「英語で授業」を考える(その2)――「全員が話せる必要はない」「英語一辺倒が日本を危うくする」毎日新聞社インタビューに答えて、[緊急情報] 国防総省の調査報告:米軍内での性的暴行は、2万6000件/1年、平均毎日70件


シアトルの教師が、「統一テスト」の廃止を求めた闘いで、歴史的勝利!

http://www.democracynow.org/2013/5/20/seattle_teachers_students_win_historic_victory

<註> スローガンの "Scrap the MAP" 「マップ・テストをスクラップしてしまえ(廃棄処分にしろ)」が脚韻を踏んでいること、Scrap の S がドルマーク$になっていることに注目。MAPテストというのは、「数学と英語の統一テストをして、その点数で学校と教師の評価を決めようとするテスト(Measures of Academic Progress, or MAP)。このテストによって学校を廃校にしたり教師を首にしたりする。テストのボイコットなどを通じて、地域ぐるみの粘り強い闘いがシアトルで数ヶ月も続き、5月13日、ついに勝利した。

"Testing is NOT Teaching" 「テストは教育ではない」

自民党が選挙政策に掲げる「大学入試にTOEFLテスト」も、アメリカの業者を儲けさせるだけ?


毎日新聞社会部からある日、自宅に電話がかかってきて、インタビューの申し入れがありました。

「いよいよ4月から新高等学校学習指導要領が本格実施になりました。これについての御意見をおうかがいしたい」というのです。そのインタビュー記事が本日(5月31日)の朝刊に載りました。

詳しくは 「論点 ー 英語の授業 どうあるべきか」を見ていただきたいのですが、以下に私の発言部分だけを紹介します(他に、立教大学の松本茂氏と順天高の和田玲氏が登場しています)、


 
 高校の新指導要領はコミュニケーション能力に目標を特化した。生徒が授業で学ぶ英語は会話が中心になる。
 しかし日本のような社会環境で英語を使う機会は限られている。どれだけ詰め込んでも忘れてしまう。「ザルに水を入れる作業」と似ている。

 音楽や体育の授業を受けただけで、ピアノがひけたりスポーツ選手になれるわけではない。ところが英語だけが、「授業だけで話せるようになる」と思われている。不思議でならない。

 日本人が英語を話せない理由は日常生活に必要ないからだ。私がベトナムに行ったとき路上生活の子どもたちが英語で土産物を売っていた。生活の必要がそうさせるのだ。

 中学校も会話が中心になったため語彙は貧弱だ。だから高校に入って一文一文の和訳にてこずる生徒もでてくる。それどころか人称代名詞の us を指して、「先生、このウスは何?」と尋ねる大学生まで現れたと聞く。

 このように、学力低下は深刻なのに、「英語で授業」と言う。信じ難い。日本語でコミュニケーションをとるのも難しい荒れた学校もある。「英語で授業」の押しつけは、生徒にとっても教師にとっても不幸だ。日本語を使わない授業が効果的なら、NHKの語学番組はなぜそうしないのか。

 学校教育で重要なのは、社会人になって必要になったとき活用できる基礎力をつけておくことだ。使わなければ忘れてしまう会話ではなく、まず「読む力」をつける。その方が逆に会話にも役立つ。
 速読できないかぎり「速聴」は無理だ。相手の言っていることが分からないかぎり会話にならない。読む力は書く力の基礎となり、書く力は、すぐ話す力に転化できる。
 英語のリズムで音読できれば発音もよくなる。聴く力も伸びる。だから日本語で指導しても十分に会話の基礎は育つ。問題は授業のやりかただ。

 ところが指導要領を真に受けて「日本語を使った授業になっていないか」だけを点検している教育委員会もある。理解に苦しむ。

 指導要領のいう「生徒が主体となって活動する授業」は日本語でも可能だ。大切なのは生徒が自分の成長を実感できる授業だ。日本語ゼロの授業で質問もできず、「顔で笑って心で泣いて」いる生徒をうみだしてはならない。

 英語力=研究力という考え方も疑問だ。たしかに英語の教科書を使わなければ大学や大学院の講義ができない不幸な国もある。だが今の日本はすべて日本語で済む
 ノーベル賞受賞者も英語が先にあったわけではない。知りたいことが先にあり、日本語で読みつくし、知りつくして初めて英語の必要性がうまれた。

 かつてジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた1990年代初期に、私はアメリカの大学で日本語を教えていた。そのころ、企業は社員を会話学校や海外の大学に送って必要な語学力を身につけさせていた。今、そのお金が惜しくなったから責任を学校に転化させているだけではないか。

何かひとつ外国語を学べば日本と日本語が見えてくる。「母語を耕し、自分を耕し、自国を耕す」ための外国語だ。日本人全員が英語を話せるようになる必要もないし、義務もない。

むしろ英語一辺倒が日本を危うくする。






ちなみに、長時間に及ぶインタビューを、「13字X100行」という小さい空間に押し込めるのは至難のわざで、試しに私は自分でやってみて、死ぬような苦しみを味わいました。

新聞記者というのは大変な仕事だと思いました。私には長い論文を書く方がはるかに楽でした。

ところが新指導要領は、この「要約する」「要旨をまとめる」という作業も「英語だけの授業」で指導しろと言っているのです。

この指導要領をつくったひとたちは、日本語ですら、きちんとした「要約文」を書いたことがないのではないか、と疑ってしまいました。

日本語でさえ難しいこと(簡単にはできそうにもないこと)を、日本語を使わないで「英語だけでしろ」と要求する神経が、私には理解できません。

上記の記事は「13字X100行」という制約のなかで書かれたものですから、私が伝えたかったことの全てが盛り込まれているわけではありません。

そもそも、『英語教育原論――英語教師「三つの仕事」「三つの危険」』 『英語教育が亡びるとき――「英語で授業」のイデオロギー』(ともに明石書店)の2冊をもってすら述べ切れなかったことを、「13字X100行」でまとめるというのは、無理難題というべきでしょう。

そこで次回からは上記のインタビュー記事の解説、『英語教育原論』や『英語教育が亡びるとき』においてさえ述べきれなかったことを連載で書きたいと思っています。

それにしても自民党や教育再生会議から次々と出されてくる英語教育の改革案は、現場教師がかかえている矛盾・苦労をまったく知らない空論としか言いようがありません。

本当に英語教育を改善したいのであれば、もっと現実的な方法はいくらでもあるのですから。






イラクやアフガンの戦場では、女性兵士の1/4 が、同僚の男性兵士から襲われている

http://rt.com/usa/sexual-military-reports-assault-962/


[緊急情報] 国防総省の調査報告「昨年度の米軍内での性的暴行2万6千件、1日70件」

大阪市長で「日本維新の会」共同代表の橋下徹氏の、いわゆる「従軍慰安婦制度」をめぐる発言がいま大きな問題になっています。このニュースを聞いてすぐ私の頭に浮かんだのは、アメリカの軍隊で性的暴行が頻発しているという事実でした。

Pentagon Study Finds 26,000 Military Sexual Assaults Last Year, Over 70 Sex Crimes Per Day
http://www.democracynow.org/2013/5/8/pentagon_study_finds_26_000_military


何と驚いたことに国防総省が最近、発表した調査報告によれば、2012年に起きた性的犯罪は推計26000件で、2010年から37%の増加となっています。

これは毎日70件にもおよぶ性暴力が起きている勘定になります。しかしほとんどの犯罪は届け出られていないのです。

驚いたことに、この調査結果が発表された2日前には、空軍「性的暴行予防対策部隊」隊長ジェフリー・クルシンスキ中佐が性的暴行容疑で逮捕されていました。

もっと驚いたのは、この発表があった直後も、立て続けに2番目・3番目の事件が暴露されたことです。しかも、いずれの事件も「性的暴行」を予防することを仕事とするひとたちの犯罪でした。

3rd U.S. Military Official Tasked with Sexual Assault Prevention Is Accused of Abuse
http://www.democracynow.org/2013/5/17/headlines#51711

私はDemocracyNow! でこの事件を読み、橋下発言を聞いたとき、すぐ思ったことは「軍隊に性暴力はつきものであり、だからこそ戦争はなくさねばならない」ということでした。

ところが今の政府は、憲法9条を廃棄して、日本を「戦争ができる普通の国」にしようとしているのです。


<註> アメリカ国防総省が恥をしのんで軍内の性的暴力を公表したのは、これを放置しておくと、グアンタナモ捕虜収容所におけるハンガーストライキ以上の、世界的スキャンダルになりかねないという恐れがあったからでしょう。


二つ目に思ったことは、「なぜアメリカ軍には女性兵士が多いか」という問題です。アメリカという国は「銃の乱射事件」でも有名ですが、「レイプ事件」が多いことでも有名です。にもかかわらず、なぜアメリカ人女性は軍に入るのでしょうか。

日常的にもレイプ事件が絶えないアメリカで、軍に入ればさらにレイプされる危険が高くなります。そのことが分かっていながら軍に入るということは、それほど失業率が高くて、
他に生計を立てる手段がないことを意味しています。

その証拠に、軍に入る多くは白人ではなく、黒人(アフリカ系アメリカ人)、赤人(先住アメリカ人)、褐色人(中南米からの移民、ラティーノ)などの貧困層です。白人兵士も貧困層から来ています。

アメリカはベトナム戦争のあと「徴兵制」を廃止しましたから、戦争を続けるためには「志願兵」を増やさなければなりません。しかし国民がみな豊かになれば誰も軍を志願しません。

そして幸いなことに?今やアメリカは貧困大国ですから志願者に事欠(ことか)きません。女性でさえ志願しなければならないほど貧困化しているのです(『貧困大国アメリカ』堤未果、岩波新書)。

