W教研を終えて思ったこと反省したこと(上)

8月8日(日)W県高等学校教職員組合主催の教育研究講座「英語部会」に招かれて講演しました。講演といっても「教育実践相談」や「ワークショップ」が中心なので、「講演」とは言いがたいものですが、相手が聞きたくもない話を一方的に聞かせるというのは私の性分に合わないので、毎年このようなかたちをとらせてもらっています。

今年で6回目になるこの「講演」は、毎年、朝9時から午後4時までの長時間にわたるものです。しかし、これ位たっぷり時間があると、語りたいことや伝えたいことを自由に組み立てることが出来るので、私としては有り難い時間構成です。
(ただし今年は6月7日(月)に心臓のバイパス手術をしたばかりで肉体的には少し辛いものがあったので、昼食後に1時間弱の休憩をもらい、和室で横になる時間もつくっていただきました。)

この「講演会」全体の構成は概略つぎのようなものでした。
1 午前:参加者の教育実践相談
2 午後:理論学習とワークショップ

以下は、その「講演会」を終えて思ったこと反省したことを、私の主催する英語教育の研究会「記号研」の「掲示版」に載せたものです。(ただし再掲するにあたって若干の加筆修正を加えました。また以下で「K先生」とあるのは、記号研「掲示版」で当日の様子を報告していただいた講座責任者の先生です。)

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今回の講座については色々と反省するところが多く、次回への準備の意味も込めて、少し思うところを以下に箇条書きにしてみたいと思います。というのは、K先生は報告の中で次のように書いておられるからです。

<アメリカが自国の経済のために食料戦略を仕掛けている。日本を含めた世界50カ国がそのターゲットになってきた。映像を交えながらそんな話をしていただく予定でしたが,残念なことに時間切れでした。「えー見たい。」と女子高生のような声を上げた先生が数名いらっしゃいました。是非またの機会にお願いしたいと思います。>

午前中は昨年と同じく「自己紹介」を兼ねて参加者の「教育実践相談」のかたちをとったのですが、参加者が20人を越えると、一人10分でも合計200分以上になってしまいます。しかし午前の部は9時から12時までの3時間(180分)しかありません。

ですから、なるべく質問したいことがなければ簡単に5分以内にしてもらうことにしたわけですが、それでも結果としては結局のところ時間不足になり、参加者全員の悩みに十分応えられるものにならなかったのではないかと恐れています。

しかも私としては、ぜひ見てもらいたい映像資料として「洗脳洗舌される経済」を持って行っているので、本当はこれを午前中にやりたかったのですが、全くお互いの自己紹介抜きで講座を始めるのも気が引けて、結局は昨年どおりのやり方になってしまったのでした。

<註:最近ハイチで大地震があり、多くの人が亡くなっただけでなく、生き残った人たちも食料や住み家も十分に届かないので瀕死の状態に追い込まれています。しかしハイチは元々、自給自足が出来る国でした。それをアメリカの食料に頼らざるを得なくなったのは、アメリカの貿易・農業政策によるものでした。その詳しい説明については下記を御覧ください。>
翻訳: 西側支配がハイチの復興力を奪った Democracy Now!2010年1月20日
http://www42.tok2.com/home/ieas/Haiti-DemocracyNow100201.pdf

しかし今にして思えば、毎年この講座に参加している常連も少なくなく、しかも前日土曜にには独自のレポート発表による教研もやっているわけですから、氏名・勤務校を知らないのは講師の私だけということになります。ですから氏名・勤務校を紹介してもらうのは、前日の教研に参加しなかったひとだけでも良かったわけです。「実践相談」よりも「映像資料」を見たかったという声が多かったのであれば尚更のことでした。

K先生の報告では「えー見たい!と女子高生のような声を上げた先生が数名いらっしゃいました」という声があったようですし、私も拙著『英語教育が亡びるとき』で「アメリカの光と影を知るために英語を学ぶ」「日本を第2のアメリカにしないために英語を学ぶ」ことを強く主張してきましたので、そのことを傍証するための資料として「洗脳洗舌される経済」はぜひ観て欲しいし聞いて欲しい内容でした。

<註:日本の食糧自給率も現在、危機的状況に追い込まれていますが、ハイチに対するものと基本的には同じ政策によるものです。しかし恥ずかしいことに最近まで私はこのことを知りませんでした。それに気づいて慌てて作成したのが映像資料「洗脳洗舌される経済」であり、頼まれてM大学の集中講義をするときも、この資料を使いました。>

以上のような理由で講座当日も頭の中では「洗脳洗舌される経済」を「教育実践相談」よりも優先したいという欲求が強かったのですが、私の一方的な要求よりも参加者の悩みや願いを聞く方を優先すべきではないかという迷いがあり、そのままズルズルと「教育実践相談」にのめり込んでしまったのでした。

しかし何度も言うように,今にして思えば、映像資料つきの講演「洗脳洗舌される経済」を優先すべきだったと後悔しています。

というのは、漠然とした「教育実践相談」よりも、講演「洗脳洗舌される経済」を見てもらい私の話を聞いてもらった方が、生徒と立ち向かう教師の姿勢に全くの違いが出てきたのではないかと思うからです。映像資料を見てもらい、「何のために英語を教えるのか」「自分はどういう状況におかれながら英語を教えているのか」を自覚してもらった上で教壇に立ってもらった方が、現場の細かな教育技術よりも、当面は大切だとも考えられるからです。

同じことは教師が教壇に立つときにも生じてきます。受験用の、覚えてもすぐ忘れる「知識」よりも、「学び方」こそ生徒に教えるべきでしょうし、生徒の「何のために英語を学ぶのですか」という疑問に答える方が後の学習意欲に大きな違いを生むとも考えられるからです。つまり、生徒の「役立つ知識を教えてくれ」という要求に答えるより、教師が一方的に「何のために学ぶか」を語り「学び方」を教えることも、時には必要ではないかと思うのです。それが今回の大きな反省点の一つでした。


<註:拙著『英語教育が亡びるとき』の出版記念を兼ねた退職記念講演会でも、私は、内橋克人・宇沢弘文『始まっている未来』(岩波書店、2009)という本の1節を資料として配布し、日本がいかに「米国の経済戦略の一環として」戦後復興をさせられてきたかを紹介しましたが(中国やソ連をにらんだ軍事戦略の一環でもあった)、それは以上のことを念頭においてのことでしたが、今回の講演「洗脳洗舌される経済」は、それを更に補完することを目指したものでした。

前掲『始まっている未来:新しい経済学は可能か』を著した宇沢弘文氏はノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツをシカゴ大学時代に指導したことでも有名ですが、日本の大手メディアでは全く登場しません。しかし、日本学士院会員・米国科学アカデミー客員会員でもある宇沢氏が、「日本の植民地化」「植民地としての日本」ということばを使っていることに衝撃を受けました。

宇沢氏は青年時代の1958年、ワトキンス調査団の一因として戦後日本の復興計画に参加したこと、小泉政権下で猛威をふるった市場原理主義、その理論家フリードマンがいたシカゴ大学で宇沢氏も教鞭を執っていたこと、さらに、フリードマン理論に従って日本破壊の旗振り役を務めた御用学者・竹中平蔵氏が、盗作論文の経歴を持つことも上記の書を読むまでは全く知りませんでした。

なお上記の配布資料「日本の植民地化と構造協議」「植民地としての日本とパックス・アメリカーナ」については、前掲書または下記の寺島研究室HPを御覧ください。>
http://www42.tok2.com/home/ieas/uzawa2009.pdf

以下、次号に続く。

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