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英語教師残酷物語―「英語で授業」と「マケレレ原則」

英語教育(2018/02/12) マケレレ原則「英語で授業」、小田実「イングラント」


小田実の英語50歩100歩238

 いま韓国では冬季オリンピックが開幕となり、朝鮮と韓国が合同チームをつくって出場するなど、力による対決とは違った新しい展望が生まれつつあります。
 ところが日経(2018/2/10)によると、9日に韓国の平昌で開いた日韓首脳会談で、安倍晋三首相が文在寅(ムン・ジェイン)大統領に「米韓合同軍事演習を冬季五輪後に予定通り実施するよう」求め、文氏が不快感を示していたことが分かりました。
◆韓国大統領、安倍首相に不快感 五輪後の米韓演習要請
http://mx4.nikkei.com/?4_--_89002_--_1332188_--_86
 影の政府(DeepState)の言いなりになってタカ派の姿勢を強めているトランプ大統領でさえ、あからさまに言っていないことを、そのプードル犬よろしく、他国の主権を踏みにじるような言い方で相手に要請するなど、平和憲法をもつ国の首相としてあるまじき言動ではないでしょうか。
 もっとも安倍首相としては、北朝鮮を挑発して一気に憲法改悪の雰囲気を日本国内につくりたいわけですから、韓国と朝鮮が平和を目指して手をつなぐ事態になれば、これほど都合の悪いことはないでしょう。国内の兵器産業も「武器輸出」で儲けたいわけですから、そういう意味でも今の韓国情勢ほど都合の悪い事態はありません。

 それはともかくとして、先日、東北地方の英語教師から下記のような便りが届きました。これを読んで、アメリカが一方的にシリアや朝鮮半島で緊張を煽り立てている情勢と、文科省や教育委員会が、学校現場で英語科教師のみに異常な肉体的精神的緊張を煽り立てている情勢とが、私には重なって見えて仕方がありませんでした。
 数学の教師や国語の教師など他教科の教師が、このような肉体的精神的負担を強いられている話は聞いたことがありません。しかも、このような事態は高校現場だけではなく、小学校での英語教育が叫ばれ始めた頃から、「小中一貫の英語教育」という口実で、中学校でも同じような事態が生まれつつあります。
 こんなことを書き始めると長くなるので、その詳しい解説は後回しにして、まず私のところに届いたメールを以下に紹介したいと思います。これを読んでいただければ、いかに教育現場が英語によって歪められつつあるかが、いかに「英語力=国際力」という考え方が教育現場を疲弊させているかが、よく分かっていただけると思うからです。

(前略)ところで最近、うちの英語科職員はメンタル的にダウンしかけて(またはしてしまって)いました。
 というのは、管理職から「市の中学生の英語弁論大会の審査員を出すよう市教委に頼まれたので、誰が出るか決めてください」とありました。「実施日は*月*日の午前で、数時間顔を出すだけですから」と言うのです。
しかし普段から忙しい中、英語の検定を受けさせられたり、年3回丸一日英語漬けの、しかも宿題(課題)ありの研修を受けさせられたり、ALTとの丸二日の英語漬けの研修に出されたりし、その他にも調査も多く、さらに弁論大会直前に全商英検(全国商業高等学校協会英語検定)もあります。
 たった数時間といっても、弁論大会当日だけでなく、その頃は、通知表や学級通信や封筒表書きなど、終業式の準備に追われている時機です。 ただでさえ普段から体調を崩しがちなのに、「気軽に顔を出すだけですから」みたいに言って来たので、いったんは断っました。
 みんな「こういう状況だし、弁論をただ聞くだけでなく、審査をするのであれば、前もって弁論を読まないといけないし、審査員のALTなどと一緒に意見交換するのも非常に集中力が要求される、とても受けることはできません」と断ったのです
 ところが、今度は「依頼」ではなく、「通知」の形できたのです。一人一人個別に呼ばれたり、すれ違い様に話しかけられたりして、その度に断っていたのですが、何度断っても「出せ」の一点張りでした。
 どうやら近くの進学校に断られてうちにまわってきたようなのですが、うちは市立だから、市の教育委員会からの依頼は受けて当然、という考えなのです。
 いよいよ本番が近くなっても並行線のままでした。ただでさえ数の少ない英語教員のうち二人はその日の午前に年休をとり、一人は保護者の都合でその日の午前しか面談できません。ですから誰も時間があかない。
 しかし管理職は市教委に名前を報告しなければならないので「一人出せ」と迫ってきます。そこで、「私たちの状況を自分たちで市に説明しますから電話していいですか」と確認をとろうとすると、それはできませんの一点張りでした。
 最後に英語科主任が校長室に呼ばれて、「どうしても受けないのか、受けないとなると、私が謝罪をしなければならないんですよ。これまでも市教委から依頼があれば他の教科は協力している。なぜ英語科は受けないのか。子どもじゃないんだから」と言われたそうです。
 でもみんなで「受けられる状況ではない」ことを確認していたので、主任は「受けれません」ということと、その理由を繰り返し説明し、後は黙って耐えたそうです。
 こんなことが何日も続き、最終日に校長は「わかりました、しかし、本来受けるべきです」と言って終わったそうです。
 英語科教員は全員、心労で倒れそうでした。実際、英語科主任は体調を崩し、全商英検の日に休まれました。今日も「病休をとろうかと思った。あれはパワハラだ」と言っていました。実際、今日も朝と夕方に休まれました。
> しかし今回はみんなで団結してどこも崩されなかったから、なんとか跳ね返すことができました。もし今回、英語弁論大会審査員の仕事を受けてしまったら、来年からも当然のように依頼が来ることになったと思います。
 今後、学級減に向かうことがわかっており、職員は減る一方なのに負担は増えることばかりです。今回はとてもきつかったけれど全員の団結で跳ね返すことができたのは一つの成果だと思います。しかし、本当に疲れました。精神的にも肉体的にも。


