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大学入試「民営化」で苦悩する高校、荒廃する大学――季刊誌『I B』 2018夏季特集号の反響3

英語教育(20181024)、大学入試、主体性評価、e-portfolio、「発話力、スピーキング力」の試験、外部試験という名の「民営化」、CEFR (Common European Framework of Reference for Languages ヨーロッパ言語共通参照枠)

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 沖縄県知事選に引き続き、那覇市長選でも米軍基地反対派が勝利しました。アメリカにとっても安倍政権にとっても手痛い打撃になったことでしょう。もっと大きな衝撃を受けたのは、自民党の傭兵部隊となって選挙戦を闘った公明党・創価学会だったかも知れません。 
 他方、視野を国外に転じると、アメリカは相変わらず混迷と孤立を続けています。一方ではサウジアラビア政府が関与していると強く疑われている殺人事件をトランプ政権は擁護する姿勢を崩していませんし、もう一方ではで中距離核戦力(INF)廃棄条約からも脱退する意向を表明しているからです。
 このようなアメリカの行動に、EUなどの同盟国すらアメリカに対する反感を隠していません。しかし、このように混迷と孤立を続けるアメリカを、あくまで擁護しようとしているのが、東西2匹のプードル犬、すなわち日本と英国です。アメリカから自立する姿勢を強めている韓国やフィリピンの姿と比べると、日本の現状は哀しいかぎりです。
 それをある意味で象徴的に示すが、国民をあくまで英語漬けにしようという安倍政権の外国語政策でしょう。
 このような英語に対する姿勢は外交文書・経済政策にも露骨に顕れています。なにしろトランプ氏が脱退を表明した後、TPPを主導してきたのが日本でありながら、正式な文書が日本語でつくられず、国会でその是非を議論しようにも、英語版しか手に入らないていたらくでした。

 これと同じことが教育現場でも横行しています。その典型例が「日本語を使うな、英語教育は英語だけでおこなえ」という政策でしょう。しかも現場の教師はアメリカからの輸入商品である試験(TOEIC)を、「英語教師に対する研修」という口実で、強制的に受験させられている都道府県が少なくないのです。
 表向きは「英語教育のため」と称しながら、実はアメリカの赤字財政を救うために、英語教育と英語教師が、人身御供としてアメリカ資本に差し出されているわけです。イラク戦争が「大量破壊兵器の存在」を口実にしながら、本当の理由は「イラクの石油」「ドルからの自立を目指すフセイン政権の打倒」だったのと同じ構造と言うべきでしょう。
 安倍政権が同じ口実で、もっと大規模におこなおうとしたのが、「スピーキング力を測る」という口実で、大学入試「英語」を民営化しようとする政策でした。つまり大学入試の科目で英語だけを切り離して、民間企業に任せようとする政策です。
 このような民営化政策が出始めたとき、政府・文科省が初めの頃しきりに口にしていたのが、やはりアメリカ資本の資格試験TOEIC、TOEFLを英語入試として採用し、それを受験生に受けさせるという政策でした。
 すでに日本の多くの大学では、「日本の大学の国際競争力を高めるため」という口実で、TOEICというビジネスマン向けの資格試験が、理工系の学部でさえ、強制または推奨されていましたが、今度はアメリカの大学に留学するための資格試験であるTOEFLまでも追加されたのです。
 アメリカ資本にとっては、こんなに美味しい話はないでしょう。 何しろ以前は会場も試験監督も自費で用意しなければならなかったのに、大学側がそれをやってくれるようになっただけでも有難かったのに、今度は大学入試という口実で、個々の大学ではなく国家が自ら全国に檄を飛ばして、TOEICやTOEFLを受験生全員に受けさせてくれるわけですから、アメリカ資本にとっては笑いが止まらない話です。
 しかし、これには日本の民間企業もさすがに我慢がならなかったのでしょう。「なぜ外国の試験でなければならないのか」「なぜ日本の企業が開発した試験ではいけないのか」というわけです。こうして資格試験の老舗である英検(日本英語検定協会のいわゆる実用英語技能検定)や進研模試で有名だった企業ベネッセだけでなく、他にも多くの企業が名乗りをあげました。

