英語力は科学力を育てるか―「国際成人力テスト」でアメリカは最下層、日本は最上層!

国際成人力テスト、SSH(スーパー・サイエンス・ハイスクール)、「見る眼、観察眼」を育てる、英語教育(2015/06/03)

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OECD国際学力調査 「読解力でも数学力でも最底辺のアメリカ」

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 安倍首相が米国議会で、「TPPは経済問題だけではなく安全保障の問題でもある。だから日本はこの交渉妥結を目指し全力を尽くす」と英語で演説し話題を呼びました。
 しかし心ある識者の中には、これは「まともな独立国」の首相がとるべき姿勢なのかと心を痛めたひとも少なくなかったのではないでしょうか。
 というのは、国家元首が外国で演説をする場合、一歩譲って英語に堪能であったとしても、自分の国の言葉でおこなうことが「国家の品格」を示す最良の方法ではないかと思われるからです。

 しかしよく考えてみると、アメリカ議会で英語演説する安倍氏の姿は、いま政府・文科省が推進している文教政策をみごとに反映していたのだとも考えられます。
 というのは、安倍氏が強力に推進しているのは、「中高の英語の授業を、英語でおこなう」「TOEFLを大学入試にする」「留学生を倍増し、12万人にする」「大学の一般教育の授業も外国人教員をやとって英語でおこなう」という政策だからです。
 しかしTOEFLは、アメリカ留学を目指すひとのための資格試験です。にもかかわらず、自らの指導要領を無視して、外国がつくった問題を日本の大学入試に利用しろと言うのですから、私たちの頭は混乱してしまいます。
 今まで「指導要領から逸脱するような問題は出題するな」と厳しく指導してきたのは文科省だったのではないでしょうか。
 さらに、OECDの「国際成人力テスト」でアメリカの若者が最下位を占めている事実を知ると、そのような国へ我が国の若者を大量に送り出そうとするのは、何のためなのかという新しい疑問がわいてきます。
 というのは、『ニューヨーカー』誌(October 23, 2013)によれば、OECDが16~24歳の若者を対象に22カ国の学力調査をした結果は、アメリカが最底辺の位置にいることを示しているのです[ただし「問題解決能力」は、ロシアを含めた20カ国の調査です]。

Numeracy(数学的能力):イタリア21位、アメリカ22位で最下位
Literacy(読み書き能力):イタリア22位、アメリカ21位
Problem Solving(問題解決能力):ポーランド19位、アメリカ20位で最下位
出典「アメリカの衰退を測る三つのグラフ」 
Measuring America’s Decline, in Three Charts


 しかも上記の調査結果は、実は16歳から65歳までの「国際成人力テスト」の1部なのですが、この全年齢の「成人力テスト」では、日本は世界トップなのですから、わざわざ何のために小学校から英語漬けの生活を強要されなければならないのかという疑問が、ますます強くなります。(別掲グラフ参照)
 それどころか、せっかく「世界一」と言われている学力すら、英語学習のためにそのエネルギーを奪われ、どんどん転落していくのではないかという恐怖さえおぼえます。海外で武者修行したいのであれば、日本で博士号を取り自分の研究テーマが明確になってからでも遅くありません。
 日本は博士課程まで世界最高レベルの教育を日本語で教授できるのに、しかも留学しなくてもノーベル賞を受賞する優れた研究者・科学者を次々と生み出しているのに、なぜ学部レベルの段階で学生をアメリカにまで送り込んで英語で苦労させなければならないのか。全くのエネルギー浪費になってしまうでしょう。
 白川英樹氏も山中伸弥氏も、アメリカに行ったのは博士号を得てから研究員として渡米したにすぎません。白川氏に至っては、氏が研究員としてアメリカに行くきっかけになったのは、氏の研究の素晴らしさに惚れ込んだペンシルベニア大学のマカダイアミッド氏が白川氏を共同研究者として招待したからでした。
 何度も言いますが、私が調べた限り、日本のノーベル賞受賞者で小さいときから英語学習に熱中したひとは皆無ですし、益川敏英氏をみれば分かるように、そのほとんどは留学すらしていません。大学院を出ていないので修士号すらもっていない田中耕一氏もイギリスに出かけていますが、子会社のKratos社への出向であって留学ではありませんでした。
 これらの事実は、科学力と英語力の関係をみごとに示しているように思います。アメリカの大リーグで活躍しているイチローも英語ができたから渡米したわけではありません。

