翻訳 チョムスキー「企業モデルが米国の大学をダメにしている」その3

教育の二つのモデル(「器モデル」と「紐モデル」、「注入モデル」と「創造モデル」)、教育原理(2015/08/26)


 ギリシャではティプラス首相が辞任を宣言しました。しかし、どうせ総辞職するくらいなら、、さらに残酷な新しい緊縮政策の要求がトロイカ [欧州連合・国際通貨基金・欧州中央銀行]から出てきた直後に総辞職すべきだったでしょう。その要求に屈したあとで総辞職したのでは、圧倒的多数が国民投票でNOの意思表示をした意味がありません。
 このままでは、ギリシャの風光明媚な島々や地方の空港・港湾の多くがドイツの会社に買収されてしまいます。しかし、もっと皮肉なのは、この厳しい要求の先頭に立っているドイツが、第一次大戦に敗北したあと厳しい賠償を突きつけられ、その反動でヒトラー政権が誕生したことです。ですから、ティプラスの左派政権が総辞職したあとに新しく誕生する政権は、極右またはネオナチ政権という可能性もあります。
 アメリカでは相変わらず警察による残虐行為が続き、それにたいする抗議行動が全土で燃え上がってファーガソンでは戒厳令すら発動される事態になっています。他方で、アメリカ西海岸では山火事が燃えさかっていて消防士の死者まで出ているだけでなく激しい地盤沈下も起きていて、使えなくなっている鉄道線路もあるそうです。<註>
 したがって常識的に考えれば、いまアメリカは海外で戦争を拡大するよりも国内問題に専念すべきはずです。しかし「だからこそ戦争だ」とも考えられるのです。国内に矛盾が鬱積しているとき、その不満の声を国外に発散させるためにこそ新しい敵・新しい戦争が必要だからです。いまオバマ政権とマスメディアによって中国とロシアが急速に悪魔化されつつあるのは、その意味で当然とも言えます。
 このアメリカの政策を忠実な下僕として協力推進しようとしているのが、残念ながら、我が国の政府です。だからこそ、米軍基地撤廃という沖縄県民の圧倒的な声・願いは圧殺されなければなりませんし、他方で「国際化」(=「英語化」)という名の大学改革を強力に推進し、「留学生倍増」「TOEFL受験」というかたちで若者を大量にアメリカに送り込むことになるわけです。
 とはいえ、このような改革を推進するためには学内の「抵抗勢力」を押さえつけなければなりません。いま文科省が企業モデルに従って、全国に「学長権限を強化するよう学則を改めよ」という通達を出している理由も、このような背景を考えると、十分に納得できるものです。しかし、これは教育本来の目的・理念を踏みにじり、教員から教育への情熱を奪い取るだけです。それは以下のチョムスキー論考からも明らかでしょう。

<註> アメリカでは1%の大金持ちが富を激増させている反面、残りの99%はますます貧困化しています。昨日のRTニュース(26 Aug 2015)によると、カリフォルニア州ロサンゼルス地区(LA County)では200万人の生活保護受給者がいて、そのなかから毎月1万3000人のひとがホームレス(路上生活者)に転落しています。
13K public aid recipients become homeless in LA County every month



目次
1 終身在職コースから排除した教員雇用(前号)
2 高等教育はどうあるべきか(前号)
3 「協同統治」と労働者管理について(前号)
4 いわゆる「雇用の柔軟性」について(前号)
5 「教育の目的」について(今号)
6 「教育への情熱」について(今号)
7 助手が労働組合を組織することにたいする助言(今号)




企業モデルが米国の大学をダメにしている
Corporate business models are hurting American universities

ノーム・チョムスキー<、PA, October 10, 2014
http://www.chomsky.info/talks/20141010.htm


5 「教育の目的」について
これについての議論は啓蒙時代にまでさかのぼることができます。その頃、単に聖職者や貴族のための教育だけではなく、高等教育と大衆教育の問題が議論されていました。そこでは基本的には、二つのモデルが提起されていました。

それらは視覚的にも非常に分かりやすいモデルで議論されていたのです。ひとつは、教育というものは、例えば水で満たされるべき器(うつわ)のようなものであるべきだというのです。それが最近では「テストを目指して教える」"teaching to test" と言われているものです。器を水で満たしたら、今度はその水を器から返すわけです。しかし、学校教育を受けた人なら誰でも知っているように、その器は非常に漏れやすい器です。試験に受かるために、何の興味もないことを試験のために丸暗記するのですが、試験が終わって一週間もすると何を学んだのか覚えていないのです。最近では、このモデルは「どの子も落ちこぼさない」「テストをめざして教える」「頂点をめざす競争」 "no child left behind," "teaching to test," "race to top," などいろいろな名前で呼ばれるようになりました。同じようなことが今や大学にまで持ち込まれています。啓蒙時代の思想家は、このようなモデルに反対してきました。

もうひとつのモデルは、「紐モデル」とも言うべきものです。伸ばされた1本の紐があり、その紐に沿って生徒は自分のやり方と自分の意思で進んでいくわけです。その紐を伸ばしたり、向きを変えようと思ったり、ときには紐について疑問を出すかも知れません。

紐を提示するということは何らかの構造を提起しているわけです。ですから、教育プログラムというのは、それが物理学のコースであれ何であれ、そのプログラムに沿って進んでいくということではなく、何らかの構造があるのです。

