エジプトの民衆蜂起から何を学ぶか(2)―「英語読み」の「アメリカ知らず」

エジプトの民衆蜂起はムバラク退陣というかたちで一応の勝利を得ました。1月28日(金)のカイロにおける「解放広場」の集会から「18日後」のことでした(Tahrirはアラビア語で「解放」という意味だそうです)。

前回のブログを上海からの帰路で走り書きをしながら、私の頭に真っ先に浮かんだのは「これは『世界を揺るがした10日間』に匹敵する事件になるかも知れない」という思いでした。つまり「世界を揺るがす18日間」になるという予感です。

1917年に起きたロシア革命のようすを生き生きと描いたのが、著名な報道作家ジョン・リードによるルポルタージュ『世界を揺るがした10日間』ですが、私には上記の民衆蜂起がロシア革命に匹敵する重要な世界史的事件になるのではないかという予感がしたのです。

この『世界を揺るがした10日間』(岩波文庫、1957は、私が大学に入学したばかりの教養部時代に「岩波百冊の本」の中の一冊に入っていたもので、これを読んでいると、ロシア革命の燃えるような民衆の動きと情熱が、文章から溢れ出てくるような気がして、夢中になって読んだ記憶があります。
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註:当時の学生は、私のように理科系であっても、文学や哲学どころか社会科学の本もたくさん読んでいました。私も駒場寮で生活している中で、そのような雰囲気に大きな影響を受けました。今の学生には、そんな雰囲気がほとんど感じられません。非常に悲しいことですが、大学が実用主義ばかりを追い求め、予備校化・専門学校化しているので、学生だけを責めるのも酷な話でしょう。

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それはともかくとして、今度の民衆蜂起を「ベルリンの壁の崩壊」になぞらえて論評している人も少なくありません。確かに「ベルリンの壁の崩壊」はソ連を初めとする東欧諸国を崩壊させ、世界を揺るがす事件になりました。しかし、この背後にはソ連のゴルバチョフによるペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)という大きな動因がありました。

しかも「ベルリンの壁の崩壊」がもたらした東欧諸国の崩壊は、一党独裁体制の終焉をもたらしたものの、他方でロシアを典型とする「貧富の拡大」と「暴力・自殺・路上生活者などの増大」をもたらしただけで、民衆の生活向上にほとんど役立ってきませんでした。アメリカ流の弱肉強食を旨とする経済体制が、もろに導入されたのですから、これも当然の結果だったのかも知れません。

では、ロシア革命のもたらしたものは何だったのでしょうか。確かにスターリン体制という残酷な側面があったことは事実ですが、他方で社会主義が掲げる「経済的平等」「貧困からの解放」は世界を席巻し、アメリカもその対抗上、さまざまな社会福祉政策や労働法規の整備に乗り出さざるを得ませんでした。

しかし、ソ連の崩壊は「社会主義の敗北」「資本主義の勝利」だとして、今まで東欧諸国との対抗上、維持してきた一定の福祉政策や労働者の権利は、その後は「新自由主義経済政策」の導入というかたちで縮小・解体の一途をたどって現在に至っています。それは日本でも、「首切り自由な派遣労働者制度の導入」を典型例として、さまざまな歪みをもたらしています。

チュニジアを発端とした今回の民衆蜂起も、ムバラク独裁政権がアメリカの言いなりになって極端な「新自由主義の経済政策」を導入した結果、下層民衆どころか、中産階級までもが貧困に喘ぐことになったことが、大きな背景になっていました。

今度のカイロ「自由広場」での運動を担ったのが、30代以下の若者たちだったが、そのことをよく示しています。報道映像を見ていると、若い医者までも参加して驚かされましたが、考えてみれば、現在のアメリカでも路上生活の追いやられている医者が少なくないことを考えれば、これも当然と言えるでしょう(堤未果『貧困大国アメリカⅡ』)。

「我々は自らの血で歴史を書き変えているのだ」エジプト人医師が語るムバラク辞任まで抗議が続く理由
http://www.democracynow.org/2011/2/9/we_are_writing_history_by_our