OECDの国際学力テスト
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3936.html


 かつて「ジャパンasナンバーワン」と言われていた経済力が、「ジャパン・バッシング」のなかで今は衰退の一途をたどっています。それと同じように、「英語漬け」という新しい「ジャパン・バッシング」のなかで、「世界一」と言われている「数学的能力」や「読み書き能力」すら衰退させられていくのではないか、と思うのです。
 というのは、アメリカによる絨毯爆撃で全土が灰燼に帰した日本を不死鳥のように甦らせ、「ジャパンasナンバーワン」と言わしめるまでに経済成長させたのは、いま流行の「英語で授業」といったコミュニケーション重視の英語教育を受けたひとたちではありませんでした。むしろ旧態依然たる読解中心の英語教育をうけたひとたちでした。
 これはノーベル賞の受賞者についても言えます。
 世界中から「なぜ日本から次々と受賞者が出てくるのか」と驚嘆の目で見つめられているのですが、歴代受賞者の経歴を調べてみても、英語学習に熱を上げた(まして小学校から)形跡は全く見られません。
 それどころか小中学校時代は思いっきり遊んでいるひとが多いのです。高校や大学でもスポーツ部で汗を流しているひとも少なくないことに驚かされます。たとえばノーベル化学賞(2000)を受賞した白川英樹氏は、高校卒業まで岐阜県高山のなかで育ったことが自分の「見る眼」「観察眼」を育てたとして次のように言っています。

 小学校3年生のときに満州から引き揚げてきて岐阜県の高山に住みついた。それから中学,高校とちょうど10年間,高山にいたことは相当大きな影響があるだろうと思うんですね。
 自然の中に身を置くことが好きだったものだから,山をほっつき歩いて,昆虫採集や植物採集に夢中になっていた。昆虫採集にしろ,植物採集にしろ,ともかくよく見ていないと見逃してしまう。...そういうところで「何でもよく見る」という習慣が培われたのではないかと思います。(中略)
 だから,直感的に,失敗するはずのない実験がなぜ失敗したのかというのが一つあった。それと,失敗した状態をとにかく見なければ,ということでよく見てみると,今までの状態とは明らかに違ったということですね。(『応用物理』第77巻、第8号、2008:906頁)

 ここで白川氏は「失敗するはずのない実験がなぜ失敗したのかというのが一つあった。失敗した状態をとにかく見なければ,ということでよく見てみると,今までの状態とは明らかに違った」と言っていますが、ノーベル賞はこの失敗からうまれたと氏は言っているのです。
 この氏のコメントはノーベル賞を受賞したときに受けたインタビューで次のような質問を受けた答えとして出てきたものでした。

先ほどお話しになった,膨潤したぼろぼろに近い固まりの膜が本当にいいものにつながるというところ,普通はなかなか食いつきませんよね。ほったらかしてしまうケースが多い。白川先生はそこにずっと目を向けて,見逃さず入っていかれるところがあると思うのですが,子どものころの教育なり,お父さんお母さんや学校の先生の影響なり,あるいは自然環境なり,何かあるのでしょうか。(同上906頁)

 ここで質問をした吉野勝美氏(島根県産業技術センター)は、「膨潤したぼろぼろに近い固まりの膜が本当にいいものにつながるというところ,普通はなかなか食いつきませんよね。ほったらかしてしまうケースが多い」のに、白川先生は「それを見逃さず入っていかれた」。そのような力はどこで培われたのかと尋ねているのです。
 それにたいする白川氏の答えは次のようなものでした。

昆虫採集は仲間と一緒に行くことはあっても,どれ一つとして学校で習うとか,先生に教えてもらったということがない。自分で,あるいは友だちを通していろいろなことを学んでいく。昆虫採集にしろ,植物採集にしろ,ともかくよく見ていないと見逃してしまう。そういうところで「何でもよく見る」という習慣が培われたのではないかと思います。(同上906頁)

