エジプトの民衆蜂起から何を学ぶか(1)―「非暴力直接行動」の意義

いま、2月7日(月)ですが、上海から名古屋空港へ向かう飛行機の中でこれを書いています。
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上海にいる間もエジプトで起きている政変のニュースが気になって、パソコンにつないだインターネットでDemocracy Now!の報道を追いかけてきましたが、カイロのTahrir広場を埋め尽くした民衆が、何とかムバラク政権からの攻撃をはね除け、広場を死守したもようで本当にホッと胸をなで下ろしているところです。

Day of Departure: Massive Demonstrations Across Egypt Aim to Oust Mubarak. Sharif Abdel Kouddous Reports Live from Cairo
http://www.democracynow.org/2011/2/4/day_of_departure_massive_demonstrations_across

2月4日は金曜日でイスラム教徒が礼拝をする日ですから、この日に礼拝を終えた民衆がTahrir広場の集会に参加するかどうかは、この闘いの山場でした。ですから、ムバラク政権側では、その前に広場を埋め尽くす民衆を何とか撃退したいと思っていました。

その手段として利用したのが、刑務所の囚人に釈放する条件として広場で独裁政権打倒を叫ぶ民衆をナイフや棍棒などで襲撃させることでした。

もう一つの方法は国家警察に民衆の服装をさせて、やはりナイフや棍棒で広場の民衆に襲いかからせることだったのですが、逆に民衆に取り囲まれて、国家警察であることを暴露されてしまいました。

Video Report on the Battle for Tahrir: An Inside Look at How Pro-Democracy Activists Reclaimed Tahrir Square After Attacks by Mubarak Forces
http://www.democracynow.org/2011/2/4/video_report_on_the_battle_for

というのは、エジプト独裁政権は、民衆の抵抗を防ぐために、「国民はすべて常時、IDカードを身につけていなければならない」として、警察国家と化しているので、つかまえた「反ムバラク派」のふりをしていた暴徒も、実は公安警察の一員だったことが暴露されてしまったのでした。

ムバラク政権が、このTahrir広場の民衆を排除する際に取ったもう一つの手段は、報道関係者をまず広場から排除することでした。ですから、金曜日の礼拝日に先立って、ムバラク政権は広場に結集する民衆を排除する前に、そこにいる外国の報道関係者をまず徹底的に排除する必要がありました。

というのは、広場の民衆に暴行をふるっている場面を撮影されたり、ことばや映像で世界中に報道されたのでは、世界中からの非難がムバラク政権に集中する恐れがあるからです。

そんなわけで金曜日の礼拝日が来る前に、エジプトのメディアはもちろんのこと、外国のメディアの多くが攻撃の対象となり、殺される外国特派員も出てくるような大惨事となりました。エジプトの国営放送では「外国のメディアがTahrir広場の民衆を扇動しているから、健全な国民は広場に行くな」と呼びかけていました。

Eliminate the Witnesses: Committee to Protect Journalists Criticizes Mubarak’s Policy of Attacking and Silencing Journalists in Egypt
http://www.democracynow.org/2011/2/4/eliminate_the_witnesses_committee_to_protect

しかし、米国の最も保守的で、むしろ従来はムバラク政権(およびムバラクと大の仲良しであるイスラエル政府)を指示してきたFOXテレビの記者すら襲われるようになったのでは、さすがのオバマ大統領も、ムバラク大統領に引導を渡さざるを得ませんでした。

しかし、それをはっきりと明言するのではなく「平穏な政権移行が望ましい」と表現でしたから、エジプト民衆は失望を隠しきれないようすでした。

虐殺の目撃者: ムバラク支持勢力が反政府デモ隊に発砲を始めたタハリール広場からのレポート
http://www.democracynow.org/2011/2/3/eyewitnesses_to_a_massacre_reports_from

カイロの鎮圧で逮捕、殴打されるジャーナリストと人権活動家たち
http://www.democracynow.org/2011/2/3/eyewitnesses_to_a_massacre_reports_from

