香港「オキュパイ・セントラル」、別名「雨傘革命」を考える

平和研究(2014/10/16) 

 いま私たちは、ジョージ・オーウェルが書いた小説『1984年』の世界を生きているような気がします。あるいは芥川龍之介の小説『藪の中』の世界と言った方がよいかも知れません。
 というのは、いま私たちが生きている世界は、一見しただけでは「何が真で何が嘘か分からない世界」だからです。その典型が福島原発事故でした。大手メディアどころかNHKすらも戦前さながらの「大本営報道」を繰り広げました。
 海外では、アメリカが「フセイン政権が大量破壊兵器WMDをもっている」と嘘をついて始めたイラク戦争だけでなく、シリアのアサド政権が化学兵器で自国民を殺したとしてオバマ大統領はシリアを攻撃しようとしましたが、これも嘘だったことが分かりました。
 もっと最近の事件では、マレーシア航空機の撃墜事件があります。これもアメリカはロシアのしわざだとしてNATO軍を総動員してロシア攻撃の口実にしようとしました。しかし、時間が経てば経つほど、キエフ政府軍のしわざであることが濃厚になりつつあります。するとロシア非難の声はいつのまにか消えてしまい、事件そのものまで皆の記憶から消えつつあります。
 その一方で、パレスチナのガザ地区と同じくらい凄惨な光景が展開されたウクライナ東部地区における「民族浄化」のようすは、大手メディアでは全くと言ってよいほど無視されて、報道されていません。
 ルガンスクやドネツクを中心とするウクライナ東部地区では、国連報告でも50万人近い難民が生まれ、3000人をこえる死者が出ているのに、日本のメディアは、中東におけるイスラム原理主義ISIS(いわゆる「イスラム国」)や香港の「雨傘革命」に関心を寄せるのみです。


 では香港「オキュパイ・セントラル」、別名「雨傘革命」とは、本当に中国における「民主革命」なのでしょうか。これについては大手メディアの報道は「反中国」を土台にして報道していますから、まったく信用できません。
 しかし、最近もてはやされたウクライナの「民主革命」も今になってみれば、ずっと以前からNED(アメリカ民主主義基金)が大金を注ぎ込んで用意周到に準備した「民主革命」だったことが明らかになってきています。
 それどころか、ウクライナの「民主革命」は、裏でアメリカに支持されたネオナチや極右勢力が暴力的に奪い取ったクーデターでした。これについては私のブログでは何回にもわたって書いてきましたからここでは割愛します。
 いずれにしても、今度の「民主革命」は、いまから振り返ってみれば、2003年のグルジアにおけるバラ革命、ウクライナでは2004年にオレンジ革命、2005年のキルギスにおけるチューリップ革命を、もっと暴力的にしたものだったわけです。
 ですから香港の「雨傘革命」も注意深く検討する必要があります。
 今回のデモは、香港の警察当局がデモ排除のため催涙弾を使い、それを避けるために学生らが傘を使ったことから「雨傘革命」と呼ばれていますが、運動の中心になっている学生たちは「オキュパイ・セントラル」と呼んでいるようです。
 この名称はニューヨークで展開された「オキュパイ・ウォールストリート」にちなんで名づけられたものでしょうが、この名称を見たり聞いたりしてかぎり、いま香港で起きている運動もアメリカで起きたものと同じものではないかと考えがちです。
 しかし、すでに、「オキュパイ・セントラル」はアメリカ民主主義基金NEDその他から多大なる援助のもとに準備されてきたことが分かってきています。
US Openly Approves Hong Kong Chaos it Created (September 30, 2014)
The US Grand Strategy for Eurasia: Hong Kong's ‘Umbrella Revolution’ and Secessionist Politics in China (October 05, 2014)


 ウクライナでは、2014年2月のクーデターが起きるまで62団体ものNGOが活動していましたし、国務次官補ヌーランド女史は恥ずかしげもなく50億ドルもの大金を注ぎ込んでクーデターを成功させたと自慢していました。
 ところが現在の香港では、あの小さな島で30,000を超えるNGOが活動していると言われています(Social Indicators of Hong Kong)。またアメリカ民主党の外郭団体NDI(全米民主国際研究所)だけでも、460,000ドルものお金を香港に注入しています。
Operation ‘Occupy Central’
 他方、ニューヨークの「オキュパイ・ウォールストリート」は外国のいかなる勢力からも人的・金銭的援助を受けていません。この点だけを見ても、香港「オキュパイ・セントラル」との違いは歴然としています。
 もしニューヨークの「オキュパイ・ウォールストリート」にたいして中国やロシアから多大なる人的・金銭的援助がなされていたことが暴露された場合、オバマ政権は激怒してすぐ武力攻撃に走ったかも知れません。それに比して中国政府の対応は比較的に穏やかなものだと言えます。
 たとえば、いまアメリカでは(2014/10/14現在)、武器を持っていない黒人の青年マイケル・ブラウンが殺害されてから2か月、ミズーリ州ファーガソンでの抗議行動参加者は州兵などによる弾圧に立ち向かい、青年を射殺した警察官ダレン・ウィルソンの逮捕を求めて路上に繰り出してきました。
 これにたいしてオバマ氏は、「外国勢力が煽動している」と口走ったことがありましたが、「黒人大統領」であるはずのオバマ氏が、いまアメリカで新しい黒人差別が復活していること、それにたいする黒人の憤りがどれほど大きいかを知らないとすれば、東ウクライナで民衆が置かれている苦境・憤り・悲しみを理解できないのは当然とも言えます。


 それはともかく、ニューヨークの「オキュパイ・ウォールストリート」は、金融危機を引きおこし国内だけでなく世界を破壊した金融街を、オバマ政権が大量の血税を使って救ったこと、しかも税金を支払っている民衆は大きな借金を背負ったり家を失ったりしても全く放置されたままであることに強く抗議したものでした。
 アメリカ政府は、1%の大金持ちを救い、99%の民衆を見捨てました。政府の言い訳が「Too Big to Fail(大きすぎて潰せない)」であり、民衆運動のスローガン「They Are 1%, We Are 99%」であったことがそれをよく表していました。では香港の「オキュパイ・セントラル」は何を求めているのでしょうか。
 一般の報道でもレイバーネットTVでも、彼らの要求は「普通選挙の完全実施」であり、これを拒否するいかなる妥協案も認めないと言っているようにみえます。しかし1997年にイギリスとの間で合意された「香港基本法」は50年は変更できないとされています。そのなかでこのたび中国政府から出された香港特別区行政長官の選挙案は、間接選挙ながら「一人一票制」が認められた史上初めての選挙になるようです。
 これは健全な民主主義を求めるために確かな一歩になり得るものでしょう。たしかに「上から出された数人の候補者以外の投票を認めない」というのは民主主義の原則に反するものです。ですから「香港基本法」の枠内で、さらに前進した選挙案をお互いに妥協しあってつくりあげることが、今後さらに求められていると言えます。


