「英語が話せないのは日本人だけ」という神話、その1

世論調査「ユーロ・バロメーター」、OECD「国際成人力調査」、二つの基礎言語力:国語力(自然言語)と数学力(人工言語)、英語教育(2015/09/04)

目次
1 はじめに
2 EUでも6割のひとが英語を解しない
3 何が英語学習・外国語学習を促すのか
4 教育を破壊する、「ザルみず効果」の英語教育
5 英語の害悪―公教育の民営化・差別化



1 はじめに
 自民党の文教政策は「英語が話せないのは日本人だけ」という神話に基づいていて立案されているように思われます。それを最も明瞭に示しているのが小学校から大学に至るまで「英語漬け」にしようとする文科省の方針です。
 しかし、これでは学力の土台をつくる言語力をやせ衰えさせるだけで、悪くすれば「1億総白痴化」になりかねません。
 なぜなら学力の土台をつくる言語力は、国語力(自然言語)と数学力(人工言語)の二つから成っていますが、英語学習に重点をおいた学校教育・大学教育では、暗記力や機械的練習だけに膨大な時間と精力を奪われることになりがちだからです。
 これは生徒・学生から「言語力」だけでなく「思考力」「創造力」すなわち「疑問を生み出す力」「批判的に考える力」を奪うことになります。これは「亡国の教育政策」と言うべきです。
 いま日本は、OECDの「国際成人力調査」で、国語力・数学力のいずれにおいても世界一の高学力を誇っていますが、このままでは早晩その地位を他者にあけ渡さなければならなくなるでしょう。
 またノーベル賞の受賞者数をみても、自然科学分野では世界でトップクラスなのですが、このような英語偏重の文教政策を続けていれば、この地位も危うくなるでしょう。
 というのは英語が話せなくてもノーベル賞が取れることは益川敏英氏が証明してくれましたし、歴代受賞者のなかでアメリカで学位をとったひとは3人しかいないからです。私が調べた限りでは、受賞者のなかで子供の頃から英語に血道を上げた人はひとりもいません。
 ですから、むしろ、小さいときから英語に血道をあげていたらノーベル賞はとれなかっただろうと考えるべきなのです。それどころか子どもの頃の遊びの重要性、たとえば「子どもの頃に山野をかけめぐったことが見る力・考える力を育ててくれた」(白川英樹)と言っているひとが多いのです。
 すでに日本は世界第二位だった経済力の地位を今や中国に明けわたすようになっているのですが、以上のことを考えれば、このような英語偏重の教育政策をとっていると(それは結果としてアメリカ追随の経済政策をとることにつながるわけですが)、日本の経済力にさらなる転落が待ち受けていることは間違いありません。
 そこで以下では「英語が話せないのは日本人だけ」という言説がはたして本当なのか、
教育研究にとって英語が話せることはそれほど重要なことなのかを検証してみたいと思います。いま私たちに必要なのは無用な劣等感から日本人を解放し、自信をもって独自の道を歩む外交政策や文教政策だと思うからです。

2 EUでも6割のひとが英語を解しない
 以上の観点から、ここでは、欧州委員会が2001年と2005年、ならびに2012年に実施した世論調査「ユーロ・バロメーター」の分析を通じて、「英語が話せないのは日本人だけ」という言説がはたして本当なのかを検証したいと思います。
 というのは幸いにも、堀晋也・西山教行「ヨーロッパに多言語主義は浸透しているか:ユーロ・バロメーター2001、2005、2012からの考察」という論文(『日本フランス語教育学会学会紀要』第8巻、第2号:2013:33-50頁)が手元にあるからです。
 この論文を読むと、EU諸国の間でさえ、英語を解しないひとたちが少なくないことが分かります。つまり「英語を話せないのは日本人だけ」というのは全くの神話であることが、この調査から見えてきます。
 興味深いことに、文字も文法もほとんど同じであり「言語間距離」がきわめて小さい言語を母語とするひとたちでさえ(しかも人間の自由な移動が許されているEU域内ですら)必ずしも英語を話せるとは限らないのです。
 そこで以下では、この論文およびそこに示されているデータをもとに、「英語が話せないのは日本人だけ」という言説が全くの嘘にすぎないことを、私なりの分析方法で立証したいと思います。
 というのは、この論文では「ヨーロッパに多言語主義は浸透しているか」という題名が示すとおり、「母語以外に2言語を習得させる」というEUの言語政策「多言語主義」がどのくらい成功したのかを検証するのが論文の主題になっていて、英語にじゅうぶん焦点が当てられているとは言い難いからです。
 さて、この世論調査「ユーロ・バロメーター」は、1973年以降、欧州委員会が施策の参考にすることを目的とし、様々なテーマについてEU加盟各国、約1000名ずつの15歳以上の市民を対象として行っている対面式の世論調査でした。
 この調査はふつう毎年2回、春と秋に行われるのですが、言語教育については、これまで3回(2001、200、52012)実施されました。。調査対象の内訳は次のとおりです。

       2001年     2005年    2012年
参加国数  15ヶ国    29ヶ国     27ヶ国
参加人数 16078名   28694名   26751名

