チョムスキー「世界の誰もが知っている: アメリカは世界最強=最悪のテロ国家だ」 

平和研究、アメリカ理解(2014/12/24)
────────────────────────────────────────
CIAによる拉致・拷問の世界地図
CIA拷問 世界地図 cia-rendition-map3
http://www.washingtonpost.com/blogs/worldviews/wp/2013/02/05/a-staggering-map-of-the-54-countries-that-reportedly-participated-in-the-cias-rendition-program/

────────────────────────────────────────
 アメリカ上院情報委員会は、12月9日、CIA調査の主要部分を編集した500頁の要約を公表しました。これにより9・11同時多発テロ以降の米国の拷問プログラムの生々しい詳細が明らかになり、改めてアメリカの蛮行が世界中で話題になりました。
 ドイツでも、ベルリンの人権団体がジョージ・W・ブッシュ政権の拷問プログラム立案者たちに対し、刑事告発を行いました。「欧州憲法・人権センター(European Center for Constitutional and Human Rights)」は、ジョージ・テネット元CIA長官、ドナルド・ラムズフェルド元国防長官はじめ、ブッシュ政権の高官たちを戦争犯罪で告訴し、ドイツの検察官による即刻の調査を要求しています。
 ブッシュ政権高官たちにたいする戦争犯罪の告訴を一貫して拒否してきたオバマ大統領は、このような不利な状況を打ち破るためでしょうか、12月17日、50余年ぶりにキューバとの国交を正常化させると発表しました。これにはハバナの米国大使館開設が含まれ、両国間の囚人の交換も行われる予定です。また経済封鎖の解除も期待されています。
 しかしオバマ氏は、これとほとんど同時にロシアやベネズエラにたいする経済制裁を発表しています。このことを考えると、オバマ氏のキューバにたいする国交回復は、本当の国交改善を望んでいるかどうか、その真意が疑われます。下記の櫻井ジャーナルは、その裏舞台を鋭く分析しています。
「キューバにおける体制転覆」

 オバマ氏の真意を疑わせるもうひとつの事実は、世界最強の大国アメリカが一貫してカリブ海の弱小国キューバに、思わず目を覆いたくなるようなテロ攻撃を続けてきたという事実です。
 チョムスキーはこれを「マフィアの原則」と呼んでいます。「たとえどんなチンピラであろうが、マフィアのボスの許可なく行動するものがあれば、容赦なく制裁を加える」という原則です。「言うことをきかないものがあれば、見せしめに殺してもよい」「さもなければ他のものが言うことをきかなくなる」というわけです。
 この「マフィアの原則」をロシアやベネズエラに適用しているわけですから、自主独立の道を歩んでいるキューバが、この後も安泰であるはずがありません。では、アメリカはキューバや中南米に何をしてきたのか。以下のチョムスキー論文は、「世界最強=最悪のテロ国家アメリカ」の行状を、主としてキューバを例にしながら詳細に説明しています。
 同時にチョムスキーは、アメリカの政府だけでなくニューヨークタイムズを初めとする大手メデイアやアメリカ知識人がもつ典型的思考パターンを、改めて鋭く告発しています。(私には、国外におけるアメリカの行動が、国内で白人警官が丸腰の黒人を射殺しても無罪であることと鏡像関係になって見えます。)

────────────────────────────────────────
世界の誰もが知っている
アメリカは世界最強=最悪のテロ国家だ
ノーム・チョムスキー
http://www.telesurtv.net/english/opinion/Its-Official-The-US-is-a-Leading-Terrorist-State-20141020-0067.html

It's Official: The US is a Leading Terrorist State
国際世論の調査によれば、米国は「今日の世界平和にとっての最大の脅威」として、群を抜いて筆頭に位置している。二位のパキスタンを大きく引き離しており、他は足下にも及ばない。


 ロシア紙『プラウダ』のトップ記事が、諜報機関KGBに関する次のようなことを報じたと想像してみよう。
 <クレムリンが世界中でおこなっている巨大テロ作戦をKGBは再検討している。作戦の成否を生む結果になってしまった要因が何なのかを探るのが目的だが、不幸にも上手く成功を収めたものはほとんどなかった。それで、最終的には政策の再検討が妥当であると結論づけている。>
 さらに記事が次のように続いていたと想定してみてほしい。
 <プーチンはKGBに「反政府勢力に資金を渡したり武器を供給したりして実際にうまくいっている国がないか調査をしろ」と要求したが「大したものが出てこなかった」。だから、これ以上そんなことに精力を傾けることは、気が進まないようだ。>

プーチンがそんなことをしたり言ったりすることは、想像できないことだが、もしそのような記事が現れたとすると、アメリカの激怒と憤慨の叫びが天まで達することだろう。そしてロシアはこっぴどく非難されるか、もっと悪くすると[爆撃されるかも知れない]。
 なぜなら、そのような言動は、プーチンが今まで危険なテロリストだったことを自分でおおっぴらに認めてしまったことになるからだ。それだけでなく、プーチンの言動にたいするロシア政界の反応ぶりが、あまりにもひどいからだ。彼らはプーチンのテロ行為に何の関心も持っていない。関心があるのは、ロシアの国家テロがいかにうまく実施できたかどうか、テロの実践力が向上できるかどうか、だけだ。

上記のような記事が現れることは、ほとんど想像することすら難しい。ところが驚いたことに、実際にそういう記事が出たのだ。

ニューヨークタイムズ紙は10月14日、トップニュースで、CIAによる研究を報じた。それはホワイトハウスが世界中でおこなっている巨大テロ作戦についてCIAが調査しているという記事だった。
 その調査・研究は、テロ作戦の成否を生む結果になってしまった要因が何なのかを探るのが目的だが、成功を収めた例は不幸にもきわめて稀だったので再検討が妥当であると結論づけている、という。
 記事はそれに続けて、「オバマ氏は、反政府暴動をおこそうとしている連中に金品を渡したり武器を供給したりして実際に成功した事例がないか、それを見つけ出すべく調査しろとCIAに命令したが大した成功例が出てこなかった。だから、そんな努力を続けることにオバマは気が進まないようだ」と述べている。

しかし上記の記事には、オバマ氏のこのような言動にたいする激怒もなければ憤慨もなかった。何もなかったのだ。

この記事の結末は全く明瞭だろう。西側の政治風土においては、自由主義世界の指導者がテロリストであり、「ならず者」国家なのだ。またそのようなテロ犯罪における卓越ぶりを公然と宣言しても、それは完全に自然で適切なのである。さらに、ノーベル平和賞受賞者でリベラルな憲法学者が権力の座にあるからには、そのような行動をさらに効果的におこなってくれることにのみ関心を払うというのは、なおさら自然で適切なのである。

もっと詳細に記事を見てみると、いま述べた結論がますます確かであることが分かる。
http://www.nytimes.com/2014/10/12/opinion/sunday/end-the-us-embargo-on-cuba.html?_r=1#

ニューヨークタイムズ紙のその記事は「アンゴラからニカラグア、キューバまで」の米国の作戦を引き合いに出すことからはじまっているが、この記事で省略されていることを少し補ってみることにしよう。

アンゴラで米国は、当時の南アフリカ共和国の侵略活動に加担して、ジョナス・サビンビ(Jonas Savimbi)のUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)というテロリスト軍隊に決定的な支援を提供した。そして注意深く監視された自由選挙でサビンビが完敗した後も、米国は軍事支援をつづけた。
 それどころか、南アが支援を止めた後でさえ、米国は、この「権力をひたすら追い求め、自国民にひどい不幸をもたらした怪物」(イギリスのアンゴラ駐在大使マラック・グールディング(Marrack Gouldingの言)に支援を続けたのだ。隣国のコンゴ民主共和国の首都キンシャサにいたCIA支部長でさえ、「ザビンビの犯罪があまりにも広範囲だから、そのような怪物を支援するのは好ましくない。ザビンビは怖ろしく残酷だ」と米国政府に警告して、アンゴラ駐在大使グールディングの「怪物」発言を肯定していた。

アンゴラで米国支援の大規模で殺人的なテロ活動がおこなわれていたにもかかわらず、キューバ軍は南アの侵略者たちを国外に追い払い、不法占領していたナミビアからも退去させた。こうしてキューバ軍はアンゴラに選挙ができる道を開いたのだった。そのアンゴラでの大統領選挙でサビンビは敗北した。にもかかわらずサビンビは、ニューヨークタイムズ紙によれば、「投票が・・・完全に自由で公正なものだったとする800人近くの外国人選挙立会人の見解を完全に退け」、米国の軍事支援を得てさらにテロ戦争を継続したのだった。

アフリカ解放とアパルトヘイト終焉におけるキューバの功績について、ネルソン・マンデラは、ついに刑務所から解放されたとき、これを高く讃え、マンデラの制定した最初の法令のなかで次のように宣言した。「私が牢獄に繋がれているあいだ、キューバは私を鼓舞し、フィデル・カストロは常に私の心の支えだった。(中略)[キューバ軍の勝利は]白人の圧制者は打ち負かすことができないという神話を打破し、(そして)南アフリカの闘う大衆を激励した。(中略)キューバ軍による勝利が、アパルトヘイトの惨劇から、我が大陸を、我が人民を解放する分岐点となった。(中略)アフリカとの関係において、これほど大きな私心のなさを示してくれた国が、キューバの他にあっただろうか」

他方、テロリストの指揮官ヘンリー・キッシンジャーは、カストロの不服従に怒り狂った。あんな“小物”は“叩き潰す”べきだと考えていたからだ。これはウィリアム・レオグランデ&ピーター・コーンブラー著『キューバへの裏舞台』という本の中に記されている。最近の機密解除文書をもとにした傑作だ。

ニカラグアに話題を変えよう。レーガンのテロ戦争について詳しく述べる必要はない。レーガンのテロ戦争は、国際司法裁判所がワシントンに「軍隊の不正使用」――すなわち国際テロのことだが――を中止せよ、そして実質的な賠償金を支払え、と命令を下した後も、ずっと続けられたからだ。また国連安全保障理事会の決議で、すべての国家に(ということはつまり、これは米国のことを意味しているのだが)国際法を遵守せよと要求した(これにワシントンは拒否権を発動した)後も、レーガンのテロ戦争は続けられた。

