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英語教育残酷物語 「『英語で授業』という名の拷問」その4――大学「共通教育 英語」の闇  

英語教育(2019/03/06) 刑法246条、会社法第7条、「英語で授業」と「マケレレ原則」、native speakers「母語話者」という神話、統一教科書・統一進度・統一テストという悪弊

41pSAO2CzQL.jpg 『英語で大学が亡びるとき』

私は前回のブログを次のように結びました。

 ・・・。とすれば、現在の「英語で授業」は、税金を食い潰しながら生徒も教師も疲弊させているだけでなく、平和憲法の土台を掘り崩す悪質な役割すら果たしていることになります。
 ひょっとして、これが「英語で授業」という政策の真の狙いではないかと疑りたくなります。こうして「英語で授業」という政策を震源地とする「英語教育残酷物語」は終わるところがありません。
 しかし、もう十分に長くなったので、一旦ここで今回は打ち止めにしたいと思います。次回は「英語教育残酷物語その4」として、大学教師・村上春樹の「英語で授業」を書きたいと思います。


 そこで今回は、「小説家村上春樹が客員教授としてアメリカの大学にいたころ英語で授業をせざるを得なくなり、どんなに苦労したか」「あの英語が出来るはずの村上春樹でさえ英語で授業することが一種の拷問だった」ということを紹介するつもりでした.
 しかし最近もっとひどい事件が起きたので、今回はそれを取りあげたいと思います。
 というのは、中日新聞(2019年2月21日)の33面に、カラーの写真入りで、しかも四段抜きの大出しで「架空出版社名で教材PR、岐阜大准教授 HP作成 出版装う」という記事が出たからです。その記事を読んでみると、まず冒頭で次のような説明が書かれていました。

 岐阜大(岐阜市)で全学部共通の英語教育を集約的に担う「イングリッシュ・センター」のセンター長が、架空の出版社名でホームページ(HP)を運営していたことが分かった。
 HPでPRした自著は、英語教材として岐阜大の授業で使われている。センター長は取材に「社名を名乗れば、正式に(出版したように)見えると思った」と釈明している。
 出版社名として使われていたのは「BTB Press」(以下BTB)。本紙取材に大学側は「テキストなどの編集グループの名称だ。誤解のないよう修正するよう依頼した」と回答。今月中旬、HPからはBTBが出版社であるかのような表現は削除された。


 この社名として使われているBTBというのは何を意味するのかと思って教材現物を取り寄せてみたら、Back to Basics だということが分かりましたが、これが架空の出版社ということに、まず驚かされました。
 しかも、この架空の出版社をつくって、「イングリッシュ・センター」のセンター長であるバーカー准教授は、売上金約680万円を自分の懐に入れている疑いがあります。というのは、上記の記事では、さらに次のように書かれていたからです。

2種類の著作(税別1900円、同1700円)は本年度、英語の「話す」「書く」技能を学ぶ2科目の計67授業で使われた。受講する約1900人のほとんどが事実上の教科書として購入したとみられる。


 この記事が正しいとすると、2冊の教科書は合計3600円(=1900+1700円)で、それに1900人の人数を掛けると、684万円になります。
 このような大金を自分個人の懐に入れているとすれば、それだけでも問題なのに、それが自分のでっち上げた架空の出版社から出されたものだったというのですから、これは明らかに犯罪ではないでしょうか(会社法第7条)。
 またバーカー准教授は、センター長という地位を利用して、嘘をついて、自分の著作物を受講生全員に買わせたことになるとすれば、これは詐欺罪ではないのでしょうか(刑法246条)。
 中日新聞は、この件について、次のような説明を加えています。

 センター長は、教育学部のデイビッド・バーカー准教授(英語教育)。
 BTBのHPは「日本人英語学習者向けの教材を制作している出版社です」と記し、会社紹介の欄もあった。自身を「BTBのオーナー兼設立者」と説明していた。
 ところが、BTBの実態について本紙が問い合わせたところ、准教授は「法人登記はしておらず、会社にもなっていない。自費出版だ」と明らかにした。



