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英語教育を踏み台にして、「美しい国」を破壊しているのは誰か――季刊誌 IB 2018夏季特集号の反響(続)

英語教育(201810012) 大学入試、スピーキングテスト導入、民間委託=大学入試の民営化、「美しい国」の荒廃

迷走する英語入試

 相変わらずIBの反響が(電話、手紙、メールというかたちで)次々と届いています。今回は取り合えず以下のメールをお裾分けさせていただきます。
 送り主は岐阜大学医学部の卒業生で、私は彼に共通教育の英語を教えただけですが、いまだに付き合いが続いています。彼はいま私立大学部付属病院で眼科医(医学博士)をしています。
 ちなみに当時の岐阜大学医学部眼科は世界的にも有数の研究と治療技術を誇っていました(現状は知りません)。私は彼を通じて、医者の卵がどのような過程を経て一人前の医者(眼科医)になっていくのかを、つぶさに知ることができました。

寺島先生
 インタビュー記事の掲載誌を下さいましてありがとうございました。
 偶然なのですが今チョムスキー氏の最近の本『誰が世界を支配しているのか』を読んでいるところです。郵便が届いた時に「あ、寺島先生からだ。チョムスキー読んでたからだなぁ!」と自然につながっていました。不思議な感覚です。
 小学生に英語を正式科目として導入する件は、私は反対です。
 日本語で思考するので、小さいうちはきちんと日本語の教育をするべきです。
 大きくなっても(高校や大学で)教育は日本語でおこなうべきです。英語を英語で教育するとは!?それなら語学の超専門家を養成する外語大ではペルシア語をペルシア語で教育するのか!そんなアホなことはありません。
 私は中学の時に英語研究部に所属していて顧問の先生と雑談をする機会があり、学校の英語を習っていてもアメリカ人と会話できるようにはならないのではないですか?と質問したことがあります。
 先生はシェイクスピアの英語劇をしていたけれど英会話が得意ではないと笑っていました。そしてそんなことは当たり前であって、英語を勉強するのは英語圏の文化を知ること、主にアメリカの先進的な研究などの文書(雑誌や論文)を読んで自分で勉強できるようにするのが目的で、会話は別のことであるとおっしゃいました。今でもそれが正しいと思っています。
 私は国家主義的な安倍総理が嫌いです。安倍総理の時代になってから妙に英語教育がかき回されているように思います。(国家主義者が英語一辺倒・アメリカ一辺倒というのもおかしな話ですが)
 これまで「学校の英語を習っても英会話ができないじゃないか!」という声がマスコミで流れても歴代の総理大臣は無視していたか、私の中学の先生のような見解の文部官僚が当時はそれを遮っていたかのどちらかであるように感じていました。
 マスコミが煽っても教育は揺るがなかったのです。ところが安倍総理になった途端に、小学生から導入だとか、会話重視だとか妙な変化が起きました。
 学問体系に沿ってきちんと修練した指導者・文科省役人なら、容易にはこの体系を崩しにかかったりしないと思います。思うに安倍はあまり勉強をしないで大人になったのではないかと思います。だから安易な声に従っているのだと思います。
 読み書き重視の英語教育は、今までは、ある意味での岩盤規制がかかっている状態でしたが、安倍は規制を粉砕することばかりに熱心であるようです(教育における「規制緩和」)。岩盤規制というのは国の根幹を形成している場合が多いので、単に粉砕すればよいというものでもないのです。
 「英語教育を大転換するべきなのか」、それは、そもそも現場の英語の先生たちの意見によって決めることで、教育にはあまり関わりのない種類の(あるいは教育に全く素人の)国会議員が決めることではないのです。

 共通試験の英語の点数を外部の検定試験に置き換えるというのは全く意味不明です。試験問題は、大学教育に必要なレベルを測定するために大学教師が作成するのであって、外部の検定会社を使うというのは目的が違うからです。
 なんとなく良さそうな英語の試験があるから、ちょっとそれを使ってみようかという軽率な考えが透けて見えます。
 そんなことがまかり通るなら、国語の試験は漢字検定と日本語検定に置き換えればよいし、数学などは『大学への数学』誌の懸賞問題にすればよい。

 小学生に英語を教えるとか、高校や大学で「英語だけで授業をする」ということを認めるとしたら、まず全国の教育学部に小学校英語教諭コースと高校英語「無日本語」教育コースを設置して新しい科目の教員を養成しなければならないと思います。
 教員をきちんと確保してからようやく新しい科目をスタートするべきです。これまでの英語とは全く異なるものなので、それぐらいの準備が必要です。というか、先述のとおり、そんなことはするべきではないのです。

 英会話はそんなに必要なのだろうかという疑問もあります。英会話はできないよりできた方がよいけれど、全員ができる必要はない。テニスや野球も、できないよりできた方が良いけれど、全員ができる必要はない。必要な人がやればよい、やりたい人がやればよいのです。
 機械による自動翻訳が登場しています。会話が出来なくても音声解読ソフトで文章化してスマホに表示させたりできます。普通の人の外国旅行はそれで済みます。そんな時代になぜ1億総英会話教育を始めなければならないのかわかりません。

 戦後にアメリカは、日本の強さの根源は大家族生活による知識の伝承であると見て、核家族文化住宅が先進的であると見せ掛けて日本に導入させたと聞いたことがあります。 日本語でしっかり考えることを骨抜きにして英会話に走らせれば、ますます日本は弱体化します。
 安倍は「美しい国」だの「伝統を愛する」だの「国益を守る」という言葉をよく使いますが、英会話を強制したり英語で英語教育をさせるのは、何よりも国益を損ね、美しい日本の伝統を荒廃させているのです。彼はいったい何人(なにじん)なのか?見本人なのか、アイデンティティーはどこなのか?あるのか?

 私の分野の眼科では、20年前は、日本語の眼科医学書は数種類しかなくて、英語の教科書を読む必要がありました。特に手術の本はありませんでした。
 今は日本語の眼科の本がたくさんありますから、後輩たちは英語の教科書を読む必要はありません。
 研究はやはりアメリカが先進的なので、最先端の技術を導入したい場合は英語論文を読まなければなりません。最先端で勝負する眼科医とは、学会のリーダー的な少数の先生やその次を狙う候補生たちです。
 そのような人はアメリカの学会で発表するので英語で討論しなければなりませんから英語のプレゼンテーションが必要です。そのようなひとたちは、この分野で一握りしかいません。
 私のような普通の医者はリーダーが教えてくれたことを実地の治療に使うだけなので、英語は使わなくても済みます。英語学習に無駄な時間や精力を使うくらいなら治療技術を磨くことに使いたいと思っています。
 先生のインタビュー記事を読んでいろいろ考えたことを書いてみました。
 これからもよろしくお願いします。先生ますますのご健勝をお祈り申し上げます。


 以上は大学病院で眼科医をしている教え子からの便りでしたが、次に紹介するのは、英語関係の出版社で編集者をしている方からの便りです。
 この方は、大学入試を民間会社に丸投げしようとする文科省の政策に、強い疑念を提示されています。
 英語関係の出版社は、ともすると、これを機会に、英検・TOEIC・TOEFLその他の受験問題集を売り出して一儲けをしようとするところが多いのですが、そうではない方もいるのだということを知り、おおいに励まされました。
 また下記の便りでは、ほとんどの大学英語教師が文科省の政策と正面切って闘おうとしていないなかで、孤軍奮闘している人物として羽籐由美氏を紹介していますが、彼女の意見を知るには『検証、迷走する英語入試』第3章(岩波ブックレット)が役立ちます。

寺島隆吉先生
 暑かった夏もようやく一段落、ここ数日でやっと秋らしくなってまいりました。その後、すっかりご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、この度は、『I.B』をお送りいただき、ありがとうございました。写真付きの先生のお元気そうなお姿を懐かしく拝見し、また変わらず、現状への批判を忘れない姿勢に感激いたしました。

 このところ、英語教育の議論を見ていると――とりわけ民間試験導入をめぐる論争を見ていると、英語教育関係者の不甲斐ない姿を見せつけられるにつけ、寺島先生のような姿勢を引き継いでくれる人は出てこないものかと思うことが多いので、なおさらそのように思いました。
(私にとっては特に興味深かったのは、「教員の研究費を削ってTOEICの受験料を捻出」という部分です。)

 この半年ほどの私の、英語教育に関することでの最大の関心事は、上に書いたとおり、民間試験導入の件です。世間では4技能か2技能かの対立みたいに言う人もいますが、いやいやどうして、制度設計があまりに杜撰で、これではいわゆる4技能派といわれる人ですら賛成できなような代物です。
 こんなものを支持している英語教員がいるのかと思うとうんざりしますが、先日、大学英語教育学会(JACET)の報告書を見ていたら、民間試験を導入することを推進するための諮問委員になったことを自慢して書いている文章があって、その見識のなさに唖然としてしまいました。
 JACETの人たちは、こういう動きは自分たちの主張する「使える英語」路線を支援するものと思っているのかもしれませんが、こういう政策は、一方では、大学の英語教員への不信感から生まれているところもあるわけで、いずれ大学の英語教員じたいが要らないと言われかねない危険があると私には見えます。
 それなのに、こういう政策を支持するとは、いったいどういうことなんだろう、とあまりのおめでたい姿勢に愕然とします。

 腹立たしいことの多いなかで、この民間試験導入をめぐる議論で、1人だけ、すごいと思った方がいます。京都繊維大の羽藤由美先生です。
 羽藤先生は立場としては4技能派で、みずからスピーキングテストを開発しているような方ですが、今回の民間試験については、徹底批判の側で、いまもっとも実質的かつ徹底的な論陣をはっているのは羽藤先生です。
 JACET会員でもある彼女は、JACETの対応についても孤軍奮闘、闘っています。英語教育にもまだこんな人がいたんだなあ、と思って感心していま
す。
 急に涼しくなってきました。どうぞくれぐれもお体にはお気を付け下さい。
 取り急ぎ、御礼のみにて失礼いたします。


 上のメールで紹介されている羽籐由美氏の主張は「大学入試でスピーキングの試験をするのは反対ではないが、それを種々雑多な民間会社に丸投げするのは無責任であり、受験生にとっても公平な制度ではない」というものです。
 これについては次回のブログで私見を述べるつもりです。というのは、私は「大学入試でスピーキングテストは不要だ考えているからです。その理由については次回までお待ちください。


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ソフトバンクCEO「英語学習にうつつを抜かす暇があったら創造的思考力を磨くことに使え」―季刊誌 『IB』2018夏号インタビューへの反響

英語教育(20181009)、沖縄県知事選、玉城デニー、ソフトバンクCEO=宮川潤一、セミリンガル←→バイリンガル←→モノリンガル、カンピーナス大学=ブラジルの国立大学、英語教師三つの仕事三つの危険

『英語教育原論』

 沖縄県知事選における玉城デニー候補の勝利は実に快挙でした。自民党幹部や公明党・創価学会が本土から乗り込んでいって強烈な工作を展開すればするほど逆効果になったのですから、皮肉なことでした。
 他方で世界情勢です。DeepStateによるトランプ降ろしで、相変わらず混沌としているアメリカ情勢。ロシアのもつ高度な軍事力のため、アメリカやNATO諸国が手を出しかねているシリアのイドリブ情勢。
 これらについても書きたいことは山積しているのですが、これについても断念することにしました。というのは、季刊誌 IB (InfromationBank)2018夏季特集号のインタビューにたいする反響が(電話、手紙、メールというかたちで)次々と私にあてに届いているからです。
 私が本年5月19日に書き始めた連載「世界はいま『大転換』のとき」3部作のうち、第1-2部は書き終えたのですが、第3部がまだ残っています。しかしIBインタビューにたいする反響も、なかなか捨てがたいものが多く、それを紹介してから第3部に移りたいと思うようになりました。

