もう一つの京都大学事件(その6)--石 剛 『日本の植民地言語政策研究』(明石書店、2005)

英語教育(2014/10/29)
石 剛 2005

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さて、私は以前のブログ:「法人化」された国立大学の未来――京都大学の「国際化断行」は何をもたらすか(2013.9.21)で次のように書きました。

上記のメールでは、「そればかりでなく、"会議や各種書類の英語化の推進" までも謳われている」とありました。外資系企業ならいざ知らず、いったい誰のために会議を英語でおこない、書類まで英語化しなければならないのでしょうか。

『チョムスキーの教育論』で述べられている「家畜化としての教育」がこれほど露骨に顕在化した例は他にないのではないかと唖然としました。こんな案を上意下達に提示されて誰も反対するひとが京大にはいなかったのか!?そう思っていたら下記のような動きが京大にも存在していたことを知りました。

「外国人100名雇用」計画に対する反対声明
― 京都大学「国際高等教育院」構想に反対する人間・環境学研究科教員有志
http://forliberty.s501.xrea.com/archives/587

「滝川事件」で学問の自由と大学の自治を問いただした京都大学(1933)、「京大天皇事件」で象徴天皇のあり方を問いただした京都大学(1951)は今も健在と知り、少し安心しました。上記の反対声明は下記の文言で終わっています。

<案のなかには、今後「会議や各種書類の英語化の推進」を図るという内容まで含まれているが、なぜ日本にいながら、全体の割合のなかでは少数派の外国人に合わせおもねって、日本人があえて議論の劣勢となるような、あたかも植民地政策を思わせるような状況作りを強制しなければならないのか。あまりにも露骨に英語を崇拝して屈従しようとする総長の態度は、愚の骨頂である。>


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上記の<京都大学「国際高等教育院」構想に反対する人間・環境学研究科教員有志>の声明では、次のような強い怒りが表明されています。

今後「会議や各種書類の英語化の推進」を図るという内容まで含まれているが、なぜ日本にいながら、あたかも植民地政策を思わせるような状況作りを強制しなければならないのか。


これを読んでいて私の頭にすぐ浮かんだのは、石 剛『日本の植民地言語政策研究』(明石書店、2005)という本です。

この本は題名でもすぐ分かるとおり、日本が台湾、満州国、さらには中国本土を植民地にしていったとき、そこで展開された日本語教育・植民地言語政策を詳細に研究したものです。

著者=石剛氏の母語は中国語なので、朝鮮における日本語教育については十分に展開されていませんが、台湾、満州国、さらには中国本土でおこなわれた言語政策(第2-3章)を読むだけでも、アメリカが日本で展開している英語教育がどのような意図で展開されているのかが、逆によく分かるように思いました。

たとえば日本が、清朝最後の皇帝=愛新覚羅溥儀[あいしんかくら・ふぎ、満洲語発音はアイシンギョロ]を「執政」のちには「皇帝」として祭り上げ、中国東北部でつくりあげた傀儡国家「満州国」については、同書第2章で次のように書かれています。

官庁用語をはじめ、公用語においては、二言語併用制の政策をとりながらも、官吏には、関東州および満鉄沿線の日本側の学校などで日本語教育を受けたことのある人が多く、とくに高層官僚には、日本留学組が多く起用されたため、日本語は大手を振って官庁用語として通用した。次のような報告からもその一端がうかがえる。

<新京に於けるインテリ層などに於ては、殆ど日本語一本建で進んでゐるのが通例である。例へば、満洲国語研究会などに於ては、日系の委員と満系の委員とが殆ど同数であるが、さうした委員会では、すべて日本語だけで取り運ばれて行く。また、各官庁の会議なども殆ど日本語だけで行はれてゐる。さうした会議などで、日本語を満語に翻訳するなどといふ必要は毫もない。>

官庁用語、とくに政権の中枢では、日本語の勢力はその政治的力と比例していることがわかるのである。しかしこれは同時に、上層部での言語運用の実態と民衆の言語生活とのあいだに、亀裂と隔たりが大きく生じたゆえんでもある。(前掲書50頁)


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中国の元朝がモンゴル人によってつくり上げられたと同じように、清朝は満州人によってつくりあげられた国ですから、清朝滅亡後に「清朝の復活・満州族の再興」をひとつの口実にして、日本は愛新覚羅溥儀を満州国「執政」(のちには「皇帝」)に祭り上げました。

ですから、満州国の正式な言語は「満語」でしたが、実質は日本の傀儡国家ですから、日本語は大手を振って満州国を闊歩していました。ですから、<新京に於けるインテリ層などに於ては、殆ど日本語一本建で進んでゐるのが通例である>という状態でした。