 しかし、普通選挙が完全実施されれば香港民衆に幸せが訪れるのでしょうか。
 それは南アフリカ共和国を見れば分かります。かつての南アは「アパルトヘイト」で知られる有名な黒人差別の国でした。しかし差別反対闘争の闘士ネルソン・マンデラが牢獄から釈放され、1994年4月に、同国史上初の全人種参加の総選挙が実施されました。そしてアフリカ民族会議 (ANC) の議長マンデラ氏が大統領に就任しました。
 では、この選挙の結果、黒人の生活は豊かになったでしょうか。むしろ「アパルトヘイト」の時代よりも悪くなっているのです。それはマンデラ氏が牢獄から釈放されるとき政治の権力(普通選挙権)は黒人に渡すが、白人のもつ財産および経済・金融の権力には手をつけないという約束がなされていたからです。(ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』岩波書店)
 ですから、たとえ香港で普通選挙が実現したとしても、そのことで香港民衆がいま抱えている生活苦(5人に1人が貧困ライン以下)が解消される見込みはまずありません。香港を中国に移管するにあたって1984年に英国と中国との間で結ばれた契約は2047年まで有効ですが、そのなかで中国政府は白人がもっていた経済的特権には手をつけないという約束を結ばされたからです。
 ですから、2010年に導入された最低賃金制度(時間給HK$28=US$3.60)も、香港を支配している財界・金融界は容易にこれを変更しないでしょう。また住宅価格は世界で一番高く、17万人が「ワーキング・プア」の生活を強いられ、「犬小屋」のような住まいで寝起きしています。摩天楼の裏で、貧富の格差が最も極端に進行しているのが香港なのです。
 香港住民の全てが必ずしも学生たちの要求を支持していないことは、このような裏事情があるからだと思います。実際、学生たちの運動を最も支持しているのは年収100,000ドル以上の富裕層であり、他方、年収10,000ドル以下の大半は「雨傘革命」を支持していませんし、年齢層での支持格差もはっきりしています。
Hong Kong Protests: Why Imperialists Support 'Democracy' Movement
 だとすれば、香港の「オキュパイ・セントラル」の目標は、ニューヨークの「オキュパイ・ウォールストリート」と同じように、住民の経済的生活要求を最優先にすべきだと思うのです。「普通選挙の完全実施」を求め、それ以外のいかなる妥協案も認めないという姿勢では、「落としどころ」がありませんから、この闘いは香港民衆にとっても中国政府にとっても長期的泥沼に陥る危険性があります。
 これでは、アメリカ民主主義基金NEDその他を資金源にして「雨傘革命」「オキュパイ・セントラル」を香港で起こし、それを起爆剤にして中国を不安定化させようとしているオバマ政権の思う壺でしょう。以下その点についてもう少し説明します。


 チョムスキーが『アメリカが本当に望んでいること』(現代企画室)で述べているように、アメリカは第2次大戦で大国になって以来ずっと一貫して自分の覇権を脅かす恐れのある国は徹底的につぶすことを外交政策の基本に据えてきました。
 ベトナム戦争もその一貫でしたし、小さな島国であるキューバをいまだに経済制裁し続けている理由もそこにある、とチョムスキーは述べています。ましてや、今や大国としてアメリカの覇権を脅かす存在になりつつある中国を、このまま放置しておくわけにはいきません。
 同じことはロシアについても言えます。ソ連が崩壊した直後に、アメリカ資本は大挙してロシアになだれ込み、ミルトン・フリードマンの唱える「新自由主義」「市場原理主義」の実験場となりました。(ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』岩波書店)
 その結果、ロシア経済は一時的に栄えたかに見えましたが、その後の経済は大崩壊し、路上には失業者があふれ自殺者も急上昇しました。ロシア人の平均寿命が60歳にまで下がり、他方で「オリガルヒ」と呼ばれる新興財閥が、民衆の苦境を尻目に、この世の春を楽しむようになったのも、この頃でした。
 この崩壊したロシアを建て直したのがプーチンでした。以前のブログ(2014/07/21)でも書いたことですが、私は「チェチェン独立運動を手荒く弾圧した」というイメージがあり、今までプーチンという人物はあまり好きではありませんでした。しかしロシアのことを勉強し直してみると、別のプーチン像が浮かび上がってきました。
 プーチンは、アサド政権が化学兵器を使ったという口実でシリアを爆撃しようとしたアメリカの嘘を暴露しただけでなく、アサド大統領を説得してシリアの化学兵器を廃棄させることに同意させました。ところがノーベル平和賞は化学兵器を廃棄する実務団体に与えられてしまいました(これがノーベル平和賞の実態です)。
 それどころかプーチン氏は、どこも引き取り手のなかったエドワード・スノーデンを亡命者として引き取る決断をしました。アメリカ国民だけではなく世界全体を監視する「盗聴網」を張りめぐらしていることを暴露したスノーデン氏を引き取ったのですから、オバマ氏の激怒は想像するに余りがあります。
 ですからウクライナでクーデターを起こし、それを起爆剤にしながらロシアを不安定化させる(あわよくばNATO軍を総動員してロシア攻撃の口実にする)という戦略は、いわば必然的な流れであったとも言えます。
 つまり一方ではEUやNATOを使いながらロシア包囲網を強化し、他方では日本・韓国・台湾・フィリピンといった国々と自由貿易協定TPPを結びながら中国包囲網を強化するのは、オバマ政権の壮大な世界戦略でした。
 [註:ただしTPPはアメリカ企業が損失を被ったとき国家を裁判に訴えることができるという恐ろしい協定でもあります。国家主権を踏みにじっても遺伝子組み換え食品などを喰わせよう買わせようというわけです。]
 アメリカは中国包囲網を着々と強化しつつあります。朝鮮戦争以来「休戦状態」にある北朝鮮と和平条約を結ばず、東北アジアにおける「盲腸的存在」として適当に暴れさせておいた方が、韓国や日本の危機感を煽るのに極めて好都合です。
 また日本・韓国ラインの延長上に台湾があり、これを中国包囲網に巻き込むこと、その延長上にあるフィリピンやベトナムを中国包囲網の陣営に巻き込むこともアメリカの重要な政策のひとつです。この視点で尖閣列島の問題も考え直す必要があります(孫崎享『日米同盟の正体――迷走する安全保障』講談社現代新書)。
 また、かつて民衆蜂起でフィリピンから撤退を余儀なくされた米軍基地が再び復活し始めているのも、かつては敵対していたベトナムにアメリカ企業が移り始めていることも、労賃の低さだけでなく中国包囲網という視点で初めて理解することができます。
 ですから、香港の「雨傘革命」「オキュパイ・セントラル」は、ウクライナのクーデターやマレーシア航空機の撃墜事件と併せて考える必要があると思うのです。


 香港の「オキュパイ・セントラル」を考えるにあたって、私が心配していることがもうひとつあります。
 それは、中国政府や香港政府が対応を誤って、強力な武力弾圧をすると(ましてや「もう一つの天安門事件」など論外です)、それは逆に民衆の怒りを引きおこし、解決がいっそう長引くということです。
 そして、さらにこの運動が長引くと、どこかでスナイパーによる狙撃事件が起き、警官と民衆の双方に死者が出て、騒乱が一層拡大する危険性があることです。スナイパーは、民衆側だけを殺すわけではありません。
 ウクライナでも元大統領ヤヌコービッチ氏が追放される直接的きっかけになったのは、集会・デモの最中に何者かによって警官とデモ隊29名が射殺されたことでした。そして死者がでたことを口実に騒乱がいっそう拡大先鋭化してクーデター完了となりました。
 あとで、このスナイパーは反ヤヌコービッチ派によるものであったことも、明らかにされています。エストニア外務大臣は2月22日の射撃について、市民と警官を狙撃したのはヤヌコーヴィチ政権の関係者ではなく、反対運動の側が挑発行動として起こしたものであるということをアシュトンEU外務大臣に告げています。
http://www.canon-igs.org/column/network/20140320_2453.html
 同じような戦術は、かつてベネズエラでも使われました。2002年4月11日、CIAの支援を受けて軍部によるクーデターが発生したときも、民衆が銃撃される事件が起き、10数人の死者を出しました。そして、それを口実にチャベスは軍に監禁され、中産階級や富裕層を基盤とする暫定政権がつくられました。
 しかし大統領の支持基盤である貧困層のデモが激化し、軍や国家警備隊からもチャベス支持層が現れたことにより、クーデターは幸いにもわずか2日間で失敗に終わりました。また当時そこを訪れていたジャーナリストの映像により、この銃撃は反チャベス派によるものであることが判明しました。
 [註:上記のベネズエラにおけるクーデターについて貴重な記録を残したアイルランドのパワーズピクチャーズの映像(2003年)は、その後、数々のドキュメンタリー賞を受けました。詳しくは下記を御覧ください。]
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Bushwar/venezuela_coup.htm
 反チャベス派の財界人は、5つの民放全てを所有し、そこでチャベス批判を繰り返していました。これらの放送局は高い視聴率を有し、これに対するチャベス政権の宣伝手段は国営放送ただ一局でした。この両派の闘いは、メディア戦争でもありました。
 いま香港で展開されている闘いについても、欧米そして日本のメディアはすべて無条件に「オキュパイ・セントラル」を支持する報道だけと言ってもよいでしょう。なにしろレイバーネットですら「雨傘革命」支持なのですから。