しかしながらレーガンによるニカラグアのテロ戦争は、エルサルバドルとグアテマラでレーガンが熱狂的に軍事支援した国家テロほどには破壊的ではなかった。ニカラグアには、米国が指揮するテロ部隊に対抗するための自国の軍隊をもっているという強みがあったからだ(後に、CIA長官から「政治屋」=大統領になったブッシュ1世が、ニカラグアのテロ戦争をさらに拡大したのだが)。ところが隣国[エルサルバドルとグアテマラ]では、国民を襲撃するテロリストたちが、ワシントンによって武装され訓練された国軍だったから、国民には自分たちを守ってくれる部隊が存在しなかったのだ。  

あと数週間もすれば、私たちはラテンアメリカにおけるワシントンのテロ戦争を記念する大フィナーレの日を迎えることになる。つまりラテンアメリカの指導的知識人6人とイエズス会の司祭たちが殺された日だ。それはエルサルバドル軍のエリートテロ部隊アトラキャトル大隊によってなされたのだ。この大隊はワシントンによって武装され訓練されたもので、最高指揮官の明白な命令の下で行動していたのだ。そして一般人犠牲者の大虐殺という長い長い記録をともなうことになったのだ。

エルサルバドルの首都サンサルバドルのイエズス会大学で、1989年11月16日に実行されたこの衝撃的な犯罪は、テロという巨大な疫病の最終楽章だった。
 その疫病が南アメリカ大陸全体に広がったのは、ジョン・F・ケネディがラテンアメリカにおける米軍の任務を、「西半球の防衛」――こんなものは時代遅れの第2次世界大戦の遺物なのだが――から、「中米各国の国内の安全保障」に転換した後のことであった。
 「国内の安全保障」といっても、なんと驚くなかれ、じっさいは中米各国の国民に対する戦争を意味するものだったのだ。その悪影響については、1961年から1966年まで米国の対ゲリラ作戦および中米国内防衛計画を指導してきたCharles Maechlingが簡潔に描いている。
 すなわち、Maechlingは、ケネディの1962年の決定を、「エルサルバドル軍やグアテマラ軍の貪欲と残酷さを黙認する行為から、彼らの犯罪にみずから共謀・加担する行為へと、方向転換するものである」と述べた。言いかえれば、「ナチス親衛隊(SS)最高指導者ハインリッヒ・ヒムラーがつくった特務絶滅部隊の方法」を支援する方向へと転換したというのである。

しかし、これらの事実はすべては忘れ去られた。それは米国の支配層にとって「正しい事実」ではないからだ。

キューバでは、激怒したケネディ大統領によって、ワシントンのテロ作戦が開始された。キューバ人を罰するためだ。米国が実行するピッグズ湾侵攻作戦を挫折させてしまったからだ。
 歴史家ピエーロ・グレイジェシースPiero Gleijesesが書いたように、ケネディ大統領は「弟ロバート・ケネディ司法長官に、マングース作戦(Operation Mongoose)を監督するトップレベルの特別機関を指導してくれと頼んだ。」
 「マングース作戦とは、ケネディが1961年後半に開始した作戦であり、フィデル・カストロに“地球規模の恐怖”をお見舞いする準軍事行動計画だった。それは軍事訓練を施した亡命キューバ人をキューバ本土に派遣して経済活動を妨害・撹乱するなどの破壊活動をおこなわせ、カストロ政権を転覆しようとするものだった。」

 “地球規模の恐怖・テロ行為” 'terrors of the earth' という語句はケネディの同僚で歴史家アーサー・シュレジンジャーから引用したものであり、彼が書いたロバート・ケネディの準公式的伝記の中にあるものだ。ロバート・ケネディ(RFK)はテロ戦争を指揮する責任を割り当てられていたのだ。RFKはCIAにこう通告した。
 キューバ問題は「米国政府の最優先課題だ――他のすべては二次的だ」、カストロ政権を打倒する、つまりキューバに“地球規模の恐怖”をもたらす取り組みにおいては、「いかなる時間も、いかなる労力も、いかなる人的資源も、出し惜しみしてはならない」。

ケネディ兄弟が開始したテロ戦争は些細な問題どころではなかった。400人のアメリカ人、2000人のキューバ人、船足の速い船をもった民間人、そして年間予算5000万ドルが関わっていた。それらはマイアミのCIA支部によって運営され、中立法(Neutrality Act)に違反する行動だった。また、それは米国内でCIAの作戦を禁止する法律にも違反していた。作戦には、キューバのホテルや工業施設の爆撃、漁船の撃沈、農作物や家畜への毒物散布、輸出用砂糖の汚染などが含まれていた。これらの作戦のなかには、CIAが認可していないものもあったが、いずれにせよ、CIAが資金提供し軍事支援したテロ部隊によって実行された。アメリカが公式に敵と認めた相手には、そのような区別立ては無用だったのだ。

マングース・テロ作戦は、エドワード・G・ランズデール(Edward Lansdale)空軍少将を作戦立案者に指名し、ケネディ政権の総力を挙げてカストロを倒そうとするものだった。ランズデールは、フィリピンとベトナムにおいて、米国が実行するテロ活動で充分な経験を持ち合わせていた。マングース作戦を実行するための彼の予定表では、1962年10月に「大々的に反乱を開始し、共産主義政権を打倒する」ことを命じていたが、テロと破壊が政権転覆の土台を準備したとしても「最終的成功のためには、決め手となる米国の軍事介入が必要になる」という計画だった。

1962年10月は、もちろん近代史においては非常に重大な時だ。ニキータ・フルシチョフがキューバにミサイルを送ったのはその月だった。
 それがミサイル危機を勃発させ、不吉にも、地球を滅亡させる最終的核戦争に、あわや今一歩というところまで接近したのだった。
 しかし、今では、このような状態にフルシチョフを追い込んだのは、アメリカにも責任がある、というのが学会の通説になっている。フルシチョフが攻撃用兵器削減を要求していたことにたいして、ケネディが米国の軍事的優位性を急速に拡大させ、武力において米国が圧倒的優勢になっていたからだ。
 また、もう一つは、米国がキューバに侵攻する可能性があったことへの懸念も、フルシチョフの行動を促した。
 何年も経ってから、ケネディの国防長官だったロバート・マクナマラは、キューバとロシアが攻撃を恐れるのはもっともなことだったと認めた。「もし私がキューバ人かソビエト人だったら、私だってそう考えただろう」。キューバミサイル危機40周年を記念する大きな国際会議で、マクナマラはそう述べたのだ。

政策分析の専門家として高く評価されているレイモンド・ガルトフは、米国情報局で長年の勤めた経験をもっている人物だが、その彼が次のように書いている。
 10月危機が噴出する前の週に、フロリダで活動している亡命キューバ人のテロリスト集団が、米国政府公認のもと、「キューバのハバナ近くのシーサイドホテルにたいして、高速モーターボートを使った大胆な機銃掃射攻撃をおこなった。そこにはソビエト軍の専門家たちが集合しているということが分かっていた。そして多数のロシア人とキューバ人を殺害した」。
 彼は続けて次のように書いている。
 この後すぐ、テロリスト部隊は、イギリスとキューバの貨物船を攻撃し、さらに再びキューバを急襲した。これらは10月上旬に規模を拡大した他の攻撃のひとつだった。そのうえ、11月8日には、キューバ・ミサイル危機がまだ解決せず、緊張の糸が張りつめているときだったにもかかわらず、米国から送り込まれたテロ・チームが、キューバの産業施設を吹き飛ばしたのだった。
 それはマングース作戦が公式に一旦停止された後のことだったのだ。
 フィデル・カストロは、「スパイ機が撮った写真」を手がかりに、400人の労働者がこの作戦中に殺されたと主張した。キューバ危機の終了後すぐに、カストロ暗殺計画と他のテロ攻撃が続けられた。そして近年ふたたびそれがエスカレートしてきたのだ。

今まで、テロ戦争のむしろ端役的なものに注目が集まっていた。他方、数多くのカストロ暗殺計画が企てられ実行されたにもかかわらず、それは概してCIAの幼稚な悪ふざけとして片付けられている。それは別としても、起きたことのいずれも、[西側マスコミでは]ほとんど何の関心も論評も引き出してはこなかった。キューバ人への影響を調査する最初の英語で発表された本格的研究は、2010年、カナダの研究者キース・ボウレンダーKeith Bolenderによるものだった。彼の著書『相手からの声:キューバに対するテロの口述史』である。非常に価値ある研究だが、大手メディアからほとんど無視されている。

米国テロにかんする、今回のニューヨークタイムズ紙の記事で浮き彫りになった3つの事例は、氷山の一角にすぎない。それでもなお、ワシントンが殺人と破壊的なテロ攻撃に夢中になっていたこと、そして、このようなひどいことが政界やマスコミにとって何の関心も呼び起こさず何の重要性も持たなかったことを、このように彼らが公然と認めたことは、私たち民衆にとって有益である。それは、彼らがこのような行為を正常かつ適切なものとして受け入れていることを示すからである。要するに、米国はテロ超大国であるべきであり、したがって法律と文明的基準とは何の関係もない、というわけだ。

アメリカ人にとっては奇妙なことかもしれないが、このようなアメリカに、世界は賛同しないだろう。国際的調査機関WIN/GIA(the Worldwide Independent Network/Gallup International Association)によって1年前に公表された国際世論調査によると、「今日、世界平和にとって最大の脅威はどこか」という質問事項にたいして、米国はダントツの第一位であり、その遙かに下に第二位のパキスタンがいる。まして、その他の諸国はどれもア足下にも及ばない。(ただしパキスタン票が急増したのはインド人の投票によるものだろう。)

幸いにもアメリカ人は、この重要な情報を知らせてくれるメディアをもっていないので、毎日を心安らかに送ることができる。


<註> この翻訳は下記の寺島研究室HPにも載せてあります。写真入りのPDFファイルですから、こちらのほうが読みやすいかも知れません。
http://www42.tok2.com/home/ieas/translation_index.html
http://www42.tok2.com/home/ieas/Chomsky_US_Laeading_Terrorist_State.pdf
関連記事
スポンサーサイト

大学教育の「国際化」は、「創造的研究者」「グローバル人材」を育てるか、その3

英語教育、大学の「国際化」「英語化」(2014/12/15)
京都大学シンポジウム:大学教育の国際化とはなにか 「基調講演」184

 前回のブログでお知らせしたとおり、私の主宰する研究所の研究員(MK氏)のおかげで、京都大学国際シンポジウム「基調講演」の文字起こしができましたので、以下に紹介させていただきます。
 講演ではあらかじめ原稿に書いてなかったこともアドリブで話していますので、「文字起こし」原稿に誤字脱字など若干の手直しを加え、それを以下に載せます。この場を借りてMK氏に改めて御礼を申しあげたいと思います。


基調講演
大学教育の「国際化」は、「創造的研究者」「グローバル人材」を育てるか
国際シンポジウム「大学教育の国際化とは何か」
主催: 京都大学、人間・環境学研究科 学際教育研究部(2014. 11. 24.)


