毎日新聞の「英語でOC授業をする」という誤報

拙著『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』の3刷りが1月20日付けで発売になりました。誤字脱字を御指摘いただいた先生方に先ず御礼を申しあげます。

やはり増刷というのは嬉しいものですが、これが少しでも文科省や各県の教育委員会に対する反省材料になり、英語教育の前進に少しでも役立ってくれればと願っています。

ところで、ちょうど3刷りが出た頃に、和歌山大学の江利川春雄先生のブログ「希望の英語教育へ」で下記の記事が出ていることを知りました。

(1)嘘だらけの新聞記事「授業はすべて英語で行うこと」、2011/1/13(木)
http://blogs.yahoo.co.jp/gibson_erich_man/22780510.html
(2)毎日新聞社からの返信、2011/1/15(土)
http://blogs.yahoo.co.jp/gibson_erich_man/22848280.html
(3)毎日新聞の誤報問題で文科省が「大変遺憾」と回答、2011/1/19(水)
http://blogs.yahoo.co.jp/gibson_erich_man/22926080.html

上記(1)の記事では、その冒頭は下記のように書き始められています。

<2013年度から授業中の会話を英語だけに限定することが決まっている高校の教科「オーラルコミュニケーション(OC)」を、10年度に大筋で実施している高校が19.6%(速報値)にとどまっていることが、文部科学省の調査で分かった。07年度の前回調査20.7%を下回る数値で、文科省は約2年後に迫った「英語限定授業」の実施に向けて危機感を強めている。>

しかし、新指導要領では「コミュニケーション英語」という科目はありますが、「オーラルコミュニケーション(OC)」という科目はありません。「オーラルコミュニケーション(OC)」という科目は旧指導要領要領に出てくる科目名です。

にもかかわらず、天下の三大紙の一つ(と言われる)毎日新聞の記者ですら、「オーラルコミュニケーション(OC)」と「コミュニケーション英語」を混同するという初歩的ミスをするのですから、その不勉強ぶりには、呆れるばかりです。

また、この「英語で授業」をめぐっては、朝日新聞や月刊『英語教育』などで、ずっと論争が続けられてきました。ですから、少しでも英語教育に関心のある記者なら、上記のことは常識だったはずです。

拙著『英語教育が亡びるとき』も、現場教師に少しでも援助の手を差し伸べられないかと思い、頼まれていたハワード・ジン『Voices of a People's History of the United States』の翻訳を中断して、突貫工事で執筆したものでした。

現在でさえ、疲弊の極に達しようとしている英語教師が、新指導要領では授業崩壊に追い込まれかねないと考え、重い腰をあげての論争参加でした。授業崩壊は、まさに「英語教育が亡びるとき」だと思ったのです。

(たとえ授業崩壊しなくても、生徒の学力低下に必ず貢献するでしょう。この詳しい説明を、ここでするゆとりはありません。、拙著『英語教育が亡びるとき』を参照ください。)

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江利川先生のブログでは、<記事の中の、以下の言葉はすべて嘘である>として、順次その理由が述べられています。詳しくは、そちらを御覧ください。。

「授業中の会話を英語だけに限定することが決まっている」
「英語限定授業」
「13年度からOCを必須単位とし、授業はすべて英語で行うこと」
「OCを担当できる英語力として、文科省が設定した『英語検定準1級もしくはTOEIC730点以上など』の資格」

これにたいして毎日新聞では「本社で十分に検討させていただきます」という返事だったそうです[上記(2)参照]。他方、文科省[文部科学省初等中等教育局国際教育課外国語教育推進室]は次のような回答を寄せてきているようです[上記(3)]。

<毎日新聞の取材では、「OC」は現行学習指導要領における科目であり、現行学習指導要領では、「授業は英語で行うことを基本とする」旨の記載はないこと、新学習指導要領における「授業は英語で行うことを基本とする」という記述は、授業のすべてを必ず英語で行わなければならないということを意味するものではない旨伝えており、記事のような回答はしておりません。また、記事掲載後、毎日新聞社に対して紙面の内容は事実誤認であり大変遺憾である旨を伝えております。>