 私が心配するのは、ウクライナやベネズエラで起きたような「スナイパーによる殺傷事件」が香港でも起きはしないかということです。ハワード・ジン『肉声でつづる民衆のアメリカ史』を読めば、権力者が騒乱をたくらむときには、味方の陣営の誰かを射殺してそれを口実に騒乱に持ち込む事例すら、いくつも出てきます。
 こうして香港の「オキュパイ・セントラル」の騒乱が拡大し長引けば、それは新疆ウイグル地区などのイスラム教住民の地域にまで波及するかも知れませんし、さらに中国本土のあちこちに拡大するかも知れません。
 チョムスキーは『現代世界で起こったこと』(日経BP社)のなかで、アメリカによる他国の「不安定化工作」は、アメリカにとってはその国を「安定化」させることであり、それは世界各地でおこなわれてきたことだ、と述べています。
 たしかに中国は一党独裁の国ですから、「民主化」という観点からすれば世界で最も遅れた国のひとつだと言えるかも知れません。貧富の格差も広がり、幹部の腐敗も事実でしょう。しかし世界における民主主義の旗手として自画自賛しているアメリカの実態はどうでしょうか。
 アメリカもイギリスも、香港の「オキュパイ・セントラル」を警察が弾圧しているとして重大なる懸念を表明しました。が、自分が統治しているときは100年間も自分の好む人物を一方的に独裁的に任命してきたイギリスが、今さら恥ずかしげもなく民主主義の心配をするなどというのは、笑止千万でしょう。
 またアメリカも、ニューヨークやオークランドその他の「オキュパイ・ムーブメント」を弾圧する仕方は香港の比ではありませんでした。催涙弾や胡椒弾はもちろんのこと、ゴム弾まで使用して、「オキュパイ・オークランド」に参加していたスコット・オルセンは頭蓋骨を割られて瀕死の状態に追い込まれました。
 最近でも、ミズーリ州ファーガソンでは、非武装の18歳の少年マイケル・ブラウンが警察に射殺された(8月9日)ことへの抗議運動が起きましたが、この弾圧ぶりもひどいものでした。たとえば8月20日には、取材していたジャーナリストまでゴム弾で撃たれたあと逮捕され投獄されました。このような弾圧にたいする怒りは 「ファーガソンの10月」と称する運動となっていまだに続いています。
 このようにアメリカの民衆弾圧ぶりはひどいものです。警察は軍隊式に重装備され、民衆を徹底的に弾圧していますが、このような弾圧ぶりをメディアはほとんど報道しません。そして香港「オキュパイ・セントラル」だけは、中国の一党独裁による民衆弾圧として、日本でも大々的に報道されています。これではアメリカによる中国包囲網工作にマンマと乗せられているとも言えないでしょうか。


 アメリカの民衆弾圧は国内にとどまるものではありません。その典型例が嘘をついて始めたイラク戦争ですが、チョムスキーによれば、イラク戦争が終わったあともイラク復興の土台となるはずの「普通選挙」をアメリカは徹底的に妨害しました。アメリカ資本がイラクの資源を自由にできる政権が誕生する見込みがなかったからです。
 イラクのみならずリビアやエジプトでも、「アラブの春」と言われる民衆運動が起きましたが、リビアにもエジプトにも民主主義は実現しませんでした。女性までも無料でも大学に行けたリビアは、「独裁者カダフィ大佐が自国民を虐殺している」という嘘がばらまかれて完全に破壊されました。そして今は混乱の極致です。
 カイロの「オキュパイ・ムーブメント」で有名になったエジプトも、イスラム同胞団の政権を良しとしないアメリカは、ペンシルバニア州のアメリカ軍関係の学校で訓練を受けたシシ将軍を裏で支援して、再びクーデターとなりました。そして今はシシ将軍が名ばかりの選挙で大統領になりましたが、実態は軍事独裁政権です。
 こうして、アメリカが支援した民主化運動のはずだった、これらのリビアもエジプトも、今では、「アラブの春」と呼ばれた民主化運動はCIAが裏で仕組んだ運動であり、民衆の決起を煽りながら、その果実をアメリカが摘み取るためのものであったことが、次々と暴露され始めています。そのもうひとつの実例がシリアです。
 シリアの場合も独裁者アサドを倒せという名目でアメリカは反体制諸派の武装闘争を支援しましたが、裏でその反体制諸派にお金と武器を支援してきたのは、独裁王制を維持しているサウジアラビアやバーレーンやアラブ首長国連邦です。他方、アサドはまがりなりにも選挙で選ばれた大統領です。
 しかしアメリカは、サウジアラビアなどの国内で徹底的な弾圧体制をしいている独裁王制を倒せとは言わずに、シリア転覆に血道をあげてきました。しかもシリアの「反体制派」と言われている勢力は種々雑多であり、その大半がイスラム原理主義勢力なのですから、アメリカの言う「民主主義」は何かが再び問われています。
 そのうえ、911事件以来、アメリカが手をつけたこれらの国で「民主主義」が実現されたところはどこにもありません。広がったのは流血と殺戮、破壊と混乱のみです。イラクに至っては国家としての存在すら危ぶまれています。もともとネオコンと言われるひとたちが狙っていたのは中東地図の書き換えだったのですから、当然のことかも知れません。
 そのもう一つの証拠は、香港やウクライナの民主化を支援すると称して、たくさんのNGOが現地になだれ込み、大量のお金を注ぎ込んで体制転覆を謀ってきたのですが、しかし不思議なことに、アメリカ民主主義基金NEDを初めとするNGOは、中東の王制独裁国家のどこにも姿を見せないのです。