寺島隆吉
(国際教育総合文化研究所)


 ご紹介頂きました、寺島です。二、三日前に、腰痛・ぎっくり腰になって、椅子に座っていると辛いので、立ったままでお話させて頂きます。
 原稿を用意してありますので、それを読み上げる形でお話させていただきます。私は、原稿無しでしゃべり出すと止まらなくなって、話しがあっちに行ったりこっちに行ったりと収拾がつかなくなるので、原稿を読む形で基調講演をさせて頂きます。

*       *      *      *      *       *

このシンポジウムにお招き頂き、非常に光栄に思っております。以下、西山先生が冒頭で述べられた趣旨に沿って、私見を述べ、みなさんの参考に供したいと思います。

 さて、グローバル化の加速する現代世界において、留学生は年を追う毎に増加し、研究者の交流も年々活性化しています。これに加えて、西山先生も述べておられるように、「大学ランキング」の隆盛は、大学教育の市場化に拍車をかけています。

 こうして今や、大学の国際化は、教育者・研究者だけではなく、経済界の注視の対象ともなっているわけですが、「大学ランキング」の隆盛、大学教育の市場化ということは、教育がビジネス、すなわち利潤追求の対象、利潤追求の道具になっているということでもあるわけです。

 名著『民衆のアメリカ史』の著者であり、歴史学者として有名だった故ハワード・ジン氏は、かつて、「アメリカの大学はもう、ビジネス産業になってしまっている」と述べたことがありますが、今や日本の国立大学でさえ、法人化されてからは、経営中心のビジネス産業になりつつあります。その典型例が、コンビニ経営です。

 私が勤務していた岐阜大学も、大学生協でほとんどの物が買えるのに、新しくコンビニ店を構内の正門近くに建てて、営利・儲けを主目的にする経営を始めました。

 私が国際会議で北京師範大学を訪れた時、大学構内に銀行やホテルやレストランなど、様々な店があって、大学は儲けを主目的にした様々な建物・施設を持っていることに驚かされました。社会主義を標榜しているはずの中国の、その国立大学でさえこのような状態なのですから、資本主義・日本の大学が、ビジネス化していくのは当然なのかもしれません。

 このように、大学が教育・研究を中心とする機関ではなく、経営を中心とする機関に変わりつつあることは、組織編成の在り方にも現れています。今まで岐阜大学は、学部教授会と全学評議委員会が大学の機関組織であり、学長がその組織のまとめ役でした。今は学長と理事会あるいは経営評議会が巨大な権限を振るい、元の全学評議委員会は 教育研究協議会という地位に低められてしまいました。しかも小さな地方大学なのに、驚いたことに8人もの副学長がいるのです。
 このように現在の大学は、文科省の指導によって民間会社と同じように、階層構造を何重にもして、経営重視の体制に変えられてしまっています。

 このような経営重視の体制と、学長の権限強化とは、1セットで進められています。民間会社では社長の権限は絶大ですから、このようなビジネス・モデルを法人化された国立大学にそのまま移植しようとしているのです。
 このような現象は、ずっと以前からアメリカの大学では典型的に現れて来ていましたが、チョムスキーは、「理事や副学長の数を増やして上意下達の体制を強化することが、州立大学の財政を圧迫して、授業値上げの原因を作っている」と批判しています。
 それと同じことを日本でもやろうとしているのでしょう。
 しかも、「授業料を値上げした分の多くの場合、学長や理事の給料の値上げに使われている」とチョムスキーは憤っています。「ビジネス・モデルは大学を駄目にする」というのがチョムスキーの意見です。

 このように大学は教育の場ではなく、営利ビジネスの場となりつつあるのですが、それに拍車をかけているのが、「大学ランキング」ではないでしょうか。ランキングで上位に位置し、大学名がブランド化すれば、学生がその大学に集中しますから、大学経営者としては、学生集めに苦労することがなくなるからです。外国からの留学生が来れば、ますます儲けが増えます。
 アメリカの州立大学の場合、州内の学生・州外の学生・国外の学生は、それぞれ授業料が異なり、国外の学生が一番授業料が高くなっているのが普通です。ですから留学生が増えることは大きな利潤をもたらします。だから、大学ランキングで「国際化=留学生比率」という指標が設けられていることは、アメリカの大学にとっては非常に好都合な訳です。
 また、「国際化=外国人教員の比率」という指標があることも、アメリカにとっては、非常に有利です。毎年のように、大量の留学生が流れ込み、優秀な留学生が博士号をとってそのまま大学教員として居残る確率が、最も高いのがアメリカだからです。

さらに頭脳流出の行き先として最優先的に選ばれているのもアメリカです。ナチスの迫害を逃れて多くの優秀なユダヤ人学者がヨーロッパからアメリカに流れてきて、今までヨーロッパ中心だった理論物理学を、一挙に、アメリカ中心に変えることになりました。ノーベル賞受賞者の中村修二、南部陽一郎、などの諸氏も、日本では居場所がないとして、アメリカに頭脳流出した人達です。
 こうして、外国人教員の比率という指標があることによって、ますますアメリカの大学は、ランキングの順位を上げ、そのブランド力で留学生を集めることができます。

 そういう意味では、この「国際化」という指標、すなわち「留学生の比率」「外国人教員の比率」は、アメリカの大学経営者にとって便利この上ない指標だと言えます。

 もう一つ、アメリカの大学の経営効果を上げるのに役立っている指標に、「論文の引用数」があります。その研究者の論文がどれくらい他の研究論文で引用されているかを示す数値です。
 しかし、引用されるのは英語で書かれた論文が圧倒的に多く、これもアメリカやイギリスの大学の経営者にとって圧倒的に有利ですし、英語話者の研究者にとっても、母語で論文を書けるわけですから、便利この上ない指標です。
 言い換えれば、アメリカやイギリスの大学ランキングは、高くなるように仕組まれた格付けシステムの中で、競争させられているのです。

 文科省から「世界ランキングが極めて低い」と声高に批判されている東大・京大の順位は、このようなデータを基にしたランキングです。文科省の、世界ランキング状況として提示されている資料を見ると、日本のランキングを引き下げている最も大き要因は、やはり「留学生の比率」「外国人教員の比率」その次が「論文引用数」です。しかも、これらはいずれも、アメリカとイギリスの格付け会社による数値だということにも留意すべきでしょう。

 しかし大学は本来、教育と研究が本分なのですから、基本的にはこの2つの指標だけで、評価されるべきでしょう。この2つの指標(教育と研究)で大学ランキングを計算し直せば、日本のランキングは急上昇するはずです。
 研究が優れたものであるなら引用数も上昇するはずですから、「引用数」という指標は不要なはずで、この指標を入れることによって、ダブル・カウントしているのと同じことになります。

 この指標のもっと矛盾が目立つのは、研究と引用数がしばしば逆転現象を起こしているという事実です。研究が優れたものであれば、引用数も上昇するはずなのに、実際の数値は研究の数値が高くて引用数が低かったり、また逆の場合もあったりと........。

 こんな不思議なことがなぜ起きるのか?『英語への旅』というフランス人が書いた本を読んでいて、その謎が解けました。なんとそこには、「引用数を増やすために、知り合いの研究者同士で引用しあって引用数を上げるという弊害も生じている」「今や、英語で発表し友人をつくるのが一番の仕事となりました」と書いてあります。

 今年ノーベル賞受賞者の3氏、赤崎勇、天野浩の2氏は名古屋大学、中村修二氏は徳島大学です。しかし名古屋大学は、アメリカの格付け機関では99位、徳島大学は初めから対象外で、載っていません。またイギリスの格付け機関では、名古屋大学は150位以内にすら入っていないのです。「世界大学ランキング」によっても、格付けがあまり信用できないものであることがこれで良くわかるはずです。だとすれば、政府・文科省は、こうした不公正で不確かな「世界ランキング」によって振り回されて大学に不要な圧力をかけるべきではないのです。

 ちなみに、格付け会社の評価がいかにいい加減なものであるかは、かつてトリプルA(AAA)で評価されていた超優良企業のアメリカ・エンロン社が、あっという間に破産しまった事実が示しています。「大学の世界ランキング」と言っても、この程度のものであると認識しておくべきではないでしょうか。

 それはともかく、政府・文科省は、国際化を断行する大学に高額の補助金を出すことに決めたわけですが、そのほとんどは旧制帝大・有名私立大学に集中しています。これでは、中小の大学の研究はやせ細るばかりで、地方に埋もれている宝を発掘できないまま捨て去ることになりかねません。
 例えば、頭脳流出した中村修二氏は徳島大学、山中伸弥氏も神戸大学出身で、大学院は大阪市立大学です。東大・京大に比べれば、超有名ではありません。田中耕一氏は東北大学出身ですが、島津製作所という企業で研究し、大学院を出ていませんから修士号すら持っていませんでした。

 こういった事実にもっと注目すべきでしょう。大学を能力別学級にして、エリートだけ育てるというのでは、長い目でみれば、結局、こういう貴重な人材をドブに捨てるということになりかねないのです。

