「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針は、なぜ間違いか――京都大学新聞インタビュー 「グローバル時代の英語を考える」を終えて
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京都大学新聞のインタビュー「グローバル時代の英語を考える ― 「外国人教員」「英語で授業」は何をもたらすか」(後編)の発行およびWeb掲載が、先日2月19日に終わり、長い長い旅からやっと解放された安堵感にひたっています。
インタビューの前編が発行・発売されたのが2013年11月16日ですし、インタビューそのものがおこなわれたのが10月13日ですから、最終的にこの仕事が完結するのにやがて4か月もかかったことになります。
この間(かん)ずっと精神的に宙づり状態でしたから、正直言って疲れました。というのは、これが終わらないと他のことに精神を集中することができず、何をしていても、この後編が終わるまでの「片手間仕事」という感を拭いきれなかったからです。
それでも、このブログ「百々峰だより」では、インタビューでは語りきれなかったこと、あるいはインタビューを裏から支える資料を載せるという観点で、自分なりの努力を積み重ねて来たつもりなので、まあそれなりの意味はあったかなと思っています。
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しかし「後編」を読み直してみて、京都大学の「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針について、言うべき本質的なことを、あのインタビューでは語っていないことに気づきました。そこで今回のブログでは、この点について詳しく論じてみたいと思います。
この「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針について、私はインタビュー「後編」で次のように述べました。
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しかし、この「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針がおかしいのは、実は「格付け会社の『格付け』がどこまで信頼できるのか」よりも、それが教育学的に見て根本的に間違っているからなのです。
インタビューに臨む前までは、この点についても語る予定だったのですが、脱線して他のことを話しているうちに肝心な論点を失念してしまったのです。
では、この「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針は、教育学的に見て、なぜ間違っているのでしょうか。それは次のようなたとえを出すと分かりやすいかも知れません。
たとえば、親が子どもに「クラスで一番になることを目指して勉強しなさい」と言ったとします。これは子どもを勉強させるための動機付けとして正しいものでしょうか。それとも勉強というものにたいする間違った動機付けでしょうか。
あるいは、教師が、生徒たち皆に「このクラスで一番になるために勉強しなさい」「この学校で一番になるために勉強しなさい」と言うでしょうか。もしこのような言い方が正しいとすれば、「一番になれない生徒」「一番になることなど望まない生徒」は学校で学ぶに価しないことになりはしませんか。
また他方で、教師から「クラスで一番になるために」「学校で一番になるために勉強しなさい」と言われて頑張って一番になったとして、その一番だった生徒は幸せだったのでしょうか。そのような動機付けを与えられた生徒は、学習を楽しむことができたのでしょうか。その「学習」は「楽習」だったのでしょうか。
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実は、上記のような疑問を提起したのは、私の体験からもきています。というのは、私が能登半島の高校に入学したとき偶然にも一番だったのです。そのとき母校の中学校の先生たちは「おめでとう。卒業するときも一番で卒業するよう頑張ってくれ」と言って送り出してくれたのですが、それが私にとっては大きな負担になってしまいました。
私が中学生の時、他人(ひと)の田を借りなければ生計をたてることができないほどの貧農でしたから、私の高校進学先として普通科高校は選択肢の中に入っていませんでした。通学先としてはかなり遠いのですが、金沢市立工業高校に行き、卒業したらすぐ就職して経済的に両親を助けることしか考えていませんでした。
