「戦争は国家の健康法である」その3

国際教育(2017/06/13)、ランドルフ・ボーン、クリール委員会、「戦争は国家の行事であって国民の行事ではない」「国家の主要な行事が戦争であるなら・・・」

フィリピン大統領ドゥテルテ「アメリカに援助を求めた覚えはない」
ドゥテルテ大統領


 前回のブログを書いてからあっという間に1週間が経ってしまいました。こうしているうちに世界情勢も刻々と変化しています。
 昨日は出版社Dsicover21の社長である干場弓子さんが拙宅を訪れ、チョムスキーの新著『アメリカン・ドリームの死を悼む:富と権力を一極集中させる10の原則』(Requiem for the American Dream:The 10 Principles of Concentration of Wealth & Power)の翻訳・出版を今後どうするかの相談をしました。
 現在のアメリカ、その素顔を(とくに日本の若者に)知らせるためにも、何とか8月中に出版したいとの意向が、社長さんからひしひしと伝わってきました。
 ところが今のアメリカを見ていると、トランプ大統領の迷走ぶりは相変わらずで、大統領というのは財界・金融界やCIAやペンタゴンといった「闇の政府」の傀儡(かいらい=操り人形)ということがよくわかります。
 というのは、ヒラリー女史を次の大統領にするということは「闇の世界」では既定の事実だったのですが、その作戦が失敗すると、次はトランプ大統領をどうすれば意のままに操れるか、操ることが難しいのであれば大統領罷免工作をどう推進するかにエネルギーが注がれているように見えるからです。その一番分かりやすい例がサウジアラビアとカタールへの対応ではないでしょうか。
 トランプ氏は、大統領に当選する前は「湾岸のイスラム王制独裁国家がISISなどのテロ集団に資金援助をしているとして、その筆頭にサウジアラビアをあげていたのですが、今は手のひらを返したように態度を豹変させて、サウジとは巨額の武器場売契約を結びつつ、他方で、カタールという小さな王制独裁国家だけにテロ国家の罪を着せようとしているからです。
 これを見ていると、トランプ氏が今のところ、自分の首をつなぎ止めるため、「闇の国家」の指示どおりに動いていることが、よく分かります。
 カタールという国も、アメリカ(やイスラエル)の指示に従って、ISISを支援していたことは事実だったとしても、同じイスラム王制独裁国家のなかでは全くの小国ですし、アメリカ「911事件」の実行犯の大半がサウジアラビア人であったこと、資金源でも人員面でも、ISISの最大の支援国家が大国サウジであったことは、今では世界中で知れ渡っている事実です。
 ですから、シリアなど中東における殺戮の罪をカタールという小国だけにおっかぶせようとする試みは、アメリカ政府やそれに同調する大手メディの知的レベルと世界中にさらけ出したという意味では、記念碑的なできごとでした。
 このような動きのなかで、ブログ「戦争は国家の健康法である、その1」を読んだ読者から次のようなメールが届きました。

寺島先生
 ブログの更新ありがとうございます。ボーンの論文は原文でも味わいたいです。次の更新も期待しています。
 トランプの180度の転換は、本当に怖いです。まだ、ヒラリーがそのまま大統領になったほうがましだったかもと思えてきます。
 Deep Stateは、自分たちが望んでいる戦争への空気作りを、「トランプの人間性のせい」に巧妙にすり替えている気がしてなりません。
 ただ、私がまだよくわからないのは、先日のロシアにイスラム国の情報をばらしたことなど、なぜ、いまだにトランプたたきが止まらないかです。
 まだ、トランプの転向具合は彼らにとっては合格点ではないのでしょうか?よくわかりません。
 それとサウジアラビアの動きも不穏です。アジア各国訪問と、フィリピンやアフガニスタンの不穏な動きが関連しているようで、怖いです。


