もう一つの京都大学事件(2)― 松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー:半永久的依存の起源』(岩波書店2008)

英語教育(2013/09/30)
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松田武 アメリカのソフトパワー
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私は前回のブログで、土屋由香『親米日本の構築―アメリカの対日情報教育政策と日本占領』(明石書店2009:264-265)に次のような叙述があることを紹介しました。

 その成功例として、「マーク・メイ・レポート」は「別紙A:具体例1」において、1953~1955年にかけての京都大学の事例を挙げている。
 レポートによれば、大学教員・学生の間に左翼思想が拡大していることに危機感を抱いたUSIS神戸と京都大学の総長・前総長が対策を協議したという。
 その結果、各学部を代表する保守派の若手教授を順次米国に派遣して親米・反共思想を学ばせ、帰国後は彼らを各学部の学部長に任命して「反左翼陣営の柱」とし、USIS との接触を保ちながら学内の左派封じ込めに成功した、と報告されている。

上記では、「大学内の反米主義・左翼思想を撲滅するための活動」の成功例として、「マーク・メイ・レポート」の「別紙A: 具体例1」しか紹介されていませんでしたが、あとで土屋氏に次のような新しい研究があることを知りました。

土屋由香(2013)「アメリカ情報諮問委員会と心理学者マーク・A・メイ」『インテリジェンス』13号:15-29)

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上記論文では、別紙A「USIS契約事業の7事例」として次のような項目が列挙され、簡単な解説が付いています。

〔事例1〕日本の国立大学における左翼教員・学生の排除
〔事例2〕外務省顧問なども務めた財界人のラジオ評論家へ支援
〔事例3〕雑誌『改造』の編集者も務めていたジャーナリストと彼が主催する研究所への資金と情報の提供
〔事例4〕日本の「再軍備」推進活動を行っている旧海軍出身の軍事評論家への情報支援、のちには研究会への資金援助も。
〔事例5〕日本国連協会が「軍縮」「ソ連」などのテーマで開催したセミナー・シリーズへの支援
〔事例6〕社会党右派の顧問を務めていた大学教授への支援
〔事例7〕有能な十数人のUSIS日本人スタッフについて、その経歴や功績


上記の〔事例1〕が前回のブログで紹介した「もう一つの京大事件」です。ただし、ここでは上記事件の他に、京都大学の次のような事例も紹介されています。

 1955年6月の創立記念日にあわせて左派学生らが企画した2つのイベント(「哲学セミナー」と原子力をテーマとした「医学セミナー」)を、上記USISプロジェクトに関わって渡米・帰国した教授らが一致団結して阻止した経緯が詳しく記されている。
 また左翼の影響カを弱めるのと同時並行的に、知識層のアメリカ理解を深めるために[京都大学を中心に]アメリカ研究プログラムが導入されていったことも述べられている。さらに日本国連協会・京都支部主催のセミナーについても、USISが企画・財政支援していたがその事実は秘匿されていたという。(25-26頁)


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本当は上記事例のすべてを紹介したい誘惑に駆られるのですが、それではいつまで経っても本論にたどりつかないので、ここでは〔事例6〕の紹介にとどめます。それは次のように説明されています。

〔事例6〕社会党右派の顧問を務めていた大学教授への支援
 この教授が英語学習のためにUSISに接触したことをきっかけに日本語を話せるUSIS職員との間に友好関係が築かれ、社会党の左右統合の際には新しい党綱領を共同で英訳した。
 この教授はUSISとイギリス大使館の計らいで英米両国に派遣され、帰国後は両国について多くの著作を発表したほか、反共主義を唱えた思想家シドニー・フックの著作を日本語に翻訳した。
 思想的な不一致を越えた人間関係が日米協力に結びついた例として「マーク・メイ報告」はこの事例を高く評価している。


以上の事例を見ると、孫崎享氏(元イラン大使、元外務省国際情報局長、元防衛大学教授)が、『戦後史の正体』(創元社、2012)のなかで次のように言っていることの意味がよく理解できます。

アメリカ専門の学者は、たくさんいるはずだ。なのになぜ今まで、「米国からの圧力」をテーマに歴史を書く学者がほとんどいなかったのか。それは偶然ではないのです。(134頁)