 ところで、会社法第7条は次のように記述しています。

会社法 第1編 総則 第2章 会社の商号(会社と誤認させる名称等の使用の禁止)
第7条 会社でない者は、その名称又は商号中に、会社であると誤認されるおそれのある文字を用いてはならない。
会社法 第8編 罰則
第978条 次のいずれかに該当する者は、100万円以下の過料に処する。
一 第6条第3項の規定に違反して、他の種類の会社であると誤認されるおそれのある文字をその商号中に用いた者
二 第7条の規定に違反して、会社であると誤認されるおそれのある文字をその名称又は商号中に使用した者
三 第8条第1項の規定に違反して、他の会社(外国会社を含む。)であると誤認されるおそれのある名称又は商号を使用した者


 バーカー准教授がでっちあげた会社名は、BTB Pressとなっています。...Pressという名前の付け方は、明らかに出版社を名乗るものです。前述のとおり、中日新聞の記事でも次のように書かれていますから、これは明らかに「会社法」違反でしょう。

 BTBのHPは「日本人英語学習者向けの教材を制作している出版社です」と記し、会社紹介の欄もあった。自身を「BTBのオーナー兼設立者」と説明していた。
 HPでPRした自著は、英語教材として岐阜大の授業で使われている。センター長は取材に「社名を名乗れば、正式に(出版したように)見えると思った」と釈明している。


 ところがバーカー氏は、このような犯罪が明るみに出たにもかかわらず、何ら処分を受けた形跡はなく、それどころか上記の記事では、次のように釈明しています。

准教授は、自身の著作を多くの学生が購入する形になっていることについて「(授業を行う非常勤講師らに)強制でなく、推薦しただけ」と話している。


 しかし実際に非常勤講師として岐阜大学で教えた知人に尋ねたところ、「推薦しただけ」どころか、実質的「強制」だったそうです。それどころか、「大学の方針すなわちセンター長の命令に従えないものは身分を保障しない」とすら言われたそうです。
 そのせいかどうか分かりませんが、今までいた非常勤講師(日本人)のほぼ全てが、この3月で辞職したと聞きました。教えたくもない教科書を強制されることにたいする抗議の意思表明だったのかも知れません。「日本語を使うな、英語だけで教えろ」という指示も、不愉快だったでしょう。
 あるいはバーカー氏の犯罪行為に対する抗議の意思表示だったのかも知れません。というのは、、このような事件があったにもかかわらず、バーカー氏が、処罰されるどころか、相変わらず横柄な態度でのさばっていることにも嫌気がさしたのではないか、と知人は言っていたからです。
 その証拠に、岐阜大学側の態度は奇々怪々です。というのは、上記の中日新聞記事は次ような叙述で結ばれていたからです。

センターを統括する岐阜大教学担当の江馬諭・理事は「BTBが法人登記された会社でないことは認識していた。教科書として指定する場合には、しかるべきプロセスを設ける予定だ」と話している。


 何と驚いたことに、上記の記事によると、教学担当の江馬理事は「BTBが法人登記された会社でないことは認識していた」と言っているのです。江馬氏は、これが会社法違反であることを知らなかったのでしょうか。もし知らなかったとすれば理事失格でしょうし、知っていたとすれば「共謀罪」ということになります。
 いずれにしても、一刻も早くバーカー氏を辞職させることが、いま岐阜大学として最も緊急に求められていることではないでしょうか。

 ここで、もうひとつ問題なのは、学生や非常勤講師に強制的使わせた教科書のなかみです。中日新聞は学生にもインタビューを試みています。それについて同記事は次のように述べています。

著作は英語で自己紹介をしたり、簡単な英文を参考に英作文をしたりする内容。学生の中には大学レベルの教材としてふさわしいか疑問視する声もある。地域科学部1年の男子学生(18)は「中学生向けといってもおかしくない」。工学部1年の男子学生(19)は「易しすぎ、英語の勉強そのものをしなくなった」と話す。