 いただいたメールには、「ボーンの論文は原文でも味わいたいです。次の更新も期待しています」という文言があり、私に対する最高の「お褒めの言葉」として受けとめさせていただきました。
 それはともかく、上記では、「私がまだよくわからないのは、先日のロシアにイスラム国の情報をばらしたことなど、なぜ、いまだにトランプたたきが止まらないかです」という質問が書かれています。
 ロシアと協力して「イスラム国」というテロ集団を放逐することは、トランプ氏の選挙公約のひとつだったのですから、大統領に当選したらロシア当局とテロ集団について情報交換することは当然のことであって、何の問題もないことです。
 これを何か問題があるかのように騒ぎ立てている勢力(&大手メディア)は、どうしても大統領罷免にまでもっていきたいのでしょう。この間の事情を詳しく解説しているのがプリンストン大学名誉教授のステファン・コーエン氏(Stephen Cohen)です。
* Dems crippling Trump's plans to cooperate with Russia out of own ambitions
「トランプがロシアと協力する計画を挫折させようとする民主党の野望」

https://www.rt.com/shows/sophieco/388910-trump-scandal-russia-us/(19 May, 2017)

 このインタビューは全文が文字起こしされていますので、聞き取りが苦手な人でも、読むちからさえあれば、その趣旨が理解できます。会話力ではなく読解力がいかに大切か、この一事だけでも分かるのではないでしょうか。
 ところで、上記のブログ読者のもうひとつの疑問は「それとサウジアラビアの動きも不穏です。アジア各国訪問と、フィリピンやアフガニスタンの不穏な動きが関連しているようで、怖いです」というものでした。
 いまISISが、ミンダナオ島マラウイ市を占拠してフィリピンを第2のシリアにしようとする動きに出ていることは(そして裏でサウジを使いながらそれを支援しているのが、アメリカだということも)、この事件が起きたのが、ドゥテルテ大統領がロシアを訪問し、プーチン大統領会談している最中だったことでも分かります。
 ドゥテルテ大統領が、アメリカによる中国封じ込め政策に従わないで、急速にロシアに近づきつつあるのを、どうしても阻止しなければなりません。そのための最上の政策がフィリピンを不安定化させることです。その片棒を担いでいるのが相変わらずサウジアラビアです。この間の事情については下記の論考を御覧ください。

* Path to Hell: Daesh in the Philippines is a US Project
「地獄への道: フィリピン国内のダーイシュはアメリカのプロジェクト」

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-0557.html(邦訳)
https://www.strategic-culture.org/news/2017/06/08/path-hell-daesh-philippines-us-project.html(原文2017/06/08)

 アメリカにとっては、中国やロシアに近づきつつあるフィリピンを不安定化させることは、中国封じ込めにとっても好都合ですし、フィリピンの内乱が続けば武器の販路がますます広がるわけですから、まさに一石二鳥です。
 ところがここでアメリカはさらなる高等戦術に出ました。フィリピン政府を援助しISISと闘うためと称して特殊部隊をマラウイ市に送り込んだのです。しかしドゥテルテ大統領は「アメリカに助けを求めた覚えはない」と述べています。

* Duterte claims ‘never approached’ US for help in battle against Islamist militants
「ドゥテルテ大統領いわく、イスラム戦士に対する戦いで『アメリカに助けを求めた』覚えはない」

https://www.rt.com/news/391843-duterte-us-special-forces-marawi/ (11 Jun, 2017)

 シリアでは「ISISと戦うため」、アフガニスタンでは「タリバンと戦うため」と称して、アメリカは軍隊をシリアに侵攻させ、アフガンでは15年以上も駐留する戦略に出ています。同じことをフィリピンでも狙っているのでしょう。
 このようなアメリカのやり方を見ていると、勝手に他人のコンピュータに入り込んで頼みもしないのに「Windows10」に変えてしまったマイクロソフトを思い出してしまいました。おかげでWindows7を使っていた私は、大変な被害を蒙りました。
 自分の利益のためには手段を選ばないアメリカ流の戦略・戦術は、どこの分野でも共通なのではないかと思わされた次第です。

<註> フィリピン大統領ドゥテルテ氏の関連発言には次のようなものがあります。
* ‘West is just double talk, I want more ties with Russia & China’
「西側の言動はまさに二枚舌だ。だからロシアや中国と手をつなぐ方がよい」

https://www.rt.com/news/389105-duterte-west-russia-visit/(21 May, 2017)
* ‘US, EU meddle in other countries & kill people under guise of human rights concerns’
「米国もEUも、人権を口実に他国に干渉して、人殺しをしている」

https://www.rt.com/shows/rt-interview/389163-philippines-duterte-interview/(22 May, 2017)