 こうして今や大学入試は混乱の真っただ中です。このような状況のなかで発行された季刊誌『IB』2018夏季特集号への反響も大きかったのだと思います。先日も、ある県の高校教師(英語)から、私宛に便りが届きました。以下がそのメールです。

寺島先生
 ご無沙汰しております。この度は、I.Bを送っていただきありがとうございます。
 この間、大学入試改革が本当にいろいろと進み、昨年より母校の進路指導部長をしているので、立場上その情報を追いかけるのに大変です。
 進路指導主事の会議では、「大学側の主体性評価」と「英語4技能の民間テスト」の話題でもちきりです。ただし、どちらもあまり文科省の思惑どおりには進んでいないようですが。
 「主体性評価」の目玉「e-portfolio」なるものは、私の予想では当分は広まらず、各大学における調査書だけでの評価になる気がします。「4技能テスト」も、CEFRの段階との適合があやしいので、各大学とも相当低い得点化になるような気もします。
 それでもセンター試験は、「共通テスト」と名前を変え、英語は現6年生が高3になるまでは、民間テストと併用で、当分は残るものの、リスニングとリーディングだけとなるようです。文法問題や発音アクセント問題、並べ替え問題はなくなります。
 英語入試改革の目玉は「英語4技能の試験」、とりわけ「スピーキング力の試験」だったはずが、センター試験は、なぜか2技能となるのは変な感じです。ベネッセが、英語資格試験のGTECだけでなく、「主体性評価」では「e-portfolio」なるものも売り出しはじめ、この分野で独り勝ちしそうなのも気になっています。

 季刊誌 IB 夏季特集号で書かれていた「英語で授業」は、以前にも話しましたように、予想通り、現場では、「できる教師はやり過ごす」ってなっていると感じていたのですが、茨城だけなんでしょうか?
 確かに、この間の動きで、生徒に英語を話させる時間はだいぶ以前より増えていると思いますが、教師が日本語を使わず英語だけでおこなうというのは、実際の授業では、生徒にとっても教師にとっても迷惑極まりないものですから、それほど多くの人が、以前よりやっているとは感じていませんでした。
 しかし、「やらないと法律違反」とまで言うお偉い方が今もいるとは驚きです。もっとも、今の文科省教科調査官(英語)の女性は私の県で指導主事をしていた方ですが、何かの会合で、英語でやらないと「単位未履修」になると言って、陰で笑われていました。が、そういうことを言っていた方があそこまで出世すると笑えませんね。

残暑厳しい日が続くかと思いますが、お体ご自愛ください。

追伸:私の隣の席に、年配の先生が座っていらっしゃるのですが、寺島先生のブログを紹介したらファンになって、ブログを楽しみにしています。本も数冊、貸し出しました。この先生は、先生のブログを読んでいたからか、トランプ当選を予想していて、生徒の前でも宣言していた強者です。


 いただいたメールによると、進路指導主事の会議では、「大学側の主体性評価」と「英語4技能の民間テスト」の話題でもちきりだとのことですが、「主体性評価」とは受験生の能力を入試の成績だけで判断するのではなく、受験生の「主体性」も評価の対象に入れろということです。
 しかし、こんなことを大学側に要求したら、今でさえ文科省が大学への地方交付金を削減しつつあるなかで資金繰りのため多忙化を極めている大学は、あっという間にパンクしてしまうでしょう。大学に「世界ランキングの上昇をめざせ」という強い要求を出しながら、こんなことを同時に押しつけたら、大学教員に研究する時間もゆとりもなくなります。
 なぜなら「主体性評価」の目玉「e-portfolio」なるものは、デジタル大辞泉の解説によれば、「生徒学生の日々の学習や活動の記録を電子化したもの」「生徒学生が提出したレポート、教員からのコメント、部活動や課外活動の記録などのデータ」だからです。
 最近では、年に何回もおこなわれるようになった入試業務だけでも疲弊している大学現場で、高校側から提出された膨大な受験生のデータを読んで評価する暇がどこにあるのでしょうか。また高校側でも、最近はますます正教員が減らされているのですから、高校現場も疲弊します。
 そこで「待ってました」とばかりに登場するのが民間の教育産業です。今や税金を食いものにした民間企業が大手を振ってまかりとおる時代になってきたようです。一般市民が貧困化し、ものが買えなくなってきたので、民間企業は政府に商品を買わせようとするわけです。その絶好の機会として大学入試に目を付けたのでしょう。