 これに関して注目しておきたい事実があります。最近のノーベル賞受賞者は、赤崎勇、天野浩、小林誠、益川敏英の諸氏を見ればわかるように、名古屋大学に集中しているのです。これは、坂田昌一という有名な物理学者がいるのですが、坂田昌一研究室が、戦争直後に提唱した「名古屋大学物理学研究室憲章」というものがあって、その精神が物理学教室だけではなく、理学部・工学部の全体に広がっていった結果ではないかと推察されます。「このような学風のおかげで、研究室内に上下の隔てがない、自由な討論が保障され、そのことが自分達の研究の幅と質と深さを、広め・高め・深めた」と、益川敏英氏自身が述べているのです。
(坂田昌一氏は湯川秀樹氏との共同研究者で共著論文もたくさんあり、彼自身もノーベル賞級の物理学者だったのです。小林誠、益川敏英氏はその坂田氏の門下生でした。)

 だとすれば、政府・文科省は、「英語化」「留学生の比率」「外国人教員の比率」などといった「国際化」に無駄なお金とエネルギーを使うのではなく、研究者に自由な討論を保障する体制、自由な研究ができる財政的保障にこそ、財源とエネルギーを、精力を集中すべきでしょう。

ところが事態は全く逆の方向に向かっています。現在、多くの大学は、文科省の指導で、教員の自由な意見表明を抑え、学長の権限を強化することにのみにエネルギーが割かれ、教授会は単なる上位下達の機関になりつつあるからです。
 このような環境からは、独創的な研究も、グローバル人材も生まれて来ないのではないでしょうか。

 今年度のノーベル受賞者の赤碕氏も、「自分のやりたいこと、いつ結果が出るかわからない研究に打ち込むことができたことが、今回の受賞に繋がった」と述べているのです。今後このような自由な空間は生まれてこないのではないでしょうか。

 国際ランキングを上げるために、すぐ結果の出る研究にテーマを絞り、お互いに論文を引用し合う環境から一体どんな研究が生まれると言うのでしょうか。(このような風潮は理化学研究所のような論文捏造事件につながりかねない。)

  *          *          *           *

 さて、ヨーロッパでは確かに、1999年のボローニャ宣言に基づき、欧州高等教育研究空間が創設され、大学の「国際化」が進行しています。しかし、これはEUが一つの経済共同体・政治共同体であることに伴って、EU加盟国の教育制度も共同体にふさわしいものにしなければならない、という事情や要請がもたらしたものだと思われます。しかし、日本はこれと全く違った環境でありますから、「国際化」という名の下に、大学を「英語化」に追い込む理由や必然性は全くありません。

 教養部の時(教養課程)から英語漬けにすれば、辞書繰りに追われて学生達は疲弊し、むしろ学力は低下するのではないでしょうか。また日本語でたっぷり教養を身につける時間を奪われますから、国際人、あるいはグローバル人材になる土台が崩れてきます。苦労しながら原書を1冊読んでいる間に日本語では10冊から20冊本を読めるのです。

 ですから、結局、大学の英語化は、赤字解消の一環として「英語」や「英語話者」を輸出したいと思っているアメリカを利するだけです。(英語教師がこんな事を言ったら怒られるかもしれないですが。[笑])

 日本にTOEFLという高額商品を購入させ、英語で教える外国人教員を日本に輸出したいと思っているアメリカにとっては、絶好の機会なのです。

 先に紹介した『英語への旅』というフランス人(ビュス・エルヌフ)が書いた本には、次のような興味深いエピソ-ドが載っています。以下は要約です。
 <EUが拡大するにつれて、共通言語として「英語」が選ばれていった。これは「イギリス英語」を売り込み、英語教師として「イギリス人」を買わせる最高の商機だ、とイギリスは考えたが、結果としてEU各国が購入したのは「アメリカ英語」と「アメリカ人」ばかりで、まったく当てが外れてしまった。> (80頁)
 すなわちEUの場合、「加盟国が増えるにつれてアメリカ語とアメリカ人の売れ行きだけが良くなり、イギリス語とフランス語を衰退させることになった」というのです。

  *          *          *           *

 それはともかく、京都大学では、「外国人教員100人計画」に代表される「大学の国際化」が進みつつあります。しかし、外国人教員を採用し、共通教育の半分は英語による授業を開講する―そういったことで京都大学の「真の国際化」は進展するのでしょうか。

 今までノーベル賞といえば、すぐ京都大学が思い浮かんだものです。しかし、私は、「国際化」という名の「英語一極化」は、大学本来の使命を投げ捨てることになるだけでなく、今後は京都大学からノーベル賞は出ないのではないかと危惧しています。その証拠に、先述の通り、最近のノーベル賞は名古屋大学に集中しています。山中伸弥氏は、なるほど京都大学教授ですが、出身は神戸大学で、大学院は大阪市立大学です。

  *          *          *           *

 本質的には、研究力は「英語化」「国際化」とは何の関係もありません。研究力に関係あるものと言えば、むしろ「国語力」「数学力」でしょう。これらはいずれも<自然>と<社会>を読み解くための<基礎言語>だからです。
 ですから、大学を「英語化」「国際化」で競争に駆り立て、「世界ランキング」第何位に入るなどという目標で尻を叩いても、そのような競争から意味のある成果を期待できないことは、韓国が良いモデルになるでしょう。韓国は国を挙げて「英語化」を断行しています。が、未だにノーベル賞の受賞者は0(ゼロ)です。それどころか韓国では、「日本では母語で深い思考ができるからノーベル賞受賞者が続出している」という反省すら起きています。大学の博士課程も、母国語で行っている日本というのは、アジアでは希な存在なのです。
 
 赤崎勇氏や益川敏英氏など、歴代のノーベル賞の受賞者の多くは、留学すらしていません。益川氏は、「俺は英語はできないから」と言って、ノーベル賞の受賞講演を日本語で行って話題を呼びました。
 また、「好きな研究を好きなだけやらせてもらえたことが今回の受賞に繋がっている」と語った赤崎氏、彼も受賞のインタビューで、「英語よりも国語をやれ」と言っているのです。
 ですから、大学の公金を削って大学財政を危機に追い込みながら、もう一方で億単位の補助金をえさにして「国際化」を断行する大学を作らせるやり方は、今まで日本の大学が持っていた「豊かさ」を削り取り、大学教育を劣化させるだけでしょう。
 これは、「窮乏化する過疎地」とか「財政難に悩む地方自治体」を札束で誘惑しながら、原発を受け入れさせていったやり方と本質的には同じです。日本を危機に陥れる「亡国の道」であると私は思います。

 ですから、文科省が気にすべきなのは、「大学の世界ランキング」なのではなくて、「教育にかける公的割合・公費の割合の世界ランキング」こそです。なにしろ、公教育への支出は、OECDの31カ国の中で、日本は最低水準なのです。日本は30位で、その下にはイタリアがいるだけなのです。

  *          *          *           *

 そもそも「国際化」「グローバル化」とは、「人や物が国境を越えて自由に交流する時代になったこと」を意味するわけですが、「英語化」「アメリカ化」は、だから、<真の国際化>とは無縁なものです。

 今、世界は多極化しつつあります。最近ロシアが、中国やブリックス諸国と手を繋いで、世界銀行やIMFに代わる新しい国際的金融機関を作るという発表を行いました。更に、アメリカを追い越して中国が、世界経済第1位になったというニュースも流れました。
 しかもロシアからは、これまでの恣意的な格付け機関に代わる、新しい国際的な格付機関を設立するという動きすらも出ています。(ですから大学ランキングも作るならば、もっと真っ当なものにすべきだと思います。)
 つまり、ドルの一極支配が終わりを告げつつあるということです。英語の強さは、ドルの強さと一体になっています。そのドルの強さに翳りが見え始めているのです。にもかかわらず、日本の大学を英語一極化にするということは、このような世界の動きが見えない人材を育てるということです。これはグローバル人材を育てるという趣旨に逆行するものです。なぜなら、「グローバル人材」とは、「世界の動きが見える人」を指すはずです。世界がグローバル化しているからこそ、大学は多言語・多文化であるべきなのです。沈没しつつあるドル船と一緒に日本も沈没させられてはたまりません。

 最近、ポルトガルの人口2万人の小さな市が、中国語を小学校教育に取り入れるというニュースが流れましたが、このような判断のできる人のことを、「グローバル人材」と言うのではないでしょうか。

  *          *          *           *

 ところで、政府・文科省は、「外国からの学生・教員・研究者を受け入れるためにも、大学の英語化は不可欠だ」と言っています。しかし、留学生は、「どうせ英語で授業を受けるくらいなら、日本ではなく英語話者の国に行きたい」と言うでしょう。その証拠にアメリカにどんどん流れています。

 『英語への旅』(48頁)によると、ベトナムのホーチミン市に、フランス系の大学があるらしいのですが、最近、そこで講座を英語でやることにしたら、学生達は、アメリカ系大学へ鞍替えしてしまいました。これはベトナムで起きた現象です。

 留学生が日本に来たいのは、日本に興味があり、日本のことを知りたい、日本から学びたいと思っているからに他なりません。昔は日本の科学技術、今は日本の漫画やアニメを通じて、多くの若者が日本に興味を持っています。

 私が中国の旧満州国を訪れた時、大連でも長春でもハルビンでも、大学の日本語教師や
日本語学科の院生にお世話になりましたが、右傾化・軍国化する日本政府のせいで反日感情が強まっているはずなのに、日本文化や日本語に対する熱い情熱を感じました。

 考えてみるとそれは、宮崎駿氏らによる優れたアニメ文化のおかげなのです。先ほどお話した『英語への旅』の本によると、パリのオペラ座近くのカラオケ・バーでも、たくさんの若者達が、日本語字幕の付いたカラオケ画面を見ながら、大声で歌っている光景が見られるそうです。

  *          *          *           *

 同書(137頁)には、更に次のような記述があります。

しかも最近、パリ大学の国立東洋言語文化院で、日本語学科の生徒数が、再び中国語学科のそれを追い越しました。中国の経済力が伸びるにつれて、数年前から中国語学科の生徒数が日本語学科の生徒数を追い越していたのですが、結局は日本の文化(映画・文学・漫画・アニメ)が、中国の経済を押さえたのです。