ところが今の自民党政権は、「日本を豊かな国にするために、国民全員が英語学習を!大学入試にTOEFLを!」と叫んでいます。

しかし英語力=経済力であれば、英語国であるアメリカの国民が、なぜこれほど貧困なのでしょうか。英語力=経済力であれば、なぜアメリカが今でも双子の赤字で苦しんでいるなのでしょうか。

なぜ英語国(=豊かな国?)のアメリカが、赤字を理由に学校を閉鎖したり貧困者への食料切符まで廃止するのでしょうか。

この一事を見ただけでも、政府が「英語!、英語!」と叫んでいる理由・目的が、「国民を豊かにする」のとは全く別のところにあることが、よく分かるのではないでしょうか。
関連記事
スポンサーサイト

「英語で授業」を考える(その1)――「国家は国民を守らない」、“たてまえ”だったはずが、いつのまにか“強制”へと変身! [緊急情報] オバマ政権による(国内と国外の)二つのスパイ事件

────────────────────────────────────────

『英語教育原論―英語教師:三つの仕事、三つの危険』


────────────────────────────────────────
私はかつてブログで、福島原発事故のあと文科省が「年間20ミリシーベルト以下」であれば問題ないとして福島の子どもたちを疎開させることに強い抵抗を示し、その意向を受けた福島県教育委員会は福島市内の子どもたちが弁当持参で登校することを禁じて給食を強制的に食べさせようとしてきたことを紹介しました。

瓦礫を拡散させるな! いま高校生に「突然死」が現れ始めた!? 
ベラルーシからの警告「日本政府が今の政策を続ければ、日本人という国民はわずかになる」

http://pub.ne.jp/tacktaka/?monthly_id=201203 (2012.3.23)

また文科省が管理するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)は福島原発事故のときのような非常事態のために設けられたはずなのに、その情報は隠されたままになり、多くの福島県民は放射能が流れていく方向に逃げることを余儀なくさせられました。

(事前に情報が与えられていれば、飯舘村のように、避けることができたはずの被曝を、強いられた村落もありました。)

このように今回の福島原発事故を通じて、日本の政府・文科省が「子どもたちを含め、国民の命や生活を守る気持ち」をほとんど持っていないことが露呈されてしまいました。

それと同じことが、英語教育を通じて、再び日本国中に広がっています。それが新高等学校学習指導要領「英語の授業は英語でおこなう」という政策です。

────────────────────────────────────────
英語の授業を「英語でおこなう」というのは普通に考えると当たり前のことのようにみえます。

日本の英語教育がうまくいっていないのは教師が英語で授業しないからだという俗説を信じて、私がかつて勤務していた国立大学でも「共通教育の英語授業をすべて外人教師にしてしまえばよい」と言った副学長(専門は自然科学)がいました。

しかし、ことはそれほど単純ではありません。というのは、私が経験したかぎりでは、非常勤講師として外国人を雇った授業は必ずしもうまくいっていないからです。授業のようすを学生に聞いてみると、出欠の管理が杜撰(ずさん)だったり、成績評価も納得いかないことが多いという声を聞きました。

日本語を話せる外国人であれば、学生の表情を見ていて、分からない顔つきをすれば、少し日本語で補足することもできますが、日本語を巧く話せない外国人教師が多いので、学生も教師が何を言っているのか分からないまま過ぎていくことも少なくないからです。

他方、外国人教師も学生の反応が鈍いのでイライラしてしまう。そこで結局のところ授業をゲームで誤魔化したり、学生を野外に連れ出してお茶をにごすという外国人教師も出てくることになります。ところが学生に聞くと「小・中学時代から外国人講師が来るたびにゲームをやらされているので、大学に来てまでゲームをやりたくない」というのです。

────────────────────────────────────────
以上に挙げた事例は、私が英語科主任をしていたときに雇った外国人教師も含まれていますので、私自身の自戒も込めて、「外国人を雇って授業させれば」、つまり「英語の授業を英語でおこないさえすれば」万事OK―とはならないのだという例証として述べたつもりです。

ところが新高等学校学習指導要領では俗説を真に受けて「英語の授業は英語でおこなう」ということを決めてしまいました。この指導要領の作成に当たったひとたちの中には英語教育の専門家もいたはずなのですが、どういうわけか「英語でディベート」を強く主張する松本茂氏の意見に押し切られてしまったようにみえます。

当然このような方針をめぐって賛否両論が日本全国を席巻しました。朝日新聞も何度かこの問題を取りあげて賛成論者・反対論者を登壇させましたし、大修館書店の月刊『英語教育』の「英語教育時評」でも、東大の斎藤兆史氏を初めとする著名人から、「英語で授業」にたいして厳しい批判が提出されました。

私も『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』(明石書店、2009)で、新高等学校学習指導要領が学校現場にどのような影響をもたらす恐れがあるかを(指導要領の逐条ごとの検討も含めて)詳細に論じました。

たとえば、教師が置かれている労働条件、フィンランドなどと比べた教員養成の問題点、欧米と比べて外国語の授業のクラスサイズが大きすぎること、生活指導で追いまくられている学校現場の問題、中学校の教科書が会話中心になってから生徒の英語力が低下している事実、だから「英語で授業」がおこなわれたときに予測される「更なる学力低下」などなど。

このような動きのなかで「英語の授業」という流れはいったん退いたかにみえました。朝日新聞や月刊『英語教育』でも、賛成論者の意見は急にトーダウンし、「“英語で授業”というのはあくまで基本であって授業のすべてを英語でやるという意味ではない」という論調になっていきました。

当時の文科省教科調査官だった菅正隆氏でさえ「先生方はマスコミに踊らされてはいけない」と言いだす始末でした(『亡びるとき』213頁を参照)。これではまるで、指導要領を書いた文科省に責任はなく、問題はすべて「誤解した」教師やマスコミにあるかのようです。

────────────────────────────────────────
<註> 拙著『亡びるとき』の中で、名指しで詳細に批判したにもかかわらず、「英語でディベート」を掲げる松本茂氏から、一度も正式にディベートを挑まれたことがなかっただけでなく、一度も、どこでも拙著にたいする反論が書かれなかったというのも、考えてみれば不思議なことでした。

────────────────────────────────────────
先にも述べたように、当時の文科省教科調査官だった菅正隆氏は、「先生方はマスコに踊らされてはいけないし、教育委員会も、英語の授業は文法事項まで全て英語でやるというような指導をしたら、英語ぎらいの生徒を作るだけです」と述べているのです。

しかし「言語活動を英語で行う」と指導要領に書いてあるからには授業をすべて「英語で行う」かのようなイメージを、上記のような事情を知らない各県教育委員会が思い描いても、それは当然ではないでしょうか。

それどころか、私は既に、1999年に成立した「国旗国歌法」を例にしながら、将来にたいする不安を、『亡びるとき』(221-222頁)で次のように書きました。

このように、公にされた文書は独り立ちして強い力を持ち始めます。だらこそ、議論を尽くして「決めたことは守る」、ただし「守れないことは決めない」ということが、民主主義の大原則として大切にされなければならないのです。>

もし「言語活動を英語で行う」という文言を、単なる「努力事項」だと分かっていれば、誰もこんなに大まじめに議論しなかったでしょう。現行の指導要領は、フィンランドのように現場教師に大幅な裁量権を与えるものではなく、非常に拘束力の強いものです。だからこそ、その文言は慎重にも慎重を重ねて言葉が選ばれねばなりません。

なぜなら、いみじくも中嶋[洋一]氏が上記で述べているように、「いったん私たちの口から言葉が出てしまったら、それは相手に委ねるしかない。言い直すことはできない。書いてしまったら書き直すことはできない」のですから。それによって教科書の内容が変わったり、現場教師が右往左往したり縛られたりするわけですから。また、だからこそ日の丸・君が代問題で東京都の教員に厳しい処罰が下されているのではないでしょうか。


────────────────────────────────────────
私が上記で「日の丸・君が代問題」を持ち出したのは、次のような事情があったからです。同じく『亡びるとき』221頁から引用します。

1999年夏の国会で「国旗国歌法」が成立しましたが、「日の丸を国旗とする。君が代を国歌とする」というだけの簡素な法律で、「学校教育の現場で強制はしない」「学校教育の現場に影響は与えない」と当時の小渕総理と野中官房長官は何度となく国会で答弁しました。

ところが一度文章化されてしまうと、法律は大きな力を持ち始めます。それを利用して、当時の小渕総理と野中官房長官の国会答弁を真っ向から踏みにじったのが東京都教育委員会でした。


上記で「小渕総理と野中官房長官の国会答弁」とあるのは次のような事実を指します。これも『亡びるとき』で詳しく書いておきましたので、次に引用しておきます(247-248頁の註3)。

当時の首相であった小渕恵三氏は、一九九九年六月二九日の衆議院本会議において、日本共産党の志位和夫氏の質問に対し以下の通り答弁した。

「学校におきまして、学習指導要領に 基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を 身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。」

「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。」

また、二〇〇四年秋の園遊会に招待された東京都教育委員会委員を務める米長邦雄氏は、天皇の前で「日本中の学校において国旗を掲げ国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」という発言を行った。これに対し、天皇は「やはり、強制になるということでないことが望ましいですね」と返答している。それにもかかわらず現在の事態が起きていることも記憶に止めておいてよいことだろう。


────────────────────────────────────────
<註> ところで、上記引用を書いていたとき、日弁連(日本弁護士連合会)が「子どもの権利条約に基づく第二回日本政府報告に対する日弁連の意見書」(2007年6月1日)および「公立の学校現場における『日の丸』『君が代』の強制問題に対する意見書」(2007年2月16日)などを発表し、政府・文科省の方針に対して厳しい批判・警告を発していることを知りました。私の不明を恥じるのみです。各意見書のURLは次のとおりです。.
http://www003.upp.so-net.ne.jp/eduosk/nitibennrenn.htm
htt p://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/report/070216.html

