翻訳 ウクライナ紛争の記録(その3)―暫定政権による政治的抑圧、ネオ・ナチ体制に抵抗する東部への弾圧[b]

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スノーデン氏のNSA告発から1年
「スノーデン以前には知られていなかった、恐るべき10の事実」
Year of the whistleblower: 10 things we didn’t know before Snowden
http://rt.com/usa/163700-year-whistleblower-before-snowden/


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 「内戦のなかでおこなわれたシリアの大統領選挙は承認できない」と言っていたアメリカが、「内戦のなかでおこなわれたウクライナの大統領選挙」は承認しました。まさにダブルスタンダード(二重基準)です。
 また、ウクライナ暫定政府軍が学校・病院・市役所を爆撃し一般市民を死傷させていますが、これは明らかに戦争犯罪です。しかしオバマ氏はこれにたいしてもいっさい抗議の声をあげていません。世界の指導者だと自認しているだけに、これは恐ろしいことです。
 ところで前回のブログで述べたように、私が主宰している研究所の研究員から下記のような翻訳が添付で送付されてきました。
 当時のウクライナがどういう状況であったか、なぜウクライナ東部のひとたちが抗議・抵抗しているのかが,よく分かっていただけると思います。大手メディアでは報道されていない驚くべき事実がいっぱい記録されていますので。

 [今の私には差し迫った事情があり、この翻訳を手直ししている暇がありません。そこで届いたものをそのまま載せます。誤訳など気づいた点がありましたら私宛にお送りください。]

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ウクライナにおける政治的抑圧―ネオナチ体制に対抗する蜂起への弾圧(下)
Political Repression in Ukraine―Crackdown on Uprisings Against the Neo-Nazi Regime
http://www.globalresearch.ca/political-repression-in-ukraine-crackdown-on-uprisings-against-the-neo-nazi-regime/5377473
By Oriental Review、Global Research, April 11, 2014

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西欧メディアが「クリミアにおける人権侵害」といわれるものを無理矢理引き出しているにもかかわらず、国際監視団は忙しすぎてウクライナの他の地域で何が起こっているかに関心がないようだ。奇妙なことに、ウクライナにおける政治的抑圧が「氷山の一角」にすぎないことを示す事実がいくつかある。

2月22日にウクライナ共産党のルボフ第一書記ロスティスラフ・バスィルコは間違って「マイダン(独立広場)で発砲した」と訴えられ、残忍な拷問を受けた。目撃者に寄れば、彼はハリを爪の下に刺され、彼の右肺を刺され、3本のあばら骨と顔の鼻と他の骨が折られていた。そして彼の家族を消し去ると脅された。彼は現在ロシアで治療を受けている。

2月23日、ザポロツェの反ファシスト人民軍の指導者であるアレクサンダー・パタマンは拉致された。

2月24日ウクライナ憲法法廷の6人のメンバーが、最高議会によって「宣誓違反」のかどで任意出頭させられた。彼らのいく人かは脅しと肉体的威圧を受けた。3日後に追放された判事達は、国際人権委員会への訴えを採択した。

2月28日、ドニプロペトロフスク地域の副知事ボリス・フィラトフは、フェイスブックに、キエフ中央政府に不満の親ロシア運動のメンバーをどのように徹底的に統制したらいいか解説を載せた。「それらの蛆虫どもに何らかの約束と保証と彼らが望む譲歩を与えなさい。そして・・・我々は後でみんな縛り首にするのだ。」

3月5日、アンドレイ・プルギンは、ドネツク共和国の新ロシア組織指導者の一人で、ドネツクで捕らわれ、見知らぬところに連れ去られた。誘拐された男の友人は、彼が前日に訪問を受け、その時「もし今日家にいなければ、彼の妻は寡婦になるだろう」と警告された。しかし他の人々は彼が来るのを期待していたいたので、友人は公共の広場かどこかに行ってみた。アンドレイの運命は今も分かっていない。

3月6日、ウクライナ市民組織スラビック防衛隊の指導者であるウラジミール・ロゴフは誘拐された。そのときは両者とも危害を加えられていなかったが、ザパロツェ地域とウクライナを去るように強要された。

3月6日、「人民政府」と親ロシアの活動家の指導者であるパベル・グバレフはドネツクで拘留された。捕えられたとき、ドネツクからキエフまでの道路やウクライナ保安局(SBU)の拘留施設でも、彼はひどく殴られた。パベルは3月半ば昏睡状態に陥り、そして今は刑務所の病院にいる。この状態が公表されることを恐れて、彼は弁護士への接触が許されていない。彼の妻エカテリーナと3人の幼子たちは、夫の逮捕のあと、ウクライナを去るように強要されている。

