小出裕章氏の「変節」を喜ぶ ―「除染は意味がないし、もう福島には戻れない」という言説について

翻訳の校正が予定どおり進んでいませんし、身体の調子もあって、このブログは10日に1度くらいのペースでしか書けないと思ってきたのですが、最近の小出裕章氏の言動が大きく変化しつつあるので、記憶が鮮明なうちに書いておかないと、出典も分からなくなってしまうと思って、いま仕方なくパソコンに向かっています。

というのは今までのブログで何度か小出氏の発言を取りあげ、その問題点を指摘してきした。たとえば、7月21日(木)のブログで私は氏について下記のように書きました。

歌と映像で学ぶ私の原発学習(2)―南正人「原発小唄」、黒澤明「赤富士」(「私たちをこんな目にあわせた連中を“縛り首”にしてやりたい」)、そして広瀬隆氏らによる刑事告発へ
http://pub.ne.jp/tacktaka/?entry_id=3790771

・・・。ところで、放射能で汚染された牛肉が全国で発見され家庭でも食されていることが、最近の大手メディアでも話題になっています(しかしNHKニュースやクローズアップ現代では、ほとんど話題になっていないのが不思議です)。
 しかし考えてみれば、大手メディア(特に国策放送局と化したNHK)が「福島を食べよう」とか「福島の復興を!」とかの宣伝・煽動を重ねてきたのですから当然と言えば当然のことです。
 「汚染されたものを福島から外に出すな」「汚染されていない食品を福島へ!」と、くりかえし呼びかけてきた私としては、「何を今さら!」というのが実感です。
 もっと困ったことは、今や「反原発の英雄」「反原発のヒーロー」となっている小出裕章氏が、ラジオ番組「たね蒔きジャーナル」で、「一次産業を救うためには福島を食べざるをえない」「原発事故を起こしたのは大人の責任だから汚染された食べ物を私たちが食べよう(そして子どもを救おう)」と、くりかえし言ってきたことです。
 インターネットだけでなく民放にも登場するようになった小出氏がこんなことを言っていれば、福島の農家の人たちが「安心して」農産物や畜産物を県外に出そうとするのは、当然のことではないでしょうか。原発事故の現状分析にかけては小出氏を超える人物がいないだけに、何とも名状しがたい気分です。
 ただし、広瀬隆さんたちが東電などを刑事告発してからは、「犯罪者の東電に調査させて食物の汚染度を公表させろ」というように、小出裕章氏の言辞は若干の変化を見せ始めています(下線部に注意)。
 しかし、いずれにしても、「反原発」の運動を地道におこなってきた小出氏を、上記のように告発することは、私自身にも大きな躊躇(ためらい)がありましたが、いつも「政治は嫌いだ」と言っている氏の言動が別の大きな「政治的働き」をしているだけに、放置しておくわけにはいかないと思うようになりまし た。
 しかし、「この原発事故の責任は誰にあるか」という「責任論」は、「戦争責任」の問題とも重なって、非常に重要な問題であり、十分なスペースを取って論じなければならないことなので、今回は事実の指摘のみにとどめさせていただきます。

また8月11日(木)のブログでは、再び氏の言説を取りあげ、下記のように書きました。

(ブログのタイトルに本当は、「怒りを忘れた日本人」ではなく「怒りを忘れた小出裕章」と書きたかったのですが、「それでは余りにも小出氏が可哀想ではないか」「同士討ちの印象をブログ読者に与えるのはまずいのではないか」との意見を入れてタイトルから外すことにしたのでした。)

歌と映像で学ぶ私の原発学習(3) ―「歌を忘れたカナリア」「怒りを忘れた日本人」VS「東大教授・児玉龍彦」「俳優・山本太郎」
http://pub.ne.jp/tacktaka/?entry_id=3829276

・・・。ところで、一貫して反原発を貫いてきた小出裕章氏によって、「汚染されたものは原発を許した大人が食べるべきだ」といった発言が何度も繰り返されると、それは全く別の政治的影響を持ち始めます。
 原発反対運動の英雄によって何度も繰りかえされるこのような発言は、政府と東電はさぞかし大喜びでしょう。氏の発言は政府と東電に絶好の「免罪符」を与えることになりかねないからです。
 他方、衆議院厚生労働委員会の参考人として、「私は法律を犯しています!」「いったい国会は何をしているのか?」「国の原発対応に満身の怒りを表明します!!」と怒りをあらわにした学者もいました。