────────────────────────────────────────
私がこんなことを急にブログで書きたくなったのは、ある英語教育研究会から次のような講演依頼があったからです。

「いよいよ新高等学校学習指導要領を本格的に実施する時期が近づいてきましたが、最近、教育委員会が主催する研修会に参加したところ、『英語の授業は英語でする』ということを厳格に守るよう厳しい口調で言われました。この点についてどう考えたらよいのか是非お話を願いたい」

講演会場で現場の先生がたと話をしていたら、もっと驚くべき事実があることを知りました。というのは、校長あてに「いよいよ新指導要領が本格化するから英語で授業するよう教師を指導せよ」とい通達があったらしく、朝礼で校長から「先生方も大変でしょうが頑張ってください」との訓示があったというのです。

さらにもっと驚いたことは、上記の先生方が教育委員会主催の研修会に出席したら、「今は『英語で授業』の是か非かを論じている場合ではない。法律で決まったことだから守っていただかねばなりません」と強い口調で指導されたというのです。

私が『英語教育が亡びるとき』で予言していたことが、幸か不幸か的中してしまったのでした。これでどうして教師や生徒が救われるのでしょうか。

────────────────────────────────────────
「国家は国民を守らない」ということは、アジア太平洋戦争の末期でみごとに証明されました。

中国の満州では開拓民を置き去りにしたまま真っ先に逃げ出したのは関東軍でした。沖縄でも米軍が猛攻撃をかけてきたときガマと呼ばれる洞窟に逃げ込んできた住民を、「敵兵に知られてしまうから」という理由で赤ん坊と一緒に外へ追い出してしまったのも、現地の日本軍でした。

いま福島県では行政が必死になって親や子どもたちの集団疎開を阻止しています。私の知り合いの英語教師も、夫や子どもたちが北海道に移住したにもかかわらず、自分は脱出できず未だに福島にとどまっています。やはり「国家は国民を守らない」のです。

英語教育の現場でも、いま同じことが起きようとしています。

────────────────────────────────────────
スパイ工作の現場で逮捕され、取り調べを受けている CIA要員Ryan Christopher Fogle

(捕まったときにはカツラをつけて変装していた)
http://rt.com/news/spy-fsb-warning-cia-437/

────────────────────────────────────────
緊急情報:オバマ政権による(国内と国外の)二つのスパイ事件

オバマ氏が初めて大統領になったとき、「アメリカ初の黒人大統領」が誕生したとして、アメリカ国内はもとより世界中が熱狂しました。

しかし氏が上院議員だったときの言動を知っていたチョムスキーは、初めからオバマ氏の未来には懐疑的でした。それは時を経るごとに明らかになってきました。

たとえば、悪名高い元大統領ブッシュ氏でさえやらなかった無人機による一般市民の殺戮とイエメンやマリなどへの戦争拡大です。

あるいは、160人をこえる囚人を10年以上もグアンタナモに閉じこめて(無実だと確定したひとが90人近くもいる)いまだに釈放せず、囚人がそれに抗議して死をも覚悟した100日をこえるハンガーストライキをしているにもかかわらず、それを無視している冷酷な態度です。

こうしてオバマ氏の評判は国際的にも日に日に落下するばかりです。

────────────────────────────────────────
つい最近その評判をさらに落下させる事件が発覚しました。それはオバマ氏によるスパイ事件が国内と国外でほぼ同時に暴露された事件でした。

その一つはAPという通信社をスパイして100人にも及ぶ記者その他の通信記録を盗み出そうとした事件です。これは新聞社の「報道の自由」を真っ向から踏みにじるもので、他国に民主主義をお説教したり輸出したりしてきた行為が、まったく偽りのものだったことを示すものでした。

Chris Hedges: Monitoring of AP Phones a "Terrifying" Step in State Assault on Press Freedom
http://www.democracynow.org/2013/5/15/chris_hedges_monitoring_of_ap_phones

『ペンタゴン・ペーパーズ』を内部告発したことで有名になったダニエル・エルズバーグ氏をニクソン大統領が弾圧した頃に、ニューヨーク・タイムズ紙の総合弁護士だったジェイムズ・グッデイル氏は、現在のオバマ氏を「ニクソンよりも悪い大統領」とまで言っています。

Obama Worse Than Nixon? Pentagon Papers Attorney Decries AP Phone Probe, Julian Assange Persecution
http://www.democracynow.org/2013/5/17/obama_worse_than_nixon_pentagon_papers

────────────────────────────────────────
もう一つのスパイ事件は,ソ連大使館の3等書記官が実はCIAの要員で、ロシアの情報を盗み出そうとしただけでなく、ロシア諜報部員に大金を渡して内部通報者としてCIAに雇い入れようとしたことが暴露された事件です。

FSB: CIA crossed ‘red line’ with agent Fogle
http://rt.com/news/spy-fsb-warning-cia-437/ (May 17, 2013)

しかも、さらに驚いたことには、このスパイ事件は初めてのことではなく、これで3度目だったということです。それでもロシアは、オバマ氏とちがって、Ryan Fogle 氏を刑務所に収監することはしませんでした。

しかし今度ばかりは堪忍袋の緒が切れたロシアは、これを公表したうえで「国外追放」という処置をとったのでした(同じスパイ工作を中国がおこなったとしたら、アメリカはどうしていたでしょうか)。

Russia Expels Alleged CIA Spy Caught Recruiting
http://www.democracynow.org/2013/5/15/headlines#5153

────────────────────────────────────────
<註> チャベス氏が癌で死んだ後おこなわれたベネズエラの大統領選挙で、マドゥロ氏が当選したとき、オバマ氏は選挙に不正があったとして票の数え直しを要求しました。
 このときマドゥロ大統領は「アメリカが大使館を拠点にしてベネズエラを撹乱する工作をしている」として大使を放逐しましたが、そのことが正しかったことを傍証するようなオバマ氏のスパイ事件でした。
 ちなみに、マドゥロ氏が当選したときの選挙は、カーター元大統領がひきいる国際的な選挙監視団でさえ、ベネズエラの選挙を「世界で最も公正な選挙のひとつ」と評したものでした。
関連記事

『鈴木孝夫の世界』第4集(書評その5)――「地救原理」を広め、世界を「タタミゼ(畳化)」せよ!、[緊急情報]グアテマラ、ついに大量虐殺の独裁者にたいして有罪判決!!次はアメリカ?

────────────────────────────────────────
  
問い「日本人はなぜ英語ができないか」答え「英語で知りたいことがないひとにはお茶・お花の類い」

────────────────────────────────────────
私は前回のブログ『鈴木孝夫の世界』第4集(書評その4)を次のように結びました。

つまり日本語や日本文化を広めるのは、鈴木先生にとっては一種の平和運動なのです。欧米語、とくに英語が世界に広まるのはアメリカ的・攻撃的な言語や国家を増やすことになりかねないからです。

タタミゼ(tatamiser)がどんな意味かについては本当は詳しく説明しなければならないのですが、もうかなり長くなってきたので、それは次回にまわすことにして、今回はここでやめます。

ただし一つだけ付けくわえておくと、カナダの大学で日本語を教えている金谷武洋氏も「カナダにいるバイリンガルの日本人児童は、日本語を話しているときは控えめなのに、英語を話すときは人格が変わってしまって急に攻撃的になる」と言っていることです(『日本語に主語はいらない』152-153頁)。そのことも次回ではふれるつもりです。

────────────────────────────────────────
このタタミゼ(tatamiser)がどんな意味か」について、鈴木先生は、フランスの外交官やフランスの新聞記者の例をあげて次のような説明をされています。

「タタミ」はもちろん日本家屋の畳ですが、タタミゼtatamiserはフランス語です。これは、非常に簡単な言い方をすると、「日本化する、日本臭くなる」という意味です。

フランスの外交官とかフランスの新聞記者とかが、日本に来て、1~2年滞在してフランスに帰ると、どこかおかしいフランス人になってしまうというんですね。

だいたいフランス人というのは、相手が口を開かないうちから反論を始めるとか自己主張が激しい人たちなのです。レストランに何人かで行って何を食べるかとなったとき、誰かがあるものを注文すると日本人みたいに私もそれ、みたいな同調は絶対しないで、本当はそれを食べたくても、必ず違うものをたのむという傾向が強い。おれがおれがが強い人たちなのです。

ところがそういうフランス人が日本に来て何年か経つと「変なフランス人」になつちゃうというので、それを「タタミゼ」という言葉で表現するようになった。

これがいつごろから使われたのか、言語学的に初出が何年なのかというのは調べていませんが、そういうフランス語があるのは間違いない。しかも最近では、いろいろな国の日本語教育関係者の間で、この「タタミゼ」という言葉が広まっているらしいのです。

簡単に言うと、日本語・日本文化に接すると人間が柔らかくなっちゃうという意味なのです。水につけた大豆みたいになってしまって、フランス本国では使いものにならない。(32-33頁)


────────────────────────────────────────
要するに「タタミゼ」というのは、「日本語・日本文化に接すると人間が柔らかくなってしまってフランスに帰国しても使いものにならない」という意味なのです。

しかし、もっと興味深いのは、これがフランス人だけの現象ではないということです。どうもアメリカ人も同じらしいというのです。鈴木先生によれば、それは次のようなかたちで表れます。

これはフランス人だけでなく、最近聞いた話では、アメリカのある女性が日本に来て、日本語を勉強したあと五、六年日本の会社に勤めてアメリカに帰った。そうすると以前のようにまわりと対等に議論ができなくなっているので愕然(がくぜん)としたとのこと。要するに、自分はアメリカ人としてはだめな人間になってしまったというのです。