 このようなやりかたで、現在の世界情勢・アジア情勢にかんする私の見方・考え方を説明していると、いつまでたっても肝心のランドルフ・ボーンの論文「戦争は国家の健康法である」の最終回に行き着かなくなってしまいます。
 そこで、まだまだ語りたいこと説明したいことが残っているのですが、今はそれを断念して、『肉声でつづる民衆のアメリカ史』(明石書店、2012)に載せられているボーン論文の下記紹介をもって、取りあえず今回のシリーズを終わりにしたいと思います。



戦争は国家の健康法である(下)
ランドルフ・ボーン


 戦争は国家の行事であって国民の行事ではない。じっさい、戦争は国家の主要な行事である。このことは、どれだけ強調しても、しすぎることはない。戦争はきわめて人為的なものである。集団の喧嘩好きというものが、素朴かつ自然発生的に暴発したものではない。 戦争は伝統的宗教と同じほど原始的である。
 戦争は軍事体制なしには存在しえないし、軍事体制は国家組織なしには存在しえない。戦争には太古からの伝統と遺伝形質があるが、それは国家に長い伝統と遺伝形質があるからにすぎない。しかしこの二つは、分かちがたく機能的に結合している。
 戦争に反対する運動をおこなえば、国家に反対する運動にならざるをえない。また伝統的形態における国家の息の根をとめることなく、戦争の息の根を止めることはできない。そんなことは期待できないし、保証もできない。
 国家は国民ではない。だから国家は、国民を傷つけることなく修正できるし、廃止さえできる。それどころか国家の支配が終われば、国民が本来もっている生活向上力が解き放たれる。
 国家の主要な行事が戦争であるとするなら、防衛と侵略という純粋に不毛な目的のために、国家は、国民から活力の大部分を吸いとらねばならない。国家は、国民の活力をできるだけ多く浪費すること、あるいは消失させることに熱中する。
 戦争とは、命を奪い、命を失わせる諸力の巨大な複合体であること、これを否定するものは誰もいないだろう。国家の主要な行事が戦争であるなら、破壊をうみだす能力と技術を結合・開発することに主要な関心をもつのは当然だ。
 これは、実際的にも潜在的にも、敵を殺害するだけでなく、国民を殺害することを意味する。というのは、諸国家の集合組織のなかに一つの国家が存在することは、それ自体、国民をつねに戦争と侵略の危険の下におくことを意味する。だから、国民の活力を軍事的追求へと分散させることは、豊かで創造的な国民生活の向上を自らの手で打ち壊すことになるのだ。……

 要するに、国家は、一つの社会集団内部の独裁的・恣意的・強制的・好戦的な暴力のすべてを代表する。近代的で自由な創造的精神つまり生命・自由・幸福の追求を求める気持にとって、それは不快きわまりないすべての複合体である。
 戦争は「国家の健康法」である。国家が戦時下にあるときにのみ、近代社会は意見の統一を見る。戦時下でのみ、国家は、単純で無批判な愛国主義的献身と協力的奉仕を得ることができ、うまく機能するのだ。それこそ国家を愛する者がつねづね理想とするものだ。
 しかしながら、近代の共和国は、民主的理念という隠れ蓑なしには戦争に突入できない。独裁制と致死的好戦性という古い概念だけでは、国民を戦争に動員できないのだ。
 とすれば、戦争意図を達成するために国家の理想の復興が必要になるわけだが、そうであれば民主的形態に戻るしかない。すなわち外交政策の民主的な統制、戦争にたいする民主的な渇望、とくに民主主義と国家の同一視など、このような過去の確信の下に戻ることである。
 しかし昔の確信に戻ったとしても、国家がいかに悔い改めていないかは、治安維持法や旧態依然の外交政策によく示されている。連合国の民主主義の中で、先見性ある民主主義者たちが第一に要求したのは、秘密外交の廃止ということだった。
 というのは、戦争を可能とさせたものは、国家間のさまざまな秘密協定によるものだったからだ。すなわち民衆の支持がほとんどない同盟、民衆の全く知らないうちにつくられた同盟、あるいは民衆が半分も理解していないのに秘密のうちに条約や協定の段階に達していた約束などである。
 戦争になってはじめて拘束力のある約束だったことが明らかになったものが少なくない。だからこそ、民主的思想家たちは次のように主張してきたのだ。
 「このような有害な秘密外交の裏舞台が破壊されないかぎり、戦争はほとんど避けようがない。このような裏舞台のせいで、国家の主権や財産や成年男子が、白地小切手というかたちで相手の同盟国に譲渡されてしまう。そして戦争が起きたとき、その小切手は現金に換えられる。だから、国民すべての命にかかわる協定は、政府ではなく国民のあいだで結ばれねばならない。少なくとも国民の代表によって、国民の全面的な監視のなかで結ばれねばならないのだ。」
(下線は寺島。『肉声でつづる民衆のアメリカ史』上巻524ー526頁)


