての日本の大学は基礎的な研究活動を支える講座費という制度が充実し、みんなが好きなことをやれた時代があった」「一流誌に論文を出そうとすると、みんなが飛びつく話題の方がいい。そうでないと研究費も確保できないが、自分がおもしろいと思うことをやるという原点が忘れ去られていく」と述べています。 しかし安倍政権は、一方で研究費を削減しながら、他方で世界ランキングを上げろと言っているのです。これでどうして世界を驚かす研究ができるのでしょうか。
 学術誌に載る論文を増やすための研究では、ノーベル賞は生まれないのです。大隅氏も学生時代から「論文のための研究」をしていませんし、ノーベル賞をとるために研究したのではありませんでした。この間の事情を産経新聞(2016.10.10)は次のように伝えていました。

 長男の和雄さんが文系に進んだだけに、父親(九大工学部教授)が1人ぐらいは理系に進んでほしいと期待していることを「折に触れて感じていたこともあった」と話す。
 だが、父がいる九大にはどうしても行く気になれず、東京大の理科2類へ進学。できたばかりの教養学部基礎科学科で、科学の全分野を学んだ。「新設学科はやる気にあふれた雰囲気で、実に楽しかった」と振り返る。
 大学院では大腸菌のタンパク質合成というテーマに取り組んだ。当時としては革新的な課題で実験も楽しかったが、大した成果は出なかった。それでも「自分が面白いと思える研究をしているのだから、いいやと思ってのんびり過ごしていた」という。
 大学院時代に同じ研究室の後輩だった妻、萬里子さんに「運命の出会い」を感じ「つい勢いで」学生結婚。子供も2人できた。
 ただ、大隅さんは論文も書かずにぶらぶらしていた。博士課程を修了後、「国内では就職先がない」と米ロックフェラー大へ留学したが、生活は実質的に萬里子さんが支えていた
http://www.sankei.com/premium/print/161010/prm1610100025-c.html


 ご覧のとおり、大隅氏は大学院で「大腸菌のタンパク質合成というテーマに取り組んだ。当時としては革新的な課題で実験も楽しかったが、大した成果は出なかった。それでも自分が面白いと思える研究をしているのだから、いいやと思ってのんびり過ごしていた」「論文も書かずにぶらぶらしていた」というのです。
 何度も言うように、ノーベル賞級の研究は、「自分が面白いと思える研究をしている」こそ生まれるのであって、論文数を増やすための研究からは生まれないのです。まして最近の安倍政権のように、文科省の研究予算を削りながら他方で防衛省の巨額の軍事費から研究費を出そうとする政策から、自由で独創的な研究が生まれるはずがありません。

 以上で、大学で英語に血道を上げているかぎりノーベル賞は生まれないし、論文集をふやすための研究からもノーベル賞は出ないということは、お分かりいただけたかと思います。
 そこで、ここであとひとつだけ書いておきたいことがあります。それは、滅多に単独受賞者が出ないと言われているノーベル生理学・医学賞を、大隅氏が単独受賞することになった研究、細胞の「オートファジー」(自食作用)についてです。
 この「オートファジー」と呼ばれる細胞の仕組みと、受賞理由となった研究について、ウィキペディアは次のように説明していました。

細胞が自らのタンパク質を分解し、再利用する「オートファジー」(自食作用)の仕組みを解明し、悪性腫瘍の特効薬を発明した功績が認められ、2015年にガードナー国際賞を受賞。また2016年10月3日には、飢餓状態に陥った細胞が自らのタンパク質を食べて栄養源にする自食作用「オートファジー」の仕組みを解明した」卓越した成果が認められ、ノーベル生理学・医学賞を単独受賞した。


 私が大隅氏の受賞と研究内容を知ったとき、まず第一に頭に浮かんだのは、日本で古くからおこなわれている断食療法についてでした。この「少食・断食療法」を使って難病を次々と治していったのが甲田光雄医師(医学博士)でした。
 この流れを受けて、独自の「少食・穀菜食」「少食・断食療法」を研究開発し、癌を初めとする難病を、次々と治す成果をあげているのが、森下敬一医師(医学博士、国際自然医学会会長)で、86歳になる現在も、精力的な活動を続けています。
 森下氏は、飢餓や断食で栄養状態が悪化すると、「体細胞→万能細胞(血球細胞)→栄養素(食物)」への変化が起きるという現象(異化作用)ことを、30年以上も前に発見し観察し、それを医療に応用し、成果をあげてきたのでした。
 つまり、「栄養素(食物)→万能細胞(血球細胞)→体細胞」への変化(同化作用)と全く逆の道すじをたどるのが、上記の「異化作用」なのですが、この理論やそれに基づく医療活動は、今までは全く異端視されてきました。
 しかし、大隅氏のノーベル賞受賞は、この異端視されてきた医療活動「医食同源」「玄米・菜食療法」「少食・断食療法」が、にもかかわらず、なぜ成果をあげてきたのか、その理由の一端を解明してくれたように思います。
 日本は、敗戦後のアメリカによる占領政策、主として学校給食を通じた「洗脳洗舌」工作、すなわち「肉食・牛乳パン食」の食生活を、知らないうちに一般的な生活様式として受け入れるようになりました。が、その結果として大量に生まれてきたのが肥満児と癌患者でした。
 いま安倍政権は、大量の肉と米を、アメリカを初めとする外国から輸入し、米作・野菜づくりを中心とした日本の農業をさらに破壊しようとしています。これでどうして私たち日本人の健康を守っていけるのでしょうか。
 大隅氏のノーベル賞(生理学・医学賞)受賞は、そんなことも私に考えさせてくれたのでした。


<註> オートファジー (自食作用Autophagy)における auto-は、ギリシャ語の「自分自身」を表す接頭語、phagyは「食べること」の意で、クリスチャン・ド・デューブ(ノーベル生理学・医学賞1974)により1963年に定義された。素粒子の多くもギリシャ語で命名されている。ノーベル物理学賞の受賞者=益川敏英氏は、「おれは英語よりもギリシャ語の方が好きだ」と言ったそうですが、それは、こんなところに理由があったのかも知れない。


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書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その4)――米国の貿易相手は今や日本ではなく中国!

英語教育(2017/09/06) PEW Research Center、購買力平価、中国封じ込め政策、「一帯一路」構想、アジアインフラ投資銀行(AIIB)

今や大逆転した米国の貿易相手!!、中国5%→25%、日本25%→5%
資料 矢吹晋 「日本、中国、米国」 『週刊金曜日』2017年8月4日号(グラフ、貿易相手国)
出典:『週刊金曜日』45頁、矢吹晋(横浜市立大学名誉教授)論文


 いま北朝鮮問題が緊迫の頂点に達しているかのようにみえます。
 これについては独自に論じたいことは多々あるのですが、今はそのゆとりもありませんので、ふれることができるかぎり以下の本文で、少しは言及するつもりです。

 ところで、前回のブログで私は、「アメリカが、科学研究のほとんどの分野で、共同研究の相手として、日本ではなく中国を選んでいる」という事実を紹介し、次のような解説を加えました。
 <これは、アメリカが「日本の科学力が低下する一方だから共同研究するに値しない」と判断したからだ、と考えざるを得ません。アメリカにとって日本は、中国と戦争するときの「基地と兵員(自衛隊)を提供してくれる存在」だけでよいのです。>
 そしてブログの末尾を次のように結びました。
 <要するに、文科省・安倍政権は「英語力=科学力」「英語力=グローバル人材力」というイデオロギーを振り回して、日本の大学を「英語化」することに血道をあげていますが、それに反比例して、日本の科学力は低下する一方なのです。
 それどころか、もう一方で文科省は、小学校まで「英語化」することに邁進し始めているのですから、日本の将来は暗澹たるものです。
 さらに言えば、大学の研究費も削られる一方で、他方では軍事研究には多額の研究費を出す体制を着々と整備しつつあります。これでどうして自由で独創的な研究が生まれるのでしょうか。
 次回は、この点について、大隅良典氏(2016度のノーベル賞生理医学賞受賞者)の軌跡・発言をたどることによって、検証してみたいと考えています。>

ところが、病院で診察の待ち時間に週刊紙を読んでいたら、偶然にも『週刊金曜日』の2017年8月4日号に、「今や大逆転した米国の貿易相手!!、中国5%→25%、日本25%→5%」といった内容の、矢吹晋氏(横浜市立大学名誉教授)の論文が掲載されていることを知り、慌てて同誌を取り寄せて読んでみました。
 すると、アメリカは共同研究の相手としてだけでなく貿易の相手としても日本を全く問題にしていないことが分かりました。つまり日本という国は、北朝鮮の動きを口実にして高価な武器を売りつけ、中国包囲網の基地を提供してくれるだけでよいのです。
 もちろん、いざ有事となれば米軍の代わりに自衛隊がcannon fodder(砲弾の餌食)となり、朝鮮軍や中国軍と戦ってくれることも期待しているに違いありません。
 そこで今回のブログでは、予定を変更して、アメリカにとって日本とはどういう存在なのかを、貿易という視点から再考してみたいと思います。
 大隅良典氏(2016度のノーベル賞生理医学賞受賞者)の軌跡・発言をたどる旅は次回に回したいと思いますんで、どうかお許しください。


 矢吹氏は、PEWという有名な世論調査機関が2015年に実施した調査をもとに、「日本ほど『対米盲信・対中不信』の固定観念にとりつかれている国はない」と述べつつ、上記の『週刊金曜日』で次のように嘆いています。

 隣国・中国の発展をまるで無視し、欠点ばかりをあげつらう日本に未来はあるのだろうか。ましてこの隣国が核兵器大国であり、格段に強化された経済力をもつ場合、経済的共存共栄からしても軍事的安全保障からしても、由々しい事態ではないのか。
 かつて日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界中から羨望の眼で見つめられた一時期がある。その残像に未だに酔い続けている景気循環を軽視し模様眺めをしていたが、不景気は10年続き、次の10年も回復しなかった。気がついて見ると、日本の長期不景気はすでに四半世紀を超えている。
 この間、中国経済は二桁成長が続き、近年は6~7%の「新常態」になったが、それでもゼロ成長で足踏みの日本と比べると、活気に溢れている。IMF(国際通貨基金)や世界銀行の統計を調べると、日本のような、ほとんどゼロ成長に近い国は先進国では見当たらない。「アベノミスク」は大失敗に終わっているのだ。マイナス金利という資本主義の自己否定のような政策を続け、公債をやみくもに発行して、株価だけは維持しているものの、実体経済は体力を喪失して久しい。もはや回復の望み薄い“重体患者”に見える。


 では隣国の中国が世界経済に占める位置は、どのようなものなのでしょうか。それを矢吹氏は世界銀行の調査をもとに、次のように述べています。

 I人当たり所得に人口数を乗じたGDP(国内総生産)ペースで日本のシェアは世界の4・8%を占めるが、中国は14・9%を占め、日本の3倍の規模だ。
 11年時点で米国のGDPシェアは17・1%で、中国の14・9%を2・2ポイント上回るが、その後の成長率を加味すると、14年末時点で中国が米国を超えた。
 日本経済が足踏みしているうちに中国経済は駆け足で日本を追い抜き、追い越し、今やはるか前方を走る。
 この経済的敗北感・劣等感と、かつての優越感との狭間で、日本人は、隣国経済の実像を虚心坦懐に観察する度量を失っているように見える。


 以上のことを図表化したものが、次の表です。これを見ると、「購買力平価」では、中国が13.5兆ドルとなり、アメリカの15.5兆ドルに次ぐ第2位の地位を占めていますが、日本は4.4兆ドルにすぎません。
資料 矢吹晋 「日本、中国、米国」 『週刊金曜日』2017年8月4日号(グラフ、購買力)
 この表でもうひとつ分かることは、日本の「I人当たり購買力」が3万4262ドルで、ドイツ、フランス、英国より低く、イタリアを上回る程度だということです。日本は「自分は世界第2位の経済大国だ」と思っているうちに、どんどん貧困化していることが、この表からでも分かります。
 他方、「爆買い」などと揶揄されている中国の「I人当たり購買力」は、日本の3分のIまで近づいています。今ほど中国との豊かで友好的な交易が求められているときはないでしょう。アメリカに荷担して中国包囲網の一員になったり、今までは「棚上げ」となっていた尖閣列島問題に火を付けて、摩擦を拡大しているゆとりは日本にないはずなのです。