どうも日本語・日本文化というのは悪く言えば人間を軟弱にする、よく言えば喧嘩とか対立、対決とかができにくい平和的な人間にしてしまいがちのようなのです。ですから、まちがっても前のアメリカ大統領であったブッシュみたいな人間は出てこないのです。

日本国内でも、たとえば日本の民事の裁判官はあまり黒白のはっきりした判決を出したがらないで調停を進める傾向が強い。つまり当事者同士で話し合って解決することを重んじる人たちが多い。これは裁判官の職務放棄みたいなものにも見えるが、しかし、そうとばかりは言えないでしょう。

私自身、かつては、このような風土というのをある意味情けないと思ってきたところもあるのですが、でもこのごろは、トシをとったせいか、それがむしろよいことだと強く感じるようになってきました。


────────────────────────────────────────
以上は、フランス人やアメリカ人が日本語・日本文化にふれるとその人間・人格がどのように変容していくかの例ですが、それとはまったく逆の事例もあります。

つまり日本人が英語にふれると人格がどのように変わるかという問題です。その興味深い事例を金谷武洋『英語にも主語はなかった』は次のように述べています。

この第2章において私は、日本人が短絡的に「英会話をマスター。これであなたも国際人」と捉えがちな風潮には、あまり自覚されていない危険性があることを指摘したい。

英語を話すということは、単に日本語をそのまま直訳することではないのだ。あえて挑発的な言い方をすれば、それは一時的にせよ「人格を変える営み」なのである。どんな人格か、と端的に言えば攻撃的、自己主張型人間のそれである。

上手くなればなるほど、日本人の美徳とされる「優しさ・思いやり」とは離れていく。英会話を勉強するなら、それぐらいは覚悟しておいてほしい。

「人格を変える」とは言っても、大人になってから習得した趣味としての片言の英会話なら、外から見た時の違和感はたかが知れている。

反対に、これが日英バイリンガルの子供だったりすると、日本語を話す時は大人しいのに、英語に切り替えた途端、俄然「人が変わったように」自分の意見をはっきりと述べて自己主張する。

こうしたカメレオンぶりは、カナダなどではごく普通に見られることである。慣れていない日本人旅行者などには相当シヨックを与えるようだが。(104ー105頁)


────────────────────────────────────────
同じような主張は朝日新聞ロサソジェルス支局長・伊藤千尋氏によってもおこなわれています。金谷武洋氏の同上書からの孫引きですが、伊藤氏は月刊『言語』2003年3月号で次のように述べています。

「米語を世界の共通語とすべきではない」と朝日新聞ロサソジェルス支局長が主張する第2の理由はさらに深刻で、言語を越えて政治的地平にまで及んでいる。「米語を話す人間は攻撃的になる」と言うのだ。(中略)

米国に住んでいるがスペイン語も達者な伊藤は、よく中南米を取材で訪れる。つまり米語とスペイン語をどちらも話すのだが、「使用言語そのものの威力」を感じると言う。

米語では口の周りの筋肉をしきりに動かし、口調は必然的に攻撃的になる。一方、スペイン語は口先に力を入れずに話す。このために「軟弱かつ協調ムード」になるので、スペイン語は「恋を語るにはいいが、対決には向かない」。

仮にも朝日新聞ロサンジェルス支局長が、読者の知的レベルの高い月刊誌という公器を使ってこうした意見を堂々と述べるとは本当に驚いた。よほどの思いの丈だったのだろう。

「やがて米語が世界語として普及し尽くしたとき、世界の人間は攻撃的となり騒乱はさらに増すのではないかと推察される。そのとき、世界の人々の顔つきも攻撃的に変わるのだろう」とまで書くのだから、伊藤の憂欝と心配は募るばかりの様子である。(『英語にも主語はなかった』106-107頁)


────────────────────────────────────────
<註> 金谷武洋氏は上記の伊藤氏の言について次のようにも述べています。
「これは私が『謎を解く』で指摘したことでもある。もちろん、あくまでも傾向であって、攻撃性の個人差は大きい。また同じ英語でもイギリスやカナダでは雰囲気が違う。男女の差もある。方言ではまた違う。私が最も攻撃性を感じるのは米国の白人男性のそれだ。伊藤が英語と言わないでわざわざ「米語」としている理由もそこにあるのだろう」(106頁)

────────────────────────────────────────
もし上記の主張が正しいとすれば、文科省の新高等学校学習指導要領は日本人を洗脳してアメリカ人と同じ「攻撃的な人間」に仕立て上げようしていることになります。

というのは「“英語で授業”は教育に何をもたらすか」(『英語教育が亡びるとき』第2章)でも詳論したように、この新指導要領を強力に推進した人物のひとりが松本茂氏(立教大学)であり、彼は英語教育の最終到達目標が「ディベートの授業」だとしているからです。

御承知のように「ディベート」というのは、与えられた論題について賛成派・反対派の二組に分かれて論争する訓練をさすのですが、自分がその論題について本当に賛成か反対かは問題ではないのです。

ディベートを推奨する本意は、このような方法をとる理由がいろいろあげられているのですが(ここで詳しく説明するゆとりはありません)、詰まるところそれは「白を黒と言いくるめる訓練」としか私には見えませんでした。

この「白を黒と言いくるめる」極致をいくのがアメリカの企業弁護士ではないでしょうか。自分の弁護する企業がどんなに悪いことをしていても法廷で勝ちさえすれば(そして莫大な報酬をもらいさえすれば)それでよいからです。

「こんな訓練を英語教育にもちこんでどんな人間を育てようとしているのか」と考えると空恐ろしくさえなります。

────────────────────────────────────────
ところで鈴木先生は、「欧米の歴史は侵略と略奪に満ちている」、にもかかわらず「明治以降の日本は国際化と称して喧嘩のやり方まで欧米の真似をしようとしている」と次のように非難されています。

明治開国後、日本は欧米を真似したのですが、それは独立を守るため、植民地にならないためのあくまでも和魂洋才のつもりだったはず。本当は日本人は欧米人の生き方には合わないのだけど、無理して西洋の「きったはった」「力は正義なり」の流儀に適応しようとしていった。

十九世紀のあの時代は、彼らと一緒にやらないと生かしてもらえなかったのだからやむをえないところもあった。まさしく草食獣そのものの日本が、肉食獣のライオンやトラとかみ合う血みどろの世界におずおずと入っていって国際化しようとした。喧嘩のやり方も真似しようとした。それが日本の軍国主義の始まりなんですよ。

それまで日本は歴史上外国と戦争したのは、古代の白村江の戦いと秀吉の朝鮮侵略の二回しかない。明治までの江戸時代は無論ゼロで民族としては戦争経験の蓄積がなかった。(43-44頁)


────────────────────────────────────────
このように日本は「喧嘩のやり方も真似しようとして」アジア侵略にのりだし、結局は敗北しました。その理由は、鈴木先生によれば、次のようになります。

で、日本がアメリカになぜ負けたかというと、やはりいくら牛が曲がった角で突いてもライオンやトラの牙にかなわないからです。

向こうは肉食獣で殺しが本能、殺さなければ自分が生き残れないと思い込んでいる。ところが草食獣には殺すという本能・意識がない。ですから日本は欧米主導の国際化に向いていないのです。

じゃあ、日本はどうずればつぶされずにすむか?そこで出てくるのが、世界を日本のように変えていくことができれば、つまりタタミゼの精神を世界に広げていけば、国際化なんかは必要なくなるのです。


ところが、いま日本の企業が落ち込んでいるのは「英語力がないからだ」とか「ディベートの訓練ができていないからだ」などと言われています。それが「英語で授業」「英語ディベート」を導入する大きな理由になっています。

しかし、そんな訓練を受けなくても、私が1992年にアメリカの大学で1年間日本語を教えていた頃の日本は、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」と言われていました。ですから今の経済的苦境は「英語力」や「ディベート力」とはほとんど何の関係もないのです。

それが現在のような地位に落ち込んだのは別の理由があります。これについてはこのブログでも何度か書いたので、ここでは割愛させていただきます。
http://pub.ne.jp/tacktaka/?entry_id=4814483

────────────────────────────────────────
<註> また「英語力=経済力」「英語力=研究力」「英語力=国際力」という神話については京都大学でおこなわれた国際シンポジウムで発表した下記論考を御覧ください。
http://www42.tok2.com/home/ieas/kyotoUniversitySymposium2010.pdf

────────────────────────────────────────
ところで草食獣の日本も、アジア太平洋戦争では欧米の真似をして、アジアでそうとう残酷な行為をしていますが、『肉声でつづる民衆のアメリカ史』を読んでみると、肉食獣である欧米人の侵略地における殺し方、その残虐性は想像を絶するものがあります。

たとえばコロンブスがカリブ海の島々で先住民を殺すやり方は、宣教師ラス・カサスが「インディアスの破壊についての簡潔な報告」を書いて告発せざるを得なかったほど背筋が寒くなるような殺し方です。ぜひ自分の目で読んで確かめてください(『肉声史』上巻第1章)。

またアメリカ人の先住民のインディアンを殲滅(せんめつ)したやりかたも残酷きわまりないものでしたし、その後、侵略の手を国外に広げるようになってからのフィリピン占領も、作家マーク・トゥエインに「モロ族虐殺にかんする論評」を書かせしめるほど残虐なものでした(『肉声史』上巻第12章)。

ところが今の日本はアメリカによる食料政策の結果、戦後ますます肉食になっていますから、自然と調和しながら生きてきた草食獣の良さを失って、ひたすら「攻撃性」ばかりを強めていくのではないかと心配です。