 だとすれば、香港の「オキュパイ・セントラル」も中東やウクライナと同じ結果に陥る危険性は十分にあります。むしろ中国を破壊と混乱におとしいれることこそ、アメリカの狙いだとも言えます。というのは、最近のIMF発表では(10月7日)ついに中国はアメリカを抜いて世界一の経済大国になったからです。
 そのうえ中国は、ブラジルで最近おこなわれたBRICSの会合で、ロシアと協力してIMFやWB(世界銀行)に代わる新しい金融機関を設立すると発表しました。これをアメリカがそのまま放置するとは考えられません。あらゆる手段を講じて中国の経済的政治的影響力の拡大を阻止しようとするでしょう。
 香港の「オキュパイ・セントラル」にたいする支援もその一貫であり、ウクライナのクーデターもその一貫であったと考える方が、むしろ自然です。
 これは香港の「オキュパイ・セントラル」に参加している若者たちの「民主化を求める純粋な気持ち」とは全く無関係のことです。アメリカは「アラブの春」で同じように若者の純粋な気持ちを利用して自分の覇権を維持しようとしてきたのですから。
 ポーランドの民主化運動でも同じ光景が展開されました。まだソ連政府が健在だったころ、ワレサ氏は独立自主管理労働組合「連帯」の指導者として頭角を現し、東欧では先頭を切って「自由選挙」「普通選挙」が実施された結果、ついに大統領になりました。
 しかし、そのワレサ氏が実現した政策は、アメリカの望む規制緩和=自由化・民営化であり、結局マンデラの南アがたどったと同じ「市場原理主義の跋扈する社会」であり、アメリカ資本が自由にふるまい貧富の格差が拡大する社会、一部の新興財閥だけが豊かになる社会でした。これが「普通選挙」がもたらした社会でした。(ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』第9章)
 あとで分かったことですが、ポーランドの独立自主管理労働組合「連帯」は、裏でローマ法王やアメリカの労働組合連合AFL-CIOなどから資金援助を受けていました。しかもこれはCIAが「連帯」を支援していることが分かってしまうとワレサの人気はガタ落ちしますから、バチカンや労働組合による援助だということにしたのでした(田中義晧『世界の小国――ミニ国家の生き残り戦略』)。
 <これら両国 [レーガン政権のアメリカ、ローマ法王のバチカン] にとっての第一の課題はポーランドの「連帯」運動を存続させることであり、このために援助に乗り出したのだ。すなわち、大量の物資・機材、たとえばファックス、印刷機、、無線機、電話機、短波ラジオ、ビデオ・カメラ、コピー機、テレックス、コンピューターなどが司祭、アメリカの秘密工作員、米国労働総同盟・産別会議(AFL-CIO)などによって作られたネットワークを通じて、密かにポーランドへ持ち込まれたのである。こうして「連帯」は地下メディアを通じてビラや地下新聞を流布させ、送信機を用いて当局のラジオ・テレビ放送に介入し、着々と民衆の支持を獲得していった。p.80>


 私がこのことを知るきっかけは、NHK-BSの番組で「二正面作戦」というドキュメンタリーを見たからです。それによると当時のアメリカは、一方でソ連をアフガニスタン戦争に誘い込んで軍事的経済的に消耗させ、他方では手漉きになった東欧でソ連から離反させる運動を裏で支援するという作戦を実行していました。
 この作戦はみごとに成功し、アフガニスタンで消耗したソ連が崩壊しました。それと併行してポーランドでは独立自主管理労働組合「連帯」が勢力を拡大して、ワレサ大統領の誕生となったのでした。ソ連はアフガニスタンで勢力を奪われ、財政的にも疲弊して、東欧に手を回せなくなりました。
 この作戦を裏で企画・指導した大統領補佐官ズビグニュー・ブレジンスキーはフランス紙『ヌーヴェル・オブゼルヴァチュール』で、「ソ連を崩壊させたのは俺だ」と自慢げに語っています。
「アフガンのイスラムはワシントンが作り上げた」
 しかも、そのインタビューでは、「ビンラデンなどのイスラム原理主義勢力を集めて訓練しアフガニスタンでソ連軍と戦わせた結果、アルカイダを生み出すことになったことについて、どう責任をとるのか」と尋ねられて、彼は「ソ連を崩壊させることと、どちらが大事か」と答えて、何ら恥じることを知りませんでした。
 [註:私は当時、東欧を旅行していました。その記録は拙著『国際理解の歩き方』に載せましたが、ワルシャワ大学の図書館前で熱烈なワレサ支持の学生と話したことも書いてあります(22~24頁)。しかし今となっては、ワレサも学生も(そして私も)CIAによって見事にだまされていたことが分かります。]


 要するに私がここで言いたかったことは、ポーランドでワレサが民主化を求めて闘った運動は「アメリカによって仕組まれた罠」にマンマと取り込まれたとも言えるわけで、同じことは香港の「オキュパイ・セントラル」でも生じる可能性があるということです。
 ですから、アメリカ資本の様々なNGOから支援を受けていることを知っていて活動している者は論外としても、それを知らないまま純粋な気持ちで「雨傘革命」に情熱を注いでいる若者には、ワレサと同じ運命が待ち受けている可能性があります。
[註:香港で活動するNGOには、たとえばthe National Endowment for Democracy (NED), National Democratic Institute (NDI), National Republican Institute, Ford Foundation, Carter Center, Asia Foundation, Freedom House, Soros's Open Societyなどがあります。]
 したがって真の意味で香港を民主化したいのであれば、まずこれらアメリカ資本のNGOを香港から追い出したうえで活動すべきでしょう。さもないと若者の運動も一般民衆から真の信頼を得られないでしょう。
 それどころか、中国もウクライナと同じ混乱・内乱に追い込まれる恐れがあります。リビア、シリア、イラク、アフガニスタンの混乱も根っこは同じです。これは中国の民衆にとっても世界平和にとっても最大の不幸となるでしょう。
 アメリカは「普通選挙」が存在する国ですが、世界中に軍隊を派遣して6大陸120数カ国で破壊と殺戮の種をばらまいています。そのなかで何万人ものひとが命を失い、何百万人ものひとが難民になっています。
 たとえば、イラクは半ば瓦礫状態であるにもかかわらず、いまだに内乱状態は終わっていません。第1次湾岸戦争(1990)から2012年までに、イラクだけでも330万人の人が殺され、そのうちの75万人が子どもだと言われています。
 そのうえアメリカが育てた原理主義勢力が今は「イスラム国家」を名乗り、シリアまで殺戮が拡大しています。独裁者と言われたフセイン大統領ですら、こんな馬鹿げた破壊と殺戮はおこないませんでした。


 チョムスキーは、ナチスや軍国日本が裁かれた「ニュルンベルク裁判」=「戦争犯罪」の基準で判断すれば、「戦犯」として裁かれないアメリカ大統領は恐らく皆無に近くなるだろうと言っています。しかし一党独裁と非難されてはいても、今の中国はこのような犯罪に手を染めてはいません。
 たしかに中国は、名前は「社会主義」ですが実態は一党独占の「資本主義」国家です。幹部の腐敗もひどく貧富の格差は深刻です。これが鄧小平がシカゴ大学教授ミルトン・フリードマン氏を招いて学習した「新自由主義」の結果です(『ショック・ドクトリン』。ではアメリカはどうなのでしょうか。
 チョムスキーが繰りかえし述べているように、「二大政党制」と言っても「胴体が一つで頭が二つの怪物」がアメリカです。アメリカを支配した「新自由主義」の嵐は金融危機を引きおこし、平均的アメリカ人の生活は今や発展途上国に転落しつつあります。教育の貧困と破壊もすざまじく、「School to Prison」という用語を定着させているほどです。
 つまり、アメリカ=「自由主義」「普通選挙制」とは言っても政権トップの腐敗はとどまるところを知らず、軍産複合体は相変わらず健全なのです。政権トップが大企業の重役になり大企業の重役が政権トップに舞い戻るという「回転ドア」の仕組みは微動だにしていません。
 また世論調査の結果でも、世界の平和にとって最大の脅威はアメリカです。これもチョムスキーが繰りかえし述べているとおりです。今やその先頭に立って走っているのがオバマ大統領で、世界中に「宣戦布告なき戦争」を拡大し、相変わらず無人爆撃機で一般市民への殺戮を続けています。これは明らかな戦争犯罪です。
 このような犯罪をくい止める勢力は今のところロシアと中国しかありません。「化学兵器を口実にしたシリアへの爆撃」をくい止めたプーチンの努力はその一例にすぎません。
 だからこそ、いまアメリカは新しい「二正面作戦」を展開しているのです。一方ではウクライナ問題を利用してロシアを不安定化し、他方で香港の「オキュパイ・セントラル」を利用して中国を不安定化する戦略です。
 もしこの戦略が成功すれば、今は中東だけに限定されていた混乱や殺戮は、ユーラシア大陸全体に広がっていくかも知れません。それどころか元プリンストン大学教授ステファン・コーエン氏は、「ウクライナ問題を口実にアメリカがNATO軍と展開している戦争ゲームは、今や世界を核戦争5分前の状態に追い込んでいる」とすら述べています。
NATO's games with Ukraine bring world to 5 minutes before nuclear midnight- Stephen Cohen


