急速に失速・劣化しつつある日本の科学力(その2)――書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて

英語教育(2017/08/07)Nature Index Japan、中学校「英語による授業」、小学校英語「早期化・教科化」、大学入試の「外注」「民営化」、OECD国際成人力調査「国語力」「数学力」

        急速に落下する「世界での地位」     失速・停滞する「日本の論文数」日本の科学力1、TotaloutputScopus_high

  前回のブログでは、私が鹿児島講演に行かねばならないため、拙著『英語で大学が亡びるとき』にたいする江利川春雄先生(和歌山大学)による書評のみを掲載し、「いまは鹿児島への出立までに時間もありませんので、今回は江利川先生の書評のみを掲載し、それにたいする私の想いは帰郷してからにしたいと思います」と書きました。
 ところが岐阜に戻ってきたら、今度は、チョムスキーの新著Requiem for the American Dream:The 10 Principles of Concentration of Wealth & Power(『富と権力を超富裕層に一極集中させる10の原理:アメリカンドリーム葬送曲』)の初校に追われ、気がついたら、もう明日からの、国際教育総合文化研究所が主宰する「『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』のワークショップ」と「宿泊セミナー」が、目の前に迫ってきています。
 そこで慌てて、「急速に失速・劣化しつつある日本の科学力(その1)」の続編を、いま書き始めています。
 
 さて江利川先生の書評は次のような衝撃的事実の提示で始まっています。

 「日本の科学研究,この10 年で失速」。2017年3 月発売の英国科学誌『ネイチャ-』は,衝撃の特集を組んだ。主要科学誌への投稿論文数は,日本が得意とした理工系でも10年間で10%以上減少。
 要因は,2004 年の国立大法人化による予算削減と研究条件の劣化である。 大学の危機をさらに加速させるのが,「英語による授業」の強要である。そう本書は警告する。


 上記で江利川先生は、「大学の危機をさらに加速させるのが,『英語による授業』の強要である。そう本書は警告する」と書いておられましたが、事実、私は、『英語で大学が亡びるとき―「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』の「あとがき」を、次のように結んでいます。

 英国のタイムズ紙の高等教育情報誌THE(Times Higher Education)が一〇月一日に発表した世界大学ランキング二〇一四~二〇一五で、日本の大学がランクを下げて話題になりましたが、調べてみると、低下した一番の理由は在籍する外国人学生の数の少なさによるものであって、研究者の実力とは、ほとんど何の関係もありませんでした。
 現在の日本は、本書第3章でも詳述したように、OECD国際成人力調査の「国語力」でも「数学力」でもトップの位置を占めていますし、ノーベル科学賞の受賞者数も二一世紀以降はアメリカに次いで世界第二位です。
 しかしこれは、これまで積み重ねられてきた現場教員・研究者の血のにじむような努力に支えられて生み出された成果でした。
 いま極めて深刻なのは、文科省が教育改革という名の「改悪」をすればするほど、教員が置かれている教育・研究環境が悪くなり、生徒・学生の学力は低下しているという事実です。文科省自身による最近の調査でも、「高校三年生の英語力は中卒程度」でした(一〇月一日発表)。
 ですから、何度も言うように、このまま事態が進行すれば、OECDにおける日本の地位も、ノーベル賞受賞者数も、確実に転落・減少するでしょう。そんな不安を私はどうしても拭い去ることができません。私が本書を緊急に出版したいと思ったゆえんです。


 この私の予言を裏付けるかのような衝撃的事実が、英国科学誌『ネイチャ-』(2017年3 月発売)の「日本の科学研究,この10 年で失速」という特集記事でした。この特集記事によれば。主要科学誌への投稿論文数は,日本が得意とした理工系でも10年間で10%以上も減少しているというのです。
 そこで早速この衝撃的事実を、英国科学誌『ネイチャ-』(2017年3 月発売)で、確認しようと、書店を訪れたのですが、残念ながら手に入りませんでした。そこで、やむを得ずインターネットで調べてみたところ、Nature Indexは、そのホームページで、次のような記事を公開していることが分かりました。
*The slow decline of Japanese research in 5 charts
http://www.natureindex.com/news-blog/the-slow-decline-of-japanese-research-in-five-charts

 この記事では、上記で示されているとおり、五つの図表(5 charts)を使って「日本の科学力」の「失速・劣化」ぶりを説明しているのですが、しかし今は時間もありませんので、ここでは、その五つの図表のうち、日本の「失速・劣化」ぶりを最も分かりやすく示す二つの図表だけを取りあげることにします。
 その第一番目が、ブログ冒頭に掲げた「論文総数の時間的・年代的変化」です。このグラフは、日本・中国・韓国・イギリス・アメリカという科学先進国5カ国における、2005年から2015年までの論文発表数を示したものです。
 ブログ冒頭で紹介した図表を、もう一度、再掲すると次のようになります。
日本の科学力1、TotaloutputScopus_high
  左のグラフが「科学分野で発表された各国の論文の数の変化」、右のグラフは「全世界の論文発表数のなかで各国の論文発表数がどのくらいの割合を占めているのか」を示しています。
 日本の論文発表数は紫色の線で表されており、2005年から2015年にかけての発表は、数の上では横ばいです。しかし世界全体の発表数は年を追うごとに増加しているので、全体における割合は急激に低下していいます。それを歴然と示しているのが、右側のグラフです。
 なお、このグラフにつけられた解説では、引用文献データベース「Scopus」を元に作成されており、Scopus上の論文総計は2005年から2015年で80%増加しているにも関わらず、日本の論文数は14%の増加にとどまっている」と述べられています。

 (Japan is one of the world’s top research-producing nations. But, over the past decade its scholarly output has not kept pace with the average growth in publications around the world. While the total number of articles in Scopus increased by about 80% between 2005 and 2015, Japan’s output grew by a mere 14%.)
*Five Charts
https://www.natureindex.com/news-blog/the-slow-decline-of-japanese-research-in-five-charts
*Scopus
http://jp.elsevier.com/online-tools/scopus

 さて「日本の科学力」の「劣化・衰退」ぶりを示す、もうひとつのグラフが次のものです。
日本の科学力5、japnvsworld_high
 上記のグラフは、2015年に発表された日本の論文を、学問分野別(14分野)に分類し、縦軸で各分野における「世界の研究と日本の研究の相対的変動」を示したものです。
 グラフの横軸では、左から学問分野別に、薬学・物理学・化学・材料科学・エンジニアリング・生化学&分子生物学・神経科学・薬理学・コンピューター科学・数学・免疫学・植物科学・農学・天文学の順に、科目名が並べられています。
 これを見ると、14分野中11分野で日本は、世界平均のペースから遅れをとっていることが、よく分かります。論文発表数で日本が2005年よりも増加しているのは、薬学・数学・天文学の三つだけなのです。(ただし天文学だけは世界平均よりも良い結果となっています)。
 だとすれば、私が拙著「あとがき」で次のように述べたことが、このNature Index Japanで見事に証明されている、と言ったら言い過ぎでしょうか。

 ですから、何度も言うように、このまま事態が進行すれば、OECDにおける日本の地位も、ノーベル賞受賞者数も、確実に転落・減少するでしょう。そんな不安を私はどうしても拭い去ることができません。私が本書を緊急に出版したいと思ったゆえんです。


 江利川先生は、拙著の書評を、第1章を次のように要約し、また、書評の末尾を次のように結んでおられます。

 高度で創造的な思考を支えるのは母語である。日本では明治以来の努力で大学院教育まで日本語で行える。そのおかげで,多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた。ところが,政府は「グローパル人材育成」策として大学の授業を英語で行えば補助金を出す「亡国の教育政策」を行っている。背景には「英語力= 研究力=経済力=国際力」という無知と幻想がある(第1章)。
 ・・・氏はすでに,主として小学校英語教育の問題点を論じた『英語教育原論』(2007)、高校の「英語で授業」の危険性を指摘した『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギ-』(2009)を世に問うてきた。
 次期学習指導要領で小学校外国語が早期化・教科化され,中学校でも「英語で授業」 が強要されるいま、本書に加えて、前掲書を「寺島三部作」として読み直すならば,氏が日本の英語教育政策の病巣を名医の的確さで診断し処方姿を書いていることに。
 「今の文教政策がこのまま進行すれば,日本の大学教育だけでなく,日本の公教育全学体が確実に亡びる」(あとがき)。
 子どもたちのために,そうさせてはならない。病気を根治させ,「母語を耕し、自分を耕し,自国を耕すための英語教育」を実現するのは.私たちの仕事である。そのための知恵と希望を本書は与えてくれる。必読書である。


 江利川先生の、「氏が日本の英語教育政策の病巣を名医の的確さで診断し処方姿を書いている」という表現は、私にとっては褒めすぎで、何とも面映(おもは)ゆいものがあります。
 しかし、文科省が小学校英語を早期化・教科化し、中学校でも「英語で授業」を強要しているときだけに、全国の教育現場だけでなく父母や市民の間で、英語教育が議論される際に、拙著が「たたき台」になるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
 まして、いま政府・文科省が、英語の大学入試を民間業者に「外注」し、英語教育を利潤追求の場、教育産業の草刈場にしようとしているのですから、事態は深刻さを増すばかりではないか――私にはそう思えてならないのです。


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急速に失速・劣化しつつある日本の科学力(その1)――書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて

英語教育(2011/07/27)、Nature Index 2017 Japan、「英語による授業」、「グローパル人材育成」策、「白己家畜化・自己植民地化」、鈴木孝夫「地原理」

NatureIndexjapan2017.jpg 『英語で大学が亡びるとき―「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』


 お墓参り(墓掃除)のため石川県に出かけていたり、チョムスキーの新著Requiem for the American Dream:The 10 Principles of Concentration of Wealth & Power(『富と権力を超富裕層に一極集中させる10の原理:アメリカンドリーム葬送曲』)の初校に追われたりしているうちに、もう10日以上も経ってしまいました。
 鹿児島高教組教研集会「外国語部会」での講演を頼まれているため明日には鹿児島に向かわねばならないので、慌ててこのブログを書いています。いま書いておかないと、すぐ8月に入ってしまいますし、翻訳原稿の校正にも追われているので、どんどんブログから遠ざかってしまうことになりかねないからです。
 シリアやウクライナなど中東をめぐる情勢、フィリピンやベネズエラ情勢、中国や北朝鮮をめぐる情勢など、書きたいことは山積しているのですが、江利川春雄先生からいただいた拙著『英語で大学が亡びるとき』にたいする書評(『新英語教育』2017年6月号)の紹介と、それにたいする私のコメントも、早くしないと時期遅れになってしまいます。
 そこで今後しばらくは、「急速に失速・劣化する日本の科学力――書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて」という題名で、江利川先生の書評によって触発された私の想いを連載で書いてみることにしました。
 しかし、いまは鹿児島への出立までに時間もありませんので、今回は江利川先生の書評のみを掲載し、それにたいする私の想いは帰郷してからにしたいと思います。講演の準備に意外と時間を取られ、気がついたらもう時間がなくなっていたからです。どうかお許しいただければ幸いです。
 それにしても、本書に込められた「英語政策にたいする私の怒りや悲しみ」を、これほど的確にすくい取り、それを限られたスペースのなかで見事に表現していただいた書評を、これまでに読んだことがありませんでした。感動の一言でした。ただただ感謝あるのみです。この場を借りて改めて江利川先生に御礼を申し上げたいと思います。



書評『英語で大学が亡びるとき』明石書店、2015
江利川春雄(和歌山大学)