 このように世界中で多くの若者が、日本語・日本文化に興味を持っているのにもかかわらず、英語だけで卒業する環境を創るというのは、留学生から日本語・日本文化を学ぶ貴重な機会を奪うことになるのです。
 日本語・日本文化・日本の科学技術を学んだ留学生が自分の国へ戻った時に、彼らは、日本の企業進出のために大きな戦力になってくれるでしょう。ですから、英語だけの授業で卒業できるようにするということは、留学生の祖国と日本を結ぶ貴重な人材を失うことでもあります。
 これは国益に反する行為であり、税金の無駄遣いです。日本政府は、日本文化がフランスで中国の経済を押さえているという事を知らないのかもしれません。
 ですから、日本政府は、予算をかけて日本の文化を保護すること、世界に輸出することに、あまり熱心ではありません。これは、フランス政府がとってきた姿勢とは正反対です。日本の政府の眼は、アメリカにしか向いていないのです。
 これは、外国留学に役立つからという理由で「TOEFLなどの外部試験を大学入試に入れる必要がある」という政府・文科省の主張とも符合します。しかしTOEFLは、アメリカ留学のために開発された試験ですから、外国への留学生を倍増すると言っても、その外国は第1にアメリカなのです。
 このようなことを考えると、政府が大学の国際化というのは表向きの理由であって、むしろ政府が心配しているのは、アメリカへの生徒の激減ぶりだったのではないか、「英語化」はそれを食い止める口実ではないか、とすら思えてきます。

 しかし、研究力は英語力でも留学でもないことは、先程述べたように、ノーベル賞受賞者の多くが留学経験すらないことからも明らかです。これはすでに何度も述べた通りです。
 中村修二、南部陽一郎の諸氏がアメリカに頭脳流出したのは、日本の大学に彼らのような異才を受け入れる度量と包容力がなかったからに他なりません。
 南部氏らがアメリカの大学で教えているのは、英語ができたからではありません。物理ができたからです。同じようにイチローがアメリカで活躍しているのは英語ができたからではありません。[笑]野球ができたからこそ、アメリカの大リーグでプレーができているのです。[笑] 英語はその後を追いかけてきたに過ぎないのです。

 にもかかわらず政府は、留学や英語力を煽り、国際化の名の下に外国人教員を輸入することに血道をあげています。その典型例が、先程述べられたように、「京都大学の外国人教員100人計画」です。
 しかし、これは日本の優秀な研究者100人が職を得る機会を失うことに導きます。これではますます頭脳流出が進むだけです。しかも、100人などと人数まで決めて採用するのですから、人数を満たすためには、優秀ではない外国人まで採用しなければならなくなります。[笑]
 さらにこの計画は、何年までにという期限付きなのですから、なおさら、アメリカの大学では採用されなかった人物を雇う機会も大きくなります。[笑]
 そもそも、優秀な外国人を欲しければ、公募して優秀な日本人と競わせれば済む話で、その方がはるかに公明正大で、京都大学の世界ランキングを高めるのに成功するでしょう。それはまた、優秀な日本人の頭脳流出を食い止めることにも役立つ訳です。

 2010年にノーベル化学賞を受けた根岸英一氏は、アメリカで学位をとって、日本に戻って日本の大学で仕事を探したのですが、結局どこも採用してくれなくて、やがてはアメリカに戻ってしまいました。

 上記の様な事態になるのは、「国際化」、すなわち「英語で授業」「外国人教員の採用」ということを最優先にしているからです。言い換えれば、外国から英語話者を輸入することがまず第一にあるからです。
 かつて貿易摩擦の解決策としてALT(外国人英語指導助手)を強制的に輸入させられたのも、同じ構造です。

 しかし、現場教師の強い反対を押し切ってALTをどれだけ輸入しても、日本の英語教育は良くなりませんでした。外国語学習では、授業時数やクラス・サイズが決定的な要因ですが、それを放置したまま、ALTの輸入だけを強行したのですから、当然の結果でもあります。
 また文科省は2002年度から、スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール(SELHI)というプロジェクトを立ち上げて、これもまた補助金を餌にして、全国の高校に立候補を呼びかけました。しかし、その成果はどうだったのでしょうか。このSELHIが成功していれば、今さら「指導要領」を改訂して、「英語の授業を英語で行う」などという新指導要領を作る必要もなかったはずです。

 今、大学で「スーパー・グローバル大学」という名の下に同じ愚を繰り返そうとしているのではないか、と私には危惧されます。
 授業で「難しいことを易しく説明するのは小学校の先生が一番上手い」「易しいことを難しく説明するのが大学教師だ」とよく言われますが、[笑] だから大学の教員は小学校の先生より、授業が下手なのだけれども[笑])、
 だとすると、高校で、日本語を使ってですら、上手く生徒に説明できない教師が、日本語で説明してもきちんと理解できない生徒を相手にして、英語で授業をしたら、どんな悲惨な結果になるか、想像に難くないでしょう。[笑]
 ところが今度は、大学で、国際化を理由に、日本語のできない外国人教員が、英語を速読すらできない学生を相手に講義する、それを学生が速聴しなければならない、これはまたどんな悲惨な結果が待ち受けているか........。[笑]

 先述の『英語への旅』(48頁)では、「マレーシアの大学でも、講座をマレー語の代わりに英語ではじめたら、学生の成績が悪くなり、中止されたという例もあります」と書かれています。同じことが日本でも起きる可能性が極めて大きいと私は思います。

  *          *          *           *

 私は家で連れ合いと話をしていて、お互いに些細なことを聞き違えて喧嘩になることがよくあるのです。で最後に、日本語ですらこういう状態なのだから、英語で授業したらどんなだろうと[笑]、大笑いして結局終わりになります[笑]。

 しかし、英語で授業を受ける生徒にとっては笑い事では済まない、深刻な事態です。[笑]
同時にこれは日本の未来を左右する重大事でしょう。にもかかわらず、政府・文科省は、このような愚策を強行しています。だからこそ、何か別の意図があるのではないかと疑いたくなるのです。

 政府・文科省を疑いたくなる理由のもう一つは、そもそもアメリカの大学は、留学するのに値するのかということです。その理由を述べます。
 OECD22カ国の学力調査があります。16歳から24歳を対象にした学力検査の結果、数学力は、イタリアが21位、アメリカは22位です。22カ国ですよ。22カ国の調査の結果です。[笑] 
 読み書き能力・リテラシーは、アメリカは21位、イタリアは22位、だからビリから2番目です。問題解決能力は、ポーランド19位、アメリカ20位、これは21位・22位がないのは、20カ国しか問題解決能力の調査には参加しなかったからです。

 平和学の創始者で有名なヨハン・ガルトゥングという人がいます。彼は招かれて、アメリカのあちこちの大学で教えた経験を持っている人です。その彼が、アメリカの大学は高校レベルだと言っているのです。博士課程だけは別格だけれども、修士課程も全然駄目だと。
 だから、もし留学するのだったら博士課程ならまだ許せるでしょう。けれども、日本の文科省が「留学倍増12万計画」と言っているのは、学部レベルの留学計画を言っているのです。
 しかも、日本人のノーベル賞受賞者19人のなかで、アメリカで博士号をとった人はたった3人しかいません。他の人は全くアメリカの大学院すら出ていない。アメリカの博士課程すら出ていなくてもノーベル賞を受賞しているのです。行く必要がないんですよ。母語で最高レベルの授業・研究を院生に教えて、ノーベル賞をとらせる力を、日本の大学は持っているのです。

 だから、留学、留学、という風に文科省が煽りたてるのは、僕は別の理由があるとしか考えられない。

 もう一つ理由を言います。
 現在のアメリカは毎日のように、どこかで銃の乱射事件が起きています。1日87件です。毎日どこかで人が殺されています。それも普通の市街地ではなくて、小学校から大学に至るまで、学校のような安全なはずの場所でさえ、日常茶飯事なのです。
 そのうえ高校や大学でのレイプ事件も後を絶ちません。女子学生の5人に1人はレイプされています。しかも、ハーバードやプリンストンのような有名大学でも、そういう事件が珍しくないのです。そのため、たまりかねて、バイデン副大統領を委員長にして、特別対策委員会すら立ち上げねばならい程、深刻な事態になっています。
 日本政府は、このような事実を知っていて、学生にアメリカ留学を勧めているのでしょうか。もし知らないで勧めているとすれば、極めて無責任ですし、知っていて勧めているとすれば、極めて悪質です。外国への留学生を倍増にして12万人にすると言っていますが、このままでは、アメリカ人の地で多くの日本人の被害者を出すことになりかねません。
 
 もう一つだけ、理由を言います。
 今アメリカの大学生の学費は、世界最高レベルなのです。金がかかり過ぎ。だいたい一人、2万5千ドルから10万ドルの学費が4年間でかかります。だいたい日本円で1千万円くらいの借金を背負って卒業するのです。ところがそれを返還できなくて、結局、身ぐるみ剥がれれて、路上生活している若者が増えているのです。しかも大学を出ても、最低賃金の就職口しかないのです。これがアメリカの現実です。
 そういう高い授業料を払えないからと言うので、今、アメリカからカナダへ流出している学生が続出しています。カナダのマギル大学という有名大学の4年間の授業料が、アメリカのジョージタウン大学の1年分なのです。だから、アメリカの大学から学生がどんどん逃げて行っている。その穴埋めに、日本人を送り込もうという訳ですか。どんでもない話しでしょう。
 だから、今の日本政府・文科省の言っている「国際化」「留学生12万倍増計画」というのは、信じがたい、何の根拠もない。私が「これは亡国の道だ」と言う理由は、こういう事実に基づいて言っている訳です。
 英語教師をしながらこんな事を言うと、どこか後ろから矢か何かが飛んできそうな気がしますけれども[笑]、これは敢えて言わなければいけない様に思います。
 
 最後に、もう一つだけ言わせて下さい。
 今、日本語で会話ができない学生が増えているんです。もうひとつ深刻なのは、日本語で会話できない学生だけでなくて、患者の症状が聴けない医者、歯医者、顧客と会話のできない弁護士、会計士が多くいるのです。ある大学の歯学部などでは、チュートリアル教育で、「どうやったら日本語で患者の悩みを聴いてあげられるか」という教育まで始めているという現状です。
 
 それから、高校入試で、日本語でのヒアリング試験が増えているのです。それくらいに日本語の学力が深刻だということですよ。そんな事態を放置しておいて、英語、英語という風に叫んでいる政府・文科省の真意が僕にはわかりません。だとすれば、「何か他の意図があるにちがいない」としか考えられないのです。そういう憶測の根拠を今まで述べてきたわけです。