 もうひとつ矢吹氏が取りあげている興味深い数値・事実が、アメリカの「中国と日本に対する貿易額」の変遷です。それを氏は、「米国から見て、日本というパートナーは『日に日に軽く』なっていることがわかる」として、次のように解説しています。

 さて、〈図5〉は何を語るか。米国経済から見ると、対中国輸入は約25%に近づき、対日本輸入は5%に縮小しつつある。米国から見て、日本というパートナーは「日に日に軽く」なっていることがわかる。
 「中国封じ込め」なる時代錯誤の迷夢にとらわれ、自らを孤立させる安倍政権の日本に未来はない。中国から相手にされないだけでなく、米国も相手にしない。沈みゆく日本の実像を国民はいつ自覚できるのか。


 上記で<図5>と述べられているのが、ブログ冒頭に掲げたグラフですが、読者の便を図って、その図を以下に再掲しておくことにします。
資料 矢吹晋 「日本、中国、米国」 『週刊金曜日』2017年8月4日号(グラフ、貿易相手国)

 このグラフを見れば分かるように、矢吹氏の言うとおり、「米国から見て、日本というパートナーは『日に日に軽く』なっている」のです。にもかかわらず、日本はアメリカの軍事戦略、中国封じ込め政策に、益々のめり込んでいます。
 アメリカは北朝鮮という「悪魔」をつくりあげ、それを口実に韓国や日本に巨大な軍事基地をつくると同時に、高額の武器を売りつけてきました。その結果、日本の防衛費は近年、激増する一方で、とどまるところを知りません。
 昨日(6月5日)の中日新聞を読んでいたら、「概算要求最大に、防衛費に再び『節度』を」という見出しで、めずらしく社説に安倍政権批判が載っていました。
 最近の大手メディアは、政府批判をほとんどやめてしまっているのですが、今回ばかりは、さすがに我慢ができなかったようです。社説は次のように述べていました。

・・・防衛予算の二〇一八年度概算要求は、米軍再編関係費などを含めて総額五兆二千五百五十一億円。冷戦終結後は減少傾向が続いていたが、安倍晋三首相が再び政権に就いて編成した一三年度以降、六年連続の前年度比増である。
 概算要求は、弾道ミサイル防衛関連経費千七百九十一億円や、新型護衛艦(二隻九百六十四億円)や新型早期警戒機E2D(二機四百九十一億円)の取得など周辺海空域での安全確保のための予算を盛り込んでいる。
 イージス艦搭載の迎撃ミサイルを地上に配備する「イージス・アショア」は一基八百億円程度とされるが、金額を示さない事項要求となっており、導入が認められれば、防衛予算はさらに膨らむ。・・・


 ご覧のとおり、莫大な予算が軍事費に注ぎ込まれていますが、その一方で国立大学への交付金は毎年、削られる一方です。これでどうして「独創的な研究を生み出し」「世界ランキング10位以内に入る大学」を増やすことができるのでしょうか。
 また小学校で英語を教科化する方針を出しておきながら、文科省から具体的な人的財政的援助はほとんどありません。小学校は原則として担任が全教科を教えるのですから、教師の負担が増えるだけで教育効果はほとんど期待できません。
 まして英語教育の素人が英語を教えなければならないのですから、その肉体的精神的負担を考えると、暗澹たる気持ちにならざるを得ません。
 中日新聞社説は上記に続けて、さらに次のように述べています。

 国民の命と暮らしを守るために必要な防衛力を整備することは、政府の崇高な使命だが、地域情勢の変化を、防衛予算膨張の免罪符にしていいわけではあるまい。
 財源には限りがある。社会保障や教育などほかの分野とのバランスも取らなければならない。整備する防衛力の費用対効果も精緻に検証しなければなるまい。周辺国と軍拡競争の泥沼に陥らないためには、適切な歯止めが必要だ。・・・



 そもそも北朝鮮情勢を緊迫化させているのはアメリカであって北朝鮮ではありません。北朝鮮の一貫した主張は「和平協定が結ばれ朝鮮半島に平和が訪れる条件さえ整えば核兵器など必要ない」とするものでした。
 しかしアメリカにとっては、韓国や日本に高額の武器を売りつけ、軍事基地化した韓国や日本に高度なミサイル配備を認めさせて、中国封じ込め政策を強化するためには、北朝鮮に大暴れしてもらわねばりません。
 日本でも同じことが言えます。「憲法9条」をなくして軍事大国になりたいと思っている安倍政権にとっても、このような北朝鮮の動きは願ってもないことでした。あわよくば北朝鮮を口実に自分も核兵器大国になりたいと思っているに違いありません。
 他方、追い詰められた北朝鮮は、アメリカ(および日本)の期待に応えて、核開発を急ぎました。つまり北朝鮮とアメリカは「二人三脚」をしているとも言えるわけです。
 むしろ、休戦状態にある朝鮮戦争を終わらせ、北朝鮮との間に和平条約を結ばれれば、一番困るのはアメリカではないでしょうか。というのは、中産階級が消滅し、一部の大金持ちは別にして、国民の購買力が激減しているのですから、今のアメリカ経済は、元大統領アイゼンハワーのいう「軍産複合体」に依存しているところが極めて大きいからです。
 同じことは日本についても言えます.先ほど紹介した図表でもお分かりのとおり、日本人の購買力も、世界第2位の経済大国だったはずなのに、今やドイツ、フランス、英国より低く、イタリアを上回る程度にまで落ち込んでしまっているのです。
 そこで安倍政権が考えたのは、「武器輸出3原則」を取りやめ、日本もアメリカやイギリスと同じように武器輸出で金儲けをしようということでした。アメリカが戦争をやめるどころか、戦火をアフガン→イラク→リビア→シリア→イエメンに拡大し、サウジアラビアなどに武器を輸出し続けている理由もそこにあります。
 このままいくと、日本もいずれ、アメリカと同じく、「軍事大国」「死の商人」としての道を歩むことになるでしょう。私たちが取るべき道は、「上は大学から、下は小学校まで」「英語漬け」にして、アメリカ流の経済運営、アメリカ流の軍事戦略に盲目的に従うことではありません。
 そんなことをしていたら、拙著『英語教育が亡びるとき』で述べたとおり、今後この日本からノーベル賞受賞者は出なくなっていくでしょう。今こそ日本はアジアの一員として、遠い将来を見据えた独自戦略をたてるべきときではないでしょうか。
 矢吹氏の論文は次のような文面で終わっていますが、その裏に込められた願いは、たぶん私の願いと同じものだと思います。

 中国が主導する「アジアインフラ投資銀行(AIIB)には2017年3月現在で70力国・地域が加盟。日本と米国が主導するアジア開発銀行の67力国・地域を超え、さらに90ヵ国・地域への拡大を想定している。
 中国が進める「一帯一路」構想とは、陸路の交易ベルトと海上の物流ルートのことを指すが、日本はいつ、このシルクロードの夢を賭けた「一帯一路」と、AIIB「アジアインフラ投資銀行」に参加するのか。
 今やAIIBには、アジア開発銀行の参加規模を超えて、EUからも多くの国が参加しているのだ。




<註1> アメリカと北朝鮮は核開発をめぐって「二人三脚」をしているとも言えるわけです。この裏にはイスラエルやウクライナの動きがあったとも言われています。
*朝鮮にミサイルの性能を急速に向上させ、水爆の開発を成功させた外部要因が存在する可能性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201709050000/
*公邸宿泊は偶然か? 段取りが良すぎたミサイル騒動
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/4609


<註2> トランプ大統領は「北朝鮮が挑発を続けるなら武力攻撃を含めてあらゆる手段を行使する」「当面は北朝鮮と交易をする全ての国に経済制裁を加える」と述べました。
 これにたいしてウィキリークスの創始者アサンジ氏は、「北朝鮮を核開発に追い込んだのは当のアメリカである」「中国との交易を停止すれば経済的に自滅するのはむしろアメリカであり、トランプは即座に辞任に追い込まれるだろう」と述べています。

*Assange: Constant US threats against N. Korea have put it on total war footing
「アサンジ:アメリカの絶えざる脅迫が北朝鮮を全面的戦時体制に追い込んだ」

https://www.rt.com/news/401900-assange-us-north-korea/
*Trump will be "deposed immediately" if he blocks trade with China over N. Korea – Assange
「もし北朝鮮問題で中国との交易を停止させれば、トランプは即座に辞任させられるだろう」

https://www.rt.com/news/401929-assange-trump-trade-china/


書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その3)――米国は共同研究に日本よりも中国を選ぶ!

英語教育(2017/08/23) Nature Index Japan、科学技術・学術政策研究所、科学技術指標2017、科学研究ベンチマーキング2017、エドワード・ヴィッカーズ(九州大学准教授)、ジェルミー・ラプリー(京都大学准教授)


日本の科学力、米国は中国と共同研究
出典:日経(2017/8/13)

 
 前回のブログで私は 江利川春雄先生(和歌山大学)の書評とNature Indexの衝撃的な記事「失速する日本の科学力」を紹介しつつ、末尾を次のように結びました。

 私が拙著『英語教育が亡びるとき』「あとがき」で次のように述べたことが、このNature Index Japanで見事に証明されている、と言ったら言い過ぎでしょうか。
 「ですから、何度も言うように、このまま事態が進行すれば、OECDにおける日本の地位も、ノーベル賞受賞者数も、確実に転落・減少するでしょう。そんな不安を私はどうしても拭い去ることができません。私が本書を緊急に出版したいと思ったゆえんです。」

 ところが、このブログを載せたあと、私の予言を再び裏書きするかのように、日本経済新聞(2017/8/13)は、「科学研究で米中接近、日本は存在感薄く。文科省調査」と題する記事を載せました。
http://mx4.nikkei.com/?4_--_74306_--_1422094_--_70
 すぐにでも、この記事を次のブログで紹介したいと思ったのですが、相変わらずチョムスキーの新著『富と権力を超富裕層に一極集中させる10の原理:アメリカンドリーム葬送曲』(仮題)の訳注や索引づくりに追われたりしているうちに、またもや10日以上がすぎてしまいました。
 昨日やっと、「21日までに」という出版社の要求に沿って、初校原稿と併せて訳注・索引を送付することができ、ようやくブログに復帰することができるようになりました。
 そこで以下では、この日経報道を詳しく紹介しながら、私のコメントを書き加えることにしたいと思います。
 (相変わらずアメリカの政情は混沌としていて北朝鮮情勢も一触即発の状況ですが、残念ながら今回もこれに言及するゆとりがありません。)

 
 日経新聞は上記の記事を次のような書き出しで始めています。

科学研究で米国と中国が世界をけん引し、互いの結びつきを強めている実態が、文部科学省「科学技術・学術政策研究所」がこのほど公表した国内外の研究動向調査から明らかになった。


 そこで、さっそく文科省「科学技術・学術政策研究所」のホームページを検索し、「科学技術指標2017」「科学研究のベンチマーキング2017」を調べてみました。
 すると、そのホームページの冒頭では、“「科学技術指標2017」及び「科学研究のベンチマーキング2017」の公表について”と題して、自分たちの調査について次のように説明していました。

科学技術・学術政策研究所(NISTEP)では、日本及び主要国の科学技術活動を客観的・定量的データに基づき体系的に分析した「科学技術指標2017」を取りまとめました。論文部分については、日本及び主要国の科学研究のベンチマーキングを多角的な視点で行った「科学研究のベンチマーキング2017」において、より詳細な分析を実施しています。
http://www.nistep.go.jp/archives/33898


 ではNISTEP(National Institute of Science and Technology)が「日本及び主要国の科学技術活動を客観的・定量的データに基づき体系的に分析した」とする「科学技術指標2017」で、どんなことが明らかになったのでしょうか。
 日建新聞は、“同研究所がまとめたのは、「科学技術指標2017」と「科学研究のベンチマーキング2017」。2015年までの主要国の研究動向をまとめている”と述べつつ、それを次のようにまとめています。