  他方、大学入試「英語」についても、いただいたメールでは、「4技能テストも、CEFRの段階との適合があやしいので、各大学とも相当低い得点化になるような気もします」とありました。
 ここで言われている「CEFR」とは、“Common European Framework of Reference for Languages”の略で、「ヨーロッパ言語共通参照枠」の意味です。名称にもあるように、この「ものさし」はヨーロッパで作られたものです
 この「ものさし」を、英検、TOEIC、TOEFLなどを受けた受験生の能力を測る共通の道具として使おうというのが文科省の考えですが、もともと目的が違って開発されたものを(たとえばTOEFLは留学生用、TOEICはビジネス用)、強引に大学入試にも利用しようというのですから、初めから無理な話なのです。
 またCEFRはEU加盟国の人間が国境を越えて自由に交流できるようになったことを反映してつくられたものです。ですから「最低二つの外国語を習得しよう」を合言葉にしていますが、「4技能の習得」を目標に掲げていません。そのひとが必要な外国語能力、たとえば「読むこと」だけが必要な人は、それでよしとされているのです。
 ところが文科省は大学入試で「4技能」を掲げ、とりわけ「スピーキング力」を測る試験が必要だからという理由で、入試の英語を民間に丸投げするという施策をとりました。しかし「スピーキング力」を測る試験が必要だというのであれば国家が責任をもって、そのような試験を開発すればよいのであって民営化する必要は全くありません。
 要するに、イラク戦争の時と同じように、表向きの理由とは別の、隠された本音があるのです。つまり、英語の入試を民間に丸投げする本当の理由は、「教育を民営化」し、企業を儲けさせることにあるのです。つまり政府、文科省の政策は、教育の論理ではなく経済の論理で動いているのです。

 前回のブログで紹介したように、羽籐由美氏(京都工芸繊維大学教授)は、「大学入試でスピーキングの試験をするのは反対ではないが、それを種々雑多な民間会社に丸投げするのは無責任であり、受験生にとっても公平な制度ではない」と主張し、その理由を『検証、迷走する大学入試』(岩波ブックレット)のなかで詳しく述べています。
 これは私の意見と似ているようですが、実は似て非なるものです。なぜなら彼女は、「そもそも大学入試でスピーキングの試験をすることは本当に必要なのか」ということを深く考察していないからです。私は大学入試で「発話力=スピーキング力」を測る必要はないと考えているからです。そんなことをしようとすれば莫大な費用と時間がかかります。
 羽籐由美氏が主張するように、「スピーキング力」を測る試験が必要だというのであれば国家が責任をもって、そのような試験を開発すればよいのであって民営化する必要は全くありません。ノーベル賞の受賞者を続出させている日本人の頭脳をもってすれば、そのような試験を開発することは不可能ではないはずなのです。
 そのためにこそ国立の教育政策研究所があるのです。わざわざ外国の商品を輸入する必要もありませんし、民間企業に頼る必要もありません。しかし、そのような「発話力テスト」が開発されたとしても、そのような試験を実施するためには膨大な費用と人員と手間暇がかかります。それは現在の「聴解力テスト」を見れば分かります。
 また、そもそも受験生の本当の「発話力」を測りたいのであれば、英検が今までおこなってきたように、試験官が受験生と一対一の会話を試みる以外にありません。しかし膨大な数の受験生を相手に、そんなことをできるはずもありません。その対策として試験官の数を多くすれば、今度は評価に統一性と客観性が失われていきます。
 これらの弱点を回避するためにインターネットや電子機器を利用する方法も考えられます。実は羽籐由美氏の研究テーマは、まさに「インターネットや電子機器を利用する方法」でした。少しずつ光が見え始めたときに文科省がいきなり民間に丸投げするという政策を発表したのですから、彼女の怒りもひとしおだったことでしょう。
 しかし国が総力をあげて電子機器を利用した「発話力テスト」を開発したとしても、多分それは「真の発話力を試すテスト」にはなりえないでしょう。なぜなら、前述のとおり、受験生の本当の「発話力」を測りたいのであれば、試験官が受験生と一対一の会話を試みる以外にないからです。
 電子機器を利用した「発話力テスト」は、電子機器にのるような問題しか出題できません。ですから本当の発話力をためす試験になりようがないのです。しかも、試験当日も、莫大な費用と人員をかけて全国に会場を用意しなければなりません。つまり、この試験のためにかけたコストに見合った成果を、あまり期待できないのです。


