「法人化」された国立大学の未来――京都大学の「国際化断行」は何をもたらすか

英語教育(2013/09/21)
Key Words: 家畜化教育、英語で授業、英語化=国際化?、グローバル人材、国立大学「法人」、京都大学「国際高等教育院」

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前回のブログではインド在住のモハンティ三智江さんからいただいた拙訳『チョムスキーの「教育論」』(明石書店、2006)の書評を紹介しました。

三智江さんには下記のようなお礼状を書きました。

御満足いただけるかどうか自信がありませんが、下記のようなかたちで転載させていただきました。もし何かお気づきの点・ご不満な点があれば御指摘いただければ幸いです。

http://pub.ne.jp/tacktaka/?entry_id=5045124

安倍内閣の教育再生実行会議の圧力で、いま高等学校だけでなく大学も「英語で授業」という攻勢が強くなってきていますので、いただいたメールのなかで三智江さまの下記の言葉がとりわけ強くひびいてきます。

>チョムスキーについては、言語学者という通り一遍の通念しかもっていなかった私でしたが、社会活動家・思想家としても活躍されていることを今回、先生のご本で初めて知りました。自国のことをここまで洞察力鋭く見透かして、内実を包み隠さず暴露するのは大変勇気のいる仕事と思います(ハーバード大学に比べると、在籍中のMITは言論の自由を認める風潮が流れていたとのことでしたが)。そういう意味でも感服いたしました。

東京大学と違って「自由の学風」を重んじノーベル賞の受賞者を多く出してきた京都大学が、下記のような状態に追い込まれていることは、日本の未来にとって深刻な問題を投げかけているように私には思えます。

「外国人100名雇用」計画に対する反対声明 ― 京都大学「国際高等教育院」構想に反対する人間・環境学研究科教員有志
http://forliberty.s501.xrea.com/archives/587


東京大学がハーバード大学だとすれば、チョムスキーのいるMIT[マサチューセッツ工科大学]に当たるのが京都大学ではないか、と私は思っていたのです。

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私が三智江さんへの返礼で京都大学のことにふれたくなったのは、『チョムスキーの教育論』第3章が「教育にとって大学とは何か」であっただけでなく、つい先日、関西の地方紙から次のようなメールがら届いたばかりだったからです。

そのメールには次のように書かれていました。

京都大学では今後5年間で100人規模の外国人教員を雇い(毎年20人ずつ)、全学共通科目(教養科目)の半数以上を英語で開講するという計画が進んでいます。

当初は「グローバル人材育成推進事業」に落選し、一旦は頓挫したかに見えましたが、後に「国立大学改革強化推進事業」に拾われ、30億の補助金と共に強力に推進されようとしています。

(正確には後に修正され、補助金の期限となる5年後には30~40%を英語で開講となったが、他のところで2020年までにさらに150人規模 (先述の100人とは別)の外国人教職員を雇うことが言われているため、最終的には半数を超えると思われる。)

しかも外国人教員の雇用にあたっては各部局のポストを用いることになっており、各部局では専門科目を英語で開講するよう迫られることになります。(後略)


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このメールを見て驚愕しました。

というのは、「自由の学風」を重んじてきた京都大学が、安倍内閣「教育再生実行会議」の案に、ここまでからめ取られるとは予想だにしていなかったからです。

福島原発事故で露呈されたように、東京大学は政府・文科省の御用機関でした。それと違って京都大学は、「自由の学風」を重んじてきたがゆえにノーベル賞の受賞者も多く輩出してきたのではないか、と私はかねてから思ってきました。

そのような私の信頼・期待が、上記のメールで、ズタズタに引き裂かれてしまいました。「京都大学、お前もか!?」「英語にうつつを抜かすようになった大学からはノーベル賞は生まれない」そんな思いでした。

拙著『英語教育が亡びるとき』で書きましたが、英語は中野好夫氏のいう「英語バカ」を生み出す不思議な魔力を持っているからです。その対極的存在が益川敏英氏ではなかったでしょうか。

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上記のメールでは、「そればかりでなく、"会議や各種書類の英語化の推進" までも謳われている」とありました。外資系企業ならいざ知らず、いったい誰のために会議を英語でおこない、書類まで英語化しなければならないのでしょうか。

『チョムスキーの教育論』で述べられている「家畜化としての教育」がこれほど露骨に顕在化した例は他にないのではないかと唖然としました。こんな案を上意下達に提示されて誰も反対するひとが京大にはいなかったのか!?