 「日本の科学研究,この10 年で失速」。2017年3 月発売の英国科学誌『ネイチャ-』は,衝撃の特集を組んだ。主要科学誌への投稿論文数は,日本が得意とした理工系でも10年間で10%以上減少。
 要因は,2004 年の国立大法人化による予算削減と研究条件の劣化である。 大学の危機をさらに加速させるのが,「英語による授業」の強要である。そう本書は警告する。
 高度で創造的な思考を支えるのは母語である。日本では明治以来の努力で大学院教育まで日本語で行える。そのおかげで,多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた。ところが,政府は「グローパル人材育成」策として大学の授業を英語で行えば補助金を出す「亡国の教育政策」を行っている。背景には「英語力= 研究力=経済力=国際力」という無知と幻想がある(第1章)。
 補助金を目当てに,たとえば京都大学では外国人教員を100人雇い,教養教育の半数を英語で行う。「自己植民地化・白己家畜化」である。その根は深く、米国が戦後実施してきた「対日文化工作j としての英語教育振興策に起因する(第2章)。
 政府は留学生倍増計画を進めるが、第3章を読めば,アメリカの大学が銃と性暴力,学費高騰.教育水準低下に蝕まれている実態に戦慄する。留学で英語に精力を奪われるよりも,日本語で深く思考し 憲法9条のような日本の良さ<地原理>を世界に広める言語教育が大切だ。そのために「日本人の,日本人による,日本人のための英語教育」が必要だと寺島氏は説く。
 氏はすでに,主として小学校英語教育の問題点を論じた『英語教育原論』(2007)、高校の「英語で授業」の危険性を指摘した『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギ-』(2009)を世に問うてきた。
 次期学習指導要領で小学校外国語が早期化・教科化され,中学校でも「英語で授業」 が強要されるいま、本書に加えて、前掲書を「寺島三部作」として読み直すならば,氏が日本の英語教育政策の病巣を名医の的確さで診断し処方姿を書いていることに感嘆する。
 「今の文教政策がこのまま進行すれば,日本の大学教育だけでなく,日本の公教育全学体が確実に亡びる」(あとがき)。子どもたちのために,そうさせてはならない。病気を根治させ,「母語を耕し、自分を耕し,自国を耕すための英語教育」を実現するのは.私たちの仕事である。そのための知恵と希望を本書は与えてくれる。必読書である。


書評 『英語で大学が亡びるとき』江利川春雄、『新英語教育』2017年6月号

英語の教科化で、早期退職に追い込まれる小学校教師

英語教育(2017/07/10) 小学校英語、英語の教科化、訓令式ローマ字、ヘボン式ローマ字、「寺島メソッド」、「センマルセン」、英語アクティブラーニング

『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』 『英語教育原論』

 最近、私が主宰する国際教育総合文化研究所の研究員から下記のようなメールが研究所の掲示板「研究仲間」に届きました。
 なお、ここで「山田先生」とあるのは、『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』の編集者である山田昇司(朝日大学准教授)を指し、このメールの送り主は小学校の校長をされているかたです。

山田先生
 中部地区英語教育学会(長野大会)への参加記を興味深く読ませて頂きました。
 今日、訓令式ローマ字から、ヘボン式ローマ字を、5年・6年の複式学級で教えました。担任がT2として入っています。
 例えば、sa si su se so を私が発音して、日本語の音と違うのはどれですか、と問いました。
 子どもは、si だと言います。「そうです。日本語はシだから、その音を表すのにshiと書きます。それがヘボン式ローマ字です」というように教えると、子どもたちは、大変よく理解します。
 45分でマスターして、自分の名前、住所も書けるようになりました。このクラスには、軽度の知的障害者も2名入っているのですが、一人の子はしっかりと理解していました。
 授業のあと、担任の先生と話したのですが、昨年まで、英語の授業が先生も苦痛、子どもも苦痛。格差は広がるし、子ども自身が何をしているのか、分かっていない。何も身に付いていない。先生も教えるすべも無い。引き出しがないのですから。
 6年の教科書で、例えば、Would you like ~ ? なんて文が、何の脈絡もなく出てきます。これで何の力が付きますか。3単現のSを避けるためだけの構成。
 文科省の小学校英語教科書を見てほしいと思います。この教科書を作った人に問いたい。45分の授業を年間35時間、子どもの知的興味を引き出しながら授業できますか? 英語学力の何を付けたいのですか。
 この教科書で自分が1年間授業してもらいたいと思います。現場の素人の先生の苦悩を知ってもらいたいと思います。
 英語の歌を使ったり自主教材を作成して、「寺島メソッド」で、英語の文字、英音法の「リズム打ち」、英文法の「セン・マル・セン」を、教えようと思っています。
 そうでもしなければ、英語の授業は絶望だけの時間です。中学校へ行く前から英語嫌いを増やすだけです。先生を責められない。どうしようもないのですから。
 来年から、「英語教科化」への移行措置で、5年、6年で年間15時間、増やすそうです。
 今後、ベテランの先生は5年、6年の担任を避けるでしょう。もしくは早期退職する人が出てくるでしょう。今更、英語など勉強できますか。そんな余裕がありますか。
 山田先生の参加記を読んで、近況報告を書きました。参考になれば幸いです。


 校長という職にあるひとは普通は授業をしません。
 しかし、この校長さんは現在の小学校における英語教育の惨状を放置しておくわけにもいかないので、学級担任に代わって自ら教壇に立ち、ローマ字の導入(訓令式からヘボン式への移行)のモデル授業をして見せたわけです。
 その報告が上記のメールでした。
 このメールでは、小学校英語の矛盾が赤裸々に綴られています。と同時に、この矛盾を少しでも解消する手段として「寺島メソッド」を使うことの有効性が述べられています。この校長さんによればその理由は次のとおりでした。

 そうでもしなければ、英語の授業は絶望だけの時間です。中学校へ行く前から英語嫌いを増やすだけです。先生を責められない。どうしようもないのですから。
 今後、ベテランの先生は5年、6年の担任を避けるでしょう。もしくは早期退職する人が出てくるでしょう。(今でも全教科を受け持って日々、疲れ切っている老齢の先生が)今更、英語など勉強できますか。そんな余裕がありますか。


そこでふと思いついたのが、月刊『英語教育』『新英語教育』に載せた「寺島メソッド」ワークショップの案内をこのブログにも掲載し、絶望しかけている小学校教師にも参加を呼びかけるという方法でした。
 このワークショップは中学・高校の英語教師を対象にしているのですが、今回のワークショップで取りあげる「三つの基礎教材」、「リズムよみ」という方法は、中学や高校だけでなく小学校の入門期でも、充分に楽しみながら使うことができます。
 この間ずっと私は小学校英語に反対してきました(『英語教育原論―英語教師、三つの仕事、三つの危険』明石書店2007を参照)。
 ですから、もうかなり前の話ですが、雑誌『プレジデント』からインタビューの依頼があったときも、ある岐阜県の小学校英語実践研究校から「寺島メソッドを小学校でも使いたいので許可と指導をお願いできませんか」という電話がかかってきたときも、お断りせざるを得ませんでした。
 しかし今、研究所の一員である校長さんから上記のようなメールが届き、さすがの私もこのまま放置するわけにはいかないと思うようになりました。そこで英語教育の月刊誌に載せた案内を、このブログにも再掲することにしました。
 この案内を偶然にでも見た読者が、知り合いの小学校教師に知らせてくれるかも知れないと考えたからです。
 絶望しかけている小学校教師、早期退職しようと思っている教師にとって、このワークショップが少しでも希望の星になれば幸いです。

国際教育総合文化研究所主催
『寺島メソッド英語アクティブ・ラーニング』ワークショップの御案内


以下の要項でワークショップをおこないます。ご応募いただければ幸いです

日時:8月8日15時―8月9日12時
場所:岐阜市・長良川ホテルパーク
講座内容: 寺島メソッド「リズムよみ」の指導、「三つの基礎教材」を使って(There's A Hole, The Big Turnip, The House That Jack Built)
講師: 寺島隆吉(国際教育総合文化研究所・所長)、山田昇司(同上級研究員・朝日大学准教授)、寺島美紀子(同上級研究員・朝日大学教授)
応募条件:当日までに『寺島メソッド英語アクティブ・ラーニング』(明石書店)をお読みの上、ご参加ください。
参加費:宿泊費・教材費・講師料を含めて30000円
申込み先・問合せ先
taka03@cameo.plala.or.jp、電話:058-297-1509
申込み締め切り:7月31日



 

書評 『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』―求められているのは外面的な「能動学修」ではなく、批判的創造力を培う「脳動学習」

英語教育(2017/01/16)、マケレレ原則、マケレレ(ウガンダ)、ブリテン連邦会議、「英語で授業」、「ザルみず効果」

書評『寺島メソッド_英語アクティブラーニング』『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』016_convert_20170116231540


  文部科学省は2016年2月2日、「読む・聞く・書く・話す」の4技能をみる中学3年対象の初めての英語力調査結果速報を発表しました。
 しかし、中学卒業段階で英検3級程度以上の英語力を持つ生徒の割合を2017年度までに50%以上にするという政府目標に対し、4技能とも2~4割にとどまっています。
 文科省は高校3年生9万人を抽出した2回目の英語力調査も行い、その結果も発表しました。しかし、4技能いずれの平均点も、英検3級程度の水準で、高卒時に英検準2級程度以上を50%にするという政府目標とは大きな差が出る結果となりました。
 私に言わせると、これは初めから予想されていたことです。英会話に偏重した授業では、私の言う「ザルみず効果」に終わることは目に見えています。憶えても使う機会がほとんどない日本では、いくら暗記しても脳に蓄積されていきません。「ザルに水を入れても溜まっていかないのと同じです。
 まして「日本語を使わずに英語だけで授業をする」という指導要領に従っているかぎり、生徒は教師の話す英語の説明が理解できないまま、会話のフレーズを暗記することだけを要求されますから、きちんとした読解力や作文力が授業で身につくはずもありません。むしろ学力は低下する恐れさえあります。
 このような事実を文科省も自覚したのでしょうか。文科省は「中学校・高等学校における英語教育の抜本的改善のための指導方法等に関する実証研究に係る計画書等の提出について」という通達(2016年3月31日付け)を全国の大学に送付し、英語教育を改善する方策の提言を求めました。
 しかし拙著『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』(明石書店、2009)でも詳述し、予想したように、英語学力の低下は「英語で授業」という方針がもたらした結果なのですから、最も簡単な解決策は、「英語で授業」という間違った方針をやめさえすればよいのです。
 ところが恐ろしいことに、文科省は新指導要領で、中学校でも「日本語を使わずに英語だけで授業をする」ことを、新しい方針として提示しました。これでは、ますます日本の英語教育は荒廃していくでしょう。
 しかし、「英語で授業」は、前回のブログ(2017/01/09、書評『英語の帝国』)でも指摘したように、大英帝国が植民地政策を維持するためにうちたてた「マケレレ原則」そのものなのですから、これでは、日本の「英語教育が亡びるとき」どころか、日本そのものが「亡びるとき」になりかねません。
 文科省は当面の方策なのでしょうか、「英語アクティブラーニング」ということを声高に言い始めました。しかし、「英語で授業」という方針を維持したまま、それに「英語アクティブラーニング」なるものをいくら重ねても、間違った土壌の上に豊かな果実が実るはずがありません。
 とはいえ、このような事態を放置しておくわけにもいきません。そこで明石書店のすすめに従って、私が主宰する研究所のメンバーで、それにたいする対案を提示することにしました。それが昨年11月末に出版された『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』という本です。
 幸いにも長周新聞(2016/12/28)がその書評を載せてくれましたので、それを以下に紹介させていただきます。
 本当は「緊迫する世界、混迷するアメリカ」についても書きたいことは多々あるのですが、そんなことをしていたら紹介が時期遅れになりそうなので、「監修者まえがき」併せて、以下にその書評を紹介させていただくことにしました。ご了解いただければ幸いです。

監修者まえがき

 このたび山田昇司先生の編集で『寺島メソッド、英語アクティブラーニング』が出版されることになり、喜びに堪えません。
 山田さんとのつきあいは、私が岐阜大学に赴任し、1986年に「記号研」という英語教育の実践的研究団体を起ち上げて以来ですから、もうすでに30年近くになります。
 しかし山田さんが、大阪外国語大学を出るとすぐ、「日本語を使わずに」「英語だけで授業をする」ことに熱意を燃やして初任校に赴任した、熱血教師だったことを、最近になるまで知りませんでした。
 外大在学中に英検一級に合格し、在学中もなるべく英語を使うように努力されていた山田先生ですから、その英語力を使って、英語の授業も日本語を使わずにやってみたいと思われたのは、たぶん自然な流れだったのでしょう。
 しかし私が岐阜大学に赴任して「記号研」を起ち上げ、月例研究会で実践報告をしていただいていた頃には、「英語だけ授業をしている」という報告を聞いたことがなかったので、初任校では英語だけで授業をしていたという話を聞いたときには本当に驚きました。
 というのは、山田さんは初任校から異動した次の学校では授業がなかなかうまくいかず困っていたときだったからです。そのときちょうど、私が高校教師から大学教師になり岐阜大学で「記号研」を起ち上げたのですから、今から思うと「記号研」は、まさに「渡りに船」(あるいは「駆け込み寺」)だったわけです。しかし当時の私は、このことを知るよしもありませんでした。