ここで「新京」とあるのは今の吉林省長春市で、当時は満州国の首都でした。当時のようすを報告した文書の「新京」を「京都」と読み替え、さらに「満州国語研究会」を「京都大学理事会・教授会」などといった語句に入れ替えると、次のような文章になります。

京都に於けるインテリ層などに於ては、殆ど英語一本建で進んでゐるのが通例である。例へば、京都大学理事会・教授会などに於ては、日系の委員と英系の委員とが殆ど同数であるが、さうした委員会では、すべて英語だけで取り運ばれて行く。また、各種会議なども殆ど英語だけで行はれてゐる。さうした会議などで、英語を日本語に翻訳するなどといふ必要は毫もない。


上記では元の文章を生かして、「英系の委員」すなわち「英語人」と「日系の委員」すなわち「日本人」を「ほとんど同数」としてありますが、今度の京都大学における採用人事では、「英語人」は全職員のなかの圧倒的少数派になるはずです。

だとすれば、上記の有志声明で次のような強い怒りが表明されているのは、いわば当然とも言えるわけです。これは当時の心ある満州人の嘆き・怒りでもあったでしょう。

なぜ日本にいながら、全体の割合のなかでは少数派の外国人に合わせおもねって、日本人があえて議論の劣勢となるような、あたかも植民地政策を思わせるような状況作りを強制しなければならないのか。あまりにも露骨に英語を崇拝して屈従しようとする総長の態度は、愚の骨頂である。


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ところで、私は以前のブログ [もう一つの京都大学事件(3)― 「教育と国家の家畜化」「日本の半永久的依存」の起源" (2013.10.4)] で次のように書きました。

・・・とはいえ最近では、この「英語教育プログラム」はもうひとつの意味を持ち始めています。というのは、それは、「英語」という商品、「英語母語話者」という商品を日本に輸出するという、経済的価値も持ち始めているからです。

最近のアメリカは製造業のほとんどを海外に移してしまっていますから、今や輸出するものがあまりなくなってきています。ですから、TOEICやTOEFLどころか英語教師までも輸入してくれるという日本の政策は、財政赤字に苦しむアメリカにとって、これほど好都合なことはありません。

TOEFLの受験料が約2万円だということを考えただけでも、このような商品を日本人の全受験生に強制することによって、どれだけの収入がアメリカにもたらされるか、どれだけの血税が湯水のようにアメリカに流れ込むかは、容易に理解できるはずです。これが、財政赤字を口実に消費税を値上げしようとしている、我が日本政府の政策なのです。

この状況は、かつて英語教育の改善を口実に、全国の公立学校にALT(外国語指導助手)を無理やり買わされたときと酷似しています。実をいうと、いまや日本の学校に隈(くま)なく配置されているALTは、教育の論理からうまれたものではなく貿易摩擦を解消するためにアメリカから無理やり輸入させられたものでした。

これについては、すでに拙著『英語教育原論』(137-138頁、227-220頁)で述べたので、これ以上、詳述しません。


上記で「英語」という言語、「英語話者」という外国人が、輸出入できるひとつの「商品」になっていることに注目していただきたいと思います。私は上記の叙述に続けて次のようにも書いています。

日本は今まで、「年次改革要望書」というかたちで、アメリからさまざまな要求を呑まされてきました。「郵政民営化」はその典型例です。

ですから京都大学の「外国人100名雇用」計画のような、「国立大学における外国人教師の大量輸入」も、裏でアメリカからの強い圧力があったのではないかと疑っています。

しかしそれを実証する材料が今の私にはありません。したがって、「TOEIC、TOEFL、および外国人教師(恐らくそのほとんどはアメリカ人)の輸入」については、私の仮説にとどめておきたいと思います。しかし次のような事実だけは頭にとどめておく必要があるでしょう。

<事実1> 日本全国に配置されているALTは、教育の論理からうまれたものではなく貿易摩擦を解消するためにアメリカから無理やり輸入させられたものだった。これがALTの輸入に文科省だけでなく外務省・総務省もからんだ理由である。


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今まで述べてきたような、「英語」や「英語話者」を輸出入のできる一つの商品だとする考えは、非常に奇異に感じられるかもしれません。

私もディヴィッド・グラッドルの『英語の未来』(研究社、1999)という本を読むまでは、そういう考えがあることを想像だにしていませんでした。しかしこの本は、ブリティッシュ・カウンシル(British Council)が次のようなテーマで、グラッドルに研究させたものだったのです。

大英帝国がかつての輝きを失い、今や「イギリス語」の威信さえ「アメリカ語」に奪われつつある現在、この「イギリス語」の未来をどう考えたらよいのか、「イギリス語」の商品価値はいつまで続くと考えたらよいのか。


それ以来、私は「英語」や「英語話者」が輸出入のできる一つの商品だという考えにあまり違和感を感じなくなりました。というよりも、今までとはまったく違った視点で英語教育を考えるようになりました。

