ギリシャの選択、アイスランド金融危機から何を学ぶべきか(1)―アイスランドが凋落へといたる過程

トロイカ [欧州連合(EU)、国際通貨基金(IMF)、欧州中央銀行(ECB)]、緊縮政策Austerity、国際教育(2015/07/20)
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対照的な軌跡を描いたアイスランドとギリシャ
緊縮政策、ギリシャとアイスランド160
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 ギリシャの国民投票で圧倒的多数の国民がEUの緊縮政策(Austerity)にNO!を突きつけたにもかかわらず、NO!を呼びかけた政権そのものが裏切って、NO!を呼びかけた政策に合意してしまいました。ギリシャ国民の絶望感はいかばかりでしょうか。
 大手メディアは相変わらず、ギリシャの金融危機は国民が怠惰であり豊かな福祉政策にあぐらをかいているからだという嘘をつき続け、「ゴールドマンサックスというアメリカの巨大金融資本が当時のギリシャ政府に(EU加盟の際)嘘の会計操作を教えて泥沼に引きずり込んだのが、危機の発端だった」ことを報道していません。まして自殺者が激増している現実も。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201507010000/
 このギリシャと全く対照的な軌跡を描いた国があります。それがアイスランドです。アイスランドも銀行や投資家が稼げるだけ稼いだ後、アメリカ発の金融危機がアイスランドを襲ったとき、国民は「銀行や投資家がかってに借金したものを、なぜ国民の税金で返さなければならないのか」と怒り、国民投票でNO!を突きつけました。そして今やアイスランドの経済は確実に回復しています。
 ですから、ギリシャ政府もアイスランドと同じ選択をすれば、つまりEUから脱退し独自通貨を発行しながら経済再建すれば、国民は救われたはずですが、NOを呼びかけたはずの政権が、トロイカ [欧州連合(EU)、国際通貨基金(IMF)、欧州中央銀行(ECB)] に屈服する道を選んでしまいました。漏洩された秘密資料ではIMF自身が「このままではギリシャは再建できない」と言っているにもかかわらず。
 以下に紹介するのは、アイスランドとギリシャが対照的な奇跡を描いたことを詳細に跡づけた研究(『BODY ECONOMIC: Why Austerity Kills 』『いのちの経済学―緊縮政策は殺人行為だ』)の一部です。邦訳書は『経済政策でひとは死ぬか― 公衆衛生学から見た不況対策』という題名で草思社から出版されています。そこで今後、四回にわたって、その第4章「アイスランド危機克服の顛末」の抜粋を紹介することにします。
 このまま安倍政権の経済政策が続けば、そしてTPPや戦争法案が可決・実行されれば、ギリシャを襲ったと同じ運命が確実に日本を襲うことになるだろうと思うからです。参考にしていただければ幸いです。   
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連載予定
第一回:アイスランドが隆盛から凋落へといたる過程
第二回:IMFへの支援要請とアイスセーブ問題
第三回:国民が投票で政策を選択した
第四回:アイスランドから学ぶべきこと
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第一回:アイスランドが隆盛から凋落へといたる過程

 アイスランドはユーロ圏外にあり、独自の通貨アイスランド・クローナを維持する誇り高い国だが、歴史的に見れば決して恵まれた国ではない。この島は最初アイルランド人の僧侶たちに発見され、次いでノルウェーのバイキングによって再発見され、やがてデンマーク人が入ってきて、二〇世紀初頭までデンマーク領だった。その後独立したものの、産業は主として漁業で、一九四〇年代まで西ヨーロッパで最も貧しい国の一つだった。まがりなりにも経済が成長しはじめたのは第二次世界大戦後のことで、それに一役買ったのは観光事業である。世界最大の温泉ブルーラグーンや、ゲイシールの間歇泉が人気となり、観光客が増えた。