 日本は研究費や研究者数は世界3位につけるものの、世界に影響を与える注目論文の数で米中に遠く及ばない。英国やドイツなど欧州勢にも後れを取っている。日本は抜本的な対策を取る時期に来ている。
 化学や物理学など主要8分野で、他の研究者から多く引用され、質が高いとされる上位10%の論文(TOP10%論文)の数(13~15年の平均)を主要国で比較した。
 研究大国の米国は物理学(シェアは43%)、臨床医学(49.3%)など4分野でトップになる一方、中国も化学(33%)や工学(29.2%)など4分野でトップに立つ。日本は化学(5.6%)の5位が目立つだけだ。


 他方、同じ項目についてNISTEPは、上記ホームページの冒頭部で、次のように自己分析しています(下線は寺島による)。

「科学技術指標2017」から最新の日本の状況を見ると、日本の研究開発費、研究者数は共に主要国中第3位の規模ですが、人口100万人当たりの博士号取得者は主要国で第6位です。
 論文や特許に注目すると、日本の論文数(分数カウント)は世界第4位、注目度の高い論文では第9位であり、10年前と比較すると順位は低下傾向です
 他方で、パテントファミリー数では継続して世界第1位です。日本のハイテクノロジー産業貿易収支比は継続して低下し、2011年以降は入超となり、主要国中第6位です。
 一方、ミディアムハイテクノロジー産業貿易収支比は継続して出超であり、主要国中第1位を保っています。


 これを見ると、NISTEP自身が、「注目度の高い論文では第9位であり、10年前と比較すると順位は低下傾向です」「日本のハイテクノロジー産業貿易収支比は継続して低下し」と言っているのですから、Nature Index Japanによる発表と同じく、日本の科学力の低下歴然としています。
 この、「日本及び主要国の科学技術活動を客観的・定量的データに基づき体系的に分析した」とする「科学技術指標2017」について、日経新聞は、さらに次のような解説を付けていました。

 米中の接近を裏づける分析結果も出ている。
 米国が13~15年に他国とまとめた論文の共同研究相手国を調べたところ、主要8分野のうち6分野で中国が1位だった。ほかは物理学でドイツ、臨床医学で英国だった。
 日本は材料科学で5位に入ったのが最高だった。03~05年では化学と材料科学で3位の位置につけるなど米国との協力関係がみられたが、中国が躍進するなかで米国にとって日本の存在感は薄れている。


 アメリカは、シリアでは裏でISISを支援する政策を続けてきていたのですが、ロシアがシリアからの要請にしたがって本格的に参戦するようになってから負け戦が濃厚になり、ISISの兵力を東アジアに向けて移動させ、中国包囲網を強める政策をとるように変わってきています。
 その典型例がフィリピンにおけるISIS勢力の台頭でしょう。ドゥテルテ大統領がプーチン大統領と会談するためにモスクワを訪れたちょうど同じ時期に、ISIS勢力によるマラウイ選挙という事件が起きました。これは明らかにドゥテルテ大統領に対する脅迫でした。
 アメリカが、フィリピン・ベトナム・台湾・韓国・日本をアメリカの同盟国に仕立て上げて中国包囲網を着々と築き上げてきたつもりだったのに、ドゥテルテ大統領がアメリカを裏切って中国やロシアに急接近し始めたからです。
 中国包囲網を強化しようとする政策にとって、ドゥテルテ大統領は、それを邪魔する邪悪な人物になったのです。
*「欧米に支援された‘聖戦’の冷酷な力が、反抗的なフィリピンに届く」
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-863d.html

 このように、アメリカにとって中国は明らかな仮想敵国なのに、上記の文科省の指標によると、アメリカは強力な同盟国であるはずの日本ではなく、ほとんどの分野で中国を共同研究の相手に選んでいるのです。
 これは、アメリカが「日本の科学力が低下する一方だから共同研究するに値しない」と判断したからだ、と考えざるを得ません。アメリカにとって日本は、中国と戦争するときの「基地と兵員(自衛隊)を提供してくれる存在」だけでよいのです。
 これをみごとに証明してくれたのが、冒頭に掲げた図表ではなかったでしょうか。煩をいとわず、その図表を再度、以下に掲げておくことにします。

日本の科学力、米国は中国と共同研究


 では第2の指標である「科学研究のベンチマーキング2017」については、どうでしょうか。これについてNISTEPは、上記ホームページの冒頭部で、次のように自己分析しています(下線は寺島による)。

「科学研究のベンチマーキング」から明らかになった日本の状況を見ると、過去10年間で日本の論文数の伸び悩みが見られるとともに、注目度の高い論文(Top10%・Top1%補正論文数)で世界ランクが低下傾向にあります
 日本国内の論文産出構造を見ると、日本の論文数シェアの5割を占める国立大学の論文数が2000年代半ばから伸び悩んでいます。また、企業の論文数は1990年代から継続して減少しています
 分野別の状況を詳細に分析すると、臨床医学の論文数が増加する一方で物理学、化学、材料科学の論文数が減少しています。また、分野内においても研究内容に変化が起きていることが明らかになりました。


 このNISTEPによる自己分析をみれば、「日本の科学力の低下」は、この指標からも明らかです。
 「過去10年間で日本の論文数の伸び悩みが見られるとともに、注目度の高い論文(Top10%・Top1%補正論文数)で世界ランクが低下傾向にあります」と言っているのですから、Nature Index Japanによる発表と同じく、日本の科学力の低下歴然としています。
 次々とノーベル賞受賞者を出し、日本のお家芸であるはずの「物理学、化学、材料科学」の分野ですら、論文数が減少しているのです。
 ところが日経新聞は、この第2の指標については、ほとんどふれず、次のような文面で記事を締めくくっているのみでした。

世界が注目する質の高い論文は、国際協力によって生まれやすいとされる。現状を打破するには、米国をはじめとする海外との連携強化や日本の大学に優秀な海外人材を呼び込む施策の充実が必要になっている。


 つまり現状を打破するには、「米国をはじめとする海外との連携強化や日本の大学に優秀な海外人材を呼び込む施策」の充実が必要になっている、というのが日経新聞の主張なのですが、大学の授業を英語化しても日本の大学に優秀な海外人材が来るはずもないことは明らかです。
 その理由を詳述したのが拙著『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』だったのですが、日経新聞は拙著の存在など一顧だにしなかったようです。
 というのは、「米国をはじめとする海外との連携強化や日本の大学に優秀な海外人材を呼び込む施策」に頭を悩ますよりも、日本からの頭脳流出を心配すべきだからです。この間の事情を私は、本書281-282頁(第3章第2節「註2」)で、次のように述べました。

 この頭脳流出にかんして『中央公論』2015年7月号に「外国人教員から見た、日本の大学の奇妙なグローバル化」と題する興味深い論文が載せられている。
 エドワード・ヴィッカーズ(九州大学准教授)、ジェルミー・ラプリー(京都大学准教授)両氏の共著によるもので、
 特に私の目を惹いたのは、「スーパーグローバル大学」と称して「グローバル人材」を海外から引き寄せることもさることながら、「日本のトップレベルの大学が抱える難題は、すでに学内に存在している彼らを引き留めることだ」と彼らが言っていることだ。
 つまり外から外国人教員を雇うことより、すでに日本にいる有能な教員を国内に引き留めることが先決だと言っているのである。京大や九大など旧制帝大でさえ、それほど研究環境が悪化しているということである。悪化している例として彼が指摘している事例を次にいくつか列挙しておく。
(1)むしろ問題となるのは、日本の大学教員の給与と条件が過去一五年にわたって一貫して下降傾向にあることだろう(一八一頁)。教員たちはどのような改革がなされるべきか議論する場をほとんど与えられず、彼らの状況の改善も施されない中、トップダウンの方針に対して不満が募ったのは無理もない。
(2)さらに言えば「国際化」のスローガンを掲げることは「日本の」高等教育を暗に過小評価することにつながり、彼らの反感や抵抗を煽るばかりである(一八三頁)。
(3)会議の多くはすでにどこかで決定された事項の報告及び追認を行っているに過ぎないが、出席は義務であり、出欠は事務職員に逐一記録される。会議に費やす[莫大な]時間は研究や授業ができないということでもある(一八四頁)。
(4)事務職員が教員の行動をチェックし、教員が事務的な仕事や儀礼的業務への参加で評価されるようでは、授業や研究は格下げされてしまっていると言わざるをえないだろう(一八五頁)。


 要するに、文科省・安倍政権は「英語力=科学力」「英語力=グローバル人材力」というイデオロギーを振り回して、日本の大学を「英語化」することに血道をあげていますが、それに反比例して、日本の科学力は低下する一方なのです。
 それどころか、もう一方で文科省は、小学校まで「英語化」することに邁進し始めているのですから、日本の将来は暗澹たるものです。
 さらに言えば、大学の研究費も削られる一方で、他方では軍事研究には多額の研究費を出す体制を着々と整備しつつあります。これでどうして自由で独創的な研究が生まれるのでしょうか。
 次回は、この点について、大隅良典氏(2016度のノーベル賞生理医学賞受賞者)の軌跡・発言をたどることによって、検証してみたいと考えています。


<註>
*「米支配層の予定通りにトランプ政権は中国と戦争を開始、その手先になったインド首相と安倍首相」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/ (2017.08.22)
*Why Siding with Washington on Korea May Be Dangerous
「朝鮮問題で、ワシントン側につくのは何故危うい可能性があるのか」

https://www.strategic-culture.org/news/2017/08/10/why-siding-with-washington-korea-may-be-dangerous.html


書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その2)――科学誌『Nature』の5つのグラフの衝撃

英語教育(2017/08/07) Nature Index Japan、中学校「英語による授業」、小学校英語「早期化・教科化」、大学入試の「外注」「民営化」、OECD国際成人力調査「国語力」「数学力」

    急速に落下する「世界での地位」、失速・停滞する「日本の論文数」日本の科学力1、TotaloutputScopus_high

  前回のブログでは、私が鹿児島講演に行かねばならないため、拙著『英語で大学が亡びるとき』にたいする江利川春雄先生(和歌山大学)による書評のみを掲載し、次のように書きました。
 「いまは鹿児島への出立までに時間もありませんので、今回は江利川先生の書評のみを掲載し、それにたいする私の想いは帰郷してからにしたいと思います」
 ところが岐阜に戻ってきたら、今度は、チョムスキーの新著Requiem for the American Dream の翻訳初校に追われる毎日でした。
 そして気がついたら、もう明日からの、国際教育総合文化研究所が主宰する「『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』のワークショップ」と「宿泊セミナー」が、目の前に迫ってきています。
 そこで慌てて、「急速に失速・劣化しつつある日本の科学力(その1)」の続編を、いま書き始めています。
 
 さて江利川先生の書評は次のような衝撃的事実の提示で始まっています。

 「日本の科学研究,この10 年で失速」。2017年3 月発売の英国科学誌『ネイチャ-』は,衝撃の特集を組んだ。主要科学誌への投稿論文数は,日本が得意とした理工系でも10年間で10%以上減少。
 要因は,2004 年の国立大法人化による予算削減と研究条件の劣化である。 大学の危機をさらに加速させるのが,「英語による授業」の強要である。そう本書は警告する。


 上記で江利川先生は、「大学の危機をさらに加速させるのが,『英語による授業』の強要である。そう本書は警告する」と書いておられましたが、事実、私は、『英語で大学が亡びるとき―「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』の「あとがき」を、次のように結んでいます。

 英国のタイムズ紙の高等教育情報誌THE(Times Higher Education)が一〇月一日に発表した世界大学ランキング二〇一四~二〇一五で、日本の大学がランクを下げて話題になりましたが、調べてみると、低下した一番の理由は在籍する外国人学生の数の少なさによるものであって、研究者の実力とは、ほとんど何の関係もありませんでした。
 現在の日本は、本書第3章でも詳述したように、OECD国際成人力調査の「国語力」でも「数学力」でもトップの位置を占めていますし、ノーベル科学賞の受賞者数も二一世紀以降はアメリカに次いで世界第二位です。
 しかしこれは、これまで積み重ねられてきた現場教員・研究者の血のにじむような努力に支えられて生み出された成果でした。
 いま極めて深刻なのは、文科省が教育改革という名の「改悪」をすればするほど、教員が置かれている教育・研究環境が悪くなり、生徒・学生の学力は低下しているという事実です。文科省自身による最近の調査でも、「高校三年生の英語力は中卒程度」でした(一〇月一日発表)。
 ですから、何度も言うように、このまま事態が進行すれば、OECDにおける日本の地位も、ノーベル賞受賞者数も、確実に転落・減少するでしょう。そんな不安を私はどうしても拭い去ることができません。私が本書を緊急に出版したいと思ったゆえんです。