 以上で、英語教師が他教科の教師と比べていかに多忙化しているかが分かっていただけると思います。
 (不思議なことに、英語スピーチコンテストで全く同じような問題に悩まされ疲弊しているという便りを、九州の教師からもいただきました。英語が全国の教育現場を破壊しつつあるひとつの証左ではないでしょうか。)
 それはともかく、引用したメールでは次のように書かれていました。
 「英語の検定を受けさせられたり、年3回も丸一日英語漬けの、しかも宿題(課題)ありの研修を受けさせられたり、ALTとの丸二日の英語漬けの研修に出されたりし、その他にも調査も多く・・・」
 数学科の教師が強制的に数学検定を受けさせられたという話は聞いたことがありませんし、国語科教師や社会科教師が「年3回も丸一日**漬けの、しかも宿題(課題)ありの研修を受けさせられたり」という話も聞いたことがありません。
 ところが英語科教師だけが、さらに「ALTとの丸二日の英語漬けの研修に出されたりし、その他にも『英語で授業をしているかどうか』などの調査も多く」、1年中なにかの課題で追いまくられているのです。
 修学旅行も昔は広島や長崎を訪れることが多かったのに、今は海外旅行が多くなり、最近も関東のある研究員からは「生徒の英語学習を兼ねて今年は英語が公用語になっているマレーシアに行くことになった」という電話もありました。
 しかも管理職から、首都クアラルンプールでは現地高校生との交流会も企画しろ、その連絡・交渉は英語科がやれと言われて疲れ切っているというのです。
 日本人なら一度は広島や長崎の原爆資料館を訪れるべきでしょうし、そのためには修学旅行は絶好の機会だと思うのですが、それが「英語力=国際力」というイデオロギーのために、みごとに投げ捨てられてしまっているのです。
 核兵器が世界に何をもたらすのか、世界的視点で現在を見つめ直す力、世界平和のためにいま何が求められているのかを考える力こそ「国際力」だと思うのですが、英語力=会話力という近視眼的な視点でしか修学旅行を考えられなくなってきているのです。
 しかも、そのような近視眼的な視点でしか教育を見れなくしているのが、「英語の授業は日本語を使わずに英語だけでやれ」という新指導要領の方針です。これが英語教師を心身的に疲弊させていることは、精神疾患で休職する教師が英語に多いということに現れているように思います。
 (精神的疾患で休職する教師の調査で、文科省からの正式な教科別データはありませんが、私の回りでそのような教師の事例を何人も見てきました。文科省は校務分掌別のデータはもっているのですが教科別のデターはもっていません。私は教科別のデータが今ほど必要なときはないと思っています。)
 それはともかく、「英語で授業」という新指導要領の方針で目に見える教育効果が出るのであれば、「そのような英語教師の、少々の犠牲もやむなし」と言えないこともないでしょうが、文科省の全国の英語力調査でも、会話力を強調しだした頃から英語力は停滞もしくは低下しているのです。
 そもそも「英語学習は母語もしくは国語を使わずに英語だけでおこなべきだ」「したがって外国語の教授はその外国語の母語話者がおこなうのが最も効果的だ」という主張には科学的根拠はなにひとつありません。そんなことが正しいのであれば、NHKの外国語講座はずっと以前から日本人が教えずに外国人だけでおこなわれていたはずです。
 NHKがそのような方針をとっていないのは、日本人が教える方が効果的だと思っているからに他なりません。文科省は新指導要領の方針が正しいと思っているのであれば、「英語教師の英語力=会話力が低いから日本の英語教育はよくならないのだ」と英語教師を追い詰める前に、まずNHKの外国語講座に抗議すべきでしょう。
 実は、「英語学習は母語もしくは国語を使わずに英語だけでおこなべきだ」「したがって外国語の教授はその外国語の母語話者がおこなうのが最も効果的だ」という主張は、1961年にウガンダのマケレレで開かれた「英語教育をめぐるイギリス連邦会議」で提起された、いわゆる「マケレレ5原則」をそのまま鵜呑みにしたものです。
 この原則は、旧植民地をいかにして英国の属国として維持するかを念頭においたものでした。そのためには、当該国を「文明化し民主化する」という口実で、「英語という商品(もの)」と「英語話者という商品(ひと)」を当該国に輸出するのが一番好都合だったのです。敗戦国日本も、まんまと、その罠にはまったと言うべきでしょう。
 マケレレ原則については、月刊『英語教育』2018年2月号の「私の本棚」というコラム記事を依頼されて執筆したものがありますので、以下にそれを転載しておきます。


