エジプトの民衆蜂起から何を学ぶか(3)―英語教育の目的と方法を問い直す

インターネットの独立メディアDemocracyNowを毎日のように視聴・購読しながら、今度の「エジプトの民衆蜂起」を追いかけてきて思ったことは、英語を「読む力」「聴く力」の大切さ・重要さです。

日本というEFL環境では、英語を「話すこと」「書くこと」は、一般の平均的日本人にとって、ほとんど重要な意味をもちません。なぜなら周りに英語で話しかけねばならない対象者がいるわけでもありませんし、メールで英語を書くといっても、相手が日本人では、その必要性・必然性がないのですから、よほど相互の動機が強くない限り「英語学習」としても長続きしません。

ところが「読む」「聴く」という行為は、「英語で知りたいこと」「英語でしか知り得ないこと」が自分にありさえすれば、日本のようなEFL環境でも、十分に実用的な意味をもちますし、英語学習としても長続きします。

高校生だった頃の私は、「できない英語教師の歩み」(『英語にとって教師とは何か』あすなろ社/三友社出版)でも書いたことですが、英語学習が苦痛で仕方がありませんでした。熟語や単語をどれだけ覚えても「ザル水効果」で、語彙が蓄積していきません。細切れの入試問題は、私にとって英語に対する嫌悪感をいっそう強める効果しか持ちませんでした。

高校教師をしていた頃も、つまらない教科書を「統一進度・統一テスト」で教えることを強制されていたので、英語を教えることに本当の喜びを感じることができませんでした。誰もが行きたがらない定時制高校に異動し、教科書が役立たない環境に置かれたとき、初めて自由に教えることができる喜びを感じることができました。

大学教師になって「教えることの自由」は少しは広がりましたが、昨今は「実用英語」一点張りで、共通教育の授業も統一教科書を使ったりTOEICの受験準備をさせることを強要する風潮が強まり、学生も教師も学ぶこと・教えることに情熱を失い始めています。TOEIC受験を全学生に強制する大学も少なくありません。

ところが退職した今、英語に対する嫌悪感は全くありません。それどころかエジプト情勢が気になって、DemocracyNow!を毎日、視聴しないと心が落ち着きません。耳で聴いても分からないところがあれば、「文字起こし」したもの(transcript)で確認します。そしてエジプトの若者たちの勇気ある犠牲的行動(そして今や中東一円に広がっている民衆の活動)に涙したり励まされたりしています。

しかも Democracy Now! の報道は一般の大手メディアでは絶対に教えてくれない内容を私たちに伝えてくれます。だから毎日、DemocracyNow! の視聴(そして読解)は絶対に止められないし、それが苦痛どころか、新しい世界が毎日のように広がっていくので、知的興奮の連続といってよいかも知れません。

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たとえば、昨日(2月18日)のDemocracy Now! によれば、アメリカ=ウイスコンシン州では州知事が、「公務員労働者の団結権やストライキ権を剥奪する」「抵抗自治体があれば、市であろうが町であろうが州兵を出動させても鎮圧する」と宣言しました。

いまエジプトでは、禁止されていた労働者の団結権が、やっと認められようとしているのに、いまアメリカは全く逆の方向に動こうとしているのです。

オバマ氏も、軍事費は拡大しながら、既に政府職員の賃金は5年間凍結することを宣言し、平和運動する活動家を「テロリスト」として強制捜査に乗り出しています。

他方で、ペルシャ湾岸の国バーレーンでは、民衆が血に染まりながらも民主化を要求しています。しかし今のところ、オバマ政権には、これを弾劾する姿勢は全く見られません。エジプトの時と同じく、沈黙を守っています。アメリカの巨大な軍事的拠点(第5艦隊の停泊地)だからでしょう。

「街頭は民衆の血に染まっている」 バーレーン警察、数百人の民主化運動デモに対し残虐な夜間攻撃
http://www.democracynow.org/2011/2/17/people_are_bleeding_in_the_streets

しかし、ウィスコンシン州の民衆・労働者の闘いも、エジプトの闘いに励まされて、必ず勝利するでしょうし、そうあることを願っています。

いずれにしても、このような世界情勢やアメリカ情勢を教えてくれるのは、いま流行の「会話ごっこ」ではありません。それどころか会話熱が盛んになればなるほど英語力は低下していくでしょう。

なぜなら、覚えてはすぐ忘れるような会話フレーズの暗記にエネルギーの大半が奪われますから、ますます(独立メディアのニュースなどを)読む力・聴く力が低下していくからです。それは同時に正しいアメリカ理解から学習者を遠ざけていきます。
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註: 英語の「読解力」「聴解力」が向上すれば、「話すこと」「書くこと」は、その必要が生まれたときに(「読解力」「聴解力」を土台に)何時でも大きく向上させることができます。そのメカニズムについて説明していると長くなりますので、ここでは割愛しますが、興味がある方は、拙著『英語教育が亡びるとき』の末尾に関連する文献一覧を掲げてありますので、そちらを御覧ください。