動画:東大教授・児玉龍彦、国会で怒りの訴え(2011/07/27、約16分)
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/07/blog-post_29.html

 「御用学者しかいないのか」と東大への幻滅感が広がりつつあるときだっただけに、児玉氏の怒りの声は、ツイッターなどを通じて、日本全国に共感の大津波を広げました。
 しかし小出氏の発言には上記の児玉氏のような怒りが感じられないのです。原子炉をめぐる分析の鋭さに感心しつつも、「たね蒔きジャーナル」を聞くたびに、それが私を大きく失望させてきました。
 それに引き替え、怒りをかたちしながら子どもを守るために奔走する俳優・山本太郎氏の真摯な発言と行動は、私に何か未来に明るさを感じさせました。約30分にわたるものですが、時間を見つけてぜひ見ていただきたいと思います。

山本太郎が見た“福島の現実”(2011年7月21日、32分)
http://www.dailymotion.com/video/xk1bxv_20110720-yyyyyyy-yyyyy_news

(「騙した連中よりも騙された方に責任がある」とも受け取られる小出氏の言説については時間をかけてゆっくり詳しく論を展開しなければならないのですが、今日はこれで力が尽きましたので、機会を改めて書きたいと思います。)

私が上記で、「原子炉をめぐる分析の鋭さに感心しつつも、『たね蒔きジャーナル』を聞くたびに、それが私を大きく失望させてきました」と書きましたが、その典型例をひとつだけあげるとすれば、6月21日(火)の下記「たね蒔きジャーナル」でしょう。

海の汚染を調べれば漁師の生活を壊す。私は躊躇する。
http://hiroakikoide.wordpress.com/?s=%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%B1%9A%E6%9F%93

この中で氏は次のように語っています。[氏の発言は毎回、「小出裕章(京大助教)非公式まとめ」というブログで文字起こしされているのですが、この回だけは要約だけが載せられていましたので、それを以下に転載します。]

水野アナ:
 被災地の漁港。海の大量の瓦礫を引き上げていた。再開のためには船が必要。億単位のお金の投資をしなくてはいけない。これまでどおりの商品価値の魚は採れるのか。放射能の汚染について伝えにくかった。どう思うか。

小出裕章:
 私も言えないと思う。現在の海の状態を調べる一番有効な手段は海藻を調べること。 ずっと伝えてきたが。原子力発電所から距離ごとに100メートル、200メートル、あるいは500メートル、1キロというように海藻を調べていく。どの距離までどれだけの汚染が到達しているかを概算だが把握できる。
 ただこれを行うと、どこまで漁ができるか、商品価値のある漁業ができるか、が歴然と分かってしまう。そうなると私自身は福島の一次産業を守りたいと思っているので、どんな汚染があっても日本人として買い支えなくてはいけないと思っているし、今まで通り漁をして欲しいと思っている。だが実際汚染がわかると、日本の人たちは買わない方向に走る事は疑い得ない。汚染を調べることがいいことなのかどうなのか。漁師の生活を壊す方向になる。私としても躊躇がある。
 私自身は科学という場に携わっている人間。正しい情報が命です。他の皆さんに比べても、私はどうしても正しい知識を知りたいし、正確に公表したいと思っている。それでも今の段階でそれをすると、福島の農業漁業が崩壊するおそれがある。なんとか買い支えよう食べようと呼びかけているが、そんなことが 実現できるかには自信がない。立ちすくんでしまうという現実がある。

私はこのときも、この番組を音声で聞いていました。いつもは明るい調子でするどい質問を投げかける水野アナウンサーが、今度ばかりは少しトーンを落として次のように質問しているのです。

「取材で漁港へ行ったが、そこで漁業復興の意気に燃えている漁師さんに、そこは高濃度の放射能で汚染されている恐れがあるんではないですか。復興にかける努力・お金が無駄になりはしませんかと言いたかったが、胸が痛んで最後まで言えなかった。しかし科学者である小出先生はいかがですか」と