 これは既におこなわれている「聴解力テスト」についても言えることです。同時通訳者として有名だった鳥飼玖美子氏は、「現在おこなわれている聴解力テストは電子機器を提供する企業をもうけさせているだけで、真の聴解力テストとしては役立たない。なぜなら真の聴解力は分からなかったら聞き返す能力だからだ」と述べています。しかし鳥飼氏は現在の聴解力テストに代わる代案を提出していません。
 では現在の聴解力テストの代案として何が考えられるでしょうか。その一番簡単な方法は「直読直解する力」を試すテストです。従来のような「語彙力」「文法力」「精読力」を試すテストではなく「速読力」を試すテストです。読みには「素読」「精読」「味読」の3種類があると言われていますが、「聴解力」の代用として「素読力」「速読力」を試すテストにするわけです。
 こうすれば莫大な費用をかけておこなわれてきた「聴解力テスト」をおこう必要がなくなり巨大な省エネになります。受験生のストレスも回避されますし、聴解力試験を用意したり、試験場に駆り出される教員の、巨大な精神的負担も解消されます。なにしろ現在の試験会場は「針が1本落ちる音」すら許されないのですから、会場で立ち番する教員のそのストレスたるや大変なものです。
 それはともかく、「素読力」「速読力」を試すテストが、なぜ「聴解力」の代用になるのでしょうか。それは「速読力」なしには「聴解力」は成立しようがないからです。音声は瞬間的に消えて行きますが、文字は消えていきません。しかも文字の場合、速読しようと思っても少し意味がとれないと思ったら、立ち止まって考えたり少し前にもどって読み直すことできます。ところが音声の場合、この作業ができません。
 つまり言い換えれば、文字ですら「直読直解」ができないひとが、瞬間的に消えて行く音声の「直聴直解」をできるはずがないのです。だから「速読力」を試すテストは、間接的に「聴解力」を測るテストになりうるのです。従来の英語入試の「読解力テスト」に、新し問題を付け加えるだけでよいのです。こうすれば何度も言うように、現在の「聴解力テスト」に浪費されている時間・費用・精力を大きく節約でき、教員の研究成果もあがります。