 つまり、失敗した実験の結果として出来た「膨潤したぼろぼろに近い固まりの膜」、ふつうだったら単純な失敗だとして「ほったらかし」にするようなものに注目して、その原因をさぐろうとしたところからノーベル賞につながる研究がうまれたと言っているのです。しかもそれは少年時代に野山をかけめぐり昆虫採集や植物採集に熱中した生活が「何でもよく見る」という習慣を培ったと言っているのです。
 このように白川氏の少年時代は「自然に溶け込み自然と遊ぶ」ことに費やされたのでした。英語塾に通うような少年時代ではなかったのです。もし少年時代から英語塾に通い、ひたすら英会話のフレーズを覚えることに費やされていたら、ノーベル賞を受賞する白川少年に育つことはなかったでしょう。
 同じことは他の多くの受賞者についても言えることです。私が調べたノーベル科学賞の受賞者はいずれも、小学校時代は遊びに大きな時間を割き、高校大学時代はスポーツに汗を流しているひとが少なくないのです。しかも、ノーベル賞受賞につながる研究の多くは失敗から生まれています。2002年のノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の場合も同じでした。(『生涯最高の失敗』朝日新聞社)
 ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥氏にしても、部活動で柔道に打ち込んでいた氏は足の指や鼻などを10回以上骨折した経験からスポーツ外傷の専門医になろうと整形外科医をめざしたのですが、手術が不得手で他の医師が30分で終わる手術に2時間かかり「ヤマナカではなくジャマナカ」と言われ、病院を退職して大学院「薬理学教室」に入り直したのでした。
 この「薬理学教室」で失敗した実験が山中氏に新しい研究テーマを与えてくれたのでした。そして大学院修了後、博士号を得てサンフランシスコ大学グラッドストーン研究所の研究員として渡米したのですが、そこでも実験に失敗しています。しかし、その失敗した実験がさらなる研究テーマを生み出し、それが帰国後のノーベル賞を受賞する研究へとつながっていったのです。(山中伸弥, 益川敏英『大発見」の思考法』文春新書)


 もうひとつ彼らに共通しているのは「数学が好きだった、得意だった」ということです。彼らが好きだったのは「英語学習」ではなかったのです。国語・日本語は「読み書き能力」の基礎となる「自然言語」だとすれば、数学は自然を読み解く「人工言語」だからです。
 化学や物理学であれば当然、数学が好きだっただろうし得意だっただろうと想像できますが、柔道に打ち込み最初は外科医をめざした山中伸弥氏でさえ、「数学は大好きだった。勉強というよりも、パズルのような感じで、難しい問題を解くのが趣味だった」(同上54頁)、「益川先生の前で言うのもなんですけど、私、数学の才能はけっこうあったんじゃないかと思います(笑)」(57頁)と言っているのです。
 ところが、文科省は何を間違ったのか、「スーパーサイエンス・ハイスクール」(SSH)という制度をもうけて、これに応募した学校に補助金を出すということを始めました。そして科学技術や理科・数学教育を重点的におこなう高校を指定する制度であるはずなのに、じっさい指定校になった高校の教師に尋ねてみたら、英語で理科の授業をおこなうことが強力に推進され、英語教師までもがそれにかり出されているというのです。
 しかも莫大な予算が付き、その予算を消化するためにも「英語圏」に修学旅行や研修旅行が企画され、その企画立案や現地校との連絡のため、英語教師が振り回されるという事態も生まれています。こうして高校の英語教師は、自分の授業だけでも「英語で授業」をすることに疑問や悩みを抱えているのに、理科の授業にまでかり出されて疲れ切っているという話が伝わってきました。
 私が主宰する研究所の研究員がいる学校でも「英語の教師」という理由だけで「スーパーサイエンス・ハイスクール」の事業にかり出されているというので、「理科の教師たちが勝手に手を上げてそのプログラムに立候補したのだから、理科教師に任せておけばよいではないか」と助言したのですが、校長の面子もあり「学内の協力体制」という一言で押さえつけられ、反対できる余地がほとんど残されていないとのことでした。
 文科省の「英語力=国際力、英語力=研究力、英語力=経済力」という考え方が、京都大学の「国際化を断行する大学」「共通教育の半数近くを英語でおこなう」という方針につながっていったことは今や広く知られた事実ですが、それが「スーパーサイエンス・ハイスクール」というかたちで今や高校教育までも大きく歪めつつあることは、私にとって大きな驚きでした。
 私の研究所の研究員が勤務する学校も、「スーパーサイエンス・ハイスクール」のプログラムの一環としてハワイに研修する企画を立て、その連絡係として英語教員が駆り出されています。ところが「スーパーサイエンス・ハイスクール」を念のためにウィキペディアで調べてみたら、「制度への批判」という項目で次のようなことが書かれていて驚かされました。