 他にも色々と述べたいことはありますが、もう時間も過ぎているようなので、いったんここで切らせて頂きます。ありがとうございました。

<註> この記号[笑]は、聴衆からの笑いです。寺島先生が笑って話しているのではありません。念のため。


<寺島の註> すでに書いてあったが時間の関係で話せなかった元原稿に、アドリブで話したことを盛り込んだ講演増補版は、下記にあります。時間と興味がある方は、上記のものと比較していただければ幸いです。ただし時間の関係で話せなかった部分は、<註>として最後のNOTESに一括して載せてあります。
http://www42.tok2.com/home/ieas/kyoto-u.simpo.taka141124s.pdf


関連記事

大学教育の「国際化」は、「創造的研究者」「グローバル人材」を育てるか、その2

英語教育、大学の「国際化」「英語化」(2014/12/09)

私の主宰する研究所の研究員(MK氏)から、研究所「掲示板」あてに、京都大学国際シンポジウムについて下記のようなメールが届きましたので、紹介させていただきます。なおMK氏のおかげで講演の文字起こしができましたが、これについては次回で紹介します。


寺島先生(また皆さんへ)
 先日は、京都大学でのシンポジウム基調講演、ありがとうございました。ご苦労様でした。
 その後、お疲れは出てみえないでしょうか。腰痛の方はいかがですか。ずっと立ったままの講演でしたので心配しています。
 みなさん向けに講演全体の感想や概要についてすぐに知らせようとまとめていると、結局、録音していた講演記録を何度も聴くことになり、であれば、私のレジュメではなく、原稿起こしをした方が良いのではないかと思い立ち、時間がかかってしまいました。
 また、シンポジウム後の11月26日の朝日新聞の「耕論・オピニオン」には、寺島先生が説明してみえた益川敏英さんの記述も掲載されていて、その後に、その記事を書かれた記者の方が先生あてに「京都のシンポジウムに行くことができなくて残念でした」と書いてみえることを知り、ますます原稿起こしをする意味があるかと思いました(文字起こししたものは、別便・添付で送ります)。
 それはともかく、講演記録を20回以上聴き、考えながら文字に起こすことで、とても勉強になりました。話し言葉と書き言葉の違い、前提となっている事柄についての気付き、先生の原稿の構成の軌跡、などなど、母語である言葉であっても、講演についての内容理解、他者に伝えるための内容についてのまとめや判断を、自分の思考と照らし合わせながら追いかけていくことの難しさを感じました。
 また、こうしたことを外国語で行うならば、さらに認識や判断のずれが生まれるだろうということも強く感じました。
 また、当日のシンポジウムの場・空間の状況を自分なりに再構成・再体験することにより、寺島先生の主張について、より説得力と論理性を感じました。同時にレビューを自分で書いてみることの価値も感じました。
 すでにSMさんの感想が届いていたので、その報告にプレッシャーを感じながら、やっと脱稿できましたので、お時間のある方は、お読み下さい。

<基調講演について全体的な感想>
 寺島先生の基調講演の内容は、具体的な事実に基づいていて、説明が大変わかりやすく説得力を感じました。
 また、そうした諸事実に基づいた具体的な教育上の弊害の指摘から、具体的な実践を示唆されると思われる内容もたくさんありました。
 京都大学も文科省から半ば強制的に「国際化政策」を実施させられているのではないかとも思われ、文科省側と大学の現場にいる方々との「大学の国際化」に対する捉え方の決定的な違いが、教育と研究の双方についてとても危機的な状況へと進められてしまっていることを認識しました。
 この状況は中学・高校でも同じで、寺島先生の中等教育と高等教育との両方を視野に入れた熱意のこもった講演内容に、これまでの英語教育行政の在り方や現場での困難の理由が深く理解できました。
 京都大学の先生方も深く納得してみえる様子でした。該当大学の内部にいる人には発言しにくいことも、外部的な視点も含めて指摘されることで、現場での実践の在り方を相対化する視点が獲得できたように思われました。
 以下は、講演の内容から<私が特に納得し・感動し・驚いた論点>です。(文字起こし原稿から引用・再構成してあります。)


1 大学教育のビジネス化
(1)「大学ランキング」の隆盛は、大学教育の指標化に拍車をかけている。これは「教育」が「ビジネス」、すなわち「利潤追求の対象、利潤追求の道具」になっているということ。
 「アメリカの大学はもう、ビジネス産業になってしまっている」(ハワード・ジン氏)。今や日本の国立大学でさえ、法人化されてからは、経営中心のビジネス産業になりつつある。(典型例が、コンビニ経営)

(2)大学が教育・研究を中心とする機関ではなく、経営を中心とする機関に変わりつつあることは、「組織編成の在り方」にも現れている。
 経営重視の体制と、学長の権限強化とは、1セットで進められており、今は学長と理事会が巨大な権限を振るう。現在の大学は、文科省の指導によって、民間会社と同じように、階層構造を何重にもして、経営重視の体制に変えられてしまっている。
 (小さな地方大学でも、8人もの副学長がいる:理事や副学長の数を増やして上意下達の体制を強化する目的)

2 「ビジネス・モデルは大学を駄目にする」(チョムスキー)
アメリカと同様に、「ビジネス・モデル」を、法人化された国立大学にそのまま移植しようとしている。

(3) 現在、多くの大学は、文科省の指導で、教員の自由な意見表明を抑え、学長の権限を強化することにのみにエネルギーが割かれ、教授会は単なる上位下達の機関になりつつある。このような研究環境からは、独創的な研究も、グローバル人材も生まれて来ない。
 ~大学ランキングとその3つの指標:「ランキング上昇のための大学の国際化」=①「留学生比率の増加」②「外国人教員の増加」③「(英語)論文の引用数」~

(4)「大学ランキング」で「国際化」という指標、すなわち「国際化=留学生比率」という指標と、「国際化=外国人教員の比率」という指標があることも、アメリカの大学経営者にとって便利この上ない、非常に好都合・有利なものである。

(5)「大学ランキング」において、アメリカの大学の経営効果を上げるのに役立っている指標に、「論文の引用数」がある。
 しかし、引用されるのは「英語で書かれた論文」が圧倒的に多く、これもアメリカやイギリスの大学の経営者にとって圧倒的に有利。また英語話者の研究者にとっても、母語で論文を書けるわけであるから、便利この上ない指標である。

(6)「大学ランキング」 は、上記(4)と(5)の点から見ると、「アメリカやイギリスの大学ランキングが高くなるように仕組まれた格付けシステム」の中で、行われ、競争させられている、と言える。
 逆に、日本の大学ランキングを引き下げている最も大きな要因は、「留学生の比率」「外国人教員の比率」その次が「論文引用数」である。これらはいずれも、アメリカとイギリスの格付け会社による数値だということに留意すべきである。

(7)大学は本来、教育と研究が本分なのだから、基本的にはこの2つの指標(教育と研究)だけで、評価されるべき。この2つの指標で大学ランキングを計算し直せば、日本のランキングは急上昇するはず。

( 8 )政府・文科省は、こうした不公正で不確かな「世界ランキング」によって振
り回されて大学に不要な圧力をかけるべきではない。
 (今年ノーベル賞受賞者:赤崎勇、天野浩の2氏は名古屋大学 ・中村修二氏は徳島大学。名古屋大学は、アメリカの格付け機関では99位、徳島大学は初めから対象外。イギリス  の格付け機関では、名古屋大学は150位以内にすら入っていない)
 (格付け会社の評価がいかにいい加減なものであるか:(トリプルA(AAA)で評価されていた超優良企業のアメリカ・エンロン社が、あっという間に破産しまった事実)←(「大学の世界ランキング」は、この程度の信用性)

3 大学への補助金問題
旧制帝大と有名私大に有利に働くだけ→優秀な人材の喪失

( 9 )政府・文科省は、国際化を断行する大学に高額の補助金を出すことに決めたわけだが、そのほとんどは旧制帝大・有名私立大学に集中している。これでは、中小の大学の研究はやせ細るばかりで、地方に埋もれている宝を発掘できないまま捨て去ることになりかねない。
(例えば、頭脳流出した中村修二氏は徳島大学、山中伸弥氏も神戸大学出身で、大学院は大阪市立大学。東大・京大に比べれば、超有名ではない。田中耕一氏は、島津製作所という企業で研究し、修士号すら持っていませんでした。)←こういった事実にもっと注目すべき。

4 独創的な研究を支える環境とは
( 10 )注目しておきたい事実:最近のノーベル賞受賞者(赤崎勇、天野浩、小林誠、益川敏英)は、名古屋大学に集中している。
 これは、坂田昌一研究室が、戦争直後に提唱した「名古屋大学物理学研究室憲章」によって、その精神が物理学教室だけではなく、理学部・工学部の全体に広がっていった結果ではないかと推察される。
 ←「このような学風のおかげで、研究室内に上下の隔てがない、自由な討論が保障さ
れ、そのことが自分達の研究の幅と質と深さを、広め・高め・深めた」(益川敏英氏)
 ←「自分のやりたいこと、いつ結果が出るかわからない研究に打ち込むことができた
ことが、今回の受賞に繋がった」(赤碕勇氏)
 今後このような自由な空間は生まれてこないのではないでしょうか。

( 11 )政府・文科省は、「英語化」「留学生の比率」「外国人教員の比率」などといった「国際化」に無駄なお金とエネルギーを使うのではなく、研究者に自由な討論を保障する体制、自由な研究ができる財政的保障にこそ、財源とエネルギー、精力を集中すべき。

5 「大学の英語化」をめぐって 
( 12 )「大学の英語化」について、教養部の時(教養課程)から英語漬けにすれば、学生達は疲弊し、むしろ学力は低下する。なぜなら日本語でたっぷり教養を身につける時間を奪われるから、「国際人」、あるいは「グローバル人材」になる土台が崩れる。実際に、苦労しながら原書を1冊読んでいる間に日本語では10冊から20冊本を読める。

( 13 ) 本質的には、「研究力」は「英語化」「国際化」とは何の関係もない。「研究力」にもし関係あるものと言えば、むしろ「国語力」「数学力」である。これらはいずれも<自然>と<社会>を 読み解くための<基礎言語>である。