しかし教育プログラムの到達点は学生が探求したり想像したり革新したり挑戦したりする能力を獲得することです。それが教育でしょう。ある世界的に有名な物理学者が、新入生の授業で「この学期では何を学ぶことになっているですか」と尋ねられて、「何を学ぶかは重要ではない。君が何を発見するかが重要だ」と答えたそうです。授業のなかでは、学習事項にたいして挑戦し想像し革新する能力と自信を獲得すべきなのです。それが真の学び方であり、そのようにしてこそ学んだことを内在化し、さらに先へと進むことができるのです。学ぶということは、何か決まった事実を暗記し、それを試験用紙に吐き出し、翌日には学んだことを忘れる、といったことではありません。

先にも述べたように、教育には全く異なった二つのモデルがあるのですが、啓蒙主義の理想は後者のものでした。それこそ私たちが目指すべきものでしょう。それこそが真の教育であり、幼稚園から大学院までのすべての教育者がめざすべきものです。実際そのような教育プログラムが幼稚園でも開発されています。かなり良いものですよ。


6 「教育への情熱」について

私たちは教員も学生も、満足できて楽しく且つ挑戦的で刺激的な活動に従事したいと願っています。これは確かですし、実際それほど困難なことだとは思いません。小さな子供でも創造的で探求心にあふれています。みんな知りたいと思っていますし理解したいと思っています。ですから学校教育でそのような能力が駆逐されない限り、その能力は死ぬまで消えません。もしそのような仕事に従事したり関心を追求する機会が与えられれば、それは人生で最も満足すべきことの一つです。

それは物理学者にも大工にも当てはまる真理ではないでしょうか。何か価値のあるものを創造したり、困難な問題に取り組んで解決するという点では同じだからです。それこそが、誰でもやりたいと思っていることであり、それが仕事の原動力ではないでしょうか。そうなれば、義務ではなくとも、命令されなくても、皆それをやるのです。まともに機能している大学であれば、皆それをしたいから休まず仕事をしている人たちの姿を、そこに見出すでしょう。それが彼らの望んでいることであり、彼らはそのような機会と資源を与えられ、自由で自立し創造的であるよう励まされるのです。これほど素晴らしいことがあるでしょうか。それが大学人が望んでいることです。ただし、何度も言いますが、これは大学でなくても、どのレベルでも可能なのです。

様々なレベルで開発されつつある、想像力かつ想像力に満ちた教育プログラムを、構想するのは価値あることです。例えば、あるひとが先日、高等学校で使っている教育プログラムを私に説明してくれました。理科教育のプログラムですが、そこでは次のような興味ある質問を生徒に投げかけます。「蚊はどうやって雨の中を飛ぶか」

それは考えてみると、なかなか難しい質問です。もし蚊に当たる水滴の力と同じ程度のものが人間にぶつかれば、人間は一瞬にしてぺちゃんこになってしまうでしょう。では蚊はどうして押しつぶされないのか。どうやって蚊は飛び続けることができるのか。そのような疑問を追求すれば、これはかなり高度な質問ですから、数学・物理学・生物学の問題に入り込むことになり、その答えを見つけたいと思ったひとには十分に挑戦的な質問だということになります。

上記の例は教育がそれぞれのレベルでいかにあるべきかを示すもので、文字通り、それはずっと下の幼稚園にまで当てはまるものです。たとえばここに幼稚園のプログラムがあります。そこで子どもたちが小物(砂利、貝殻、種子など)を集めたものを与えられます。そこで、そのクラスでは、どれが種子なのかを見つけ出す課題を与えられます。それは「科学会議」と呼ばれるもので始まります。子どもたちは話し合って、どれが種子かを見つけ出そうとします。もちろん教師の指導も入るのですが、ここでの狙いは子どもたちに考え抜かせることなのです。

しばらくして、子どもたちはいろいろな実験を試みます。そしてどれが種子なのかを見つけ出します。その時点で子どもたちに拡大鏡が与えられ、教師の手助けで種子を割り、種子を成長させる胚を見つけます。こうして子どもたちは何かを学ぶのです。種子とそれを成長させるものについてだけでなく、発見の仕方をも学ぶのです。子どもたちは発見と創造の喜びを学んでいるわけです。それこそが、教室を出たあとも学校を出たあとも、子どもたちが自力で前進していく力を培うことになるのです。

同じことが大学院に至るまで教育全体について言えます。まともな大学院のセミナーであれば、教師の言ったことをそのまま書き写したり繰りかえしたりすることを、学生に求めません。彼らに期待するのは、教師が間違ったことを言ったら指摘したり、新しい考えをもってきて教師の意見を聞いたり、以前には思いつかなかったような方向に挑戦したり追求することです。それこそが真の教育であり、それはすべてのレベルで求められるべきことであり、援助し励まされるべきことです。それこそが教育の目的であるべきでしょう。それは頭の中に情報を注ぎ込む教育とは異質のものです。それは頭から吐き出されるかも知れませんが、決して創造的で自立した人間を育てることにはつながりません。創造的で自立した人間は、どのようなレベルであれ、興味を惹くどのような領域であれ、発見と創造すなわち創造性に興奮を見出すものだからです。


7 助手が労働組合を組織することにたいする助言

何をなすべきか、あなた方がどんな問題に直面しているかについては、私よりもあなた方のほうが御存じでしょう。前進あるのみです、なすべきことをやってください。怯んだり脅えたりする必要はありません。意思さえあれば未来を手にすることは可能です。自信を持ってください。

(以上で完結)


<註> 連載した翻訳は下記に一括して掲載してあります。
チョムスキー20141010「ビジネスモデルがアメリカの大学をダメにしている」
 なおギリシャおよび南欧(スペインその他)にかけられている「緊縮財政」Austerityという攻撃については下記を参照ください。
チョムスキー20121223「ヨーロッパ福祉国家の解体」


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