「英語で授業」を考える(その2)――「全員が話せる必要はない」「英語一辺倒が日本を危うくする」毎日新聞社インタビューに答えて、[緊急情報] 国防総省の調査報告:米軍内での性的暴行は、2万6000件/1年、平均毎日70件
シアトルの教師が、「統一テスト」の廃止を求めた闘いで、歴史的勝利!

http://www.democracynow.org/2013/5/20/seattle_teachers_students_win_historic_victory
<註> スローガンの "Scrap the MAP" 「マップ・テストをスクラップしてしまえ(廃棄処分にしろ)」が脚韻を踏んでいること、Scrap の S がドルマーク$になっていることに注目。MAPテストというのは、「数学と英語の統一テストをして、その点数で学校と教師の評価を決めようとするテスト(Measures of Academic Progress, or MAP)。このテストによって学校を廃校にしたり教師を首にしたりする。テストのボイコットなどを通じて、地域ぐるみの粘り強い闘いがシアトルで数ヶ月も続き、5月13日、ついに勝利した。
"Testing is NOT Teaching" 「テストは教育ではない」

自民党が選挙政策に掲げる「大学入試にTOEFLテスト」も、アメリカの業者を儲けさせるだけ?
毎日新聞社会部からある日、自宅に電話がかかってきて、インタビューの申し入れがありました。
「いよいよ4月から新高等学校学習指導要領が本格実施になりました。これについての御意見をおうかがいしたい」というのです。そのインタビュー記事が本日(5月31日)の朝刊に載りました。
詳しくは 「論点 ー 英語の授業 どうあるべきか」を見ていただきたいのですが、以下に私の発言部分だけを紹介します(他に、立教大学の松本茂氏と順天高の和田玲氏が登場しています)、
高校の新指導要領はコミュニケーション能力に目標を特化した。生徒が授業で学ぶ英語は会話が中心になる。
しかし日本のような社会環境で英語を使う機会は限られている。どれだけ詰め込んでも忘れてしまう。「ザルに水を入れる作業」と似ている。
音楽や体育の授業を受けただけで、ピアノがひけたりスポーツ選手になれるわけではない。ところが英語だけが、「授業だけで話せるようになる」と思われている。不思議でならない。
日本人が英語を話せない理由は日常生活に必要ないからだ。私がベトナムに行ったとき路上生活の子どもたちが英語で土産物を売っていた。生活の必要がそうさせるのだ。
中学校も会話が中心になったため語彙は貧弱だ。だから高校に入って一文一文の和訳にてこずる生徒もでてくる。それどころか人称代名詞の us を指して、「先生、このウスは何?」と尋ねる大学生まで現れたと聞く。
このように、学力低下は深刻なのに、「英語で授業」と言う。信じ難い。日本語でコミュニケーションをとるのも難しい荒れた学校もある。「英語で授業」の押しつけは、生徒にとっても教師にとっても不幸だ。日本語を使わない授業が効果的なら、NHKの語学番組はなぜそうしないのか。
学校教育で重要なのは、社会人になって必要になったとき活用できる基礎力をつけておくことだ。使わなければ忘れてしまう会話ではなく、まず「読む力」をつける。その方が逆に会話にも役立つ。
速読できないかぎり「速聴」は無理だ。相手の言っていることが分からないかぎり会話にならない。読む力は書く力の基礎となり、書く力は、すぐ話す力に転化できる。
英語のリズムで音読できれば発音もよくなる。聴く力も伸びる。だから日本語で指導しても十分に会話の基礎は育つ。問題は授業のやりかただ。
ところが指導要領を真に受けて「日本語を使った授業になっていないか」だけを点検している教育委員会もある。理解に苦しむ。
指導要領のいう「生徒が主体となって活動する授業」は日本語でも可能だ。大切なのは生徒が自分の成長を実感できる授業だ。日本語ゼロの授業で質問もできず、「顔で笑って心で泣いて」いる生徒をうみだしてはならない。
英語力=研究力という考え方も疑問だ。たしかに英語の教科書を使わなければ大学や大学院の講義ができない不幸な国もある。だが今の日本はすべて日本語で済む
ノーベル賞受賞者も英語が先にあったわけではない。知りたいことが先にあり、日本語で読みつくし、知りつくして初めて英語の必要性がうまれた。
かつてジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた1990年代初期に、私はアメリカの大学で日本語を教えていた。そのころ、企業は社員を会話学校や海外の大学に送って必要な語学力を身につけさせていた。今、そのお金が惜しくなったから責任を学校に転化させているだけではないか。