 私が岐阜大学に勤務していたときの経験で言えば、工学部の学生は英語嫌い、英語が苦手だというのが一般的です。その工学部の学生でさえ「易しすぎ、英語の勉強そのものをしなくなった」と言っているのですから、この教科書のおおよその傾向は分かってもらえるのではないでしょうか。
 念のため私も現物を調べてみましたが、『Nice to Meet You』という教科書は、ほとんど中学高校レベルと言ってもよいものだと思いました。なぜなら文科省の新指導要領は会話一辺倒に大きく傾斜していますから、この教科書で展開されているような練習は、すでに中学高校でいやというほどやらされてきたものばかりではないかと思わされたからです。
 もちろん進学校では会話練習をあまりやらずに受験勉強ばかりやらされてきたので新鮮だったという学生もいる可能性はあります。しかし全ての学生にこのような教科書と練習をやらせることに、ほとんど意味はないと思わざるを得ません。地域科学部の学生が「中学生向けといってもおかしくない」と言ったそうですが、さもありなんと思いました。
 これは、「話す」ではなく、書く」という領域を念頭においた教科書『Read to Write』についても同じでした。というのは、この教科書は作文の初歩を教えることに焦点をおいているのですが、説明がすべて英語で書かれていることを除いては(ですから文法用語もすべて英語です)、高校の文法で習うべきことばかりだったからです。
 そもそも日本語で説明すれば短時間ですむことを、文法用語もその説明も、すべて英語を使っておこなうことに、どれだけの意味があるでしょうか。壮大な時間の無駄遣いでしょう。完了形や進行形の意味や用法を日本語で説明しても、なかなか理解させることが難しいのに、それを英語でおこなって、どれだけ教育効果があるのでしょうか。
 たとえば、“He is dying."は、なぜ「彼は死んでいる」のではなくて「死にかけている」という意味になるのでしょうか。それを、進行形というものの本義からどのように説明すれば生徒・学生は納得するのでしょうか。それを日本語できちんと説明できる教師はどれだけいるのでしょうか。まして、それを英語で生徒・学生に説明できる教師は?
 このように考えれば「英語で授業」という教え方が、いかに荒唐無稽なものか、よく分かってもらえるはずです。それはNHKの外国語講座「ロシア語」を、最初から日本語を使わずにロシア語だけで教えるということを、ちょっと想像しただけでも分かるはずです。そのような講座や授業に何人の人が参加するでしょうか。
 そもそも「英語の理想的教師は母語話者である」「英語は、英語を使って教えるべきである」などという原則は、1961年にウガンダのマケレレで開かれた「英語教育をめぐるイギリス連邦会議」で提起された、いわゆる「マケレレ5原則」をそのまま鵜呑みにしたものです。詳しくは下記を御覧ください。
*英語教師残酷物語、その1―「英語で授業」と「マケレレ原則」
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-313.html
 イギリスが旧植民地を維持するために打ち立てた原則を、なぜ日本人が後生大事に守らなければならないのでしょうか。日本はアメリカの属国としての地位を未来永劫に守り続けて行くつもりなのでしょうか。いつまで「自己家畜化」の教育政策を続けるつもりなのでしょうか。
 チョムスキーは、『チョムスキーの教育論』(明石書店2006)で、「ほとんど常に公教育は生徒・学生の家畜化を狙いとしてきた」と述べていましたが、日本の英語教育は、「日本を家畜化・属国化を狙いとしておこなわれている」と言ってよいのではないか、と最近、強く思うようになりました。
 政府・文科省はそんなことを意識し意図的におこなっているとは思いませんが、結果として、そのような働きをしているということです。自衛隊がアメリカと合同軍事演習をするとき全て英語でおこなわれますから、日本人を小さいときから英語漬けにしておくことは、アメリカにとって巨大な利点利益があります。
 (日本がアメリカその他と交渉していたTPPは、政府がもつ正式な文書は英語版しかがありません。カナダが仏語圏であるケベック州のために仏語版をつくらせたのとは雲泥の差です。ここでも日本の属国ぶりは歴然としています。どうも日本は主権国家ではないようです。)
 日本もかつて朝鮮を支配し、満州国をつくって属国化したとき、真っ先に手をつけたのが朝鮮人や満州人に日本語を強制し日本語で教育をすることでした。いま日本政府は、かつて朝鮮や満州で現地人に強制したのと同じことを、いま自ら求めて実行しようとしているのです。この点については『英語で大学が亡びるとき―「英語力=グローバル人材」というイデオロギー』で詳しく説明しました。