<註1> この最終回を読むと、わずか32歳で夭折したランドルフ・ボーンの才気をますます感じざるを得ません。私は「戦争は国家の健康法である」という言い回しに初めて接したとき、その切れ味の鋭さに思わずタジタジとした記憶が残っています。この最終回でも、その鋭さは増すことはあっても鈍ることはありませんでした。たとえば、今回の冒頭に出てくる「戦争は国家の行事であって国民の行事ではない。じっさい、戦争は国家の主要な行事である」という言い回しも、アメリカという国の本質を見事に言い当てていて、思わずうなってしまいました。

<註2> 第一次世界大戦当時のアメリカでは、「クリール委員会」のような組織を使って、大学までも巻き込む国家総動員体制が求められました。ボーンが学んだ名門コロンビア大学でさえ、この総動員体制に協力させられました。
 コロンビア大学のバトラー総長は「自らのために、国のために、コロンビア大学のために、戦争への奉仕にいそしむ」ことを皆に勧めましたし、コロンビア大学では学生の軍事訓練も行われました。ボーンの友人だった英文科の教員ヘンリー・W. L. デイナは反戦集会に参加して解雇されるという事件も起きました。
 安倍政権は現在、莫大な防衛研究費を餌にして、大学でも軍事研究に協力するよう執拗に迫っています。日本学術会議の会長でさえ、これに同調する動きを見せていますから、非常に深刻な事態だと言えます。


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「戦争は国家の健康法である」その2

国際教育(2017/06/05)、ランドルフ・ボーン、ジョージ・クリール、クリール委員会(アメリカ広報委員会)、プロパガンダ、パブリック・リレーションズ(PR)

クリール委員会委員長ジョージ・クリール、          ドイツ兵の残虐性を宣伝するのポスター
Creel.jpg クリール委員会ポスター

 安倍内閣の推進する「共謀罪」が衆議院で強行採決され、日本がアメリカ軍の指揮の下で戦争できる体制がますます強固になってきました。
 アメリカのDeep State「闇国家」は、トランプ大統領を目下の家来として使いながら、北朝鮮や中国を口実とした戦争を着々と準備しているように、私には見えます。
 G7やEUの会議で露呈されてしまいましたが、いまアメリカは世界で孤立しつつあります。このような状況を一挙に解決してくれるのが戦争です。
 アメリカの、911事件を口実としたアフガニスタンへの爆撃と、大量破壊兵器を口実としたイラク侵略も、ブッシュ大統領の支持率が最底辺に落ち込んだときに始まりました。そしてアメリカ国民も大手メディアもこれを熱狂的に支持し、それに反対する人たちは「国賊」扱いされました。
 実はアメリカの第1次世界大戦にたいする参加も、同じような戦術が駆使されました。国民の大多数は欧州大陸で始まった第1次世界大戦にアメリカが参戦することに反対でした。そこで国内の世論を誘導すべく立ち上げられたのが、ウィルソン大統領が設立した政府広報機関クリール委員会でした。
 これはアメリカ政府として初の専門職・知識人による広報集団・宣伝扇動機関で、ジャーナリストのジョージ・クリール (George Creel)を委員長としていたため「クリール委員会」とも呼ばれています。この委員会にはアメリカを代表する有名知識人も総動員され、当時のアメリカを代表する哲学者・民主的教育者として名高かったジョン・デューイまでも、この委員会にからめ取られていきました。
 コロンビア大学で学びデューイを師として尊敬していたランドルフ・ボーンが、苦渋の決断の結果、勇気をもってデューイを批判し恩師と袂(たもと)を分かつ道を選んだことは、前回のブログで紹介したとおりです。30代の若いボーンが、デューイを批判した論拠は、論文「国家-戦争は国家の健康法である」に鋭く かつ完膚なきまでに展開されていて、ボーンの才能に驚嘆せざるをえません。ボーンの夭折は本当に残念極まりないものでした。
 とりわけ今号で紹介する次の部分を読んでいただければ、いま正念場を迎えている「共謀罪」の本質がみごとに展開されていて、皆さんも驚かれるのではないでしょうか。