 私がこのことを知るきっかけになったのは、2012年の暮れ、宮城県立高校の佐々木先生(本書第7章)から「新しい指導要領の研究指定校になり、近隣学校の英語教師を集めた研修会を開くので、講演に来てほしい」との依頼を受けたからでした。当時の私は体調が優れなかったのと広島大学で講演をする予定だったこともあり、残念ながらお断りせざるを得ませんでした。
 そこで、すでに高校から大学に異動していた山田先生にピンチヒッターを御願いしたところ、「私は講演などしたことがないから無理です」と一度は断られたのですが、「自分がたどってきた軌跡と寺島メソッドによる現在の授業について語ってもらうだけでよいと佐々木先生も言っています」「あらかじめ原稿を書いていって読み上げればいいんですよ」「心配なら講演原稿は私が援助します」と言って引き受けてもらったのです。
 こうして私は、英語教師として山田さんのたどってきた軌跡「英語と私」を読んで初めて、山田先生が初任校で、文科省が言い出す38年も前に、「英語で授業」の先行実践をしていたことを知ったのでした。この講演に至る経過と講演内容は、その後、一冊にまとめられて『英語教育が甦えるとき―寺島メソッド授業革命』になりました。
 幸いにも、この本は地道な売れ行きを見せました。文科省が「英語で授業」を言い出したので、それにどう対処してよいのか困っている先生方に、この本が何らかのヒントになったからではないでしょうか。拙著『英語教育が亡びるとき―「英語で授業」のイデオロギー』が一種の理論書であるとすれば、山田さんの本が実践書になり、その相乗効果だったのかも知れません。

 それはともかく、山田さんの『英語教育が甦えるとき―寺島メソッド授業革命』が堅実な売れ行きを見せたからでしょうか、今度は拙宅を訪れた編集部から「寺島メソッドの概論書を出してほしい」との要求が山田さんあてに出されてきたのです。山田さんも私も、これには大いに驚かされました。というのは実践書と違って概論書というのは非常に書きづらいものだからです。
 そこで私たちの方が困惑しているうちに時間がたち、今度は編集部から、「いま文科省では、英語だけでなく全科目に『アクティブ・ラーニング』を要求するようになった。ついては『寺島メソッドで始めるアクティブ・ラーニング』といったような内容で、寺島メソッドを紹介する本というのはどうだろか」という新しい提案が出されてきました。
 文科省が今頃になって「アクティブ・ラーニング」などと言い出すと、今まで自分たちが出してきた指導要領は生徒を能動的学習者にすることに欠けていたことになり、自分たちの非を認めるようなことになりはしないかと心配になったのですが、指導要領を改訂するたびに学力が低下していく現状を何とかくいとめようとする努力の一環として受け止めることにしました。
 そこで山田さんと相談したところ、「寺島メソッドが『記号研』発足以来めざしてきたのは、まさに文科省の言うアクティブ・ラーニングそのものでした。生徒が寺島メソッドで『能動学修』をし、それが見かけ上の華やかさだけでなく、頭脳も充分に活性化して『脳動学習』になっていることは、これまでの30年の実績で充分に証明されているのではないでしょうか」という返事でした。
 そして、「寺島先生の監修=指導と援助さえいただければ何とか頑張ってみます」という返事をいただいたので、やっと今回の出版に漕ぎつけることができたのでした。
 最初は山田さんの単著という企画で出発したのですが、それが編著になったいきさつについては、序章に詳しく書いてあります。結果として、このほうが良かったと思っています。
 次々と指導要領が変わるたびに、それに翻弄され、心も体も疲れ切っているであろう現場の先生方に、本書が少しでも希望と活力を与える「水源地」になることを願ってやみません。

 最後になりましたが、私たちの細かな要求にも丁寧に対応していただき、編集部の森さんには本当にお世話になりました。この場を借りて厚く御礼を申し上げたいと思います。
( 2016年10月18日)



書評『寺島メソッド_英語アクティブラーニング』長周新聞2016年12月28日(1)_convert_20170116204648
書評『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』長周新聞2016年12月28日(2)


書評 『英語の帝国』 ― 植民地化の言語政策を自ら求めた文科省

書評(2017/01/09)、マケレレ(ウガンダ)、ブリテン連邦会議、マケレレ原則、ロバート・フィリプソン『言語帝国主義』

赤旗書評『英語の帝国』
                       出典:「読書文化欄」『しんぶん赤旗』2016年12月11日
 

 前回のブログでは、昨年末は講演や書評などの新聞原稿に追われて、ブログを書くどころか喪中ハガキすらも出しそびれてしまったお詫びを書きました。
 上記に掲げたのは、出典にも示したように、『しんぶん赤旗』の求めに応じて書いた、その書評です。660字という制約があったため非常に苦労しました。短い記事を書く方がはるかに難しいことを改めて実感しました。
 たとえば書評で私は次のように書きましたが、実はマケレレ会議で確認された原則は三つではなく五つでした。しかし字数の関係で、どうしてもその全てを紹介することはできませんでした。

というのは、一九六一年にウガンダのマケレレで開かれたブリテン連邦会議で、次のような信条が確認され、イングランド語を「英語の帝国」として拡大していく際の原則とみなされるようになったからである。
「英語は英語で教えるのがもっともよい」
「理想的な英語教師は英語を母語とする話者である」
「英語学習は早いにこしたことはない」…


 とはいえ、この三つを紹介するだけでも、私が主張したかった次の論点は、何とか読者には納得していただけるのではないかと思って、残りの二つの紹介は断念することにしました。

不幸なことに、旧植民地を大英帝国の属国として維持するためにまとめられた諸原則が、いま日本で小学校から大学にいたるまで大手を振ってまかりとおっているのである。


 では「残りの二つ」とはどんな内容だったのでしょうか。『英語の帝国』(200頁)によれば、それは次のような二項目でした。

「英語に接する時間は長いにこしたことはない」
「英語以外の言語の使用は英語の水準を低下させる」


 これもまた、いま文科省が導入しようしている英語教育政策そのものです。「英語に接する時間は長いにこしたことはない」という間違った論拠に従って、来年度から小学校英語は三年生から導入され、五年生からは「教科化」されるからです。
 このような風潮が続けば、あと数年もしないうちに「三年生から導入してもあまり教育効果が見られないから一年生から導入すべきだ」という声が強くなることは目に見えています。
 あまり教育効果が見られないのは、導入時期の問題ではなく、小学校英語というのは、その性格上、私の言う「ザルみず効果」に終わるしかないからです。
 拙著『英語教育原論』第三章「小学校の英語教育を再考する」で詳述したように、日常的に使う場のない日本では、丸暗記を強要された単語や言い回しは、「ザルに水を入れる」のと同じく、脳に溜まっていかないからです。
 しかも英語を丸暗記するのに浪費された膨大な時間は、小学校における他教科の時間を削減させることにつながり、必然的にノーベル賞を生み出した基礎学力、国語力や数学力といった基礎学力を低下させることにつながるでしょう。
 また、「英語以外の言語の使用は英語の水準を低下させる」という原則をひとつの口実として、大学では第二外国語の学習は必修から外されてしまいました。実際、私が定年まで勤務していた大学では、主として工学部から「教養科目でドイツ語や中国語をやる必要はない。英語だけ使えるようにしてくれればよい」という強い声がありました。
 こうして、それに代わって登場したのが文科省の「専門科目や大学院までも英語で教えろ」という政策でした。そして、このような方向で「国際化」をはかる大学に巨額の補助金を出すという、間違った「国際化=アメリカ化」が、いま強力に推進されているのです。
 そして他方で、全国の国立大学への交付金は毎年のように削減され、今では非常勤や期限付きの教員が全教員の過半数を占める勢いになってきています。
 これで、どうして腰を落ち着けて研究や教育に専念できるでしょうか。若手研究者は次の就職先を探すために多大な精力を割かねばならなくなるのですから。
 こうしていま日本では、「マケレレ会議の原則」「旧植民地を大英帝国の属国として維持するためにまとめられた諸原則」が、小学校から大学にいたるまで、大手を振ってまかりとおっているのです。そして、その究極の到達点を示したのが、TPPの調印文書だったのではないでしょうか。
 カナダ政府がケベック州の公用語がフランス語だという理由だけで仏語版の協定文書もつくるよう要求したにもかかわらず、日本政府は正式文書として日本語版を要求せず英語版だけで、しかもその内容を国会議員に明らかにしないまま、批准を強行しようとしたのです。「英語の帝国」の属国として面目躍如たる活躍ぶりです。

 ところで、インターネットで調べていたら、『英語の帝国』の書評が東京新聞(2016年11月13日)にも載っていることを知りました。その一節に次のように文言がありました。

各地域・各時代の言語政策についての分析はどれも興味深いが、とりわけ示唆に富むのは、インドとアフリカの例である。ガンジーは英語が「文化的簒奪者(さんだつしゃ)」であり社会階層の分断を招くため「国民語」にはなり得ないと考えたが、それに反して子供の将来を案ずる親たちは英語教育に熱心であった。ここには、英語帝国主義が「上からの強制」だけでなく「下から迎合」して「文化的自殺」を遂げる者がいて完成するという残酷な原理がある。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2016111302000184.html


 確かに『英語の帝国』は、このような“英語帝国主義が「下から迎合」して「文化的自殺」を遂げる者がいて完成する”という事例を数多く紹介していることに、その特徴のひとつがありました。しかし、そのことを強調しすぎると、英語帝国主義が広まっていったのは民衆がバカだったからだということになりかねません。
 私が昨年の夏、お盆の墓参りに能登半島へ行ったとき、そのついでに亡くなった母の実家を訪ねたところ、私の従妹(いとこ)が「近くの部落に英会話スクールができたので、孫がそこに通っている」という話をし出して私を驚かせました。こんな田舎にまで英会話スクールが進出したことに驚かされたのです。
 しかし私は、その家族が「英語の帝国」に「下から迎合」して「文化的自殺」を遂げているとは思いませんでした。むしろ「英語の帝国」に「上から迎合」して「文化的自殺」を遂げているのは政府文科省であり、その犠牲者が「孫を英会話スクールに送り出している一般民衆」ではないかと思い、憤りと悲しみを禁じ得ませんでした。
 上記の評者は自分の書評を次のように締めくくっています。

アメリカ主導の「新自由主義」的グローバル資本主義の時代に、そのシステムに最もよく適合する人的資源たらんとして「英語熱」に浮かされること。それは「自己植民地化」にほかならない。「英語の帝国」史の警告である。


 このような批評は一見すると、私たちに警告を発するように見えるのですが、よく考えてみると、「英語熱」を煽っている政府・文科省と、それに便乗して儲けようとしている教育産業を免罪することになりかねない、と私に思われました。
 まして、このような「英語熱」を煽っている政府・文科省の背後には、更にもっと大きな怪物がいて、その「英語の帝国」が、現在の世界の流れ、すなわち新自由主義的グローバル資本主義をつくりだしているのであれば、そのことをきちんと指摘することこそ、評者の勤めではないでしょうか。
 というのは、英語教育を通じてアメリカによる文化工作がおこなわれ(拙著『英語で大学が亡びるとき』で1950年代の京都大学の例を示しました)、それを政権転覆につなげようとする動きが、いまだに世界の各地で存在するにもかかわらず、日本の大手メディアはそのような動きに全く無自覚・無防備であるように私には見えるからです。
 たとえば、ブログ「マスコミに載らない海外記事」の「フェトフッラー・ギュレンとは、一体何か?」という翻訳記事(2016年9月5日)には次のような事実が紹介されていました。

 MIT(トルコのCIA)の元外国諜報部長で、1990年代中期に、タンス・チルレル首相の首席諜報顧問をつとめたオスマン・ヌリ・ギュンデシが、2011年、トルコ語のみで本を刊行した。
 そのときギュンデシは85歳で、すでに引退していたが、その本で、1990年代にユーラシア中に広がっていたギュレン学校が何百人ものCIA工作員の基地になっていたことを暴露した。彼ら工作員は「母語として英語を話す、英語教師」を装っていた。
 ギュンデシによれば、キルギスタンとウズベキスタンの学校だけでも、ギュレン運動は「130人のCIA工作員を匿(かくま)っていた」。しかも彼らアメリカ人の「英語教師」全員がアメリカ外交官のパスポートを持っていたという。
 これは、普通の英語教師にとって到底ありえないことであり、実に示唆的だ。(和訳は寺島がいちぶ改訳した)


