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英語教育を踏み台にして、「美しい国」を破壊しているのは誰か――季刊誌 IB 2018夏季特集号の反響(続)

英語教育(201810012) 大学入試、スピーキングテスト導入、民間委託=大学入試の民営化、「美しい国」の荒廃

迷走する英語入試

 相変わらずIBの反響が(電話、手紙、メールというかたちで)次々と届いています。今回は取り合えず以下のメールをお裾分けさせていただきます。
 送り主は岐阜大学医学部の卒業生で、私は彼に共通教育の英語を教えただけですが、いまだに付き合いが続いています。彼はいま私立大学部付属病院で眼科医(医学博士)をしています。
 ちなみに当時の岐阜大学医学部眼科は世界的にも有数の研究と治療技術を誇っていました(現状は知りません)。私は彼を通じて、医者の卵がどのような過程を経て一人前の医者(眼科医)になっていくのかを、つぶさに知ることができました。

寺島先生
 インタビュー記事の掲載誌を下さいましてありがとうございました。
 偶然なのですが今チョムスキー氏の最近の本『誰が世界を支配しているのか』を読んでいるところです。郵便が届いた時に「あ、寺島先生からだ。チョムスキー読んでたからだなぁ!」と自然につながっていました。不思議な感覚です。
 小学生に英語を正式科目として導入する件は、私は反対です。
 日本語で思考するので、小さいうちはきちんと日本語の教育をするべきです。
 大きくなっても(高校や大学で)教育は日本語でおこなうべきです。英語を英語で教育するとは!?それなら語学の超専門家を養成する外語大ではペルシア語をペルシア語で教育するのか!そんなアホなことはありません。
 私は中学の時に英語研究部に所属していて顧問の先生と雑談をする機会があり、学校の英語を習っていてもアメリカ人と会話できるようにはならないのではないですか?と質問したことがあります。
 先生はシェイクスピアの英語劇をしていたけれど英会話が得意ではないと笑っていました。そしてそんなことは当たり前であって、英語を勉強するのは英語圏の文化を知ること、主にアメリカの先進的な研究などの文書(雑誌や論文)を読んで自分で勉強できるようにするのが目的で、会話は別のことであるとおっしゃいました。今でもそれが正しいと思っています。
 私は国家主義的な安倍総理が嫌いです。安倍総理の時代になってから妙に英語教育がかき回されているように思います。(国家主義者が英語一辺倒・アメリカ一辺倒というのもおかしな話ですが)
 これまで「学校の英語を習っても英会話ができないじゃないか!」という声がマスコミで流れても歴代の総理大臣は無視していたか、私の中学の先生のような見解の文部官僚が当時はそれを遮っていたかのどちらかであるように感じていました。
 マスコミが煽っても教育は揺るがなかったのです。ところが安倍総理になった途端に、小学生から導入だとか、会話重視だとか妙な変化が起きました。
 学問体系に沿ってきちんと修練した指導者・文科省役人なら、容易にはこの体系を崩しにかかったりしないと思います。思うに安倍はあまり勉強をしないで大人になったのではないかと思います。だから安易な声に従っているのだと思います。
 読み書き重視の英語教育は、今までは、ある意味での岩盤規制がかかっている状態でしたが、安倍は規制を粉砕することばかりに熱心であるようです(教育における「規制緩和」)。岩盤規制というのは国の根幹を形成している場合が多いので、単に粉砕すればよいというものでもないのです。
 「英語教育を大転換するべきなのか」、それは、そもそも現場の英語の先生たちの意見によって決めることで、教育にはあまり関わりのない種類の(あるいは教育に全く素人の)国会議員が決めることではないのです。

 共通試験の英語の点数を外部の検定試験に置き換えるというのは全く意味不明です。試験問題は、大学教育に必要なレベルを測定するために大学教師が作成するのであって、外部の検定会社を使うというのは目的が違うからです。
 なんとなく良さそうな英語の試験があるから、ちょっとそれを使ってみようかという軽率な考えが透けて見えます。
 そんなことがまかり通るなら、国語の試験は漢字検定と日本語検定に置き換えればよいし、数学などは『大学への数学』誌の懸賞問題にすればよい。

 小学生に英語を教えるとか、高校や大学で「英語だけで授業をする」ということを認めるとしたら、まず全国の教育学部に小学校英語教諭コースと高校英語「無日本語」教育コースを設置して新しい科目の教員を養成しなければならないと思います。
 教員をきちんと確保してからようやく新しい科目をスタートするべきです。これまでの英語とは全く異なるものなので、それぐらいの準備が必要です。というか、先述のとおり、そんなことはするべきではないのです。

 英会話はそんなに必要なのだろうかという疑問もあります。英会話はできないよりできた方がよいけれど、全員ができる必要はない。テニスや野球も、できないよりできた方が良いけれど、全員ができる必要はない。必要な人がやればよい、やりたい人がやればよいのです。
 機械による自動翻訳が登場しています。会話が出来なくても音声解読ソフトで文章化してスマホに表示させたりできます。普通の人の外国旅行はそれで済みます。そんな時代になぜ1億総英会話教育を始めなければならないのかわかりません。

 戦後にアメリカは、日本の強さの根源は大家族生活による知識の伝承であると見て、核家族文化住宅が先進的であると見せ掛けて日本に導入させたと聞いたことがあります。 日本語でしっかり考えることを骨抜きにして英会話に走らせれば、ますます日本は弱体化します。
 安倍は「美しい国」だの「伝統を愛する」だの「国益を守る」という言葉をよく使いますが、英会話を強制したり英語で英語教育をさせるのは、何よりも国益を損ね、美しい日本の伝統を荒廃させているのです。彼はいったい何人(なにじん)なのか?見本人なのか、アイデンティティーはどこなのか?あるのか?