ですから母校の中学校で高校進学のための模擬試験が繰り返されていても、それは私にとって日ごろの勉強した結果を試す単なる「腕試し」の機会にすぎず、その模擬試験で何位になろうが私にとっては大きな関心事ではありませんでした。
ところが1ヶ月に1回おこなわれる模擬試験で、回数を重ねるたびに私の順位が上昇し、高校入試が近づく頃には、私は学内1位になってしまったのです。その頃の私は、自分の好きなペースで好きなように勉強していましたから、勉強することがそれほど苦痛ではありませんでした。むしろ楽しみながら勉強していたように思います。
ところが母校の中学校の学級担任は、私の母に「金沢の工業高校ではもったいないから地元の進学校に行かせて大学まで進学させなさい」と強く勧めたそうです。それで結局、地元の進学校を受験することになり、結果として入試の成績が一位で高校に入学することになってしまったのでした。
しかし私にとっては「卒業するときも一番で卒業するよう頑張ってくれ」と母校の中学校の教師たちに言われたことが非常な重荷になって、高校時代の勉強を心底から楽しむことができませんでした。私にとって高校時代は、まさに灰色のハイスクールでした。結果として一番で卒業することはできましたが、そのことに何の喜びも感じられませんでした。後味の悪い思い出だけが残っています。
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京都大学の「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針をニュースで読んだとき、真っ先に頭に思い浮かんだのが、この私の高校時代の苦い思い出でした。
勉強というものは,本来「知的好奇心」に導かれておこなわれるべきものでしょう。また教師の任務は「知りたくなる」「学びたくなる」、すなわち生徒の知的好奇心をかき立てるような授業をすることではないしょうか。
私の家内も、高校に入学したてのときから物理や数学の授業で「この問題は**大学の入試問題です」と言って、その解法ばかりを講義する教師がいて、中学校の時は理科や数学が好きだったのに、それだけで、その科目にたいする興味を失ったと言っていました(ちなみに、その高校は県下のナンバーワン・スクールでした)。
私の高校時代には、まだ幾何学というものが残っていて、その公理や定理に従って厳密に論理を組み立てていく世界がとても面白く、また「補助線」を一本引くだけで、あっというまに新しい解法が見えてくる世界は、人生を生きていく上でも大きな参考になるように思えました。
これは他の科目についても同様で、「**大学の合格者数で県下1位ををめざす」ということを目標にして、受験の技術としてしか教科を教えないとすれば、生徒たちは高校でいったい何を学ぶことになるのでしょうか。生徒たちは学ぶことの面白さや楽しさをどこで学ぶのでしょうか。
京都大学の「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」というのも、どこかの高校が「東大合格者数で全国10位に入る高校を目指す」と言っているのと大同小異ではないでしょうか。
このような目標を強制される大学で教える教員は、教育や研究を楽しむことができるのでしょうか。このような目標を強制される大学で学ぶ学生は、授業や学習を楽しむことができるのでしょうか。
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<註> 以上のような苦い体験から、私は首尾よく大学に入学できたとき秘かに誓ったことがありました。それは「今後は自分の知的好奇心にしたがって勉強する」「今後は受験や点数や順位のために勉強することは金輪際しない」という決意です。私がTOEICやTOEFLを大学の授業や入試に組み込もうとする今の体制に強い嫌悪感を覚えるのは、このような理由からです。
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私が石川県で高校教師として教えていた頃、ある事件が起きました。「金沢大学に何名合格させるか」を念頭において受験問題集を解くだけの授業に反発して、それに抗議するビラ「高校は予備校ではない」を学内に貼って回る生徒たちが現れ、教師集団が慌てふためくという事件が起きたのです。
そのビラは生徒の目に十分ふれる前にはがされてしまい、そんな事件があったことも知らない生徒が多かったようでした。
生徒指導課が調べて見ると、その事件を起こした生徒たちはいずれもクラスのトップ集団にいる生徒で、志望校も金沢大学どころか東大や京大を志望校とする生徒も含まれていたそうです。
そのことが分かると、「彼らを謹慎処分などにするとかえってビラを目にしなかった生徒にまで事件を知らせることになる」というので、結局その生徒たちにたいする処分は校長による厳重注意ということで終わってしまいました。
