もう一つの京都大学事件(4)―『プロパンガンダ株式会社:アメリカ文化の広告代理店』(ナンシー・スノー、明石書店2004)

英語教育(2014/10/08)
プロパンガンダ株式会社 64950
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話が少し横にそれたので、ロックフェラー機密報告書の「英語教育プログラム」にもどります。前回のブログで引用したあとの段落では、さらに次のようなことが書かれています。

日本人は生活のあらゆる部分において英語の学習を受け入れる傾向があるので、英語教育の分野には潜在的に大きな可能性が認められる。事実、英語学習のクラスが、日本人の英語教育の要望に応える形で、合衆国情報教育局の文化センターに開設された。


ここでも英語教育は「洗脳力」として大きな可能性を秘めていることが(「機密」報告書であるだけに)赤裸々に語られています。つまり、「日本人は生活のあらゆる部分において英語学習を受け入れる傾向があるので英語教育の分野には潜在的に大きな可能性が認められる」というわけです。

現在の日本における「英語教育熱」を考えると、この報告書が1951年のものではなく2013年のものではないかと思えるほどです。

さらに、この機密文書は次の段落で、全国の主要都市に開設された「アメリカ文化センター」でおこなわれた「英語学習のクラス」が、日本のさまざまな分野ならびに各地域の代表者を標的にして展開されたことを報告しています。

大都市部の文化センターでは、英語学習のクラスは、公務員、教師、ビジネスマン、市民団体のリーダー、学生、それに政府の指導者などのグループに分かれて行われた。


占領期の日本ではCIE(民間情報教育局)の図書館が札幌から熊本まで23カ所に開設されていましたが、それが講和条約後には14カ所の「アメリカ文化センター」に整理統合されました。しかも「センター」の大きな活動のひとつが「英語学習のクラス」でした。

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ところで、「生活のあらゆる部分において英語学習を受け入れる」という日本人の性向を利用して、「表向きは英語教育法の改善を手助けする」するふりをしながら、「実際には、"健全なアメリカの理念" を日本社会に浸透させる」ことが、アメリカ文化センターのねらいだったことは、以前のブログで述べたとおりです。

私は能登半島の片田舎で生まれ育ちましたから「アメリカ文化センター」などというものの存在をまったく知りませんでした。しかし妻は金沢で育ちましたから(しかも義父は高校の英語教師でしたから)「アメリカ文化センター」の存在をよく知っていて、しばしば出入りしていたそうです。

上述の報告書では、大都市部の文化センターでは、「英語学習のクラスは、公務員、教師、ビジネスマン、市民団体のリーダー、学生、それに政府の指導者」などのグループに分かれて行われたとありますから、義父もみごとにアメリカ文化センターのねらいどおりになったと言うべきでしょう。

しかも義父は、「英語が分かるためには聖書も読まねばならない」と聖書研究会にも出入りするようになり、のちにクリスチャンになりました。ですから、英語学習をつうじて「健全なアメリカの理念を日本社会に浸透させる」という「アメリカ文化センター」のねらいどおりの軌跡を描いたとも言えるわけです。
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<註> アメリカ軍が日本を占領していたとき、総司令官マッカーサー元帥はできれば昭和天皇をキリスト教に改宗させたいと思っていたようで、その詳細は鬼塚英昭『天皇のロザリオ』上下2巻(成甲書房2006)に記されています。マッカーサーにとっては「健全なアメリカの理念」の極致がキリスト教だったのでしょう。

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こうして、「公務員、教師、ビジネスマン、市民団体のリーダー、学生、それに政府の指導者」など日本のさまざまな分野の代表者を、「英語学習のクラス」で育て上げた成果は次のようなかたちで花開いたとロックフェラーは報告しています。

 そのような英語教育プログラムの成果の表れとして、五一名の日本の指導者が一九五三会計年度末に、三ヵ月間のアメリカ視察訪問のための奨学金の受給者に指名された。彼らは、日本の各地域ならびにさまざまな分野の代表者であった。

 同年、アメリカ合衆国における大学院留学のために、フルブライト=スミス=マント奨学金が七五名の学生と青年指導者に支給される一方、一五〇名の学生と青年指導者には渡航費のみの奨学金が同じ目的のために支給された。(162-163頁)