パベル・グバレフ


ルハンスク地域の「人民政府」とルガンスク防衛隊指導者アレクサンダー・カリトノフは逮捕され、3月14日以来、SBUの拘留施設に捕まっている。

3月17日、人民政府の指導者アントン・ダビドチェンコはオデッサでSBUによって逮捕された。そして彼も現在キエフのSBU刑務所に拘留されている。

3月17日、ビニッツァのいわゆる「人民裁判」の極右メンバーのグループは、地域小児病院の院長タチアナ・アントーネッツが自発的に辞職するように厚かましくも要求した。その理由は彼女が公的に地域政党を避難しなかったし、前政権の犯罪を非難しなかったからというものだ。過激派が主張するのは、もし彼女が彼らの命令に従わなかったら、医者は「過酷な革命時の法律にしたがって」弁明する責任があるだろうというのだ。

数々の脅しがなされた後、3月17日、南東部戦線の指導者アルチオム・チムチェンコの自動車が燃やされた。新しくキエフ政府によって任命されたザポロツェ地域の検察官アレクサンダー・シャツキーは、その事故を「積極的な自己犠牲」の見せしめと呼んだ。

3月19日、右派セクターの活動家に率いられたビニッツアの約300人の武装集団が、ネミロフ会社所属の地方の蒸留所を押収した。

3月20日、右派の活動家グループが、ミシュコルツのハンガリアの都市からトランスカルパチアへ修学旅行に来ていたハンガリアの生徒たちを襲った。武装過激派は、トランスカルパチア地域にあるベレホべの町でハンガリア人の市民委員会の会合を解散させ、参加者に暴行を加えた。2年前ウクライナ・ナショナリストはハンガリア軍隊のカルパチア通貨を記念して建てられたベレッケ・パスの記念碑に、「ハンガリア人に死を」とか「ここはウクライナだ」とか台座にペンキで書いて冒涜した。

3月20日、Russia-1 TVチャンネルからやってきたロシア人ジャーナリストがドネツクで拘留された。ロシア人の資料は押収され、彼らはバシリエフカ検問所へ連れて行かれた。そこで彼らはウクライナから追放されるまでの数時間、説明もなしに拘留された。

3月20日、ウクライナ保安局は、ルガンスク市民防衛組織を解散させる試みを始めた。そのルガンスク市民防衛組織は、ウクライナを連邦政府のもとにおき、ロシア語を州の言語とすることを支持する組織だ。その3人の活動家が逮捕され、組織の事務所やメンバーのアパートが捜索された。その青年部の指導者の一人アナスターシア・ピアテリコ-ーバは、「SBUがベルコブナ・ラーダの副委員長(オレ・ヤシュコ右派急進党の指導者)とともに、ルガンスク防衛隊メンバーの捜索を組織し、そして活動家やその家族員を迫害した」とソーシャル・ネットワークに公式な訴えを掲載した。

ビデオ:
ルガンスク市議会副議長アルセン・クリンチャエフが、“Radical Party”「急進党」 の指導者たちに拉致され車に積み込まれるようす。(約7分)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=VivY94Cp0s0

3月20日、いわゆるオートマイダン運動の代表者たちは、「革命の必要を満たすために」ロシア企業ルコイル・ウクライナの支店社長宅から燃料や現金や他の資産を強奪しようとした。

3月20日、キエフの群衆は、マスクをつけ、火器や刃物で武装しウクライナ国家建築検査委員会の建物に押し入った。7階と8階の事務所を占拠して、彼らは「反腐敗委員会」のメンバーを装い、記録資料の入ったフォルダーを押収しようとした。

3月21日、ウクライナ選択運動の指導者であるビクトル・メドベーチュックの所有するキエフの家が焼かれた。

3月23日、キエフのユーロ・マイダンの活動家は、海外ロシア人との連携を促進するロシア人代理店員ロッソトルドニチェストボの建物を占拠しようとして、その雇用者の一人の車を盗んだ。この行為は事務所スペースを押収して、それをマイダンの人民自衛隊の本部にしようとしたものだった。

3月23日、機関銃で武装した右派セクターメンバーの一群は、地域ロックフェスティバルの一部として開かれていたリブネのコンサートに、武器を振り回し、参加者を蹴散らしながら、なだれ込んだ。

3月23日サポリージャで、マイダンの自衛軍として知られる数十人の戦闘員が、棒や石や鋼鉄棒をもってメリトポル・サポリージャ・フレンドシップ・ロード集会の参加者を攻撃した。人々は殴られ、車は傷つけられた。