 そこで今回のブログで紹介しようと思っているのは、私が岐阜大学教養部時代の教え子から届いたIB インタビューへ感想です。
 彼女は岐阜大学教育学部(社会科教育講座)を卒業して**市役所に就職しました。就職して最初の所属は、市の国際観光センターでした。
 岐阜県や愛知県ではブラジルからの移民が多かったことを反映して、その国際観光センターは、英語だけでなくポルトガル語や韓国語・中国語など多言語のニュースレターを、毎月、発行していました。
 市民に対する案内が英語一辺倒になりがちな国際都市や国立大学が多いなかで、このような市の対応は、当時としても(現在ですら)非常にユニークなものでした。**市の高い識見を示すものだったと思います。(岐阜大学のキャンパスも英語の案内標識だけです。)
 ですから、この職場は、卒業する前の1年間、ブラジルの国立大学=カンピーナス大学に留学していた彼女にとって、まさにうってつけの職場でした。
 留学するのであれば英語圏を目指す学生が多いにもかかわらず、カンピーナス大学(岐阜大学との交流提携校のひとつ)を選んだというのも、彼女の目の鋭さを示すものだったと思います。
 先述のとおり私は当時、教養部に所属していて、共通教育の英語しか教えていませんでした。しかし彼女は専門学部に異動したあとも私の研究室によく出かけてきました。それでも「今度、ブラジルへ留学することになりました」という話を聞かされたときは、さすがに驚きました。
 文科省は、ポルトガル語を公用語とするブラジルからの移民が激増している最中に小学校に英語教育を導入しようとしました。このような英語教育政策にたいして、急遽、拙著『英語教育原論:英語教師三つの仕事三つの危険』を著して抗議の意志を表明したのは、私が教育学部に異動したあとでしたから、今から考えると、当時の彼女は、はるかに先を見通していたのだと思います。
 そんな彼女が季刊誌 IB (InfromationBank)2018夏季特集号を読んで送ってくれた手紙でしたから、その感想も相変わらず鋭いものでした。ブラジルに移民した日本人がたどった運命と、英語漬けになっていく日本の現状を重ね合わせた考察や、ソフトバンクのCEO宮川潤一氏がたどった軌跡の紹介は、文科省の役人や県の教育長にぜひ読ませたいと思いました。

寺島先生
 過日は、先生の記事が掲載された雑誌を送っていただき、誠にありがとうございました。
 先生のますますのご活躍をうれしく感じながら、また、30年前の学生時代に戻ったかのような感覚を持って、懐かしく、一気に読ませていただきました。
 私は、今、**市教育委員会文化スポーツ課に在籍しており、市の生涯学習事業、スポーツ事業を展開しています。
 私が担当している事業のひとつに、様々な分野の専門家を招いて実施している生涯学習講座「市民総合大学」というものがあります。そこには1000人の市民が受講しており、驚くことに8割近くが70歳以上で、「学びへの意識の高さこそが日本人らしさだ」と感じる今日この頃です。
 一方、学びが喜びだと感じられるようになるには、知識の元となる理解力や読解力は欠かせないと考えます。ここに通う受講者は、今までの人生において知識の元をしっかり培い、持っていらっしゃるように思います。
 しかし昨今の日本の義務教育では、母国語で深く論理的に思考することよりも、英語の低年齢化に重きが置かれ、母国語が確立する前に英語を学ぶことにシフトされつつあるのですね。日本の英語教育の行く末を心配する寺島先生の持論に、共感することしきりです。
 1990年代に日本の労働力として受け入れた日系3世の南米人たちは、30年が経ち、日本で子供を産み育て、言葉の壁がなくてもなんとか生活できる環境を手に入れました。今、世代は、その子供や孫(金)日系4世~5世)に移りつつあります。
 しかし、両親が生活に追われ、教育の機会を失われた子どもたちは、母国語も半分、日本語も半分くらいしか分からない、教養がなく、深い思考が身についておらず、就職もできないという状況で、セミリンガルな世代を作り出してしまいました。
 日本人も英語教育の視点を一歩まちがえると、バイリンガルではなく、中途半端なセミリンガルな子供たちをたくさんつくってしまうのではないかと危倶してしまいます。
 また、過重な教育方針のシフトが、教育を与える側の先生の負担になってしまうのも、大きな問題です。日本人には日本人の思考に合った英語教育があると思います。大事なのは、外国語を学ぶ過程で、違った考え方や文化、外国的な思考法を学ぶことではないでしょうか。
 **出身で一番ビジネスにおいて成功された方に、ソフトバンクのCEO宮川潤一さんという方がいらっしゃいます。この方は、仏教系大学(京都の花園大学仏教学科)を出てITの道を選ばれたので、英語は全くできないそうですが、孫会長の腹心の部下として、世界中でビジネスを展開されています。
 講演会でその方が、「今の私には英語を学ぶ時間はもったいない。言葉のバリアはAIや通訳者が解決してくれる。何億円の決裁案件な翻訳機能で理解できるし、支障がない。創造的に考える力や、プログラミング的思考を磨いた人材が我社に欲しい。」とおっしゃっていました。なるほどと思います。
 ついつい先生の記事に感銘を受け、余分なことまで書いてしまいました。
 寺島先生、今後も大学の英語教育の問題も含め、日本の教育全般に警鐘を鳴らし続けてください。
 また、先月、市の広報で、市ゆかりのまぼろしの俳人「鈴木しづ子」の特集を執筆しましたので、お読みください。
 先生の今後のご活躍、心より、ご祈念申し上げますとともに、残暑厳しい折、お体ご自愛ください。
 草々

なぜ文科省は自発的「植民地化」に邁進するのか

英語教育(2018/09/15) 「自己家畜化」の英語教育、「ザルみず効果」の英語教育、「外資・教育産業」を儲けさせるための英語教育、←→「母語を耕し、自分を耕し、自国を耕す」ための英語教育

 私へのインタビューが、季刊誌『IB: Information Bank』2018夏季特集号で、「なぜ文科省は自発的『植民地化』に邁進するのか」という題名で、巻頭のトップ記事になっていたので驚愕してしまいました。
 この雑誌を長周新聞に送ったところ、8月27日号の文化欄に、「英語教育『植民地化』の狙いとは」という題名で、このインタビュー記事が紹介され、2度ビックリという事態になりました。
 そこで前回のブログでは、この長周新聞の記事を紹介したわけですが、今回は、季刊誌IBのインタビューそのものを以下に紹介させていただきます。6頁にもおよぶ長いものですが、よろしくお付き合いいただければ幸いです。
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大学入試「改革」 ー 「英米語」「英語人」という商品を売り込む 巨大なビジネス・チャンス

英語教育(2018/09/09) マケレレ5原則(1961、ウガンダ)、大学入試の民営化・外注化、「ザルみず効果」の会話教育、現場を疲弊させる「英語で授業」、NHK外国語講座の講師は母語話者?

『英語で大学が亡びるとき』 『英語教育が亡びるとき』

 先日、私のところに送られてきた季刊誌 IB (InfromationBank)を見たら、私へのインタビューが、巻頭のトップ記事になっていたので驚愕してしまいました。
 まさか「巻頭のトップ記事」として扱われるとは、予想だにしていなかったからです。
 この雑誌を長周新聞に送ったところ、今度は、このインタビュー記事が、8月27日号の文化欄に、「英語教育『植民地化』の狙いとは」という題名で紹介され、2度ビックリという事態になりました。
、「鉄は熱いうちに打て」と言いますから、「世界はいま「大転換」のとき」という私の連載は、いったん中断して、まず長周新聞の記事を以下に紹介することにします。
 次回は、季刊誌『IB』2018夏季特集号に載った6頁のインタビューを、一気に掲載する予定です。

長周新聞20180827 季刊誌IB2018夏季特集号インタビュー

<註> 最近、『検証 迷走する英語入試――スピーキング導入と民間委託』(南風原朝和・編、岩波ブックレット、2018)を読みました。これを読めば読むほど、このたび外注化されようとしている大学入試・英語は、TOEICやTOEFLを初めとする「外資・教育産業」を儲けさせるために導入された政策だったということを、ますます確信することができました。
 これまで私が一貫して主張してきたこと、すなわち文科省がすすめる英語教育「改革」は「教育の原理」ではなく「経済の原理」によるものだということが、今回の英語大学入試「外注化」ほど露骨に示されたことは、かつてありませんでした。その意味で、きちんとした審議会が終わったあとに、横から強引に英語入試の「外注化」「民間委託」をねじ込んだひとたちに、むしろ感謝しなければならないのかもしれません。


英語教師残酷物語―「英語で授業」と「マケレレ原則」

英語教育(2018/02/12) マケレレ原則「英語で授業」、小田実「イングラント」


小田実の英語50歩100歩238

 いま韓国では冬季オリンピックが開幕となり、朝鮮と韓国が合同チームをつくって出場するなど、力による対決とは違った新しい展望が生まれつつあります。
 ところが日経(2018/2/10)によると、9日に韓国の平昌で開いた日韓首脳会談で、安倍晋三首相が文在寅(ムン・ジェイン)大統領に「米韓合同軍事演習を冬季五輪後に予定通り実施するよう」求め、文氏が不快感を示していたことが分かりました。
◆韓国大統領、安倍首相に不快感 五輪後の米韓演習要請
http://mx4.nikkei.com/?4_--_89002_--_1332188_--_86
 影の政府(DeepState)の言いなりになってタカ派の姿勢を強めているトランプ大統領でさえ、あからさまに言っていないことを、そのプードル犬よろしく、他国の主権を踏みにじるような言い方で相手に要請するなど、平和憲法をもつ国の首相としてあるまじき言動ではないでしょうか。
 もっとも安倍首相としては、北朝鮮を挑発して一気に憲法改悪の雰囲気を日本国内につくりたいわけですから、韓国と朝鮮が平和を目指して手をつなぐ事態になれば、これほど都合の悪いことはないでしょう。国内の兵器産業も「武器輸出」で儲けたいわけですから、そういう意味でも今の韓国情勢ほど都合の悪い事態はありません。

 それはともかくとして、先日、東北地方の英語教師から下記のような便りが届きました。これを読んで、アメリカが一方的にシリアや朝鮮半島で緊張を煽り立てている情勢と、文科省や教育委員会が、学校現場で英語科教師のみに異常な肉体的精神的緊張を煽り立てている情勢とが、私には重なって見えて仕方がありませんでした。
 数学の教師や国語の教師など他教科の教師が、このような肉体的精神的負担を強いられている話は聞いたことがありません。しかも、このような事態は高校現場だけではなく、小学校での英語教育が叫ばれ始めた頃から、「小中一貫の英語教育」という口実で、中学校でも同じような事態が生まれつつあります。
 こんなことを書き始めると長くなるので、その詳しい解説は後回しにして、まず私のところに届いたメールを以下に紹介したいと思います。これを読んでいただければ、いかに教育現場が英語によって歪められつつあるかが、いかに「英語力=国際力」という考え方が教育現場を疲弊させているかが、よく分かっていただけると思うからです。

