FC2ブログ

英語教育残酷物語 「『英語で授業』という名の拷問」その2

英語教育(2019/01/05) 潰瘍性大腸炎、難病指定の「不治」の病、<英語で授業>という名の拷問、「マケレレ原則」という名の植民地的言語政策

森下敬一桜沢如一 (2)


 前回のブログでは、「英語で授業」という文科省の政策で、そういう方針を真面目に実施している学校ほど、生徒の苦悩が深まり、ついに「学力テスト」の答案用紙に、処罰覚悟で担当教師を名指して「○○は死ね」と書く生徒が現れていることを紹介しました。
 そして、その紹介文の末尾を次のように結びました。
 <その男子生徒は、生徒指導部の事情聴取で、「(日本語を使わない授業だから)本文も指示も、何もかもわからなくなってきて、“悪いのは先生”だという気持ちが抑えられなくなった」と言っているそうですから、なおさらのことです。この生徒の言葉は、「英語で授業」という授業のありかたが、生徒にとって一種の拷問であったことを何よりも雄弁に物語っているのではないでしょうか。>

 ところが前回のブログでも紹介したように。「英語で授業」を売り物にしているICU(国際基督教大学)でさえ、ICUで生活する学生には「心理的カウンセリングの支援体制も必要」と言いながら、同時に「実際にカウンセリングが必要な学生も増えて」いるというのです。
 しかも、「学生と目線を合わせて真剣に意見交換をするには、・・・おのずと少人数クラスになります。現在、先生ひとりに学生が19人ですが、これでも多いですね」と学長が言っている大学で、「カウンセリングが必要な学生も増えている」のです。だとすれば、このような支援体制のない学校では、何が起きるでしょうか。
 それを典型的に示してくれたのが上記の高校生でしたが、アメリカに留学した学生でも同じ現象が起きています。
 それを示すのが次に紹介する留学生の例です。これはアメリカに留学した女子学生が潰瘍性大腸炎になり、帰国して医師(石原結實)の指導する断食療法のおかげで救われたという手記です。(石原結實『食べない健康法』PHP文庫2012、182-186頁)
 まず、その原文を下に紹介しますが、結論から先に言うと、その女子学生が潰瘍性大腸炎から救われたのは、石原医師の指導する「伊豆のサナトリウムにおける断食療法」のおかげより、むしろ、アメリカの大学を卒業して4年間の留学生活から解放されたからではなかったか、というのが私の意見です。
 すなわちアメリカの大学で受け続けた「<英語で授業>という拷問」から解放されたからこそ、帰国後の彼女に潰瘍性大腸炎は再発しなかったのです。これが私の判断ですが、以下に紹介する彼女の手記で、それを検証していただければ幸いです。(下線は寺島)

手記4 潰瘍性大腸炎が完治 (N.H.23歳女性)

