もう一つの京都大学事件(その7)――日本の植民地言語政策とアメリカの対日「心理作戦」「文化工作」から何を学ぶか

英語教育(2014/11/03)
松田武 アメリカのソフトパワー石 剛 2005
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私は前回のブログを次のように結びました

 しかも、この輸入された「英語」「英語人」が、英語力=研究力だけでなく英語力=洗脳力としても大きな役割を持たされていたことは、以前のブログ "もうひとつの京都大学事件(2)― 松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー』" で書いたとおりです。
 このことを考えると、京都大学の「外国人100名雇用」計画(これはさらに150人が追加されて総計250人になる予定)は、単に「人間の輸出入問題」として片付けることのできない重大な問題をはらんでいるように思われます。これについては、すでに長くなりすぎていますので、次回にゆずります。


私がこのように書いたのは、『日本の植民地言語政策研究』を読んでいて、アメリカが日本にたいしておこなってきたのとまったく同じことを、日本も清国にたいしておこなっていたのだということを発見したからでもありました。以下はその引用です。

秦純乗[北京中央日本語学院教務長、華北日本語教育研究所調査部長]は正面に答えずに、さらに次のように述べている。

「我々が日本語を教授するのは、中国人に日本語を習得させるためにではなくて、中国人に日本語による教育を享受せしめるためである。語を換えて言へば、新しき華北に新しき大東亜が要求する中国人を日本人によって作り出すためである。(中略)語学を教へるためでなく、人間を作るためである。」

このように、日本語教育は、言語の教育を目的とするのではなく、日本語によって人間に対する考え方の改造と教育を目的にしなければならない、秦のことばによれば「アジヤの血を清浄にする」ために、「混濁した中国民族の血液の中に注射し」なければならないというのである。(前掲書135-6頁)


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このように、中国における日本語教育は、「言語の教育を主目的とするのではなく、日本語によって中国人の考え方の改造を教育の目的にしなければならない」とされていたのでした。

つまり、松田武『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー:半永久的依存の起源』で詳述されているように、アメリカによる占領後の日本では「英語教育」が「洗脳力」の役割を持たせられていたのと同じく、清国においては「日本語教育」が「洗脳力」として大きな役割を持たされていたわけです。

この関連で、石剛『日本の植民地言語政策研究』を読んでいてもうひとつ私の目をひいた箇所がありました。それは日本が清国を「半永久的依存」国家にするためにおこなった日本語教育および各種の「言語政策」「文化工作」です。

たとえば前掲書(112頁)では、日本が清国にたいしておこなうべき「言語政策」「一般社会における普及方策」として次のような項目があげられています。

1)おもな地方において、教科書以外は学費を要しない民間日本語学校または日本語講座を開設すること、
2)支那文の新聞、雑誌などに日本語研究欄を設け、紙芝居、演劇、映画を通して「思想善導」とともに、正しい日本語を自然に習得させること、
3)ラジオ放送による日本語講座をいっそう盛んにすること、
4)録音による日本語指導の方法を考えること、
5)図書館に日本事情および日本語に関する図書、掛図、写真などをそなえること、
6)各種の交通機関従業員にいっそう日本語使用を徹底させ、宗教団体などをも日本語の普及に連絡努力させること、
7)日本語学校などに適当な奨励方法を講じ、その振興をうながし、一般民衆に日本語学力習得程度を証明する検定制度を設け、
8)官公署、学校、銀行、会社、工場などにおいては、官吏、教職員、または経営者などに対して日本語を教授し、その日本語の教授および学習使用に対して奨励の方法を講じること、
9)日本の歌、詩、民謡などの普及・宣伝、広告に使用するポスター、ビラの文書は平易な日本語をもって表現させることなど

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上記の諸項目における「日本語」を「英語」に置き換えれば、それがほとんどそのままアメリカが戦後の日本にたいしておこなってきたことに酷似していることが分かるはずです。