(前略)ところで最近、うちの英語科職員はメンタル的にダウンしかけて(またはしてしまって)いました。
 というのは、管理職から「市の中学生の英語弁論大会の審査員を出すよう市教委に頼まれたので、誰が出るか決めてください」とありました。「実施日は*月*日の午前で、数時間顔を出すだけですから」と言うのです。
しかし普段から忙しい中、英語の検定を受けさせられたり、年3回丸一日英語漬けの、しかも宿題(課題)ありの研修を受けさせられたり、ALTとの丸二日の英語漬けの研修に出されたりし、その他にも調査も多く、さらに弁論大会直前に全商英検(全国商業高等学校協会英語検定)もあります。
 たった数時間といっても、弁論大会当日だけでなく、その頃は、通知表や学級通信や封筒表書きなど、終業式の準備に追われている時機です。 ただでさえ普段から体調を崩しがちなのに、「気軽に顔を出すだけですから」みたいに言って来たので、いったんは断っました。
 みんな「こういう状況だし、弁論をただ聞くだけでなく、審査をするのであれば、前もって弁論を読まないといけないし、審査員のALTなどと一緒に意見交換するのも非常に集中力が要求される、とても受けることはできません」と断ったのです
 ところが、今度は「依頼」ではなく、「通知」の形できたのです。一人一人個別に呼ばれたり、すれ違い様に話しかけられたりして、その度に断っていたのですが、何度断っても「出せ」の一点張りでした。
 どうやら近くの進学校に断られてうちにまわってきたようなのですが、うちは市立だから、市の教育委員会からの依頼は受けて当然、という考えなのです。
 いよいよ本番が近くなっても並行線のままでした。ただでさえ数の少ない英語教員のうち二人はその日の午前に年休をとり、一人は保護者の都合でその日の午前しか面談できません。ですから誰も時間があかない。
 しかし管理職は市教委に名前を報告しなければならないので「一人出せ」と迫ってきます。そこで、「私たちの状況を自分たちで市に説明しますから電話していいですか」と確認をとろうとすると、それはできませんの一点張りでした。
 最後に英語科主任が校長室に呼ばれて、「どうしても受けないのか、受けないとなると、私が謝罪をしなければならないんですよ。これまでも市教委から依頼があれば他の教科は協力している。なぜ英語科は受けないのか。子どもじゃないんだから」と言われたそうです。
 でもみんなで「受けられる状況ではない」ことを確認していたので、主任は「受けれません」ということと、その理由を繰り返し説明し、後は黙って耐えたそうです。
 こんなことが何日も続き、最終日に校長は「わかりました、しかし、本来受けるべきです」と言って終わったそうです。
 英語科教員は全員、心労で倒れそうでした。実際、英語科主任は体調を崩し、全商英検の日に休まれました。今日も「病休をとろうかと思った。あれはパワハラだ」と言っていました。実際、今日も朝と夕方に休まれました。
> しかし今回はみんなで団結してどこも崩されなかったから、なんとか跳ね返すことができました。もし今回、英語弁論大会審査員の仕事を受けてしまったら、来年からも当然のように依頼が来ることになったと思います。
 今後、学級減に向かうことがわかっており、職員は減る一方なのに負担は増えることばかりです。今回はとてもきつかったけれど全員の団結で跳ね返すことができたのは一つの成果だと思います。しかし、本当に疲れました。精神的にも肉体的にも。


 以上で、英語教師が他教科の教師と比べていかに多忙化しているかが分かっていただけると思います。
 (不思議なことに、英語スピーチコンテストで全く同じような問題に悩まされ疲弊しているという便りを、九州の教師からもいただきました。英語が全国の教育現場を破壊しつつあるひとつの証左ではないでしょうか。)
 それはともかく、引用したメールでは次のように書かれていました。
 「英語の検定を受けさせられたり、年3回も丸一日英語漬けの、しかも宿題(課題)ありの研修を受けさせられたり、ALTとの丸二日の英語漬けの研修に出されたりし、その他にも調査も多く・・・」
 数学科の教師が強制的に数学検定を受けさせられたという話は聞いたことがありませんし、国語科教師や社会科教師が「年3回も丸一日**漬けの、しかも宿題(課題)ありの研修を受けさせられたり」という話も聞いたことがありません。
 ところが英語科教師だけが、さらに「ALTとの丸二日の英語漬けの研修に出されたりし、その他にも『英語で授業をしているかどうか』などの調査も多く」、1年中なにかの課題で追いまくられているのです。
 修学旅行も昔は広島や長崎を訪れることが多かったのに、今は海外旅行が多くなり、最近も関東のある研究員からは「生徒の英語学習を兼ねて今年は英語が公用語になっているマレーシアに行くことになった」という電話もありました。
 しかも管理職から、首都クアラルンプールでは現地高校生との交流会も企画しろ、その連絡・交渉は英語科がやれと言われて疲れ切っているというのです。
 日本人なら一度は広島や長崎の原爆資料館を訪れるべきでしょうし、そのためには修学旅行は絶好の機会だと思うのですが、それが「英語力=国際力」というイデオロギーのために、みごとに投げ捨てられてしまっているのです。
 核兵器が世界に何をもたらすのか、世界的視点で現在を見つめ直す力、世界平和のためにいま何が求められているのかを考える力こそ「国際力」だと思うのですが、英語力=会話力という近視眼的な視点でしか修学旅行を考えられなくなってきているのです。
 しかも、そのような近視眼的な視点でしか教育を見れなくしているのが、「英語の授業は日本語を使わずに英語だけでやれ」という新指導要領の方針です。これが英語教師を心身的に疲弊させていることは、精神疾患で休職する教師が英語に多いということに現れているように思います。
 (精神的疾患で休職する教師の調査で、文科省からの正式な教科別データはありませんが、私の回りでそのような教師の事例を何人も見てきました。文科省は校務分掌別のデータはもっているのですが教科別のデターはもっていません。私は教科別のデータが今ほど必要なときはないと思っています。)
 それはともかく、「英語で授業」という新指導要領の方針で目に見える教育効果が出るのであれば、「そのような英語教師の、少々の犠牲もやむなし」と言えないこともないでしょうが、文科省の全国の英語力調査でも、会話力を強調しだした頃から英語力は停滞もしくは低下しているのです。
 そもそも「英語学習は母語もしくは国語を使わずに英語だけでおこなべきだ」「したがって外国語の教授はその外国語の母語話者がおこなうのが最も効果的だ」という主張には科学的根拠はなにひとつありません。そんなことが正しいのであれば、NHKの外国語講座はずっと以前から日本人が教えずに外国人だけでおこなわれていたはずです。
 NHKがそのような方針をとっていないのは、日本人が教える方が効果的だと思っているからに他なりません。文科省は新指導要領の方針が正しいと思っているのであれば、「英語教師の英語力=会話力が低いから日本の英語教育はよくならないのだ」と英語教師を追い詰める前に、まずNHKの外国語講座に抗議すべきでしょう。
 実は、「英語学習は母語もしくは国語を使わずに英語だけでおこなべきだ」「したがって外国語の教授はその外国語の母語話者がおこなうのが最も効果的だ」という主張は、1961年にウガンダのマケレレで開かれた「英語教育をめぐるイギリス連邦会議」で提起された、いわゆる「マケレレ5原則」をそのまま鵜呑みにしたものです。
 この原則は、旧植民地をいかにして英国の属国として維持するかを念頭においたものでした。そのためには、当該国を「文明化し民主化する」という口実で、「英語という商品(もの)」と「英語話者という商品(ひと)」を当該国に輸出するのが一番好都合だったのです。敗戦国日本も、まんまと、その罠にはまったと言うべきでしょう。
 マケレレ原則については、月刊『英語教育』2018年2月号の「私の本棚」というコラム記事を依頼されて執筆したものがありますので、以下にそれを転載しておきます。


月刊『英語教育』2018年2月号「私の本棚」言語帝国主義、マケレレ原則227
 ご覧のとおり、この記事では、ロバート・フィリプソン『言語帝国主義』という本だけではなく、『何でも見てやろう」というベストセラーで一躍有名になった作家の『小田実の英語50歩100歩』という本も紹介しました。
 小田実は「英米人はそんな言い方をしない」という言説を初めから蹴飛ばして、「自まえの英語=イングラントで話せばよい」と主張し、アジア作家会議などの国際会議でもそれを実行して喝采を浴びた人でもありました。
 ちなみに「イングラント」というのは、「イングリッシュ」と国際語「エスペラント」を足し合わせてつくった小田実の造語ですが、これは名著『英会話のイデオロギー』を書いたダグラス・ラミス(元津田塾大学教授)の次の主張と通じるものがあります。
 「今や英語の話者は母語として英語を話す人口よりもはるかに多くなっているのであるから、英語の母語話者は、『英米人はそんな言い方をしない』とお説教するのではなく、アジア人やアフリカ人が話す英米語が理解できるようになるために、彼らこそ英会話学校に入るべきだ」
 すでに何か国語にも翻訳されている名著『言語と文化』で有名になった社会言語学者、鈴木孝夫(元慶応大学教授)も、「自分の書いた英語を母語話者に校閲してもらったことがない」と言っているのも、根本的には小田実の考え方に共鳴するところがあるからでしょう。
 日本の英語教育を前進させるために、いま最も求められていることは、英語教師を疲弊させないことです。英語教師が疲弊している現場で英語教育が前進するはずがありません。
 文科省や教育委員会が主催する強制研修会で「砂をかむような思いで」何日も座らされて疲弊させるくらいなら、英語教師が学びたいと思ってみずから選んだ研修会に、公費または出張扱いで出かけることのできる自由を保証すべきです。
 そのほうが教師の英語力と教育力をはるかに高めることに直結するでしょう。生徒と同じで、自らの意思と意欲で学んだことこそ身についた学力になるからです。
 夏休みに自費で海外に出かけたいと思っても、その時間と自由すら与えられない環境で、どのような英語力が花開くでしょうか。


<註1> 上記では小田実(まこと)の造語「イングラント」を紹介しましたが、実は同じ趣旨のことを鈴木孝夫は「イングリック」『武器としてのことば』新潮選書1985、渡辺武達(たけさと、元同志社大学教授)は「ジャパリッシュ」『ジャパリッシュのすすめ 日本人の国際英語』朝日選書 1983という用語で説明しています。
<註2> 文科省は、大学入試の「英語」を民営化し営利企業に任せるという方針を出していますが、これは高校の英語教育をますます受験予備校化させる亡国の教育政策と言うべきでしょう。拙著『英語で大学が亡びるとき、「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』になぞらえて言えば、「英語で日本が亡びるとき」になるかも知れません。これについても書きたいことは多々あるのですが、今は阿部公彦『史上最悪の英語政策—ウソだらけの「4技能」看板』ひつじ書房2017、鳥飼玖美子『英語教育の危機』ちくま新書2018、を紹介するにとどめます。

書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その5)――ノーベル賞・大隅良典氏の軌跡から学ぶ

英語教育(2017/10/04)、ノーベル生理学・医学賞2016、オートファジー (自食作用)、OECDの世界「成人力」調査、生命体の「同化作用」と「異化作用」

ノーベル生理学・医学賞2016年を受賞した大隅良典氏大隅良典


 前回のブログから既に1ヶ月が経ってしまいました。
 この間、チョムスキーの新著Requiem for the American Dream: The 10 Principles of Concentration of Wealth & Powerの翻訳・出版に追われる毎日でした。そのためブログに割ける時間が全く取れませんでした。
 今日ついに。10月15日発売の『アメリカンドリームの終わり あるいは、富と権力を集中させる10の原理』(ディスカバー・トゥエンティーワン)が自宅に届きました。これで、やっと心置きなくブログに専念できます。