 ほとんど病院と縁がなく、健康優良を信じて疑わなかった私が潰瘍性大腸炎を発症したのは18歳の秋でした。医師からこの先完治する見込みはなく一生涯入退院をくり返すことになるでしょうとの宣告を受けてから4年。絶え間ない腹痛と下痢に日常生活すらままならなかった日々を思うと、現在の健康は夢のようです。
 病状初期の段階で石原先生の断食療法に巡りあっていなかったら、今でも闘病を続けていたに違いありません。朝日が覚めて体調の良さを実感するたび、ご縁をいただけたことに感謝する毎日です。
 体調不良の兆候が表れたのは高校卒業後の夏に遡ります。9月から米国の大学に入学を控え、受験からの解放にほっと一息ついたものの、対人関係において大きな悩みを抱える時期でもありました。顔と脚の尋常でないむくみと、便に時折混じる血を怪訝に思いつつも、深く気にかけることはなく予定どおり渡米しました。
 予想外に寒い留学先では新環境からくる緊張感と不規則な生活リズム、脂質糖質に偏った食事そして運動不足が病状の進行に拍車をかけたようです。
 下血の量は次第に増え、貧血から動悸、目眩、だるさなどの症状も覚えるようになりました。また大量の寝汗をかき、夜中に何度着替えても朝になると布団がぐっしょり濡れている状態でした。2ヶ月も経たないうちに異常を感じ取った母に説得されて緊急帰国し、潰瘍性大腸炎という病名を初めて知ることになりました。
 診断を受けてすぐ投与された鉄剤やステロイドなどの薬品は体に合わず、西洋的な薬による治療は続けられないと実感しました。そんな折に断食療法を長く続けける叔母から勧められたのが伊豆のサナトリウムです。
 初めて石原先生に診察していただいた時のことは忘れられません。私の胃の上を叩かれてぽちゃぽちゃと水音がするのを確かめられると、「水毒です」とおっしゃって、冷えから余分な水分が溜まり病気に至る因果関係を鮮やかに説明してくださいました。
 それまでは病因は解明されていないと信じていたので、その明快な理論に目からうろこが落ちるような思いでした。何よりも先生の気さくなお人柄が、痛みと不安で暗く落ち込んだ心にはこの上なくありがたく、「絶対治りますよ」と断言していただいたことを励みに、この療法で治そうと決心しました。
 断食の効果はすぐに現れ、下血の量も下痢の回数も驚くほど少なくなって、翌年の2月には復学できるほどに回復しました。留学先では人参ジュースなどの入手が困難なため、日本と同じ食事療法は続けられませんでしたが、それでも少食と体を温めることに留意して体調を保ち続けました。
 朝食の代わりに紅茶に粉末生姜を混ぜたものを飲み、また腹巻の着用は常に忘れず、寒い季節にはホッカイロを重宝しました。それでも学期末にはどうしても体調が衰えてしまうので、冬と夏の長期休暇中には必ずサナトリウムでの断食で一気に回復してまた新学期に挑む、という生活をくり返していました。
 発症から2年目、期末試験を終えた後、症状が急激に悪化し、水を飲んでもお腹を下して、脱水症状と体力の消耗とでほとんど寝たきりの状態になってしまったことがありました。友人たちに入院を強く勧められましたが数日後の帰国まで耐えられたらサナトリウムで回復できるとの思いで、西洋的な施術を断固拒否し続けました。
 今にしてみると究極の選択だったと思います。なんとか伊豆に辿り着いて2週間近い断食を続け、危険な状態からは脱することができました。そしてこのときを最後に症状が完全に治まり、痛みに苦しむことのない生活が甦りました。
 潰瘍性大腸炎が完治した現在でも、石原先生に教えていただいた健康法は守り続けています。朝食は摂らず、魔法瓶につめた生姜紅茶を午前中ずっと飲み続け、昼は小豆を炊き込んだ玄米に大根おろしとお味噌汁、夜の食事には特に制限を設けませんが、野菜を主とした和食を好んで食べます。
 關病生活から得た収穫として、目で欲しいと思うものと体が摂りたいとするものの違いがわかるようになったことがあります。以前は牛乳や甘い砂糖菓子、塩味の薄く水分の多い陰性食品に嗜好が偏っていましたが、今ではあまり食べたいという欲求が起こりません。
 また、体の出す冷えのサインに敏感になり、体温の低下を未然に防げるようになりました。盛夏でも腹巻を欠かしたことはありません。症状が出てしまった病気を治癒するだけではなく、未病の段階で発症を防ぐ術を身につけさせていただいたと、心から感謝しております。(石原優實『食べない健康法』PHP文庫、2012、pp.182-186)


 以上の手記を読んでお分かりだと思いますが、NHさんは、石原医師の言いつけどおり、少食と体を温めることに留意して体調を保ち続けましたが、「それでも学期末にはどうしても体調が衰えてしまうので、冬と夏の長期休暇中には必ずサナトリウムでの断食で一気に回復して、また新学期に挑む、という生活をくり返していた」のです。
 つまりアメリカの大学では、授業に出れば<「英語で授業」の拷問>が待っているわけですから、心とからだが休まる暇がありません。ですから学期末にはどうしても体の不調が始まってしまいます。その追い詰められた体に休息と安息を与えてくれたのが、伊豆のサナトリウムにおける断食療法でした。
 断食療法が大きな医療効果をもつことは古来いろいろなかたちで試されていますから、この治療法が彼女の潰瘍性大腸炎を直すのに役立ったことは否定しません。しかし、彼女がアメリカに帰れば、また潰瘍性大腸炎が再発するのですから、最終的な解決にならないことは明白です。
 彼女の潰瘍性大腸炎の最終的解決になったのは、4年間の留学生活を終え、「<英語で授業>という拷問」から解放されたときでした。ですから帰国して一度も再発しないのは、ある意味で当然のことだったのです。その喜びを彼女は手記の冒頭で次のように述べています。
 「医師からこの先完治する見込みはなく一生涯入退院をくり返すことになるでしょうとの宣告を受けてから4年。絶え間ない腹痛と下痢に日常生活すらままならなかった日々を思うと、現在の健康は夢のようです。」