ところが、『日本の植民地言語政策研究』を読んでいたら、すでに戦前の日本でも、「英語」や「英語話者」を輸出入のできる一つの商品だとする考えがあったことを知って、小さな衝撃を受けました。

というのは、『日本の植民地言語政策研究』第2章(102-103頁)に、中国における「日本人教習」すなわち「日本語を母語とする日本語教師」は、「最盛期に六〇〇名を数え、日本で『我が国輸出品の一つ』と呼ばれるほどだった」と書かれていて、さらに次のような説明があったからです。

 大規模な教員派遣は一九〇五年からはじまり、日本語をはじめ、各教科の「日本教習」が中国に「招聘(しょうへい)」され、小学校から大学まで各種の学校で教えるようになり、多いときは一年に数百名送る年もあった。

 その裏には、当時の駐清公使内田康哉や小村寿太郎外相らの中国側に対する熱心な働きかけがあった。かれらは、欧米諸帝国との拮抗関係をつよく意識して、日本が教育および文化的な分野においてもすすんで影響力を発揮し、「清国教育の実権は欧米に委ねるべきに非ず、断然日本がこれを握るべきだ」と主張している。いうまでもなく、それまでの欧米の在華勢力を駆逐し、日本がとって代わるのがそのねらいだった。

 またその背景に、清朝が、日本をモデルに学制と教育の改革を行おうとしたこともあった。清朝は一九〇二年から一九〇五年にかけて科挙制を廃止し、一九〇二年に「欽定学堂章程」、一九〇四年に「奏定学堂章程」を発布して、一九〇五年に学部を創設した。そして、一九〇二年の京師大学堂の再開をきっかけに、かつての総教習マーチィンが解雇され、その代わりに例の服部宇之吉ら日本人教習が招聘された。これは日本が教育分野で確実にその勢力を増大させたことの一つの象徴的な出来事である。


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上記の叙述から、日本語をはじめ各教科の「日本教習」(すなわち日本語人)が中国へと大量に輸出され始めたのは、1905年すなわち日露戦争で日本が勝利してからだということが分かります。

アジア人がヨーロッパ人と戦って勝利したというので東アジアどころかイスラム圏の中東諸国でも日本の威信が一気に高まったときでした。私がアフガニスタンを訪れたときも現地のひとが日露戦争のことを知っていて驚かされました。

それはともかく、この日露戦争を契機に、清国は日本をモデルに学制と教育の改革を行おうとしました。それが日本人教師の大量輸入につながりました。それは同時に、「清国教育の実権は欧米に委ねるべきに非ず、断然日本がこれを握るべきだ」とする日本政府の強力な裏側での圧力と併行していました。

このような経過を見ていると、日本がアジア太平洋戦争でアメリカに敗北し、アメリカによる占領と同時に(あるいは講和条約の締結後も)英語と英語人が大量に輸入された状況と酷似していることがよく分かるのではないでしょうか。

かつての清国では、"大規模な教員派遣は一九〇五年からはじまり、日本語をはじめ、各教科の「日本教習」が中国に「招聘」され、小学校から大学まで各種の学校で教えるようになり、多いときは一年に数百名を送る年もあった" とありますが、今の日本は,この比ではありません。

というのは、いまや京都大学のみならず日本全国で、"英語をはじめ各教科の「英語人」が日本に「招聘(しょうへい)」され、小学校から大学まで各種の学校で教えるようになり、多いときには1年に数千名(それどころか数万?)がアメリカから輸入されるようになっているからです。

たとえば、主に英語母語話者を日本に「招聘」するJETプログラム(The Japan Exchange and Teaching Programme)の大半は「外国語指導助手ALT」ですが、これだけでも、2006年度には5,508人にも達し、その大半はアメリカから来日しています。こうしてALTは世界で最大の語学指導を行う「招致」事業となっています。

つまりALTだけでも世界で最大の「英語人」輸入事業になっているのです。このほかに全国の大学や英会話学校で採用されている英語教師を含めて考えれば、「英語」および「英語人」がいかに巨大な輸出入商品になっているかが、よく分かってもらえるはずです。

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しかも、この輸入された「英語」「英語人」が、英語力=研究力だけでなく英語力=洗脳力としても大きな役割を持たされていたことは、ブログ(2013.9.30)「もう一つの京都大学事件(2)― 松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー:半永久的依存の起源』(岩波書店2008)」で書いたとおりです。

このことを考えると、京都大学の「外国人100名雇用」計画(これはさらに150人が追加されて総計250人になる予定)は、単に「人間の輸出入問題」として片付けることのできない重大な問題をはらんでいるように思われます。これについては、すでに長くなりすぎていますので、次回にゆずります。
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