 シリアと北朝鮮をめぐって相変わらず、アメリカとロシア、アメリカと中国の熾烈な闘いが続いています。表面だけを見ていると、シリアのアサド大統領とアメリカのトランプ大統領、北朝鮮とアメリカが一触即発の闘いをしているように見えますが、裏の構造をよく見てみると、アメリカがロシアや中国への包囲網をいかに強く締め上げつつあるかが、この間の要点であることがよく分かります。
 その意味では、トランプ大統領は「アメリカ・ファースト」「他国の争いには口を出さない」を公約に掲げて選挙戦を勝利したにもかかわらず、いざ当選してみると、「裏国家Deep State」に進路を阻まれ、今や彼らのいうがままになっています。「アメリカ大統領とは、裏国家の単なる御神輿(おみこし)・操り人形にすぎなかったのだ」ということが、非常によく分かる事態になりました。
 イスラム原理主義集団ISISも、アメリカが裏で操っていた集団だったということも、この間ますます明らかになってきました。次の記事は、そのことを如実に示すものです。
*US to obscure arms exports after Pentagon ‘pipeline’ to Syria exposed
「アメリカはシリアへの『パイプライン』が暴露されて武器輸出を隠蔽しようとしている」
 
https://www.rt.com/op-edge/404311-us-pentagon-arms-exports-syria/

 それはともかく、今回のブログは、ずっと以前から書きたいと思っていた「書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その5)――ノーベル賞2016受賞者(大隅良典)の軌跡から学ぶもの」を書く予定ですので、混乱するアメリカの国内・国外情勢については、今回も割愛せざるを得ません。
 この間、私が一貫して追及してきたテーマは「文科省・安倍政権が強制している英語教育政策は日本を救うか」でした。私の著書『英語で大学が亡びるとき―「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』の題名が、その結論をすでに暗示しているのですが、ノーベル賞2016年度の受賞者=大隅良典氏の軌跡・言動を通じて、そのことを論証しようというのが、今回のブログの目的です。
 大隅氏の経歴をウィキペディアその他で調べてみると、驚いたことに私と生まれた年が1年しか違わないのです。彼は1945年2月生まれ、私は1944年7月生まれですから、全く同じ世代です。しかも福岡県立福岡高等学校を卒業後、東京大学理科二類に進学したそうですから、ひょっとして教養部時代は、どこかで出会っていた可能性もあります。
 というのは、私は湯川秀樹の自伝『旅人』に憧れて前年に京都大学理学部物理学科を受験したのですが、みごとに蹴落とされて、物理学者になることを諦めました。『旅人』には「物理学は若い優秀な頭脳でなければだめだ」という趣旨のことが書かれていたからです。そこで翌年は東大教養学部に新設された基礎科学科に入ろうと思って東大を受験し、運良く理科二類に合格していたからです。
 しかし、私がここで言いたかったことは、私と同じ世代の若者は、特に理系の若者は、今と違って英語学習に血道を上げるということはなかったというこです。私が理科二類に入った時のクラスは第2外国語の選択でクラス分けされていて、ロシア語選択の学生が極めて多かったことが印象的でした。理系の学生にとっては、それほどロシア語熱が盛んだったということでしょう。
 ちょうどソ連が世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げたばかりでしたから、そのショックで、アメリカでさえロシア語教育に力を入れ始めた頃ですから、受験勉強として英語を学ぶことはあっても、英語=科学力という考えは、まったく感じられませんでした。
 大隅さんの高校時代をいろいろ調べてみても、「幼い頃から、兄の和雄に贈られた自然科学の本に親しんだ。特に八杉龍一の『生きものの歴史』、マイケル・ファラデーの『ろうそくの科学』、三宅泰雄の『空気の発見』などに心を動かされ、科学に興味を持った」(ウィキペディア)という記述はあっても、英語学習に没頭したという記録は見つかりません。
 実を言うと、私もマイケル・ファラデーの『ろうそくの科学』、武谷三男『科学入門 科学的なものの考え方』などを高校時代に読んで科学に興味を持ち始めたのですが、少なくとも私は、丸暗記しなければならない単語・熟語が多すぎて、おぼれ死ぬような思いで英語の海を浮いたり沈んだりしていただけでした。
 それはともかく、大隅氏は、教養学部基礎科学科を卒業したあとは、そのまま東京大学大学院理学系研究科相関理化学専攻(同専攻の場所は駒場)に進学したそうですから、私が最初の希望どおり、基礎科学科に進学していれば、ますます大隅氏と顔を合わせる機会が多かったはずなのです。
 しかし残念ながら、私は教養部在籍中に科学史により大きな興味をもつようになり、当時 「教養学部教養学科」に開設されていた「科学史・科学哲学コース」に進学することに決めました。この「科学史」に興味をもつようになったきっかけも、武谷三男の影響でした。湯川秀樹の高弟かつ共同研究者であった武谷三男の著書『科学入門 』は、ガリレオなどの研究を紹介しながら科学史への興味とエンゲルス『自然の弁証法』の世界へと私を誘ってくれたからです。
 私がこのような私事を細々と記しているのは、私の回りの友人や、当時の理系学生のようすを見ているかぎり、英語学習に入れ込んでいる学生をほとんどみたことがなかったという事実を紹介したかったからに他なりません。それにもかかわらず、大隅氏はノーベル賞を受賞するような研究業績をあげ、それを英語論文でも発表しているのです。拙著『英語で大学が亡びるとき』でも書いたことですが、英語力→研究力ではなく、研究力→英語力だったのです。
 つまり自分の研究が進み、その結果、進んだ研究を日本語で読み尽くして、それでも知りたいことがあれば、英語やその他の言語で書かれた先行研究を読まざるを得ません。そして自分に必要な研究を英語論文を読み続けていれば、自然と論文の書き方や発表の仕方も、その論文で身につけることになります。だからわざわざアメリカの大学院に行く必要すらありません。もし武者修行したければ、日本で博士号を取り、自分の研究窮したいテーマが明確な輪郭を結んだ時に、博士研究員としてアメリカの大学に行けばよいのです。
 これが私が拙著『英語で大学が亡びるとき』で主張したことでした。同書では、日本人のノーベル賞受賞者を何人も取りあげながら、そのことを例証したつもりです。そして調べてみると、大隅氏も私が主張したとおりの軌跡を描いているのです。ウィキペディアによれば、氏の軌跡は次のとおりです。

1967年 東京大学教養学部基礎科学科卒業
1969年 東京大学大学院理学系研究科相関理化学専門課程修士課程修了
1972年 東京大学大学院理学系研究科相関理化学専門課程博士課程単位取得満期退学、東京大学農学部農芸化学科研究生
1974年 東京大学から理学博士の学位を取得、ロックフェラー大学ジェラルド・モーリス・エデルマン研究室「博士研究員」
1977年 東京大学理学部植物学教室「生体制御研究室」助手
1986年 東京大学理学部植物学教室「生体制御研究室」講師
1988年 東京大学教養学部・大学院理学系研究科「相関理化学専攻生物学教室」助教授
1994年 相関理化学専攻は「科学史・科学基礎論専攻」とともに理学系研究科から東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻に移管・統合された
1996年 岡崎国立共同研究機構・基礎生物学研究所「分子細胞生物学研究部門」教授 兼 総合研究大学院大学「生命科学研究科基礎生物学専攻」教授
以下、省略


 要するに、ノーベル賞を受賞するような研究をするにあたって必要なのは、語学力・英語力ではなく、科学する心であり、母語で思考しながら疑問をつくり出し、未知のものを創造する力なのです。
 ところが文科省・安倍政権は、御存知のとおり、日本の大学や研究のレベルを世界ランキングに押し上げるためと称して、大学の授業を英語でするよう強制したり、そのような方策をとった大学に巨額の研究資金を出す一方、今まで各大学に交付してきた研究費を毎年のように削り続ける政策を続けているのです。
 こういうバカな政策を続けているかぎり今後、日本からはノーベル賞は出ないだろうと、私は拙著『英語で大学が亡びるとき』で書きましたが、調べてみると、大隅氏も私とまっったく同じ意見であることがわかり、我が意を得たりの思いでした。大隅氏はそれを日経新聞のインタビュー(2017/9/3)で次のように言っています。

――日本の基礎科学力の低下にかねて警鐘を鳴らしておられますが…
 「日本は豊かになったが、精神的にゆとりがない社会になってしまった」
 「日本の大学はすべてを効率で考えるという袋小路に陥り、科学の世界に『役に立つ』というキーワードが入り込みすぎている」
 「研究費が絞られれば絞られるほど、研究者のマインドは効率を上げることに向かうが、自由な発想なしに科学の進展はない」
 「一流誌に論文を出そうとすると、みんなが飛びつく話題の方がいい。そうでないと研究費も確保できないが、自分がおもしろいと思うことをやるという原点が忘れ去られていく」
 ――日本人がノーベル賞を次々に受賞する一方で基礎科学を支える予算は伸び悩んでいますが…。
 「かつての日本の大学は基礎的な研究活動を支える講座費という制度が充実し、みんなが好きなことをやれた時代があった」
 「今は研究できるポジションも少なくなり、親が子どもに大学院進学を止めさせるほど、研究職は将来が見通せない職業になった」
 「このままでは将来、日本からノーベル賞学者が出なくなると思っている。(日本人の連続受賞は)過去の遺産という面もある。」
 「世界的な学術誌に論文が出たからといって新しいコンセプトは生まれない。発想を転換しないといけない。オートファジーの研究には30年近くかかった」
https://www.nikkei.com/article/DGKKASDZ27I6E_Z20C17A9EA3000/



 日本には次のノーベル賞候補者が目白押しだと言われていますが、その多くは現在、60~70歳代です。大隅氏の言うように「過去の遺産」なのです。
 同じことは、OECDの世界「成人力」調査でも示されています。この調査でも日本人は世界でトップの位置を占めているのですが、年齢別の分析によると、断トツなのが高齢者なのです(拙著『英語で大学が亡びるとき』260-274頁を参照)
 大隅氏は、上のインタビューで、「かつての日本の大学は基礎的な研究活動を支える講座費という制度が充実し、みんなが好きなことをやれた時代があった」「一流誌に論文を出そうとすると、みんなが飛びつく話題の方がいい。そうでないと研究費も確保できないが、自分がおもしろいと思うことをやるという原点が忘れ去られていく」と述べています。 しかし安倍政権は、一方で研究費を削減しながら、他方で世界ランキングを上げろと言っているのです。これでどうして世界を驚かす研究ができるのでしょうか。
 学術誌に載る論文を増やすための研究では、ノーベル賞は生まれないのです。大隅氏も学生時代から「論文のための研究」をしていませんし、ノーベル賞をとるために研究したのではありませんでした。この間の事情を産経新聞(2016.10.10)は次のように伝えていました。

 長男の和雄さんが文系に進んだだけに、父親(九大工学部教授)が1人ぐらいは理系に進んでほしいと期待していることを「折に触れて感じていたこともあった」と話す。
 だが、父がいる九大にはどうしても行く気になれず、東京大の理科2類へ進学。できたばかりの教養学部基礎科学科で、科学の全分野を学んだ。「新設学科はやる気にあふれた雰囲気で、実に楽しかった」と振り返る。
 大学院では大腸菌のタンパク質合成というテーマに取り組んだ。当時としては革新的な課題で実験も楽しかったが、大した成果は出なかった。それでも「自分が面白いと思える研究をしているのだから、いいやと思ってのんびり過ごしていた」という。
 大学院時代に同じ研究室の後輩だった妻、萬里子さんに「運命の出会い」を感じ「つい勢いで」学生結婚。子供も2人できた。
 ただ、大隅さんは論文も書かずにぶらぶらしていた。博士課程を修了後、「国内では就職先がない」と米ロックフェラー大へ留学したが、生活は実質的に萬里子さんが支えていた
http://www.sankei.com/premium/print/161010/prm1610100025-c.html