何かひとつ外国語を学べば日本と日本語が見えてくる。「母語を耕し、自分を耕し、自国を耕す」ための外国語だ。日本人全員が英語を話せるようになる必要もないし、義務もない。
むしろ英語一辺倒が日本を危うくする。
しかし日本のような社会環境で英語を使う機会は限られている。どれだけ詰め込んでも忘れてしまう。「ザルに水を入れる作業」と似ている。
音楽や体育の授業を受けただけで、ピアノがひけたりスポーツ選手になれるわけではない。ところが英語だけが、「授業だけで話せるようになる」と思われている。不思議でならない。
日本人が英語を話せない理由は日常生活に必要ないからだ。私がベトナムに行ったとき路上生活の子どもたちが英語で土産物を売っていた。生活の必要がそうさせるのだ。
中学校も会話が中心になったため語彙は貧弱だ。だから高校に入って一文一文の和訳にてこずる生徒もでてくる。それどころか人称代名詞の us を指して、「先生、このウスは何?」と尋ねる大学生まで現れたと聞く。
このように、学力低下は深刻なのに、「英語で授業」と言う。信じ難い。日本語でコミュニケーションをとるのも難しい荒れた学校もある。「英語で授業」の押しつけは、生徒にとっても教師にとっても不幸だ。日本語を使わない授業が効果的なら、NHKの語学番組はなぜそうしないのか。
学校教育で重要なのは、社会人になって必要になったとき活用できる基礎力をつけておくことだ。使わなければ忘れてしまう会話ではなく、まず「読む力」をつける。その方が逆に会話にも役立つ。
速読できないかぎり「速聴」は無理だ。相手の言っていることが分からないかぎり会話にならない。読む力は書く力の基礎となり、書く力は、すぐ話す力に転化できる。
英語のリズムで音読できれば発音もよくなる。聴く力も伸びる。だから日本語で指導しても十分に会話の基礎は育つ。問題は授業のやりかただ。
ところが指導要領を真に受けて「日本語を使った授業になっていないか」だけを点検している教育委員会もある。理解に苦しむ。
指導要領のいう「生徒が主体となって活動する授業」は日本語でも可能だ。大切なのは生徒が自分の成長を実感できる授業だ。日本語ゼロの授業で質問もできず、「顔で笑って心で泣いて」いる生徒をうみだしてはならない。
英語力=研究力という考え方も疑問だ。たしかに英語の教科書を使わなければ大学や大学院の講義ができない不幸な国もある。だが今の日本はすべて日本語で済む
ノーベル賞受賞者も英語が先にあったわけではない。知りたいことが先にあり、日本語で読みつくし、知りつくして初めて英語の必要性がうまれた。
かつてジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた1990年代初期に、私はアメリカの大学で日本語を教えていた。そのころ、企業は社員を会話学校や海外の大学に送って必要な語学力を身につけさせていた。今、そのお金が惜しくなったから責任を学校に転化させているだけではないか。
何かひとつ外国語を学べば日本と日本語が見えてくる。「母語を耕し、自分を耕し、自国を耕す」ための外国語だ。日本人全員が英語を話せるようになる必要もないし、義務もない。
むしろ英語一辺倒が日本を危うくする。
ちなみに、長時間に及ぶインタビューを、「13字X100行」という小さい空間に押し込めるのは至難のわざで、試しに私は自分でやってみて、死ぬような苦しみを味わいました。
新聞記者というのは大変な仕事だと思いました。私には長い論文を書く方がはるかに楽でした。
ところが新指導要領は、この「要約する」「要旨をまとめる」という作業も「英語だけの授業」で指導しろと言っているのです。
この指導要領をつくったひとたちは、日本語ですら、きちんとした「要約文」を書いたことがないのではないか、と疑ってしまいました。
日本語でさえ難しいこと(簡単にはできそうにもないこと)を、日本語を使わないで「英語だけでしろ」と要求する神経が、私には理解できません。
上記の記事は「13字X100行」という制約のなかで書かれたものですから、私が伝えたかったことの全てが盛り込まれているわけではありません。
そもそも、『英語教育原論――英語教師「三つの仕事」「三つの危険」』 『英語教育が亡びるとき――「英語で授業」のイデオロギー』(ともに明石書店)の2冊をもってすら述べ切れなかったことを、「13字X100行」でまとめるというのは、無理難題というべきでしょう。
そこで次回からは上記のインタビュー記事の解説、『英語教育原論』や『英語教育が亡びるとき』においてさえ述べきれなかったことを連載で書きたいと思っています。