 この私の予言を裏付けるかのような衝撃的事実が、英国科学誌『ネイチャ-』(2017年3 月発売)の「日本の科学研究,この10 年で失速」という特集記事でした。この特集記事によれば。主要科学誌への投稿論文数は,日本が得意とした理工系でも10年間で10%以上も減少しているというのです。
 そこで早速この衝撃的事実を、英国科学誌『ネイチャ-』(2017年3 月発売)で、確認しようと、書店を訪れたのですが、残念ながら手に入りませんでした。そこで、やむを得ずインターネットで調べてみたところ、Nature Indexは、そのホームページで、次のような記事を公開していることが分かりました。
*The slow decline of Japanese research in 5 charts
http://www.natureindex.com/news-blog/the-slow-decline-of-japanese-research-in-five-charts

 この記事では、上記で示されているとおり、五つの図表(5 charts)を使って「日本の科学力」の「失速・劣化」ぶりを説明しているのですが、しかし今は時間もありませんので、ここでは、その五つの図表のうち、日本の「失速・劣化」ぶりを最も分かりやすく示す二つの図表だけを取りあげることにします。
 その第一番目が、ブログ冒頭に掲げた「論文総数の時間的・年代的変化」です。このグラフは、日本・中国・韓国・イギリス・アメリカという科学先進国5カ国における、2005年から2015年までの論文発表数を示したものです。
 ブログ冒頭で紹介した図表を、もう一度、再掲すると次のようになります。
日本の科学力1、TotaloutputScopus_high
  左のグラフが「科学分野で発表された各国の論文の数の変化」、右のグラフは「全世界の論文発表数のなかで各国の論文発表数がどのくらいの割合を占めているのか」を示しています。
 日本の論文発表数は紫色の線で表されており、2005年から2015年にかけての発表は、数の上では横ばいです。しかし世界全体の発表数は年を追うごとに増加しているので、全体における割合は急激に低下していいます。それを歴然と示しているのが、右側のグラフです。
 なお、このグラフにつけられた解説では、引用文献データベース「Scopus」を元に作成されており、Scopus上の論文総計は2005年から2015年で80%増加しているにも関わらず、日本の論文数は14%の増加にとどまっている」と述べられています。

 (Japan is one of the world’s top research-producing nations. But, over the past decade its scholarly output has not kept pace with the average growth in publications around the world. While the total number of articles in Scopus increased by about 80% between 2005 and 2015, Japan’s output grew by a mere 14%.)
*Five Charts
https://www.natureindex.com/news-blog/the-slow-decline-of-japanese-research-in-five-charts
*Scopus
http://jp.elsevier.com/online-tools/scopus

 さて「日本の科学力」の「劣化・衰退」ぶりを示す、もうひとつのグラフが次のものです。
日本の科学力5、japnvsworld_high
 上記のグラフは、2015年に発表された日本の論文を、学問分野別(14分野)に分類し、縦軸で各分野における「世界の研究と日本の研究の相対的変動」を示したものです。
 グラフの横軸では、左から学問分野別に、薬学・物理学・化学・材料科学・エンジニアリング・生化学&分子生物学・神経科学・薬理学・コンピューター科学・数学・免疫学・植物科学・農学・天文学の順に、科目名が並べられています。
 これを見ると、14分野中11分野で日本は、世界平均のペースから遅れをとっていることが、よく分かります。論文発表数で日本が2005年よりも増加しているのは、薬学・数学・天文学の三つだけなのです。(ただし天文学だけは世界平均よりも良い結果となっています)。
 だとすれば、私が拙著「あとがき」で次のように述べたことが、このNature Index Japanで見事に証明されている、と言ったら言い過ぎでしょうか。

 ですから、何度も言うように、このまま事態が進行すれば、OECDにおける日本の地位も、ノーベル賞受賞者数も、確実に転落・減少するでしょう。そんな不安を私はどうしても拭い去ることができません。私が本書を緊急に出版したいと思ったゆえんです。


 江利川先生は、拙著の書評を、第1章を次のように要約し、また、書評の末尾を次のように結んでおられます。

 高度で創造的な思考を支えるのは母語である。日本では明治以来の努力で大学院教育まで日本語で行える。そのおかげで,多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた。ところが,政府は「グローパル人材育成」策として大学の授業を英語で行えば補助金を出す「亡国の教育政策」を行っている。背景には「英語力= 研究力=経済力=国際力」という無知と幻想がある(第1章)。
 ・・・氏はすでに,主として小学校英語教育の問題点を論じた『英語教育原論』(2007)、高校の「英語で授業」の危険性を指摘した『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギ-』(2009)を世に問うてきた。
 次期学習指導要領で小学校外国語が早期化・教科化され,中学校でも「英語で授業」 が強要されるいま、本書に加えて、前掲書を「寺島三部作」として読み直すならば,氏が日本の英語教育政策の病巣を名医の的確さで診断し処方姿を書いていることに。
 「今の文教政策がこのまま進行すれば,日本の大学教育だけでなく,日本の公教育全学体が確実に亡びる」(あとがき)。
 子どもたちのために,そうさせてはならない。病気を根治させ,「母語を耕し、自分を耕し,自国を耕すための英語教育」を実現するのは.私たちの仕事である。そのための知恵と希望を本書は与えてくれる。必読書である。


 江利川先生の、「氏が日本の英語教育政策の病巣を名医の的確さで診断し処方姿を書いている」という表現は、私にとっては褒めすぎで、何とも面映(おもは)ゆいものがあります。
 しかし、文科省が小学校英語を早期化・教科化し、中学校でも「英語で授業」を強要しているときだけに、全国の教育現場だけでなく父母や市民の間で、英語教育が議論される際に、拙著が「たたき台」になるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
 まして、いま政府・文科省が、英語の大学入試を民間業者に「外注」し、英語教育を利潤追求の場、教育産業の草刈場にしようとしているのですから、事態は深刻さを増すばかりではないか――私にはそう思えてならないのです。


書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その1)――急速に失速しつつある日本の科学力

英語教育(2011/07/27)、Nature Index 2017 Japan、「英語による授業」、「グローパル人材育成」策、「白己家畜化・自己植民地化」、鈴木孝夫「地原理」

NatureIndexjapan2017.jpg 『英語で大学が亡びるとき―「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』


 お墓参り(墓掃除)のため石川県に出かけていたり、チョムスキーの新著Requiem for the American Dream:The 10 Principles of Concentration of Wealth & Power(『富と権力を超富裕層に一極集中させる10の原理:アメリカンドリーム葬送曲』)の初校に追われたりしているうちに、もう10日以上も経ってしまいました。
 鹿児島高教組教研集会「外国語部会」での講演を頼まれているため明日には鹿児島に向かわねばならないので、慌ててこのブログを書いています。いま書いておかないと、すぐ8月に入ってしまいますし、翻訳原稿の校正にも追われているので、どんどんブログから遠ざかってしまうことになりかねないからです。
 シリアやウクライナなど中東をめぐる情勢、フィリピンやベネズエラ情勢、中国や北朝鮮をめぐる情勢など、書きたいことは山積しているのですが、江利川春雄先生からいただいた拙著『英語で大学が亡びるとき』にたいする書評(『新英語教育』2017年6月号)の紹介と、それにたいする私のコメントも、早くしないと時期遅れになってしまいます。
 そこで今後しばらくは、「急速に失速・劣化する日本の科学力――書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて」という題名で、江利川先生の書評によって触発された私の想いを連載で書いてみることにしました。
 しかし、いまは鹿児島への出立までに時間もありませんので、今回は江利川先生の書評のみを掲載し、それにたいする私の想いは帰郷してからにしたいと思います。講演の準備に意外と時間を取られ、気がついたらもう時間がなくなっていたからです。どうかお許しいただければ幸いです。
 それにしても、本書に込められた「英語政策にたいする私の怒りや悲しみ」を、これほど的確にすくい取り、それを限られたスペースのなかで見事に表現していただいた書評を、これまでに読んだことがありませんでした。感動の一言でした。ただただ感謝あるのみです。この場を借りて改めて江利川先生に御礼を申し上げたいと思います。



書評『英語で大学が亡びるとき』明石書店、2015
江利川春雄(和歌山大学)


 「日本の科学研究,この10 年で失速」。2017年3 月発売の英国科学誌『ネイチャ-』は,衝撃の特集を組んだ。主要科学誌への投稿論文数は,日本が得意とした理工系でも10年間で10%以上減少。
 要因は,2004 年の国立大法人化による予算削減と研究条件の劣化である。 大学の危機をさらに加速させるのが,「英語による授業」の強要である。そう本書は警告する。
 高度で創造的な思考を支えるのは母語である。日本では明治以来の努力で大学院教育まで日本語で行える。そのおかげで,多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた。ところが,政府は「グローパル人材育成」策として大学の授業を英語で行えば補助金を出す「亡国の教育政策」を行っている。背景には「英語力= 研究力=経済力=国際力」という無知と幻想がある(第1章)。
 補助金を目当てに,たとえば京都大学では外国人教員を100人雇い,教養教育の半数を英語で行う。「自己植民地化・白己家畜化」である。その根は深く、米国が戦後実施してきた「対日文化工作j としての英語教育振興策に起因する(第2章)。
 政府は留学生倍増計画を進めるが、第3章を読めば,アメリカの大学が銃と性暴力,学費高騰.教育水準低下に蝕まれている実態に戦慄する。留学で英語に精力を奪われるよりも,日本語で深く思考し 憲法9条のような日本の良さ<地原理>を世界に広める言語教育が大切だ。そのために「日本人の,日本人による,日本人のための英語教育」が必要だと寺島氏は説く。
 氏はすでに,主として小学校英語教育の問題点を論じた『英語教育原論』(2007)、高校の「英語で授業」の危険性を指摘した『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギ-』(2009)を世に問うてきた。
 次期学習指導要領で小学校外国語が早期化・教科化され,中学校でも「英語で授業」 が強要されるいま、本書に加えて、前掲書を「寺島三部作」として読み直すならば,氏が日本の英語教育政策の病巣を名医の的確さで診断し処方姿を書いていることに感嘆する。
 「今の文教政策がこのまま進行すれば,日本の大学教育だけでなく,日本の公教育全学体が確実に亡びる」(あとがき)。子どもたちのために,そうさせてはならない。病気を根治させ,「母語を耕し、自分を耕し,自国を耕すための英語教育」を実現するのは.私たちの仕事である。そのための知恵と希望を本書は与えてくれる。必読書である。


書評 『英語で大学が亡びるとき』江利川春雄、『新英語教育』2017年6月号

英語の教科化で、早期退職に追い込まれる小学校教師

英語教育(2017/07/10) 小学校英語、英語の教科化、訓令式ローマ字、ヘボン式ローマ字、「寺島メソッド」、「センマルセン」、英語アクティブラーニング

『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』 『英語教育原論』

 最近、私が主宰する国際教育総合文化研究所の研究員から下記のようなメールが研究所の掲示板「研究仲間」に届きました。
 なお、ここで「山田先生」とあるのは、『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』の編集者である山田昇司(朝日大学准教授)を指し、このメールの送り主は小学校の校長をされているかたです。