それに輪をかけて、最近の日本は、NHK「英語でしゃべらナイト」というほど英語ばやりで、そのうえ学校教育で「英語ディベート」や「株の売り買いを学ぶ金融教育」まで導入しようとしているのですから、本来の良さはますます失われていくばかりでしょう。

────────────────────────────────────────
以上をまとめると。鈴木先生の提案は結局つぎのようにまとめることができそうです。

日本の良さ(地救原理)を広め、世界を「タタミゼ(畳化)」せよ

だから私が言っていること、つまり「タタミゼが世界を救う」というようなこと新たな目標にすればよいのです。私の言う「地救原理」です。(中略)

たとえば日本語の先生。これまでは実は他のことしたいけれど他にいい仕事もないし日本語でも教えるかというようなデモシカ先生がたくさんいたかもしれませんが、世界を救うため日本語を教え、広めるのだという意識に立てば大きく変わってくるはず。

これからは日本の一番優秀な若い人たちが世界を救うために日本語をひっさげて、日本語を世界中に広めれば、日本語の中に隠されているすばらしい感性的なもの、できるだけ対立を避けカドを立てないようにする文化が世界に広まるでしょう。

私は今、本気でまじめに日本は自分たちの生きている感じ方、あり方を世界の人たちに広めなきゃいけないと考えています。

世界をタタミゼしていって、みんながどこでも「まあまあ、そんなこと言わないで」というふうに自分を抑えることができるようになったら世界がどうなるか、考えてみてください。(76頁)

────────────────────────────────────────
<註>> 私が京都大学で開かれた「日本フランス語教育学会主催の国際シンポジウム」に招かれて発言した後、懇親会がおこなわれましたが、それはフランス大使館から全面的な後援を受けていて非常に驚きました。しかし考えてみれば世界中に拡大する英語と対抗するには、それくらいの政府援助が必要なのでしょう。

────────────────────────────────────────
要するに鈴木先生の見解に従えば、「英語ディベート」などというのは、、たとえば外交官のように世界と渡り合うべき日本の「防人さきもり」たち、あるいは皆の先頭に立って日本を引っ張っていく立場の人だけがその技術を磨けばよいのです。

鈴木先生はそれを、この「防人」集団とは、「日本人の中でも風変わりな変な奴、私みたいな奴」「相手をいじめることを無上の喜びみたいに感じる連中」とも述べておられます(105頁)。つまり、すべての日本人が「防人」集団になってしまったら「日本人の良さ」が死んでしまうと言われているのです。

ところが現在の外交官は「国益を守るためアメリカと論争するのではなく、ひたすらアメリカに従う道をさぐるのを仕事とするようになってしまった」と、元外交官=元防衛大学教授が嘆かざるをえないのが、日本の現状なのです(孫崎享『戦後史の正体』)。

そして更にいま政府・自民党は、何を血迷ったのか、日本語や日本文化を広めるのとは逆に、「アメリカへの留学試験であるTOEFLを日本の大学入試に採用せよ」と叫び出す始末です。日本人全員を「受験型の攻撃性人間」に仕立てたいのでしょうか。

もっと悪いことには、今の政府・自民党は、「タタミゼ」の象徴とも言うべき憲法9条を世界に広めるどころか、それとは逆に、「日本を普通の国にしよう」と言って原発の輸出、核兵器の保有の方向へとまっしぐらです。これでどうして日本が、そして地球が救われるのでしょうか。(完)

────────────────────────────────────────
<註> ところで「英語ディベート」の偽善性は、上意下達が貫徹していて教師が職員会議で自由に発言し論争できない職場環境で、英語の時間だけ「ディベート」が称揚されているところに、象徴的に表れています。この点については拙著『英語教育が亡びるとき』で詳しく論じたので、ここでは割愛させていただきました。
 また前回のブログでは <ですから、「英語で授業」をすると「人間が変わった」(『STEP英語情報』2013年3・4月号、12頁)などと手放しで喜んではいられない事態なのです。そのことも次回ではふれるつもりです> と書きましたが、もう十分に長くなってきましたので、これについては、この書評とは切り離して別の場で論じたいと思います。。

────────────────────────────────────────
グアテマラ、ついに大量虐殺の独裁者にたいして有罪判決!!
 



[緊急情報] アメリカが支援したグアテマラ先住民大虐殺(ジェノサイド)、独裁者エフライン・リオス・モントにたいして歴史的判決!!

US-backed Guatemalan former dictator gets life for genocide
http://rt.com/search/everywhere/term/Guatemala+genocide/ (11.05.2013)

グアテマラの独裁者エフライン・リオス・モントの歴史的裁判の判決がついに出されました。大虐殺の罪で裁判を受ける国家元首は米州では彼が初めてです。彼は、1982年の権力掌握以降、グアテマラの先住民(マヤ人)地域で1700人以上の殺害を指揮しました。しかしこれは確認された人数のみで実際は数万から数十万にも昇ると言われています。

リオス・モントが有罪ならば、次の問いは、「では現グアテマラ大統領ペレス・モリナはどうなのか」「さらにはこの大虐殺を支援するために武器や資金や爆弾、銃弾や政治的支持を与えたアメリカの指導者たち(とりわけ元大統領レーガン)やアメリカに頼まれて武器を送ったイスラエルの罪はどうか」ということになってきます。

この裁判が「画期的判決」「歴史的判決」と言われる理由がここにあります。

また、この判決をアメリカに当てはめてみると、罪に問われるのは単に当時の大統領レーガンだけでなく、現在のアメリカにも及んできます。たとえば嘘をついてイラクに侵攻し百万人にもおよぶ死者を出している元大統領ブッシュの裁きはどうなるのか、中東一円で無人機による殺戮をくりひろげているオバマ氏の罪はどうか、という問題にも発展してきます。だからアメリカはこの裁判を執拗に妨害し続けてきました。

(ここでもシリアやリビアに民主主義を説いて回るアメリカの偽善性は歴然としています)

この判決が出るまでに30年もおよぶ先住民の粘り強い闘いが必要だった理由がここにあります。このなかで多くの先住民や活動家が暗殺されました。また、この裁判も公然たる暗殺予告のなかで続けられてきましたが、その脅迫にもかかわらず判事(しかも女性!)が決然と審議を続行した勇気も特筆されるべきでしょう。当日の判決も判事は防弾チョッキを身につけ多くの護衛に守られながら法廷を出入りしました。

なおアメリカが中南米でくりひろげた虐殺の一つは映画『はるかなるエルサルバドル』でも知ることができますが、グアテマラの身もよだつような先住民虐殺のようすは、欧米の記者として当時初めて現地入りし綿密な調査を続けたアラン・ネアンにたいする下記のインタビュー記事でも詳しく知ることができます。

'Exclusive: Allan Nairn Exposes Role of U.S. and New Guatemalan President in Indigenous Massacres'
http://www.democracynow.org/2013/4/19/exclusive_allan_nairn_exposes_role_of

関連記事

『鈴木孝夫の世界』第4集(書評その4)――英語は人間を攻撃的にする!? 日本語と日本文化を広めることは平和運動なのだ、 [緊急情報] アメリカは未だに西部劇の時代を生きている! FBI が黒人解放運動の女性活動家アッサタ・シャクールに200万ドルの懸賞金!!

────────────────────────────────────────


────────────────────────────────────────
私は前回のブログ『鈴木孝夫の世界』第4集(書評その3)を次のように結びました。

かつて『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』という本が書店を賑わせました。

この本には「英語がこれだけ広まったのは世界一簡単な言語だから」という一文があり、これがこの本をベストセラーにした殺し文句だったのですが、これが真っ赤な嘘だったことは、英米における非識字率、ディスレクシアの深刻さを見れば分かるはずです。

ところが昨今の日本は、価値の高い漢字を捨ててカタカナ語を重用するようになりました。とくにNHKがその先頭に立っています。最近NHKが多用している「コンプライアンス」という用語がその典型例でしょう。

この場合も、「順法(遵法じゅんぽう)」という用語を使えば、普通の日本人であれば誰でも理解できるはずなのに、それをわざわざ理解不能なカタカナ語にする意味がどこにあるのでしょうか。

「公用語を英語にしたかったのに失敗した」と思っている一部の人たちが、せめて日本語の語彙だけでも「中国語=漢字」から「英語=カタカナ語」へ秘かに移行させようとしているのではないか、と疑ってしまいます。

(しかも日本の漢字はもう中国語ではなく日本語になっていることは前々回のブログで既に説明しました。)

カタカナ語で日本人の知的レベルが上がり経済発展すればよいのですが、おそらく逆の道をたどるでしょう。それは現在の「貧困大国」アメリカを見れば分かります。

恐るべし!日本を愛せない日本人、恐るべし!英語&アメリカ「大好き」人間、ではないでしょうか。

まだまだ紹介したいことが残っているのですが、もう十分に長くなりすぎていますので次回にまわしたいと思います。


────────────────────────────────────────
アメリカが単に貧困大国に転落しただけであれば大して大きな問題ではありません。問題なのは、その転落した地位を取りもどすためにアメリカが、「デリバティブ」などという金融商品を開発して世界中を経済的混乱に引きずり込んできたことです。

また、その転落した地位を取りもどすために、アメリカが強大な軍事力を行使して、世界中に紛争・戦争を拡大して武器を売りまくっていることです。今では戦火が中東どころか、イエメンを経て,ソマリア、マリなどの北アフリカにまで拡大しています。

本当は「下山の時代」を迎えているのに、アメリカはいまだに「頂上志向」を捨てず世界の帝王であろうとして、世界中に害悪(アメリカにたいする憎しみ)を振りまいているのです。その一つの結果がボストンマラソンにおける爆破事件だったと言ってもよいでしょう。

国連のパレスチナ地区人権担当官であるリチャード・フォーク氏(Richard Falk)も、ボストンマラソンに爆破事件について次のように言っています。

アメリカが世界を支配しようとする計画は、植民地解放後の世界で、必然的にあらゆる抵抗運動を生み出している。幾つかの観点からすると、アメリカがあの爆破事件で、もっと悲惨な反撃・抵抗を受けなかったのは幸運だった。

我々はこの機会に、もういちど問い直すべきではないか。「(炭鉱のガス爆発を知らせるという)カナリアが、いったい何羽死ねば、世界支配という地政学的な妄想から目覚めるのだろうか」と。


────────────────────────────────────────
<註> リチャード・フォーク氏の発言原文は次のとおりです。なお "How many ~?" という字句は,有名なボブ・ディランの反戦歌「Blowing in the Wind風に吹かれて」の歌詞をもじって使っていることに注目してください。
U.N. Official Condemned for Highlighting Role of U.S. Policy in Boston Attacks
http://www.democracynow.org/2013/4/26/headlines#4268
Richard Falk, U.N. special rapporteur on human rights in the Palestinian territories, wrote: "The American global domination project is bound to generate all kinds of resistance in the post-colonial world. In some respects, the United States has been fortunate not to experience worse blowbacks ... We should be asking ourselves at this moment, 'How many canaries will have to die before we awaken from our geopolitical fantasy of global domination?'"
 