( 14 ) 大学を「英語化」「国際化」で競争に駆り立て、「世界ランキング」第何位に入るなどという目標で尻を叩いても、そのような競争から意味のある成果を期待できない。
 (韓国が良いモデル:韓国は国を挙げて「英語化」を断行しているが未だにノーベル賞の受賞者は0[ゼロ])
 (韓国では、「日本では母語で深い思考ができるからノーベル賞受賞者が続出している」という反省すら起きている)

6 文科省の「国際化政策」をめぐって   
( 15 ) 大学の公金を削って大学財政を危機に追い込みながら、もう一方で億単位の補助金をえさにして「国際化」を断行する大学を作らせるやり方は、今まで日本の大学が持っていた「豊かさ」を削り取り、大学教育を劣化させるだけ。
 これは、「窮乏化する過疎地」とか「財政難に悩む地方自治体」を札束で誘惑しながら、「原発」を受け入れさせていったやり方と本質的には同じ。日本を危機に陥れる「亡国の道」である。

(16) 文科省が気にすべきは、「大学の世界ランキング」なのではなく、「教育にかける公的割合・公費の割合の世界ランキング」こそにある。(公教育への支出は、OECDの31カ国の中で、日本は最低水準。日本:30位 その下にはイタリアがいるだけ)

(17 )日本政府は、予算をかけて日本の文化を保護すること、世界に輸出すること
に、あまり熱心ではない。日本の政府の眼は、アメリカにしか向いていない。

(18 ) 結局、「大学の英語化」は、赤字解消の一環として「英語」や「英語話者」
を輸出したいと思っているアメリカを利するだけ。日本にTOEFLという高額商品を購
入させ、英語で教える外国人教員を日本に輸出したいと思っているアメリカにとって
は、絶好の機会である。

7 「グローバル化・国際化の定義」と「英語化」との関係性
(19) そもそも「国際化」「グローバル化」とは、「人や物が国境を越えて自由に交流する時代になったこと」を意味する。「英語化」「アメリカ化」は、だから<真の国際化>とは無縁なもの。

(20)ヨーロッパでは確かに、1999年のボローニャ宣言に基づき、欧州高等教育研究空間が創設され、大学の「国際化」が進行しているが、これはEUが一つの経済共同体・政治共同体でることに伴って、EU加盟国の教育制度も共同体にふさわしいものにしなければならない、という事情や要請がもたらしたもの。
 ○ 日本はEUと全く違った環境なので、「国際化」という名の下に、大学を「英語化」に追い込む理由や必然性は全くない。

(21) 今、世界は多極化しつつある。(最近ロシアが、中国やブリックス諸国と手を繋いで、世界銀行やIMFに代わる新しい国際的金融機関を作るという発表を行い,更に、アメリカを追い越して中国が、世界経済第1位になったというニュースも流れた。ロシアからは、これまでの恣意的な格付け機関に代わる、新しい国際的な格付機関を設立するということも出ている。)

(22)世界がグローバル化しているからこそ、大学は多言語・多文化であるべき。

8 留学生に関わる「英語教育と日本語教育」
(23)政府・文科省は、「外国からの学生・教員・研究者を受け入れるためにも、大学の英語化は不可欠だ」と言っている。
 しかし、留学生は「どうせ英語で授業を受けるくらいなら、日本ではなく英語話者の国に行きたい」と言うでしょう。その証拠にアメリカにどんどん流れています。
 留学生が日本に来たいのは、日本に興味がり、日本のことを知りたい、日本から学びたいと思っているからに他ならない。昔は日本の科学技術、今は日本の漫画やアニメを通じて、多くの若者が日本に興味を持っている。
 世界中で多くの若者が、日本語・日本文化に興味を持っているのにもかかわらず、英語だけで卒業する環境を創るというのは、留学生から日本語・日本文化を学ぶ貴重な機会を奪うことになる。

(24)本語・日本文化・日本の科学技術を学んだ留学生が自分の国へ戻った時に、彼らは、日本の企業進出のために大きな戦力になってくれるでしょう。
 ですから、英語だけの授業で卒業できるようにするということは、留学生の祖国と日
本を結ぶ貴重な人材を失うことでもあります。これは国益に反する行為であり、税金の無駄遣いです。

9 「京都大学外国人100人計画」
(25)政府は、留学や英語力を煽り、国際化の名の下に外国人教員を輸入することに血道をあげています。その典型例が、「京都大学の外国人教員100人計画」です。しかし、これは日本の優秀な研究者100人が職を得る機会を失うことに導きます。これではますます頭脳流出が進むだけです。

(26) 京都大学では、外国人教員100人計画に代表される「大学の国際化」が進みつつある。しかし、外国人教員を採用し、共通教育の半分は英語による授業を開講すると、そういったことで京都大学の真の国際化は衰退してしまうでしょう。「国際化」という名の「英語一極化」は、大学本来の使命を投げ捨てることになるだけでなく、今後は京都大学からノーベル賞は出なくなってしまうではないか。

10 現代アメリカの状況を眼差して
(27) ドルの一極支配が終わりを告げつつある。英語の強さは、ドルの強さと一体になっている。そのドルの強さに翳りが見え始めている。
 にもかかわらず、日本の大学を「英語一極化」にするということは、このような世界の動きが見えない人材を育てるということ。これは「グローバル人材」を育てるという趣旨に逆行する。「グローバル人材」とは、「世界の動きが見える人」を指すはず。

(28) そもそもアメリカの大学は、留学するのに値するのか。その理由は、OECD22カ国の学力調査(16歳から24歳を対象)の結果、アメリカは大変学力が低い結果が出ている。
 数学力は、イタリアが21位、アメリカは22位。読み書き能力(リテラシー)は、アメリカは21位、イタリアは22位。問題解決能力は、ポーランド19位、アメリカ20位。ただし「問題解決能力」は20カ国の調査。
 だから、留学、留学、という風に文科省が煽りたてるのには、別の理由があるとしか考えられない。

(29) 現在のアメリカは毎日のように、どこかで銃の乱射事件が起き、毎日どこかで人が殺されている(1日87件)。そのうえ高校や大学でのレイプ事件も後を絶たない(女子学生の5人に1人はレイプされている)。
 バイデン副大統領を委員長にして、特別対策委員会すら立ち上げねばならないほど、深刻な事態。日本政府は、このような事実を知っていて、学生にアメリカ留学を勧めているのか。
(もし知らないで勧めているとすれば、極めて無責任、知っていて勧めているとすれば、極めて悪質。
 外国への留学生を倍増にして12万人にすると言っているが、このままでは、アメリカ人の地で多くの日本人の被害者を出すことになりかねない。)

(30) 今アメリカの大学生の学費は、世界最高レベルでお金がかかり過ぎる。また、大学を出ても、最低賃金の就職口しかない。これがアメリカの現実。
 そのため、高い授業料を払えないから、今、アメリカからカナダへ流出している学生が続出。アメリカの大学から学生がどんどん逃げて行っている「穴埋め」に、日本人を送り込もうという訳か。
 したがって、今の日本政府・文科省の言っている「国際化」、「留学生12万倍増計画」というのは、信じがたい、何の根拠もない。「亡国の道」である。

11 文部科学省の「国際化」「英語化」の本当の意図は?
(31) TOEFLなどの外部試験を外国留学に役立つからという理由で大学入試に入れる必要があると政府・文科省は主張している。
 しかしTOEFLは、アメリカ留学のために開発された試験ですから、外国への留学生を倍増すると言っても、その外国は第1にアメリカなのです。
 このようなことを考えると、政府が大学の国際化というのは表向きの理由であって、むしろ政府が心配しているのは、アメリカへの生徒の激減ぶりだったのではないか、「英語化」はそれを食い止める口実ではないか、とすら思えてきます。

(32)かつて貿易摩擦の解決策としてALT(外国人英語指導助手)を強制的に輸入させられたのも、今回の「国際化」政策と同じ構造です。
 しかし、現場教師の強い反対を押し切ってALTをどれだけ輸入しても、日本の英語教育は良くなりませんでした。外国語学習では、授業時数やクラス・サイズが決定的な要因ですが、それを放置したまま、ALTの輸入だけを強行したのですから、当然の結果でもあります。
 また文科省は2002年度から、スーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクール(SELHI)というプロジェクトを立ち上げて、これもまた補助金を餌にして、全国の高校に立候補を呼びかけました。しかしその成果はどうだったのでしょうか。このSELHIが成功していれば、今さら「指導要領」を改訂して、「英語の授業を英語で行う」などという新指導要領を作る必要もなかったはずです。
 今、大学で「スーパー・グローバル大学」という名の下に同じ愚を繰り返そうとしているのではないか、と私には危惧されます。

12 日本国内での日本語の現状
(33) <日本国内の日本語の状況>として、現在、日本語で会話ができない学生が増えている。
 また更に深刻なのは、「患者の症状が聴けない医者・歯医者」「顧客と会話のできない弁護士・会計士」が多くいることである。
 一方、高校入試で、日本語でのヒアリング試験が増えている状況もある。
 それくらいに日本語の学力は深刻である。にもかかわらず、そんな事態を放置してお
いて、「英語」、「英語」という風に叫んでいる政府・文科省の真意がわからない。

(34)高校で、日本語ですら上手く生徒に説明できない教師が、今度は日本語で説
明しても理解できない生徒を相手にして、英語で授業をしたら、どんな悲惨な結果に
なるか、想像に難くないでしょう。今度は、大学で、国際化を理由に、日本語のでき
ない外国人教員が、英語を速読すらできない学生を相手に講義する、それを学生が速
聴しなければならない、これはまたどんな悲惨な結果が待ち受けているか........。

(35)マレーシアの大学で、講座をマレー語の代わりに英語で始めたら、学生の成績が悪くなり中止されたという例もあります。同じことが日本でも起きる可能性が極めて大きいと私は思います。

以上です。

○ 「国際化」という言説が、ひとつの肯定的な価値を持って英語教育に影響していますが、実際にはアメリカの言語戦略に巻き込まれている面が大きいということを、もっと教育現場に関わる人々は認識すべきだと強く感じました。

 上記に加えて、<私が最も感動し、本当は一番重要で議論すべきだと感じたこと>は、基調講演に対する、ジャン=クロード・ベアコ教授からの次のような質問と寺島先生からのその応答についてでした。