このようにして日本のさまざまな分野の代表者が、「英語教育プログラム」を通じてアメリカに送り込まれました。

つまり「英語教育プログラム」はロックフェラー機密報告書で述べられていた次の五つの計画案と、実に見事に連動していたわけです。

第一は、東京に文化センターを設立すること、
第二は、東京と京都に学生を対象とする国際会館を設立すること、
第三は、国の指導者および学生を対象とする人物交流計画を継続すること、
第四は、徹底した英語教育プログラムを実施すること、
第五は、資料交換プログラムを実施すること


とくに上記の第一「文化センター」と第四「英語教育プログラム」が、第三「国の指導者および学生を対象とする人物交流計画」に直結していたことに注目していただきたいと思います。

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ここですぐに思い出されるのが、ナンシー・スノー『プロパンガンダ株式会社:アメリカ文化の広告代理店』(明石書店、2004)という本です。

そもそもアメリカの「対外文化政策」(実は「対外文化工作」)のために設置されたのがアメリカ情報庁(USIA:US Information Agency)であり、それを実現するために世界76カ国に設置されたのが、アメリカ情報局(USIS:US Information Service)でした。

では東京のUSISにどんな活動をさせたらよいか、これを研究させ報告させたのが、ロックフェラー機密報告書であり、五つの計画であったわけです。

そのワシントン本部 USIAに勤務していたナンシー・スノーが、自分の体験をもとにして書いたのが『プロパンガンダ株式会社』という本でした。

京都大学の左翼勢力を一掃するため若手研究者をアメリカに送りこむ計画が立てられたことは以前のブログで紹介しましたが、この本を読むとアメリカの「対外文化政策」がどのような狙いでおこなわれてきたのかが分かり、改めて愕然とさせられます。

以下に『プロパンガンダ株式会社』で目をひいた箇所を引用しながら、若干の解説を加えることにします。

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<註> 一般の研究書ではUSIA、USISは「アメリカ広報文化交流庁」「アメリカ広報文化交流局」という訳語が与えられています。
しかし上記は "US Information Agency" "US Information Service" の略語なのですから、「アメリカ情報庁」「アメリカ情報局」と訳すべきでしょう。もともとこの組織・部局はアメリカの情報戦・心理戦略の一環としてつくられたものです。
 にもかかわらず、Informationを「広報文化交流」と訳すのは、アメリカの真の意図を覆い隠すものであり、このような訳語をあててきたアメリカ研究者の「自己家畜化」を示す一例ではないでしょうか。"Ministry of War" を「陸軍省」と訳してきた姿勢と似ています。


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さて、彼女(ナンシー・スノー)は「人物交流計画」における「標的母集団」について次のように述べています。


 当たり前のことだが、宣伝というのは相手がいなければ成り立たない。USIAが具体的にどういった人々を宣伝の対象とするかは、宣伝担当者の政治イデオロギーによって決まる。

 もっとはっきり言えば、USIAは、実業家や専門職など、アメリカを世界のリーダーとみなすと予想される上流階級出身のエリートを主なターゲットにする。

 USIAに目をつけられた人たちは、たとえば国際ビジター・プログラムのようなあご足付きの訪問旅行に合衆国政府のゲストとして参加することが多い。

 こうしたかたちで実際にアメリカを訪れる人々は、USIAの目から見た標的母集団、すなわち、すでに将来を約束されているか、この先有力者となる可能性があり、比較的高学歴で、政治的・経済的意思決定において一定の役割を果たしている人たち全体の、おおむね10ないし20パーセントに相当する。

 彼らのほとんどは、ジャーナリストや編集者、学士院や芸術院の会員、企業経営者で、いずれも三週間のアメリカ訪問から恩恵を受けると思われる人たちである。(前掲書61-62頁)


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<註> あごあし‐つき【顎足付(き)】とは、食事代(=顎)と交通費(=足)を先方が負担すること。「顎足枕つき」とも言うが、「顎足つき」だけで宿泊費(=枕)も含意されているのが普通。