要するに、アメリカによる支援の下、関東では東京大学を中心にアメリカ研究プログラムが導入され、関西では京都大学が中心になりました。そして、その両者が競い合いながら、日本の「アメリカ学会」ができていったのです。

これについては、松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー:半永久的依存の起源』(岩波書店、2008)の第7-8章に詳しい経過が述べられていますが、いずれにしても上記のような経過を考えるとアメリカ研究者がなかなか自立できないのは当然とも言えるわけです。

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ところで上記の「事例6」で次のように書かれていたことに注目してほしいと思います。

この教授が英語学習のためにUSISに接触したことをきっかけに日本語を話せるUSIS職員との間に友好関係が築かれ、社会党の左右統合の際には新しい党綱領を共同で英訳した。


この教授は社会党右派の顧問だったにもかかわらず「英語学習のためにUSISに接触したことをきっかけに日本語を話せるUSIS職員との間に友好関係が築かれ」、その結果として、「USISとイギリス大使館の計らいで英米両国に派遣され」ることになりました。

そして、ことはそれだけに終わりませんでした。というのは「帰国後は両国について多くの著作を発表したほか、反共主義を唱えた思想家シドニー・フックの著作を日本語に翻訳」することになったからです。

この事例をマーク・メイ報告は、「思想的な不一致を越えた人間関係が日米協力に結びついた例」として高く評価し.ているそうですが、英語力=洗脳力として働いた最高の事例ではないかと思います。英語力=貧困力であるだけでなく、英語力=洗脳力でもあるのです。

私は拙著『英語教育原論―英語教師、三つの仕事・三つの危険』(明石書店、2007)のなかで、英語学習が「自己家畜化」「学校の家畜化」「国家の家畜化」 をうながす危険があり、このことを英語教師は自覚している必要があると述べました。

英語は中野好夫の言うとおり学習者を「英語バカ」にする不思議な魔力をもっているのです。アメリカが好きだというひとが英語を学ぶのはある意味では当然でしょうが、英語大嫌いだった人間まで、寺島メソッドで英語に自信がついてくると「アメリカに行きたい」などと言い出すのですから。

このような英語の魔力を利用したのが、USIS(アメリカ広報文化交流局)の「人物交流プログラム」であり「英語教育プログラム」でした。これらについて、上記の松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー』を紹介しながら、以下もう少し詳しく説明します。

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アメリカは、日本が講和条約をむすんで占領状態から抜け出しても「アメリカに半永久的に依存せざるをえないようにする」ためにどうすればよいかを綿密に研究しました。

そのためにトルーマン大統領は、講和条約(1951年9月8日)が結ばれる8か月以上も前の1月22日に、ジョン・フォスター・ダレス(ロックフェラー財団理事長)を特使とする「講和使節団」を日本に派遣しました。

この「講和使節団」は日本に約1か月滞在し、多くの要人・知識人と交わりました。このとき文化顧問として同行したロックフェラー3世は、帰国してから2か月後(1951年4月16日)、80頁も及ぶ日米文化関係の「機密」報告書を提出しました。

この報告書は、軍事・経済のようなハード・パワーではなく文化面でソフト・パワーを行使する(平時の心理戦を戦う)うえで特に力を注ぐべき対象は、次のような理由で、知識人であると述べています。

したがって、ロックフェラーは、もし日本の知識人に慎重にかつ注意深く接近すれば、彼らは親米的なリベラル派になる可能性が大いにあると読んでいた。さらにロックフェラーの観察によれば、知識人は日本に高まりつつあった共産主義の影響を受けやすい状態にあり、共産主義者の洗脳にかかる可能性も大きいということであった。そこで彼は、最悪の事態を避けるためには、手遅れにならないうちに今すぐ適切な措置が講じられるべきであると考えていた。(前掲書157頁)


さてこうした認識の下に、ロックフェラー報告書は、日本の知識人を対象にした次の五つの計画案を実施するように提言しました。

第一は、東京に文化センターを設立すること、
第二は、東京と京都に学生を対象とする国際会館を設立すること、
第三は、国の指導者および学生を対象とする人物交流計画を継続すること、
第四は、徹底した英語教育プログラムを実施すること、
第五は、資料交換プログラムを実施すること