253459.jpg 魔法の英会話

 このように言うと、「それでは現場の英語教育は元の木阿弥で、読み書き中心の授業に戻ってしまう」という声が聞こえてきそうです。しかし文科省が「英語を話せない日本人」を殺し文句にして、コミュニケーション中心の授業を推進すればするほど若者の英語力は低下しているのです。これは文科省の調査そのものがよく示しています。私の言う「ザルみず効果」です。
 もちろん、英語には同時通訳の草分け國弘正雄氏の言う「音の化学変化」がありますから「速読力」をつけただけでは聞けるようになりません。語の音声を習得するには独自の方法が必要になります。しかし私たち研究所の実践が証明しているように、聴く力を伸ばす最もよい方法は「英語のリズムで音読する」という方法です。
 不思議に思われるかも知れませんが、聴解力を伸ばすのに最も良い方法は、「繰り返し聞く」ことではなく、英語のリズムで「音読する」ことなのです。つまり「聴解力」は再び「読み」に戻るわけです。とりわけ「音読力」です。生徒・学生に「英音法」についての基本的知識を与えながら「リズムよみ」させれば、「音の化学変化」を着実に身につけ、いつのまにか聞けるようになっているのです。
 ところが文科省は「会話力」「コミュニケーション」ばかりを声高に叫んでいるので、教科書の音読は投げ捨てられ、現場の授業では教科書に出てくるフレーズを使った「会話ごっこ」ばかりが氾濫することになっています。これでは、いつまでたっても、聴解力はおろか読解力も身につきません。ですから文科省が「会話力」を強調すればするほど生徒の英語力が低下するのは当然なのです。
 実を言うと、教育現場では「読むこと」がきちんと教えられていないのです。どうすれば「直読直解」ができるようになるのか、その手順が全く教えられていません。それを素っ飛ばして「会話ごっこ」ばかりやらせるから学力が低下しても当然なのです。読みには先述のように「素読→精読→味読」の三段階がありますが、その区別さえ知らない英語教師も少なくありません。
 私たちの研究所では、この三つの読みを、「構造読み」→「形象読み」→「主題読み」、あるいは「構造読み」→「要約読み」→「要旨読み」という方法で教えていますが、このような丁寧な読解指導なしには、真に役立つ英語力が身につくとはとても思えません。文科省の言う「英語で授業」や「会話ごっこ」では、批判的・創造的に読むちから(Critical reading, Creative reading)は、永遠に育たないからです。
 (以上で述べてきた寺島メソッドについては『寺島メソッド 英語アクティブラーニング』(明石書店2016)がありますから興味のある方は、ぜひ参照してみてください。)


 さて最後に残された課題として「大学入試の発話力テスト」をどうするかという問題があります。電子機器を使った「発話力テスト」は問題が多すぎるとすれば、その代案として何があるかという問題です。
 結論から先に言うと、私は「発話力テスト」の代案として「自由英作文テスト」が、電子機器を使った「発話力テスト」と違って、入試にかかる莫大な費用もかからず、生徒の会話力を底上げする最も良い土台を提供することになると思っています。
 つまり現在の英語入試と切り離して、「自由英作文テスト」を、「発話力テスト」の代案として、設定するわけです。従来も英語入試にも「英作文」の問題が出されているのですが、採点が面倒だからという理由で、あらかじめ与えられた日本文を英訳する「和文英訳」の問題が多かったのです。
 たしかに「自由英作文」の採点は手間ひまがかかります。しかし電子機器を使った「発話力テスト」にかかる巨大な費用のことを考えれば、「自由英作文」にかかる費用や手間ひまは、許容範囲に入るのではないでしょうか。フランスでは有名なバカロレアという全国統一の学力試験がありますが、どの科目に関しても、記述式のものばかりです。この採点には膨大な手間ひまがかかります。
 バカロレアには、解答選択や穴埋めなどはありません。例えば歴史・地理の問題は、「第二次世界大戦以降の、中東と近東における紛争について説明せよ」というようなもので、これについて年号なども入れながら、論文形式で解答しなければならないのです。フランスでやっていることが、なぜ日本ではできないのでしょうか。私の提案は全科目ではなく「自由英作文」だけという提案なのです。
 ところで「自由英作文」の試験は、なぜ「発話力テスト」の代案になるのでしょうか。それは「書く力があるひとで話せない人はほとんどいない」という事実です。日本語を考えても、饒舌に話す人でも書かせてみると、誤字脱字はもちろんこと、主語と述語が対応していなかったり論旨がでたらめだったりするひとは珍しくありません。しかし論旨の通った文章を書ける人の話は、実に理解しやすい発話になっています。
 これは英語の場合でも同じです。自分の意見を自由に筋道立って英作文できれば、それを口に出して言いさえすれば相手は理解してくれます。取り立てて「発話力テスト」をする必要はないのです。ところが、何度も言うように、文科省が「会話ごっこ」「コミュニケーション」を強調するものとなり、教科書に出てくる単語やフレーズを使っておこなう会話練習ばかりですから、まとまった英文を書く時間がほとんどありません。
 しかし教科書に出てくる単語やフレーズを使って、いくら会話練習をしても、日常的に使わないことばは時間が経てばすぐ消えて行きます。いま憶えたつもりの単語やフレーズも、次週には、もう忘れてしまっていることは、珍しくありません。私の言う「ザルみず効果」です。しかし自分の考えを英語で自由に書く力は、簡単に消えることはありません。それどころか鍛えれば鍛えるほど、その力は蓄積され強力になっていきます。
 ところが、何度も言うように、教育現場では自由英作文で生徒を鍛えることは、ほとんどできません。指導要領がコミュニケーション重視ですから、かける時間の比重が違ってくるからです。それと同時に、「日本語を使わずに英語だけで授業しろ」という文科省の指示が教師を金縛りにしているからです。日本語を使えば「英語が話せないのは日本語ができないからだ」ということを簡単に説明できるのに、それを文科省が妨げているのです。
 具体的に言えば、「自由英作文ができないのは、頭に浮かんでくる複文の日本語をそのまま英語にしようとするからであって、それを易しい短文の日本語に言い換えることができれば簡単に英語にできる」ことを、日本語で実例を使って説明し、練習させることができるのですが、今の学校現場では、それが許される雰囲気ではないからです。下手をすると、管理職が日本語を使っていないかを、いつも監視に来るという学校すらあるのですから。
 いずれにしろ、このような英語教育体制のなかでは、いくら国の総力をあげて大学入試の「発話力テスト」を開発しても、真の「発話力」は永遠に育たないでしょう。財力と精力の壮大な浪費に終わる可能性があります。しかし、だからこそ安倍政権は「発話力テスト」を民間に丸投げしようとしたのでしょう。彼らの頭にあったのは、「いかにして教育を建て直すか」ではなく、「いかにして企業を儲けさせるか」だったのですから。
 (なお私たちの研究所が、この30年にわたって積み重ねて来た「会話力」の研究と実践の一端は、『魔法の英会話』理論編・実践編として公刊されています。時間と興味のある方は参照していただければ幸いです。)