そう思っていたら(三智江さんの返礼にも書いたことですが)下記のような動きが京大にも存在していたことを知りました。

「外国人100名雇用」計画に対する反対声明
― 京都大学「国際高等教育院」構想に反対する人間・環境学研究科教員有志

http://forliberty.s501.xrea.com/archives/587

「滝川事件」で学問の自由と大学の自治を問いただした京都大学(1933)、「京大天皇事件」で象徴天皇のあり方を問いただした京都大学(1951)は今も健在と知り、少し安心しました。

上記の反対声明は下記の文言で終わっています。

6)案のなかには、今後「会議や各種書類の英語化の推進」を図るという内容まで含まれているが、なぜ日本にいながら、全体の割合のなかでは少数派の外国人に合わせおもねって、日本人があえて議論の劣勢となるような、あたかも植民地政策を思わせるような状況作りを強制しなければならないのか。あまりにも露骨に英語を崇拝して屈従しようとする総長の態度は、愚の骨頂である。


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ところで、国立大学「法人化」が正式に決定されたのは2003年の国会でした。その時点で大学「家畜化」のレールは敷かれていたと見るべきではないでしょうか。

私は議論が始まった当時の教授会で、「すべてを市場原理主義の観点でしか政策を考えないサッチャー政権でさえ国立大学の民営化・法人化を考えていない。にもかかわらず、なぜ日本が率先して国立大学を法人化しなければならないのか」と問いただしました。

しかし残念ながら、その私の意見は荒唐無稽な物言いであるかのように冷笑され、無視されました。そして現在の事態に至っています。。

モハンティ三智江さんの『チョムスキーの教育論』の書評のなかに次のような文言があります。

企業が[明文化された法律によってではなく判例の積み重ねで]いつのまにか「法人」という「死なない個人」「並外れた富と力を持ったパーソン」にのし上がったとの説にも納得し、重い真理を見ました。

肝心の教育論については、門外漢ゆえ稚拙な感想しか申し上げられないのですが、アメリカの教育制度は、自由を重んじ、ディベートなども盛んに行われていると錯覚していたので、飼いならされている生徒の実態が日本とあまり変わらないように思えて、意外でした。

最初、「教育の家畜化」とはなんのことかと疑問を感じながら読み進めていき、納得した次第でした。

中米情報の詳細も、アメリカとの絡みで大変読み応えがありました。ニカラグア、キューバ、メキシコ、ホンジュラス諸国が市場原理主義のいけにえになっている実態や、残忍な拷問が行われながら『ニューヨークタイムズ』などの大手メディアが実態を報道してこなかった情報操作の罪も初めて知りました。


「法人」「教育の家畜化」という言葉が今ほど深刻で切実な重みをもって響いてくるときはないのではないでしょうか。

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先に紹介したメールは、「英語力=貧困力など、英語教育をめぐる問題について広く論じておられる先生の意見を、ぜひおうかがいしたい」と結んでありました。

下記の拙論は、京都大学国際シンポジウム「大学のグローバル化と複言語主義」で問題提起したものに手を加えたものです。時間のある方は御一読いただければ幸いです。

「大学における英語教育を再考する ― はたして英語力=研究力、英語力=経済力、英語力=国際力なのか?」
http://www42.tok2.com/home/ieas/kyotoUniversitySymposium2010.pdf
(日本フランス語教育学会『紀要』Vol.6, No.2, 2011:166-72)

それにしても、この国際シンポジウムで議論された「複言語主義」はどこへ消えてしまったのでしょうか。

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<註> 実を言うと、入試のとき私の第一志望は京都大学理学部物理学科でした。湯川秀樹『旅人』、武谷三男『物理学入門』などを読んで京都大学に行きたくなったのです。しかし見事に蹴落とされ、翌年は東大を受験しました。自分に理論物理学の才能がないものと諦めて「教養学部基礎科学科」に行こうと思ったのです。結果的には「教養学部教養学科」で科学史科学哲学を専攻することになりましたが、いま考えてみると、これも武谷三男『物理学入門』の影響を受けています。ちなみに武谷三男は、京都大学では、益川敏英氏を育てた坂田昌一と共に、湯川秀樹の高弟であり共同研究者でもありました。

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