山田先生
 中部地区英語教育学会(長野大会)への参加記を興味深く読ませて頂きました。
 今日、訓令式ローマ字から、ヘボン式ローマ字を、5年・6年の複式学級で教えました。担任がT2として入っています。
 例えば、sa si su se so を私が発音して、日本語の音と違うのはどれですか、と問いました。
 子どもは、si だと言います。「そうです。日本語はシだから、その音を表すのにshiと書きます。それがヘボン式ローマ字です」というように教えると、子どもたちは、大変よく理解します。
 45分でマスターして、自分の名前、住所も書けるようになりました。このクラスには、軽度の知的障害者も2名入っているのですが、一人の子はしっかりと理解していました。
 授業のあと、担任の先生と話したのですが、昨年まで、英語の授業が先生も苦痛、子どもも苦痛。格差は広がるし、子ども自身が何をしているのか、分かっていない。何も身に付いていない。先生も教えるすべも無い。引き出しがないのですから。
 6年の教科書で、例えば、Would you like ~ ? なんて文が、何の脈絡もなく出てきます。これで何の力が付きますか。3単現のSを避けるためだけの構成。
 文科省の小学校英語教科書を見てほしいと思います。この教科書を作った人に問いたい。45分の授業を年間35時間、子どもの知的興味を引き出しながら授業できますか? 英語学力の何を付けたいのですか。
 この教科書で自分が1年間授業してもらいたいと思います。現場の素人の先生の苦悩を知ってもらいたいと思います。
 英語の歌を使ったり自主教材を作成して、「寺島メソッド」で、英語の文字、英音法の「リズム打ち」、英文法の「セン・マル・セン」を、教えようと思っています。
 そうでもしなければ、英語の授業は絶望だけの時間です。中学校へ行く前から英語嫌いを増やすだけです。先生を責められない。どうしようもないのですから。
 来年から、「英語教科化」への移行措置で、5年、6年で年間15時間、増やすそうです。
 今後、ベテランの先生は5年、6年の担任を避けるでしょう。もしくは早期退職する人が出てくるでしょう。今更、英語など勉強できますか。そんな余裕がありますか。
 山田先生の参加記を読んで、近況報告を書きました。参考になれば幸いです。


 校長という職にあるひとは普通は授業をしません。
 しかし、この校長さんは現在の小学校における英語教育の惨状を放置しておくわけにもいかないので、学級担任に代わって自ら教壇に立ち、ローマ字の導入(訓令式からヘボン式への移行)のモデル授業をして見せたわけです。
 その報告が上記のメールでした。
 このメールでは、小学校英語の矛盾が赤裸々に綴られています。と同時に、この矛盾を少しでも解消する手段として「寺島メソッド」を使うことの有効性が述べられています。この校長さんによればその理由は次のとおりでした。

 そうでもしなければ、英語の授業は絶望だけの時間です。中学校へ行く前から英語嫌いを増やすだけです。先生を責められない。どうしようもないのですから。
 今後、ベテランの先生は5年、6年の担任を避けるでしょう。もしくは早期退職する人が出てくるでしょう。(今でも全教科を受け持って日々、疲れ切っている老齢の先生が)今更、英語など勉強できますか。そんな余裕がありますか。


そこでふと思いついたのが、月刊『英語教育』『新英語教育』に載せた「寺島メソッド」ワークショップの案内をこのブログにも掲載し、絶望しかけている小学校教師にも参加を呼びかけるという方法でした。
 このワークショップは中学・高校の英語教師を対象にしているのですが、今回のワークショップで取りあげる「三つの基礎教材」、「リズムよみ」という方法は、中学や高校だけでなく小学校の入門期でも、充分に楽しみながら使うことができます。
 この間ずっと私は小学校英語に反対してきました(『英語教育原論―英語教師、三つの仕事、三つの危険』明石書店2007を参照)。
 ですから、もうかなり前の話ですが、雑誌『プレジデント』からインタビューの依頼があったときも、ある岐阜県の小学校英語実践研究校から「寺島メソッドを小学校でも使いたいので許可と指導をお願いできませんか」という電話がかかってきたときも、お断りせざるを得ませんでした。
 しかし今、研究所の一員である校長さんから上記のようなメールが届き、さすがの私もこのまま放置するわけにはいかないと思うようになりました。そこで英語教育の月刊誌に載せた案内を、このブログにも再掲することにしました。
 この案内を偶然にでも見た読者が、知り合いの小学校教師に知らせてくれるかも知れないと考えたからです。
 絶望しかけている小学校教師、早期退職しようと思っている教師にとって、このワークショップが少しでも希望の星になれば幸いです。

国際教育総合文化研究所主催
『寺島メソッド英語アクティブ・ラーニング』ワークショップの御案内


以下の要項でワークショップをおこないます。ご応募いただければ幸いです

日時:8月8日15時―8月9日12時
場所:岐阜市・長良川ホテルパーク
講座内容: 寺島メソッド「リズムよみ」の指導、「三つの基礎教材」を使って(There's A Hole, The Big Turnip, The House That Jack Built)
講師: 寺島隆吉(国際教育総合文化研究所・所長)、山田昇司(同上級研究員・朝日大学准教授)、寺島美紀子(同上級研究員・朝日大学教授)
応募条件:当日までに『寺島メソッド英語アクティブ・ラーニング』(明石書店)をお読みの上、ご参加ください。
参加費:宿泊費・教材費・講師料を含めて30000円
申込み先・問合せ先
taka03@cameo.plala.or.jp、電話:058-297-1509
申込み締め切り:7月31日



 

書評 『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』―求められているのは外面的な「能動学修」ではなく、批判的創造力を培う「脳動学習」

英語教育(2017/01/16)、マケレレ原則、マケレレ(ウガンダ)、ブリテン連邦会議、「英語で授業」、「ザルみず効果」

書評『寺島メソッド_英語アクティブラーニング』『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』016_convert_20170116231540


  文部科学省は2016年2月2日、「読む・聞く・書く・話す」の4技能をみる中学3年対象の初めての英語力調査結果速報を発表しました。
 しかし、中学卒業段階で英検3級程度以上の英語力を持つ生徒の割合を2017年度までに50%以上にするという政府目標に対し、4技能とも2~4割にとどまっています。
 文科省は高校3年生9万人を抽出した2回目の英語力調査も行い、その結果も発表しました。しかし、4技能いずれの平均点も、英検3級程度の水準で、高卒時に英検準2級程度以上を50%にするという政府目標とは大きな差が出る結果となりました。
 私に言わせると、これは初めから予想されていたことです。英会話に偏重した授業では、私の言う「ザルみず効果」に終わることは目に見えています。憶えても使う機会がほとんどない日本では、いくら暗記しても脳に蓄積されていきません。「ザルに水を入れても溜まっていかないのと同じです。
 まして「日本語を使わずに英語だけで授業をする」という指導要領に従っているかぎり、生徒は教師の話す英語の説明が理解できないまま、会話のフレーズを暗記することだけを要求されますから、きちんとした読解力や作文力が授業で身につくはずもありません。むしろ学力は低下する恐れさえあります。
 このような事実を文科省も自覚したのでしょうか。文科省は「中学校・高等学校における英語教育の抜本的改善のための指導方法等に関する実証研究に係る計画書等の提出について」という通達(2016年3月31日付け)を全国の大学に送付し、英語教育を改善する方策の提言を求めました。
 しかし拙著『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』(明石書店、2009)でも詳述し、予想したように、英語学力の低下は「英語で授業」という方針がもたらした結果なのですから、最も簡単な解決策は、「英語で授業」という間違った方針をやめさえすればよいのです。
 ところが恐ろしいことに、文科省は新指導要領で、中学校でも「日本語を使わずに英語だけで授業をする」ことを、新しい方針として提示しました。これでは、ますます日本の英語教育は荒廃していくでしょう。
 しかし、「英語で授業」は、前回のブログ(2017/01/09、書評『英語の帝国』)でも指摘したように、大英帝国が植民地政策を維持するためにうちたてた「マケレレ原則」そのものなのですから、これでは、日本の「英語教育が亡びるとき」どころか、日本そのものが「亡びるとき」になりかねません。
 文科省は当面の方策なのでしょうか、「英語アクティブラーニング」ということを声高に言い始めました。しかし、「英語で授業」という方針を維持したまま、それに「英語アクティブラーニング」なるものをいくら重ねても、間違った土壌の上に豊かな果実が実るはずがありません。
 とはいえ、このような事態を放置しておくわけにもいきません。そこで明石書店のすすめに従って、私が主宰する研究所のメンバーで、それにたいする対案を提示することにしました。それが昨年11月末に出版された『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』という本です。
 幸いにも長周新聞(2016/12/28)がその書評を載せてくれましたので、それを以下に紹介させていただきます。
 本当は「緊迫する世界、混迷するアメリカ」についても書きたいことは多々あるのですが、そんなことをしていたら紹介が時期遅れになりそうなので、「監修者まえがき」併せて、以下にその書評を紹介させていただくことにしました。ご了解いただければ幸いです。

監修者まえがき

 このたび山田昇司先生の編集で『寺島メソッド、英語アクティブラーニング』が出版されることになり、喜びに堪えません。
 山田さんとのつきあいは、私が岐阜大学に赴任し、1986年に「記号研」という英語教育の実践的研究団体を起ち上げて以来ですから、もうすでに30年近くになります。
 しかし山田さんが、大阪外国語大学を出るとすぐ、「日本語を使わずに」「英語だけで授業をする」ことに熱意を燃やして初任校に赴任した、熱血教師だったことを、最近になるまで知りませんでした。
 外大在学中に英検一級に合格し、在学中もなるべく英語を使うように努力されていた山田先生ですから、その英語力を使って、英語の授業も日本語を使わずにやってみたいと思われたのは、たぶん自然な流れだったのでしょう。
 しかし私が岐阜大学に赴任して「記号研」を起ち上げ、月例研究会で実践報告をしていただいていた頃には、「英語だけ授業をしている」という報告を聞いたことがなかったので、初任校では英語だけで授業をしていたという話を聞いたときには本当に驚きました。
 というのは、山田さんは初任校から異動した次の学校では授業がなかなかうまくいかず困っていたときだったからです。そのときちょうど、私が高校教師から大学教師になり岐阜大学で「記号研」を起ち上げたのですから、今から思うと「記号研」は、まさに「渡りに船」(あるいは「駆け込み寺」)だったわけです。しかし当時の私は、このことを知るよしもありませんでした。

 私がこのことを知るきっかけになったのは、2012年の暮れ、宮城県立高校の佐々木先生(本書第7章)から「新しい指導要領の研究指定校になり、近隣学校の英語教師を集めた研修会を開くので、講演に来てほしい」との依頼を受けたからでした。当時の私は体調が優れなかったのと広島大学で講演をする予定だったこともあり、残念ながらお断りせざるを得ませんでした。
 そこで、すでに高校から大学に異動していた山田先生にピンチヒッターを御願いしたところ、「私は講演などしたことがないから無理です」と一度は断られたのですが、「自分がたどってきた軌跡と寺島メソッドによる現在の授業について語ってもらうだけでよいと佐々木先生も言っています」「あらかじめ原稿を書いていって読み上げればいいんですよ」「心配なら講演原稿は私が援助します」と言って引き受けてもらったのです。
 こうして私は、英語教師として山田さんのたどってきた軌跡「英語と私」を読んで初めて、山田先生が初任校で、文科省が言い出す38年も前に、「英語で授業」の先行実践をしていたことを知ったのでした。この講演に至る経過と講演内容は、その後、一冊にまとめられて『英語教育が甦えるとき―寺島メソッド授業革命』になりました。
 幸いにも、この本は地道な売れ行きを見せました。文科省が「英語で授業」を言い出したので、それにどう対処してよいのか困っている先生方に、この本が何らかのヒントになったからではないでしょうか。拙著『英語教育が亡びるとき―「英語で授業」のイデオロギー』が一種の理論書であるとすれば、山田さんの本が実践書になり、その相乗効果だったのかも知れません。

 それはともかく、山田さんの『英語教育が甦えるとき―寺島メソッド授業革命』が堅実な売れ行きを見せたからでしょうか、今度は拙宅を訪れた編集部から「寺島メソッドの概論書を出してほしい」との要求が山田さんあてに出されてきたのです。山田さんも私も、これには大いに驚かされました。というのは実践書と違って概論書というのは非常に書きづらいものだからです。
 そこで私たちの方が困惑しているうちに時間がたち、今度は編集部から、「いま文科省では、英語だけでなく全科目に『アクティブ・ラーニング』を要求するようになった。ついては『寺島メソッドで始めるアクティブ・ラーニング』といったような内容で、寺島メソッドを紹介する本というのはどうだろか」という新しい提案が出されてきました。
 文科省が今頃になって「アクティブ・ラーニング」などと言い出すと、今まで自分たちが出してきた指導要領は生徒を能動的学習者にすることに欠けていたことになり、自分たちの非を認めるようなことになりはしないかと心配になったのですが、指導要領を改訂するたびに学力が低下していく現状を何とかくいとめようとする努力の一環として受け止めることにしました。
 そこで山田さんと相談したところ、「寺島メソッドが『記号研』発足以来めざしてきたのは、まさに文科省の言うアクティブ・ラーニングそのものでした。生徒が寺島メソッドで『能動学修』をし、それが見かけ上の華やかさだけでなく、頭脳も充分に活性化して『脳動学習』になっていることは、これまでの30年の実績で充分に証明されているのではないでしょうか」という返事でした。
 そして、「寺島先生の監修=指導と援助さえいただければ何とか頑張ってみます」という返事をいただいたので、やっと今回の出版に漕ぎつけることができたのでした。
 最初は山田さんの単著という企画で出発したのですが、それが編著になったいきさつについては、序章に詳しく書いてあります。結果として、このほうが良かったと思っています。
 次々と指導要領が変わるたびに、それに翻弄され、心も体も疲れ切っているであろう現場の先生方に、本書が少しでも希望と活力を与える「水源地」になることを願ってやみません。