 ご承知のとおり潰瘍性大腸炎は、「病因が解明されていない」とされている「難病指定の病気」です。つまり「不治の病」と言われているのですが、潰瘍性大腸炎が何らかの大きなストレスをかかえているひとに発症することは、多くの症例が示しています。
 西洋医学に頼らずに自分の潰瘍性大腸炎を治して一躍有名になった西本真司医師も、29歳のときにこの病気を発症したときは、研修医として熊本赤十字病院に勤務しており、特にその前の月はほぼ24時間、働きづめの毎日だったそうです。その後、約7年をかけてさまざまな療法を試し、結局たどり着いたのが自己免疫力をたかめる「代替治療」でした。
 西本医師は、自分の潰瘍性大腸炎を完治させた体験、自分の患者の潰瘍性大腸炎を完治させた治験から、その結論を次のように述べています。

 私自身もそうでしたが、家族の中でも兄と弟に挟まれて、他人や周囲に気を遣いつつ、物事がうまくいかないときは自分を責める癖がありました。潰瘍性大腸炎は自己免疫疾患です。つまり、自分の免疫が自分の健康な細胞を攻撃してしまう。患者さんは、いわば自分で自分を責める思考が体の細胞レベルでも展開されているのです。このことに気づいてからは、(「断食」などによる)治療と共に、患者さんの心理的な問題を探し出し、問題が解決できるよう患者さんと一緒に取り組むようにしました。(中略)
 代替療法を取り入れることには賛否があると思います。ただし症状にフタをするだけの治療では根治はしません。やはり、その人の根本部分から病気の原因を取り除き、時間がかかっても体を変えていくという取り組みが必要です。それには代替療法は有効なものだといえます。
(潰瘍性大腸炎は本当に“不治の病”なのか―自らの難病を克服した医師の教え)
https://president.jp/articles/-/24146?page=3


 この病気の怖いところは、再燃を繰り返すということです。西洋薬による治療で改善はされるのですが、2度、3度と再燃を繰り返し、そのたびに症状が重くなっていきます。にもかかわらず、根本的な原因を取り除き、東洋医学を中心とする「粗食少食」「玄米菜食」「代替療法」で潰瘍性大腸炎は治るのです。
 ところが歴代の政府は、潰瘍性大腸炎など治るはずの病気も難病指定して、医療機関を儲けさせる政策に邁進し、他方で「医療費が高騰しているから」という理由で消費税増税を打ち打ち出す始末です。その一方で、医療費に回るはずの消費税は、いつのまにかアメリカ製の高額兵器を購入する財源に化けてしまっています。
 これでは庶民の苦悩は尽きることがありません。生徒・学生の「<英語で授業>という名の拷問」も、安倍政権が続くかぎり、終わることはなさそうです。次回のブログでは、生徒・学生ではなく、教師・教授が「<英語で授業>という拷問」でいかに苦しんでいるかを紹介したいと思います。

<註> 実を言うと私も石原医師の「サナトリウムにおける断食療法」を体験したくて伊豆に出かけて、味噌汁・生姜紅茶・ニンジンジュース(とサウナ風呂)だけの4泊5日を過ごしました。私はその頃すでに少食・玄米菜食の毎日をすごしていましたから、この4泊5日を特に苦痛とは感じませんでした。
 しかし、多くのひとは、「美食大食」「肉乳食(←→穀菜食)」に慣れきっていて、そこから抜け出す道を求めて伊豆に来ていることを知りました。ここに来るひとたちは、それほど肥満体が多く、しかも自力で「断食」する気力・意志力がないので、サナトリウムに自分を閉じ込めることによって地獄から脱出しようとしていたのでした。
 このサナトリウムに来て、そのことがよく分かりました。
 なお「肉乳食」「美食大食」をやめ、「穀菜食」「粗食少食」で健康を取りもどしたいひとには、森下敬一や桜沢如一の一読をおすすめします。また森下自然医学の言う「自然食」と「自然医食」の違いにも留意してください。
 ちなみに、桜沢如一の『ゼン・マクロビオティック』は、岡倉天心の『茶の本』と同じく、まず英語で書かれ、アメリカで出版されました。

関連記事
スポンサーサイト



検索フォーム
プロフィール

狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

Author:狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

リンク
最新記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
RSSリンクの表示
QRコード
QR