このビラまきをした生徒たちと、「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針を出した京都大学執行部と、どちらが学問を目指すうえで、高潔な姿勢を持っていると言うべきなのでしょうか。
私には、その答えは言う必要のないほど歴然としているように思います。
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実はこの事件が起きたとき、「このようなことを生徒が自主的にやるはずがない。裏で先導している教師がいるに違いない」と言い出す教師がいて、私までもが校長室に呼び出されて厳重注意を受ける羽目になってしまいました。
この「濡れ衣事件」の詳細については拙著『英語にとって教師とは何か』(155-157頁)に書いたので詳細は割愛しますが、「このようなことを生徒が自主的にやるはずがない」という感覚そのものが、生徒の能力をまったく見くびった、驚くべき感覚だと私には思われました。
逆に言えば、このようなことを口にする教師たちの頭には、授業で「創造的思考力」「批判的思考力」を育てることは初めから存在していなかったことを、この事件は問わず語りに語っているようにも見えます。
京都大学の場合も、初めから「世界ランキングで10位に入る大学」を目指して教員の尻を叩いているかぎり、その目標はおそらく達成できないでしょう。
しかし逆に、そこで教育・研究にはげむ教員・研究者に思うぞんぶん教育や研究に専念できる環境を保証すれば、教員や院生のなかから多くのノーベル賞受賞やフィールズ賞受賞者が続々と誕生することになり、その結果として「世界ランキングで10位に入る大学」になるかもしれません。だが、その逆はおそらくあり得ないでしょう。
それは韓国が「**年までにノーベル賞受賞者を**人にする」という目標を掲げながら、莫大な金をかけて英才学校をつくり、授業も英語でおこなうことを続けているにもかかわらず、いまだにそれが達成できていないことをみれば分かります。それどころか、京都大学新聞インタビュー「後編」で述べたように、韓国の優秀な生徒・学生はアメリカその他に脱出しているのです。
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いま京都大学が目指している方向とまったく逆の軌跡をたどった事例が、東大合格者数全国一で名をはせた灘中学・高校です。今でも灘校は東大合格者数で常に上位の一角を占め続けています。
今でこそ灘校は「東大合格者数ランキングの常連」「各界の名士を輩出した名門校」などと評価されていますが、今から60年ほど前までは、「公立校のすべり止め」というのが、関西での一般的認識でした。
1950(昭和25)年、中勘助の自伝的小説『銀の匙(さじ)』を中学校の3年間を通じて読み込むという風変わりな授業が始まりました。始めた教師の名は橋本武(はしもと・たけし)と言い、当時はまだ公立校のすべり止めに過ぎなかった灘校を名門進学校に導いたひとりとして、「伝説の教師」と呼ばれています。
橋本氏の授業は、『〈銀の匙〉の国語授業』『伝説の灘校教師が教える、一生役立つ、学ぶ力』などで知ることができますが、私がここで指摘したかったことは、私立の名門進学校として知られる灘校の「授業のありよう」です。それは受験問題を解く予備校のような授業ではありませんでした。
そこには統一進度・統一テストがないどころか、検定教科書さえ使わなくてもよい「授業の自由」「研究の自由」が許されていたのです。
私が従来から灘校にたいして持っていたイメージは、「東大の合格者数を増やすために、中学時代に高校の教科書はすべて終え」「高校で使う教材は、受験にシフトをしぼり受験問題集だけを使う」というものでした。というのは実際にそのような私立の中高一貫校があることを知っていたからです。
ところが『〈銀の匙〉の国語授業』などを読んでみたら、実際の灘校はまったく違っていたのです。中学の3年間を『銀の匙(さじ)』だけで国語の授業をするということが許されていた学校があった!「にもかかわらず」東大の合格率が全国一を誇る!これは私には信じがたいことでした。二重の驚きでした。
しかし、いま考えると「にもかかわらず」ではなく「だからこそ」ではなかったかと思うのです。受験問題集に焦点化した授業をおこなってこなかった――だからこそ真の学力を持った生徒を育てることができ、「東大合格者数ランキングの常連」「各界の名士を輩出した名門校」になったのではないかと思うのです。
最初から受験問題集しか解いてこない学校から、自分で疑問を創り出し、批判的創造的にものを考える生徒・学生は育ちようがないからです。私には橋下武氏の授業を受けた生徒の中から、海渡雄一(かいど ゆういち)氏のような弁護士が生まれたのも、偶然とは思えませんでした。