 最後になりましたが、私たちの細かな要求にも丁寧に対応していただき、編集部の森さんには本当にお世話になりました。この場を借りて厚く御礼を申し上げたいと思います。
( 2016年10月18日)



書評『寺島メソッド_英語アクティブラーニング』長周新聞2016年12月28日(1)_convert_20170116204648
書評『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』長周新聞2016年12月28日(2)


書評 『英語の帝国』 ― 植民地化の言語政策を自ら求めた文科省

書評(2017/01/09)、マケレレ(ウガンダ)、ブリテン連邦会議、マケレレ原則、ロバート・フィリプソン『言語帝国主義』

赤旗書評『英語の帝国』
                       出典:「読書文化欄」『しんぶん赤旗』2016年12月11日
 

 前回のブログでは、昨年末は講演や書評などの新聞原稿に追われて、ブログを書くどころか喪中ハガキすらも出しそびれてしまったお詫びを書きました。
 上記に掲げたのは、出典にも示したように、『しんぶん赤旗』の求めに応じて書いた、その書評です。660字という制約があったため非常に苦労しました。短い記事を書く方がはるかに難しいことを改めて実感しました。
 たとえば書評で私は次のように書きましたが、実はマケレレ会議で確認された原則は三つではなく五つでした。しかし字数の関係で、どうしてもその全てを紹介することはできませんでした。

というのは、一九六一年にウガンダのマケレレで開かれたブリテン連邦会議で、次のような信条が確認され、イングランド語を「英語の帝国」として拡大していく際の原則とみなされるようになったからである。
「英語は英語で教えるのがもっともよい」
「理想的な英語教師は英語を母語とする話者である」
「英語学習は早いにこしたことはない」…


 とはいえ、この三つを紹介するだけでも、私が主張したかった次の論点は、何とか読者には納得していただけるのではないかと思って、残りの二つの紹介は断念することにしました。

不幸なことに、旧植民地を大英帝国の属国として維持するためにまとめられた諸原則が、いま日本で小学校から大学にいたるまで大手を振ってまかりとおっているのである。


 では「残りの二つ」とはどんな内容だったのでしょうか。『英語の帝国』(200頁)によれば、それは次のような二項目でした。

「英語に接する時間は長いにこしたことはない」
「英語以外の言語の使用は英語の水準を低下させる」


 これもまた、いま文科省が導入しようしている英語教育政策そのものです。「英語に接する時間は長いにこしたことはない」という間違った論拠に従って、来年度から小学校英語は三年生から導入され、五年生からは「教科化」されるからです。
 このような風潮が続けば、あと数年もしないうちに「三年生から導入してもあまり教育効果が見られないから一年生から導入すべきだ」という声が強くなることは目に見えています。
 あまり教育効果が見られないのは、導入時期の問題ではなく、小学校英語というのは、その性格上、私の言う「ザルみず効果」に終わるしかないからです。
 拙著『英語教育原論』第三章「小学校の英語教育を再考する」で詳述したように、日常的に使う場のない日本では、丸暗記を強要された単語や言い回しは、「ザルに水を入れる」のと同じく、脳に溜まっていかないからです。
 しかも英語を丸暗記するのに浪費された膨大な時間は、小学校における他教科の時間を削減させることにつながり、必然的にノーベル賞を生み出した基礎学力、国語力や数学力といった基礎学力を低下させることにつながるでしょう。
 また、「英語以外の言語の使用は英語の水準を低下させる」という原則をひとつの口実として、大学では第二外国語の学習は必修から外されてしまいました。実際、私が定年まで勤務していた大学では、主として工学部から「教養科目でドイツ語や中国語をやる必要はない。英語だけ使えるようにしてくれればよい」という強い声がありました。
 こうして、それに代わって登場したのが文科省の「専門科目や大学院までも英語で教えろ」という政策でした。そして、このような方向で「国際化」をはかる大学に巨額の補助金を出すという、間違った「国際化=アメリカ化」が、いま強力に推進されているのです。
 そして他方で、全国の国立大学への交付金は毎年のように削減され、今では非常勤や期限付きの教員が全教員の過半数を占める勢いになってきています。
 これで、どうして腰を落ち着けて研究や教育に専念できるでしょうか。若手研究者は次の就職先を探すために多大な精力を割かねばならなくなるのですから。
 こうしていま日本では、「マケレレ会議の原則」「旧植民地を大英帝国の属国として維持するためにまとめられた諸原則」が、小学校から大学にいたるまで、大手を振ってまかりとおっているのです。そして、その究極の到達点を示したのが、TPPの調印文書だったのではないでしょうか。
 カナダ政府がケベック州の公用語がフランス語だという理由だけで仏語版の協定文書もつくるよう要求したにもかかわらず、日本政府は正式文書として日本語版を要求せず英語版だけで、しかもその内容を国会議員に明らかにしないまま、批准を強行しようとしたのです。「英語の帝国」の属国として面目躍如たる活躍ぶりです。

 ところで、インターネットで調べていたら、『英語の帝国』の書評が東京新聞(2016年11月13日)にも載っていることを知りました。その一節に次のように文言がありました。

各地域・各時代の言語政策についての分析はどれも興味深いが、とりわけ示唆に富むのは、インドとアフリカの例である。ガンジーは英語が「文化的簒奪者(さんだつしゃ)」であり社会階層の分断を招くため「国民語」にはなり得ないと考えたが、それに反して子供の将来を案ずる親たちは英語教育に熱心であった。ここには、英語帝国主義が「上からの強制」だけでなく「下から迎合」して「文化的自殺」を遂げる者がいて完成するという残酷な原理がある。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2016111302000184.html


 確かに『英語の帝国』は、このような“英語帝国主義が「下から迎合」して「文化的自殺」を遂げる者がいて完成する”という事例を数多く紹介していることに、その特徴のひとつがありました。しかし、そのことを強調しすぎると、英語帝国主義が広まっていったのは民衆がバカだったからだということになりかねません。
 私が昨年の夏、お盆の墓参りに能登半島へ行ったとき、そのついでに亡くなった母の実家を訪ねたところ、私の従妹(いとこ)が「近くの部落に英会話スクールができたので、孫がそこに通っている」という話をし出して私を驚かせました。こんな田舎にまで英会話スクールが進出したことに驚かされたのです。
 しかし私は、その家族が「英語の帝国」に「下から迎合」して「文化的自殺」を遂げているとは思いませんでした。むしろ「英語の帝国」に「上から迎合」して「文化的自殺」を遂げているのは政府文科省であり、その犠牲者が「孫を英会話スクールに送り出している一般民衆」ではないかと思い、憤りと悲しみを禁じ得ませんでした。
 上記の評者は自分の書評を次のように締めくくっています。

アメリカ主導の「新自由主義」的グローバル資本主義の時代に、そのシステムに最もよく適合する人的資源たらんとして「英語熱」に浮かされること。それは「自己植民地化」にほかならない。「英語の帝国」史の警告である。


 このような批評は一見すると、私たちに警告を発するように見えるのですが、よく考えてみると、「英語熱」を煽っている政府・文科省と、それに便乗して儲けようとしている教育産業を免罪することになりかねない、と私に思われました。
 まして、このような「英語熱」を煽っている政府・文科省の背後には、更にもっと大きな怪物がいて、その「英語の帝国」が、現在の世界の流れ、すなわち新自由主義的グローバル資本主義をつくりだしているのであれば、そのことをきちんと指摘することこそ、評者の勤めではないでしょうか。
 というのは、英語教育を通じてアメリカによる文化工作がおこなわれ(拙著『英語で大学が亡びるとき』で1950年代の京都大学の例を示しました)、それを政権転覆につなげようとする動きが、いまだに世界の各地で存在するにもかかわらず、日本の大手メディアはそのような動きに全く無自覚・無防備であるように私には見えるからです。
 たとえば、ブログ「マスコミに載らない海外記事」の「フェトフッラー・ギュレンとは、一体何か?」という翻訳記事(2016年9月5日)には次のような事実が紹介されていました。

 MIT(トルコのCIA)の元外国諜報部長で、1990年代中期に、タンス・チルレル首相の首席諜報顧問をつとめたオスマン・ヌリ・ギュンデシが、2011年、トルコ語のみで本を刊行した。
 そのときギュンデシは85歳で、すでに引退していたが、その本で、1990年代にユーラシア中に広がっていたギュレン学校が何百人ものCIA工作員の基地になっていたことを暴露した。彼ら工作員は「母語として英語を話す、英語教師」を装っていた。
 ギュンデシによれば、キルギスタンとウズベキスタンの学校だけでも、ギュレン運動は「130人のCIA工作員を匿(かくま)っていた」。しかも彼らアメリカ人の「英語教師」全員がアメリカ外交官のパスポートを持っていたという。
 これは、普通の英語教師にとって到底ありえないことであり、実に示唆的だ。(和訳は寺島がいちぶ改訳した)


 上記で「ギュレン学校」「ギュレン運動」と言われているのは、「アメリカ在住の亡命トルコ人フェトフッラー・ギュレン」というイスラム教指導者が、CIAの庇護のもと、世界的に展開している運動で、今度のトルコにおけるクーデターも、この人物が陰の立て役者だったと、原文のウィリアム・イングドールは主張しています。
"What is Fethullah Gülen?"
http://journal-neo.org/2016/07/25/what-is-fethullah-gulen/
 ことの真偽は別にして、いずれにしても、CIA工作員が「英語を母語とする英語教師」を売り物にして(しかも外交官のパスポートを持って)ユーラシア大陸で暗躍していたという事実だけは間違いないようです。
 ここでも、1961年にウガンダのマケレレ会議で確認された「理想的な英語教師は英語を母語とする話者である」という原則が、みごとに活用されていることに、私たちは留意すべきではないでしょうか。
 それこそが「英語の帝国」史から私たちが学びとるべき教訓ではないのか。そのように私には思われました。


 

「英語が話せないのは日本人だけ」という神話、その3

チャータースクール、小中一貫の「義務教育学校」、中高一貫の「中等教育学校」、英語教育の外注(アウトソーシング)・民営化、英語教育(2015/09/08)

目次
1 はじめに
2 EUでも6割のひとが英語を解しない
3 何が英語学習・外国語学習を促すのか
4 教育を破壊する、「ザルみず効果」の英語教育
5 英語の害悪―公教育の民営化・差別化