 スノーデン氏が暴露したように、現在のアメリカはジョージ・オーウェル顔負けの監視国家になってしまっています。しかも、その監視は国内だけにとどまっていません。ドイツのメルケル首相の携帯ですら盗聴されていたニュースは、まだ記憶に新しいはずです。
 そのような国家犯罪を暴露したのがスノーデン氏でしたが、オバマ氏は彼の南米への亡命を認めませんでした。そこで氏はやむなくロシアに留まらざるをえなくなりました。それを認めたプーチンのロシアを、許しがたい存在として攻撃を始めたのが、今回のウクライナ危機だったことは、すでに何度も述べたとおりです。
 旧東ドイツの秘密警察(シュタージ)の活動は、いかにも恐ろしげに語られていますが、同じことをアメリカがしていても、不思議なことに、声を荒げてそれを非難する声を大手メディアからあまり聞いたことがありません。そして聞こえてくのは香港の「オキュパイ・セントラル」を中国政府が弾圧しているという話ばかりです。
 旧東ドイツの秘密警察(シュタージ)は、全国民に関するあらゆることを把握するためには手段は選びませんでした。個人に対して誰が家を訪ねてきたか、誰に電話をかけたか、配偶者が異性と関係を持っているかどうかまで把握していたと言われています。しかし、アメリカNSAは今や全く同じことをしているにもかかわらず、中国にたいする批判はあってもオバマ批判はほとんど聞こえてきません。
 アメリカには1917年にできた「スパイ防止法」がありますが、この法律によって逮捕されたひとは、1918年に反戦を訴えて国外追放されたエマ・ゴールドマン女史を始め、数人しかいませんでした。ところがオバマ大統領になってから、この法律で投獄されたり投獄されそうになったひとの数は激増するのみです。
 一般市民がイラク戦争で殺されている映像をウィキリークスに漏洩させたとして投獄されている陸軍兵士ブラッドリー・マニング氏は、その典型例ですが、国家犯罪を内部告発したCIAやNSAの高官を次々と逮捕・投獄するオバマ氏の行動は、旧ソ連や旧東ドイツも舌を巻くほどの不気味さではないでしょうか。
 (たとえば元CIA職員キリアコー氏や元NSA高官ウィリアム・ビニー氏など、その例はいくらでもあげることができます。)
 その一方でアメリカでは、デトロイト市民が貧困のため代金を払えず水道を切られ、「水への権利は人権・生活権の問題だ」として国連に訴えるという騒ぎまで起きています。世界で一位二位を争う経済大国が、まるで発展途上国の様相を呈しているのです。
 また60年代の公民権運動でかちとられた選挙権も、いま新たな巻き返しが起こり、黒人を中心とした貧困層から選挙権が奪われる州が次々と拡大しています。南北戦争のあと黒人議員が誕生したのに、しばらくしたら議員どころか選挙権すら奪われたころと似ています(『肉声でつづる民衆のアメリカ史』)。
 ですから、消費者運動の旗手ラルフ・ネーダー氏がオバマ大統領を「コンマン(詐欺師)」と呼び、映画監督オリバー・ストーン氏が「羊の皮をかぶった狼だ」と断じているのも、ある意味で当然とも言えます。
 それどころか、ハーバード大学やプリンストン大学で教鞭をとり、今度の「ファーガソンの10月」の行動で逮捕された黒人教授コーネル・ウェスト氏は、オバマ大統領を「戦争犯罪人」と呼び始めたくらいです。このようなオバマ氏を大統領として選んでいるのが、アメリカの「普通選挙」制度なのです。


 ですから日本の「進歩的」と目されるひとたちが、香港における民主化=普通選挙を求める闘いを支援する場合、アメリカのグローバル戦略をきちんと見据えた慎重な対応をしなければならないのではないでしょうか。
 そのひとたちの善意を私は疑うものではありませんが、ただ、その善意が意図せずして中東の惨劇をユーラシア大陸全体に拡大することにつながり、今は経済的に凋落しつつある超大国=チョムスキーの言う Rouge State(ならず者国家)に再び活力を与える契機になるのではないかと恐れるからです。
 戦後、アメリカが超大国としてのし上がる契機となったのも、先の二つの大戦で疲弊したイギリス、フランス、ドイツを尻目に、アメリカが漁夫の利を得たからに他なりません。だとすれば私たちは、「地獄への道は善意のバラで敷き詰められている」という有名な格言を、ここで改めて噛みしめてみる必要がありはしないでしょうか。


 まだまだ書きたいことがかなり残されているのですが、ここまで書いてきたら力尽きましたので、いったん筆をおくことにします。この拙論がアジアの平和に少しでも役立つことを願っています。
 私が参照した英語の文献は以下のとおりです。気力と体力そして時間的ゆとりがあれば、その幾つかだけでも翻訳したいのですが、いまはそのゆとりがありません。
 ただし*印がついたものは、『アジア記者クラブ通信』2014年10月号に翻訳が載せられています。参照していただければ幸いです。


Thousands join Hong Kong anti-Occupy protest (17 Aug 2014)
Pro-Beijing protesters come out against Occupy's plans to paralyse city centre with mass sit-in over election processes.
http://www.aljazeera.com/news/asia-pacific/2014/08/hong-kong-occupy-protest-20148178541119961.html
*Hong Kong's ‘Semi-Autonomous Democracy’ is still a leap forward(September 30, 2014)
http://rt.com/op-edge/191824-hongkong-rally-conflict-protests-violence/
US Openly Approves Hong Kong Chaos it Created (September 30, 2014)
http://www.globalresearch.ca/search?q=Ming+Chun+Tang
Occupy Central: Hong Kong's Fight against Neoliberalism(September 30, 2014)
http://www.globalresearch.ca/occupy-central-hong-kongs-fight-against-neoliberalism/5405426
US Now Admits it is Funding “Occupy Central” in Hong Kong (October 01, 2014)
http://www.globalresearch.ca/us-now-admits-it-is-funding-occupy-central-in-hong-kong/5405680
Hong Kong's “Occupy Central” is US-backed Sedition(October 01, 2014)
http://journal-neo.org/2014/10/01/hong-kong-s-occupy-central-is-us-backed-sedition/
The 'Umbrella Revolution' and Secessionist Political Contagion in China (I)(October 3, 2014)
http://orientalreview.org/2014/10/03/the-umbrella-revolution-and-secessionist-political-contagion-in-china-i/
*The 'Umbrella Revolution' and Secessionist Political Contagion in China (II)(October 3, 2014)
http://orientalreview.org/2014/10/03/the-umbrella-revolution-and-secessionist-political-contagion-in-china-ii/
On Occupy Central and the NED, Hong Kong Should Decide Its Own Fate(October 3-5, 2014)
http://www.counterpunch.org/2014/10/03/on-occupy-central-and-the-ned/print
Hong Kong “Occupy Central” Protest Scripted in Washington. Leaders Mislead Grassroots
(October 5, 2014)
http://www.globalresearch.ca/hong-kong-occupy-central-protest-scripted-in-washington-leaders-mislead-grassroots/5406352
Hong Kong Strikes Back – West Attempts to Spin Growing Anti-Occupy Movement
(October 05, 2014)
The US Grand Strategy for Eurasia: Hong Kong's 'Umbrella Revolution' and Secessionist Politics in China(October 05, 2014)
http://www.globalresearch.ca/the-us-grand-strategy-for-eurasia-the-umbrella-revolution-and-secessionist-political-contagion-in-china/5406379
'Another Tiananmen Square in Hong Kong'-would be victory for US(October 06, 2014)
http://rt.com/op-edge/193544-china-usa-hongkong-protests-confrontation/
Hong Kong Protests: Now the Hard Part, Kick out the US, Build National Consensus
(October 07, 2014)
http://www.globalresearch.ca/hong-kong-protests-now-the-hard-part-kick-out-the-us-build-national-consensus/5406676
Operation 'Occupy Central'(08.10.2014)
http://rt.com/shows/crosstalk/194064-china-beijing-hongkong-relations/
Hong Kong Protests: Why Imperialists Support 'Democracy' Movement (October 08, 2014)
http://www.globalresearch.ca/hong-kong-protests-why-imperialists-support-democracy-movement/5407032
Accusing Hong Kong Activists of Being Tools of US Policy is Both Ignorant and Dangerous
(October 9, 2014)
http://zcomm.org/znetarticle/accusing-hong-kong-activists-of-being-tools-of-us-policy-is-both-ignorant-and-dangerous/
Hong Kong's “Occupy Central” Fooling No One (October 11, 2014)
http://www.globalresearch.ca/hong-kongs-occupy-central-fooling-no-one/5407471