────────────────────────────────────────
私は上記で、「本当は『下山の時代』を迎えているのに、アメリカはいまだに『頂上志向』を捨てず世界の帝王であろうとして、世界中に害悪(アメリカにたいする憎しみ)を振りまいているのです」と書きました。

鈴木先生も次のように言っておられて、私はますます自分の意見に自信と確信を持つようになりました。

アメリカ人には無理です。下山の思想なんて絶対にない。もっと発展するといつも考えています。これはアメリカの建国の歴史が新しいもの、フロンティアを求め続けそれがごく最近まで可能だったからです。

ですから今も、もっと世界を国際化して、もっとペテン師的な数学の魔術でごまかす金融でもって世界をしぼりとるという発想に凝り固まっている。金本位制をやめてからのアメリカという国は、全く現実にもとづかない人工的なお金の世界に入つちゃったわけです。

だからああいう国が日本の言うことを聞くでしょうかと心配する人もいますが、聞くも聞かないも、そんなことより日本がもっと日本らしい考え方、信念、過去の実績を広く発信するべきなのです。それしか今の生態系の寿命を延ばす道がないからです。(同書73頁)


鈴木先生は上記引用の末尾で、「そんなことより日本がもっと日本らしい考え方、信念、過去の実績を広く発信するべきなのです。それしか今の生態系の寿命を延ばす道がないからです」として、日本語の果たす役割を次のように指摘されています。

そのためにも日本語を世界に広めるべきだと私は言い続けているのです。それから日本の英語教育は先進国のことを学ぶというのはもうすんだので、今度は日本のよさを世界に向かって発信する、発信型の英語教育であるべきだと主張していきました。

でも日本人が英語を使って発信するというのは時間も手間もエネルギーもかかるから、本筋は日本語を早く広めるべきなのです。国連の公用語になぜ日本語を入れないのか、みたいな政策的な提言も行なってきましたが、これは現在の私の心境にこれまで以上にぴったりあてはまることでもあります。(同書73頁)


────────────────────────────────────────
鈴木先生は上記で「日本人が英語を使って発信するというのは時間も手間もエネルギーもかかるから、本筋は日本語を早く広めるべきなのです。国連の公用語になぜ日本語を入れないのか」と主張されています。

実をいうと私は、鈴木先生の『武器としてのことば』を読むまでは、そんなことを考えたこともなかったので本当に驚きました。

また、国連発足時からの公用語が第2次世界大戦の戦勝国の言語(中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語)だけだったことも、この本を読むまで知りませんでした。

アラビア語が公用語に追加されたのは1973年で、石油資源の重要性を反映したものだとすれば、日本が世界第2位の経済大国であり国連への納入金もダントツだったときに提案していれば、その可能性はあったかも知れません。

しかし沖縄を見れば分かるように、今の日本は実質的にはアメリカの植民地状態ですし、今の日本人は「英語大好き人間」であふれています、ですから日本語を国連の公用語にするなどという考え方は、想像もつきません。

それどころか、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を見れば分かるように、アメリカは軍事基地ではなく民間地・民間人を爆撃して大量殺戮をしたにもかかわらず、今の日本は、アメリカの軍事・外交政策の強力な支持者です。

かくいう私もアメリカにあこがれて(911事件が起きる数年前までは)毎年10年以上もアメリカに通い続け、そのたびに1カ月近く滞在する生活を続けてきたのですから、アメリカによる戦後の占領政策のみごとさに脱帽せざるを得ません。

────────────────────────────────────────
<註> 東京大空襲や広島・長崎への原爆投下のような爆撃は、ニュルンベルグ裁判で「人道に反する罪」とされている戦争犯罪です。
 またアメリカがどのように日本の為政者を服従させ知識人を洗脳したかについては、孫崎享『戦後史の正体』があります。

────────────────────────────────────────
また鈴木先生は上記で、「今後の日本の英語教育は、日本のよさを世界に向かって発信する、発信型の英語教育であるべきだ」とも主張されています。

それはそのとおりなのですが、私は「受信型の英語教育」も捨て去るわけにはいかないと考えています。

というのは、福島原発事故で明らかになったように、政府の発表も大手メディア(とくにNHKを含めた大手のテレビ局)の報道も嘘に満ちていて、外国の報道を通じて初めて、私は福島原発事故における放射能汚染の深刻さを知ったからです。

かつてアジア太平洋戦争で日本が負け戦を続けているにもかかわらず当時の朝日新聞を初めとして大手メディアは政府の垂れ流す「勝った,勝った、日本勝った」をそのまま報道し続けてきたのに似ています。

(しかし英語で情報を読んだり(聞いたり)できたひとにとっては,日本の敗戦は疑いようのない事実でした)。

ですから日本の英語教育は「読む能力」にもっと力を入れるべきだと私は考えています。そうすればインターネットで海外の報道を知ることができるようになった現在、英語を読む力をつけておきさえすれば、政府の発表や大手メディアの報道で国民がだまされることも、大幅に減少するでしょう。

ところがTOEICの受験結果を見るかぎり、大方の予想に反して、日本人の英語力は「聴解力」よりも「読解力」の点数が低いのです。

今は学校も民間も「会話一辺倒」ですから、ますます英語の読解力は低下していくでしょうし、「英語でおこなう、英語の授業」は、さらにこの傾向に拍車をかけるでしょう。情報を隠したい為政者にとってこれほど好都合なことはありません。

────────────────────────────────────────
さて以上これまでは、「英語教育を受信型ではなく発信型に変えるべし」「もっと重要なのは外国人にたいする日本語教育を世界に拡大し、日本語・日本文化の良さを世界に広めるべし」という鈴木先生の主張を紹介してきたのですが、これにはもう一つ別の深い理由があったのです。

それを鈴木先生は次のように説明されています。

それから、これまでは欧米的にはっきり自己主張することが素晴らしいのであって、日本人の悪いところは論理的に語れないとか、言説がもやもやしているところだという論が大手を振ってきたけれど、こうした曖昧さ(あいまいさ)・もやもやを完全に克服しないできたのは、今思えば本当にいいことだったのです。

これがもし脱亜入欧がもっと徹底して完全に西洋的に変わってしまっていたとすれば、日本のよさが全部なくなってしまうのですから。

たしかに日本は西洋的なものをよく学んできたが、生まれつき骨の髄から西洋でない以上は、いくら西洋の真似をしても二流の西洋、三流のアメリカになるほかないのです。この期に及んで、アメリカの亜流みたい国をもう一つ増やすようなことになればますます地球に救いがなくなる。

一つあるだけでも余計で迷惑千万な存在で世界中に害毒を与えているのだから、アメリカ的な国などは決して増やしてはならない。

けれども今の日本の大部分のインテリとか政府は、そういう方向に向かっているわけです。アメリカ的な価値観や世界観を無条件に是認したうえで、それに追随し、乗っかる形で日本は構造改革とかTPPだとかを進めていくべきだと思い込んでいるのです。

そうではなくて、むしろ日本的な文化、考え、人間関係のあり方などを世界に広めるべきなのです。(61-62頁)


────────────────────────────────────────
鈴木先生は上で、「むしろ日本的な文化、考え、人間関係のあり方などを世界に広めるべき」だとされてるのですが、その根拠として「タタミゼtatamiser」という極めておもしろい現象を取りあげて次のように説明されています。

そうではなくて、むしろ日本的な文化、考え、人間関係のあり方などを世界に広めるべきなのです。このことを象徴的に表現することばとして、私が最近言い出したのが「タタミゼ」tatamiserです。

「タタミ」というのは日本家屋に敷いてある畳のことで、「タタミゼ」はフランス語で「~をタタミ化する」といった意味のことばです。フランスで、いつから使用され始めたのかはまだ調べがついていません。でも、少なくとも二、三十年前からのれっきとしたフランス語のはず。

どんな意味かについては、第十一回の講演記録(第1章第2節)を参照してもらうとして、そこで触れてない話をすれば、たとえば、日本にある程度長く滞在したフランス人は、国に帰って道で人にぶつかったときに「パルドン(ごめんなさい)」と、つい言ってしまったりするというのです。