たとえば、アメリカが1950年代の日本にたいしておこなった「心理作戦」「文化工作」については、藤田文子「1950年代のアメリカ対日文化政策の効果」『津田塾大学紀要』(41巻2009:19-43)では、次のようにまとめられています。

1. アメリカ文化センター(全国14都市に設置);書籍ならびに教育映画の閲覧と貸し出し、英語のクラス、セミナーや講演会、レコード・コンサート、映画の上映会、地域の人々(とくに有識者)との交流。
2. 人物交流プログラム: 知識人、メディア関係者、労働組合幹部、官僚、実業人などの指導者層や学生を視察や留学のためにアメリカに派遣。来日するアメリカ人学者や著述家による講演と交流。
3. 出版: USIAあるいはUSISが作成するパンフレット、ニューズレター、雑誌、書籍の配布。アメリカに関する洋書や共産主義を批判する洋書の翻訳、親米的な日本人の著者と出版社に対する資料提供と資金援助。
4. 放送: USIA作成の番組を放送局に提供。番組作成に必要な資料の提供。[NHKや民放に提供されたニュースや解説も、USIAが制作・執筆であったことは伏せられていた。また米軍によるVOA放送もこの一貫だった。]
5. 映画: 占領期から引き継いだ数百点におよぶ記録映画をさらに拡大し、アメリカ文化センター、都道府県視聴覚ライブラリー、学校、公民館、労働組合、その他さまざまな組織で上映。共産主義の脅威や日本の再武装の必要を説く映画館用の劇映画の製作。
6. 展示: 「原子力平和利用博覧会」や写真展「人間家族」など全国を巡回する大規模な展示からセンターの壁を飾る小規模な展示。[原子力平和利用博覧会は1年間にわたって各地を巡回し、東京だけでも800万人の入場者を数えた。]
7. 著名なアメリカの芸術家、運動選手、交響楽団、舞踊団などによる公演と交流。[たとえば日本における野球熱は、1950年代にアメリカが資金援助して野球チームを派遣したことによるところが大きい。]

* 上記の[ ]内は私の補足です。

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松田氏の前掲書の副題「半永久的依存の起源」で象徴的に示されているとおり、アメリカは1951年9月8日に対日講和条約を結んで占領政策を終わらせた後も、日本を「半永久的な」「依存国家」(=属国)にするために、ロックフェラーを1950年1月22日、日本に派遣して、その調査研究を報告書としてまとめさせました。

この同年4月16日に提出されたロックフェラー報告書では、日本の知識人を主な対象にした次の五つの計画案が提言されていました。(これについては以前にも書きましたし、とくに第四の「徹底した英語教育プログラム」については詳しく紹介しました)。

第一は、東京に文化センターを設立すること、
第二は、東京と京都に学生を対象とする国際会館を設立すること、
第三は、国の指導者および学生を対象とする人物交流計画を継続すること、
第四は、徹底した英語教育プログラムを実施すること、
第五は、資料交換プログラムを実施すること

この提言を受けて、「パネルD-27」というコードネームで呼ばれる作戦班がつくりあげた「対日心理作戦」計画が大統領および国家安全保障会議で承認されたのは、1953年1月末のことでした(藤田2003)。そして、すでに1952年4月から活動を開始していた東京のアメリカ大使館を拠点で、この計画が本格的に展開されていきました。

その成果が前述のように、藤田(2009)によって、「アメリカ文化センター」など7項目にまとめられているのですが、「映画」の項目では、「日本の再武装の必要を説く映画館用の劇映画の製作」と書かれていることに注目していただきたいと思います。

日本ではともすると、「日本の平和憲法は占領時代にアメリカによって押しつけられた憲法だから」「憲法を改正して軍隊をもてる憲法、集団的自衛権を行使できる憲法にしよう」という主張がなされることがありますが、「日本の再武装の必要を説く劇映画」を製作して憲法を変えさせる工作をしていたのが実はアメリカだったことが、これで分かります。

