翻訳 チョムスキー「ヒロシマの影のなかで」

ヒロシマ、ケネディ、フルシチョフ、キューバ危機、イランの核開発、「二重思考」"Double Think"、平和研究(2015/08/07)

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 今年も原爆記念日がめぐってきました。しかし安倍首相は、一方でアメリカの手下として原発再開と戦争法規(「戦争放棄」ではない!)への道をまっしぐらに走りながら、他方では8月6日のヒロシマでの挨拶では「核兵器廃絶のために努力する」と挨拶しました。この矛盾した行動を同時におこなえる図太い神経は、まさにジョージ・オーエルのいう「二重思考」"Double Think" そのものです。そう思いながら、かつてのチョムスキー翻訳を読み直していたら、いま読んでも全く古くなっていない小論「ヒロシマの影のなかで」があることに気づきました。そこで以下に、その拙訳を紹介することにします。

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ヒロシマの影のなかで
In Hiroshima's Shadow
Thursday, 02 August 2012 09:25
By Noam Chomsky,
Truthout | News Analysis
http://truth-out.org/opinion/item/10660-in-hiroshimas-shadow


Hiroshima080212-2.jpg


8月6日、ヒロシマに原爆が投下された日は、深刻な反省を迫る日である。1945年の、その恐ろしい事件についてだけでなく、それが明らかにしたことについて――人間が破壊力をどこまで拡大できるかの探求に全精力を費やし、ついに極限にまでいたる手段を見つけたことについて、真剣に考え直す日である。

今年の原爆記念日は特別に重要な意味をもっている。というのは、その日から数日も経たないうちに、「人類史で最も危険な瞬間」となった日の50周年がやってくるからだ。歴史家でありケネディ大統領の顧問であったシュレジンジャー(Arthur M. Schlesinger Jr.)は、キューバ・ミサイル危機」を、「人類史で最も危険な瞬間」と呼んだのだった。

アリソン(Graham Allison)はForeign Affairs誌の最新号で、ケネディは「通常の戦争どころか核戦争になる危険が増すことを知りながら、作戦行動を命令した」と書いている。核戦争になる危険は50%だとケネディは信じていたが、アリソンもその危険は十分にありえたとみなしている。

ケネディは核戦争への厳戒態勢を宣言し、「トルコ人(あるいは他の)飛行士が乗ったNATO軍の爆撃機がモスクワめざして飛び立ち爆弾を投下する」ことを許可した。

キューバに核ミサイルがあることを知って最も衝撃を受けたのは、6ヶ月前に同じようなミサイルを沖縄に秘かに配備した責任者たちだった。それは主として中国を攻撃対象としたものであり、それが近隣地域の緊張を高めていた矢先だったからだ。

ケネディはソ連のフルシチョフ議長(Nikita Khrushchev)を「核戦争の瀬戸際まで追い込んだが、崖っぷちを覗きこんで怖くなり、それを実行する気力をなくした」。これは当時のペンタゴンで戦争計画を立案していた高官、Burchinal将軍(David Burchinal)の言だが、今はそのような正気を誰にも期待できない。

フルシチョフはケネディの提起した打開策を受け入れて、開戦の一歩手前で危機を終わらせた。この打開策は、アリソン(Graham Allison)によれば最も大胆なもので、「キューバからミサイルを撤去した6ヶ月後に、アメリカがトルコからミサイルを撤去するという秘密の取引」だった。実を言うと、このミサイルは旧式のもので、アメリカはそれらをポラリスと入れ替つつあった。すなわち、もっと破壊的な弾道ミサイル=ポラリスを積んだ、難攻不落の潜水艦を用意していたから旧式ミサイルは不要となりつつあったのだ。

要するに、想像を絶するような破壊をもたらす戦争の危機に際しても、アメリカは「核ミサイルをどこにでも配備する一方的な権利をもつ」という原則を強化することが必要だと思っていたのだ。それは中国を標的にするものであったり、ロシアの境界に配備するものだったが、当のロシアはそれまで国外にミサイルを配備したことはなかった。もちろんアメリカは自分を正当化する口実を用意していたが、私にはそのどれも分析に堪えるものだとは思えない。

上記の付随的原則は、キューバはアメリカに侵略される危険がいかに迫っていても、それにたいして防衛するミサイルを持つ権利はないというものだ。ケネディによるこの計画は、いわば国家テロともいうべき作戦で、「マングース作戦」と呼ばれ、それは「公然と共産主義体制への反逆と転覆」を呼びかけるものだった。これが1962年10月のミサイル危機を引きおこした。しかも「その最終的な成功のためにはアメリカによる決定的な軍事干渉が必要だ」ということも分かっていた。