 大学とは本来、自分の意志・興味・能力に従って自由に自分の学びたい科目を選べるところに大学らしさがあるはずです。統一教科書・統一進度・統一テストは、高校までの授業のあり方であり、それを超えたところに高等教育としての大学教育があるはずです。ところが、岐阜大学の英語教育は、それを高校や中学レベルに引き下げるようとしています。
 大学の共通教育「英語」に統一教科書・統一進度・統一テストを持ち込んだ元凶は、東大教養部にありました。彼らは 『Universe of English』 という教科書を編集し、それを非常勤講師に強制しました。それ以降、全国の大学で統一教科書を編集し、学生・非常勤講師に強制することが広がり始めました。
 これについては拙著『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』で厳しく批判しましたし、その当時、研究社『現代英語教育』の編集長をしていた津田正さんに頼んで、『Universe of English』の編集者と対談する機会をつくってもらい、そのような方針に強い異議を唱えました(その一部始終は『現代英語教育』1993年11月号32-37頁)に載っています)。
 しかし最近、仕入れた情報では、東大もこのような統一教科書・統一進度・統一テストの制度をやめて、学生が自分の能力や興味にあった授業内容(教師・教科書)を選択・受講できる制度に戻したそうです。これでやっと大学本来の姿に戻ったと言うべきでしょう。私が上記の対談をして数年もたたないうちに、『Universe of English』の統一テストでは、カニングが横行して対応に追われているという噂を聞きましたから、当然と言えば当然の成り行きでした。
 私が岐阜大学に在職していた頃は、共通教育「英語」は担当者がどのような教科書を使い、どのような授業をするかをあらかじめ公開し、学生はそれを読んで自分の取りたい授業を選択できようにしていました。それが破壊され始めたのが、東大の統一教科書・統一進度・統一テストという制度が広く知られるようになった頃です。文科省の意向を受けて、第2外国語を必修から外し、英語に一極集中させ、大学当局が「岐阜大学も東大方式にしたらどうか」という圧力を掛けるようになってきたからです。
 しかし考えてみれば、大学どころか高校や中学でも、学年全体で「統一教科書・統一進度・統一テスト」をするというのは、本来おかしなことです。授業は教師が生徒の顔を見ながら、生徒の興味や学力に応じて担当教師が自由に教材を選んでこそ教育効果があがるものです。しかし毎回そのつど自主教材を教師が自分で編集して生徒に与えるというのは大変な作業ですから、試され済みの典型教材や市販教材を与えて、その授業の評判が良ければ、それが自然と学年全体に広まっていくというのが、最も望ましいスタイルでしょう。
 事実、学力世界一として有名なったフィンランドでは、外国語教育どころか全ての教科で教師に教育研究の自由が与えられています。もちろんフィンランドでも指導要領らしきものはありますが、それは全くの大綱を示すにすぎず、教室でどのような教材を使い、それをどのように教えるかは、担当教師の自由に任されています。しかし優れた教師の授業は強制しなくても他の教師が授業を見学に来たりして自然に広まって行きます。それどころか一時期、世界中からフィンランドへの訪問者が絶えないという状況になりました。
 ところが文科省は、検定教科書を与えて、指導要領というかたちで教え方も縛ってしまい、教育研究の自由が現場教師にほとんど認められないような仕組みにしました。その典型例が「英語の授業は日本語を使うな、英語の授業は英語でしろ」という新指導要領の方針でした。このような制度で教育効果が出ればまだ我慢もできるでしょうが、むしろ英語力が停滞どころが劣化しているのが実態です。そして、このような悪行を大学に持ち込んだ典型例が岐阜大学だというわけです。
 しかし岐阜大学をこのような事態に追い込んだのが、文科省の「英語の授業だけでなく他の科目も授業を英語でおこなえ」という方針でした。それが大学を「国際化」する最も有効な方法だというのが文科省の方針で、そのような政策を追求する大学には巨額の助成金を出すということまでやるようになりました。このような政策で大学の教育力や研究力が向上すれば、これも我慢できないわけでないでしょうが、日本の研究力がとみに劣化しつつあることは、世界に向けて発表される論文数の激減ぶりに、よく表れています。
 この事実を私はすでに下記ブログで詳細に論じて来ました。時間と興味のある方は覗いてみていただけると有り難いと思います。

*書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その5)――ノーベル賞・大隅良典氏の軌跡から学ぶ (2017/10/04)
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-303.html
*書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その4)――米国の貿易相手は今や日本ではなく中国! (2017/09/07)
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-302.html
*書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その3)――米国は共同研究に日本よりも中国を選ぶ! (2017/08/23)
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-301.html
*書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その2)――科学誌『Nature』の5つのグラフの衝撃 (2017/08/08)
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-300.html
*書評『英語で大学が亡びるとき』に寄せて(その1)――急速に失速しつつある日本の科学力 (2017/07/28)
http://tacktaka.blog.fc2.com/blog-entry-299.html