3月24日、ウクライナ国境警部警備隊員は、アエロフロート乗務員がウクライナ空港で駐機中、飛行機から出るのを再度禁止した。それについて何の説明もなかった。ウクライナ国境防衛隊の一部におけるこのような差別は、キエフやドネツクやハルコフの空港で何度も起こったことであるが、これは一般に認められている国際慣行の違反であり、民間航空に危険を及ぼすものである。最近、ウクライナ国境防衛隊は、ロシアからの航空客を大量に強制帰還させた。、アエロフロート航空だけで43件、そのようなケースが報告されている。32件でアエロフロートは、ウクライナへ片道切符でやってきた乗客を、自費で本国へ送還させられた。

3月半ば以来、ロシア・ウクライナ国境のハリコフ地点で、ウクライナ国境防衛隊はロシア市民をウクライナに入らせなかった。毎日120人から130人が戻された。

3月26日、ドニエプロペトロフスク、ドネツク、ハリコフの右派支持者たちは、聖ジョージのリボン(ソ連のナチへの勝利のシンボル)を身に着けた人々を、彼らが通りで見つけたら誰でも肉体的に暴行を加えた。

3月26日、キロボグラード地区で、地域の「人民委員会」代表やスバボーダ党のメンバーは、ウリャノフスク中央地区病院の院長アレクサンダー・トカレンコを、彼の事務所で打ちのめそうと試みた。その医師の唯一の「罪」は、彼の政治的所属であった(彼は地域政党のメンバーで、ヤヌコービッチ政権から現在の地位を与えられた)。

3月26日、ミゴロド(ポルタバ地区)の前市長であり、区協議会議長のバシーリ・トレテツキーは、3月16日に襲撃者によって暴行を受け、銃で撃たれた後、病院で死んだ。

3月26日、アフトドゾル社会運動の活動家たちは、マイダン自警団の100人の戦闘員とともに、キエフのクレシュチャチク通りのロシア銀行の事務所(VTB、Alfa、スベルバンク・オブ・ロシア、プロミンベスト)にピケを張り、銀行を閉鎖して、ウクライナ部門は全て国有化するように要求した。スベルバンクの建物は占拠され略奪された。

4月1日、ウクライナ国家保安局はオデッサの親ロシア人活動家のアパートを捜索した。特にオデッサ地区副委員長アレクセイ・アルブのアパートを探し回った。「SBUのスタッフは、午前8時に私のアパートに到着してドアを開け、捜索を行った。彼らは礼状を持っていた。国家保安局職員自身、私たちの組織の活動家リストと武器も探していたと述べた。しかし結局、彼らは捜索したアパートには何ら違法なものは見つからなかったと証明する供述にサインさせられた」。アレクセイは以前ウクライナ特別局から「会談」という名目で出頭させられたと主張した。

ウクライナ・ナチによって、「モスクワ・プロパガンダ」をやめるように迫る「最終的絶対的警告文」が、殺しの脅しとともにアレクサンダー・シロコフに送られてきた。



今日のウクライナでは、嘆かわしいことにロシア正教会神父への脅しは、ありふれたことでもある。アレクサンダー・シロコフ師の場合は、非合法のウクライナ国家社会主義労働党によって迫害を受けたが、ロシア外務省特別声明のおかげで広く事件が知られた。キエフ中央暫定政権に忠誠を示す過激分子や地方政府による、親ロシア神父に加えられたあまり公表されない圧力が、他にも数多く起こっている。

もしこの風潮があるなら、ウクライナにおける親ロシア派知識人は、集団でロシア(クリミアを含む)に移住し続けることになる。最近のデータによれば、3万人以上がナショナリストに乗っ取られた自分の国を逃れることを強いられている。

私たちは、国際人権委員会による報告からその情報源を推測できるだけだ。彼らは、一方(ロシア人)からなされた存在しない「暴力」だけを報道するが、今日のウクライナでしばしば発見される実にひどい無政府状態の例は全く無視している。

とにかくはっきりしていることは、これらの状況下で、ウクライナ大統領選挙は、5月 25日に通常の雰囲気の状況でもたれることはなく、そして投票箱はこの危機の間もどってこないように宣伝されていることは、ウクライナ市民の大多数が頼りにしている国ロシアには認識されているということだ。

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<註> 小手川大助氏(元大蔵官僚、元IMF理事)の下記コラムも参考になると思います。
http://www.canon-igs.org/column/network/20140527_2594.html
2014.05.27 ウクライナ問題の波紋-経済制裁で一番損をしている日本
2014.05.19 窮地に立つオバマ政権
2014.05.15 ウクライナ問題について その4

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