 上記で「ギュレン学校」「ギュレン運動」と言われているのは、「アメリカ在住の亡命トルコ人フェトフッラー・ギュレン」というイスラム教指導者が、CIAの庇護のもと、世界的に展開している運動で、今度のトルコにおけるクーデターも、この人物が陰の立て役者だったと、原文のウィリアム・イングドールは主張しています。
"What is Fethullah Gülen?"
http://journal-neo.org/2016/07/25/what-is-fethullah-gulen/
 ことの真偽は別にして、いずれにしても、CIA工作員が「英語を母語とする英語教師」を売り物にして(しかも外交官のパスポートを持って)ユーラシア大陸で暗躍していたという事実だけは間違いないようです。
 ここでも、1961年にウガンダのマケレレ会議で確認された「理想的な英語教師は英語を母語とする話者である」という原則が、みごとに活用されていることに、私たちは留意すべきではないでしょうか。
 それこそが「英語の帝国」史から私たちが学びとるべき教訓ではないのか。そのように私には思われました。


 

「英語が話せないのは日本人だけ」という神話、その3

チャータースクール、小中一貫の「義務教育学校」、中高一貫の「中等教育学校」、英語教育の外注(アウトソーシング)・民営化、英語教育(2015/09/08)

目次
1 はじめに
2 EUでも6割のひとが英語を解しない
3 何が英語学習・外国語学習を促すのか
4 教育を破壊する、「ザルみず効果」の英語教育
5 英語の害悪―公教育の民営化・差別化


5 英語の害悪―公教育の民営化・差別化
 先述の調査では、言語学習を阻害する要因として「時間がない」「十分なモチベーションがない」「費用がかかりすぎる」の3つをあげ、他方で言語学習を促進する要因については、「授業が無料であること」「金銭的な補助が受けられること」の2つが常に上位に挙げられていました。
 すでに紹介したように、「授業が無料であること」「金銭的な補助が受けられること」が、「十分なモチベーション」を持つ学習者には極めて効果的であることは、岐阜大学留学生センターの日本語プログラムでみごとに証明されています。彼らには短期集中型のプログラムで「無料」で「十分な学習時間」を与えられていたからです。
 とすると、政府文科省も英語教育に実を上げたいのであれば、全国に英語教育センターを設置し、「動機・目的が明確である学習者」に、留学生センターでおこなわれているのと同じような短期集中型の英語教育プログラムを、「無料」で実施すればよいだけなのです。
 そうすれば小学校英語に莫大な金を費やす必要もありませんし学校教育をゆがめる恐れもなくなります。また莫大な金をかけて外国人教師を輸入し小学校から大学に至るまで、くまなく配置する必要もありません。そこで浮いた予算を英語教師の海外研修に充てるほうが、はるかに英語教育に有益です。
 政府・文科省がこのような政策をとらないのは、そんなことをすると教育産業から強力な抗議や圧力があるからでしょう。公教育で教育効果が上がるのであれば、わざわざ英会話教室に行ったり、高価な英語教材を買う必要がなくなるからです。教育産業が儲かるためには、学校教育が効果を上げてもらっては困るのです。
 民営化できるものはすべて民営化して企業に儲けさせるのが現政府の経済政策ですから、英語教育もできるだけ外注(アウトソーシング)あるいは民営化し、経済活性化の道具として使いたいのでしょう。だからこそ、「大学入試もTOEFLなど民間企業が開発した検定試験を使え」という方針が出てくるわけです。
 もし現行のセンター試験に不備があるのであれば英知を集めてさらに優れた入学試験を開発させればすむ話で、わざわざ莫大な血税を民間の試験に浪費する必要はありません。ましてアメリカ企業が開発したアメリカ留学用のTOEFLに、莫大な血税を無駄遣いする理由は、まったく見当たりません。事実、他の教科はすべて自前の試験で間に合わせています。それとも将来は、他の入試科目もすべて民間会社に外注するつもりなのでしょうか。
 あれほどたくさんのノーベル賞受賞者を生み出している日本の知性が、TOEFLやTOEICに代わる、もっと良い入試問題をつくりだせないはずがないのです。それをしないでアメリカで開発された資格試験を使えというのは、どう考えても無理があります。考えられる国内の理由としては経済活性化策あるいは教育産業による圧力、そして外国の教育産業からの圧力以外に考えられません。もう一つ考えられるとすれば、ALTを無理やり輸入させられたときと同じように、貿易赤字を理由にしたアメリカ政府からの圧力です。
 いずれにしても、政府文科省の英語教育政策は、本当に国民の言語力を高める施策としては、あまりにも稚拙かつ強引すぎるのです。「英語の授業は日本語を使わず英語でおこなう」という方針についても同じです。もし「外国語を教えるときに日本語を使わないほうが教育効果があるのであれば、NHKの外国語講座はずっと以前からそうしていたはずです。しかしいまだに日本人が日本語を使って会話練習をしています。外国人がいても補助役にすぎません。そのほうが無駄がなく能率的だからです。
 このように考えてみると、政府文科省が「英語を話せないのは日本人だけ」という言説を振りまきつつ、学校教育のありかたを根本的に改革(改悪?)していることに、私は大きな危機感を感じています。そのひとつは英語教育の改革(=改悪)を突破口にして、公教育の民営化が将来どんどん進行するのではないかと思うからです。大学入試が民間企業に外注されようとしていることは、TOEFLその他を大学入試に使えという圧力になっていることは先に述べたとおりです。
 このような流れが強くなれば、将来は大学入試そのものを民間企業に任せようという動きが出てくる可能性は十分にあります。私学では入学生を確保するため1年間に何度も試験をするところが少なくないのですから、入試問題の作成や採点の負担から逃れたい教員が、このような動きを支持するかも知れません。今までは文科省と地方自治体が責任をもって全国の学校に配置していたALT(外国語指導助手)も、最近はその採用を民間の派遣業者に委託するところが増えているのですから、このような動きはますます強くなる可能性があります。
 アメリカでは、市民が手作りで立ち上げる学校という名目で「チャータースクール」が広がり、公教育の解体・民営化が着実に進行していますが(同時にこれは公立学校の組合解体と軌を一にしています)、同じことが日本でも広がらないという保証はどこにもありません。すでに国立大学は法人化され、学長権限の強化や大学財源の民間依存など、大学の運営形態も企業経営にますます近くなっています。アメリカは、ずっと以前から医療・保険・教育分野の規制緩和を強く迫ってきていたのですから(医療と保険についてはすでに一部は実現してしまっています)、同じことが大学以下の公教育についても進行するのではないかと私は恐れています。
 ところで、「英語を話せないのは日本人だけ」という言説をひとつの根拠にして進行している、もうひとつの「公教育のゆがみ」は、小中一貫校を制度化する動きです。このたび国会では改正学校教育法が成立し、2016(平成28)年度から小中一貫教育を実施する「義務教育学校」が創設されることになったからです。表向きの理由として、これによって子どものつまずきの大きな原因の一つである「中1ギャップ」が解消できるといったことがあげられていますが、この裏には小学校英語教育の先取り実践が大きく関わっているように思われるのです。
 精神年齢から言うと、中高一貫校をつくるほうがむしろ自然ですし、「高1ギャップ」のほうがもっと大きいのですから、「中1ギャップ」が解消できるという理由で小中一貫校をつくるというのは、あまり納得できる説明とは言えません。むしろ学校統廃合のために安易に利用される危険性のほうが大きいでしょう。
 実際、複数の小学校を統廃合するに当たり保護者や地域住民を説得する理由として小中一貫教育の導入を掲げるケースは少なくありません。これまでは郵便局や小学校の存在が地域を守るかなめになっていたのですが、このような統廃合は過疎地の部落をさらに過疎化させ崩壊させていくでしょう。すでにアメリカの要求で郵政が民営化され、郵便局が廃止された集落も少なくないからです。
 また、過疎化しているから統廃合して小中一貫校をつくるというのは、そもそも教育の原理から言うと間違っているのです。なぜならフィンランドはOECDの学力調査で世界のトップをいく国として有名ですが、国土に比して人口が少ないため過疎地に小学校があり、複式学級が普通になっています。つまり少人数教育が徹底しているから学力世界一になっているとも言えるのです。
 日本もそのような理想的な環境に近づきつつあるときに、それを統廃合して大学級にするというのは、全くばかげた行為としか言いようがありません(日本でも全国学力調査で一位になったのは過疎地の多い秋田県や福井県でした)。これでは、統廃合して小中一貫校をつくるというのは、教育予算を削りその分を軍事予算に回そうとするための工作ではないかと疑われても仕方がないでしょう。
 ですから、統廃合して小中一貫校をつくるというためには、別の理由づけが必要になります。そこで口実として使われるのが、「英語が話せないのは日本人だけ」→「だから英語ができる日本人を育てる」→「そのためには小学校からの英語教育が必要」→「小学校からの英語教育を効果あらしめるためには小中の連携が不可欠」という論理です。
 つまり、市区町村教育委員会が政府文科省の指導で、小中一貫校の「義務教育学校」を進めようとするとき、そのもう一つの口実となっているのが「小学校における英語教育の実を上げる」という言い方なわけです。
 その証拠に、私の住む岐阜県の小中学校をみていても、小学校英語を充実させることを選挙公約に掲げて当選する市長や町長が目立ちます。そこでは、小学校英語を充実させるためと称して中学校の英語教師が小学校に送り込まれたり、小中共同の研究会が頻繁に開かれたりしているからです。
 たとえば多治見市笠原小学校は、笠原中学校と連携して、2008年10月31日(金)に「文部科学省指定・研究開発学校(英語)第2期、笠原小中一貫教育公表会」と銘打って大々的な公開授業をおこない、全国からたくさんの参観者が訪れたそうです。
 しかも最近は、この「小中の連接を踏まえた英語教育の在り方~笠原型コンテント・ベイストの手法を用いて」をテーマとする公開授業が毎年のように開かれ、今年度は中学校英語の公開授業は300人の参観者を収容できる中学校の体育館を使い、小学校英語の公開授業は、そこからバスを何台も仕立てて笠原小学校へ移動するという力の入れようです。
 しかし小学校英語は見かけは華やかなのですが、実態は「ザルみず効果」に終わることが多く、基礎学力を荒廃させる危険性が極めて大きいのですから、時間と予算を浪費する分だけ有害無益であることは、これまで何度も述べてきたので繰りかえしません。ここで私がもっと問題にしたいのは、小学校英語を口実にした中高一貫校は、学校格差をさらに広げてしまうという点です。
 もともと、「初等教育」と「中等教育」を分けたのは、子どもの発達過程を踏まえていたからでした。「思春期」「反抗期」を迎えた若者の教育を「中等教育」としてひとまとめにしたのは、この年齢の指導は「初等教育」とは違った困難さがあり、指導方法も「初等教育」とは違わざるを得なかったからです。ですから一貫教育をすべきだというのであれば、「小中一貫」ではなく「中高一貫」にすべきでしょう。
 小中一貫の「義務教育学校」が問題なのは、この学校が上記のような教育原理を踏みにじっているだけでなく、学校格差と貧富の格差を固定する危険性があるからです。現在でも「中高一貫校」は私立学校が多く、今では東大・京大・慶応・早稲田のような難関大学への進学者の多くは、このような私立の有名な「中高一貫校」で占められています。しかも、このような私立の有名な「中高一貫校」に進学できるのは一部の裕福な家庭の出身者だけです。
 公立・国立の「中高一貫校」もないわけではないのですが、数が限られていて、ここに進学するのも並大抵のことではありません。高倍率・高得点のところが多いのですから、家庭教師をつけてもらえたり学習塾・予備校に通わせてもらえる裕福な師弟が進学できることになります。それに反して、そのようなゆとりがない家庭の師弟は、貧困者が通う小中一貫の「義務教育学校」ということになります。学習塾・予備校が存在しない田舎や過疎地の若者も当然このような公立・国立の「中高一貫校」に進学する機会を奪われます。
 しかも私立の「中高一貫校」では文科省の指導要領による縛りが非常にゆるいので、「英語で授業」をしなくても監視されたり校長に呼び出されて注意されることもありません。有名大学への進学率を上げてくれさえすればよいので、日本語を使って説明しながら文法や読解にもたっぷり時間をさくことができますから、入試でも高得点をとらせることができます。こうして、ますます「小中一貫校」への進学者と「中高一貫校」への進学者との間に格差が広がっていきます。
 これは同時に貧富の格差を拡大再生産します。なぜなら「中高一貫校」への進学者の進学者は有名大学に進学し、大学を卒業したときの就職先も当然ながら高給が得られるところになるからです。他方、公立学校の「小中一貫校」へ進学する圧倒的多数の貧困者や中産階級の若者は、有名大学に進学できませんから、就職先も派遣社員などが多くなり、その大多数が非正規労働者になっていくでしょう。アメリカでは公立学校と言えば、黒人やラテン系アメリカ人など貧困者が通う学校になってしまっていますが、同じ状況が日本にも出現することになるかも知れません。
 そして、このような学校格差を生み出す元凶、貧富の格差の拡大再生産の元凶が、「英語が話せないのは日本人だけ」→「だから英語ができる日本人を育てる」→「そのためには小学校からの英語教育が必要」→「小学校からの英語教育を効果あらしめるためには小中の連携が不可欠」という論理だったとすれば、英語が果たす罪は極めて重いと言わねばなりません。だとすれば、このような悪循環を断ち切る道は、「英語が話せないのは日本人だけ」という神話を打ち砕く以外にはありません。この小論がそのための一助になれば幸いです。(完結)