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<註> 今これを書きながらもう一つ思い出したことがあります。それは自分が母校の進学校で統一進度・統一テストでがんじがらめに縛られていたとき、「俺に教材の自由、教育方法の自由を与えてくれれば、金沢大学どころか東大にでも入ることのできる本物の学力を育ててやれるのに」と歯ぎしりしていたことです。いま思えば、私の気持ちは『〈銀の匙〉の国語授業』をおこなった橋本氏の気持ちと、たぶん同じだったのです。
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<註> 海渡氏は、このたび大きな問題になった「特定秘密保護法案」を厳しく批判し、日本弁護士連合会秘密保全法制対策本部副本部長という重責を担って活動してきただけでなく、他にも日本弁護士連合会事務総長、監獄人権センター事務局長。脱原発弁護団全国連絡会共同代表、脱原発法制定全国ネットワーク事務局長などの肩書きをもって東奔西走しています。(ちなみに、弁護士で参議院議員の福島瑞穂(元社会民主党党首)とは、夫婦別姓を実行するため婚姻届を提出しない事実婚関係にある。)
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以上これまで私は、「東大合格者数ランキング20位に入る学校」を目指した教育や受験勉強にだけシフトした授業づくりをしなかったからこそ、灘校は「東大合格者数ランキングの常連」「各界の名士を輩出した名門校」になったのではないかと述べてきました。
同じことは日本のノーベル賞受賞者の多くについても言えるのではないでしょうか。京都大学新聞インタビュー(後編)でたびたび言及した山中伸弥氏や益川敏英氏も、私が調べたかぎりでは、最初からノーベル賞をもらうために大学に入ってはいませんし、研究テーマもノーベル賞をもらうために設定されたものでもありませんでした。
ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏も同じです。ノーベル賞をもらうことを目標に研究したのではありませんでした。それは次のような逸話からもうかがうことができます。
そのうえ田中氏の東北大学における専攻は、電磁波・アンテナ工学であり、化学分野の技術研究に従事したのは、島津製作所入社後に技術研究本部中央研究所に配属されてからです。この点から見ても、田中氏が最初からノーベル賞の受賞を目指していたとは、とても考えられません。
また、電話による受賞の報が伝えられたとき「びっくり」だと思い(ドッキリカメラの意)本気にしなかったが、家の前に報道陣が大挙押し寄せやっと現実と考えた――という逸話も、田中氏がノーベル賞をまったく意識せずに研究してきたことを物語っています。
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要するに科学者が研究するときは,純粋に「知的好奇心」「知的探求心」に動かされて研究するのであって、ノーベル賞受賞などという世俗的な動機で研究することはほとんどないと言ってよいと思います。
それどころか、「世界ランキング何位」とか「ノーベル賞受賞」などという世俗的な動機で研究テーマを選ぶような大学や人物に、そのようなランキングやノーベル賞が訪れた試しはないと言ってよいのではないでしょうか。
何度も言いますが、「世界ランキング何位」とか「ノーベル賞受賞」などという目標にしたがって研究しているかぎり、ほとんど何も生まれないのです。
京都大学新聞のインタビュー「グローバル時代の英語を考える ― 「外国人教員」「英語で授業」は何をもたらすか」(後編)の発行およびWeb掲載が、先日2月19日に終わり、長い長い旅からやっと解放された安堵感にひたっています。
「グローバル時代の英語を考える ― 「外国人教員」「英語で授業」は何をもたらすか」後編(2014.02.16)
http://www.kyoto-up.org/archives/1972
http://www.kyoto-up.org/archives/1972
インタビューの前編が発行・発売されたのが2013年11月16日ですし、インタビューそのものがおこなわれたのが10月13日ですから、最終的にこの仕事が完結するのにやがて4か月もかかったことになります。
「グローバル時代の英語を考える ― 「外国人教員」「英語で授業」は何をもたらすか」前編(2013.11.16)
http://www.kyoto-up.org/archives/1905
http://www.kyoto-up.org/archives/1905
