米兵によるレイプ事件(2)――戦後の沖縄をアメリカに「売り渡した」昭和天皇、GHQ政治顧問シーボルトの極秘メッセージ [沖縄から日本とアメリカを見る]

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http://www.peace-forum.com/mnforce/2012/02katudou/121002okinawa/01.htm
動画(15分):オスプレイ配備反対 普天間基地を封鎖した沖縄の人々
https://www.youtube.com/watch?v=1JyGxBeGiYQ

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いまアメリカでは巨大なハリケーン「サンディ」のためにニューヨークなど多くの地域が麻痺状態になり、ニューヨーク近辺ニュージャージー州のSalem、Oyster Creek、Indian Pointなど、多くの原子炉や燃料プールが危機的状況にあります。

ハリケーンで原発が停止または停止寸前に追い込まれるのですから、毎日のように全土が地震で脅かされている日本で、原発を再稼働させるというのは、まさに自殺行為というべきです。腹に爆弾を巻き付けて自爆しようとする人間と瓜二つです。

にもかかわらず、原発廃止の方針を受けてドイツ企業が放棄したイギリスの原発を、日立製作所が買収するというニュースが飛び込んできました。
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-121030X486.html

また、10/29の東京新聞によれば、2011年度三次補正予算に盛り込まれた東日本大震災の復興予算のうち5億円を、経済産業省がベトナムへの原発輸出に関する調査事業費として支出していたそうです。

そんなお金があるんだったら、なぜ被災者の救済に回さないのでしょうか。

自国の原発事故がいまだに収束の気配すらなく汚染水を大量に出し続けているというのに、また福島の人たちがいまだに仮設住まいだったり集団疎開を求めて闘っているときに、政府や大企業にとっては住民の命よりも金儲けが大事なようです。

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ところで私は前回のブログで、次のように書きました。

 イラクの場合、石油の利権など多くの経済的権利をアメリカに奪われてしまいましたが、「自国で起きた犯罪は自国の司法に則って裁く」という主権国家として当然の権利だけは断固として守り抜きました。その結果が米軍の撤退だったのです。
 だとすれば日本も当然の権利として、「日米地位協定」を主権国家にふさわしいものに変えさえすれば、「米軍基地をなくせ!」などと声高に叫ばなくても、米軍は撤退するでしょう。
 そうすれば莫大な金(=日本国民の税金)をかけて米軍基地を維持する必要がなくなり、財政問題も簡単に解決します。問題は、アメリカの圧力に屈しないで毅然とした態度を貫く政府を、私たちがどうやってつくり出すかです。


そしてブログ原稿の最後を次のように結びました。
 ところで、米軍が起こす犯罪のほとんどすべてが沖縄で起きています。それが本土の私たちに沖縄問題から目をそらさせる大きな要因になっています。
 実は、沖縄を軍事占領するようアメリカに提案したのは昭和天皇自身でした。1947年(昭和22年)のことです。これはまだ日本人にはよく知られていない事実でしょう。そこで次回のブログは、そのことに焦点を当て書いてみたいと思います。


では、天皇がアメリカにたいして「沖縄を半永久的に軍事占領していてほしい」と伝えた極秘メッセージとは、どのようなものだったのでしょうか。

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以下でまず紹介するのは、終戦後、昭和天皇の側近となった元外交官の寺崎英成(ひでなり)が、天皇の意向を伝えるために占領軍総司令官マッカーサーを訪ねてきた内容を、政治顧問シーボルトが1947年9月22日、アメリカの国務長官に報告したものです{下線部は引用者}。

謹啓
 天皇の顧問・寺崎英成氏が当事務所を訪れたさいの、同氏との会話要旨をメモした1947年9月20日付けマッカーサー元帥あて覚え書きのコピーを同封することを光栄とするものです。
 米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、それが疑いもなく私利に大きくもとづいているものである点が注目されましょう。また天皇は、長期租借(そしゃく)による、これら諸島の米国軍事占領の継続を求めています。寺崎氏の見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということであります。
敬具
                 
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このシーボルトの極秘メッセージにたいして、有名な翻訳家・池田香代子さんは、2010年12月24日づけのブログで、次のように書いています。
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/51514436.html

1947年9月、このいわゆる昭和天皇の沖縄メッセージを、宮内庁御用掛・寺崎英成から伝えられた連合国最高司令官政治顧問シーボルトは、率直に a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest、「疑いをはさむ余地なく主としてself-interest から出た要望」と評しています。self-interest は、私利私欲、利己心などと訳され、言うまでもなく道義的にあまり芳しくない意味を帯びています。この一語にはシーボルトの軽蔑すら感じられます。