<註1> 
 外部試験という名の「大学入試の民営化」は、大都市に住む受験生と地方の小都市に住む受験生との間では巨大な格差が生じます。まして小さな田舎町や山間僻地に住む受験生は、いったいどうすれば良いのでしょう。また受験料も巨額ですから、貧富の格差が巨大に広がりつつある現状では、別の大きな問題が生じてきます。このような問題については、『検証、迷走する大学入試』(岩波ブックレット)の第1章で、元東大副学長かつ編者の南風原朝和(はえはら ともかず)氏が詳しく論じていますので、ぜひ御一読ください。
<註2> 
 文科省による大学入試「英語」の民営化=「外部試験」で、外資・教育産業がいかに色めき立っているかについては、季刊誌 IB (InfromationBank)2018夏季特集号の巻頭インタビューで、私は日経新聞の記事(2018/4/26)を引用しながら、その一例を詳しく紹介しました。その記事の一部を以下に再録しておきます。
 

全国で社会人向けの教室を186カ所展開するECCは実用英語技能検定(英検)の準2級と2級レベルを想定した授業をする。1回100分、15回が1単位で、料金は生徒1人当たり4万円。高校の授業の一部または放課後の課外授業などとして提供する。
 「高校生はアルバイトをすべきか」といったテーマに対し、賛否双方の立場から日本語で意見を考えさせた上で英訳するなどの方法で記述問題を指導する。全15回のうち最後の3回は面接対策と位置づけ、会話の練習をする。高校生同士で面接官と受験生の役割を演じさせたり、講師が面接官となったりして模擬面接もする。
 初年度は2500人が3単位程度利用すると想定し、売上高は3億円を見込む。
 英語圏出身者が高校などの授業を補助する外国語指導助手(ALT)の派遣事業も強化する。現在、ECCに登録しているALTの候補者は10人。フィリピンにある現地法人などを通じて5年後に300人まで増やす。ALTの採用主体となる自治体への営業も強化して、現在は数千万円程度の売上高を5年で10億円程度まで引き上げたい考えだ。


 この記事では、イーオンなど他の企業も、いかに「大はしゃぎ」しているかについても紹介しています。興味のある方は下記を参照ください。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO29858310W8A420C1MM0000/?n_cid=NMAIL007
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狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

Author:狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

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