江利川先生は、この回答にたいして次のように述べておられます。

<毎日新聞の記事は、新指導要領を作った「黒幕たち」の「授業はすべて英語で」という本音をある意味で代弁したものでした。しかし、文部科学省が公式にそれを否定したわけですから、極論すれば、黒幕の連中はハシゴをはずされた形です。攻勢のチャンスです。今後「授業はすべて英語で」などという人たちがいたら、にっこり笑って、「文科省はそんなこと言ってないよ」と教えてあげましょう。その上で、新指導要領が含む重大な問題点を批判し、実践的に乗り越えましょう。>

このような回答を文科省から引き出された江利川先生の御奮闘には、本当に頭が下がるのみです。

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しかし、新指導要領では、「コミュニケーション英語」を初めとする各科目の冒頭で,毎回「英語で授業をする」と繰り返し書かれているのですから、不勉強な新聞記者は、そのとおり信じ込んで記事を書いても不思議はないのかもしれません。なにしろ「基本」という語句は新指導要領の最後部に1回しか出てきませんから。

ですから、先に「天下の三大紙の一つ『毎日新聞』の記者でも、こんなに不勉強なのかと呆れてしまいました」と書きましたが、新指導要領の文面を文字通りに読めば、「英語で授業をする」のだと思い込んでしまっても、これもある意味で当然だとも言えます。

というのは、拙著『英語教育が亡びるとき』では、「いくら指導要領の解説書で、あくまで『英語で授業』は『基本』だと弁解しても、文字化されたものは、それだけで一人歩きするので極めて危険だ」という趣旨のことを、日の丸・君が代の法制化などを例に詳しく展開しました。

ですから、毎日新聞の記事は、拙著(pp.220-223)で書いたことの「生きた見本」のような気がしますが、念のためにその箇所を以下に引用しておきますので、読んでいただければ幸いです。というのは、同じ間違いをする新聞記者や放送記者が,また必ず現れるような気がするからです。

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 ・・・。こんなことが分かっていながら、文科省教科調査官である菅氏は、なぜ「授業を英語で行う」とする指示を、繰り返し指導要領に書き込ませてしまったのでしょうか。それとも、これは単なる「ハッタリ」であって、「こんなことを書いても誰もそれを額面どおりに受け取るはずがないんだから、厳しい文面の方が、教師のためには、むしろ良い」とでも考えたのでしょうか。もしそうだとしたら、「ことば」というものに対して余りにも不誠実ではないでしょうか。

 ところで、田尻氏と同じように英語達人として有名になり、さらに田尻氏と同じように、中学校教諭から大学教授となっている中嶋洋一氏が、この座談会の最後で次のような興味ある発言をしています。下線部に注意して読んでいただければと思います。(下線は筆者)

私たちは英語の教師の前に、言葉の教師ですよ。言葉を通しで子どもたちをどう育てていくかということを考えたいですね。いったん私たちの口から言葉が出てしまったら、それは相手に委ねるしかない。言い直すことはできない。書いてしまったら書き直すことはできない。だとしたら、言葉をしっかり受け止めるような心のセンサーを育てる。正しく理解してくれるような心のセンサーを育てなきゃいけない。それには正しく理解する力、正しく伝える力をつけてあげなきゃいけない。それが言葉の教師の仕事じゃないかと思いますね。

ところが不思議なことに、この座談会の参加者の誰も、最後まで、上記で紹介した菅氏の発言を問題にするどころか、むしろ賛同しているかのように見えるのです。しかし、先に私が詳細に検証したように、文字通り正しく読めば、指導要領の「次のような言語活動を英語で行う」という文言は、「英語で授業をする」以外に読みようがないのではないでしょうか。

これは憲法九条「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を文字通り読めば、「軍隊を持たない」としか読めないのと同じです。憲法発布当時の政府も、その旨を繰り返し国会で答弁していましたし、当時、教科書として使われていた『あたらしい憲法のはなし』も同じことを述べていました。<註二>

だからこそ、先述のとおり、この座談会が載った同じ号の『英語教育』で、金谷憲氏が「英語教員養成は変わるか」という論考を寄せ、「英語で授業ができるためには」教員養成に何が必要かを真剣に論じているのです。さらに大谷泰照氏も同じ号で「学習指導要領が映すこの国の姿」という論考を寄せ、結局は、医者と同じように「教員志望の学生全員が大学院に行き、実習も含め十分な力量を身につけること」が、「英語で授業ができるためには不可欠」という、金谷氏と同じ結論に達しています。