 ご覧のとおり、大隅氏は大学院で「大腸菌のタンパク質合成というテーマに取り組んだ。当時としては革新的な課題で実験も楽しかったが、大した成果は出なかった。それでも自分が面白いと思える研究をしているのだから、いいやと思ってのんびり過ごしていた」「論文も書かずにぶらぶらしていた」というのです。
 何度も言うように、ノーベル賞級の研究は、「自分が面白いと思える研究をしている」こそ生まれるのであって、論文数を増やすための研究からは生まれないのです。まして最近の安倍政権のように、文科省の研究予算を削りながら他方で防衛省の巨額の軍事費から研究費を出そうとする政策から、自由で独創的な研究が生まれるはずがありません。

 以上で、大学で英語に血道を上げているかぎりノーベル賞は生まれないし、論文集をふやすための研究からもノーベル賞は出ないということは、お分かりいただけたかと思います。
 そこで、ここであとひとつだけ書いておきたいことがあります。それは、滅多に単独受賞者が出ないと言われているノーベル生理学・医学賞を、大隅氏が単独受賞することになった研究、細胞の「オートファジー」(自食作用)についてです。
 この「オートファジー」と呼ばれる細胞の仕組みと、受賞理由となった研究について、ウィキペディアは次のように説明していました。

細胞が自らのタンパク質を分解し、再利用する「オートファジー」(自食作用)の仕組みを解明し、悪性腫瘍の特効薬を発明した功績が認められ、2015年にガードナー国際賞を受賞。また2016年10月3日には、飢餓状態に陥った細胞が自らのタンパク質を食べて栄養源にする自食作用「オートファジー」の仕組みを解明した」卓越した成果が認められ、ノーベル生理学・医学賞を単独受賞した。


 私が大隅氏の受賞と研究内容を知ったとき、まず第一に頭に浮かんだのは、日本で古くからおこなわれている断食療法についてでした。この「少食・断食療法」を使って難病を次々と治していったのが甲田光雄医師(医学博士)でした。
 この流れを受けて、独自の「少食・穀菜食」「少食・断食療法」を研究開発し、癌を初めとする難病を、次々と治す成果をあげているのが、森下敬一医師(医学博士、国際自然医学会会長)で、86歳になる現在も、精力的な活動を続けています。
 森下氏は、飢餓や断食で栄養状態が悪化すると、「体細胞→万能細胞(血球細胞)→栄養素(食物)」への変化が起きるという現象(異化作用)を、30年以上も前に発見し観察し、それを医療に応用し、成果をあげてきたのでした。
 つまり、「栄養素(食物)→万能細胞(血球細胞)→体細胞」への変化(同化作用)と全く逆の道すじをたどるのが、上記の「異化作用」なのですが、この理論やそれに基づく医療活動は、今までは全く異端視されてきました。
 しかし、大隅氏のノーベル賞受賞は、この異端視されてきた医療活動「医食同源」「玄米・菜食療法」「少食・断食療法」が、にもかかわらず、なぜ成果をあげてきたのか、その理由の一端を解明してくれたように思います。
 日本は、敗戦後のアメリカによる占領政策、主として学校給食を通じた「洗脳洗舌」工作、すなわち「肉食・牛乳パン食」の食生活を、知らないうちに一般的な生活様式として受け入れるようになりました。が、その結果として大量に生まれてきたのが肥満児と癌患者でした。
 いま安倍政権は、大量の肉と米を、アメリカを初めとする外国から輸入し、米作・野菜づくりを中心とした日本の農業をさらに破壊しようとしています。これでどうして私たち日本人の健康を守っていけるのでしょうか。
 大隅氏のノーベル賞(生理学・医学賞)受賞は、そんなことも私に考えさせてくれたのでした。


<註> オートファジー (自食作用Autophagy)における auto-は、ギリシャ語の「自分自身」を表す接頭語、phagyは「食べること」の意で、クリスチャン・ド・デューブ(ノーベル生理学・医学賞1974)により1963年に定義された。素粒子の多くもギリシャ語で命名されている。ノーベル物理学賞の受賞者=益川敏英氏は、「おれは英語よりもギリシャ語の方が好きだ」と言ったそうですが、それは、こんなところに理由があったのかも知れない。


書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その4)――米国の貿易相手は今や日本ではなく中国!

英語教育(2017/09/06) PEW Research Center、購買力平価、中国封じ込め政策、「一帯一路」構想、アジアインフラ投資銀行(AIIB)

今や大逆転した米国の貿易相手!!、中国5%→25%、日本25%→5%
資料 矢吹晋 「日本、中国、米国」 『週刊金曜日』2017年8月4日号(グラフ、貿易相手国)
出典:『週刊金曜日』45頁、矢吹晋(横浜市立大学名誉教授)論文


 いま北朝鮮問題が緊迫の頂点に達しているかのようにみえます。
 これについては独自に論じたいことは多々あるのですが、今はそのゆとりもありませんので、ふれることができるかぎり以下の本文で、少しは言及するつもりです。

 ところで、前回のブログで私は、「アメリカが、科学研究のほとんどの分野で、共同研究の相手として、日本ではなく中国を選んでいる」という事実を紹介し、次のような解説を加えました。
 <これは、アメリカが「日本の科学力が低下する一方だから共同研究するに値しない」と判断したからだ、と考えざるを得ません。アメリカにとって日本は、中国と戦争するときの「基地と兵員(自衛隊)を提供してくれる存在」だけでよいのです。>
 そしてブログの末尾を次のように結びました。
 <要するに、文科省・安倍政権は「英語力=科学力」「英語力=グローバル人材力」というイデオロギーを振り回して、日本の大学を「英語化」することに血道をあげていますが、それに反比例して、日本の科学力は低下する一方なのです。
 それどころか、もう一方で文科省は、小学校まで「英語化」することに邁進し始めているのですから、日本の将来は暗澹たるものです。
 さらに言えば、大学の研究費も削られる一方で、他方では軍事研究には多額の研究費を出す体制を着々と整備しつつあります。これでどうして自由で独創的な研究が生まれるのでしょうか。
 次回は、この点について、大隅良典氏(2016度のノーベル賞生理医学賞受賞者)の軌跡・発言をたどることによって、検証してみたいと考えています。>

ところが、病院で診察の待ち時間に週刊紙を読んでいたら、偶然にも『週刊金曜日』の2017年8月4日号に、「今や大逆転した米国の貿易相手!!、中国5%→25%、日本25%→5%」といった内容の、矢吹晋氏(横浜市立大学名誉教授)の論文が掲載されていることを知り、慌てて同誌を取り寄せて読んでみました。
 すると、アメリカは共同研究の相手としてだけでなく貿易の相手としても日本を全く問題にしていないことが分かりました。つまり日本という国は、北朝鮮の動きを口実にして高価な武器を売りつけ、中国包囲網の基地を提供してくれるだけでよいのです。
 もちろん、いざ有事となれば米軍の代わりに自衛隊がcannon fodder(砲弾の餌食)となり、朝鮮軍や中国軍と戦ってくれることも期待しているに違いありません。
 そこで今回のブログでは、予定を変更して、アメリカにとって日本とはどういう存在なのかを、貿易という視点から再考してみたいと思います。
 大隅良典氏(2016度のノーベル賞生理医学賞受賞者)の軌跡・発言をたどる旅は次回に回したいと思いますんで、どうかお許しください。


 矢吹氏は、PEWという有名な世論調査機関が2015年に実施した調査をもとに、「日本ほど『対米盲信・対中不信』の固定観念にとりつかれている国はない」と述べつつ、上記の『週刊金曜日』で次のように嘆いています。

 隣国・中国の発展をまるで無視し、欠点ばかりをあげつらう日本に未来はあるのだろうか。ましてこの隣国が核兵器大国であり、格段に強化された経済力をもつ場合、経済的共存共栄からしても軍事的安全保障からしても、由々しい事態ではないのか。
 かつて日本は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と世界中から羨望の眼で見つめられた一時期がある。その残像に未だに酔い続けている景気循環を軽視し模様眺めをしていたが、不景気は10年続き、次の10年も回復しなかった。気がついて見ると、日本の長期不景気はすでに四半世紀を超えている。
 この間、中国経済は二桁成長が続き、近年は6~7%の「新常態」になったが、それでもゼロ成長で足踏みの日本と比べると、活気に溢れている。IMF(国際通貨基金)や世界銀行の統計を調べると、日本のような、ほとんどゼロ成長に近い国は先進国では見当たらない。「アベノミスク」は大失敗に終わっているのだ。マイナス金利という資本主義の自己否定のような政策を続け、公債をやみくもに発行して、株価だけは維持しているものの、実体経済は体力を喪失して久しい。もはや回復の望み薄い“重体患者”に見える。


 では隣国の中国が世界経済に占める位置は、どのようなものなのでしょうか。それを矢吹氏は世界銀行の調査をもとに、次のように述べています。

 I人当たり所得に人口数を乗じたGDP(国内総生産)ペースで日本のシェアは世界の4・8%を占めるが、中国は14・9%を占め、日本の3倍の規模だ。
 11年時点で米国のGDPシェアは17・1%で、中国の14・9%を2・2ポイント上回るが、その後の成長率を加味すると、14年末時点で中国が米国を超えた。
 日本経済が足踏みしているうちに中国経済は駆け足で日本を追い抜き、追い越し、今やはるか前方を走る。
 この経済的敗北感・劣等感と、かつての優越感との狭間で、日本人は、隣国経済の実像を虚心坦懐に観察する度量を失っているように見える。


 以上のことを図表化したものが、次の表です。これを見ると、「購買力平価」では、中国が13.5兆ドルとなり、アメリカの15.5兆ドルに次ぐ第2位の地位を占めていますが、日本は4.4兆ドルにすぎません。
資料 矢吹晋 「日本、中国、米国」 『週刊金曜日』2017年8月4日号(グラフ、購買力)
 この表でもうひとつ分かることは、日本の「I人当たり購買力」が3万4262ドルで、ドイツ、フランス、英国より低く、イタリアを上回る程度だということです。日本は「自分は世界第2位の経済大国だ」と思っているうちに、どんどん貧困化していることが、この表からでも分かります。
 他方、「爆買い」などと揶揄されている中国の「I人当たり購買力」は、日本の3分のIまで近づいています。今ほど中国との豊かで友好的な交易が求められているときはないでしょう。アメリカに荷担して中国包囲網の一員になったり、今までは「棚上げ」となっていた尖閣列島問題に火を付けて、摩擦を拡大しているゆとりは日本にないはずなのです。


 もうひとつ矢吹氏が取りあげている興味深い数値・事実が、アメリカの「中国と日本に対する貿易額」の変遷です。それを氏は、「米国から見て、日本というパートナーは『日に日に軽く』なっていることがわかる」として、次のように解説しています。

 さて、〈図5〉は何を語るか。米国経済から見ると、対中国輸入は約25%に近づき、対日本輸入は5%に縮小しつつある。米国から見て、日本というパートナーは「日に日に軽く」なっていることがわかる。
 「中国封じ込め」なる時代錯誤の迷夢にとらわれ、自らを孤立させる安倍政権の日本に未来はない。中国から相手にされないだけでなく、米国も相手にしない。沈みゆく日本の実像を国民はいつ自覚できるのか。