 岐阜大学で上記のような馬鹿げた制度を推進した岐阜大教学担当の江馬諭理事は、おそらく文科省の政策を良しと信じて、バーカー准教授の提言を受け入れたのでしょう。その意味では江馬氏も「英語で授業」という政策の犠牲者という言うべきかも知れません。
 しかし、「英語で授業」ということは、「外国人教師」「英語の母語話者」を優先して採用するということは、岐阜大学学生の英語力・思考力・研究力を劣化させるだけでなく、それまで英語の授業を担当していた日本人非常勤講師の首切りにつながっているわけですから、単なる被害者ではなくて、むしろ加害者でもあります。
 こうして、またもや、「英語教育残酷物語」はとうぶん終わることがないように見えます。


<註1> 日本のように日常生活で英語を使う必要にせまられない環境では、公教育で教えられるべき英語教育は、「学習言語」「研究言語」としての英語であって「生活言語」としての英語ではありません。ところがバーカー氏も江馬理事も、この自覚がまったく欠けているように思えてなりません。この二つを区別できれば、教材も教え方もまったく違ってくるはずなのですが、この区別が出来ないからこそ、バーカー氏が編集したような教科書が誕生するわけでしょう。

<註2> バーカー氏が編集・執筆したとされる教科書『Read to Write』を見ると、英語の母語話者が執筆に関わっているはずなのに、不自然な英語が散見されます。たとえば、本書の22頁では、"So"と"Because”の使い方として次のような例文が掲げられています。
(X) I put on a jacket. Because I was cold.
) I put on a jacket because I was cold.
(X) I was cold. So I put on a jacket.
) I was cold, so I put on a jacket.
 上記の英文は「寒かったからジャケットを着た」と言いたかったのでしょうが、だとすれば、 "I was cold"ではなく、"It was cold"とするのが標準的な英語表現だと思われるのですが、いかがでしょうか。
 この教科書では、このように気になる説明が散見されます。「母語話者こそ最善の英語教師である」という神話が、いかに信用ならないかの、一つの例と言えるかも知れません。


<追記1> 本日(2016/03/17)、友人からいただいた情報によると、東大の共通教育「英語」は次のようになっているそうです。

 東大生の必修英語は「英語一列、英語二列W、英語二列S、英語中級」の4つの系列に分かれ、内容は順に「読む、書く、話す、多様」となっている。
 英語一列で統一テキスト「東京大学教養英語読本」が使われる。入試成績の上位から10%、30%、60%の割合でG1、G2、G3に分かれるが、途中の試験結果でクラスが変わる。
 英語二列W(Writing)には文系向きALESAと理系向きALESSがある。
 英語二列S(Speaking)はFLOW(Fluency-Oriented Workshop)とも呼ばれ6つのレベルに分かれていて自分でレベルを選択できる。
 中級英語は教員ごとにテーマや内容が異なり、希望者が多いと抽選になる。
 統一テキストが使われるのは時間で見ると全体の25%である。以下のサイトを参考にした。   
   https://goukaku-suppli.com/archives/45557
   https://bonjintoudai.com/entry/2018/11/10/213255
   https://www.asuka-ukaru.com/entry/2018/07/15/213000

 以上の情報が正しいとすれば、「英語一列」は相変わらず「統一テキスト」が残っているようです。
 しかし、「統一テキストが使われるのは時間で見ると全体の25%」だそうですから、基本的には、これまでの「統一教科書・統一進度・統一テスト」の体制が崩れたことだけは確かでしょう。
 しかも統一教科書「東京大学教養英語読本」を使う「英語一列」にしても、前期・後期に各々1.5ヶ月のみで、グレード別に分かれ授業の仕方も違うのですから、統一進度・統一テスト」は実質的には意味を成していません。
 ところが岐阜大学は相変わらず旧体制の東大を見習おうとしているかのようです。 

<追記2> この記事を書いている現在(2016/03/17)、刑法246条および会社法第7条に違反した可能性がある人物と、それに共謀した人物は、相変わらず何の処分も受けていないようです。
 我が国のトップである安倍首相でさえ、数々の不正を働きながら、未だに辞職をしていませんから、当然と言えば当然かも知れません。元大統領パク・クネ(朴 槿恵)を刑務所に送り込んだ韓国の民主化ぶりがうらやましく見えてきます。


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狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

Author:狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

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