 このように、戦争が始まると、国家の内部で衝突がおこる。戦争は追う者と追われる者のあいだのスポーツになる。心理的魅力という点では、国外で敵を攻撃するよりも、国内で敵を追及するほうが重要になる。国家は凄まじいほど全力で異端者を抑圧する方向へすすむ。
 国家は異端者狩りで沸き立ち、それは確実に持続する。平和主義者、社会主義者、敵性外国人に、国家の手で激しいテロリズムが実行される。そして敵と関係があるとされる人物や運動には、表には出ないが持続的な迫害が加えられる、「国家の健康」であるべき戦争は、すべての有産階級と一般民衆を一体化し、そこからはみ出した人々を法律の保護外におく。





戦争は国家の健康法である(中)

ランドルフ・ボーン

 戦争、少なくとも強力な敵にたいして民主主義国が遂行する現代の戦争は、その国に必要なほとんどすべてを達成してくれるように思われる。それは燃えたぎる理想をかかげる政治家なら、誰でも手に入れたいと望んでいるものだ。
 ほとんどの市民は、もはや政府に無関心ではいられない。それどころか政治的な体の各細胞は生命と活動に満ちあふれる。我々はついに、あの(理想として心に描いてきた)集団主義的共同社会を完全に実現させることになるのだ。そこにはともかくも「一人がみんなのために」という価値観がある。
 戦時体制の国では、あらゆる市民が自分を全体に一体化・同一化し、それを認識することによって限りなく強くなったと感じる。集団主義的共同社会の目的と願望は、戦争の大義に全身全霊を捧げる個人のなかに息づき、社会と個人のあいだを妨げる区別はほとんど消し去られる。
 戦争中、個人は社会とほとんど同一になる。個人は飛び抜けた自信、つまり自分の理念と感情がすべて正しいという直観をいだく。その結果、個人は反対者や異端者の弾圧にさいして無敵の強さを発揮する。集団主義的共同社会の力を背後に感じるからだ。社会的存在としての個人が、戦時にその典型を達成したかにみえる。
 アメリカ国民が、このような集団的な献身、このような犠牲と労働を、たとえ世界に示すことができたとしても、それは宗教的衝動からではない。アメリカ国民が、自分の財産と生命を注ぎこんだり、国民のお金と人員を徴集するといった、国民の反感を買う強制的措置まで承諾したとしても、それは普通教育のような世俗的善や自然の征服のためでもない。
 そうではなく、それは自衛の戦争という攻撃をするためなのだ。それなしには、「民主主義」という困難な大義をアメリカ国民が支持することもないし、これまでにない最高水準の集団活動に達することもないだろう。
 労働者階級の人々は、少なくとも自分は「知識人」「重要階級」に属しているとは思っていない。むしろ、そのような階級を見習って上昇に努めているのだが、国家という象徴的なものに振り回されないので、「知識人」「重要階級」からは悪評が高い。言い換えれば、労働者階級は「知識人」「重要階級」ほど愛国的ではないのだ。彼らにとっては権力も栄光も無縁だからだ。
 戦時の国家は彼らに退歩の機会を与えない。彼らは社会的に大人として扱われたことがなかったから、大人として扱われる機会を失い、子どもに戻ることはないからだ。
 労働者は、一九世紀の産業体制のときと同じように、徒弟奉公で鍛えられ従順にしつけられていれば、喜んで御国(おくに)のために出征して戦ったかもしれないが、彼らは国家にたいしてそのような「親にたいする子としての感覚」は全く持っていない。普通なら「年長者」を前に非常に強力に作用する、「愚者」対「知者」の感覚さえももたない。