 上記で<図5>と述べられているのが、ブログ冒頭に掲げたグラフですが、読者の便を図って、その図を以下に再掲しておくことにします。
資料 矢吹晋 「日本、中国、米国」 『週刊金曜日』2017年8月4日号(グラフ、貿易相手国)

 このグラフを見れば分かるように、矢吹氏の言うとおり、「米国から見て、日本というパートナーは『日に日に軽く』なっている」のです。にもかかわらず、日本はアメリカの軍事戦略、中国封じ込め政策に、益々のめり込んでいます。
 アメリカは北朝鮮という「悪魔」をつくりあげ、それを口実に韓国や日本に巨大な軍事基地をつくると同時に、高額の武器を売りつけてきました。その結果、日本の防衛費は近年、激増する一方で、とどまるところを知りません。
 昨日(6月5日)の中日新聞を読んでいたら、「概算要求最大に、防衛費に再び『節度』を」という見出しで、めずらしく社説に安倍政権批判が載っていました。
 最近の大手メディアは、政府批判をほとんどやめてしまっているのですが、今回ばかりは、さすがに我慢ができなかったようです。社説は次のように述べていました。

・・・防衛予算の二〇一八年度概算要求は、米軍再編関係費などを含めて総額五兆二千五百五十一億円。冷戦終結後は減少傾向が続いていたが、安倍晋三首相が再び政権に就いて編成した一三年度以降、六年連続の前年度比増である。
 概算要求は、弾道ミサイル防衛関連経費千七百九十一億円や、新型護衛艦(二隻九百六十四億円)や新型早期警戒機E2D(二機四百九十一億円)の取得など周辺海空域での安全確保のための予算を盛り込んでいる。
 イージス艦搭載の迎撃ミサイルを地上に配備する「イージス・アショア」は一基八百億円程度とされるが、金額を示さない事項要求となっており、導入が認められれば、防衛予算はさらに膨らむ。・・・


 ご覧のとおり、莫大な予算が軍事費に注ぎ込まれていますが、その一方で国立大学への交付金は毎年、削られる一方です。これでどうして「独創的な研究を生み出し」「世界ランキング10位以内に入る大学」を増やすことができるのでしょうか。
 また小学校で英語を教科化する方針を出しておきながら、文科省から具体的な人的財政的援助はほとんどありません。小学校は原則として担任が全教科を教えるのですから、教師の負担が増えるだけで教育効果はほとんど期待できません。
 まして英語教育の素人が英語を教えなければならないのですから、その肉体的精神的負担を考えると、暗澹たる気持ちにならざるを得ません。
 中日新聞社説は上記に続けて、さらに次のように述べています。

 国民の命と暮らしを守るために必要な防衛力を整備することは、政府の崇高な使命だが、地域情勢の変化を、防衛予算膨張の免罪符にしていいわけではあるまい。
 財源には限りがある。社会保障や教育などほかの分野とのバランスも取らなければならない。整備する防衛力の費用対効果も精緻に検証しなければなるまい。周辺国と軍拡競争の泥沼に陥らないためには、適切な歯止めが必要だ。・・・



 そもそも北朝鮮情勢を緊迫化させているのはアメリカであって北朝鮮ではありません。北朝鮮の一貫した主張は「和平協定が結ばれ朝鮮半島に平和が訪れる条件さえ整えば核兵器など必要ない」とするものでした。
 しかしアメリカにとっては、韓国や日本に高額の武器を売りつけ、軍事基地化した韓国や日本に高度なミサイル配備を認めさせて、中国封じ込め政策を強化するためには、北朝鮮に大暴れしてもらわねばりません。
 日本でも同じことが言えます。「憲法9条」をなくして軍事大国になりたいと思っている安倍政権にとっても、このような北朝鮮の動きは願ってもないことでした。あわよくば北朝鮮を口実に自分も核兵器大国になりたいと思っているに違いありません。
 他方、追い詰められた北朝鮮は、アメリカ(および日本)の期待に応えて、核開発を急ぎました。つまり北朝鮮とアメリカは「二人三脚」をしているとも言えるわけです。
 むしろ、休戦状態にある朝鮮戦争を終わらせ、北朝鮮との間に和平条約を結ばれれば、一番困るのはアメリカではないでしょうか。というのは、中産階級が消滅し、一部の大金持ちは別にして、国民の購買力が激減しているのですから、今のアメリカ経済は、元大統領アイゼンハワーのいう「軍産複合体」に依存しているところが極めて大きいからです。
 同じことは日本についても言えます.先ほど紹介した図表でもお分かりのとおり、日本人の購買力も、世界第2位の経済大国だったはずなのに、今やドイツ、フランス、英国より低く、イタリアを上回る程度にまで落ち込んでしまっているのです。
 そこで安倍政権が考えたのは、「武器輸出3原則」を取りやめ、日本もアメリカやイギリスと同じように武器輸出で金儲けをしようということでした。アメリカが戦争をやめるどころか、戦火をアフガン→イラク→リビア→シリア→イエメンに拡大し、サウジアラビアなどに武器を輸出し続けている理由もそこにあります。
 このままいくと、日本もいずれ、アメリカと同じく、「軍事大国」「死の商人」としての道を歩むことになるでしょう。私たちが取るべき道は、「上は大学から、下は小学校まで」「英語漬け」にして、アメリカ流の経済運営、アメリカ流の軍事戦略に盲目的に従うことではありません。
 そんなことをしていたら、拙著『英語教育が亡びるとき』で述べたとおり、今後この日本からノーベル賞受賞者は出なくなっていくでしょう。今こそ日本はアジアの一員として、遠い将来を見据えた独自戦略をたてるべきときではないでしょうか。
 矢吹氏の論文は次のような文面で終わっていますが、その裏に込められた願いは、たぶん私の願いと同じものだと思います。

 中国が主導する「アジアインフラ投資銀行(AIIB)には2017年3月現在で70力国・地域が加盟。日本と米国が主導するアジア開発銀行の67力国・地域を超え、さらに90ヵ国・地域への拡大を想定している。
 中国が進める「一帯一路」構想とは、陸路の交易ベルトと海上の物流ルートのことを指すが、日本はいつ、このシルクロードの夢を賭けた「一帯一路」と、AIIB「アジアインフラ投資銀行」に参加するのか。
 今やAIIBには、アジア開発銀行の参加規模を超えて、EUからも多くの国が参加しているのだ。




<註1> アメリカと北朝鮮は核開発をめぐって「二人三脚」をしているとも言えるわけです。この裏にはイスラエルやウクライナの動きがあったとも言われています。
*朝鮮にミサイルの性能を急速に向上させ、水爆の開発を成功させた外部要因が存在する可能性
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201709050000/
*公邸宿泊は偶然か? 段取りが良すぎたミサイル騒動
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/4609


<註2> トランプ大統領は「北朝鮮が挑発を続けるなら武力攻撃を含めてあらゆる手段を行使する」「当面は北朝鮮と交易をする全ての国に経済制裁を加える」と述べました。
 これにたいしてウィキリークスの創始者アサンジ氏は、「北朝鮮を核開発に追い込んだのは当のアメリカである」「中国との交易を停止すれば経済的に自滅するのはむしろアメリカであり、トランプは即座に辞任に追い込まれるだろう」と述べています。

*Assange: Constant US threats against N. Korea have put it on total war footing
「アサンジ:アメリカの絶えざる脅迫が北朝鮮を全面的戦時体制に追い込んだ」

https://www.rt.com/news/401900-assange-us-north-korea/
*Trump will be "deposed immediately" if he blocks trade with China over N. Korea – Assange
「もし北朝鮮問題で中国との交易を停止させれば、トランプは即座に辞任させられるだろう」

https://www.rt.com/news/401929-assange-trump-trade-china/


書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その3)――米国は共同研究に日本よりも中国を選ぶ!

英語教育(2017/08/23) Nature Index Japan、科学技術・学術政策研究所、科学技術指標2017、科学研究ベンチマーキング2017、エドワード・ヴィッカーズ(九州大学准教授)、ジェルミー・ラプリー(京都大学准教授)


日本の科学力、米国は中国と共同研究
出典:日経(2017/8/13)

 
 前回のブログで私は 江利川春雄先生(和歌山大学)の書評とNature Indexの衝撃的な記事「失速する日本の科学力」を紹介しつつ、末尾を次のように結びました。

 私が拙著『英語教育が亡びるとき』「あとがき」で次のように述べたことが、このNature Index Japanで見事に証明されている、と言ったら言い過ぎでしょうか。
 「ですから、何度も言うように、このまま事態が進行すれば、OECDにおける日本の地位も、ノーベル賞受賞者数も、確実に転落・減少するでしょう。そんな不安を私はどうしても拭い去ることができません。私が本書を緊急に出版したいと思ったゆえんです。」

 ところが、このブログを載せたあと、私の予言を再び裏書きするかのように、日本経済新聞(2017/8/13)は、「科学研究で米中接近、日本は存在感薄く。文科省調査」と題する記事を載せました。
http://mx4.nikkei.com/?4_--_74306_--_1422094_--_70
 すぐにでも、この記事を次のブログで紹介したいと思ったのですが、相変わらずチョムスキーの新著『富と権力を超富裕層に一極集中させる10の原理:アメリカンドリーム葬送曲』(仮題)の訳注や索引づくりに追われたりしているうちに、またもや10日以上がすぎてしまいました。
 昨日やっと、「21日までに」という出版社の要求に沿って、初校原稿と併せて訳注・索引を送付することができ、ようやくブログに復帰することができるようになりました。
 そこで以下では、この日経報道を詳しく紹介しながら、私のコメントを書き加えることにしたいと思います。
 (相変わらずアメリカの政情は混沌としていて北朝鮮情勢も一触即発の状況ですが、残念ながら今回もこれに言及するゆとりがありません。)

 
 日経新聞は上記の記事を次のような書き出しで始めています。

科学研究で米国と中国が世界をけん引し、互いの結びつきを強めている実態が、文部科学省「科学技術・学術政策研究所」がこのほど公表した国内外の研究動向調査から明らかになった。


 そこで、さっそく文科省「科学技術・学術政策研究所」のホームページを検索し、「科学技術指標2017」「科学研究のベンチマーキング2017」を調べてみました。
 すると、そのホームページの冒頭では、“「科学技術指標2017」及び「科学研究のベンチマーキング2017」の公表について”と題して、自分たちの調査について次のように説明していました。

科学技術・学術政策研究所(NISTEP)では、日本及び主要国の科学技術活動を客観的・定量的データに基づき体系的に分析した「科学技術指標2017」を取りまとめました。論文部分については、日本及び主要国の科学研究のベンチマーキングを多角的な視点で行った「科学研究のベンチマーキング2017」において、より詳細な分析を実施しています。
http://www.nistep.go.jp/archives/33898


 ではNISTEP(National Institute of Science and Technology)が「日本及び主要国の科学技術活動を客観的・定量的データに基づき体系的に分析した」とする「科学技術指標2017」で、どんなことが明らかになったのでしょうか。
 日建新聞は、“同研究所がまとめたのは、「科学技術指標2017」と「科学研究のベンチマーキング2017」。2015年までの主要国の研究動向をまとめている”と述べつつ、それを次のようにまとめています。