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<註> 当時の日本の知識人の多くがアメリカにたいして不信感をもったのは、このようなアメリカの身勝手な変わり身の早さでした。「平和の旗手」であるかのように思われていたアメリカが、1950年代に入ると、あっというまに「戦争の旗手」へと早変わりしたからです。だからこそアメリカの知識人対策も巧妙を極めたわけです。

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また「展示」という項目では、「原子力平和利用博覧会」などの「全国を巡回する大規模な展示」がおこなわれたと書かれていることにも注目してほしいと思います。

これは1954年3月1日に太平洋のビキニ環礁でおこなわれたアメリカ軍の水素爆弾実験によって遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が被曝したことをきっかけとして日本全国で燎原の如く広がった反核運動をおさえるために企画されたものでした。それは反米運動になる恐れがあっただけでなく「核利用」の禁止運動にもなりかねないと思ったからです。

そこでアメリカは「原子核の平和利用」という宣伝を大々的におこない、読売新聞社と日本テレビを前面に押し立てて全国各地で開催された「原子力平和利用博覧会」は、空前の規模で盛り上がりつつあった反核平和運動を封じ込めることに成功したのでした。そして,これが同時に日本で原子力発電を導入するきっかけにもなったのでした。

[アメリカと協力しつつ原子力導入に暗躍した正力松太郎(読売新聞社と日本テレビの社主)については、有馬哲夫『原発・正力・CIA』(新潮選書、2008)に詳述されています。]

かくして世界で初めての被爆地として反核平和運動の先頭に立っていた広島市でさえ、この博覧会を訪れた人数は約11万人にものぼり、「原子力平和利用」の重要さが市民の頭に徹底的に叩き込まれた結果、当時の渡辺忠雄市長も「原子力の平和利用」を言い始めるに至ったのでした。アメリカ「心理戦略」「文化工作」の見事な勝利でした。

今から思うと、『鉄腕アトム』を描いて人気を博した手塚治虫も、アメリカの「心理戦略」にまんまと載せられてしまったと言えるのではないでしょうか。漫画の連載時期は、ちょうどこの時期と重なるからです。ちなみに、広島市での博覧会は、広島県、広島市、広島大、中国新聞社とともに広島アメリカ文化センターも主催団体として名を連ねています。

いまだに日本は福島原発事故を収束できずに苦しんでいますが、その淵源が1950年代のアメリカによる「対日心理作戦」「対日文化工作」にあったこと、「アメリカ文化センター」や「英語教育プログラム」という「ソフトパワー」もその重要な一翼を担っていたことは、きちんと認識しておく必要があるのではないでしょうか。

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いま安倍内閣「教育再生実行会議」の案として出されている、「国際化を断行する」大学、外国人教師を大量に採用して「英語で授業をする」大学、大学入試や卒業要件に「TOEFL受験を義務づける」大学という政策も、以上のような過去をふまえて考えれば、表向きの美辞麗句の裏に何かが隠されているのではないか、と疑ってみる価値はあるように思うのです。

以前のブログ(2013.9.26)で紹介したとおり、過去の京都大学で当時の総長がUSIS(米国広報文化局)と協力しつつ大学内の反米主義・左翼思想を撲滅するための活動を行ってきた事例があるだけに、なおさら私の危惧は強くなるのです。このような動きを京都大学だけでなく全国の主要大学で展開しようとしているのが、現在の高等教育政策ではないかと、疑いたくなるのです。

いま軍の軸足をアジアに移し、中国封じ込め政策に重点を置き始めているアメリカにとって、日本の重要性は強まることはあっても弱まることはないからです(孫崎享『不愉快な現実――中国の大国化、米国の戦略転換』(講談社現代新書、2012)。またTPPの参加国は、日本を抜きにすると圧倒的に発展途上国が多数ですから、日本が脱退すれば、アメリカにとって経済的にも大打撃です。