「英語が話せないのは日本人だけ」という神話、その2

言語間距離、「ザルみず効果」、英文法の幹・英音法の幹、OECD「国際成人力調査」、記号研方式、英語教育(2015/09/06)

目次
1 はじめに
2 EUでも6割のひとが英語を解しない
3 何が英語学習・外国語学習を促すのか
4 教育を破壊する、「ザルみず効果」の英語教育
5 英語の害悪―公教育の民営化・差別化



3 何が英語学習・外国語学習を促すのか
 話しが少し横道にそれたので本題に戻します。これまではEUの推進する言語政策が「母語プラス2言語」であるにもかかわらず、EUのなかで英語を知らない・話せないひとが6割強もいることをみてきました。
 文字も文法もほとんど同じであり「言語間距離」がきわめて小さい言語を母語とするひとたちが生活している言語空間で、しかも通貨も統一され人間の移動も自由になった政治経済空間なのですから、もっと英語が話せるひとが増えてもよさそうなのに、それが38%にとどまっていることは、やや信じがたい気もします。
 しかしEUのひとたちの6割もが英語を解せないという事実は、もうひとつの数字を見ると納得できないこともないという気になります。それは、この世論調査「ユーロ・バロメーター」の「学習状況」という項目が示す数字です。この先の論文では2005年と2012年の調査結果が載せられています。
 この二つの調査は設問が異なっていて、2005年は、「この2年間に言語学習をおこったか」「来年以降に言語学習を始める予定はあるか」という質問に「はい/いいえ」で回答する形式になっていますが、2012年は選択肢のなかから当てはまるものを選ぶ形式となっています。その結果は次のとおりです。

                   あり  なし   わからない
この2年間の言語学習      18%  81%   1%
来年以降の言語学習の予定  21%  75%   4%

表3 :学習状況(2005年)

この2年間に新しい言語の学習を開始 7%
この2年間に言語学習を継続 14%
最近の言語学習はなし、来年以降開始予定  8%
最近の言語学習はなし、来年以降の開始予定なし 44%
母語以外の言語の言語学習の経験なし     23%
わからない 8%

表4 :学習状況(2012年)


 上の表3(2005)で、まず驚かされるのは、「この2年間の言語学習」で「なし」と答えたひとが81%、「来年以降の言語学習の予定」も「なし」と答えているひとが75%にも上っていることです。
 では、表4(2012)ではどうでしょうか。二つの調査は設問が異なっているため単純に比較することはできませんが、先の表3で「この2年間の言語学習」「なし」に該当するものを、この表4で探すとすれば、次の三つを合計したものになりそうです。

最近の「言語学習はなし」、来年以降開始予定      8%
最近の「言語学習はなし」、来年以降の開始予定なし 44%
母語以外の言語の「言語学習の経験なし」        23%
                               合計 75%


    
 この三つを合計すると75%になり、表3の「この2年間の言語学習」「なし」の81%に近くなります。それでも「言語学習はなし」が81%から75%に減ったのですから、EUが多言語主義を掲げ「母語プラス2言語」という政策を打ち出して旗を振った効果が少しはあったとも言えます。
 しかし2012年の時点でも、「言語学習はなし」が75%にも上っているのですから、やはり「EU人口の6割」は「英語を話せるほどには知ってはいない」というのは本当だったのです。国境を越えて人間の移動が自由なEUでさえこの状態なのですから、日本人が英語を話せないからといって何ら恥じることはありません。
 このことは、表3(2005)と表4(2012)を次のように組み替えて比較してみると、もっと歴然としてきます。

              2005年    2012年
この2年間の言語学習  18%    7%(開始)+14%(継続)=21%
来年以降、開始の予定   21%     8%
            合計  39%    29%



 ご覧のとおり「この2年間の言語学習」「来年以降開始予定」の合計は、2005年度では39%だったのに、2015年には29%にまで減少しているのです。つまりEUが多言語主義を掲げ「母語プラス2言語」という政策を打ち出しても、「笛吹けど踊らず」という状況なのです。
 国境をこえて自由にひとが移動できる環境にあるはずのEUで、なぜ外国語学習が停滞しているのか。その理由を先の論文では次のように分析しています。

いずれの年も「言語を学習している/始める予定である」と回答したのは2割程度にとどまっている。またそれぞれの調査では、年代別、社会階層別の比較も行っているのだが、肯定的な回答の割合が高いのは、前者では最若年層(15-24歳)、後者では学生と管理職である。
 つまり学業を終えた人の大半は言語学習を行わないということである。これは、2005年と2012年の学習方法についての調査(複数選択可)で、「学校の授業」という回答が6~7割であったのに対し、「語学学校に通う」「CDやDVDを使って一人で学習」といった学外での学習については軒並みl割程度に過ぎなかった結果からも明らかになっている。
 このように学校教育のみに依存した言語学習が、先に紹介した各言語のレベルが横ばいであることと各年代の「母語プラス2言語」の割合が上昇していないことのもうひとつの説明要因になっていると考えられる。(前掲論文45-46頁)


 つまりEUでは、学校を卒業すると、ほとんどのひとは言語学習・外国語学習をしていないのです。しかしそれでも言語学習に熱心な国もあります。その事情を先の論文は次のように述べています。

これまで述べてきたように多くの市民が意識レベルでは多言語能力を職業能力や経済性と関連づけているにも関わらず、実際はそれに十分な水準に達していないことが明らかになった。こうした現状を説明するのが、その言語使用が主に高い水準も頻度も求められない余暇に限ったものであることと、言語学習の学校教育に対する極度なまでの依存であったことはこれまでに述べてきた通りである。(中略)
 しかし[意識レベルすなわち「学習目的」にかんする] 2012年の調査結果には、もうひとつ、近年の欧州金融危機に始まる景気の低迷や雇用の不安定といった社会情勢も影響していると考えられる。例えば、EUの財政支援を受けたギリシアと現在支援を検討中のスペインは、2012年の調査で、「国外で仕事をするため」の回答がそれぞれ73%、79%、「自国で良い仕事に就くため」の回答がそれぞれ69%、60%で参加国中の1、2位であった。(48頁)


 要するにEUでは「母語プラス2言語」の旗が大きく振られていたにもかかわらず、多くの人はそれほど言語学習に熱心ではないのです。ただし経済的に大きく落ち込んでいて失業率が極めて高いスペインやギリシアなどでは言語学習にたいする意識が極めて高いことが分かります。
 私が退職する年(2010年)に訪れたギリシアでは経済危機が始まったばかりの頃でしたが、ストライキが頻発し、私がギリシアから帰国しようとしたときもタクシー会社のストとで、一時は空港までたどりつけるか危ぶまれる状態でした。このような状態では、「国外で仕事をするため」あるいは「自国で良い仕事に就くため」の外国語学習が盛んになるのは当然とも言えます。
 現在のギリシア経済は当時よりもさらに深刻ですから、国外脱出への流れはさらに強まっていることでしょう。これを逆に言えば、日本人が英語を話せないのは、危機感がそれほど強くないということであり、それは幸せなことだとも言えるわけです。本当に必要があれば、私がベトナムで出会ったストリート・チルドレンが学校に行けないにもかかわらず英語で観光客に土産物を売っていた状態になっていたでしょうから。
 それどころか彼らは私が日本人だと分かると即座に日本語に切り替えてきました。要するに生活に追い詰められれば学校に行かなくても外国語を話せるようになるのです。

4 教育を破壊する、「ザルみず効果」の英語教育
 私は先に、EUでは、国境をこえて自由に移動できる条件があるにもかかわらず、学校を卒業すると、ほとんどのひとは言語学習・外国語学習をしていないことを紹介しました。それに引き替え、日本の英語学習熱は燃えさかる一方です。
 インターネット上では様々な英会話教材の宣伝であふれていますし(中には50万円以上もするものもあります)、「小学校低学年に英語教育を実施する」を選挙公約の目玉にして市長に当選する人物も出てくる始末です。まさに「英語狂育」であり「英語狂騒曲」とも言うべき状況です。
 このような現象を生み出している第一の元凶は政府文科省にあると言うべきでしょう。なぜなら「英語が話せないのは日本人だけ」という言説を振りまいて、「英語ができないひとは人間ではない」かのように日本人を劣等感や強迫観念で満たしつつ英語学習に駆り立てているからです。このような文教政策は教育産業を儲けさせることに貢献しても、日本人の創造力・研究力を高めることに貢献しません。
 というのは、日本のような言語環境では、学校で(あるいは塾・英会話スクールときには市販教材で)いくら会話学習をしても使い機会がありませんから、憶えてもすぐ忘れてしまいます。私の言う「ザルみず効果」です。ザルに水をどれだけ入れても溜まっていきません。お金と時間と精力の途方もない浪費です。ですから、いま文科省が進めている言語政策は「1億総白痴化」「亡国の文教政策」というべきです。
 ですから日本の学校教育で必要な英語教育とは、いざ必要になったときに役立つ基礎学力、すなわち「英文法の幹」「英音法の幹」を身につけさせることだけです。このようなちからさえ身につけていれば、いざ必要になったとき集中訓練で、すぐに話す力をつけることができます。
 私が勤務していた岐阜大学では、ほとんどの留学生(院生・研究生)は留学生センターで3ヶ月の集中訓練を受けただけで大学の事務職員と日本語で意思疎通ができるようになりました。学習目的が明確で、環境さえ整えば、誰でも生活に必要な程度の会話力は身につけることができるのです。先の論文でも同じことを次のように述べています。

また学校教育で習得した異言語能力の持続性についても、今回の分析結果を見る限り疑問が残る。そこで考えられるのが生涯教育としての成人の言語学習である。学習状況の調査結果からも明らかなように、大半の市民は修学期間以降、言語学習を行っていない。
 ユーロ・バロメーターでは言語学習を阻害する理由と促進する理由についても調査しているが、前者については、「時間がない」「十分なモチベーションがない」「費用がかかりすぎる」の3つが、後者については、「授業が無料であること」「金銭的な補助が受けられること」の2つが常に上位に挙げられている。
 確かに2003年の行動計画には、「生涯を通じた言語教育・学習の推進」が挙げられているが、現状ではそれが十分に実行されているとは言い難い。(48-49頁)


 つまり学校教育だけでは「時間がない」「十分なモチベーションがない」「費用がかかりすぎる」の三つが言語学習の阻害要因となって効果が上がりません。だからこそ学校教育では「英文法の幹」「英音法の幹」を身につけさせてることだけに専念すべきなのです。また、これだけを習得させるのであれば中学・高校の授業だけで十分です。
 これは私の現場体験からも十分に立証することができます。手前味噌になりますが、私たちの研究会が現場で苦闘しながら研究・開発した「記号研方式」「寺島メソッド」で教えれば、英語を小学校から教える必要はありません。英語を読み書きする基礎学力、英語を聴解・発話する基礎学力は、中学・高校だけで教えることができるからです。<註>
 また学校教育に、それ以上のことは必要ありませんし、それ以上のことを学校に期待すると、学校教育がゆがんできます。学校教育は英語教育のためだけに存在しているではないからです。(その証拠にJapan As Number Oneと言われていた頃の企業は、すべて自前で、必要な社員に英語力を身につけさせていました。)
 なぜなら学力の土台をつくる言語力は、国語力(自然言語)と数学力(人工言語)の二つから成っていますが、英語学習に焦点をおいた学校教育・大学教育では、ともすれば暗記力や機械的練習だけに膨大な時間と精力を奪われることになりがちだからです。これは生徒・学生から、国語力・数学力だけでなく、「思考力」「創造力」すなわち「疑問を生み出す力」「批判的に考える力」を奪うことになります。
 何度も言うように、これは「亡国の教育政策」と言うべきです。いま日本はOECDの「国際成人力調査」で、国語力・数学力のいずれにおいても世界一の高学力を誇っていますが、このままでは早晩その地位を他者に明けわたさなければならなくなるでしょう。先述のとおり、ノーベル賞の受賞者数をみても、自然科学分野では世界のトップレベルなのですが、このような英語偏重の文教政策を続けていれば、この地位も危うくなるでしょう。
 繰りかえすようですが、英語が話せなくてもノーベル賞が取れることは益川敏英氏が証明してくれましたし、歴代受賞者のなかでアメリカで学位をとったひとは3人しかいないのです。私が調べた限りでは、受賞者のなかで子供の頃から英語に血道を上げた人はひとりもいません。ですから、むしろ小さいときから英語に血道をあげていたらノーベル賞はとれなかっただろうと考えるべきなのです。
 それどころか、「はじめに」で述べたとおり、ノーベル賞受賞者には、子どもの頃の遊びの重要性、たとえば「子どもの頃に山野をかけめぐったことが見る力・考える力を育ててくれた」(白川英樹)と言っているひとが多いのです。
 すでに日本は世界第二位だった経済力の地位を今や中国に明けわたすようになっているのですが、以上のことを考えれば、このような英語偏重の教育政策をとっていると(それは結果としてアメリカ追随の経済政策をとることにつながるわけですが)、日本の経済力にさらなる転落が待ち受けていることは間違いありません。