 日本は研究費や研究者数は世界3位につけるものの、世界に影響を与える注目論文の数で米中に遠く及ばない。英国やドイツなど欧州勢にも後れを取っている。日本は抜本的な対策を取る時期に来ている。
 化学や物理学など主要8分野で、他の研究者から多く引用され、質が高いとされる上位10%の論文(TOP10%論文)の数(13~15年の平均)を主要国で比較した。
 研究大国の米国は物理学(シェアは43%)、臨床医学(49.3%)など4分野でトップになる一方、中国も化学(33%)や工学(29.2%)など4分野でトップに立つ。日本は化学(5.6%)の5位が目立つだけだ。


 他方、同じ項目についてNISTEPは、上記ホームページの冒頭部で、次のように自己分析しています(下線は寺島による)。

「科学技術指標2017」から最新の日本の状況を見ると、日本の研究開発費、研究者数は共に主要国中第3位の規模ですが、人口100万人当たりの博士号取得者は主要国で第6位です。
 論文や特許に注目すると、日本の論文数(分数カウント)は世界第4位、注目度の高い論文では第9位であり、10年前と比較すると順位は低下傾向です
 他方で、パテントファミリー数では継続して世界第1位です。日本のハイテクノロジー産業貿易収支比は継続して低下し、2011年以降は入超となり、主要国中第6位です。
 一方、ミディアムハイテクノロジー産業貿易収支比は継続して出超であり、主要国中第1位を保っています。


 これを見ると、NISTEP自身が、「注目度の高い論文では第9位であり、10年前と比較すると順位は低下傾向です」「日本のハイテクノロジー産業貿易収支比は継続して低下し」と言っているのですから、Nature Index Japanによる発表と同じく、日本の科学力の低下歴然としています。
 この、「日本及び主要国の科学技術活動を客観的・定量的データに基づき体系的に分析した」とする「科学技術指標2017」について、日経新聞は、さらに次のような解説を付けていました。

 米中の接近を裏づける分析結果も出ている。
 米国が13~15年に他国とまとめた論文の共同研究相手国を調べたところ、主要8分野のうち6分野で中国が1位だった。ほかは物理学でドイツ、臨床医学で英国だった。
 日本は材料科学で5位に入ったのが最高だった。03~05年では化学と材料科学で3位の位置につけるなど米国との協力関係がみられたが、中国が躍進するなかで米国にとって日本の存在感は薄れている。


 アメリカは、シリアでは裏でISISを支援する政策を続けてきていたのですが、ロシアがシリアからの要請にしたがって本格的に参戦するようになってから負け戦が濃厚になり、ISISの兵力を東アジアに向けて移動させ、中国包囲網を強める政策をとるように変わってきています。
 その典型例がフィリピンにおけるISIS勢力の台頭でしょう。ドゥテルテ大統領がプーチン大統領と会談するためにモスクワを訪れたちょうど同じ時期に、ISIS勢力によるマラウイ選挙という事件が起きました。これは明らかにドゥテルテ大統領に対する脅迫でした。
 アメリカが、フィリピン・ベトナム・台湾・韓国・日本をアメリカの同盟国に仕立て上げて中国包囲網を着々と築き上げてきたつもりだったのに、ドゥテルテ大統領がアメリカを裏切って中国やロシアに急接近し始めたからです。
 中国包囲網を強化しようとする政策にとって、ドゥテルテ大統領は、それを邪魔する邪悪な人物になったのです。
*「欧米に支援された‘聖戦’の冷酷な力が、反抗的なフィリピンに届く」
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/07/post-863d.html

 このように、アメリカにとって中国は明らかな仮想敵国なのに、上記の文科省の指標によると、アメリカは強力な同盟国であるはずの日本ではなく、ほとんどの分野で中国を共同研究の相手に選んでいるのです。
 これは、アメリカが「日本の科学力が低下する一方だから共同研究するに値しない」と判断したからだ、と考えざるを得ません。アメリカにとって日本は、中国と戦争するときの「基地と兵員(自衛隊)を提供してくれる存在」だけでよいのです。
 これをみごとに証明してくれたのが、冒頭に掲げた図表ではなかったでしょうか。煩をいとわず、その図表を再度、以下に掲げておくことにします。

日本の科学力、米国は中国と共同研究


 では第2の指標である「科学研究のベンチマーキング2017」については、どうでしょうか。これについてNISTEPは、上記ホームページの冒頭部で、次のように自己分析しています(下線は寺島による)。

「科学研究のベンチマーキング」から明らかになった日本の状況を見ると、過去10年間で日本の論文数の伸び悩みが見られるとともに、注目度の高い論文(Top10%・Top1%補正論文数)で世界ランクが低下傾向にあります
 日本国内の論文産出構造を見ると、日本の論文数シェアの5割を占める国立大学の論文数が2000年代半ばから伸び悩んでいます。また、企業の論文数は1990年代から継続して減少しています
 分野別の状況を詳細に分析すると、臨床医学の論文数が増加する一方で物理学、化学、材料科学の論文数が減少しています。また、分野内においても研究内容に変化が起きていることが明らかになりました。


 このNISTEPによる自己分析をみれば、「日本の科学力の低下」は、この指標からも明らかです。
 「過去10年間で日本の論文数の伸び悩みが見られるとともに、注目度の高い論文(Top10%・Top1%補正論文数)で世界ランクが低下傾向にあります」と言っているのですから、Nature Index Japanによる発表と同じく、日本の科学力の低下歴然としています。
 次々とノーベル賞受賞者を出し、日本のお家芸であるはずの「物理学、化学、材料科学」の分野ですら、論文数が減少しているのです。
 ところが日経新聞は、この第2の指標については、ほとんどふれず、次のような文面で記事を締めくくっているのみでした。

世界が注目する質の高い論文は、国際協力によって生まれやすいとされる。現状を打破するには、米国をはじめとする海外との連携強化や日本の大学に優秀な海外人材を呼び込む施策の充実が必要になっている。


 つまり現状を打破するには、「米国をはじめとする海外との連携強化や日本の大学に優秀な海外人材を呼び込む施策」の充実が必要になっている、というのが日経新聞の主張なのですが、大学の授業を英語化しても日本の大学に優秀な海外人材が来るはずもないことは明らかです。
 その理由を詳述したのが拙著『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』だったのですが、日経新聞は拙著の存在など一顧だにしなかったようです。
 というのは、「米国をはじめとする海外との連携強化や日本の大学に優秀な海外人材を呼び込む施策」に頭を悩ますよりも、日本からの頭脳流出を心配すべきだからです。この間の事情を私は、本書281-282頁(第3章第2節「註2」)で、次のように述べました。

 この頭脳流出にかんして『中央公論』2015年7月号に「外国人教員から見た、日本の大学の奇妙なグローバル化」と題する興味深い論文が載せられている。
 エドワード・ヴィッカーズ(九州大学准教授)、ジェルミー・ラプリー(京都大学准教授)両氏の共著によるもので、
 特に私の目を惹いたのは、「スーパーグローバル大学」と称して「グローバル人材」を海外から引き寄せることもさることながら、「日本のトップレベルの大学が抱える難題は、すでに学内に存在している彼らを引き留めることだ」と彼らが言っていることだ。
 つまり外から外国人教員を雇うことより、すでに日本にいる有能な教員を国内に引き留めることが先決だと言っているのである。京大や九大など旧制帝大でさえ、それほど研究環境が悪化しているということである。悪化している例として彼が指摘している事例を次にいくつか列挙しておく。
(1)むしろ問題となるのは、日本の大学教員の給与と条件が過去一五年にわたって一貫して下降傾向にあることだろう(一八一頁)。教員たちはどのような改革がなされるべきか議論する場をほとんど与えられず、彼らの状況の改善も施されない中、トップダウンの方針に対して不満が募ったのは無理もない。
(2)さらに言えば「国際化」のスローガンを掲げることは「日本の」高等教育を暗に過小評価することにつながり、彼らの反感や抵抗を煽るばかりである(一八三頁)。
(3)会議の多くはすでにどこかで決定された事項の報告及び追認を行っているに過ぎないが、出席は義務であり、出欠は事務職員に逐一記録される。会議に費やす[莫大な]時間は研究や授業ができないということでもある(一八四頁)。
(4)事務職員が教員の行動をチェックし、教員が事務的な仕事や儀礼的業務への参加で評価されるようでは、授業や研究は格下げされてしまっていると言わざるをえないだろう(一八五頁)。


 要するに、文科省・安倍政権は「英語力=科学力」「英語力=グローバル人材力」というイデオロギーを振り回して、日本の大学を「英語化」することに血道をあげていますが、それに反比例して、日本の科学力は低下する一方なのです。
 それどころか、もう一方で文科省は、小学校まで「英語化」することに邁進し始めているのですから、日本の将来は暗澹たるものです。
 さらに言えば、大学の研究費も削られる一方で、他方では軍事研究には多額の研究費を出す体制を着々と整備しつつあります。これでどうして自由で独創的な研究が生まれるのでしょうか。
 次回は、この点について、大隅良典氏(2016度のノーベル賞生理医学賞受賞者)の軌跡・発言をたどることによって、検証してみたいと考えています。


<註>
*「米支配層の予定通りにトランプ政権は中国と戦争を開始、その手先になったインド首相と安倍首相」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/ (2017.08.22)
*Why Siding with Washington on Korea May Be Dangerous
「朝鮮問題で、ワシントン側につくのは何故危うい可能性があるのか」

https://www.strategic-culture.org/news/2017/08/10/why-siding-with-washington-korea-may-be-dangerous.html


書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その2)――科学誌『Nature』の5つのグラフの衝撃

英語教育(2017/08/07) Nature Index Japan、中学校「英語による授業」、小学校英語「早期化・教科化」、大学入試の「外注」「民営化」、OECD国際成人力調査「国語力」「数学力」

    急速に落下する「世界での地位」、失速・停滞する「日本の論文数」日本の科学力1、TotaloutputScopus_high

  前回のブログでは、私が鹿児島講演に行かねばならないため、拙著『英語で大学が亡びるとき』にたいする江利川春雄先生(和歌山大学)による書評のみを掲載し、次のように書きました。
 「いまは鹿児島への出立までに時間もありませんので、今回は江利川先生の書評のみを掲載し、それにたいする私の想いは帰郷してからにしたいと思います」
 ところが岐阜に戻ってきたら、今度は、チョムスキーの新著Requiem for the American Dream の翻訳初校に追われる毎日でした。
 そして気がついたら、もう明日からの、国際教育総合文化研究所が主宰する「『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』のワークショップ」と「宿泊セミナー」が、目の前に迫ってきています。
 そこで慌てて、「急速に失速・劣化しつつある日本の科学力(その1)」の続編を、いま書き始めています。
 
 さて江利川先生の書評は次のような衝撃的事実の提示で始まっています。

 「日本の科学研究,この10 年で失速」。2017年3 月発売の英国科学誌『ネイチャ-』は,衝撃の特集を組んだ。主要科学誌への投稿論文数は,日本が得意とした理工系でも10年間で10%以上減少。
 要因は,2004 年の国立大法人化による予算削減と研究条件の劣化である。 大学の危機をさらに加速させるのが,「英語による授業」の強要である。そう本書は警告する。


 上記で江利川先生は、「大学の危機をさらに加速させるのが,『英語による授業』の強要である。そう本書は警告する」と書いておられましたが、事実、私は、『英語で大学が亡びるとき―「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』の「あとがき」を、次のように結んでいます。