普通のフランス人だと、道で人にぶつかると相手をにらみつけるか、「コション(豚)!」とか言わないまでも、そういった調子で相手と対立したままで通り過ぎていく。

このように日本に長く住んでフランスに帰ると対人関係が攻撃的でなく融和的になっちゃうというのです。フランスではありえないことをフランス人がしてしまう。で、「お前、タタミゼされた」と言われるというわけ。つまり日本化されたという意味なのです。

最近私は、このことばが実にいいと思えてきて、これを世界に広めようと思い立ったのです。世界中の人が「ああ、すみません」「パルドン」ってお互いに言い出せば、世界から戦争が少なくなりますよ。(62ー63頁)


────────────────────────────────────────
つまり日本語や日本文化を広めるのは、鈴木先生にとっては一種の平和運動なのです。欧米語、とくに英語が世界に広まるのはアメリカ的・攻撃的な言語や国家を増やすことになりかねないからです。

上記の引用で「このtatamiser(タタミゼ)がどんな意味かについては前回の講演記録を参照してもらうとして、そこで触れてない話をすれば・・・」とあるので、それを本当は詳しく説明しなければならないのですが、もうかなり長くなってきたので、それは次回にまわすことにして、今回はここでやめます。

ただし一つだけ付けくわえておくと、カナダの大学で日本語を教えている金谷武洋氏も「カナダにいるバイリンガルの日本人児童は、日本語を話しているときは控えめなのに、英語を話すときは人格が変わってしまって急に攻撃的になる」と言っていることです(『日本語に主語はいらない』152-153頁)。

だとすれば、私たちは英語を教えることの意味をもう一度、問い直す必要が出てくるのではないでしょうか。新高等学校学習指導要領にしたがって「英語で授業」をすると「人間が変わった」(『STEP英語情報』2013年3・4月号、12頁)などと手放しで喜んではいられない事態だからです。そのことも次回ではふれるつもりです。

────────────────────────────────────────
緊急情報:FBIが黒人解放運動の女性活動家アッサタ・シャクールに200万ドルの懸賞金!、いまだに西部劇の時代を生きているアメリカ!!
  

────────────────────────────────────────
ところで、前回のブログで「緊急情報」として、ボストンマラソン爆破事件を捜査しているFBIが、実は911事件以来アメリカで起きているテロ事件のすべての共謀者であったことを紹介しましたが、これも英語の「読解力」によるものであり「会話力」によるものではありません。

今まで私は主としてDemocracyNowを情報源として海外のニュースを聞いたり読んだりしてきたのですが、NATO&アメリカによるリビア爆撃や最近のシリア情勢の報道を見ていて、私はDemocracyNowにも限界があることを感じるようになって、下記のものにも眼を通すようになりました。

RT(Russian Today:http://rt.com/news/)
GR(Global Research:http://www.globalresearch.ca/)

するとびっくりするような情報が飛び込んできます。その一つが「FBIの黒い歴史」でした。

最近のGR記事「ボストン爆破事件、嘘の網の目」を読んでいたら、銃撃戦で殺されていたはずのボストン事件の犯人(二人兄弟の兄の方)が裸体 姿で逮捕されている動画があったり、アメリカがロシアを不安定化させるためにチェチェンのイスラム過激派に資金援助をしていたことが暴露されていたりして、本当に驚かされます。

The Boston Bombing Web of Lies
http://www.globalresearch.ca/the-boston-bombing-web-of-lies/5332981


いずれにしても、いま日本で求められている英語力は「会話力」ではなく「読解力」なのだということを、私は日々実感しています。

────────────────────────────────────────
最近のニュースでもう一つ驚かされたのは、 FBIが5月2日に、黒人解放運動ブラック・パンサーの元党員アッサタ・シャクールを、最重要指名手配テロリストのリストに加えたことでした。

FBI adds 65-year-old Black Panther to Most Wanted Terrorists list
http://rt.com/usa/black-panther-most-wanted-terrorist-list-745/

彼女の本名はジョアン・シェシマードで、1973年5月2日の銃撃戦でニュージャージー州警察官を射殺したとして(陪審員全員が白人の裁判で)有罪となりました。しかし、背中を撃たれたのは彼女の方ですから、彼女が警察官を射殺できるはずがありません。

彼女は1979年に脱獄してキューバに政治亡命しました。その彼女が、事件の起きたのと同じ5月2日に、女性としてアメリカ初の「FBI最重要指名手配テロリスト10名」のひとりに追記されたのです。

彼女が有罪を宣告された殺人事件は40年も前の出来事です。政治亡命も国際法上で認められた権利です。

にもかかわらず、黒人大統領と黒人司法長官が、かつての黒人解放運動の活動家を「最重要指名手配テロリスト」のリストに加えるというのは、本当に信じがたいことです。

そのうえ彼女を捕まえた者への報奨金は当時の2倍の200万ドルに増やされました。まるで西部劇の世界に逆戻りしたような感じすらします。これがアメリカの司法(Justice=正義?)の現実なのです。

────────────────────────────────────────
そのうえ、オバマ氏がハーバード大学ロースクールで専門として学んだのは憲法学(しかも卒業後、シカゴ大学でも教鞭をとったことがある)でしたから、その醜悪さはいっそう際立っています。

ですから今ごろになってアッサタを「最重要指名手配者」のリストに加えるのは、ボストン爆破事件の「政府発表の矛盾」が次々と暴露されていることへの、目くらましとして使われているとしか考えられません。

あるいはグアンタナモ刑務所に収容されている囚人166人の大半が抗議のハンガー・ストライキに入り、このままいくと大量の死者が出ることにたいする目くらましかもしれません。なぜなら、いまオバマ政権は下記のような点で、「他国の人権問題について口出しをしている場合か!?」と、国際的にも強い非難をあびているからです。

1)かつてグアンタナモその他の刑務所で凄惨(せいさん)な拷問がおこなわれたことが世に知られるようになったこと、
2)囚人たちがグアンタナモ刑務所に入れられてから10年以上もたつのに、いまだに裁判もおこなわれず釈放もされないこと、
3)しかも囚人166人のうち86人は無罪だということが判明している(残りは告訴すらされていない)にもかかわらず、いつまでたっても釈放されないこと
4)ハンガー・ストライキをしている囚人に鼻から管を入れて食事を胃袋に流し込むことそのものが強烈な痛みを伴うもので国際法でも拷問とされていることなど、
5)大統領に就任する前では「グアンタナモを閉鎖する」と言っておきながら、いまだに実行しないオバマ氏の「2枚舌」にたいして、内外で不信が強まる一方であること


────────────────────────────────────────
<註1> アッサタ・シャクールについては、『肉声でつづる民衆のアメリカ史』下巻250-260頁に彼女が書いたアメリカ刑務所の実態を暴いた論文「刑務所、夢が見捨てられた地から来た女たち」が載っています。
<註2> なお脱獄するまでに刑務所で彼女に加えられた拷問などについてはキューバで執筆された自叙伝『ASSATA』に詳しく書かれています。この項の冒頭に掲げた写真は、その本の表紙です。
<註3> また下記URLには、アッサタ自身がローマ法王に向けて書いた公開の手紙と彼女自身による朗読が載せられています。「表現よみDramatic Reading」の教材として最適かもしれません。
Former Black Panther Assata Shakur Added to FBI’s Most Wanted Terrorist List
http://www.democracynow.org/blog/2013/5/2/ex_black_panther_assata_shakur_added_to_fbis_most_wanted_terrorist_list
関連記事

『鈴木孝夫の世界』第4集(書評その3)――いわゆる「文盲」のいない文明国というのは日本だけです。アメリカもフランスも40%がちゃんとした文字の読み書きができません。緊急情報:アフガン大統領カルザイがCIAから給料を!!

────────────────────────────────────────
  
────────────────────────────────────────
前々回のブログ『鈴木孝夫の世界』第4集(書評その2)で、鈴木先生が次のように次のように述べておられることを紹介しました。

そんな日本が、何で悪い日本語、とりわけタチの悪い漢字を使って世界一になれるのか。悪いどころか、むしろ他の言語にはない長所、不思議なまでの効能があったから日本大活躍の動力源になったのではないか、その秘密と構造を明らかにしようというふうに、言語学は行くべきだったのに、依然としてそういう気運はない。

それが日本の言語学界、国語学界の現状です。情けないかぎりですが、私は、漢字が悪いと言っているのは、言っている人間の頭が悪いと断言できます。だって遅れた資源もろくにないアジアの小国日本が、百年足らずのうち世界のトップクラスの国になってしまったという事実と、日本語が悪い言語だという命題はどう見ても両立しないでしよう。(pp.44-45)

以上は進歩的学者とみなされてきた 田中克彦氏の『漢字が日本語をほろぼす』(角川SSC新書、2011)にたいする反論でもありました。

また韓国も最近、漢字にたいする見直しを始めましたが、このことも注目すべき事実ではないでしょうか。

そこで以下では、『鈴木孝夫の世界』第4集の第1章第3節「タタミカゼ文化が日本を救う―『日本人はなぜ日本を愛せないか』(新潮選書、2005)をめぐって」を紹介しつつ私見を述べたいと思います。

────────────────────────────────────────
さて、「漢字が日本語をほろぼす」という攻撃だけでなく、日本語にたいするもう一つの攻撃は、「日本語には主語がないから非論理的な言語」だとする意見です。これにたいしても鈴木先生は次のように反論されています。

このように考えると、今までヨーロッパの言語に比べて劣っていると言われてきた日本語の特質が全部美点になるといってもいい。

日本語には主語がないと言われて、多くの偉い日本語学者たちががんばって「日本語にも主語がある」とすごく難しい本を書いたりしてきました。その内容は部分的には正しいのですが、しかしいわゆる主語がなくても言語として人間として上等なことがちゃんとやれているのだという本質問題があるのです。