この間(かん)ずっと精神的に宙づり状態でしたから、正直言って疲れました。というのは、これが終わらないと他のことに精神を集中することができず、何をしていても、この後編が終わるまでの「片手間仕事」という感を拭いきれなかったからです。
それでも、このブログ「百々峰だより」では、インタビューでは語りきれなかったこと、あるいはインタビューを裏から支える資料を載せるという観点で、自分なりの努力を積み重ねて来たつもりなので、まあそれなりの意味はあったかなと思っています。
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しかし「後編」を読み直してみて、京都大学の「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針について、言うべき本質的なことを、あのインタビューでは語っていないことに気づきました。そこで今回のブログでは、この点について詳しく論じてみたいと思います。
この「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針について、私はインタビュー「後編」で次のように述べました。
京都大学は世界10位に入る大学になるとかいう目標を掲げていましたよね。あれも馬鹿げた話だなあと思う。世界何位って、一体どこが格付けしてるの? 企業でも格付け会社がありますよね。あの格付がいかにでたらめだったかというのは、アメリカの企業が軒並み悪行をはたらいて金融崩壊したときに明らかになりましたよね。有名な話では、エンロンっていう会社があって、そこが格付け会社の評価でAAA(最高位)だったんですよ。だけど後でよく調べてみたら、電力を販売する会社だったんだけど、悪さの限りをしてたわけ。つまり、格付け会社も分からずに格付けしてるし、自分に都合のいいように格付けする。デリバティブなどという摩訶不思議な商品の格付けもそうだったよね。これは間違いありませんっていうAAAの金融商品が軒並み暴落してたじゃない。裏で不正ばっかりしててさ。だとすれば、大学の格付けだってどこまで信用できるのか。
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しかし、この「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針がおかしいのは、実は「格付け会社の『格付け』がどこまで信頼できるのか」よりも、それが教育学的に見て根本的に間違っているからなのです。
インタビューに臨む前までは、この点についても語る予定だったのですが、脱線して他のことを話しているうちに肝心な論点を失念してしまったのです。
では、この「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針は、教育学的に見て、なぜ間違っているのでしょうか。それは次のようなたとえを出すと分かりやすいかも知れません。
たとえば、親が子どもに「クラスで一番になることを目指して勉強しなさい」と言ったとします。これは子どもを勉強させるための動機付けとして正しいものでしょうか。それとも勉強というものにたいする間違った動機付けでしょうか。
あるいは、教師が、生徒たち皆に「このクラスで一番になるために勉強しなさい」「この学校で一番になるために勉強しなさい」と言うでしょうか。もしこのような言い方が正しいとすれば、「一番になれない生徒」「一番になることなど望まない生徒」は学校で学ぶに価しないことになりはしませんか。
また他方で、教師から「クラスで一番になるために」「学校で一番になるために勉強しなさい」と言われて頑張って一番になったとして、その一番だった生徒は幸せだったのでしょうか。そのような動機付けを与えられた生徒は、学習を楽しむことができたのでしょうか。その「学習」は「楽習」だったのでしょうか。
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実は、上記のような疑問を提起したのは、私の体験からもきています。というのは、私が能登半島の高校に入学したとき偶然にも一番だったのです。そのとき母校の中学校の先生たちは「おめでとう。卒業するときも一番で卒業するよう頑張ってくれ」と言って送り出してくれたのですが、それが私にとっては大きな負担になってしまいました。
私が中学生の時、他人(ひと)の田を借りなければ生計をたてることができないほどの貧農でしたから、私の高校進学先として普通科高校は選択肢の中に入っていませんでした。通学先としてはかなり遠いのですが、金沢市立工業高校に行き、卒業したらすぐ就職して経済的に両親を助けることしか考えていませんでした。