 英国のタイムズ紙の高等教育情報誌THE(Times Higher Education)が一〇月一日に発表した世界大学ランキング二〇一四~二〇一五で、日本の大学がランクを下げて話題になりましたが、調べてみると、低下した一番の理由は在籍する外国人学生の数の少なさによるものであって、研究者の実力とは、ほとんど何の関係もありませんでした。
 現在の日本は、本書第3章でも詳述したように、OECD国際成人力調査の「国語力」でも「数学力」でもトップの位置を占めていますし、ノーベル科学賞の受賞者数も二一世紀以降はアメリカに次いで世界第二位です。
 しかしこれは、これまで積み重ねられてきた現場教員・研究者の血のにじむような努力に支えられて生み出された成果でした。
 いま極めて深刻なのは、文科省が教育改革という名の「改悪」をすればするほど、教員が置かれている教育・研究環境が悪くなり、生徒・学生の学力は低下しているという事実です。文科省自身による最近の調査でも、「高校三年生の英語力は中卒程度」でした(一〇月一日発表)。
 ですから、何度も言うように、このまま事態が進行すれば、OECDにおける日本の地位も、ノーベル賞受賞者数も、確実に転落・減少するでしょう。そんな不安を私はどうしても拭い去ることができません。私が本書を緊急に出版したいと思ったゆえんです。


 この私の予言を裏付けるかのような衝撃的事実が、英国科学誌『ネイチャ-』(2017年3 月発売)の「日本の科学研究,この10 年で失速」という特集記事でした。この特集記事によれば。主要科学誌への投稿論文数は,日本が得意とした理工系でも10年間で10%以上も減少しているというのです。
 そこで早速この衝撃的事実を、英国科学誌『ネイチャ-』(2017年3 月発売)で、確認しようと、書店を訪れたのですが、残念ながら手に入りませんでした。そこで、やむを得ずインターネットで調べてみたところ、Nature Indexは、そのホームページで、次のような記事を公開していることが分かりました。
*The slow decline of Japanese research in 5 charts
http://www.natureindex.com/news-blog/the-slow-decline-of-japanese-research-in-five-charts

 この記事では、上記で示されているとおり、五つの図表(5 charts)を使って「日本の科学力」の「失速・劣化」ぶりを説明しているのですが、しかし今は時間もありませんので、ここでは、その五つの図表のうち、日本の「失速・劣化」ぶりを最も分かりやすく示す二つの図表だけを取りあげることにします。
 その第一番目が、ブログ冒頭に掲げた「論文総数の時間的・年代的変化」です。このグラフは、日本・中国・韓国・イギリス・アメリカという科学先進国5カ国における、2005年から2015年までの論文発表数を示したものです。
 ブログ冒頭で紹介した図表を、もう一度、再掲すると次のようになります。
日本の科学力1、TotaloutputScopus_high
  左のグラフが「科学分野で発表された各国の論文の数の変化」、右のグラフは「全世界の論文発表数のなかで各国の論文発表数がどのくらいの割合を占めているのか」を示しています。
 日本の論文発表数は紫色の線で表されており、2005年から2015年にかけての発表は、数の上では横ばいです。しかし世界全体の発表数は年を追うごとに増加しているので、全体における割合は急激に低下していいます。それを歴然と示しているのが、右側のグラフです。
 なお、このグラフにつけられた解説では、引用文献データベース「Scopus」を元に作成されており、Scopus上の論文総計は2005年から2015年で80%増加しているにも関わらず、日本の論文数は14%の増加にとどまっている」と述べられています。

 (Japan is one of the world’s top research-producing nations. But, over the past decade its scholarly output has not kept pace with the average growth in publications around the world. While the total number of articles in Scopus increased by about 80% between 2005 and 2015, Japan’s output grew by a mere 14%.)
*Five Charts
https://www.natureindex.com/news-blog/the-slow-decline-of-japanese-research-in-five-charts
*Scopus
http://jp.elsevier.com/online-tools/scopus

 さて「日本の科学力」の「劣化・衰退」ぶりを示す、もうひとつのグラフが次のものです。
日本の科学力5、japnvsworld_high
 上記のグラフは、2015年に発表された日本の論文を、学問分野別(14分野)に分類し、縦軸で各分野における「世界の研究と日本の研究の相対的変動」を示したものです。
 グラフの横軸では、左から学問分野別に、薬学・物理学・化学・材料科学・エンジニアリング・生化学&分子生物学・神経科学・薬理学・コンピューター科学・数学・免疫学・植物科学・農学・天文学の順に、科目名が並べられています。
 これを見ると、14分野中11分野で日本は、世界平均のペースから遅れをとっていることが、よく分かります。論文発表数で日本が2005年よりも増加しているのは、薬学・数学・天文学の三つだけなのです。(ただし天文学だけは世界平均よりも良い結果となっています)。
 だとすれば、私が拙著「あとがき」で次のように述べたことが、このNature Index Japanで見事に証明されている、と言ったら言い過ぎでしょうか。

 ですから、何度も言うように、このまま事態が進行すれば、OECDにおける日本の地位も、ノーベル賞受賞者数も、確実に転落・減少するでしょう。そんな不安を私はどうしても拭い去ることができません。私が本書を緊急に出版したいと思ったゆえんです。


 江利川先生は、拙著の書評を、第1章を次のように要約し、また、書評の末尾を次のように結んでおられます。

 高度で創造的な思考を支えるのは母語である。日本では明治以来の努力で大学院教育まで日本語で行える。そのおかげで,多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた。ところが,政府は「グローパル人材育成」策として大学の授業を英語で行えば補助金を出す「亡国の教育政策」を行っている。背景には「英語力= 研究力=経済力=国際力」という無知と幻想がある(第1章)。
 ・・・氏はすでに,主として小学校英語教育の問題点を論じた『英語教育原論』(2007)、高校の「英語で授業」の危険性を指摘した『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギ-』(2009)を世に問うてきた。
 次期学習指導要領で小学校外国語が早期化・教科化され,中学校でも「英語で授業」 が強要されるいま、本書に加えて、前掲書を「寺島三部作」として読み直すならば,氏が日本の英語教育政策の病巣を名医の的確さで診断し処方姿を書いていることに。
 「今の文教政策がこのまま進行すれば,日本の大学教育だけでなく,日本の公教育全学体が確実に亡びる」(あとがき)。
 子どもたちのために,そうさせてはならない。病気を根治させ,「母語を耕し、自分を耕し,自国を耕すための英語教育」を実現するのは.私たちの仕事である。そのための知恵と希望を本書は与えてくれる。必読書である。


 江利川先生の、「氏が日本の英語教育政策の病巣を名医の的確さで診断し処方姿を書いている」という表現は、私にとっては褒めすぎで、何とも面映(おもは)ゆいものがあります。
 しかし、文科省が小学校英語を早期化・教科化し、中学校でも「英語で授業」を強要しているときだけに、全国の教育現場だけでなく父母や市民の間で、英語教育が議論される際に、拙著が「たたき台」になるのであれば、こんなに嬉しいことはありません。
 まして、いま政府・文科省が、英語の大学入試を民間業者に「外注」し、英語教育を利潤追求の場、教育産業の草刈場にしようとしているのですから、事態は深刻さを増すばかりではないか――私にはそう思えてならないのです。


書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その1)――急速に失速しつつある日本の科学力

英語教育(2011/07/27)、Nature Index 2017 Japan、「英語による授業」、「グローパル人材育成」策、「白己家畜化・自己植民地化」、鈴木孝夫「地原理」

NatureIndexjapan2017.jpg 『英語で大学が亡びるとき―「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』


 お墓参り(墓掃除)のため石川県に出かけていたり、チョムスキーの新著Requiem for the American Dream:The 10 Principles of Concentration of Wealth & Power(『富と権力を超富裕層に一極集中させる10の原理:アメリカンドリーム葬送曲』)の初校に追われたりしているうちに、もう10日以上も経ってしまいました。
 鹿児島高教組教研集会「外国語部会」での講演を頼まれているため明日には鹿児島に向かわねばならないので、慌ててこのブログを書いています。いま書いておかないと、すぐ8月に入ってしまいますし、翻訳原稿の校正にも追われているので、どんどんブログから遠ざかってしまうことになりかねないからです。
 シリアやウクライナなど中東をめぐる情勢、フィリピンやベネズエラ情勢、中国や北朝鮮をめぐる情勢など、書きたいことは山積しているのですが、江利川春雄先生からいただいた拙著『英語で大学が亡びるとき』にたいする書評(『新英語教育』2017年6月号)の紹介と、それにたいする私のコメントも、早くしないと時期遅れになってしまいます。
 そこで今後しばらくは、「急速に失速・劣化する日本の科学力――書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて」という題名で、江利川先生の書評によって触発された私の想いを連載で書いてみることにしました。
 しかし、いまは鹿児島への出立までに時間もありませんので、今回は江利川先生の書評のみを掲載し、それにたいする私の想いは帰郷してからにしたいと思います。講演の準備に意外と時間を取られ、気がついたらもう時間がなくなっていたからです。どうかお許しいただければ幸いです。
 それにしても、本書に込められた「英語政策にたいする私の怒りや悲しみ」を、これほど的確にすくい取り、それを限られたスペースのなかで見事に表現していただいた書評を、これまでに読んだことがありませんでした。感動の一言でした。ただただ感謝あるのみです。この場を借りて改めて江利川先生に御礼を申し上げたいと思います。



書評『英語で大学が亡びるとき』明石書店、2015
江利川春雄(和歌山大学)


 「日本の科学研究,この10 年で失速」。2017年3 月発売の英国科学誌『ネイチャ-』は,衝撃の特集を組んだ。主要科学誌への投稿論文数は,日本が得意とした理工系でも10年間で10%以上減少。
 要因は,2004 年の国立大法人化による予算削減と研究条件の劣化である。 大学の危機をさらに加速させるのが,「英語による授業」の強要である。そう本書は警告する。
 高度で創造的な思考を支えるのは母語である。日本では明治以来の努力で大学院教育まで日本語で行える。そのおかげで,多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた。ところが,政府は「グローパル人材育成」策として大学の授業を英語で行えば補助金を出す「亡国の教育政策」を行っている。背景には「英語力= 研究力=経済力=国際力」という無知と幻想がある(第1章)。
 補助金を目当てに,たとえば京都大学では外国人教員を100人雇い,教養教育の半数を英語で行う。「自己植民地化・白己家畜化」である。その根は深く、米国が戦後実施してきた「対日文化工作j としての英語教育振興策に起因する(第2章)。
 政府は留学生倍増計画を進めるが、第3章を読めば,アメリカの大学が銃と性暴力,学費高騰.教育水準低下に蝕まれている実態に戦慄する。留学で英語に精力を奪われるよりも,日本語で深く思考し 憲法9条のような日本の良さ<地原理>を世界に広める言語教育が大切だ。そのために「日本人の,日本人による,日本人のための英語教育」が必要だと寺島氏は説く。
 氏はすでに,主として小学校英語教育の問題点を論じた『英語教育原論』(2007)、高校の「英語で授業」の危険性を指摘した『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギ-』(2009)を世に問うてきた。
 次期学習指導要領で小学校外国語が早期化・教科化され,中学校でも「英語で授業」 が強要されるいま、本書に加えて、前掲書を「寺島三部作」として読み直すならば,氏が日本の英語教育政策の病巣を名医の的確さで診断し処方姿を書いていることに感嘆する。
 「今の文教政策がこのまま進行すれば,日本の大学教育だけでなく,日本の公教育全学体が確実に亡びる」(あとがき)。子どもたちのために,そうさせてはならない。病気を根治させ,「母語を耕し、自分を耕し,自国を耕すための英語教育」を実現するのは.私たちの仕事である。そのための知恵と希望を本書は与えてくれる。必読書である。


書評 『英語で大学が亡びるとき』江利川春雄、『新英語教育』2017年6月号

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