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日本ではあまり知られていませんが、ムバラク政権が独裁政権であることはアラブ世界では周知のことでした。

「独裁政権」というと、日本人はまず、イラクのフセイン政権や、北朝鮮のキム政権を思い浮かべますが、エジプトのムバラク政権下では、この30年間まともな選挙がおこなわれていません。政府の認める条件を満たさない限り、野党の立候補すら認められてこなかったからです。

ところがオバマ氏は、アラブ諸国で唯一の「民主主義国」としてエジプトを選び、カイロで、有名な「アラブ世界との融和」を訴える演説をおこないましたが、その舌の根も乾かないうちに、イスラエルによるガザ地区の封鎖やガザ地区援助船フローティラへの武装攻撃を黙認し、多くのアラブ市民を失望させてきました。

ガザ地区への封鎖は、イスラエルによる海と陸の封鎖が続いていたとしても、エジプト国境から陸路で援助物資を運び込めば、医療品さえまともに届かない現状を打破できるはずなのですが、ムバラク政権はイスラエル(と米国)の意向を尊重し、エジプト側の国境を開けようとはしてきませんでした。

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アメリカがエジプトのような独裁国家を支援してきたことは、あまり知られてきませんでしたが、もっと知られてこなかったのは、サウジアラビアとの関係ではないでしょうか。

サウジアラビアは王制国家で、今まで選挙らしきものすらおこなわれてきませんでした。ところが不思議なことに、アラブの世界でアメリカと最も友好的な関係を結んでいるのが、このサウジアラビアとエジプトでした。

ですから「イラクに民主主義を」というのが、「大量破壊兵器の存在」という嘘が露呈した後の、イラク戦争の口実でしたが、もし本当にアラブの世界で民主主義を実現したいのであれば、なぜ友好国であるエジプトやサウジアラビアから着手しなかったのかが、問われてきます。

そのほうが、相手は友人なのだから、武力を使って民主主義を強制しなくても、説得と納得で実現できたはずだからです。

しかし、アメリカはエジプトの独裁政権に民主主義を伝授するのではなく、この30年間、大量の武器や戦車や戦闘機を供与し続けてきました。そしてその武器が民主主義を求める民衆運動の弾圧に使われてきました。

アイマン・ザワヒリというひとは、ビンラディンに続く「アル・カイダ」のナンバー・ツーと言われている人ですが、名門カイロ大学医学部を卒業したにもかかわらず、貧困にあえぐエジプト民衆を救うべく政治に転じた経歴の持ち主です。しかしエジプトでは弾圧の嵐で、獄中生活を送った結果、「アル・カイダ」にたどりついたと言われています。

もしエジプトが、民意を反映させる選挙ができる「まともな民主義国」であったならば、アイマン・ザワヒリという人物も生まれなかったでしょう。

911事件で米国マンハッタンのツインタワーを攻撃したとされている犯人たちのほとんどは、サウジアラビア人でしたが、一人だけエジプト人がいました。不思議なことに日本では、ツインタワーを攻撃した人物として詳しく紹介されたのは、このモハメド・アタという人物だけでした。

(彼らサウジの若者がアメリカを攻撃した理由の一つが、サウジの王族が贅沢三昧の生活を送っているにもかかわらず、米国がそんな政権を支援し、米軍基地をイスラム教の聖地近くに米軍基地を築いたことにあったと言われています。)

モハメド・アタも名門カイロ大学を優秀な成績で卒業した後、ドイツの工科大学建築学科大学院に留学しています。その彼がアメリカに敵意を持つようになったのも、エジプトの独裁政権下ではカイロの古代建築が崩壊するするまま放置されていることにたいする憤りだけでなく、民衆の悲しみに対してムバラク政権が、ほとんど何の関心も払っていないことにたいする怒りだったと言われています。
(『テロリストの軌跡―モハメド・アタを追う』朝日新聞アタ取材班、2002)