5 英語の害悪―公教育の民営化・差別化
 先述の調査では、言語学習を阻害する要因として「時間がない」「十分なモチベーションがない」「費用がかかりすぎる」の3つをあげ、他方で言語学習を促進する要因については、「授業が無料であること」「金銭的な補助が受けられること」の2つが常に上位に挙げられていました。
 すでに紹介したように、「授業が無料であること」「金銭的な補助が受けられること」が、「十分なモチベーション」を持つ学習者には極めて効果的であることは、岐阜大学留学生センターの日本語プログラムでみごとに証明されています。彼らには短期集中型のプログラムで「無料」で「十分な学習時間」を与えられていたからです。
 とすると、政府文科省も英語教育に実を上げたいのであれば、全国に英語教育センターを設置し、「動機・目的が明確である学習者」に、留学生センターでおこなわれているのと同じような短期集中型の英語教育プログラムを、「無料」で実施すればよいだけなのです。
 そうすれば小学校英語に莫大な金を費やす必要もありませんし学校教育をゆがめる恐れもなくなります。また莫大な金をかけて外国人教師を輸入し小学校から大学に至るまで、くまなく配置する必要もありません。そこで浮いた予算を英語教師の海外研修に充てるほうが、はるかに英語教育に有益です。
 政府・文科省がこのような政策をとらないのは、そんなことをすると教育産業から強力な抗議や圧力があるからでしょう。公教育で教育効果が上がるのであれば、わざわざ英会話教室に行ったり、高価な英語教材を買う必要がなくなるからです。教育産業が儲かるためには、学校教育が効果を上げてもらっては困るのです。
 民営化できるものはすべて民営化して企業に儲けさせるのが現政府の経済政策ですから、英語教育もできるだけ外注(アウトソーシング)あるいは民営化し、経済活性化の道具として使いたいのでしょう。だからこそ、「大学入試もTOEFLなど民間企業が開発した検定試験を使え」という方針が出てくるわけです。
 もし現行のセンター試験に不備があるのであれば英知を集めてさらに優れた入学試験を開発させればすむ話で、わざわざ莫大な血税を民間の試験に浪費する必要はありません。ましてアメリカ企業が開発したアメリカ留学用のTOEFLに、莫大な血税を無駄遣いする理由は、まったく見当たりません。事実、他の教科はすべて自前の試験で間に合わせています。それとも将来は、他の入試科目もすべて民間会社に外注するつもりなのでしょうか。
 あれほどたくさんのノーベル賞受賞者を生み出している日本の知性が、TOEFLやTOEICに代わる、もっと良い入試問題をつくりだせないはずがないのです。それをしないでアメリカで開発された資格試験を使えというのは、どう考えても無理があります。考えられる国内の理由としては経済活性化策あるいは教育産業による圧力、そして外国の教育産業からの圧力以外に考えられません。もう一つ考えられるとすれば、ALTを無理やり輸入させられたときと同じように、貿易赤字を理由にしたアメリカ政府からの圧力です。
 いずれにしても、政府文科省の英語教育政策は、本当に国民の言語力を高める施策としては、あまりにも稚拙かつ強引すぎるのです。「英語の授業は日本語を使わず英語でおこなう」という方針についても同じです。もし「外国語を教えるときに日本語を使わないほうが教育効果があるのであれば、NHKの外国語講座はずっと以前からそうしていたはずです。しかしいまだに日本人が日本語を使って会話練習をしています。外国人がいても補助役にすぎません。そのほうが無駄がなく能率的だからです。
 このように考えてみると、政府文科省が「英語を話せないのは日本人だけ」という言説を振りまきつつ、学校教育のありかたを根本的に改革(改悪?)していることに、私は大きな危機感を感じています。そのひとつは英語教育の改革(=改悪)を突破口にして、公教育の民営化が将来どんどん進行するのではないかと思うからです。大学入試が民間企業に外注されようとしていることは、TOEFLその他を大学入試に使えという圧力になっていることは先に述べたとおりです。
 このような流れが強くなれば、将来は大学入試そのものを民間企業に任せようという動きが出てくる可能性は十分にあります。私学では入学生を確保するため1年間に何度も試験をするところが少なくないのですから、入試問題の作成や採点の負担から逃れたい教員が、このような動きを支持するかも知れません。今までは文科省と地方自治体が責任をもって全国の学校に配置していたALT(外国語指導助手)も、最近はその採用を民間の派遣業者に委託するところが増えているのですから、このような動きはますます強くなる可能性があります。
 アメリカでは、市民が手作りで立ち上げる学校という名目で「チャータースクール」が広がり、公教育の解体・民営化が着実に進行していますが(同時にこれは公立学校の組合解体と軌を一にしています)、同じことが日本でも広がらないという保証はどこにもありません。すでに国立大学は法人化され、学長権限の強化や大学財源の民間依存など、大学の運営形態も企業経営にますます近くなっています。アメリカは、ずっと以前から医療・保険・教育分野の規制緩和を強く迫ってきていたのですから(医療と保険についてはすでに一部は実現してしまっています)、同じことが大学以下の公教育についても進行するのではないかと私は恐れています。
 ところで、「英語を話せないのは日本人だけ」という言説をひとつの根拠にして進行している、もうひとつの「公教育のゆがみ」は、小中一貫校を制度化する動きです。このたび国会では改正学校教育法が成立し、2016(平成28)年度から小中一貫教育を実施する「義務教育学校」が創設されることになったからです。表向きの理由として、これによって子どものつまずきの大きな原因の一つである「中1ギャップ」が解消できるといったことがあげられていますが、この裏には小学校英語教育の先取り実践が大きく関わっているように思われるのです。
 精神年齢から言うと、中高一貫校をつくるほうがむしろ自然ですし、「高1ギャップ」のほうがもっと大きいのですから、「中1ギャップ」が解消できるという理由で小中一貫校をつくるというのは、あまり納得できる説明とは言えません。むしろ学校統廃合のために安易に利用される危険性のほうが大きいでしょう。
 実際、複数の小学校を統廃合するに当たり保護者や地域住民を説得する理由として小中一貫教育の導入を掲げるケースは少なくありません。これまでは郵便局や小学校の存在が地域を守るかなめになっていたのですが、このような統廃合は過疎地の部落をさらに過疎化させ崩壊させていくでしょう。すでにアメリカの要求で郵政が民営化され、郵便局が廃止された集落も少なくないからです。
 また、過疎化しているから統廃合して小中一貫校をつくるというのは、そもそも教育の原理から言うと間違っているのです。なぜならフィンランドはOECDの学力調査で世界のトップをいく国として有名ですが、国土に比して人口が少ないため過疎地に小学校があり、複式学級が普通になっています。つまり少人数教育が徹底しているから学力世界一になっているとも言えるのです。
 日本もそのような理想的な環境に近づきつつあるときに、それを統廃合して大学級にするというのは、全くばかげた行為としか言いようがありません(日本でも全国学力調査で一位になったのは過疎地の多い秋田県や福井県でした)。これでは、統廃合して小中一貫校をつくるというのは、教育予算を削りその分を軍事予算に回そうとするための工作ではないかと疑われても仕方がないでしょう。
 ですから、統廃合して小中一貫校をつくるというためには、別の理由づけが必要になります。そこで口実として使われるのが、「英語が話せないのは日本人だけ」→「だから英語ができる日本人を育てる」→「そのためには小学校からの英語教育が必要」→「小学校からの英語教育を効果あらしめるためには小中の連携が不可欠」という論理です。
 つまり、市区町村教育委員会が政府文科省の指導で、小中一貫校の「義務教育学校」を進めようとするとき、そのもう一つの口実となっているのが「小学校における英語教育の実を上げる」という言い方なわけです。
 その証拠に、私の住む岐阜県の小中学校をみていても、小学校英語を充実させることを選挙公約に掲げて当選する市長や町長が目立ちます。そこでは、小学校英語を充実させるためと称して中学校の英語教師が小学校に送り込まれたり、小中共同の研究会が頻繁に開かれたりしているからです。
 たとえば多治見市笠原小学校は、笠原中学校と連携して、2008年10月31日(金)に「文部科学省指定・研究開発学校(英語)第2期、笠原小中一貫教育公表会」と銘打って大々的な公開授業をおこない、全国からたくさんの参観者が訪れたそうです。
 しかも最近は、この「小中の連接を踏まえた英語教育の在り方~笠原型コンテント・ベイストの手法を用いて」をテーマとする公開授業が毎年のように開かれ、今年度は中学校英語の公開授業は300人の参観者を収容できる中学校の体育館を使い、小学校英語の公開授業は、そこからバスを何台も仕立てて笠原小学校へ移動するという力の入れようです。
 しかし小学校英語は見かけは華やかなのですが、実態は「ザルみず効果」に終わることが多く、基礎学力を荒廃させる危険性が極めて大きいのですから、時間と予算を浪費する分だけ有害無益であることは、これまで何度も述べてきたので繰りかえしません。ここで私がもっと問題にしたいのは、小学校英語を口実にした中高一貫校は、学校格差をさらに広げてしまうという点です。
 もともと、「初等教育」と「中等教育」を分けたのは、子どもの発達過程を踏まえていたからでした。「思春期」「反抗期」を迎えた若者の教育を「中等教育」としてひとまとめにしたのは、この年齢の指導は「初等教育」とは違った困難さがあり、指導方法も「初等教育」とは違わざるを得なかったからです。ですから一貫教育をすべきだというのであれば、「小中一貫」ではなく「中高一貫」にすべきでしょう。
 小中一貫の「義務教育学校」が問題なのは、この学校が上記のような教育原理を踏みにじっているだけでなく、学校格差と貧富の格差を固定する危険性があるからです。現在でも「中高一貫校」は私立学校が多く、今では東大・京大・慶応・早稲田のような難関大学への進学者の多くは、このような私立の有名な「中高一貫校」で占められています。しかも、このような私立の有名な「中高一貫校」に進学できるのは一部の裕福な家庭の出身者だけです。
 公立・国立の「中高一貫校」もないわけではないのですが、数が限られていて、ここに進学するのも並大抵のことではありません。高倍率・高得点のところが多いのですから、家庭教師をつけてもらえたり学習塾・予備校に通わせてもらえる裕福な師弟が進学できることになります。それに反して、そのようなゆとりがない家庭の師弟は、貧困者が通う小中一貫の「義務教育学校」ということになります。学習塾・予備校が存在しない田舎や過疎地の若者も当然このような公立・国立の「中高一貫校」に進学する機会を奪われます。
 しかも私立の「中高一貫校」では文科省の指導要領による縛りが非常にゆるいので、「英語で授業」をしなくても監視されたり校長に呼び出されて注意されることもありません。有名大学への進学率を上げてくれさえすればよいので、日本語を使って説明しながら文法や読解にもたっぷり時間をさくことができますから、入試でも高得点をとらせることができます。こうして、ますます「小中一貫校」への進学者と「中高一貫校」への進学者との間に格差が広がっていきます。
 これは同時に貧富の格差を拡大再生産します。なぜなら「中高一貫校」への進学者の進学者は有名大学に進学し、大学を卒業したときの就職先も当然ながら高給が得られるところになるからです。他方、公立学校の「小中一貫校」へ進学する圧倒的多数の貧困者や中産階級の若者は、有名大学に進学できませんから、就職先も派遣社員などが多くなり、その大多数が非正規労働者になっていくでしょう。アメリカでは公立学校と言えば、黒人やラテン系アメリカ人など貧困者が通う学校になってしまっていますが、同じ状況が日本にも出現することになるかも知れません。
 そして、このような学校格差を生み出す元凶、貧富の格差の拡大再生産の元凶が、「英語が話せないのは日本人だけ」→「だから英語ができる日本人を育てる」→「そのためには小学校からの英語教育が必要」→「小学校からの英語教育を効果あらしめるためには小中の連携が不可欠」という論理だったとすれば、英語が果たす罪は極めて重いと言わねばなりません。だとすれば、このような悪循環を断ち切る道は、「英語が話せないのは日本人だけ」という神話を打ち砕く以外にはありません。この小論がそのための一助になれば幸いです。(完結)

「英語が話せないのは日本人だけ」という神話、その2

言語間距離、「ザルみず効果」、英文法の幹・英音法の幹、OECD「国際成人力調査」、記号研方式、英語教育(2015/09/06)

目次
1 はじめに
2 EUでも6割のひとが英語を解しない
3 何が英語学習・外国語学習を促すのか
4 教育を破壊する、「ザルみず効果」の英語教育
5 英語の害悪―公教育の民営化・差別化



3 何が英語学習・外国語学習を促すのか
 話しが少し横道にそれたので本題に戻します。これまではEUの推進する言語政策が「母語プラス2言語」であるにもかかわらず、EUのなかで英語を知らない・話せないひとが6割強もいることをみてきました。
 文字も文法もほとんど同じであり「言語間距離」がきわめて小さい言語を母語とするひとたちが生活している言語空間で、しかも通貨も統一され人間の移動も自由になった政治経済空間なのですから、もっと英語が話せるひとが増えてもよさそうなのに、それが38%にとどまっていることは、やや信じがたい気もします。
 しかしEUのひとたちの6割もが英語を解せないという事実は、もうひとつの数字を見ると納得できないこともないという気になります。それは、この世論調査「ユーロ・バロメーター」の「学習状況」という項目が示す数字です。この先の論文では2005年と2012年の調査結果が載せられています。
 この二つの調査は設問が異なっていて、2005年は、「この2年間に言語学習をおこったか」「来年以降に言語学習を始める予定はあるか」という質問に「はい/いいえ」で回答する形式になっていますが、2012年は選択肢のなかから当てはまるものを選ぶ形式となっています。その結果は次のとおりです。