もし「言語活動を英語で行う」という文言を、単なる「努力事項」だと分かっていれば、誰もこんなに大まじめに議論しなかったでしょう。現行の指導要領は、フィンランドのように現場教師に大幅な裁量権を与えるものではなく、非常に拘束力の強いものです。だからこそ、その文言は慎重にも慎重を重ねて言葉が選ばれねばなりません。

なぜなら、いみじくも中嶋氏が上記で述べているように、「いったん私たちの口から言葉が出てしまったら、それは相手に委ねるしかない。言い直すことはできない。書いてしまったら書き直すことはできない」のですから。それによって教科書の内容が変わったり、現場教師が右往左往したり縛られたりするわけですから。また、だからこそ日の丸・君が代問題で東京都の教員に厳しい処罰が下されているのではないでしょうか。

一九九九年夏の国会で「国旗国歌法」が成立しましたが、「日の丸を国旗とする。君が代を国歌とする」というだけの簡素な法律で、「学校教育の現場で強制はしない」「学校教育の現場に影響は与えない」と当時の小渕総理と野中官房長官は何度となく国会で答弁しました<註三>。

ところが一度文章化されてしまうと、法律は大きな力を持ち始めます。それを利用して、当時の小渕総理と野中官房長官の国会答弁を真っ向から踏みにじったのが東京都教育委員会でした。しかし、それでも [東京都のやり方では] 憲法違反の恐れがあるというので不安だったからこそ文科省は新しい指導要領で国旗・国歌についても書き込まざるを得なくなったのでしょう(それでも憲法違反の恐れがあることは免れませんが)。

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同じことは逆の立場ですが、憲法九条でも生じています。米国政府は日本の敗戦直後、二度と自分たちに刃向かう力を持たせないようにと、「武力放棄」の条項を日本国憲法に書き込ませました。そして戦争に疲れた日本の民衆もそれを歓迎しました。民間からも同趣旨の憲法草案が出されました。したがって米国による全くの押しつけではありませんでした。

ところが朝鮮戦争を機に米国政府の立場は逆転し、それ以来ずっと、軍隊を持ち海外派兵もできる「普通の憲法」に変えるよう陰に陽に日本政府に迫っていますが、いまだにその望みを達することはできていません。それほど書かれた文章の力は強いのです。そこで「九条廃棄」を諦めて、今のところは解釈改憲という裏技を使わざるを得なくなってきているわけです。

このように、公にされた文書は独り立ちして強い力を持ち始めます。だらこそ、議論を尽くして「決めたことは守る」、ただし「守れないことは決めない」ということが、民主主義の大原則として大切にされなければならないのです。

だからこそ故大西忠治は「班・核・討議づくり」という有名な実践の中で、「多数決制」ではなく「全班一致制」というルールを設け、「守れないことは決めない」ということを民主主義の基礎原理として、まず生徒に教えようとしたのでした。多数決で安易に決めてしまうと結局は守れないので、結果として「何を決めようが守らなくてもよい」ことを生徒に教えてしまうからです(大西忠治『核のいる学級』『班のある学級』)。

ところが、こともあろうに指導要領の作成に直接携わったであろう教科調査官が、「英語で授業」はマスコミが言いふらしたことであって、「先生方はマスコミに踊らされてはいけない」というのですから、空いた口がふさがりません。

先の引用で中嶋洋一氏は、「私たちは英語の教師の前に言葉の教師ですよ」「だとしたら、言葉をしっかり受け止めるような心のセンサーを育てる。正しく理解してくれるような心のセンサーを育てなきゃいけない。それには正しく理解する力、正しく伝える力をつけてあげなきゃいけない。それが言葉の教師の仕事じゃないかと思いますね」と述べています。

だとしたら、相手に誤解を与えないような、言葉を通じて意図を「正しく伝える力」を、まず文科省こそ身につける必要があるのではないでしょうか。あるいは教育の専門家として、現場教師が初めから守れないと分かっていることは決めない力、(たとえ外圧があったにせよ)守れないことは断固として拒否する力を、文科省すなわち教科調査官こそ身につけなければいけないのではないでしょうか。・・・

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残念ながら、「なぜ英語を学ぶのか」「どんな英語力が求められているのか」「どうすれば英語力が身につくのか」「教員養成はどうすればよいのか」などについての私見は、ここでは詳述できません。拙著『英語教育原論』『英語教育が亡びるとき』(ともに明石書店)その他を御覧いただければ幸いです。

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