それにしても自民党や教育再生会議から次々と出されてくる英語教育の改革案は、現場教師がかかえている矛盾・苦労をまったく知らない空論としか言いようがありません。
本当に英語教育を改善したいのであれば、もっと現実的な方法はいくらでもあるのですから。
イラクやアフガンの戦場では、女性兵士の1/4 が、同僚の男性兵士から襲われている

http://rt.com/usa/sexual-military-reports-assault-962/
[緊急情報] 国防総省の調査報告「昨年度の米軍内での性的暴行2万6千件、1日70件」
大阪市長で「日本維新の会」共同代表の橋下徹氏の、いわゆる「従軍慰安婦制度」をめぐる発言がいま大きな問題になっています。このニュースを聞いてすぐ私の頭に浮かんだのは、アメリカの軍隊で性的暴行が頻発しているという事実でした。
Pentagon Study Finds 26,000 Military Sexual Assaults Last Year, Over 70 Sex Crimes Per Day
http://www.democracynow.org/2013/5/8/pentagon_study_finds_26_000_military
何と驚いたことに国防総省が最近、発表した調査報告によれば、2012年に起きた性的犯罪は推計26000件で、2010年から37%の増加となっています。
これは毎日70件にもおよぶ性暴力が起きている勘定になります。しかしほとんどの犯罪は届け出られていないのです。
驚いたことに、この調査結果が発表された2日前には、空軍「性的暴行予防対策部隊」隊長ジェフリー・クルシンスキ中佐が性的暴行容疑で逮捕されていました。
もっと驚いたのは、この発表があった直後も、立て続けに2番目・3番目の事件が暴露されたことです。しかも、いずれの事件も「性的暴行」を予防することを仕事とするひとたちの犯罪でした。
3rd U.S. Military Official Tasked with Sexual Assault Prevention Is Accused of Abuse
http://www.democracynow.org/2013/5/17/headlines#51711
私はDemocracyNow! でこの事件を読み、橋下発言を聞いたとき、すぐ思ったことは「軍隊に性暴力はつきものであり、だからこそ戦争はなくさねばならない」ということでした。
ところが今の政府は、憲法9条を廃棄して、日本を「戦争ができる普通の国」にしようとしているのです。
<註> アメリカ国防総省が恥をしのんで軍内の性的暴力を公表したのは、これを放置しておくと、グアンタナモ捕虜収容所におけるハンガーストライキ以上の、世界的スキャンダルになりかねないという恐れがあったからでしょう。
二つ目に思ったことは、「なぜアメリカ軍には女性兵士が多いか」という問題です。アメリカという国は「銃の乱射事件」でも有名ですが、「レイプ事件」が多いことでも有名です。にもかかわらず、なぜアメリカ人女性は軍に入るのでしょうか。
日常的にもレイプ事件が絶えないアメリカで、軍に入ればさらにレイプされる危険が高くなります。そのことが分かっていながら軍に入るということは、それほど失業率が高くて、
他に生計を立てる手段がないことを意味しています。
その証拠に、軍に入る多くは白人ではなく、黒人(アフリカ系アメリカ人)、赤人(先住アメリカ人)、褐色人(中南米からの移民、ラティーノ)などの貧困層です。白人兵士も貧困層から来ています。
アメリカはベトナム戦争のあと「徴兵制」を廃止しましたから、戦争を続けるためには「志願兵」を増やさなければなりません。しかし国民がみな豊かになれば誰も軍を志願しません。
そして幸いなことに?今やアメリカは貧困大国ですから志願者に事欠(ことか)きません。女性でさえ志願しなければならないほど貧困化しているのです(『貧困大国アメリカ』堤未果、岩波新書)。
ところが今の自民党政権は、「日本を豊かな国にするために、国民全員が英語学習を!大学入試にTOEFLを!」と叫んでいます。
しかし英語力=経済力であれば、英語国であるアメリカの国民が、なぜこれほど貧困なのでしょうか。英語力=経済力であれば、なぜアメリカが今でも双子の赤字で苦しんでいるなのでしょうか。
なぜ英語国(=豊かな国?)のアメリカが、赤字を理由に学校を閉鎖したり貧困者への食料切符まで廃止するのでしょうか。
この一事を見ただけでも、政府が「英語!、英語!」と叫んでいる理由・目的が、「国民を豊かにする」のとは全く別のところにあることが、よく分かるのではないでしょうか。
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