○ ベアコさんから「なぜ、日本では、現状を変えようとする行動・運動が起きないのか?どうすれば現状を変えることができるであろうか?」といった質問が出ました。

○ それに対する応答として、即座に寺島先生は、
 日本人の心性として「長い物に巻かれろ」という習性がり、「物言えば唇寒し」という文化的な環境があることを指摘され、その国民性は教育によって躾けられていることを指摘されました。
 チョムスキーを引用されながら、「教育は、従順さ(obedience)を押しつけるためにある」という見方も提示されながら、特に日本で「異議申し立てをし難い状況が生まれる」のは、思春期に最も抑制してしまう教育の在り方があるからであると説明されました。
 日本の中等教育には違和感・不服従を表明させないような身体づくりの要因があると、制服と私服の例をあげながらの説明に深く納得しました。思いあたる点あり。
 また、社会が議論・異論・反論を許さない状況になっていることを、企業や国立大学の例から訴えられ、さらに、日本社会は(日本語で)議論を許さない方向性を教育にもたせながら、皮肉なことに、英語教育ではディベートがはやっていることを、熱く憤った様子で話されました。会場は爆笑。
 「こんな馬鹿げた現象は、<英語を通じた洗脳教育>である」と。
 「その通り、やれやれ」と言った感覚を私と同様に、他の聴衆の方々も共有していた様子でした。
 そして、その状況を打ち破るために、「では具体的な実践として、どのようなことができるか?」ということについては、チョムスキーの述べていることを挙げながら、「3つの事をすべきだ」と説明されました。
 ここが一番重要で、「大学の国際化についての諸問題」も、このチョムスキーの3つの枠組みから討論されると面白いと思われました。

「3つの事」として、
 一つめは「知ること」:世の中には違った人がいて、違ったことをしているということを知ること。
 世界には、あるいはもっと身近な自分の周囲にも、状況に対して異議を申し立てている人がいるということを知ること。
 二つめは「身近な他者に伝えること」:家族や友達、あるいはもっと広く他の人に、知ったことや感じたことを自分ができる方法で伝えてみること。
 そして三つめは「それらを形にすること」:小さなことでよいから形にしてきること。はがきを書いたり、メールをしてみることなどなど。

 このたった3つの小さなことをする中で、周りが少しずつ変わって世界が変わっていく、と説明されました。
 寺島先生ご自身は、二つめと三つめについて「情報として知り得たことや感じたこと考えたことは、ささやかながら、翻訳やブログで表現し発信している」と述べられました。

 その後のシンポジウムでは、このことについて、具体的にどうしたら良いかを話し合われるとよいなあと思いましたが、寺島先生の基調講演に圧倒されてか、指摘された諸事実について、議論が具体的にはなされなかったのは残念に思いました。
 それは、後に登壇されたフランス語圈の教授の説明に特にそう感じました。
 また、大学での第2外国語(初修外国語)教育の在り方の説明についても、異文化体験や異文化間交流を英語教育との関係の中で、どのように具体的に展開していくのかを示してほしかったです。それが一番現場では困っていることに思われます。

<フランス語圏の教授の方々の講演内容の感想>
彼らの議論が「英語の一極支配について批判する」ことは良いのですが、フランス語もまた、これまでの歴史で「リンガ・フランカ」としての地位を築いていたわけで、英語にその座を譲り渡している状態だから批判するというのでは、どちらも「言語帝国主義」の域を超えられないものであると感じました。
 また、議論が抽象的で、具体的な実践の場面でどうすればよいのかがはっきりとは見えない内容でした。「京都大学の外国人100人計画」にしても、「フランス人の導入は歓迎すべき」であるが、「アメリカ人・アメリカ英語主導の外国人100人は良くない」というだけの議論に陥りがちな傾向を感じました。
 寺島先生が出された、母語で思考することの意味と多言語化・多文化化の必要性を「国際化」の定義と照らし合わせながら展開することがなく、基調講演での抱負な事例に対するコメントから、具体的な実践の方法を話し合うまでには至っていないと思われました。
 その理由は、おそらく彼らの主張が「英語だけでなく、フランス語も学ぶ必要がある」というだけに留まるもので、結局は、寺島先生が指摘され批判されたことが、そのまま自分達の志向することにも当てはまってしまうからではないか、とさえ思ってしまいました。
 一方、日本は、母国語で博士課程まで学べる希な国であるから、教養の力や創造的なアイデアを母語で考えることを重要視するべきであるという主張も、外国人の視点から見ると「日本語を守れ」という、ある意味で「国語ナショナリズム」と逆に批判されてしまうものであろうか、とも思いました。しかし、ここでのポイントは、「母語で思考することの重要性」であると思われます。 
 ただし、国内も多言語化してきているので、日本語が母語であるという発想自体も、問いただされるべきものかもしれません。しかし、当座は「現代日本語」が母国語として日本における中核的な言語となっている国民国家日本では、まずはその言語で思考しながら発信していくことが大切であると考えるべきかと感じました。

                       以上、雑駁に書き連ねました。

 急に冬の気候になり、紅葉が美しい景色もその後の雨で冬景色へと移り変わって、おそらく今は、京都もとても寒くなってしまっているでしょうか。
 つい先日の11月の講演の折りはとても暖かく、京都大学近くの銀杏並木を見ながら「春にみなさんと桜を見るのも良いなあ」と思えるような穏やかな一日でした。
 講演の翌日は、雨で紅葉も散り始めていたようですね。「銀杏並木は春には桜並木に変わるよ」とタクシーの運転手さんが教えてくれました。
 また京都に行きたいですね。今後も、寺島先生の基調講演の内容について、意見を交わせることができればありがたいです。
関連記事

大学教育の「国際化」は、「創造的研究者」「グローバル人材」を育てるか、その1

英語教育、大学の「国際化」「英語化」(2014/12/03)
京都大学シンポジウム:大学教育の国際化とはなにか 「基調講演」184
京都大学シンポジウム:大学教育の国際化とはなにか183

 さる11月24日(月)に京都大学で国際シンポジウム「大学の国際化と何か」が開かれました。そこで基調講演を頼まれたので、以下にその報告をさせていただきたいと思います。というのは、いま日本は、下は小学校から上は大学まで「英語化」「英語漬け」が進行していて、それが公教育に深刻な影響を及ぼしつつあると思うからです。
 英語教育を専門とするものが、「我が世の春」を謳歌するのではなく、逆に、このような警告を発しなければならないということは、ある意味では恥ずかしいことです。というのは専門家として、このような事態に至る前に、それを阻止できなかったということですから。とはいえ、これを、このまま放置するわけには行きません。
 そこで国際シンポジウムの基調講演の依頼があったとき、体調が悪くて一度はお断りをしたのですが、最終的には引き受けることにしました。それは、主宰者の熱意に押されたということもありますが、同時に、上記のような私の危機感が背景にありました。以下3回に分けて、その内容を紹介させていただきます。
 まず第1回目として、シンポジウムの参加者から私のところに基調講演の感想が届いていますので、それを先ず紹介させていただきます。


京都大学 国際シンポジウムに参加して 2014.11.24
S. M.(愛知)

 11月24日(月)、京都大学で行われた「大学教育の国際化とは何か」と題する国際シンポジウムに、寺島隆吉先生が基調講演をされると聞いたので、妻と連れだって聞きに行ってきました。
 ちょうど紅葉の季節と重なり、京都ではホテルがとれなかったので、大阪で泊まって参加しました。京大の会場には、美紀子先生とそのお母さん、そしてMK先生の姿もみえて一安心しました。
 先生の基調講演は20分から30分ほどですが、内容に聞き入ってしまい驚くほど短く感じました。はじめ先生は原稿を読み上げながらスタートされたので、あんなスピードで読み上げたら、聞いている人は付いていけるだろうかと心配しましたが、無用な心配でした。どんどん話に引き込まれ、なるほどと思うことの連続でした。また途中で何度か自然と笑いを誘う場面もあり、会場は大いに盛り上がりました。
 前回、寺島先生が京大でスピーチされたときも、YouTubeに講演内容がアップされたので、今回もしアップされたら是非聞いて欲しい内容でした。
  衝撃的な内容のそのひとつは、外国人教師100人計画をしているような「京大からは、もうノーベル賞は出ないのではないか」という大胆な提言です。最近ノーベル賞がよく出ている名古屋大学には、坂田昌一教授の自由な討議ができる伝統があった。だからそこで育った益川敏英氏のようなノーベル賞学者が生まれた。天野浩、赤崎勇も名古屋大学です。
 次に衝撃的だったのは、「大学ランキング」批判でした。その判断基準の一つである引用数にしても、英語で書かれたものが有利に決まっている。その引用数にしても、書かれた論文がすぐれているかどうかとの相関には疑問があるそうです。知り合い同士が引用し合うやらせもあるそうです。ノーベル賞受賞者が出た名古屋大学は99位、中村修二さんが出た徳島大学はランク外ではないか。まるでエンロンをトリプルAとしていた企業の格付け会社と同じではないか、との批判には考えさせられるものがありました。
 また、現在の政権が進めている留学生30万人計画にしても、全てがアメリカ向けです。そのアメリカの教育批判も鋭いものがありました。現在のアメリカの大学の教育がハイスクールレベルでしかないこと、殺人やレイプが大学でも横行していること、学費が高くカナダに学生が逃げている現状などが語られました。どうしてそんなところへ大勢行かせる必要があるのか、なにか別の意図があるのではないかと日米関係における問題を提起されました。
 現在、大学が法人化され民営化される中で、副学長が8人もいる大学が現れ、学長の権限が強化されている。一方で上位下達の雰囲気を出しておきながら、他方で生徒に英語でディベートなどと全く訳のわからないことを打ち出してきている。この寺島先生独特の対置のされ方には、痛烈な皮肉も含まれていて会場に笑いがもれました。
 私のたよりない感想より、きっと寺島研究室のブログに原稿が載るでしょうし、YouTubeにもしアップされれば、会場の雰囲気もよくわかるので、是非そちらを参考にしてください。それにしても体調のすぐれない中、すばらしい講演を聴かせてくださって本当にありがとうございました。とても勉強になりました。


関連記事
検索フォーム
プロフィール

狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

Author:狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

リンク
最新記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
RSSリンクの表示
QRコード
QR