このキューバにたいする国家テロを、アメリカの批評家は「たいして重要でないCIAの悪ふざけ」として片付けるのが普通だが、当然ながら、やられる側はそれを全く違ったふうに受け取る。攻撃される側の悲鳴・意見は、少なくとも、ボレンダー(Keith Bolender)の著書『もう一方からの声――キューバにたいするテロ攻撃を語り伝える』 Voices from the Other Side: An Oral History of Terrorism Against Cuba で知ることができる。

この1962年の一連の出来事はケネディが最も手腕を発揮したものとして広く賞賛されているが、アリソンはさらにそれを「紛争を解決し、大国間の関係を処理し、外交について健全な決定をする際の一般的な指針」として提案している。特に現在の時点では、イランや中国との紛争解決に役立つというのである。

1962年の危機は世界を破滅に導きかねないものだったが、それ以来、似たような危機的瞬間は枚挙に暇(いとま)がないくらいに頻発している。1973年はアラブ=イスラエル戦争の末期で、キッシンジャー(Henry Kissinger)は核戦争にたいする厳戒態勢を指示したほどだった。インドとパキスタンの関係も核戦争寸前にまでいった、また自動警戒装置の誤作動で、危うく核ミサイルが発射される寸前に手動でかろうじてそれを制止することができた事件も、今までに数え切れないくらい起きている。だから8月6日は大いに反省し思考すべき日なのだ。

アリソンはイランとその核開発計画を現在における最も深刻な危機だとする点で多くの人と意見を同じくしている。イスラエルによるイラン攻撃の危険があるから、「アメリカの外交政策にたずさわっているものにとっては、キューバ危機よりもはるかに複雑な課題とすら言える」。

イランにたいする戦争は既に進行していると言ってもよいくらいだ。イランの核科学者にたいする暗殺や経済制裁をみればそれは明らかだ。イラン問題の専門家シック(Gary Sick)の判断によれば、それは「宣戦布告なき戦争」の段階にまで至っている。

アメリカはイランにたいする高度のサイバー攻撃を誇ってさえいる。ペンタゴンはサイバー攻撃を「戦争行為」だと見なし、The Wall Street Journal誌によれば、このような攻撃にたいしては「通常の軍事力で応戦してよい」と認めてさえいるが、ひとつだけ例外がある。それはアメリカやその同盟国がその実行者である場合だ。

イランの脅威にについては最近、エイランド将軍(Giora Eiland)がその概略を述べている。彼はイスラエル軍事政策の最高立案者のひとりだが、イランの脅威を「イスラエル軍が今までに創りだした最高傑作のひとつ」だと述べている。

彼が描く危機のなかで最も信頼できるのは、「イランの核の傘の下で国境地帯にいかなる衝突がおきても不思議はない」という分析だ。したがってイスラエルは軍事行動を控える可能性もある。いずれにしても、エイランドがペンタゴンやアメリカの情報機関と意見を共にしているのは、イランの[核による]抑止力が最大の脅威だとする点である。

イランにたいする「布告なき戦争」をさらに激化させることは、偶発的な大規模戦争にいたる危険性を増大させる。その危険は先月の事件で明らかになった。アメリカ軍艦(それはペルシャ湾に派遣された巨大な艦隊の一部に過ぎない)が小さな漁船に発砲し、インド人の乗組員をひとり殺し、少なくとも他の3人を負傷させた。それが大戦争の口火となるにはたいして時間はかからない。

そのような破局を避ける賢明な方法のひとつは「中東に大量破壊兵器や全てのミサイルの搬送・発射禁止区域を設けるという目標、化学兵器を包括的に禁止するという基本方針」を追求することである。これは1991年4月の安全保障理事会で成立した決議687の文言であるが、アメリカやイギリスは、その12年後に、この文言を隠れ蓑にしてイラク侵略に乗り出したのだった。

この目標は1974年以来ずっとアラブ諸国やイランの目標であったし、何度も国連総会でも定期的に確認されている目標でもある。しかもそれは今では満場一致に近い支持を得ている(アメリカやイスラエルの数少ない抵抗を除けば、少なくとも公式的には)。そのような合意[決議687]を実行に移すための方策を検討する国際会議が、12月には実現するかも知れない。

ただしそのような進展は、欧米世論の巨大な支持がなければ、実現は難しい。そのような機会を逃せば、8月6日という運命的な日からずっと世界を覆ってきた暗い不気味な影を、再び長引かせることになるだろう。


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