そのうえ(大使館などを拠点にした)「国連本部の盗聴」「ドイツ首相の携帯電話の盗聴」「ブラジル首相と国営企業の盗聴」など、「テロとの戦争」を口実にしたアメリカのさまざまな悪行が、スノーデン氏によって赤裸々に暴露された現在、日本を「抱き込む」ことの重要性は増す一方だと考えてよいでしょう。だからこそ私たちはアメリカの駆使する「ソフトパワー」に目をこらす必要があるのです。

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松田武氏は、1951年1月に日本政府と対日講和条件を協議するために東京を訪問した時のダレス国務長官を、『戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー』のなかで次のように描写しています。

 ダレスは公衆の面前では、日本のことを「戦勝国によって指図される国」ではなく、「相談される当事国」と表現し、雅量のある調子で語った。
 しかし私的な場所では、ダレスは、解決すべき主たる重要な問題は「我々の好きな場所に我々の好きなだけの期間、我々の好きなだけの軍隊を駐留させる権利を手に入れることではないのかね」と側近に語った。
 ダレスの本音と建前の二重発言に示されるように、アメリカ政府は、実際に日本の領土内に合衆国の基地システムを保持することに成功した。(前掲書126頁)


こうしてアメリカは1951年9月に対日講和条約と日米安保条約の二つの条約を結ぶことにより、占領期に日本から獲得した重要な諸権利と特権の大部分を継続的に保持したのでした。それから60年以上も経っているのですが、前述のとおり、アメリカにとって日本の重要性はいささかも変わっていません。

また松田氏は前掲書(副題は『半永久的依存の起源』)で次のようにも述べています。

 しかし、鋭敏な合衆国の指導者は、当面の「抱き込み」のコストのみに注意を奪われていたわけではなかった。彼らは、日本を日米の二国関係という狭い視点からでなく、もっと広い世界システム全体から眺め、「抱き込み」策の積極的な側面や合衆国の長期的な利益を考えていた。
 つまり、日本が安全保障と経済の領域においてアメリカ合衆国に依存し続けるということ、そのような半永久的な日本の依存性は、合衆国が長期にわたって日本にかなりの影響力を持ち続けることを意味していた。
 世界四大工業地域の一つとしての日本の戦略的な位置が特に重要であっただけでない。それ以上に、日本を「抱き込む」ことにより、合衆国は、日本の領土内に軍事基地システムの展開が可能になり、それによって合衆国に脅威をもたらしていると考えられる場所ヘアメリカ軍をいつでも展開し、ヘゲモニー秩序を維持することが可能になったのである。
 まさにこれが合衆国の指導者が考えていた長期的な利益の中身であった。


これを読むと、日本を「抱き込み」、日本が安全保障と経済の領域においてアメリカ合衆国に半永久的に依存し続けるよう、アメリカが今も「ソフトパワー」を全面展開させているであろうということに疑いをもたないようになりました。

私が安倍内閣の教育再生実行会議による「高等教育改革案」を額面どおりに受け取れない理由の一つが上記のような事実にあります。というのは沖縄軍事基地への対応やTPPの受け入れ姿勢などをみれば分かるように、安倍内閣は従来の自民党内閣のなかでも最もアメリカの政策に忠実な政府ではないかと思うからです。

安倍氏の選挙ポスターには「日本を取りもどそう!」とありましたが、これは「日本を売り渡そう!」の誤植ではないかと疑っています。

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<註> アメリカの、「パネルD-27」というコードネームで呼ばれる「対日心理作戦計画」については、下記を参照しました。
藤田文子2003 「1950年代のアメリカ対日文化政策―概観」『津田塾大学紀要』35巻: 1-18
藤田文子2009 「1950年代のアメリカ対日文化政策の効果」『津田塾大学紀要』41巻:19-43


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