主語がないから日本語が劣等で、日本語でのコミュニケーションがめちゃくちゃだとか、日本の科学や工業がだめになったということがありますか? 結果は、かえって主語のある言語をもつ国よりもうまくいっているんですよ。そういう結果からものごとを見るべきなのです。

日本語はヨーロッパの言語とは多くの点で確かに違うが、それはいい、悪いの問題ではない、むしろヨーロッパ語と同じでないからよかったんだ、というふうに見方を逆転するときが来ているのです。


────────────────────────────────────────
これまでのブログで何度も指摘してきたことですが、現在のEUは混乱の極致に至っていますし、世界一豊かな国だと言われてきたアメリカも今や「貧困大国」に転落したことは衆知の事実です。

豊かなのは一握りの上位層にすぎません。貧富の格差は拡大し一般庶民の生活は転落する一方です。(堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』、Chomsky『Failed State』)。

次の報道も、OECDに加盟する30の国のなかでアメリカは、「健康」「安全」「教育」など、あらゆる指標をとってみても最下位に近いことを、統計資料や映像資料を駆使しながら、まざまざと示してくれています。

The Truthseeker: US worst place to live?
http://www.youtube.com/watch?v=GFSEW4M1onA&list=SPPszygYHA9K1yU3SXHOoC7JhT2O7No-3D&index=9(10分30秒)

たとえば上記の報道では、アメリカは「健康」では28位で、その下に位置するのはトルコとメキシコだけですし、「安全」面では最低の30位で、その上にメキシコが位置しています。

もっと驚くべき事実は、「自由」という指標でもアメリカは28位で、その下にいたのは韓国(29位)、メキシコ(30位)でした。これが「自由の国」を標榜するアメリカの実態です。

それにたいして日本は多くの指標で上位を占めています。ちなみに「健康」「安全」では1位です。しかし、「自由」という指標では25位ですから、日本もこのままであれば、ますますアメリカに似た国になっていく恐れがあります。

────────────────────────────────────────
<註> 日本語に主語はないということを主張したのは『象は鼻が長い』という著書で有名になった三上章氏ですが(なんと驚いたことに、そのとき氏は高校の数学教師でした)、これにたいして多くの学者が「日本語にも主語がある」と反論しました。しかし、日本語に西洋文法で言うような主語はないということは動かしようのない事実でしょう(金谷武洋『日本語に主語はいらない』『英語にも主語はなかった』いずれも講談社)。

────────────────────────────────────────
アメリカが「貧困大国」であることの他に、ここでもう一つだけ指摘しておきたいことがあります。それはアメリカの非識字率です。これについて鈴木先生の次のような極めて興味深い指摘をされています。

日本語はどちらかというとインドネシアとかメラネシア、ミクロネシアなどネシア(島嶼とうしょ)型の言語で、日本の基層文明は完全に南洋型なのです。それに北方型の文明がかぶさっています。ここも二重構造になっているわけですね。

(琉球弧を含む日本列島のことを奄美大島とゆかりの深かった作家、島尾敏雄が「ヤポネシア」と命名しているのは慧眼(けいがん)です)

その日本語が、もしも古い日本語そのままだったとしたら近代の文明、つまり我々が享受しているような文明を受け止めることはできなかったでしょう。私はむしろ漢字こそ日本語を救ったのだと考えています。

そもそもの日本語は、受け皿としては力の足りない点があるのです。ところがそれを補ったのが漢字なのです。漢字というのは実に、日本語の理性的・理論的要素の不足という欠点を補って、庶民にまで難しいことをわからせる力をもたらした、大変にありがたい文字だったのです。

対して英語というのは、いまだに庶民に難しいことをわからせる手段を持っていません。イェール大学で教えていたときの講演の際のpithecanthropusの工ビソード(第1章第2節を参照)ひとつとっても、それははっきりしているのです。

日本語ではこのように難しい抽象的な概念が、庶民の生活にまでするりと入ってくるんです。日本の知的中間層はすごく広いのです。「文盲」もいないのです。これらはすべて漢字のおかげだと言ってもいいくらいなのです。

ついでに言えば、文盲がいない文明国というのは日本だけです。アメリカもフランスも四十パーセントがちゃんとした文字の読み書きができません。これは functional illiteracy(機能的文盲)と言って、アルファベットが読めても自分の名前すら書けない人が大勢いるのです。このことも実は私が発見したことなのです。(81-82頁)


────────────────────────────────────────
鈴木先生は上記の引用で「文盲がいない文明国というのは日本だけです。アメリカもフランスも四十パーセントがちゃんとした文字の読み書きができません」と指摘されています。

ここで思い出されるのが、かつて2004年8月21日にNHK教育テレビで放映された「読み書きの苦手をのりこえて」という番組です。

この番組では、知的能力及び一般的な理解能力などに特に異常がないにもかかわらず、文字の読み書き学習に著しい困難を抱える児童がとりあげられていて、しかもこのような識字障害(ディスレクシア:Dyslexcia)を一種の病気として紹介していました。

しかし番組を注意深く見ていると、私にはそれが病気だとは思えませんでした。というのは取りあげられている事例のほとんどはイギリスの児童のもので、読めない字というのが綴り字と発音があまりにも乖離(かいり)しているものばかりだったからです。

さらに調べて見ると、ディスレクシアがとくに問題とされているのが特に英語圏だということも分かってきました。スペイン語やイタリア語など文字がほぼ発音通りに綴られる言語では、ディスレクシアがそれほど大きな問題になっていないからです。

だとすれば漢字をもつ日本語が悪い言語であり、それが日本の経済発展を妨げてきたという説はますます怪しいことになります。

むしろ漢字こそが日本人の知的発展をうながした大きな要因だったという、先に引用した鈴木先生の説のほうがはるかに説得力をもってきます。

日本語ではこのように難しい抽象的な概念が、庶民の生活にまでするりと入ってくるんです。日本の知的中間層はすごく広いのです。「文盲」もいないのです。これらはすべて漢字のおかげだと言ってもいいくらいなのです。(82頁)


────────────────────────────────────────
かつて『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』という本が書店を賑わせました。

この本には「英語がこれだけ広まったのは世界一簡単な言語だから」という一文があり、これがこの本をベストセラーにした殺し文句だったのですが、これが真っ赤な嘘だったことは、英米における非識字率、ディスレクシアの深刻さを見れば分かるはずです。

ところが昨今の日本は、価値の高い漢字を捨ててカタカナ語を重用するようになりました。とくにNHKがその先頭に立っています。最近NHKが多用している「コンプライアンス」という用語がその典型例でしょう。

この場合も、「順法(遵法じゅんぽう)」という用語を使えば、普通の日本人であれば誰でも理解できるはずなのに、それをわざわざ理解不能なカタカナ語にする意味がどこにあるのでしょうか。

「公用語を英語にしたかったのに失敗した」と思っている一部の人たちが、せめて日本語の語彙だけでも「中国語=漢字」から「英語=カタカナ語」へ秘かに移行させようとしているのではないか、と疑ってしまいます。

(しかも日本の漢字はもう中国語ではなく日本語になっていることは前々回のブログで既に説明しました。)

カタカナ語で日本人の知的レベルが上がり経済発展すればよいのですが、おそらく逆の道をたどるでしょう。それは現在の「貧困大国」アメリカを見れば分かります。

恐るべし!日本を愛せない日本人、恐るべし!英語&アメリカ「大好き」人間、ではないでしょうか。

まだまだ紹介したいことが残っているのですが、もう十分に長くなりすぎていますので次回にまわしたいと思います。

────────────────────────────────────────
アフガニスタン大統領カルザイ
http://rt.com/usa/afghanistan-cash-corruption-karzai-547/


────────────────────────────────────────
緊急情報:アフガニスタン大統領のカルザイ氏がCIAから給料をもらっていた!!

 RT(2013/04/29)はニューヨークタイムズの記事として、カルザイ大統領がCIAから大量の給料を毎月もらっていたと報じました。カルザイ氏自身もこれを認めていますが「大した金額ではない」と開き直っているようです。
Karzai admits to being on secret US payroll
http://rt.com/usa/afghanistan-cash-corruption-karzai-547/

 もともとカルザイ氏はアメリカの大手石油会社ユノカルで取締役をしていたこともある人物で、911事件以後、アフガニスタンにおけるアメリカ合衆国の協力者としてターリバーン政権打倒に活躍し、アメリカの後押しで大統領になったわけですから、CIA要員だったとしてもおかしくはありません。

 しかしオバマ大統領による無人爆撃機Dorneによって無実のアフガン人が大量に殺されるという事件が続いていたため、アフガン民衆の怒りから自分の身を守るためでしょうが、アメリカにたいする批判を急速に強めていました。

 その矢先に、このNY Timesによる暴露記事が出たわけですが、これはオバマ政権による意図的なリークかもしれません。

 というのは、元パナマ大統領ノリエガ氏もCIAの要員でしたが、だんだんと自立してアメリカ批判を強めていた矢先に、麻薬取引その他の理由でジョージ・H・W・ブッシュ大統領による米軍のパナマ侵攻を受け、なんと!アメリカに連行されて、アメリカの刑務所に入れられてしまいました。

 実を言うと,条約によって1990年にパナマ運河がアメリカからパナマに引き渡されることになっていたのです。これはその1年前の出来事でした。ですから、カルザイ氏もノリエガ氏と同じ運命をたどる可能性もあります。

(ブッシュ一世によるアフガン侵攻については『肉声でつづる民衆のアメリカ史』下巻、412-9頁に詳しい記録が載っています。またこれについてはアカデミー賞を受けた有名なドキュメンタリーがあることも、413頁の註で紹介しておきました。)
関連記事
検索フォーム
プロフィール

Author:狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

リンク
最新記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
RSSリンクの表示
QRコード
QR