註: しかも、この「記号研方式」「寺島メソッド」は暗記力を必要としません。詳しくは拙著『英語教育が亡びるとき』の巻末に載せてある参考文献、あるいは山田昇司『英語教育が甦えるとき-寺島メソッド授業革命』明石書店2014、を参照ください。>

(次号に続く)

「英語が話せないのは日本人だけ」という神話、その1

世論調査「ユーロ・バロメーター」、OECD「国際成人力調査」、二つの基礎言語力:国語力(自然言語)と数学力(人工言語)、英語教育(2015/09/04)

目次
1 はじめに
2 EUでも6割のひとが英語を解しない
3 何が英語学習・外国語学習を促すのか
4 教育を破壊する、「ザルみず効果」の英語教育
5 英語の害悪―公教育の民営化・差別化



1 はじめに
 自民党の文教政策は「英語が話せないのは日本人だけ」という神話に基づいていて立案されているように思われます。それを最も明瞭に示しているのが小学校から大学に至るまで「英語漬け」にしようとする文科省の方針です。
 しかし、これでは学力の土台をつくる言語力をやせ衰えさせるだけで、悪くすれば「1億総白痴化」になりかねません。
 なぜなら学力の土台をつくる言語力は、国語力(自然言語)と数学力(人工言語)の二つから成っていますが、英語学習に重点をおいた学校教育・大学教育では、暗記力や機械的練習だけに膨大な時間と精力を奪われることになりがちだからです。
 これは生徒・学生から「言語力」だけでなく「思考力」「創造力」すなわち「疑問を生み出す力」「批判的に考える力」を奪うことになります。これは「亡国の教育政策」と言うべきです。
 いま日本は、OECDの「国際成人力調査」で、国語力・数学力のいずれにおいても世界一の高学力を誇っていますが、このままでは早晩その地位を他者にあけ渡さなければならなくなるでしょう。
 またノーベル賞の受賞者数をみても、自然科学分野では世界でトップクラスなのですが、このような英語偏重の文教政策を続けていれば、この地位も危うくなるでしょう。
 というのは英語が話せなくてもノーベル賞が取れることは益川敏英氏が証明してくれましたし、歴代受賞者のなかでアメリカで学位をとったひとは3人しかいないからです。私が調べた限りでは、受賞者のなかで子供の頃から英語に血道を上げた人はひとりもいません。
 ですから、むしろ、小さいときから英語に血道をあげていたらノーベル賞はとれなかっただろうと考えるべきなのです。それどころか子どもの頃の遊びの重要性、たとえば「子どもの頃に山野をかけめぐったことが見る力・考える力を育ててくれた」(白川英樹)と言っているひとが多いのです。
 すでに日本は世界第二位だった経済力の地位を今や中国に明けわたすようになっているのですが、以上のことを考えれば、このような英語偏重の教育政策をとっていると(それは結果としてアメリカ追随の経済政策をとることにつながるわけですが)、日本の経済力にさらなる転落が待ち受けていることは間違いありません。
 そこで以下では「英語が話せないのは日本人だけ」という言説がはたして本当なのか、
教育研究にとって英語が話せることはそれほど重要なことなのかを検証してみたいと思います。いま私たちに必要なのは無用な劣等感から日本人を解放し、自信をもって独自の道を歩む外交政策や文教政策だと思うからです。

2 EUでも6割のひとが英語を解しない
 以上の観点から、ここでは、欧州委員会が2001年と2005年、ならびに2012年に実施した世論調査「ユーロ・バロメーター」の分析を通じて、「英語が話せないのは日本人だけ」という言説がはたして本当なのかを検証したいと思います。
 というのは幸いにも、堀晋也・西山教行「ヨーロッパに多言語主義は浸透しているか:ユーロ・バロメーター2001、2005、2012からの考察」という論文(『日本フランス語教育学会学会紀要』第8巻、第2号:2013:33-50頁)が手元にあるからです。
 この論文を読むと、EU諸国の間でさえ、英語を解しないひとたちが少なくないことが分かります。つまり「英語を話せないのは日本人だけ」というのは全くの神話であることが、この調査から見えてきます。
 興味深いことに、文字も文法もほとんど同じであり「言語間距離」がきわめて小さい言語を母語とするひとたちでさえ(しかも人間の自由な移動が許されているEU域内ですら)必ずしも英語を話せるとは限らないのです。
 そこで以下では、この論文およびそこに示されているデータをもとに、「英語が話せないのは日本人だけ」という言説が全くの嘘にすぎないことを、私なりの分析方法で立証したいと思います。
 というのは、この論文では「ヨーロッパに多言語主義は浸透しているか」という題名が示すとおり、「母語以外に2言語を習得させる」というEUの言語政策「多言語主義」がどのくらい成功したのかを検証するのが論文の主題になっていて、英語にじゅうぶん焦点が当てられているとは言い難いからです。
 さて、この世論調査「ユーロ・バロメーター」は、1973年以降、欧州委員会が施策の参考にすることを目的とし、様々なテーマについてEU加盟各国、約1000名ずつの15歳以上の市民を対象として行っている対面式の世論調査でした。
 この調査はふつう毎年2回、春と秋に行われるのですが、言語教育については、これまで3回(2001、200、52012)実施されました。。調査対象の内訳は次のとおりです。

       2001年     2005年    2012年
参加国数  15ヶ国    29ヶ国     27ヶ国
参加人数 16078名   28694名   26751名

<註> 2005年は当時の加盟25ヶ国に加え、ブルガリア、ルーマニア(ともに2007年加盟)、トルコ、クロアチアも参加している。

 言語教育についての調査内容は、次の四つに大別されます。すなわち(1)言語知識、(2)言語実践、(3)言語学習、(4)多言語主義に対する意識、の四つです。しかし、ここでは「英語が話せないのは日本人だけなのか」を調べてみたいので、そのすべてを紹介することは割愛させていただきます。
 まず第一の「言語知識」ですが、調査では「母語を除いて会話できるほど充分に知っている言語は何か」という質問に対して、知っている言語を最大3言語あげるという回答形式となっています。
 その結果をまとめたのが表1であり、そこで挙げられた数の多い5言語についてEU全体で「知っている」と回答した人の割合を示したのが表2です。

        2001年 2005年   2012年
1言語以上    47%   56%   54%
2言語以上    26%    28%   25%
3言語以上     8%   11%    10%
全くない      53%    44%    46%

表1 知っている異言語の数

     2001年 2005年 2012年
英語    32%   38%   38%
仏語    11%   14%   12%
独語    8%   14%   11%
西語    5%    6%     7%
露語    *     6%      5%

表2 知っている異言語の種類(※ロシア語の2001年のデータは未公表)

 この表を見て、まず驚かされるのが、「知っている異言語は全くない」と回答した市民が半数近くいることです。つまり、EUのように文字も文法もほとんど同じで「言語間距離」がきわめて小さい言語を母語とするひとたちでさえ、必ずしも近隣の言語を話せるとは限らないのです。
 この数字にはイギリス人も入っています。イギリス人やアメリカ人は英語が普遍語だと思っていますから、外国語を学ぶ必要を感じていないひとが少なくありません。ですから英語人が「母語以外は知らない」と回答したとしても不思議はないのですが、イギリス人がEU全体で占める割合はそれほど大きいとは言えないのですから、やはりこの数字は驚くべき数字だと言えるでしょう。
 つまり言い換えれば、この数字は「EUのひとたちでも英語を知らない・話せない人は少なくない」ということを示していると考えられるのです。
 そのことを別のかたちで検証してみましょう。そのさい役立つのが表2です。これは、表1であげられた数の多い5言語について、「知っている」と回答した人の割合を言語別に示したものだからです。
 これを見ると英語の割合が高いことは事実です。しかしそれでも、EU全体で英語を異言語として知っているひとの割合は4割に満たないのです。2001年には32%だったのが2005年には38%に増えたとはいえ、2012年になっても38%のままで増加していません。これを逆に言えば、「EUのひとたちの6割強が英語を話せない」ということです。
 これは「英語を話せないのは日本人だけ」「英語は国際語だから英語さえ知っていれば世界中のひととコミュニケーションができる」という言説が嘘だということをも示しています。たとえ英語が話せる日本人でも、EUでは6割のひとが英語を理解できないのですから、英語で話しかけても通じるはずがありません。
 これは私の体験からも納得できることです。かつて私はベルリンの壁が落ちた直後に、モスクワを起点にして、ワルシャワ→クラコフ→アウシュビッツ(以上ポーランド)→プラハ(チェコスロバキア)→ベルリン(ドイツ)→アムステルダム(オランダ)という行程で、アンネの足跡を訪ねるひとり旅をしたことがあります。
 東欧はロシア語圏だから英語が通じないのは当然としても、ベルリンに着いたとき、「いよいよ英語が通じる世界に来た」と思ってホッとしたのですが、英語が意外に通じないことを知ってショックを受けた記憶があるからです。高級ホテルでは英語が通じないところはないでしょうが、私の旅は安宿を泊まり歩く旅でしたから、ホテルのフロントでは英語が通じず途方に暮れてしまったのでした。
 同じようなことを韓国でも体験しました。韓国の水原(スオン)という市で国際平和学会があったとき、ついでに忠清南道(チュンチョンナムド)天安(チョナン)市にある独立記念館を訪ねようとしたことがあります。韓国は小学校から英語教育をしていることで有名でしたからスオン駅で汽車の切符を買おうとして近くの若者に英語で話しかけてみたのですが、どの若者も「だめだめ」という手振りをして逃げ出してしまったのです。
 政府・文科省は「英語が話せないのは日本人だけ」という言説に根拠に小学校から大学まで全てを英語漬けにしようとしているのですが、このような文教政策は日本人に間違った劣等感を植えつけるだけで、有害無益と言わねばなりません。英語ができないから日本経済が低迷しているのだと言いたいようなのですが、Japan as Number Oneと言わしめた経済力は、読解中心の英語教育を受けた先人たちがつくりあげたものでした。
 ここでは詳述するゆとりがありませんが、現在の低迷は日本人の英語力とは何の関係もありません。それは全く別の要因によるものです。その証拠に日本の成人学力は世界一ですし、私が退職する以前は、「なぜ日本は高校の中途退学者がこんなに少ないのか教えてほしい」と、毎年のようにアメリカから岐阜大学教育学部に視察団が訪れていました。平均寿命も世界一です。マクガバン報告によれば世界で最も健康な食事は和食です。
 他方、アメリカの医療がすぐれているからという理由で、知人のいる私大では、医療経営者を引き連れた調査団をつくりアメリカに調査旅行に行ったひとたちがいるのですが、帰ってきた感想を聞くと「あまりにひどさに驚いた」の一言でした。マイケルムーアの映画『シッコ』を見ていれば、こんなことはすでに分かっていたことですが、英語力=経済力、アメリカ=理想の国という幻想が彼らの眼を曇らせてしまっていたのです。
(以下、次号に続く)

英語力は科学力を育てるか―「国際成人力テスト」でアメリカは最下層、日本は最上層!