月刊『英語教育』2018年2月号「私の本棚」言語帝国主義、マケレレ原則227
 ご覧のとおり、この記事では、ロバート・フィリプソン『言語帝国主義』という本だけではなく、『何でも見てやろう」というベストセラーで一躍有名になった作家の『小田実の英語50歩100歩』という本も紹介しました。
 小田実は「英米人はそんな言い方をしない」という言説を初めから蹴飛ばして、「自まえの英語=イングラントで話せばよい」と主張し、アジア作家会議などの国際会議でもそれを実行して喝采を浴びた人でもありました。
 ちなみに「イングラント」というのは、「イングリッシュ」と国際語「エスペラント」を足し合わせてつくった小田実の造語ですが、これは名著『英会話のイデオロギー』を書いたダグラス・ラミス(元津田塾大学教授)の次の主張と通じるものがあります。
 「今や英語の話者は母語として英語を話す人口よりもはるかに多くなっているのであるから、英語の母語話者は、『英米人はそんな言い方をしない』とお説教するのではなく、アジア人やアフリカ人が話す英米語が理解できるようになるために、彼らこそ英会話学校に入るべきだ」
 すでに何か国語にも翻訳されている名著『言語と文化』で有名になった社会言語学者、鈴木孝夫(元慶応大学教授)も、「自分の書いた英語を母語話者に校閲してもらったことがない」と言っているのも、根本的には小田実の考え方に共鳴するところがあるからでしょう。
 日本の英語教育を前進させるために、いま最も求められていることは、英語教師を疲弊させないことです。英語教師が疲弊している現場で英語教育が前進するはずがありません。
 文科省や教育委員会が主催する強制研修会で「砂をかむような思いで」何日も座らされて疲弊させるくらいなら、英語教師が学びたいと思ってみずから選んだ研修会に、公費または出張扱いで出かけることのできる自由を保証すべきです。
 そのほうが教師の英語力と教育力をはるかに高めることに直結するでしょう。生徒と同じで、自らの意思と意欲で学んだことこそ身についた学力になるからです。
 夏休みに自費で海外に出かけたいと思っても、その時間と自由すら与えられない環境で、どのような英語力が花開くでしょうか。


<註1> 上記では小田実(まこと)の造語「イングラント」を紹介しましたが、実は同じ趣旨のことを鈴木孝夫は「イングリック」『武器としてのことば』新潮選書1985、渡辺武達(たけさと、元同志社大学教授)は「ジャパリッシュ」『ジャパリッシュのすすめ 日本人の国際英語』朝日選書 1983という用語で説明しています。
<註2> 文科省は、大学入試の「英語」を民営化し営利企業に任せるという方針を出していますが、これは高校の英語教育をますます受験予備校化させる亡国の教育政策と言うべきでしょう。拙著『英語で大学が亡びるとき、「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』になぞらえて言えば、「英語で日本が亡びるとき」になるかも知れません。これについても書きたいことは多々あるのですが、今は阿部公彦『史上最悪の英語政策—ウソだらけの「4技能」看板』ひつじ書房2017、鳥飼玖美子『英語教育の危機』ちくま新書2018、を紹介するにとどめます。
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狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

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