ですから母校の中学校で高校進学のための模擬試験が繰り返されていても、それは私にとって日ごろの勉強した結果を試す単なる「腕試し」の機会にすぎず、その模擬試験で何位になろうが私にとっては大きな関心事ではありませんでした。
ところが1ヶ月に1回おこなわれる模擬試験で、回数を重ねるたびに私の順位が上昇し、高校入試が近づく頃には、私は学内1位になってしまったのです。その頃の私は、自分の好きなペースで好きなように勉強していましたから、勉強することがそれほど苦痛ではありませんでした。むしろ楽しみながら勉強していたように思います。
ところが母校の中学校の学級担任は、私の母に「金沢の工業高校ではもったいないから地元の進学校に行かせて大学まで進学させなさい」と強く勧めたそうです。それで結局、地元の進学校を受験することになり、結果として入試の成績が一位で高校に入学することになってしまったのでした。
しかし私にとっては「卒業するときも一番で卒業するよう頑張ってくれ」と母校の中学校の教師たちに言われたことが非常な重荷になって、高校時代の勉強を心底から楽しむことができませんでした。私にとって高校時代は、まさに灰色のハイスクールでした。結果として一番で卒業することはできましたが、そのことに何の喜びも感じられませんでした。後味の悪い思い出だけが残っています。
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京都大学の「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針をニュースで読んだとき、真っ先に頭に思い浮かんだのが、この私の高校時代の苦い思い出でした。
勉強というものは,本来「知的好奇心」に導かれておこなわれるべきものでしょう。また教師の任務は「知りたくなる」「学びたくなる」、すなわち生徒の知的好奇心をかき立てるような授業をすることではないしょうか。
私の家内も、高校に入学したてのときから物理や数学の授業で「この問題は**大学の入試問題です」と言って、その解法ばかりを講義する教師がいて、中学校の時は理科や数学が好きだったのに、それだけで、その科目にたいする興味を失ったと言っていました(ちなみに、その高校は県下のナンバーワン・スクールでした)。
私の高校時代には、まだ幾何学というものが残っていて、その公理や定理に従って厳密に論理を組み立てていく世界がとても面白く、また「補助線」を一本引くだけで、あっというまに新しい解法が見えてくる世界は、人生を生きていく上でも大きな参考になるように思えました。
これは他の科目についても同様で、「**大学の合格者数で県下1位ををめざす」ということを目標にして、受験の技術としてしか教科を教えないとすれば、生徒たちは高校でいったい何を学ぶことになるのでしょうか。生徒たちは学ぶことの面白さや楽しさをどこで学ぶのでしょうか。
京都大学の「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」というのも、どこかの高校が「東大合格者数で全国10位に入る高校を目指す」と言っているのと大同小異ではないでしょうか。
このような目標を強制される大学で教える教員は、教育や研究を楽しむことができるのでしょうか。このような目標を強制される大学で学ぶ学生は、授業や学習を楽しむことができるのでしょうか。
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<註> 以上のような苦い体験から、私は首尾よく大学に入学できたとき秘かに誓ったことがありました。それは「今後は自分の知的好奇心にしたがって勉強する」「今後は受験や点数や順位のために勉強することは金輪際しない」という決意です。私がTOEICやTOEFLを大学の授業や入試に組み込もうとする今の体制に強い嫌悪感を覚えるのは、このような理由からです。
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私が石川県で高校教師として教えていた頃、ある事件が起きました。「金沢大学に何名合格させるか」を念頭において受験問題集を解くだけの授業に反発して、それに抗議するビラ「高校は予備校ではない」を学内に貼って回る生徒たちが現れ、教師集団が慌てふためくという事件が起きたのです。
そのビラは生徒の目に十分ふれる前にはがされてしまい、そんな事件があったことも知らない生徒が多かったようでした。
生徒指導課が調べて見ると、その事件を起こした生徒たちはいずれもクラスのトップ集団にいる生徒で、志望校も金沢大学どころか東大や京大を志望校とする生徒も含まれていたそうです。
そのことが分かると、「彼らを謹慎処分などにするとかえってビラを目にしなかった生徒にまで事件を知らせることになる」というので、結局その生徒たちにたいする処分は校長による厳重注意ということで終わってしまいました。