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ところでDemocracyNow! を視聴していて、気づいたことが幾つかあります。それは英語の発音は、「基本的にはローマ字読みでよい」し、アクセントも「どこか一カ所を強く発音すればよい」、すなわち「名詞は単語の前部、動詞は単語の後部」にアクセントを置いて発音すれば通じる英語になるということです。

この番組では、さまざまな国の人にインタビューをしたり、さまざまな国の人を招いて登場させたりしていますが、ヨーロッパの人たちは平気で単語を「ローマ字読み」で発音していますし、それを気にしているようすは全くありません。

私がカリフォルニア大学ヘイワード校で日本語を教えていたときに友達になったスペイン出身のスペイン語教師も、スペイン語訛り丸出しで「アメリカの学生は高校レベルの知識すら持っていないで大学に入ってくる。教師をやめたい」とこぼしていました(まるで今の日本の大学を彷彿させるような愚痴ですが、20年も前のことです)。

またアクセントについても、一般に英語を母(国)語としない人たちは、「名詞は単語の前部、動詞は単語の後部」にアクセントを置いて発音していて、全く気にするようすはありませんでした。

毎日のようにカイロの「自由広場」に出かけていって抗議活動を続けているという高齢の女性(80歳、精神科医)も、DemocracyNow! のインタビューでは、いわゆる標準英語を聞き慣れているものには奇異に聞こえるところにアクセントをおいて話しているのですが、話している内容があまりに凄いので、むしろそちらの方に関心が吸い取られてしまいます。


ナワル・エル・サーダウィ「私たちの希望は日に日に大きくなる」
http://www.democracynow.org/2011/2/11/our_hope_increases_day_after_day

それどころか、Amy Goodman 自身も、インタビューの中で、「独裁者」dictatorの発音を、単語の前部(di-)にアクセントを置いて発音していて驚かされます。

確かハワード・ジンも、私がいま翻訳している『Voices of a People's History of the United States』を劇場でDramatic Readingするときに、前部(di-)にアクセントを置いて音読していたように記憶しています。

ところが、私が高校教師だった頃、教科書に飽き足りなくて「投げ込み」自主教材として使ったチャップリンの名画『独裁者』では、繰り返し繰り返し、dictatorという単語が出てくるのですが、チャップリンはアクセントを単語前部に置いていません。

必ず後部(-ta[tor])に置いて発音しています。これは動詞dictateのアクセントが後部にあるので、それを引き継いでいるのでしょう。

このような現実を見ると、私たちの発音指導はもっと緩やかでよいのだということを改めて認識させられます。そして同時に、「『英音法の幹』さえ押さえれば、発音指導は終わったも同然」と私たちが主張してきたことの正しさに、改めて自信を持つことができました

(私たちの音声指導について興味があれば、拙著『英語にとって音声とは何か』その他を御覧ください)。

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もう一つ DemocracyNow! を視聴して気づいたことがあります。英語は(他の言語でも同じでしょうが)単文だけでも、伝えたい内容があれば、十分にひとを動かすことができるということです。

というのは、前回のブログでも書いたことですが、エジプトの民衆蜂起では、青年の「抗議の焼身自殺」を契機に、若者が巨大な力を発揮しました。しかし、その中で若い女性たちが非常に大きな役割を演じたことも、ほとんど大手のメディアでは紹介されていません。

エジプト蜂起の火付け役となったアスマ・マフフーズとユーチューブのビデオ
http://www.democracynow.org/2011/2/8/asmaa_mahfouz_the_youtube_video_that

26歳のエジプト人活動家アスマ・マフフーズは、2011年1月25日にタハリール広場に集まって、ホスニ・ムバラクの“腐敗した政府”に抗議するよう人々に求めるビデオをインターネット上に投稿しました。



まず最初の投稿は1月18日でした。エジプトではFacebookで投稿する場合も、自分が誰であるか分からないようにするのが普通ですが、親ムバラク派による暴行の危険性があるにもかかわらず、彼女は、スカーフで顔を隠さず、画面上で堂々と、かつ必死に訴えています。

彼女の感動的な呼びかけは、最終的にエジプトの蜂起を奮い立たせることに大きく貢献しました。彼女はアラビア語で呼びかけているのですが、DemocracyNow! による翻訳は後述のようになっています。