 一九九〇年代半ばになると、漁業や観光に甘んじるのではなく、他の産業も育成して経済の拡大を図ろうという気運が高まった。このとき政府は他の小国や島々の例に倣い(たとえばケイマン諸島)、「オフショア金融センター」を目指すと決め、その後アイスランドは世界の最富裕層のためのタックスヘイブンヘと生まれ変わった。二〇〇〇年代初頭には商業銀行と投資銀行が融合し、通常の融資ではなく、高利回りの金融派生商品に投資して運用するようになった。同時にこのころ不動産バブルが発生し(東アジアが通貨・金融危機に見舞われる前と似たような状況)、首都レイキャビクでは大型ビルの建設ラッシュが始まった。関係者はレイキャビクを大都市にしょうと意気込み、「ドバイがやったことはレイキャビクにもできる」と胸を張った。
 しかしながら、実際にはこうした仕組み全体にリスクがあった。なかでも海外からの投資先として人気の高かった「アイスセーブ」には大きなリスクが潜んでいた。アイスセーブは民間銀行のランズバンキが始めたネット預金で、六パーセントを超える高金利を掲げていた。イギリスBBCがこれを「今最も有利な預金先」と報じたことも手伝って、ランズバンキの海外支店に申し込みが殺到した。
 するとその成功を見て、他の銀行も類似の高金利口座を設定して.預金獲得に乗り出した。特に目立ったのはイギリスからの資金流入で、高金利と安定性を見込んで三〇万人ものイギリス人が退職金などの預け先にアイスセーブを選んだ。さらにケンブリッジ大学の投資部門や、英国監査委員会(自治体を監査する独立機関)までもが多額の資金をアイスランドの銀行に移し、とうとうアイスランドの三大銀行(ランズバンキ、カウプシング、グリトニル)はそろって世界の上位三○○行にランクインすることになった。
 二〇〇七年初頭には、アイスランドは世界で五番目に豊かな国になり、一人当たり平均所得がアメリカを六〇パーセントも上回るほどになった。世界からは続々と、巨額の資金が流れ込み、その様子をエコノミストたちは「資金大流入」と呼んだ。豊富な資金のおかげで経済活動はますます活発になり失業率も二・三パーセントまで下がり、ヨーロッパの最低レベルを記録した。
 アイスランドの急成長は注目を集め、世界各国から高く評価された。ウォール・ストリート・ジャーナル紙もアイスランドの奇跡は「史上最大のサクセスストーリー」だと称賛し、レーガン政権の経済諮問委員を務めたアーサー・ラッファーも「世界はアイスランドを見習うべきだ」と発言した。
 だがアイスランドの実体経済は綱渡りのようなものでしかなかった。海外から巨額の投資を呼び込んだことで経常収支の赤字が拡大し、一九九〇年代の東アジアを思わせる状況となっていた。好景気も建設ラッシュも銀行の融資に支えられていたが、その銀行は海外の金融商品に投資しており、そのほとんどは高利回りを謳いながら、その裏に高いリスクが隠されたものだった(アメリカのモーゲージ証券など)。もちろんこの綱渡り状態に気づいた人がいなかったわけではなく、警鐘を鳴らす声は破綻の数年前から上がっていた。たとえば、「アイスランド経済は噴出寸前の間歇泉経済だ」と、言われるようになっていたし、二〇〇六年にはコペンハーゲンのタンスケハンクが「アイスラント間歇泉危機」というタイトルで報告書をまとめ、そのなかで、アイスランドは海外資金に依存しすぎていてまさに熱湯が噴出寸前だと警告した。二〇〇七年八月には、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の政治経済学教授ロバート・ウェイドがアイスランドで公開講演を行い、この国の経済戦略がいかに危険なものかを説いたが、政界や財界は「人騒がせな人物」として切り捨てた。金融システムの専門家のロバート・アリバーも二〇〇七年と二〇〇八年にアイスランドを訪問し、「このままではあと一年ももたない」とアイスランド国民に訴えたが、財界はこれも無視した。政府の反応も同様で、"ゲイル"ことホルデ首相も二〇〇八年二月の時点ではこう述べていた。「アイスランド経済について、最近一部の国の新聞が否定的な見解を述べていますが、これには驚きを禁じえません。わが国の経済の見通しが明るく、景気は全般的に堅調で、銀行も健全であることは、あらゆる指標や予測から明らかです」
