もう一つの京都大学事件(1) ― 土屋由香『親米日本の構築:アメリカの対日情報・教育政策と日本占領』(明石書店2009)

英語教育(2013/09/26)
土屋由香66069_mid
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私は前回のブログで、「今後5年間で100人規模の外国人教員を雇い(毎年20人ずつ)、全学共通科目(教養科目)の半数以上を英語で開講するという計画」が京都大学で進行していることを紹介しつつ、次のように書きました。

『チョムスキーの教育論』で述べられている「家畜化としての教育」がこれほど露骨に顕在化した例は他にないのではないかと唖然としました。こんな案を上意下達に提示されて誰も反対するひとが京大にはいなかったのか!?

そう思っていたら下記のような動きが京大にも存在していたことを知りました。

「外国人100名雇用」計画に対する反対声明
― 京都大学「国際高等教育院」構想に反対する人間・環境学研究科教員有志

http://forliberty.s501.xrea.com/archives/587

「滝川事件」で学問の自由と大学の自治を問いただした京都大学(1933)、「京大天皇事件」で象徴天皇のあり方を問いただした京都大学(1951)は今も健在と知り、少し安心しました。


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このブログを書きつつ、私の頭には実は、京都大学で起きたもう一つの事件が浮かんできていました。それは土屋由香『親米日本の構築―アメリカの対日情報教育政策と日本占領』(明石書店2009:264-265)で紹介されていた次のような事件です。

[以下の引用は、アメリカによる日本占領がサンフランシスコ平和条約(1951年)で終結したこと、国務省のUSIA(アメリカ広報文化交流庁)は世界各地に海外拠点USIS(アメリカ広報文化交流局)を設置していたこと―を念頭において読んでください。]

 USIS東京が設置された1952年4月以来の7年間、USISは、「日本にとってもっとも安全な道は、自由世界と固い同盟関係を結び、日米の相互依存関係の重要性を十分に認識することである」という信念を、日本人、とりわけ知識層の中に根づかせることを主要な任務としてきた。

 しかし、知識層の反米感情は根強く、39人の大学助教授を対象に行った聞き取り調査によれば、知識層の80%は「反米派」だという回答もあった。
 このような状況に対処するため、USISは大学内の反米主義・左翼思想を撲滅するための活動を行ってきた。

 その成功例として、「マーク・メイ・レポート」は「別紙A:具体例1」において、1953~1955年にかけての京都大学の事例を挙げている。

 レポートによれば、大学教員・学生の間に左翼思想が拡大していることに危機感を抱いたUSIS神戸と京都大学の総長・前総長が対策を協議したという。

 その結果、各学部を代表する保守派の若手教授を順次米国に派遣して親米・反共思想を学ばせ、帰国後は彼らを各学部の学部長に任命して「反左翼陣営の柱」とし、USIS との接触を保ちながら学内の左派封じ込めに成功した、と報告されている。<註78>


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上記に出てくる「マーク・メイ・レポート」とは、日本におけるUSISの活動を、イェール大学教授マーク・メイ(Mark A. May)が1959年6~7月にかけて調査してまとめた報告書です。土屋氏によればUSISの任務は次のようなものでした。

 国務省は占領が米国に対するあこがれだけではなく、安全保障問題や人種問題などに絡む反米感情をも育んだことを重く受け止めていた。

 そのような軋礫を払拭し、日本を安定的な親米国家として反共同盟にとどめておくためには、日本を独立国として尊重しているという姿勢を見せることが重要であった。

 したがって、ポスト占領期の情報・教育交流プログラム(USIE)では、日本が独立国として尊重されているということや、日本人が人種差別を受けないということが強調された。

 しかし、国務省およびUSIA(アメリカ広報文化交流庁)は対等な国の国民に対する「情報提供サーヴィス」という姿勢をとるが、実際には「再教育・再方向づけ」と同じく、日本人の対米意識や世界観を一定の方向に誘導しようとする意図が相変わらず働いていた。(同書264-265頁)


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ところで、上記引用で「USIS神戸と京都大学の総長・前総長が対策を協議して」「学内の左派封じ込めに成功した」とありましたが、この末尾に<註78>とあります。その註を見ると次のように書いてありました。

「京都大学への秘密工作については、共同通信社が2007年10月21日づけ全国配信記事でスクープした。」


そこで土屋氏に連絡をとったところ、その共同通信社の配信記事を愛媛新聞が2007年10月22日づけで大きく取りあげて紹介していることを知りました。土屋氏に送っていただいたコピーでは上記の事件が次のように詳しく報道されていました。

京大教授陣に反共工作、冷戦50年代のUSIS(米広報文化交流局)
愛媛新聞2007年10月22日

【ワシントン21日、共同=杉田弘毅】一九五〇年代に日本の左傾化を恐れた米広報文化交流局(USIS)が日本で行った世論工作を詳述した報告書が二十一日までに米国立公文書館で見つかった。左派勢力が強かった京都大学の教授陣を対象にした反共工作のほか、日本映画やラジオ番組の制作、出版物刊行をひそかに援助、米国が望む方向への世論誘導を図った実態が細かく描かれている。