これを読むと、チュニジアの「焼身自殺」を受けて、エジプトでも既に4人も抗議の「焼身自殺」をしていることが分かります。

次に彼女は、「女性である私は、タハリール広場に行き、一人で立ちます。そして私は横断幕を掲げます。たぶん人々はいくらかの敬意を表してくれるでしょう」と訴え、この自殺を「精神病」「変質者」だと非難する声に対して「議事堂前で油をかぶるなど、誰が好きこのんでやるものがいるか!恥を知れ!」と憤っています。

そして最後に、「私は1月25日に広場に行き、腐敗と現政権に対してノーと言います。皆さんが誇りを持っているならば、そして人間として尊厳をもってこの国で生きたいなら、私たちと一緒に広場へ行き、あなたの権利、私の権利、あなたの家族の権利を主張してください」と訴えています。

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Four Egyptians have set themselves on fire to protest humiliation and hunger and poverty and degradation they had to live with for 30 years. Four Egyptians have set themselves on fire thinking maybe we can have a revolution like Tunisia, maybe we can have freedom, justice, honor and human dignity. Today, one of these four has died, and I saw people commenting and saying, "May God forgive him. He committed a sin and killed himself for nothing."

People, have some shame.

I posted that I, a girl, am going down to Tahrir Square, and I will stand alone. And I'll hold up a banner. Perhaps people will show some honor. I even wrote my number so maybe people will come down with me.

No one came except three guys—three guys and three armored cars of riot police. And tens of hired thugs and officers came to terrorize us. They shoved us roughly away from the people. But as soon as we were alone with them, they started to talk to us. They said, "Enough! These guys who burned themselves were psychopaths."

Of course, on all national media, whoever dies in protest is a psychopath. If they were psychopaths, why did they burn themselves at the parliament building?

I'm making this video to give you one simple message: we want to go down to Tahrir Square on January 25th. If we still have honor and want to live in dignity on this land, we have to go down on January 25th.

We'll go down and demand our rights, our fundamental human rights.

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ご覧の通り、ほとんどが単文の積み重ねであり、単語も難しいものはほとんどありません。にもかかわらず、これだけ深いことを、これだけ力強く表現できるのです。しかし、このような力は「会話ごっこ」からは決して生まれません。そのことを英語教育者は、もっと真剣に考えなければならないのではないでしょうか

その意味でも、ぜひ上記に示してあるURLにアクセスして、彼女の映像とスピーチに直接ふれていただきたいと思います。そうすれば、話されている言語がアラビア語であっても、彼女の誠実さ・真摯さ・思いの深さは,十分に伝わってくるのではないでしょうか。

その上で上記の英文を「読解」や「表現よみ」の教材として使えば、生徒の眼の輝きは全く違ってくるのではないかと考えます。

なお、彼女は1月25日の前夜、もう一度つぎのような投稿を寄せ、やはり顔を隠さず必死に訴えています。そして、この映像は、瞬く間にエジプト中に伝播され、25日の集会を成功に導きました。

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It's now 10:30 p.m. on January 24th, 2011. Tomorrow is the 25th, the day we've been waiting for, the day we all worked so hard for.

The most beautiful thing about it is that those who worked on this were not politicians at all. It was all of us, all Egyptians. We worked hard.

Children no older than 14, they printed the poster and started distributing it after prayers. Old people in their sixties and seventies helped, as well.

People distributed it everywhere they could—in taxis, at the metro, in the street, in schools, universities, companies, government agencies. All of Egypt awaits tomorrow.

I know we are all nervous right now and anxious, but we all want to see tomorrow's event happen and succeed.

I'd like to tell everyone that tomorrow is not the revolution and is not the day we'll change it all. No, tomorrow is the beginning of the end.

Tomorrow, if we make our stand despite all the security may do to us and stand as one in peaceful protest, it will be the first real step on the road to change, the first real step that will take us forward and teach us a lot of things.

Our solidarity in planning is a success in itself. To simply know that we must demand our rights, that is success.

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彼女は上記で、「明日の集会が成功するか否か、それがエジプトの未来を決定する」と、前回の訴えに勝るとも劣らぬ調子で、まだ見ぬ集会参加者に、祈るような思いで訴えています。

そして彼女は言います。明日の集会が成功すれば、それはエジプトを30年間も支配してきた独裁体制の「終わりの始まりになる」"tomorrow is the beginning of the end"と。しかし、彼女には、たとえこの集会が成功しても前途には幾多の困難が待ち受けていることも分かっていました。

だからこそ、この集会が大成功であっても、それは単に「終わりの始まり」にすぎないのでした。このような情熱と見通しを、私たちは大いに学ばなければならないでしょう。また、それこそ私たちが(英語教育でも)生徒・学生に伝えなくてはならないことではないでしょうか。
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