このビラまきをした生徒たちと、「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針を出した京都大学執行部と、どちらが学問を目指すうえで、高潔な姿勢を持っていると言うべきなのでしょうか。
私には、その答えは言う必要のないほど歴然としているように思います。
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実はこの事件が起きたとき、「このようなことを生徒が自主的にやるはずがない。裏で先導している教師がいるに違いない」と言い出す教師がいて、私までもが校長室に呼び出されて厳重注意を受ける羽目になってしまいました。
この「濡れ衣事件」の詳細については拙著『英語にとって教師とは何か』(155-157頁)に書いたので詳細は割愛しますが、「このようなことを生徒が自主的にやるはずがない」という感覚そのものが、生徒の能力をまったく見くびった、驚くべき感覚だと私には思われました。
逆に言えば、このようなことを口にする教師たちの頭には、授業で「創造的思考力」「批判的思考力」を育てることは初めから存在していなかったことを、この事件は問わず語りに語っているようにも見えます。
京都大学の場合も、初めから「世界ランキングで10位に入る大学」を目指して教員の尻を叩いているかぎり、その目標はおそらく達成できないでしょう。
しかし逆に、そこで教育・研究にはげむ教員・研究者に思うぞんぶん教育や研究に専念できる環境を保証すれば、教員や院生のなかから多くのノーベル賞受賞やフィールズ賞受賞者が続々と誕生することになり、その結果として「世界ランキングで10位に入る大学」になるかもしれません。だが、その逆はおそらくあり得ないでしょう。
それは韓国が「**年までにノーベル賞受賞者を**人にする」という目標を掲げながら、莫大な金をかけて英才学校をつくり、授業も英語でおこなうことを続けているにもかかわらず、いまだにそれが達成できていないことをみれば分かります。それどころか、京都大学新聞インタビュー「後編」で述べたように、韓国の優秀な生徒・学生はアメリカその他に脱出しているのです。
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いま京都大学が目指している方向とまったく逆の軌跡をたどった事例が、東大合格者数全国一で名をはせた灘中学・高校です。今でも灘校は東大合格者数で常に上位の一角を占め続けています。
今でこそ灘校は「東大合格者数ランキングの常連」「各界の名士を輩出した名門校」などと評価されていますが、今から60年ほど前までは、「公立校のすべり止め」というのが、関西での一般的認識でした。
1950(昭和25)年、中勘助の自伝的小説『銀の匙(さじ)』を中学校の3年間を通じて読み込むという風変わりな授業が始まりました。始めた教師の名は橋本武(はしもと・たけし)と言い、当時はまだ公立校のすべり止めに過ぎなかった灘校を名門進学校に導いたひとりとして、「伝説の教師」と呼ばれています。
橋本氏の授業は、『〈銀の匙〉の国語授業』『伝説の灘校教師が教える、一生役立つ、学ぶ力』などで知ることができますが、私がここで指摘したかったことは、私立の名門進学校として知られる灘校の「授業のありよう」です。それは受験問題を解く予備校のような授業ではありませんでした。
そこには統一進度・統一テストがないどころか、検定教科書さえ使わなくてもよい「授業の自由」「研究の自由」が許されていたのです。
私が従来から灘校にたいして持っていたイメージは、「東大の合格者数を増やすために、中学時代に高校の教科書はすべて終え」「高校で使う教材は、受験にシフトをしぼり受験問題集だけを使う」というものでした。というのは実際にそのような私立の中高一貫校があることを知っていたからです。
ところが『〈銀の匙〉の国語授業』などを読んでみたら、実際の灘校はまったく違っていたのです。中学の3年間を『銀の匙(さじ)』だけで国語の授業をするということが許されていた学校があった!「にもかかわらず」東大の合格率が全国一を誇る!これは私には信じがたいことでした。二重の驚きでした。
しかし、いま考えると「にもかかわらず」ではなく「だからこそ」ではなかったかと思うのです。受験問題集に焦点化した授業をおこなってこなかった――だからこそ真の学力を持った生徒を育てることができ、「東大合格者数ランキングの常連」「各界の名士を輩出した名門校」になったのではないかと思うのです。