国際成人力テスト、SSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)、「見る眼、観察眼」を育てる、英語教育(2015/06/03)

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OECD国際学力調査 「読解力でも数学力でも最底辺のアメリカ」

アメリカ 教育 識字力 chart 1 new アメリカ 教育 数学力 chart 2 new
 
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 安倍首相が米国議会で、「TPPは経済問題だけではなく安全保障の問題でもある。だから日本はこの交渉妥結を目指し全力を尽くす」と英語で演説し話題を呼びました。
 しかし心ある識者の中には、これは「まともな独立国」の首相がとるべき姿勢なのかと心を痛めたひとも少なくなかったのではないでしょうか。
 というのは、国家元首が外国で演説をする場合、一歩譲って英語に堪能であったとしても、自分の国の言葉でおこなうことが「国家の品格」を示す最良の方法ではないかと思われるからです。

 しかしよく考えてみると、アメリカ議会で英語演説する安倍氏の姿は、いま政府・文科省が推進している文教政策をみごとに反映していたのだとも考えられます。
 というのは、安倍氏が強力に推進しているのは、「中高の英語の授業を、英語でおこなう」「TOEFLを大学入試にする」「留学生を倍増し、12万人にする」「大学の一般教育の授業も外国人教員をやとって英語でおこなう」という政策だからです。
 しかしTOEFLは、アメリカ留学を目指すひとのための資格試験です。にもかかわらず、自らの指導要領を無視して、外国がつくった問題を日本の大学入試に利用しろと言うのですから、私たちの頭は混乱してしまいます。
 今まで「指導要領から逸脱するような問題は出題するな」と厳しく指導してきたのは文科省だったのではないでしょうか。
 さらに、OECDの「国際成人力テスト」でアメリカの若者が最下位を占めている事実を知ると、そのような国へ我が国の若者を大量に送り出そうとするのは、何のためなのかという新しい疑問がわいてきます。
 というのは、『ニューヨーカー』誌(October 23, 2013)によれば、OECDが16~24歳の若者を対象に22カ国の学力調査をした結果は、アメリカが最底辺の位置にいることを示しているのです[ただし「問題解決能力」は、ロシアを含めた20カ国の調査です]。

Numeracy(数学的能力):イタリア21位、アメリカ22位で最下位
Literacy(読み書き能力):イタリア22位、アメリカ21位
Problem Solving(問題解決能力):ポーランド19位、アメリカ20位で最下位
出典「アメリカの衰退を測る三つのグラフ」 
Measuring America’s Decline, in Three Charts


 しかも上記の調査結果は、実は16歳から65歳までの「国際成人力テスト」の1部なのですが、この全年齢の「成人力テスト」では、日本は世界トップなのですから、わざわざ何のために小学校から英語漬けの生活を強要されなければならないのかという疑問が、ますます強くなります。(別掲グラフ参照)
 それどころか、せっかく「世界一」と言われている学力すら、英語学習のためにそのエネルギーを奪われ、どんどん転落していくのではないかという恐怖さえおぼえます。海外で武者修行したいのであれば、日本で博士号を取り自分の研究テーマが明確になってからでも遅くありません。
 日本は博士課程まで世界最高レベルの教育を日本語で教授できるのに、しかも留学しなくてもノーベル賞を受賞する優れた研究者・科学者を次々と生み出しているのに、なぜ学部レベルの段階で学生をアメリカにまで送り込んで英語で苦労させなければならないのか。全くのエネルギー浪費になってしまうでしょう。
 白川英樹氏も山中伸弥氏も、アメリカに行ったのは博士号を得てから研究員として渡米したにすぎません。白川氏に至っては、氏が研究員としてアメリカに行くきっかけになったのは、氏の研究の素晴らしさに惚れ込んだペンシルベニア大学のマカダイアミッド氏が白川氏を共同研究者として招待したからでした。
 何度も言いますが、私が調べた限り、日本のノーベル賞受賞者で小さいときから英語学習に熱中したひとは皆無ですし、益川敏英氏をみれば分かるように、そのほとんどは留学すらしていません。大学院を出ていないので修士号すらもっていない田中耕一氏もイギリスに出かけていますが、子会社のKratos社への出向であって留学ではありませんでした。
 これらの事実は、科学力と英語力の関係をみごとに示しているように思います。アメリカの大リーグで活躍しているイチローも英語ができたから渡米したわけではありません。

OECDの国際学力テスト
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3936.html


 かつて「ジャパンasナンバーワン」と言われていた経済力が、「ジャパン・バッシング」のなかで今は衰退の一途をたどっています。それと同じように、「英語漬け」という新しい「ジャパン・バッシング」のなかで、「世界一」と言われている「数学的能力」や「読み書き能力」すら衰退させられていくのではないか、と思うのです。
 というのは、アメリカによる絨毯爆撃で全土が灰燼に帰した日本を不死鳥のように甦らせ、「ジャパンasナンバーワン」と言わしめるまでに経済成長させたのは、いま流行の「英語で授業」といったコミュニケーション重視の英語教育を受けたひとたちではありませんでした。むしろ旧態依然たる読解中心の英語教育をうけたひとたちでした。
 これはノーベル賞の受賞者についても言えます。
 世界中から「なぜ日本から次々と受賞者が出てくるのか」と驚嘆の目で見つめられているのですが、歴代受賞者の経歴を調べてみても、英語学習に熱を上げた(まして小学校から)形跡は全く見られません。
 それどころか小中学校時代は思いっきり遊んでいるひとが多いのです。高校や大学でもスポーツ部で汗を流しているひとも少なくないことに驚かされます。たとえばノーベル化学賞(2000)を受賞した白川英樹氏は、高校卒業まで岐阜県高山のなかで育ったことが自分の「見る眼」「観察眼」を育てたとして次のように言っています。

 小学校3年生のときに満州から引き揚げてきて岐阜県の高山に住みついた。それから中学,高校とちょうど10年間,高山にいたことは相当大きな影響があるだろうと思うんですね。
 自然の中に身を置くことが好きだったものだから,山をほっつき歩いて,昆虫採集や植物採集に夢中になっていた。昆虫採集にしろ,植物採集にしろ,ともかくよく見ていないと見逃してしまう。...そういうところで「何でもよく見る」という習慣が培われたのではないかと思います。(中略)
 だから,直感的に,失敗するはずのない実験がなぜ失敗したのかというのが一つあった。それと,失敗した状態をとにかく見なければ,ということでよく見てみると,今までの状態とは明らかに違ったということですね。(『応用物理』第77巻、第8号、2008:906頁)

 ここで白川氏は「失敗するはずのない実験がなぜ失敗したのかというのが一つあった。失敗した状態をとにかく見なければ,ということでよく見てみると,今までの状態とは明らかに違った」と言っていますが、ノーベル賞はこの失敗からうまれたと氏は言っているのです。
 この氏のコメントはノーベル賞を受賞したときに受けたインタビューで次のような質問を受けた答えとして出てきたものでした。

先ほどお話しになった,膨潤したぼろぼろに近い固まりの膜が本当にいいものにつながるというところ,普通はなかなか食いつきませんよね。ほったらかしてしまうケースが多い。白川先生はそこにずっと目を向けて,見逃さず入っていかれるところがあると思うのですが,子どものころの教育なり,お父さんお母さんや学校の先生の影響なり,あるいは自然環境なり,何かあるのでしょうか。(同上906頁)

 ここで質問をした吉野勝美氏(島根県産業技術センター)は、「膨潤したぼろぼろに近い固まりの膜が本当にいいものにつながるというところ,普通はなかなか食いつきませんよね。ほったらかしてしまうケースが多い」のに、白川先生は「それを見逃さず入っていかれた」。そのような力はどこで培われたのかと尋ねているのです。
 それにたいする白川氏の答えは次のようなものでした。

昆虫採集は仲間と一緒に行くことはあっても,どれ一つとして学校で習うとか,先生に教えてもらったということがない。自分で,あるいは友だちを通していろいろなことを学んでいく。昆虫採集にしろ,植物採集にしろ,ともかくよく見ていないと見逃してしまう。そういうところで「何でもよく見る」という習慣が培われたのではないかと思います。(同上906頁)

 つまり、失敗した実験の結果として出来た「膨潤したぼろぼろに近い固まりの膜」、ふつうだったら単純な失敗だとして「ほったらかし」にするようなものに注目して、その原因をさぐろうとしたところからノーベル賞につながる研究がうまれたと言っているのです。しかもそれは少年時代に野山をかけめぐり昆虫採集や植物採集に熱中した生活が「何でもよく見る」という習慣を培ったと言っているのです。
 このように白川氏の少年時代は「自然に溶け込み自然と遊ぶ」ことに費やされたのでした。英語塾に通うような少年時代ではなかったのです。もし少年時代から英語塾に通い、ひたすら英会話のフレーズを覚えることに費やされていたら、ノーベル賞を受賞する白川少年に育つことはなかったでしょう。
 同じことは他の多くの受賞者についても言えることです。私が調べたノーベル科学賞の受賞者はいずれも、小学校時代は遊びに大きな時間を割き、高校大学時代はスポーツに汗を流しているひとが少なくないのです。しかも、ノーベル賞受賞につながる研究の多くは失敗から生まれています。2002年のノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の場合も同じでした。(『生涯最高の失敗』朝日新聞社)
 ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥氏にしても、部活動で柔道に打ち込んでいた氏は足の指や鼻などを10回以上骨折した経験からスポーツ外傷の専門医になろうと整形外科医をめざしたのですが、手術が不得手で他の医師が30分で終わる手術に2時間かかり「ヤマナカではなくジャマナカ」と言われ、病院を退職して大学院「薬理学教室」に入り直したのでした。
 この「薬理学教室」で失敗した実験が山中氏に新しい研究テーマを与えてくれたのでした。そして大学院修了後、博士号を得てサンフランシスコ大学グラッドストーン研究所の研究員として渡米したのですが、そこでも実験に失敗しています。しかし、その失敗した実験がさらなる研究テーマを生み出し、それが帰国後のノーベル賞を受賞する研究へとつながっていったのです。(山中伸弥, 益川敏英『大発見」の思考法』文春新書)


 もうひとつ彼らに共通しているのは「数学が好きだった、得意だった」ということです。彼らが好きだったのは「英語学習」ではなかったのです。国語・日本語は「読み書き能力」の基礎となる「自然言語」だとすれば、数学は自然を読み解く「人工言語」だからです。
 化学や物理学であれば当然、数学が好きだっただろうし得意だっただろうと想像できますが、柔道に打ち込み最初は外科医をめざした山中伸弥氏でさえ、「数学は大好きだった。勉強というよりも、パズルのような感じで、難しい問題を解くのが趣味だった」(同上54頁)、「益川先生の前で言うのもなんですけど、私、数学の才能はけっこうあったんじゃないかと思います(笑)」(57頁)と言っているのです。
 ところが、文科省は何を間違ったのか、「スーパーサイエンス・ハイスクール」(SSH)という制度をもうけて、これに応募した学校に補助金を出すということを始めました。そして科学技術や理科・数学教育を重点的におこなう高校を指定する制度であるはずなのに、じっさい指定校になった高校の教師に尋ねてみたら、英語で理科の授業をおこなうことが強力に推進され、英語教師までもがそれにかり出されているというのです。
 しかも莫大な予算が付き、その予算を消化するためにも「英語圏」に修学旅行や研修旅行が企画され、その企画立案や現地校との連絡のため、英語教師が振り回されるという事態も生まれています。こうして高校の英語教師は、自分の授業だけでも「英語で授業」をすることに疑問や悩みを抱えているのに、理科の授業にまでかり出されて疲れ切っているという話が伝わってきました。
 私が主宰する研究所の研究員がいる学校でも「英語の教師」という理由だけで「スーパーサイエンス・ハイスクール」の事業にかり出されているというので、「理科の教師たちが勝手に手を上げてそのプログラムに立候補したのだから、理科教師に任せておけばよいではないか」と助言したのですが、校長の面子もあり「学内の協力体制」という一言で押さえつけられ、反対できる余地がほとんど残されていないとのことでした。
 文科省の「英語力=国際力、英語力=研究力、英語力=経済力」という考え方が、京都大学の「国際化を断行する大学」「共通教育の半数近くを英語でおこなう」という方針につながっていったことは今や広く知られた事実ですが、それが「スーパーサイエンス・ハイスクール」というかたちで今や高校教育までも大きく歪めつつあることは、私にとって大きな驚きでした。
 私の研究所の研究員が勤務する学校も、「スーパーサイエンス・ハイスクール」のプログラムの一環としてハワイに研修する企画を立て、その連絡係として英語教員が駆り出されています。ところが「スーパーサイエンス・ハイスクール」を念のためにウィキペディアで調べてみたら、「制度への批判」という項目で次のようなことが書かれていて驚かされました。