<註> 2005年は当時の加盟25ヶ国に加え、ブルガリア、ルーマニア(ともに2007年加盟)、トルコ、クロアチアも参加している。

 言語教育についての調査内容は、次の四つに大別されます。すなわち(1)言語知識、(2)言語実践、(3)言語学習、(4)多言語主義に対する意識、の四つです。しかし、ここでは「英語が話せないのは日本人だけなのか」を調べてみたいので、そのすべてを紹介することは割愛させていただきます。
 まず第一の「言語知識」ですが、調査では「母語を除いて会話できるほど充分に知っている言語は何か」という質問に対して、知っている言語を最大3言語あげるという回答形式となっています。
 その結果をまとめたのが表1であり、そこで挙げられた数の多い5言語についてEU全体で「知っている」と回答した人の割合を示したのが表2です。

        2001年 2005年   2012年
1言語以上    47%   56%   54%
2言語以上    26%    28%   25%
3言語以上     8%   11%    10%
全くない      53%    44%    46%

表1 知っている異言語の数

     2001年 2005年 2012年
英語    32%   38%   38%
仏語    11%   14%   12%
独語    8%   14%   11%
西語    5%    6%     7%
露語    *     6%      5%

表2 知っている異言語の種類(※ロシア語の2001年のデータは未公表)

 この表を見て、まず驚かされるのが、「知っている異言語は全くない」と回答した市民が半数近くいることです。つまり、EUのように文字も文法もほとんど同じで「言語間距離」がきわめて小さい言語を母語とするひとたちでさえ、必ずしも近隣の言語を話せるとは限らないのです。
 この数字にはイギリス人も入っています。イギリス人やアメリカ人は英語が普遍語だと思っていますから、外国語を学ぶ必要を感じていないひとが少なくありません。ですから英語人が「母語以外は知らない」と回答したとしても不思議はないのですが、イギリス人がEU全体で占める割合はそれほど大きいとは言えないのですから、やはりこの数字は驚くべき数字だと言えるでしょう。
 つまり言い換えれば、この数字は「EUのひとたちでも英語を知らない・話せない人は少なくない」ということを示していると考えられるのです。
 そのことを別のかたちで検証してみましょう。そのさい役立つのが表2です。これは、表1であげられた数の多い5言語について、「知っている」と回答した人の割合を言語別に示したものだからです。
 これを見ると英語の割合が高いことは事実です。しかしそれでも、EU全体で英語を異言語として知っているひとの割合は4割に満たないのです。2001年には32%だったのが2005年には38%に増えたとはいえ、2012年になっても38%のままで増加していません。これを逆に言えば、「EUのひとたちの6割強が英語を話せない」ということです。
 これは「英語を話せないのは日本人だけ」「英語は国際語だから英語さえ知っていれば世界中のひととコミュニケーションができる」という言説が嘘だということをも示しています。たとえ英語が話せる日本人でも、EUでは6割のひとが英語を理解できないのですから、英語で話しかけても通じるはずがありません。
 これは私の体験からも納得できることです。かつて私はベルリンの壁が落ちた直後に、モスクワを起点にして、ワルシャワ→クラコフ→アウシュビッツ(以上ポーランド)→プラハ(チェコスロバキア)→ベルリン(ドイツ)→アムステルダム(オランダ)という行程で、アンネの足跡を訪ねるひとり旅をしたことがあります。
 東欧はロシア語圏だから英語が通じないのは当然としても、ベルリンに着いたとき、「いよいよ英語が通じる世界に来た」と思ってホッとしたのですが、英語が意外に通じないことを知ってショックを受けた記憶があるからです。高級ホテルでは英語が通じないところはないでしょうが、私の旅は安宿を泊まり歩く旅でしたから、ホテルのフロントでは英語が通じず途方に暮れてしまったのでした。
 同じようなことを韓国でも体験しました。韓国の水原(スオン)という市で国際平和学会があったとき、ついでに忠清南道(チュンチョンナムド)天安(チョナン)市にある独立記念館を訪ねようとしたことがあります。韓国は小学校から英語教育をしていることで有名でしたからスオン駅で汽車の切符を買おうとして近くの若者に英語で話しかけてみたのですが、どの若者も「だめだめ」という手振りをして逃げ出してしまったのです。
 政府・文科省は「英語が話せないのは日本人だけ」という言説に根拠に小学校から大学まで全てを英語漬けにしようとしているのですが、このような文教政策は日本人に間違った劣等感を植えつけるだけで、有害無益と言わねばなりません。英語ができないから日本経済が低迷しているのだと言いたいようなのですが、Japan as Number Oneと言わしめた経済力は、読解中心の英語教育を受けた先人たちがつくりあげたものでした。
 ここでは詳述するゆとりがありませんが、現在の低迷は日本人の英語力とは何の関係もありません。それは全く別の要因によるものです。その証拠に日本の成人学力は世界一ですし、私が退職する以前は、「なぜ日本は高校の中途退学者がこんなに少ないのか教えてほしい」と、毎年のようにアメリカから岐阜大学教育学部に視察団が訪れていました。平均寿命も世界一です。マクガバン報告によれば世界で最も健康な食事は和食です。
 他方、アメリカの医療がすぐれているからという理由で、知人のいる私大では、医療経営者を引き連れた調査団をつくりアメリカに調査旅行に行ったひとたちがいるのですが、帰ってきた感想を聞くと「あまりにひどさに驚いた」の一言でした。マイケルムーアの映画『シッコ』を見ていれば、こんなことはすでに分かっていたことですが、英語力=経済力、アメリカ=理想の国という幻想が彼らの眼を曇らせてしまっていたのです。
(以下、次号に続く)
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