                   あり  なし   わからない
この2年間の言語学習      18%  81%   1%
来年以降の言語学習の予定  21%  75%   4%

表3 :学習状況(2005年)

この2年間に新しい言語の学習を開始 7%
この2年間に言語学習を継続 14%
最近の言語学習はなし、来年以降開始予定  8%
最近の言語学習はなし、来年以降の開始予定なし 44%
母語以外の言語の言語学習の経験なし     23%
わからない 8%

表4 :学習状況(2012年)


 上の表3(2005)で、まず驚かされるのは、「この2年間の言語学習」で「なし」と答えたひとが81%、「来年以降の言語学習の予定」も「なし」と答えているひとが75%にも上っていることです。
 では、表4(2012)ではどうでしょうか。二つの調査は設問が異なっているため単純に比較することはできませんが、先の表3で「この2年間の言語学習」「なし」に該当するものを、この表4で探すとすれば、次の三つを合計したものになりそうです。

最近の「言語学習はなし」、来年以降開始予定      8%
最近の「言語学習はなし」、来年以降の開始予定なし 44%
母語以外の言語の「言語学習の経験なし」        23%
                               合計 75%


    
 この三つを合計すると75%になり、表3の「この2年間の言語学習」「なし」の81%に近くなります。それでも「言語学習はなし」が81%から75%に減ったのですから、EUが多言語主義を掲げ「母語プラス2言語」という政策を打ち出して旗を振った効果が少しはあったとも言えます。
 しかし2012年の時点でも、「言語学習はなし」が75%にも上っているのですから、やはり「EU人口の6割」は「英語を話せるほどには知ってはいない」というのは本当だったのです。国境を越えて人間の移動が自由なEUでさえこの状態なのですから、日本人が英語を話せないからといって何ら恥じることはありません。
 このことは、表3(2005)と表4(2012)を次のように組み替えて比較してみると、もっと歴然としてきます。

              2005年    2012年
この2年間の言語学習  18%    7%(開始)+14%(継続)=21%
来年以降、開始の予定   21%     8%
            合計  39%    29%



 ご覧のとおり「この2年間の言語学習」「来年以降開始予定」の合計は、2005年度では39%だったのに、2015年には29%にまで減少しているのです。つまりEUが多言語主義を掲げ「母語プラス2言語」という政策を打ち出しても、「笛吹けど踊らず」という状況なのです。
 国境をこえて自由にひとが移動できる環境にあるはずのEUで、なぜ外国語学習が停滞しているのか。その理由を先の論文では次のように分析しています。

いずれの年も「言語を学習している/始める予定である」と回答したのは2割程度にとどまっている。またそれぞれの調査では、年代別、社会階層別の比較も行っているのだが、肯定的な回答の割合が高いのは、前者では最若年層(15-24歳)、後者では学生と管理職である。
 つまり学業を終えた人の大半は言語学習を行わないということである。これは、2005年と2012年の学習方法についての調査(複数選択可)で、「学校の授業」という回答が6~7割であったのに対し、「語学学校に通う」「CDやDVDを使って一人で学習」といった学外での学習については軒並みl割程度に過ぎなかった結果からも明らかになっている。
 このように学校教育のみに依存した言語学習が、先に紹介した各言語のレベルが横ばいであることと各年代の「母語プラス2言語」の割合が上昇していないことのもうひとつの説明要因になっていると考えられる。(前掲論文45-46頁)


 つまりEUでは、学校を卒業すると、ほとんどのひとは言語学習・外国語学習をしていないのです。しかしそれでも言語学習に熱心な国もあります。その事情を先の論文は次のように述べています。

これまで述べてきたように多くの市民が意識レベルでは多言語能力を職業能力や経済性と関連づけているにも関わらず、実際はそれに十分な水準に達していないことが明らかになった。こうした現状を説明するのが、その言語使用が主に高い水準も頻度も求められない余暇に限ったものであることと、言語学習の学校教育に対する極度なまでの依存であったことはこれまでに述べてきた通りである。(中略)
 しかし[意識レベルすなわち「学習目的」にかんする] 2012年の調査結果には、もうひとつ、近年の欧州金融危機に始まる景気の低迷や雇用の不安定といった社会情勢も影響していると考えられる。例えば、EUの財政支援を受けたギリシアと現在支援を検討中のスペインは、2012年の調査で、「国外で仕事をするため」の回答がそれぞれ73%、79%、「自国で良い仕事に就くため」の回答がそれぞれ69%、60%で参加国中の1、2位であった。(48頁)


 要するにEUでは「母語プラス2言語」の旗が大きく振られていたにもかかわらず、多くの人はそれほど言語学習に熱心ではないのです。ただし経済的に大きく落ち込んでいて失業率が極めて高いスペインやギリシアなどでは言語学習にたいする意識が極めて高いことが分かります。
 私が退職する年(2010年)に訪れたギリシアでは経済危機が始まったばかりの頃でしたが、ストライキが頻発し、私がギリシアから帰国しようとしたときもタクシー会社のストとで、一時は空港までたどりつけるか危ぶまれる状態でした。このような状態では、「国外で仕事をするため」あるいは「自国で良い仕事に就くため」の外国語学習が盛んになるのは当然とも言えます。
 現在のギリシア経済は当時よりもさらに深刻ですから、国外脱出への流れはさらに強まっていることでしょう。これを逆に言えば、日本人が英語を話せないのは、危機感がそれほど強くないということであり、それは幸せなことだとも言えるわけです。本当に必要があれば、私がベトナムで出会ったストリート・チルドレンが学校に行けないにもかかわらず英語で観光客に土産物を売っていた状態になっていたでしょうから。
 それどころか彼らは私が日本人だと分かると即座に日本語に切り替えてきました。要するに生活に追い詰められれば学校に行かなくても外国語を話せるようになるのです。

4 教育を破壊する、「ザルみず効果」の英語教育
 私は先に、EUでは、国境をこえて自由に移動できる条件があるにもかかわらず、学校を卒業すると、ほとんどのひとは言語学習・外国語学習をしていないことを紹介しました。それに引き替え、日本の英語学習熱は燃えさかる一方です。
 インターネット上では様々な英会話教材の宣伝であふれていますし(中には50万円以上もするものもあります)、「小学校低学年に英語教育を実施する」を選挙公約の目玉にして市長に当選する人物も出てくる始末です。まさに「英語狂育」であり「英語狂騒曲」とも言うべき状況です。
 このような現象を生み出している第一の元凶は政府文科省にあると言うべきでしょう。なぜなら「英語が話せないのは日本人だけ」という言説を振りまいて、「英語ができないひとは人間ではない」かのように日本人を劣等感や強迫観念で満たしつつ英語学習に駆り立てているからです。このような文教政策は教育産業を儲けさせることに貢献しても、日本人の創造力・研究力を高めることに貢献しません。
 というのは、日本のような言語環境では、学校で(あるいは塾・英会話スクールときには市販教材で)いくら会話学習をしても使い機会がありませんから、憶えてもすぐ忘れてしまいます。私の言う「ザルみず効果」です。ザルに水をどれだけ入れても溜まっていきません。お金と時間と精力の途方もない浪費です。ですから、いま文科省が進めている言語政策は「1億総白痴化」「亡国の文教政策」というべきです。
 ですから日本の学校教育で必要な英語教育とは、いざ必要になったときに役立つ基礎学力、すなわち「英文法の幹」「英音法の幹」を身につけさせることだけです。このようなちからさえ身につけていれば、いざ必要になったとき集中訓練で、すぐに話す力をつけることができます。
 私が勤務していた岐阜大学では、ほとんどの留学生(院生・研究生)は留学生センターで3ヶ月の集中訓練を受けただけで大学の事務職員と日本語で意思疎通ができるようになりました。学習目的が明確で、環境さえ整えば、誰でも生活に必要な程度の会話力は身につけることができるのです。先の論文でも同じことを次のように述べています。

また学校教育で習得した異言語能力の持続性についても、今回の分析結果を見る限り疑問が残る。そこで考えられるのが生涯教育としての成人の言語学習である。学習状況の調査結果からも明らかなように、大半の市民は修学期間以降、言語学習を行っていない。
 ユーロ・バロメーターでは言語学習を阻害する理由と促進する理由についても調査しているが、前者については、「時間がない」「十分なモチベーションがない」「費用がかかりすぎる」の3つが、後者については、「授業が無料であること」「金銭的な補助が受けられること」の2つが常に上位に挙げられている。
 確かに2003年の行動計画には、「生涯を通じた言語教育・学習の推進」が挙げられているが、現状ではそれが十分に実行されているとは言い難い。(48-49頁)


 つまり学校教育だけでは「時間がない」「十分なモチベーションがない」「費用がかかりすぎる」の三つが言語学習の阻害要因となって効果が上がりません。だからこそ学校教育では「英文法の幹」「英音法の幹」を身につけさせてることだけに専念すべきなのです。また、これだけを習得させるのであれば中学・高校の授業だけで十分です。
 これは私の現場体験からも十分に立証することができます。手前味噌になりますが、私たちの研究会が現場で苦闘しながら研究・開発した「記号研方式」「寺島メソッド」で教えれば、英語を小学校から教える必要はありません。英語を読み書きする基礎学力、英語を聴解・発話する基礎学力は、中学・高校だけで教えることができるからです。<註>
 また学校教育に、それ以上のことは必要ありませんし、それ以上のことを学校に期待すると、学校教育がゆがんできます。学校教育は英語教育のためだけに存在しているではないからです。(その証拠にJapan As Number Oneと言われていた頃の企業は、すべて自前で、必要な社員に英語力を身につけさせていました。)
 なぜなら学力の土台をつくる言語力は、国語力(自然言語)と数学力(人工言語)の二つから成っていますが、英語学習に焦点をおいた学校教育・大学教育では、ともすれば暗記力や機械的練習だけに膨大な時間と精力を奪われることになりがちだからです。これは生徒・学生から、国語力・数学力だけでなく、「思考力」「創造力」すなわち「疑問を生み出す力」「批判的に考える力」を奪うことになります。
 何度も言うように、これは「亡国の教育政策」と言うべきです。いま日本はOECDの「国際成人力調査」で、国語力・数学力のいずれにおいても世界一の高学力を誇っていますが、このままでは早晩その地位を他者に明けわたさなければならなくなるでしょう。先述のとおり、ノーベル賞の受賞者数をみても、自然科学分野では世界のトップレベルなのですが、このような英語偏重の文教政策を続けていれば、この地位も危うくなるでしょう。
 繰りかえすようですが、英語が話せなくてもノーベル賞が取れることは益川敏英氏が証明してくれましたし、歴代受賞者のなかでアメリカで学位をとったひとは3人しかいないのです。私が調べた限りでは、受賞者のなかで子供の頃から英語に血道を上げた人はひとりもいません。ですから、むしろ小さいときから英語に血道をあげていたらノーベル賞はとれなかっただろうと考えるべきなのです。
 それどころか、「はじめに」で述べたとおり、ノーベル賞受賞者には、子どもの頃の遊びの重要性、たとえば「子どもの頃に山野をかけめぐったことが見る力・考える力を育ててくれた」(白川英樹)と言っているひとが多いのです。
 すでに日本は世界第二位だった経済力の地位を今や中国に明けわたすようになっているのですが、以上のことを考えれば、このような英語偏重の教育政策をとっていると(それは結果としてアメリカ追随の経済政策をとることにつながるわけですが)、日本の経済力にさらなる転落が待ち受けていることは間違いありません。


註: しかも、この「記号研方式」「寺島メソッド」は暗記力を必要としません。詳しくは拙著『英語教育が亡びるとき』の巻末に載せてある参考文献、あるいは山田昇司『英語教育が甦えるとき-寺島メソッド授業革命』明石書店2014、を参照ください。>

(次号に続く)

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狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

Author:狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

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