そう言えば、チュニジアの民衆蜂起のきっかけとなった「焼身自殺」の若者も、大学卒であるにもかかわらず、市場の野菜売りしか仕事がありませんでした。先のブログでも紹介しましたが、それすらも警察から嫌がらせを受ける始末でした。
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註: ロシア革命は、アメリカを典型とする資本主義社会に、人間社会の崩壊をくい止める「タガ」をはめる一定の役割を果たしたわけで、だからこそ、この「タガ」を外そうと、ヨーロッパ列強は誕生したばかりのソ連に対して、執拗に干渉戦争をしかけました。日本の「シベリア出兵」も、この一環だったと見てよいでしょう。
 この意味で、チョムスキーが、ソ連の崩壊を「偽りの社会主義は崩壊し、これから真の社会主義が誕生するための芽生え」だと評価していることも、念頭においておくことは無駄ではないと思います。)

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今回のエジプトにおける民衆蜂起(これを「エジプト革命」と呼ばない理由については後述するつもりです)の意義について簡単に述べるつもりが、書いているうちにどんどん長くなっていって困っています。

しかし、私がこんなことを書きたくなったのは、私の主催する英語教育の研究会のメンバーが、今回の民衆蜂起にあまり関心がなく、関心があっても、ほとんどその意義が分かっていないように感じられたからでした。

そのことは、このブログへのアクセス数にもよく表れています。というのは、私が下記の記事を書いたときには、アクセス数がその日のうちに100を超え、思わず眼を疑ったからです。

毎日新聞の「英語でOC授業をする」という誤報
http://pub.ne.jp/tacktaka/?entry_id=3444777

ところが、次の「エジプトの民衆蜂起から何を学ぶか(1)」は、投稿した日のアクセス数が60程度だったのです。

私が世界史に残る大事件だと思って、上海から帰宅する時間も惜しんで書き続けた記事、そのアクセス数が、英語教育に関する記事の半分以下というのは、何とも形容しようのない気持ちになりました。

しかし、私のブログの読者が、「英語に興味・関心があるひと」に多いとすれば、上記のことは、私が拙著『英語教育が亡びるとき』で大略、次のように書いたことを傍証するもののように思えて、複雑な気持ちになりました。

<「英語または英語教育に興味・関心があるひと」は、「英語や英会話には興味をもつが、英語を道具として人間や世界を知ることに、あまり関心がないひとが少なくない」、これを中野好夫氏は「英語バカ」と呼び、英語とはそういう不思議な魔力をもっているから、よほど心して取りかからねばならない、と述べている。>

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私は上記のことを拙著では「英語読みのアメリカ知らず」とも言い換えています。というのは、「英語に興味・関心があるひと」は、「英会話や英語そのものに興味をもつが、英語を道具として世界やアメリカの現実を知ることに、あまり関心がないひとが少なくない」と思うからです。

その典型例が月刊『英語教育』の特集でした。同誌はかつて、「いかにオバマ演説が素晴らしいか」を解説する特集を組んだことがありますが、それを読んで見ると、その演説を絶賛・礼賛する論考はあっても、それがいかに欺瞞に満ちているかを分析している記事はひとつもなかったからです。

ただ一つだけ「オバマ氏に対する批判もある」と書いている論説があったので、興味を持って読んだのですが、なんと驚いたことに、その論者は「アメリカにはオバマ氏を社会主義者だとして批判するの右派勢力もいる」と述べているだけなのです。

オバマ氏が大統領選挙で一番多くの献金をもらったのはウオール街からだったことを、この論者は全く知らないようでした。だからこそオバマ氏は、その御礼として、アメリカ国内だけでなく世界中を金融危機に追い込んだ張本人を、財務長官に任命したのでした。

その結果、国民の税金で救われたはずの金融界は、いま国民が一層の貧困生活を強いられているにもかかわらず、金融危機以前よりも高額の給料とボーナスを手に入れています。他方で、金融危機に追い込まれた民衆は塗炭の苦しみに追い込まれて、私が定年退職する直前に訪れたギリシャでも、国家破産の寸前にまで追い込まれていました。