<以下は、日本語で読める文献です> 
チャベス政権 クーデターの裏側
*ドキュメンタリー賞記録映像(パワーズピクチャーズ、アイルランド2003年)
東ヨーロッパ 「民主化ドミノ」の舞台裏
トロイの木馬:米国民主主義基金(NED)
アメリカ民主基金(NED)という名の工作機関
エジプトの実力者シシ将軍のプロフィール
ブレジンスキー「アフガンのイスラムはワシントンが作り上げた」
キエフのクーデターに協力したポーランド政府、元大統領ワレサの現在
チョムスキー「なぜアメリカとイスラエルが平和への最大の脅威なのか」
オリバー・ストーン「オバマは羊の皮をかぶった狼」―化学兵器騒動の裏側
香港返還の日、雨傘は役に立たなかった-香港人と中国人のミゾを埋めるには
中国が世界最大の経済大国に、「China as No.1」を完全スルーした日本メディア
イラク人330万人の死-米英によるジェノサイドの22年 (翻訳は『アジア記者クラブ通信』10月号21頁)

お「マスコミに載らない海外記事」にも関連情報が載っています。


<追記> 香港の問題は、香港だけを見ていても理解できない複雑さを抱えています。アメリカの国家戦略は世界的規模で進行していますから。
 その一例は「イラン・コントラ事件」です。アメリカはフセイン大統領をけしかけてイランと戦争させると同時に、イスラエルを通じてイランに武器を売却し、その資金で中米のニカラグア左派政権をつぶすべく反共ゲリラ「コントラ」に武器を供与していました。
 しかもフセインが「イラン・イラク戦争」で使ったとされる化学兵器もアメリカがイラクに与えたものでした。つまり「事実は小説よりも奇なり」なのです。このような地球を一周するような作戦は凡人の理解を超えています。
 それはともかく、香港の問題は、「イラン・コントラ事件」と同じように、地球を半周したウクライナ情勢と深く連動しています。ですからウクライナ危機を理解していないと、香港問題の本質は見えてきません。
 だとすればウクライナ問題についても詳しく解説しなければならないのですが、すでに体力が尽きています。とはいえ、ウクライナ危機については、すでにこのブログで何度も論じているので、そちらを参照していただければ幸いです。(2014/10/23)

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映画『鶴彬―こころの軌跡』と第3回「高松歴史街道フェスティバル」 

総合文化(2014/10/09)
『鶴彬―こころの軌跡』ビデオ『鶴彬―こころの軌跡』映画制作の記録
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 体の調子が思わしくないのでカテーテル検査のため二泊三日の検査入院しました。幸いにも再びバイパス手術をしたりステントを入れたりしなければならない箇所は見つからなかったのですが、体重が激減して仕事をする気力体力が出てこない原因は不明のままです。
 それはともかく、それやこれやでなかなかブログを書く力が湧いてこないのですが、放置しておくと、どんどん記憶から消えて行くので、今回は、映画『鶴彬(つる あきら)こころの軌跡』と第3回「鶴彬のふる里、高松歴史街道フェスティバル」について書くことにします。

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 さて今年のお盆に帰省した折、第3回「鶴彬のふる里、高松歴史街道フェスティバル」に参加しました。というのは、かほく市高松町(旧河北郡高松町)は、私の父母の墓がある能登半島(旧羽咋郡志雄町)へ帰省する途中にある街だからです。
 鶴彬については、まだ母が生きていた頃、生家に帰る途上の有料道路(高松パーキングエリア)で食事をしていた時ぐうぜん目にした「高松案内」に簡単な紹介があり、「そんな天才的川柳人が高松にいたのか」と小さな衝撃を受けました。
 衝撃を受けた理由はいくつかありますが、そのひとつは川柳で反戦歌を綴っただけで刑務所に入れられ、29歳のという若い人生を閉じなければならなかったという事実でした。しかも「川柳界の小林多喜二」ともいうべき人物が生家のすぐ近くにいたのにそれを私は今まで知らなかったのです。
 その紹介文には「彼の歌碑もすぐ近くにある」と書いてあったのですが、日本海側を走る有料道路ができてからは旧街道を通ることはほとんどなくなっていたので、歌碑を訪ねることもなく生家に帰ってしまいました。こうして私の記憶から鶴彬(つる あきら)のことはしばらく消えてしまっていました。

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 ところがある日とつぜん金沢から便りが岐阜に届き、鶴彬(つる あきら)の記憶が再び呼び起こされることになりました。というのは、鶴彬の映画をつくる予定だから援助して欲しいというのです。
 便りの送り主は私が高校教師をしていた頃の友人でした。彼は私の初任地=富来高校の同僚であり、生活指導・学級経営の研究会に私を誘ってくれた先輩でもありました。私が竹内常一という理論家や大西忠治という実践家を知ったのも彼のおかげです。
 後に彼は高教組教文部長になり組合運動の指導者になっていきましたが、私は途中で岐阜大学に異動し独自に英語教育研究会「記号研」をつくるようになりましたので、彼との関係は次第に疎遠なものとなっていました。
 しかも私はそのとき自分の組織する英語教育研究会の活動で忙しかったので、気にはしながらもカンパするため銀行あるいは郵便局に行くゆとりがとれないまま時間が過ぎてしまいました。ところがあるとき、映画『鶴彬―こころの軌跡』が完成したから見て欲しいという案内が届きました。
 会場は岐阜市繁華街から遠く離れた田舎の地にある老人保養センターの一室で、夕方から始まる上映会の集まりも閑散たるものでした。若者はほとんどいなくて老人や婦人が多かったように記憶しています。冬場も近かったせいか会場も寒々とした雰囲気が漂っていました。
 ところが映画を見終わったとき私はカンパの要請をしてきた板坂洋介氏に本当に申し訳ないという気持ちで一杯になりました。というのは、この映画で鶴彬(つる あきら)という人物の生きざまに心を大きく揺り動かされたからです。そしてこの映画づくりに何の貢献もできなかった自分に大きな後悔の念を覚えました。