国立天文台普及室長の縣秀彦はSSH指定校からすばる望遠鏡の見学要請を受けた際、望遠鏡のあるハワイ島のマウナ・ケア山(標高4205m)は16歳未満の登頂が禁止されている山であるにもかかわらず一部の高校の連絡や準備が不十分であったという経験を引いてSSHの教育活動に「科学技術系人材の育成」という本来の目的だけではなく、「学校の面目や先生の個人的な動機」が介在していると事業に疑問を呈した。またSSHは指定された一部の高校に予算を集中させる制度であるため、教育の機会均等の観点から好ましくなく「SSHの隣の高校にも理科好きの生徒はいるのですから」と予算を全国の科学館や博物館の充実に向けたほうがよいと指摘した。(朝日新聞 2007年(平成19年)7月1日)

 これは2007年の記事です。今は2015年ですから8年近くも前から、このような英語圏だという理由だけでハワイが選ばれることが続いているわけです。真の理科教育とかけ離れた事業が、莫大な費用をかけておこなわれているのです。
 ウィキペディアによれば、「2007年(平成19年)度予算では約14億4443万円、2010年(平成22年)度予算では約20億6500万円、2011年(平成23年)度予算では約24億400万円が配分されており、増額傾向にある」そうですから、血税の壮大な無駄づかいと言うべきでしょう。

 自然科学を読み解くための言語は「数学」です。その裏には文章をきちんと読み解くための基礎学力としての「国語」があります。にもかかわらず、英語学習だけを重視し、授業を英語でおこなうことが理科教育を大きく飛躍させるという考え方をこのまま進めていけば、韓国の二の舞になることは眼に見えています。
 「我が国から一刻も早くノーベル賞を!」ということで韓国は英才学校をつくり英語による授業を強力に推し進めてきていますが、いまだにノーベル賞受賞者は誕生していません。それどころか、「日本では母語・母国語で博士課程まで教育をできるから次々とノーベル賞受賞者が誕生している」という深刻な反省すら生まれ始めています。(『英語教育原論』明石書店)。
 深い思考は母語・母国語でおこなわれます。これはノーベル賞受賞者もはっきり認めていることです。山中伸弥・益川敏英両氏の次のことばを、文科省は今一度かみしめてみるべきではないでしょうか。

 益川:名古屋大学の教養の二年の時に、数学コンクールというのがあった。いくつか問題が出されて、いい成績を取ると、先生が小遣い銭から鉛筆六本とノートを買ってくださる。
 山中:それ、今だったら小学校の運動会の景品ですよ(笑)。時代を感じますね。
 益川:その時、出された問題が六題あって、五題は解けたの。でも、最後の一つがどうしてもわからない。「n点がある。そのうちの任意の二点を取って直線を引けば、必ずその直線上に、もう一点がある。このような条件であれば、すべての点は一直線上にある。それを証明せよ」とこういう問題だったんだけど、友達同士で話し合っても、誰もわからん。夏休み中考えたんだけどわからなかった。しかし、実に簡単なことだったんだ。「n点」というのは、百個でも二百個でもなんでもいい、点が有限個あるということだ。この「有限」という言葉が重要なの。無限だったら、その例外はすぐみつかる。有限なものは最大とか最小が必ずある。だから、最大か最小というキーワードを探せばわかるはずだったのに、それがわからなかった。最終的には、「線と点の距離の最小」というのがキーワードなんですけどね。夏休みの終わりに先生から解答が発表された時には、もう、腹が立って腹が立って……。
 山中:益川先生が今おっしゃったことは、計算力よりも読解力、国語力が大事ということでもありますよね。
 益川:そう、科学の基本は国語ですよ。何にしてもすべて文章の言葉から入ってくる。読んでその世界が頭に思い浮かべられるかどうか。その力があれば、理解していける。そのあとは、吸収した知識を頭の中で思い描いて発展させていけるかどうか。数学は「計算するもの」というイメージがあるかもしれないけど、数式は基本的には言葉なんです。数式とは「かくかく、しかじかの関係がある」とか、「○○という事実を表わしている」ということを語っていて、そういうことを組み合わせて発展させていけば、答えになる。だから言葉が大事なんです。
 山中:国語力は全ての基本だと私も思います。(山中伸弥, 益川敏英『大発見」の思考法』文春新書、58-60頁)

 以上の事実が明らかにしていることは、科学力を育てるために英語教育に膨大な金と時間を注ぎ込むよりも、少年時代は五感を鍛えるために思い切り自然とふれあったり遊びや運動に熱中させる機会を与えること、そして基礎学力である「国語力」「数学力」を育てることに教育予算を投資することが重要だということです。「英語力」に投資するのは中学教育からで充分なのです。歴代のノーベル賞受賞者は、私たちにそのことを教えてくれているのではないでしょうか。
 

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