このようなオバマ氏を、「社会主義者と呼ぶものもいる」と形容するだけで、それに対する疑問や批判を何一つ紹介できない英語(教育)研究者とは、いったい何なのでしょうか。当代随一のシェークスピア研究者と称されていた中野好夫氏に、「東大教授」という、人も羨む地位を投げ捨てさせたものは、いったい何だったのでしょうか。
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註:チョムスキーは「アメリカという国は,企業社会主義の国だ。なぜなら巨大企業や巨大金融業は国民の税金で救済されるからだ」と述べています(『チョムスキーの教育論』明石書店)。オバマ氏も、"too big to fail" という理由でウオール街に奉仕しているわけですから、その意味では確かに「社会主義者」と言われてもしかたがないでしょう。

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ムバラク体制が崩壊すると、パレスチナのガザ地区を包囲して生きた牢獄にしようとする壁の一角が崩れますから、イスラエルが必死になってムバラクを支えようとするのは当然ですが、しかし、それ以上にムバラク体制を支えてきたのが、アメリカでした。

アメリカのエジプトに対する軍事援助は、世界の一二を争う巨額なものです。カイロ「自由広場」に集まった民衆を襲撃するのに使われた武器も、すべてアメリカ製でした。ですから、本当にエジプトの民衆を助けて民主主義を実現したいのであれば、オバマ氏は「援助」という介入から手を引きさえすればよかったのです。

ところがオバマ氏は「秩序ある移行(orderly transition)が望ましい」と言っただけで、ムバラク支持の民衆を装った国家警察や軍事警察が、民衆を殺傷しても静観する姿勢を崩しませんでした。恐ろしいことにムバラクが刑務所の囚人を解き放って「自由広場」を襲撃させたときも、オバマ政権の基本姿勢は変わりませんでした。、

ヒューマンライツ・ウォッチの報告:ムバラク政権の弾圧による死者は300人 大量拘束と虐待の恐れも
http://www.democracynow.org/2011/2/9/human_rights_watch_300_deaths_massive

オバマ政権のねらいは、ムバラク氏の任期が満了する9月まで彼を支え、その間に善後策を講じる時間稼ぎをすることでした。そのことは、オバマ氏が派遣したエジプト特使フランク・ウィズナーの経歴を見れば、火を見るよりも明らかです。

「帝国の仲介者」:オバマ政権のエジプト特使フランク・ウィズナーがムバラク政権存続を支持
http://www.democracynow.org/2011/2/7/the_empires_bagman_us_ambassador_frank

彼は、「エジプト軍と経済開発庁への助言を行い、ムバラク政権のために欧米で訴訟や仲裁に携わったこと」を公言する元エジプト大使であり、派遣されてからもムバラク大統領支持を表明していました。

つまり、今度のムバラク政権の崩壊は、オバマ氏が世間知らずの「民主主義の理想」を振りかざしてムバラクを見捨てたから実現したものではなく、若者が痛ましい「焼身自殺」を契機に「非暴力直接行動」に乗りだし、それを多くの民衆が支持し行動する中で実現したものでした。

ですから、オバマ氏があたかも初めから若者たちの行動を支持していたかのように振る舞うのは、「どうしてもムバラクを[任期切れの9月までは]支えきれない」と、最終的に決断した後のことでした。

前回のブログでチョムスキーが「独裁者を最後まで裏から支え、どうしても支えきれなくなったときに、それを切り捨てて見事に転身する。これがアメリカの歴史が示す一貫した原理である」と言っていることを紹介しました。これを絵に描いたように証明してくれたのが、オバマ氏の言動でした。


ロバート・フィスク「オバマが民衆に手を差しのべない事こそが悲劇だ」― エジプト蜂起に対する米国のレトリックと行動のギャップを語る
http://www.democracynow.org/2011/2/9/the_great_tragedy_is_obama_chose