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ここからは、2月7日(月)、中部国際空港から帰宅途中の電車の中で書いています。
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今度のエジブトにおける民衆蜂起の直接的なきっかけになったのは、チュニジアの青年が独裁政権の政策に抗議して焼身自殺を図ったことにありました。

エジプト拠点の政治評論家「チュニジアからの第一の教訓は、革命が可能ということ」
http://www.democracynow.org/2011/1/18/egypt_based_political_analyst_the_first

チュニジアではエジプトと同じような独裁政権が、エジプトと同じくらいの長期間にわたって(約30年間)恐怖政治を続けてきたのに対して、これまたエジプトと同じく米国政府が、金と武器を援助しながらその独裁政権を支えてきたというのですから、本当に驚いてしまいます。

それはともかくとして、チュニジアのエリート大学を出た人間すら就職口が見つからず、やむを得ず始めた野菜売りの仕事すらも禁止されたことに対する抗議として、若者が選んだ方法が、自ら油をかぶり、それに火をつけて焼身自殺することでした。

イスラム教というと「自爆テロ」という強いイメージがありますが、爆弾を抱えて敵陣で自爆し、一般市民まで巻き添えにする「自爆テロ」よりも、この「焼身自殺」という、一般市民を巻き添えにしない「自死」という方法のほうが結果として、相手にとって「より強い攻撃」になったことが分かります。

これはガンジーが英国によるインドの植民地化にたいする抵抗運動のとして採用した「非暴力直接抵抗運動」のひとつの形態だと思われますが、ベトナム戦争のときにその有効性は既に実証済みのことだったように思います。

というのは、南ベトナムの独裁政権に対する抵抗運動として仏教徒たちがとった手段が、チュニジアの青年がとったのと同じガソリンを浴びておこなう「焼身自殺」でした。

この場合は、米国の支援を受けながら、「南ベトナム解放戦線の活動家を拷問・虐殺する」南ベトナム軍事独裁政権にたいして、南ベトナム仏教徒の高僧が日時と場所を指定して「焼身自殺」することが続き、その衝撃的な映像が全世界に流れました。

それが南ベトナム軍事独裁政権に対する抵抗運動を国内で強めるきっかけを創り出しただけでなく、米国の侵略政策にたいする疑問を米国市民に抱かせ、反戦運動を米国全土に広げる最大の要因の一つになったわけです。
(ロックグループのRage Against the Machine は自分のアルバムに,この焼身自殺の写真を使っています。)







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今回のチュニジアにおける青年の焼身自殺も、同じ衝撃をチュニジア国内で同じ効果を持っただけでなく、米国による外交政策(独裁政権への援助)にたいする疑問を全世界に投げかける効果を持ちました。

そして、このチュニジアにおける青年の焼身自殺に触発されて、エジプトでは年配の弁護士がやはり「焼身自殺」というかたちでムバラク独裁政権にたいする抗議を表明し、それが一つの契機になってエジプトの若者の間にも「ツイッター」や「フエイスブック」を通じて、「抵抗運動」の呼びかけがエジプト全土に広がり、現在の状況をつくり出すことになったわけです。

フアン・コールが語るチュニジア暴動「労働運動、インターネット活動家、地方労働者が牽引する一般大衆の革命」
http://democracynow.jp/dailynews/11/01/18/3

大手メディアの報道を見ていると、「ツイッター」や「フエイスブック」が今回の蜂起をつくりだしたかのように言われていますが、「焼身自殺」という「非暴力直接抵抗運動」が、「自爆テロ」という「暴力的直接抵抗運動」よりも巨大な力をもったという分析が皆無であることに、私は大きな疑問と問題を感ぜざるを得ません。

米国のような世界最強の軍事力を持つ国に支援された独裁国家(これにはイスラエルも含みます)を相手に闘う場合、「自爆テロ」という「小さな暴力」を使って抵抗しても、相手は「戦車」「武装ヘリコプター」「無人爆撃機」「バンカーバスター」「黄燐弾・劣化ウラン弾」などの超近代兵器で攻撃してくるわけですから、勝てるわけがありません。