シーボルトが天皇の私利私欲と見たのはどのようなものだったのか。ソ連の影響を阻止したいというのが国民の関心事である、という昭和天皇の認識をシーボルトが共有していたなら、東西対立がいよいよ激化していた折柄、かれは昭和天皇の言い分はもっともだ、と同意したでしょう。こんな侮蔑的な言い方はしなかったでしょう。


池田香代子さんは、「シーボルトは、率直に a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest、『疑いをはさむ余地なく主としてself-interest から出た要望』と評しています」と述べていますが、英語原文は次のとおりです。該当箇所に下線を引いておきます。

It will be noted that the Emperor of Japan hopes that the United States will continue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus, a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest. The Emperor also envisages a continuation of United States military occupation of these islands through the medium of a long-term lease. In his opinion, the Japanese people would thereby be convinced that the United States has no ulterior motives and would welcome United States occupation for military purposes.


この文書の全文は「沖縄県公文書館のサイトに載っている」と池田香代子ブログに書いてあったので、調べて見ると確かにそのとおりでした。下記を御覧ください。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/images/Emperor%27s%20message.pdf

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池田香代子ブログは長いので途中は省略して、最後の部分だけを引用すると、それは次のようになっていました。私が下線部を引いた箇所に注目してください。

つまり昭和天皇は、日本に生きる市民たちから自分を(昭和天皇の心理的事実では日本国を)守るために、アメリカは沖縄をいつまでも軍事占領してほしい、と言っているわけです。天皇のなかでは、国家と「国民」が敵対関係、と言っては語弊があるならば、緊張関係にある。「国民」は時として国家すなわち自分を脅かすものと認識されている。だから、一朝事(いっちょうこと)あれば、沖縄にいる米軍の銃口を市民に向けてほしい、というわけです。

ここからは、皇国思想とともに、軍は人びとを守るものではないという現実をふまえた、冷徹な軍人政治家の発想がうかがわれます。なにしろ昭和天皇は、30代後半からの15年を軍服で生き、ほんの2年前まで、いかに形式的だろうが大元帥として戦争を「指揮していた」のです。そして、これはあまたの傀儡政権のトップに共通する発想です。傀儡政権のトップを、「宗主国」の人間は尊敬しません。溥儀を関東軍が尊敬しなかったように。


上記下線部で薄儀(ふぎ)とあるのは、中国の清朝が崩壊したときの最後の皇帝であり。日本が満州国という傀儡(かいらい)国家をつくったときに、日本によって満州国皇帝に据えられた人物です。

この人物は日本の傀儡(かいらい=あやつり人形)だったわけですから、満州国を実質的に支配していた日本陸軍=関東軍からは軽蔑されていた、それはアメリカが天皇を内心は軽蔑していたのと同じだ――と池田香代子さんは述べているのです。

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http://www.peace-forum.com/mnforce/2012/02katudou/121002okinawa/01.htm

昭和天皇が寺崎英成(ひでなり)を通じて自分の意向を伝えたのは1947年(昭和22年)9月でした。

このとき既に日本では新しい日本国憲法が、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従って、1946年11月3日に公布され、1947年5月3日から施行されていました。

この頃の日本は、アメリカが日本の民主化を支持していました。そして1947年4月25日には新しい憲法のもとで初めての選挙がおこなわれ、その結果、片山哲がひきいる社会党が第一党になりました。

国民が社会主義政党に投票して、それが実現するほど国民の意識が大きく変化しつつある時代でした。ですから「朕は国家なり」という古い意識をもったままの天皇がこのような動きに危機感をもったというのは、ある意味で当然だったとも言えます。

その後、朝鮮戦争の勃発(1949年)が近くになるにつれて、占領軍内部でも、日本の民主化よりも再武装させてアメリカ軍と一緒に戦わせようとする勢力が勝ちを占めることになり、いわゆる「逆コース」の時代が始まりました。

最近でも「押しつけ憲法改正!」と叫んでいるひとが再び自民党の党首になりましたが、実は平和憲法の改正(改悪?)を最も望んだのは、「おしつけた」はずのアメリカだったことは、これまでの歴史からも明らかです。実に皮肉なことです。