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これは、かつての南ベトナム政府や韓国の、うち続く独裁政権で歴然としています。南ベトナム政府や韓国では、支えきれなくなったらクーデターで次々と首をすげ替え、それでも支えきれなくなったら、容赦なく切り捨てるという、みごとな転身ぶりをアメリカは示してきました。この途中で韓国のような痛ましい「光州事件」が起きたのです。

今回のカイロの「自由広場」でも、若者を中心としたエジプト民衆は、自分の命を省みず、広場を死守することを選び、勝利しました。しかし「光州事件」の場合は、米軍によって裏から支持された韓国軍は、光州市民の全市一体となった団結と抵抗を無惨に押し、屍体の山を築きました。今回のカイロ「自由広場」でも同じ結果になりはしないか。それだけが私の最大の気がかりでした。

しかしエジプト民衆は勝利しました。この勝利はロシア革命と違って、職業革命家が指導したものではありません。言ってみれば,若者の「手作りの運動」が創り出したものです。そして世界中の「抑圧されている人たち」に「変革は可能だ」というメッセージを発しました。だからこそ私は「これはロシア革命に次ぐ、あるいはそれ以上の意味をもつ蜂起だ」と考えたのです。

ただしムバラクは去っても、イスラエルに支持され、米軍やCIAと密接な関係を保ってきた人物(オマール・スレイマン)が副大統領となり、軍部が今のところ最高権力機関となっています。ですから、民衆の願いが本当に実現されるかどうかは、まだ未知数です。私が「エジプト革命」と呼ばずに、「エジプトの民衆蜂起」と呼んだ所以です。

「オマール・スレイマンはCIAの手先、エジプトの拷問責任者」
http://www.democracynow.org/2011/2/11/omar_suleiman_the_cias_man_in

それでも、この「エジプトの民衆蜂起」が世界中の若者や民衆に与えた影響は計り知れないものがあります。その証拠に、今や中東全体に民主化の嵐が吹き荒れ広まっています。

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最近、アメリカ=ウイスコンシン州では,州知事が「公務員労働者の団結権やストライキ権を剥奪する」「抵抗自治体があれば、市であろうが町であろうが州兵を出動させても鎮圧する」と宣言しました。

民衆蜂起の結果、いまエジプトでは、禁止されていた労働者の団結権が、やっと認められようとしているのに、いまアメリカは全く逆の方向に動こうとしているのです。

オバマ氏も、軍事費は拡大しながら、他方で政府職員の賃金「5年間凍結」を宣言しました。そのうえ、平和運動の活動家を「テロリスト」として、強制捜査に乗り出すことすら始めています。

もうひとつだけオバマ氏の珍妙さをあげるとすれば、ペルシャ湾岸の国バーレーンでは、民衆が血に染まりながらも民主化を要求していますが、2月18日(金)の記者会見では、オバマ氏はイランを非難しながら、バーレーンについて、口をつぐんで全く言及しませんでした。アメリカの巨大な軍事拠点になっているからでしょう。

「街頭は民衆の血に染まっている」 バーレーン警察、数百人の民主化運動デモに対し残虐な夜間攻撃
http://www.democracynow.org/2011/2/17/people_are_bleeding_in_the_streets

大手メディアには、「イラン革命は中東全体をイスラム原理主義の国に転換しかねない」との論調も見られますが、こうなると、「英語読みのアメリカ知らず」は、英語(教育)関係者だけではなかったのか!と、暗然たる思いにさせられます。

これでは、命をかけて民主化のために闘ってきた彼ら彼女らにたいして、あまりにも失礼ではないでしょうか。「世界を揺るがした18日間」で死者は300人を超えているのですから。

また、独立メディアを通して、カイロ「自由広場」から連日のように届けられてきた若者たちの声を追ってきたものにとって、この運動が「ムスリム同胞団」が主導したものでないことは明々白々たる事実だからです。


「街頭にいる人々こそが英雄」:フェースブック活動家のワエル・ゴニムが語るエジプト刑務所からの12日ぶりの解放
http://www.democracynow.org/2011/2/8/the_heroes_are_the_ones_in

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