第3の「人物交流計画」については、上記でかなり紹介したので、以下では第4の「英語教育プログラム」についてのみ詳しく説明することにします。

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さて、松田氏の前掲書は、ロックフェラーの機密報告書の「英語教育プログラム」については次のように解説しています。少し長い引用になりますが我慢して読んでいただければと思います(下線は私がつけたものです)。

 年二回ワシントンに報告されるアメリカ大使館広報・文化交流局の評価報告書は、ロックフェラーの意見に沿う形で、英語教育プログラムのもつ潜在的な可能性を強調した。この報告書によれば、英語教育プログラムは、表向きは英語教育法の改善を手助けすることであるが、実際には、健全なアメリカの理念を日本社会に浸透させる道が、このプログラムによって、約束されるというのであった。

 続けて評価報告書は、資格のある英語教育専門家が日本に滞在していれば、教科書の執筆ならびにアメリカ合衆国の選定教材を日本に紹介する際に、折ある度に彼らは影響力を行使することができ、しかも長期にわたって影響を及ぼしつづけることができる、と述べた。

 同時に、この報告書は、日本人は生活のあらゆる部分において、英語の学習を受け入れる傾向があるので、英語教育の分野には潜在的に大きな可能性が認められると指摘した。事実、英語学習のクラスが、日本人の英語教育の要望に応える形で、合衆国情報教育局の文化センターに開設された。大都市部の文化センターでは、英語学習のクラスは、公務員、教師、ビジネスマン、市民団体のリーダー、学生、それに政府の指導者などのグループに分かれて行われた。

 しかしながら、文化センターでの英語学習のクラスは、やがてはアメリカ研究を中心とする活発な討論グループに再編されることが構想されていた。そのような英語教育プログラムの成果の表れとして、五一名の日本の指導者が一九五三会計年度末に、三ヵ月間のアメリカ視察訪問のための奨学金の受給者に指名された。彼らは、日本の各地域ならびにさまざまな分野の代表者であった。

 同年、アメリカ合衆国における大学院留学のために、フルブライト=スミス=マント奨学金が七五名の学生と青年指導者に支給される一方、一五〇名の学生と青年指導者には渡航費のみの奨学金が同じ目的のために支給された。(162-163頁)


そこで、いよいよ上記で述べられているロックフェラーの機密報告書の「英語教育プログラム」が日本における現在の英語教育(とりわけ大学の英語教育)にどのような関わりをもっているのかを述べなければならないのですが、それを説明していると長くなりすぎますので、次回にします。どうかお許しください。

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<註> 松田氏の次の解説を読む限りでは、まるで日本の知識人だけが共産主義に大いなる関心を寄せていたかのように誤解される恐れがあります。
「ロックフェラーの観察によれば、知識人は日本に高まりつつあった共産主義の影響を受けやすい状態にあり、共産主義者の洗脳にかかる可能性も大きいということであった。」

 しかし、ナチスドイツのヒトラーやイタリア全体主義のムッソリーニと命を賭けて、先頭に立って闘っていたのは共産党員でしたから、戦後のヨーロッパでは共産党は非常な権威をもっていました。アメリカが第2次大戦後のイタリアやギリシャの総選挙に深く介入したのも、このような理由からでした(『CIA秘録』上巻)。
 また当のアメリカでも共産主義にたいする関心は極めて高く、学者・知識人や作家・俳優のなかにも共産主義にたいして共感を寄せるどころか党員になったひとも少なくありませんでした。
 だからこそマッカーシズム(赤狩り)という嵐がアメリカに吹き荒れ、あの喜劇王チャップリンでさえ『モダンタイムス』『殺人狂時代』が共産主義に共感を寄せる映画という理由でアメリカから追い出されることになったのでした。
 それどころか原爆開発の陣頭指揮をしたロバート・オッペンハイマーすら「赤」の疑いがかかり[ソ連との核兵器競争を防ぐため水爆に反対するようになった]、アインシュタインらを擁するプリンストン高等研究所の所長の地位を剥奪されることになりました。

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