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上記で分かるとおり、まず「標的」になるのは知識人、とりわけ大学の研究者です。私が先に、愛媛新聞の記事を通じて「もうひとつの京都大学事件」を紹介したとき、固有名詞としては古川幸次郎および高坂正顕の2氏しか分かりませんでした。

古川幸次郎文学部教授、高坂正顕教育学部教授ら保守派とされる若手教授陣を米国に順次派遣するなどして反共派に育て、帰国後はこれら反共派がUSISと接触を続けるとともに、各学部の主導権を握り、左派封じ込めに成功したとしている。


しかし松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー:半永久的依存の起源』を読んでいたら(291-292頁)、「標的とされた」もっと多彩な人物が固有名詞であげられていて驚きました。

 法学部の若くて前途有望な香西茂(こうざいしげる)助教授は国際法の専門家で、当時、ロックフェラー財団から社会科学助成金を付与されて、特別研究のために合衆国で研究していた。

 京都大学を訪れたロックフェラー財団のスタッフは、法学部を説得して、まだ人事が未補充となっていた法学講座とその教授ポストを、アメリカ合衆国から帰国した後の香西助教授に宛がうことを堅く約束させた。その結果、国際関係学と政治学の先駆的な講座が、京都大学法学部に開設されることになった。

 また、同じ法学部の道田信一郎教授は、ケイヴァーズ・フォード助成金を付与され二年間、ミシガン大学とハーヴァード大学に留学し、日本に帰国したばかりであった。そこで、未補充となっているもう一つのイギリス法講座をアメリカ法講座に転用し、そこに道田教授を宛がう合意も成立した。

 さらに三名の研究者、つまり、アメリカ海事法専門の川又良也教授、フルブライト助成金を受けた行政法専門の園部逸夫教授、それにその当時、アメリカ合衆国で研修中の研究者(名前不明)が、それぞれの分野に配属されることにより、それ以降はアメリカ人の客員教授が不要になった。

 このようにアメリカ合衆国からの助成金によって、京都大学の法学部は、未補充の講座をアメリカ研究分野の草分け的な活力ある講座へと転用することができた。

松田氏は上記に続けて、「以上は法学部の例をあげたのだが、アメリカ合衆国の助成金は、京都大学の四つの学部、すなわち、文学部、教育学部、法学部、経済学部の間で、学際的なアメリカ研究ができるようになり、小さなステップではあったが、重要な手助けをしたのである」と結んでいます。

この文学部の例が吉川幸次郎であり、教育学部の例が高坂正顕であったことは、すでに紹介したとおりです。いずれにしても、これはまさに「プロパンガンダ株式会社」の巨大な勝利ではなかったでしょうか。
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しかし、ここまで書いてきて大変なことに気がつきました。

それは「もうひとつの京大事件」と違って、今度の京都大学「外国人100名雇用」計画は、わざわざ日本人をアメリカに送り込んで、「洗脳」してから日本に送り返す手間がまったく省けるということです。

今度はアメリカが奨学金を出さなくても京都大学すなわち文科省のお金(つまり私たちの血税)で彼らを雇用するわけですから、一石二鳥なわけです。アメリカにとってこんなに美味しい話はないでしょう。

ナンシー・スノーは上記引用に続けて、さらに次のように述べています(下線は私が付けました)。

 文化事業のコンサルタントとして、私は、世界各国からやってきたゲストたちの世話をする機会をたびたびもった。彼らの全員が親米派となる資質をそなえているわけではなく、なかには、明らかに強烈な反米感情の持主であることを理由に選ばれた人たちもいる

 だが、それにもかかわらず、こうした海外からの訪問客を説得してアメリカ合衆国の国益と外交政策を支持してもらうために、アメリカの納税者から集めた数百万ドルもの資金が彼らの「接待費」として支出されてきたのである

 エリートに反発を覚える向きもあるというのに、USIAが教養あるエリート層を宣伝活動の対象としているのは、利権誘導に力を発揮する一握りの有力者に照準を絞るときに宣伝効果が最大になると考えられているからである


しかし、もう十分に長くなってきたので、この解説は次回にしたいと思います。
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