最初から受験問題集しか解いてこない学校から、自分で疑問を創り出し、批判的創造的にものを考える生徒・学生は育ちようがないからです。私には橋下武氏の授業を受けた生徒の中から、海渡雄一(かいど ゆういち)氏のような弁護士が生まれたのも、偶然とは思えませんでした。
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<註> 今これを書きながらもう一つ思い出したことがあります。それは自分が母校の進学校で統一進度・統一テストでがんじがらめに縛られていたとき、「俺に教材の自由、教育方法の自由を与えてくれれば、金沢大学どころか東大にでも入ることのできる本物の学力を育ててやれるのに」と歯ぎしりしていたことです。いま思えば、私の気持ちは『〈銀の匙〉の国語授業』をおこなった橋本氏の気持ちと、たぶん同じだったのです。
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<註> 海渡氏は、このたび大きな問題になった「特定秘密保護法案」を厳しく批判し、日本弁護士連合会秘密保全法制対策本部副本部長という重責を担って活動してきただけでなく、他にも日本弁護士連合会事務総長、監獄人権センター事務局長。脱原発弁護団全国連絡会共同代表、脱原発法制定全国ネットワーク事務局長などの肩書きをもって東奔西走しています。(ちなみに、弁護士で参議院議員の福島瑞穂(元社会民主党党首)とは、夫婦別姓を実行するため婚姻届を提出しない事実婚関係にある。)
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以上これまで私は、「東大合格者数ランキング20位に入る学校」を目指した教育や受験勉強にだけシフトした授業づくりをしなかったからこそ、灘校は「東大合格者数ランキングの常連」「各界の名士を輩出した名門校」になったのではないかと述べてきました。
同じことは日本のノーベル賞受賞者の多くについても言えるのではないでしょうか。京都大学新聞インタビュー(後編)でたびたび言及した山中伸弥氏や益川敏英氏も、私が調べたかぎりでは、最初からノーベル賞をもらうために大学に入ってはいませんし、研究テーマもノーベル賞をもらうために設定されたものでもありませんでした。
ノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏も同じです。ノーベル賞をもらうことを目標に研究したのではありませんでした。それは次のような逸話からもうかがうことができます。
東北大学在学時に単位を落とし1年間の留年生活を送り、大学卒業後は大学院へ進学せずソニーの入社試験を受けるも不合格。就職先が決まらず指導教授の勧めで京都の島津製作所の入社試験を受け合格。
そのうえ田中氏の東北大学における専攻は、電磁波・アンテナ工学であり、化学分野の技術研究に従事したのは、島津製作所入社後に技術研究本部中央研究所に配属されてからです。この点から見ても、田中氏が最初からノーベル賞の受賞を目指していたとは、とても考えられません。
また、電話による受賞の報が伝えられたとき「びっくり」だと思い(ドッキリカメラの意)本気にしなかったが、家の前に報道陣が大挙押し寄せやっと現実と考えた――という逸話も、田中氏がノーベル賞をまったく意識せずに研究してきたことを物語っています。
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要するに科学者が研究するときは,純粋に「知的好奇心」「知的探求心」に動かされて研究するのであって、ノーベル賞受賞などという世俗的な動機で研究することはほとんどないと言ってよいと思います。
それどころか、「世界ランキング何位」とか「ノーベル賞受賞」などという世俗的な動機で研究テーマを選ぶような大学や人物に、そのようなランキングやノーベル賞が訪れた試しはないと言ってよいのではないでしょうか。
何度も言いますが、「世界ランキング何位」とか「ノーベル賞受賞」などという目標にしたがって研究しているかぎり、ほとんど何も生まれないのです。
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- 翻訳 チョムスキー「企業モデルが米国の大学をダメにしている」その3 (2015/08/27)
- 翻訳 チョムスキー「企業モデルが米国の大学をダメにしている」その2 (2015/08/22)
- 翻訳 チョムスキー「企業モデルが米国の大学をダメにしている」その1 (2015/08/19)
- 「世界ランキングで10位に入る大学を目指す」という方針は、なぜ間違いか――京都大学新聞インタビュー 「グローバル時代の英語を考える」を終えて (2014/02/24)
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