 ところが、そのわずか数カ月後にはリーマン・ショックの衝撃波がアイスランド経済に襲いかかり、財務大臣が「すべては水の泡となりました」と述べる事態となった。アメリカでバブルが発生したのは、住宅ローンをパッケージ化したモーゲージ証券(MBS)市場に巨額の資金が流れ込んだからだが、その一方で証券化プロセスが複雑になってリスクが見えにくくなり、健全性が失われ、バブルは崩壊した。アイスランドの銀行は資金の大半をそのアメリカのMBSと株式に投資していたため、アメリカのフォークロージャー危機とその後の株価大暴落に伴い巨額の資金を失った。アイスセーブの預金者たちは不安を感じ、預金を引き揚げはじめた。
 彼らの不安は的中し、預金解約の急増とアイスランド株式市場の大暴落によってアイスセーブは二〇〇八年十月に破綻した。アイスランド経済そのものも大きく揺らぎ、GDPは下降に転じ、失業率は上昇に転じた(二〇〇八年から二〇一〇年までにGDPは一三パーセント落ち込み、失業率は三パーセントから七.六パーセントへと跳ね上がることになる)。およそ四万人が住宅ローンを返済できなくなり、差し押さえも一〇〇〇件以上に上った。またGDP縮小と失業者急増によって歳入が減り、社会保護政策の維持も危うくなってきた。
 膨れ上がる債務に対処するため、アイスランド中央銀行はヨーロッパ諸国に助けを求めたが、思うような支援は得られなかった。投資のすべてを失った国に、いったい誰が喜んで資金提供するだろうか。支援どころか、敵意をあらわにした国もある。三〇万人もがアイスセーブに預金していたイギリスは、アイスランドがランズバンキの海外支店〔アイスセーブが主な業務〕の預金引き出しを停止すると、反テロリズム法を適用して英国支店の資産を凍結した。在英アイスランド人への風当たりも強くなり、なかにはアイスランド人だと思われることを恐れてフェロー諸島〔デンマークの自治領〕出身のふりをする人もいた。イギリスとアイスランドの関係は悪化し、一〇月一五日にはこの問題をBBCが取り上げ、《イキリスの思いもよらぬ新たな敵アイスラント》というタイトルで報道した。その報道のなかであるアイスランド人は、イギリス人から面と向かって罵倒されることもあり、「まるでテロリスト扱いです」とレポーターに述べている。
 一方、近隣国との間だけではなく、国内にも軋轢が生じた。国を破綻に追い込んだ一部の富裕層とそれ以外の人々の間の軋轢である。二〇〇八年にいたるまでの"アイスランドの奇跡"の過程で、人口の一パーセントにも満たない金融界・実業界のエリートたちに莫大な富が集中した。彼らはロシアの新興財閥のように振る舞い、最新のSUVを乗り回し、キャビアだの日本のマグロだのを堪能し、プライベートジェットまで所有するなど、豪勢な暮らしを満喫するようになっていた。また、彼らが強いクローナを武器に海外からどんどん資金を集めたため、アイスランドの対外債務は九兆五〇〇〇億クローナと、GDPのおよそ九倍にまで膨らんでいた。これは世界で二番目に高い比率である。ところがそのクローナが一ユーロ八○クローナ(二〇〇七年)から一ユーロ一八○クローナ(二〇〇八年)まで急落して経済は大混乱となり、煽りを食って三分の一以上の国民が住宅をはじめ、何らかの資産を失った。しかもアイスランド国民は、アイスセーブ破綻の後始末を税金という形で負担させられるという事態にも直面した。人々は怒りの矛先を政府に向け、平和だった小国は大きく揺れた。議事堂の前で繰り返しデモが行われ、人々は「政府は役立たずだ!」と叫んだ。また、失業率の急上昇に伴い、アイスランドの外国人労働者のなかで最も多いポーランド移民への圧力も高まった。こうした混乱のなか、映画製作者のヘルジ・フェリクソンはまさに今一つの国家が崩壊しようとしていると感じ、ドキュメンタリー映画『アイスランドに神のご加護を』の制作に着手した。(前掲書114ー119頁)

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<註> 時間がある方は、下記の翻訳も併せて読んでいただければ理解が深まると思います。最初のものは、『BODY ECONOMIC』の著者がニューヨークタイムズに寄せた論考です。
(1) 「緊縮政策は殺人行為だ― 医療・福祉への1ドルは、3ドルの経済成長をもたらす」
(2) チョムスキー「ヨーロッパ福祉国家の解体」


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