 私の分野の眼科では、20年前は、日本語の眼科医学書は数種類しかなくて、英語の教科書を読む必要がありました。特に手術の本はありませんでした。
 今は日本語の眼科の本がたくさんありますから、後輩たちは英語の教科書を読む必要はありません。
 研究はやはりアメリカが先進的なので、最先端の技術を導入したい場合は英語論文を読まなければなりません。最先端で勝負する眼科医とは、学会のリーダー的な少数の先生やその次を狙う候補生たちです。
 そのような人はアメリカの学会で発表するので英語で討論しなければなりませんから英語のプレゼンテーションが必要です。そのようなひとたちは、この分野で一握りしかいません。
 私のような普通の医者はリーダーが教えてくれたことを実地の治療に使うだけなので、英語は使わなくても済みます。英語学習に無駄な時間や精力を使うくらいなら治療技術を磨くことに使いたいと思っています。
 先生のインタビュー記事を読んでいろいろ考えたことを書いてみました。
 これからもよろしくお願いします。先生ますますのご健勝をお祈り申し上げます。


 以上は大学病院で眼科医をしている教え子からの便りでしたが、次に紹介するのは、英語関係の出版社で編集者をしている方からの便りです。
 この方は、大学入試を民間会社に丸投げしようとする文科省の政策に、強い疑念を提示されています。
 英語関係の出版社は、ともすると、これを機会に、英検・TOEIC・TOEFLその他の受験問題集を売り出して一儲けをしようとするところが多いのですが、そうではない方もいるのだということを知り、おおいに励まされました。
 また下記の便りでは、ほとんどの大学英語教師が文科省の政策と正面切って闘おうとしていないなかで、孤軍奮闘している人物として羽籐由美氏を紹介していますが、彼女の意見を知るには『検証、迷走する英語入試』第3章(岩波ブックレット)が役立ちます。

寺島隆吉先生
 暑かった夏もようやく一段落、ここ数日でやっと秋らしくなってまいりました。その後、すっかりご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
 さて、この度は、『I.B』をお送りいただき、ありがとうございました。写真付きの先生のお元気そうなお姿を懐かしく拝見し、また変わらず、現状への批判を忘れない姿勢に感激いたしました。

 このところ、英語教育の議論を見ていると――とりわけ民間試験導入をめぐる論争を見ていると、英語教育関係者の不甲斐ない姿を見せつけられるにつけ、寺島先生のような姿勢を引き継いでくれる人は出てこないものかと思うことが多いので、なおさらそのように思いました。
(私にとっては特に興味深かったのは、「教員の研究費を削ってTOEICの受験料を捻出」という部分です。)

 この半年ほどの私の、英語教育に関することでの最大の関心事は、上に書いたとおり、民間試験導入の件です。世間では4技能か2技能かの対立みたいに言う人もいますが、いやいやどうして、制度設計があまりに杜撰で、これではいわゆる4技能派といわれる人ですら賛成できなような代物です。
 こんなものを支持している英語教員がいるのかと思うとうんざりしますが、先日、大学英語教育学会(JACET)の報告書を見ていたら、民間試験を導入することを推進するための諮問委員になったことを自慢して書いている文章があって、その見識のなさに唖然としてしまいました。
 JACETの人たちは、こういう動きは自分たちの主張する「使える英語」路線を支援するものと思っているのかもしれませんが、こういう政策は、一方では、大学の英語教員への不信感から生まれているところもあるわけで、いずれ大学の英語教員じたいが要らないと言われかねない危険があると私には見えます。
 それなのに、こういう政策を支持するとは、いったいどういうことなんだろう、とあまりのおめでたい姿勢に愕然とします。

 腹立たしいことの多いなかで、この民間試験導入をめぐる議論で、1人だけ、すごいと思った方がいます。京都繊維大の羽藤由美先生です。
 羽藤先生は立場としては4技能派で、みずからスピーキングテストを開発しているような方ですが、今回の民間試験については、徹底批判の側で、いまもっとも実質的かつ徹底的な論陣をはっているのは羽藤先生です。
 JACET会員でもある彼女は、JACETの対応についても孤軍奮闘、闘っています。英語教育にもまだこんな人がいたんだなあ、と思って感心していま
す。
 急に涼しくなってきました。どうぞくれぐれもお体にはお気を付け下さい。
 取り急ぎ、御礼のみにて失礼いたします。


 上のメールで紹介されている羽籐由美氏の主張は「大学入試でスピーキングの試験をするのは反対ではないが、それを種々雑多な民間会社に丸投げするのは無責任であり、受験生にとっても公平な制度ではない」というものです。
 これについては次回のブログで私見を述べるつもりです。というのは、私は「大学入試でスピーキングテストは不要だ考えているからです。その理由については次回までお待ちください。


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狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

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