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 それから私はきちんと鶴彬(つる あきら)について勉強しようと思い始めました。読んだ本は以下の三冊です。
* 深井一郎(1998)『反戦川柳作家 鶴彬』日本機関紙出版センター
* 木村哲也(編、2008)『鶴彬全川柳―手と足をもいだ丸太にしてかえし』邑書林
* 吉橋通夫 (2009)『小説 鶴彬―暁を抱いて』新日本出版社
 上記の深井一郎氏は金沢大学教育学部国文科の教授で、地元の研究者が鶴彬を取りあげて研究していることにとりわけ感慨深いものを感じました。
 また埋もれていた鶴彬を発掘するにあたって歌人・一叩人(いっこうじん)や作家・澤地久枝など多くの先人の血のにじむような努力があったことも知りました。
* 一叩人編『鶴彬全集』(初版:たいまつ社 1977年、増補改訂復刻版:復刻責任者=澤地久枝、1998年)
* 一叩人編『反戦川柳人・鶴彬―作品と時代』(たいまつ社 1978年)
 そして鶴彬(あきら)を知れば知るほど、たった五七五の十七文字で軍国主義政府を震え上がらせ鶴彬の生きざま、その川柳の凄さ・鋭さを、もっと世に知らせなくてはと思うようになりました。

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 作家・小林多喜二は『蟹工船』などの小説で当時の軍国主義日本を鋭く告発し、小説『一九二八年三月十五日』では当時の警察による過酷な拷問の実態を詳細に描写しました。しかし彼は、最後には特高に逮捕され拷問のすえ小説で描いたそのままの姿で死体になって牢獄から出てきました。
 それと同じように鶴彬も、何度も治安維持法違反で逮捕され、最後は豊多摩病院のベッドに縛り付けられたままその生涯を閉じました。赤痢にかかったからというのが理由だそうですが、殺すために赤痢菌をうつされたのか詳細は不明です。まだ29歳の若さでしたが、まさに鬼才としての生涯でした。
 いずれにしても鶴彬は、多喜二と同じように、国家にとっては生かしておけない存在であったことは確かでしょう。それほど彼の川柳=風刺は、時の政府の胸を鋭くえぐり、鋭く射抜くものだったのです。
 たとえば次の句は、イラクやアフガニスタンの戦場に送られた兵士の実状、その妻や親の(どうこく)を表した句だと言われても、何ら違和感が感じられないほどです。
   万歳とあげていった行った手を大陸においてきた
   手と足をもいだ丸太にしてかえし
   胎内の動き知るころ骨がつき

 とくに「手と足をもいだ丸太にしてかえし」の句は、名画『ジョニーは戦場へ行った』で描かれた世界、監督ドルトン・トランボが言いたかったことを、たった十七字でみごとに描写していると言えないでしょうか。
 また次の句も、日本の民衆運動の過去・現在・未来を暗示しているようで、私にとっては、一度読んだだけで忘れがたい句となりました。
   暁を抱いて闇にゐる蕾
   枯芝よ団結をして春を待つ

 ですから、鶴彬の生涯と彼の句を知れば知るほど、映画『鶴彬(つる あきら)』が自主上映運動でしか見られないというのが残念でたまらなくなりました。「早く映画をDVD化してほしい」「この映画をもっと多くのひとに見てほしい」と痛切に願っていたのは、たぶん私だけではなかったでしょう。
 ところが最近、やっと待望のDVD版が制作されたことを風の便りで知りました。しかし残念ながら調べてみても一般の書店やアマゾンでは購入できません。いろいろ問い合わせてみたら、「鶴彬を顕彰する会」で受け付けていることや下記サイトからも購入できることが分かりました。
「鶴彬―こころの軌跡」公式サイト
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<註1>  鶴彬を顕彰する会では、『鶴彬通信はばたき』を発行しています。「鶴よ、はばたけ!」という願いが込められているのでしょう。2014年5月現在、第16号まで発行されています。20頁だての実に充実した内容です。レイアウトも素人とは思えません。
────────────────────────────────────────
<註2> 名画『ジョニーは戦場へ行った』(原題: Johnny Got His Gun)は、ドルトン・トランボが1939年に発表した反戦小説で、ベトナム戦争最中の1971年、トランボ自身の脚本・監督により映画化されました。
 しかし鶴彬が「手と足をもいだ丸太にしてかえし」を発表したのは1937年、28歳の時でした。ここでも鶴彬の天才・鬼才ぶりがよく分かります。翌年1938年、鶴彬は官憲によって命を奪われましたが、これは国家総動員法が施行された年でもありました。
 ちなみに1933年、作家小林多喜二が築地署で拷問死させられたとき、奇しくも鶴彬と同じく29歳でした。軍国主義下の日本が才能ある若者の命を次々と奪っていったことを示す典型的事例ではないでしょうか。
────────────────────────────────────────
<註3> 実は、1953年のアカデミー授賞映画『ローマの休日』は、当時アメリカで吹き荒れた思想弾圧「赤狩り」で映画界を追放されたトランボが偽名で脚本したものでした。これもアメリカという国の実像を理解するために知っておいてよい事実だと思います。
 なお映画『ジョニーは戦場へ行った』は1971年のカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞しました。また小説『ジョニーは戦場へ行った』の一部はハワード・ジンが編集した『肉声でつづる民衆のアメリカ史』(明石書店)上巻の十四章に収録されています。

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 ところで、ここでもうひとつどうしても書いておきたい事実があります。それは映画の制作過程についてです。これは私にとって非常に慚愧に堪えない過去でもあります。
 というのは映画が出来上がってから、ロケ現地では高松町の浄専寺が監督たちの寝泊まりの場になったこと、板坂洋介氏がロケ現地では縁の下の力持ちになって奮闘していたことを知ったからです。
 これらのことをもっと以前に知っていたら!という思いが何度も私の頭に去来しました。というのは、先述のとおり板坂氏は私の初任校=富来高校での同僚であり、浄専寺住職の平野道雄さんは私が母校=羽咋高校で教えていたときの同僚だったからです。
 また神山征二郎(こうやま せいじろう)監督が岐阜の出身であることも、この時点で改めて再認識したのでした。考えてみれば私が高校教師のころテレビで感動した映画『ふるさと』も神山征二郎氏が監督したものであり、『ふるさと』の舞台はまさにダムで水没する岐阜県徳山村でした。
 ところが板坂氏から映画『鶴彬』の話があったとき、不思議なことに、私の頭ではこれらのことがひとつにまとまって明確に認識されていず、それらがバラバラに存在したようなのです。ところが映画が完成してからいろいろ情報が増え、そして初めて上記のことが明瞭にひとつの糸でつながったのでした。
 そして「鶴彬を顕彰する会」が発行する『鶴彬通信はばたき』第17号(2014/07/31)が届いて初めて、8月のお盆前後に「高松歴史街道フェスティバル」が開かれること、しかも今年は第3回目を迎えることも初めて知ったのです。そこでいつもは7月のお盆に帰郷していたのですが今年の墓参りは旧盆にすることに決めました。
 というのは、この「高松歴史街道フェスティバル」に参加すれば、とくに8月16日(土)午後から催される行事に参加すれば、額神社境内でおこなわれる万燈会(まんとうえ)を見ることもできるし、岐阜大学に赴任して以来ご無沙汰している板坂氏や平野さんにも会えると思ったからです。

────────────────────────────────────────
<註> これも不思議なことですが、『鶴彬―こころの軌跡』が長らくDVDにならなかったのと同じように、映画『ふるさと』(1983年)も長い間DVD化が実現しませんでした。文化庁優秀映画奨励賞など多数の賞を受賞し、主演の加藤嘉がモスクワ国際映画祭の最優秀主演男優賞を受賞した作品であるにもかかわらず、これがDV化したのは、やっと30年後、2013年のことでした。