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占領軍司令官マッカーサーが片山哲首相の就任を黙認したのは、片山哲がキリスト教徒だったからだ、日本にキリスト教を広めるのに今が絶好の機会だと考えていたからだと、『戦後史の正体』(73頁)は実に興味深い指摘をしています。

その孫崎享『戦後史の正体』(2012, 87頁)はさらに寺崎英成がシーボルトに伝えた天皇の意向を次のように紹介しています[池田香代子ブログは2010年だったことに注目してください]

天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを私に伝える目的で、時日をあらかじめ約束したうえで訪問してきた。寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。(中略)
 
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の諸島)にたいする米国の軍事占領は、日本の主権を残したままでの長期租借[そしゃく]――25年ないし50年あるいはそれ以上――の擬制[ぎせい=フィクション]にもとづいてなされるべきであると考えている。


これは、シーボルトがアメリカ国務長官あての極秘メッセージの中で「マッカーサー元帥あての覚え書きを同封します」と書かれている同封文書の一節です。その和訳全文と英語原文は、末尾に資料として載せておきます。

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それはともかく、1979年に進藤栄一・筑波大学助教授(当時)がアメリカ公文書館から発掘した文書について、『戦後史の正体』(87-88頁)はさらに次のように解説しています。

「えーっ」と驚かれたかも知れません。私も初めてこの文書を読んだときは本当に驚きました。ここで昭和天皇はGHQ側にたいして「沖縄を半永久的に占領してほしい」と伝えているのです。さらに驚きべきことに、沖縄の現実はいまでも基本的にこの昭和天皇の要望どおりになっているのです。昭和天皇は戦後の沖縄関係を構築するうえで、ここまで深く直接かかわっていたのです。


ところが進藤氏が雑誌『世界』1979年4月号でこの文書について発表したとき、大手マスコミどころか学会もまったく黙殺の態度をとりました。

「不都合な事実には反論しない。あたかもそれが何の意味ももたないように黙殺する」それが戦後の日本のメディアや学会の典型的な対応なのです――と孫崎享氏は同書(88頁)の第1章を結んでいます。

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この極秘メッセージにたいする本土の対応は上述のとおり全くの黙殺でしたが、沖縄の反応はそれとは対照的でした。それを前述の池田香代子ブログは次のように伝えています。

この外交文書が機密解除されたのは1979年、沖縄「復帰」後7年目のことでした。沖縄は騒然としたと記録にあります。それはそうです。皇国教育をうけ、沖縄戦に巻き込まれ、家族や家や土地を失った人びとはまだ青壮年です。そして、戦場と化した島を逃げ惑ったおじぃおばぁが日の丸を掲げて島ぐるみで「本土復帰運動」をした経験は、ついこのあいだのこととして生々しく共有されていました。


島ぐるみで「本土復帰運動」をして、1972年(昭和47年)5月15日にやっと実現した復帰運動でしたが、本土の反応は、沖縄の苦しみにはほとんど無関心という冷たいものでした。

また、これは日本政府が、アジア太平洋戦争の末期に「集団自決」など沖縄住民に多大なる犠牲を強いたにもかかわらず、いまだにそれを正式に認めようとしないことにも通じるものです。

これでは沖縄の人たちが憤(いきどお)るのも無理はないと言うべきでしょう。

ではなぜ日本が沖縄にたいしてこんなにも無関心だったのでしょうか。それは戦後の日本がアメリカにたいして従属的であり続けてきたことと深く結びついています。

そこで次回はアメリカ独立宣言の基礎を築いたと言われるトマス・ペイン『常識=コモンセンス』を取りあげながら、もういちど日米関係を考えてみたいと思います。

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<資料1> 総司令部政治顧問シーボルトから国務長官宛の書簡、東京1947年9月22日
主題:琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解
国務長官殿 在ワシントン

謹啓
 天皇の顧問・寺崎英成氏が当事務所を訪れたさいの、同氏との会話要旨をメモした1947年9月20日付けマッカーサー元帥あて覚え書きのコピーを同封することを光栄とするものです。
 米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、それが疑いもなく私利に大きくもとづいているものである点が注目されましょう。また天皇は、長期租借(そしゃく)による、これら諸島の米国軍事占領の継続を求めています。寺崎氏の見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということであります。
敬具

合衆国対日政治顧問 代表部顧問、W.J.シーボルト

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<資料1の原文> UNITED STATES POLITICAL ADVISER FOR JAPAN、Tokyo, September 22, 1947.
Subject: Emperor of Japan's Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands.
The Honorable, The Secretary of State, Washington.

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