小さな暴力的な抵抗、すなわち「自爆テロ」、貧弱な性能しか持たない「ロケット弾」で、巨大な軍事国家=米国に支援されたムバラク独裁政権(&ユダヤ教原理主義国家イスラエル)にささやかな抵抗を試みたとしても、市民を巻き添えにした暴力的抵抗は、相手に反撃の口実を与えるだけで、ほとんど何の効果も生んできませんでした。

ところが、今回のチュニジアやエジプトの運動は、全く別の抵抗運動が可能であることを、改めて全世界に明示しました。

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以下は、自宅に到着した後、寝室にパソコンを持ち込み、引き続き、思い浮かぶことを書いていますので、論旨があちこち揺れ動きますが、お許しください。
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このようなことを考えると、米国によるイラク戦争がいかに無意味だったかということが改めて明らかになったような気がします。

もともと「大量破壊兵器の存在」という嘘で塗り固められた戦争でしたが、その嘘が暴露されたあとは「独裁政権イラクに民主主義をもたらす」という口実でイラク戦争は継続されました。しかし、チュニジアやイラクの現状を見れば、民主主義をもたらすのに外部からの武力介入は全く必要ないことは歴然としています。

それどころか独裁者フセインを育ててイラン=イラク戦争をけしかけたのは、そもそも米国だったのですから、「独裁政権イラクに民主主義をもたらす」というイラク戦争の口実も全くの嘘だったことは初めから分かっていたことでした。

そもそも、まともな選挙をすれば6割の人口を占めるシーア派の人たちが政権を握ることが分かっていたからこそ、2割の人口しかいないスンナ派のフセインにお金と武器を援助しながら独裁政権を支えてきたのです。

ですから、イラクの独裁政権を倒して民主主義をもたらすために必要だったのは、外部から干渉したり援助したりすることを、アメリカがやめることだけだったのです。

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エジプトのムバラク政権に対しても、米国は、現時点では(2月7日)軍事援助をやめると明言していません。オバマ氏が言っていることは「穏健なる政権の委譲・移行」のみです。そのことがカイロにおける惨事を延長・拡大することにつながってきましたし、今もそのことが続いています。

これでは米国のCIAやイスラエルのモサドといった情報機関と緊密な連絡をとりながら、拉致・拷問を取り仕切ってきたオマル・スレイマンを副大統領に任命したムバラク政権が、かたちを変えて温存されるだけでしょう。だからこそ今もカイロのTahrir広場で抵抗運動が続いているのです。

政府の譲歩案発表後も高まるムバラク政権への退陣要求
http://www.democracynow.org/2011/2/7/protests_demanding_mubarak_to_resign_grow

チョムスキーは「米国の外交政策は、独裁者を次々とすげ替えながら独裁政権を援助し、どうしても独裁政権を支えきれなくなったときは、それを投げ捨てて、新しく誕生した民主政権を初めから支持してきたかのように、みごとな変身を遂げることを特徴としてきた。したがってエジプトでも同じことをするだろう」と述べていますが、南ベトナムや韓国の独裁政権の転変ぶりは、まさにチョムスキーが言うことをまざまざと実証してきました。

ノーム・チョムスキー「私の覚えている限りこれは最も注目に値する蜂起だ」
http://democracynow.jp/dailynews/11/02/02/4
Noam Chomsky (Part 2): “This Is The Most Remarkable Regional Uprising That I Can Remember”
http://www.democracynow.org/blog/2011/2/2/part_2_noam_chomsky_this_is_the_most_remarkable_regional_uprising_that_i_can_remember

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それにしても、カイロのTahrir広場にずっと寝泊まりしながら抵抗運動を続けているひとたちに対して尊敬と感嘆の念を禁じ得ません。

彼らが帰宅できる日、彼らに安寧の日々が、一刻も早く訪れることを強く願っています。しかし、そのために私たちに出来ることは何なのでしょうか。

そんなことを強く思いながら書いているうちに、またもや長いブログになってしまいました。どうかお許しください。
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