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 私が「高松歴史街道フェスティバル」のメイン行事のひとつ「鶴彬 かほく市民川柳」 入選作品発表会の会場=中町会館に着いたときは、雨が降り出しそうな気配で、夕方6時からおこなわれる万燈会(まんとうえ)が見れるかどうか不安な空模様でした。
 会場入口で車椅子の義母をどうやって会館内部に連れて行こうかと思案していたとき、すぐ駆けつけて援助してくれた人物がいました。なんとそれが「今日ここに来れば会えるはず」と思っていた平野道雄さんでした。
 話しているうちに、平野さんはすでに定年退職し、浄専寺住職の仕事も息子さんに譲っていることが分かりました。さらに驚いたことには、息子さんは地元の金沢大学で博士号を取得し非常勤講師として数学を教えているだけでなく、大谷大学に入り直し僧職を継ぐ勉強をしたうえで浄専寺を切り盛りしているとのことでした。
 しかし、「鶴彬 かほく市民川柳」 入選作品発表会が終わり、そのあとに続くアトラクションが修了しても雨は強くなる一方で止みそうにありません。主宰者からも「雨のため万燈会を断腸の思いで中止させていただきます」と発表がありました。
 私としては、フェスティバル案内ポスターに「平和を願い命を落とした先人たちに思いを馳せ、9千個の送り火を灯します」と書かれていて、そこに載せられていた額神社の幻想的な写真を見ていただけに、残念きわまりないものがありました。
 とはいえ、もっと残念だったのは主宰者の皆さんだったはずです。というのは中町会館に飾られていた万燈には、「鶴彬 かほく市民川柳」に応募された句がすべてみごとな直筆で書き込まれていたからです。
 そこで平野さんの勧めもあって浄専寺に移動して、さらに積もる話しに花を咲かせることにしました。着いてみて驚いたのは、広い本堂が「原爆パネル展」の会場としても使われていることでした。さらに浄専寺を会場にして講演会やコンサートさらには「ブッダ・カフェ」など様々な催し物が企画されていることも、私の驚きを倍加しました。
 アメリカでは1960年代に黒人運動が大きなうねりとなって爆発し、ついに公民権を勝ちとることに成功したのですが、その大きな原動力のひとつが教会であったこと、その指導者としてメキメキと頭角を現したのが、モントゴメリーの教会に赴任したばかりの若きキング牧師(当時25歳)であったことは、意外に知られていない事実です。
 またローマ法王から「解放の神学」として弾圧の対象となりながらも中南米で貧者のために活動し続けた聖職者や修道士も、グアテマラやエルサルバドルなど多くの地でアメリカが裏で支援する独裁政権・軍事政権によって暗殺されました。ハイチで初めて民衆によって選ばれた大統領=アリスティド氏も、元司祭で「解放の神学」の熱心な実践者でした。
 日本の仏教界になぜこのような寺院や人物が出てこないのかと残念でたまらなかったのですが、すでに浄専寺でそのような動きが始まっていることを知り、今回の高松訪問で大きな収穫を得た思いがしました。なお浄専寺の活動はホームページで知ることができます。
────────────────────────────────────────
<註> ハイチ大統領アリスティド氏は、選挙で2回とも勝利したにもかかわらず、アメリカが裏で支援した軍事クーデターで、結局その任務を全うできませんでした。1度目は1991年9月の軍事クーデターであり、2度目は2004年2月の元軍人が多数参加した反乱でした。これもアメリカという国を理解するためには欠かせない事実でしょう。

────────────────────────────────────────
 最後にもうひとつだけ書いておかねばないのは板坂洋介氏のことです。私は「鶴彬 かほく市民川柳」入選作品発表会の会場で板坂氏に会えるものと期待していたのですが、探してもそれらしき人物が見当たりません。
 そう思っていたら平野さんが「板坂さんも来ていますよ」と指さしてくれました。その指先の向こうに白いあごひげを伸ばした人物がいました。なるほどそう言われれば髭のうしろにかつての面影を見ることができます。
 氏は映画『鶴彬―こころの軌跡』を撮影するとき現地スタッフの大黒柱として大きな力を発揮したと聞いていましたから、何も援助できなかった私は恥ずかしくて話をするのが少し後ろめたい気もしていました。
 が、妻や義母を連れて岐阜からわざわざ高松のフェスティバルに参加した私の姿を見て驚いたようすでしたが、私の手にしていた『鶴彬通信はばたき』を見て、「これも読んでくれているのか」と大いに喜んでくれたようだったので正直ほっとしました。
 金沢からわざわざ高松まで来て地元の行事を盛り上げるべく奮闘している彼を見ていると、「初任地の高校で初めて出会って以来、何らぶれることなく一貫して活動し続けているひとりの素晴らしい実践家」という、何とも言えない感慨が私の胸に湧いてきました。
 また「鶴彬 かほく市民川柳」入選作品発表会の会場には下記のようなひとたちが東京から参加していましたが、その世話をしているのが板坂氏のようなのです。
* 東京都新宿区「旧豊多摩病院」跡地近くに鶴彬の句碑を建てようと運動している「東京鶴彬顕彰会」の世話人代表
* 演劇『手と足をもいだ丸太にしてかえし―鶴彬の生涯―』を東京で上演しようと頑張っているグループ演劇工房のひとたち
* そして「レイバーネット川柳」の乱鬼龍氏
────────────────────────────────────────
 私たちが浄専寺で平野道雄さんと話をしていたら、ちょうどそこへ東京から来た上記のひとたちが板坂さんに連れられて挨拶にきました。「今からどこかで夕食を食べて金沢に帰るから、ちょっと挨拶を」ということのようでした。
 そこで私たちも夕食時に長居しては申し訳ないので、これを機に浄専寺をあとにすることにしました。駐車場まで行く途中、平野さんは境内にある鶴彬の句碑まで私たちを案内してくれました。句碑には次の十七字が刻まれていました。
 「胎内の動き知るころ骨(こつ)がつき
 この句は神山征二郎監督に選んでいただいたものだそうです。また、この句碑の除幕式には大勢の住民や県内外の川柳愛好家が参加し、監督神山征二郎・作家澤地久枝・俳優池上リョヲマ(映画では鶴彬を演じた)といった著名人の手で除幕されたそうですから、さぞかし平野さんも感無量のことだったでしょう。
 そして私の方は、夕闇のなかを金沢に向かう車の中で、「いま日本の右傾化が急速に進行しているときだけに、若くして倒れた鶴彬の苦闘と偉業を多くのひとにどう伝えたらよいのか」とひたすら思案していました。
 体の調子が悪く、なかなか時間がとれなかったのですが、今このブログを書くことによって、やっとその責任の一端を果たすことができたのではないかと思っています。このブログが鶴彬を知るためのささやかな刺激になれば望外の幸せです。
────────────────────────────────────────
<註> 来たる11月6~9日に東京で上演される『手と足をもいだ丸太にしてかえし―鶴彬の生涯―』の詳しい情報については語り部集団「木偶の坊」HPを御覧ください。

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浄専寺境内の句碑                       大阪衛受監獄跡地の句碑
鶴彬 浄専寺句碑 鶴彬 暁を抱いて闇にゐる蕾 
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<註> 今のところ鶴彬の句碑は、石川県(鶴彬の郷里)、岩手県(兄の孝雄氏が住んでいた盛岡に遺骨が埋葬された)、大阪府(徴兵中に反戦運動したというかどで大阪衛戍監獄に収監された)の三府県しかありません。
 ただし石川県の句碑は、生誕地喜多家・高松歴史公園・浄専寺境内および金沢市卯辰山公園の四カ所にあります。それぞれの句碑に刻まれた句は次のとおりです。
* 「可憐なる母は私を産みました」鶴彬の生誕地(1925年・16歳)
* 「枯芝よ団結をして春を待つ」高松歴史公園 (1936年・27歳)
* 「胎内の動き知るころ骨がつき」浄専寺(1937年・28歳)
* 「暁を抱いて闇にゐる蕾」金沢市卯辰山公園(1937年・28歳)

 ちなみに鶴彬は石川県河北郡高松町(現かほく市)生まれで、本名は喜多一二(きた かつじ)。生家は現在、喜多義教氏が住んでいます。

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狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

Author:狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

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