米研究者が報告書発見

米広報文化交流局(USIS):米政府が対外情報宣伝機関として1953年8月に設立。①外国の国民に米国の政策を深く理解させ国益の増進を図る、②米国民と外国国民の対話・交流を深める―が任務。海外向け放送一ボイス・オブ・アメリカ(VOA)」などが著名な事業。旧ソ連圏での親米世論形成が主任務だったため、冷戦終結で一定の役割を終えたとされ、99年に国務省広報局に吸収された。

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さて肝心の京都大学への裏工作ですが、驚いたことに、それは実名入りで次のように書かれていました。

極秘の世論誘導 映画など援助も

 報告書は、米政府情報顧問委員長(当時)を務めたエール大学の故マーク・メイ教授が五九年、日本に五週間滞在しまとめた。フロリダ・アトランティック大学のケネス・オズグッド助教授が発見、冷戦時代の米対外世論工作をテーマにした著書「トータル・コールドウォー」の中で明らかにしている。

 京大への工作は、五二年に左派教授陣や全日本学生自治会総連合(全学連)などの影響力拡大に危機感を抱いた服部峻治郎総長とUSIS神戸支部が協議を開始。古川幸次郎文学部教授、高坂正顕教育学部教授ら保守派とされる若手教授陣を米国に順次派遣するなどして反共派に育て、帰国後はこれら反共派がUSISと接触を続けるとともに、各学部の主導権を握り、左派封じ込めに成功したとしている。

 報告書によると、USISは、①日本を西側世界と一体化させる、②ソ連・中国の脅威を強調する、③日米関係の強化で日本の経済発展が可能になることを理解させる―などの目的で、五十の世論工作関連事業を実施。このうち二十三計画が米政府の関与を伏せる秘密事業だった。

 この中には、USISが台本を承認して援助した五本の映画やラジオ番組の制作、出版物刊行、講演会開催などがある。特に、五七年十二月に封切られた航空自衛隊の戦闘機訓練を描いた映画を、日米関係や自衛隊の宣伝に役立ったと評価している。この映画はかねて米政府の関与がうわさされた「ジェット機出動 第101航空基地」(東映、高倉健主演)とみられている。

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高校生の頃、漢文の授業で漢詩を朗々と音読する丸坊主頭の先生がいて、私はその声の響きが好きでしたが、漢詩の意味はよく分からずにいました。

しかし吉川幸次郎・三好達治『新唐詩選』(岩波新書)を読んで意味が分かっただけでなく、そこに付けられていた英訳で中国語と英語が同じSVO構造であることを知って、いっそう知的好奇心をかき立てられた記憶があります。

ところが、その愛すべき吉川幸次郎氏が反共工作に加担し、帰国後の1956年には文学部長になっていることを知って、おおいに落胆しました。1954年に国務省に招かれて渡米したとき、本人は裏工作に乗せられているとは知らなかったのかも知れませんが、実質的に果たした役割には変わりがないように思えます。

上記の愛媛新聞は「報告書を見つけたフロリダ・アトランティック大学のケネス・オズグッド助教授の話」として次のような解説を載せて、記事を締めくくっています。

日本を3番目に重要視

USISは表の顔である文化交流事業とは別に、現地マスコミの報道の基調を変えたり、知識人・一般大衆の対米感情を変える多くの事業を陰でやっていた。ただこの報告書のように秘密の活動を詳述しているのは珍しい。ソ連、中国に接し、核アレルギーや沖縄返還問題を抱える日本は米国にとって、抱きかかえておきたい国で、当時、西ドイツ、インドに続いて、三番目に大きな世論工作が行われていた。この報告書でもUSISがいかに日本を重視していたかが分かる。


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上記で引用したように、メイ報告書によると、USISは次の三つを主要目的として50の世論工作を実施、このうち23計画がアメリカ政府の関与を伏せる秘密事業でした。

①日本を西側世界と一体化させる、
②ソ連・中国の脅威を強調する、
③日米関係の強化で日本の経済発展が可能になるここを理解させる、


しかし上記の目的は「ソ連」を「ロシア」に置き換え、「北朝鮮」を付けくわえれば、現在の日本にそのまま通用するように見えます。

それは、次のオズグッド助教授の解説についても同じです。「沖縄返還問題」を「沖縄米軍基地問題」に置き換えれば、そのまま今の日本に当てはまるのではないかと思えてきます。

ソ連、中国に接し、核アレルギーや沖縄返還問題を抱える日本は、米国にとって抱きかかえておきたい国で、当時、西ドイツ、インドに続いて、三番目に大きな世論工作が行われていた。この報告書でもUSISがいかに日本を重視していたかが分かる。


この話には、さらに続きがあります。しかし、もうかなり長くなってきたので、いったんここで止めます。それが英語教育とどうかかわるかについても次回に述べることにします。

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<註> 以上で紹介した「もう一つの京大事件」は、土屋氏の膨大な研究書『親米日本の構築:アメリカの対日情報・教育政策と日本占領』の最終章の、しかも最後の1頁に書かれているひとつのエピソードにすぎません。その大部分はアメリカが占領中に映画を通じてどのように日本の世論を誘導していったかの研究にあてられています。本当はその紹介をすべきなのですが今の私にはそのゆとりがありません。別の機会にします。いずれにしても本書は戦後史を知るための貴重な一書だと思います。
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