国立天文台普及室長の縣秀彦はSSH指定校からすばる望遠鏡の見学要請を受けた際、望遠鏡のあるハワイ島のマウナ・ケア山(標高4205m)は16歳未満の登頂が禁止されている山であるにもかかわらず一部の高校の連絡や準備が不十分であったという経験を引いてSSHの教育活動に「科学技術系人材の育成」という本来の目的だけではなく、「学校の面目や先生の個人的な動機」が介在していると事業に疑問を呈した。またSSHは指定された一部の高校に予算を集中させる制度であるため、教育の機会均等の観点から好ましくなく「SSHの隣の高校にも理科好きの生徒はいるのですから」と予算を全国の科学館や博物館の充実に向けたほうがよいと指摘した。(朝日新聞 2007年(平成19年)7月1日)

 これは2007年の記事です。今は2015年ですから8年近くも前から、このような英語圏だという理由だけでハワイが選ばれることが続いているわけです。真の理科教育とかけ離れた事業が、莫大な費用をかけておこなわれているのです。
 ウィキペディアによれば、「2007年(平成19年)度予算では約14億4443万円、2010年(平成22年)度予算では約20億6500万円、2011年(平成23年)度予算では約24億400万円が配分されており、増額傾向にある」そうですから、血税の壮大な無駄づかいと言うべきでしょう。

 自然科学を読み解くための言語は「数学」です。その裏には文章をきちんと読み解くための基礎学力としての「国語」があります。にもかかわらず、英語学習だけを重視し、授業を英語でおこなうことが理科教育を大きく飛躍させるという考え方をこのまま進めていけば、韓国の二の舞になることは眼に見えています。
 「我が国から一刻も早くノーベル賞を!」ということで韓国は英才学校をつくり英語による授業を強力に推し進めてきていますが、いまだにノーベル賞受賞者は誕生していません。それどころか、「日本では母語・母国語で博士課程まで教育をできるから次々とノーベル賞受賞者が誕生している」という深刻な反省すら生まれ始めています。(『英語教育原論』明石書店)。
 深い思考は母語・母国語でおこなわれます。これはノーベル賞受賞者もはっきり認めていることです。山中伸弥・益川敏英両氏の次のことばを、文科省は今一度かみしめてみるべきではないでしょうか。

 益川:名古屋大学の教養の二年の時に、数学コンクールというのがあった。いくつか問題が出されて、いい成績を取ると、先生が小遣い銭から鉛筆六本とノートを買ってくださる。
 山中:それ、今だったら小学校の運動会の景品ですよ(笑)。時代を感じますね。
 益川:その時、出された問題が六題あって、五題は解けたの。でも、最後の一つがどうしてもわからない。「n点がある。そのうちの任意の二点を取って直線を引けば、必ずその直線上に、もう一点がある。このような条件であれば、すべての点は一直線上にある。それを証明せよ」とこういう問題だったんだけど、友達同士で話し合っても、誰もわからん。夏休み中考えたんだけどわからなかった。しかし、実に簡単なことだったんだ。「n点」というのは、百個でも二百個でもなんでもいい、点が有限個あるということだ。この「有限」という言葉が重要なの。無限だったら、その例外はすぐみつかる。有限なものは最大とか最小が必ずある。だから、最大か最小というキーワードを探せばわかるはずだったのに、それがわからなかった。最終的には、「線と点の距離の最小」というのがキーワードなんですけどね。夏休みの終わりに先生から解答が発表された時には、もう、腹が立って腹が立って……。
 山中:益川先生が今おっしゃったことは、計算力よりも読解力、国語力が大事ということでもありますよね。
 益川:そう、科学の基本は国語ですよ。何にしてもすべて文章の言葉から入ってくる。読んでその世界が頭に思い浮かべられるかどうか。その力があれば、理解していける。そのあとは、吸収した知識を頭の中で思い描いて発展させていけるかどうか。数学は「計算するもの」というイメージがあるかもしれないけど、数式は基本的には言葉なんです。数式とは「かくかく、しかじかの関係がある」とか、「○○という事実を表わしている」ということを語っていて、そういうことを組み合わせて発展させていけば、答えになる。だから言葉が大事なんです。
 山中:国語力は全ての基本だと私も思います。(山中伸弥, 益川敏英『大発見」の思考法』文春新書、58-60頁)

 以上の事実が明らかにしていることは、科学力を育てるために英語教育に膨大な金と時間を注ぎ込むよりも、少年時代は五感を鍛えるために思い切り自然とふれあったり遊びや運動に熱中させる機会を与えること、そして基礎学力である「国語力」「数学力」を育てることに教育予算を投資することが重要だということです。「英語力」に投資するのは中学教育からで充分なのです。歴代のノーベル賞受賞者は、私たちにそのことを教えてくれているのではないでしょうか。
 

英語の学力低下は、誰がもたらしたのか―文科省が初調査「高3英語力は中卒程度」(下)

英語嫌い、英語で授業、「"ざる水" 効果」、高3英語力調査 (2015/04/20)
 
前回のブログで、拙論「誰が英語の学力低下をもたらしたのか―文科省が初調査『高3英語力は中卒程度』」(上)を紹介しましたが、長周新聞(2015年4月15日)が引き続き、(下)を載せてくれましたので、それを以下に転載させていただきます。
 なお国内情勢ではTPP、国際情勢ではイエメンとウクライナが風雲急を告げていますが、それらについては下記に優れた分析や翻訳があります。それで私の方は、「英語教育」「アメリカ理解」その他へと、徐々に重点を移していきたいと考えています。
*櫻井ジャーナル:http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/
*マスコミに載らない海外記事:http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/


文科省が初調査「高3英語力は中卒程度」
英語の学力低下は、誰がもたらしたのか(下)


文科省では英語力の調査のほかにアンケート調査もおこなったようですが、それによると「英語を嫌いな生徒が五八・四%。海外留学やビジネスに必要なレベルの習得を目指す割合も約一四%にとどまった」そうです(時事通信三月一七日)。
 ところが、ここに興味深い調査結果があります。それは広島大学教育学部の調査で、それによれば、英語嫌いの生徒が一〇年ごとに激増しているというのです。それについて私は、前掲書『英語教育が亡びるとき』で次のように書きました。少し長くなりますが、以下に引用します。

さらに、もっと深刻なのは高校生の英語に対する意識が確実に変化していることです。広島大学教育学部英語教育研究室では、一九六六年から毎年一〇年ごとに研究室をあげて「高校生の英語学習意識」の調査を実施しているそうですが、一九九六年におこなわれた調査結果が『英語教育研究』四〇号に報告されています。それによれば「英語は将来必要だと思う人だけが勉強すればよい」と考える高校生が年を追うごとに増えています。
下の棒グラフ[省略]で網掛け部分が「英語に対する好意的意識」を示すように表示されているので、それを見ればお分かりのとおり、一九六六年には英語に好意を示すものが六三・八%もいたのに、一九八八年には半減して三〇・七%、そして一九九六年には二五・七%に落ち込んでいるのです。これを逆に言えば、「英語は将来必要だと思うひとだけが勉強すればよい」と考える高校生は、一九六六年には一一・九%しかいなかったのに、それが一〇年ごとに増えていって、一九九六年の時点では三一・八%になり、英語に好意を持つ二五・七%を超えてしまっているのです。
つまり昔の高校生は英語を勉強すれば明るい未来が待っていると信じることが出来たのに、今の高校生は「少しぐらい英語を勉強しても明るい未来が開けるとは限らない」ということがわかり始めているのです。この調査は一九九六年の調査ですから、最新の調査ではもっと悪い結果になっていることは十分に推測されます。なぜなら米国が嘘をついてイラク侵略したことが明らかになってからは「英語を話す理想の国」米国の権威は大きく失墜してきていますし、また米国発の金融危機がそれに拍車をかけているからです。(一六八-一六九頁)


 私は上記の引用で「この調査は一九九六年の調査ですから、最新の調査ではもっと悪い結果になっていることは十分に推測されます」と書きました。この予言が的中したことが、今回の文科省の調査で明確に示されているのではないでしょうか。
 というのは、広島大学の調査では、「英語は将来必要だと思うひとだけが勉強すればよい」と考える高校生は、一九六六年には一一・九%しかいなかったのに、それが一〇年ごとに増えていって、一九九六年では三一・八%になり、英語に好意を持つ二五・七%を超えてしまっています。
 この「英語は将来必要だと思うひとだけが勉強すればよい」という意識は、「英語を嫌いだ」という意識の間接的表明だと考えられます。それが一九九六年の時点で三一・八%だったのが、今回の二〇一四年の調査では五八・四%になっているのです。

一九六六年、一一・九%
一九九六年、三一・八%(三〇年間で約二〇%増)
二〇一四年、五八・四%(さらに二〇年後に約二六%増)


 つまり、政府・文科省が「英語は国際語だから勉強しろ」「英語を話せないのは日本人だけだ」「日本の不況は日本人の英語力のせいだ」という嘘を振りまいて、下は小学校から上は大学まで、生徒・学生に「英語漬け」を強制しているのですが、生徒の間では「英語嫌い」がますます進行しているのです。
 この「英語嫌い」の結果は、「海外留学やビジネスに必要なレベルの習得を目指す割合も約一四%にとどまった」という調査結果にも表れています。
 政府・文科省は、必死になって英語熱を煽り立て、あわよくばTOEFLまでも大学入試で受験させつつ海外留学(とりわけアメリカ留学)させようとしているのですが、当の高校生は「笛吹けど踊らず」なのです。
 しかし、だからこそ逆に、文科省や各県教育委員会の強制力を通じて、今の異常な英語熱がつくられているとも考えられるのです。
 ところが広島大学の調査では、一九六六年の時点で、「英語は将来必要だと思うひとだけが勉強すればよい」というアンケートにたいして「反対」、つまり「英語はすべてのひとが勉強すべきだ」と考えていた高校生が、六三・八%もいたのです。
 この頃は少なからぬ高校生がアメリカに好意をいだき、可能なら留学したいと思っていたから、政府・文科省はやっきになって英語熱や留学熱を煽る必要もありませんでした。
 しかし今の高校生は非常に冷めた目で英語やアメリカを見ているのです。その理由を私は前掲書で次のように書きました。くどいようですが再度引用します。

昔の高校生は英語を勉強すれば明るい未来が待っていると信じることが出来たのに、今の高校生は「少しぐらい英語を勉強しても明るい未来が開けるとは限らない」ということがわかり始めているのです。この調査は一九九六年の調査ですから、最新の調査ではもっと悪い結果になっていることは十分に推測されます。なぜなら米国が嘘をついてイラク侵略したことが明らかになってからは「英語を話す理想の国」米国の権威は大きく失墜してきていますし、また米国発の金融危機がそれに拍車をかけているからです。(一六九頁)


 いまアメリカは、オバマ政権になってから、イラクやアフガニスタンどころか、リビアやシリアやイエメンにまで戦争を拡大しました。そして無人機と秘密特殊部隊による殺戮で大量の難民を生み出し、世界各地を瓦礫に変えています。また国内でも、市街地だけでなく高校や大学などの学内でさえ、銃撃事件が相継いで起き、多くの生徒・学生が死傷しています。
 これではアメリカ嫌いが増えることはあっても減ることはないでしょう。そしてアメリカ嫌いは必然的に英語嫌いへと連動していきます。
 何度も言いますが、このような状況に危機感を感じたからこそ、政府・文科省は、教育委員会を使って英語熱を煽り立て、中高生に英検を強制的に受験させたりなど、しているのではないでしょうか。留学のための資格試験であるはずのTOEFLを、大学入試に使わせようとしたり、大学の一般教育にまで「英語で授業」を推奨するのも、その一貫でしょう。
 また、その制度的裏付けとして小中高の学習指導要領を次々に改訂(改悪?)し、その内容を「会話・コミュニケーション」一辺倒にしました。ところが皮肉なことに、その成果が「高三生徒の英語力が中卒程度」「海外留学やビジネスに必要なレベルの習得を目指す割合も約一四%」という惨めな調査結果になって現れたというわけです。
 それにしても「英語力が中卒程度」の高三生徒が続々と入ってくる大学に、「英語で授業」を推奨する文科省の神経が、私には信じられません。


<註> 日常会話文を暗記する英語学習法は、それを日常的に使う機会がないのですから、覚えてもすぐ忘れてしまいます。これを私は「"ざる水" 効果」と名づけています。笊(ざる)にどれだけ水を入れても、水は溜まらないからです。「会話文では会話の基礎は育たない」ひとつの理由です。詳しくは以下に載せてある私の英語教育論を御覧ください。
http://www42.tok2.com/home/ieas/
http://www42.tok2.com/home/ieas/englishteaching.html





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