 労働者は、産業的農奴制のなかで毎日を暮らしているので、名目上は自由だが、実際には機械生産体制に束縛された階級だ。資本家体制は自分の所有物ではないから、自分の生産物の分配にわずかな発言権すらもない。ときにはストライキなどの公的に認められていない脅迫手段を用いて雀の涙ほどの分け前をもらえるだけだ。徴兵制度はこのような農奴制とさして変わりはない。
 労働者階級は軍事的企てに参加はするが、「知識人」「重要階級」のような熱狂に煽られて赴おもむくのではない。「知識人」「重要階級」の本能が戦争を強力に煽(あお)っているだけだ。それどころか労働者は、嫌悪感をもって戦地に赴(おもむ)くのだ。それは、彼らが企業に入り働きつづけるときにもつ嫌悪感(けんおかん)と全く同じ嫌悪感だ。
……
 このように、戦争が始まると、国家の内部で衝突がおこる。戦争は追う者と追われる者のあいだのスポーツになる。心理的魅力という点では、国外で敵を攻撃するよりも、国内で敵を追及するほうが重要になる。国家は凄まじいほど全力で異端者を抑圧する方向へすすむ。
 国家は異端者狩りで沸き立ち、それは確実に持続する。平和主義者、社会主義者、敵性外国人に、国家の手で激しいテロリズムが実行される。そして敵と関係があるとされる人物や運動には、表には出ないが持続的な迫害が加えられる、「国家の健康」であるべき戦争は、すべての有産階級と一般民衆を一体化し、そこからはみ出した人々を法律の保護外におく。
 勤労市民・労働者階級は、このような「一体化」につよく抵抗し、すでに見たように、心理的にも、このような流れに距離をおく。だからこそ世界産業労働者組合(IWW)のような団体は容赦(ようしゃ)なく追求され弾圧されるのだ。しかしIWWの抵抗は、国内の団結を乱す原因なのではなく、政府の弾圧政策の結果にすぎない。迫害は労働者の反抗心を増大させ、摩擦を減らすどころか増強するだけだからだ。……
(下線は寺島。以下、次号に続く。『肉声でつづる民衆のアメリカ史』上巻521ー524頁)


<註1> クリール委員会は、アメリカ国外の敵国を悪魔化するために国民にたいして徹底的な「プロパガンダ」「宣伝洗脳工作」がおこないました。
 たとえば、アメリカ国民のドイツに対する敵意を増幅させるため、ドイツ兵を「野蛮なフン族のアッティラ(注:フン族の王)」として描き出し、漫画や新聞報道でもドイツ兵の残虐性をことさら強調するものが氾濫していました。
 この手法は「イラク戦争」まで引き継がれていて、現在のシリアや北朝鮮にたいする攻撃も、「アサド大統領=独裁者」「北朝鮮=気の狂った国」という描き方であり、基本的には何も変わっていません。

<註2> クリール委員会の正式名称は、アメリカ政府・広報委員会(CPI:Committee on Public Information)ですが、この委員会に参加して、有名になった人物にエドワード・バーネイズがいます。彼は第2次世界大戦後、「プロパガンダという技術をプロパガンダする」目的で、『プロパガンダ』という本を出版しました。
 これは今では、W・リップマン『世論』と並び、広告関係者必読のバイブル的な存在となっていますが、嘘をついてアメリカ国民を第一次世界大戦へと引きずり込んだ悪いイメージが「プロパガンダ propaganda」という用語に定着してしまったため、リップマンは後に「プロパガンダ」の代わりに「パブリック・リレーションズ」(PR:Public Relations)という用語を使うようになりました。



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狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

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