彼女としては「子どもたちを守るためには、大人は汚染物を食べなければならない。そのためには農産物の汚染度を調べなければならない」と言っていた小出氏だから、「でも測るべきだ」と言ってくれるものだとばかり思っていたのに、その氏からまさか「測ると福島の農業漁業が崩壊するおそれがある。だから私は立ちすくんでしまう」という答えが返ってくるとは夢にも思わなかったのではないでしょうか。

私の思い過ごしかも知れませんが、だからこの日の彼女は、最後を消え入るような声で「ありがとうございました」と締めくくっていたのが印象的でした。彼女にしてみれば、「もし汚染度を調べることによって漁業が崩壊するおそれがあるのであれば、農業についても全く同様ではないか・・・」という釈然としない思いが残ったからではないでしょうか。

彼女の疑問は当然でしょう。「汚染された農産物については(汚染度を調べた上で)大人が引き受けるべし」というのが氏の主張なのであれば、海産物についても同じはずです。逆に、調べることによって漁業が崩壊するのであれば、「農産物は調べた上で大人が食べろ」という主張は、なぜ農業を崩壊させないのか、と誰しも思うからです。

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私にしてみれば「大人は食べろ」という主張も理解し難い論理です。普通の平均的家庭で大人と子どもの両方を別々につくる時間的かつ金銭的ゆとりのある家庭は、日本にどのくらい存在するのでしょうか。

お金持ちでお手伝いさんなどを雇うことができる裕福な家庭であれば、そんなことも可能でしょうが、そもそもお金持ちは汚染された食べ物など絶対に買わないでしょう。どんなにお金がかかっても汚染されていないものを、通販などあらゆる手段を使って手に入れるでしょう。

旧ソ連では汚染されていない食料を外国から輸入して被災者に配るということもやったそうですから、お金持ちは外国から輸入したものを食べているかも知れません。それどころか、子どもを外国へ避難させているかも知れません。こうして「大人は食え」と言っている限り、弱者・貧困者だけが汚染食料を食べることになっていく恐れがあります。

(旧ソ連では、汚染されていない食料を買うために、毎月、補助金すら支給されていた事実があります。)

だからこそ私は何度もこのブログで下記の三つを緊急の取り組みとして呼びかけたのでした。
(1)汚染されたものを食べようと呼びかけるのではなく、逆に汚染されていない農産物や海産物を東北・関東地方に届けて、住民の生命と生活を守ること
(2)国や自治体の力で住宅を用意し、高濃度の放射能に汚染されている地域の住民を集団疎開・集団移住させ、一刻も早く義援金や賠償金を「前倒し」して、それを被災者に届けること
(3)それと同時に、将来の「被曝訴訟」に備えて被災地の住民全員に「被曝手帳」「被曝証明書」を配布し、いつ・どこで何日いたかを記録させること、既に移住してしまっている人たちにも、移住先を追跡調査して、「被曝手帳」を必ず届けること


ところが、ほとんど毎回この「たね蒔きジャーナル」を聴いていても、小出氏の口から「汚染されていない農産物や海産物を東北・関東地方に届けよう」ということばが出てくるのを一度も耳にしたことがありません。

また「子どもだけは守らなければならない」ということばは何度も耳にしましたが、「高濃度の放射能に汚染されている地域の住民を集団疎開・集団移住させよう」「せめて子どもだけでも学童疎開させよう」ということばも、氏の口から出てきたことは、私の知る限り一度もありませんでした。

福島県郡山市の小中学校に通う子ども14人が郡山市に対し安全な地域に学校ごと集団疎開するよう求める裁判の第1回審理が7月6日に行われましたが、このような動きを支援するということばも、私の知る限り、氏の口から出てきたことは一度もありません。

それに反して、市民による放射能測定所を設け一貫して学童疎開を呼びかけてきたのは、広瀬隆・広河隆一氏らのグループでした。

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しかし、広瀬隆さんたちによる政府・東電などの刑事告発があってから、小出氏の言動は若干の変化を見せ始め、さらに8月22日(月)あたりから、氏は突然、「除染はしても意味がない。除染はできない」「本当はもっともっと深刻な汚染なんだと国はまずは言わなければいけない」「少なくとも50キロ離れた飯舘村までは人が戻れるレベルではありません」と言い出したのです。

「本当はもっともっと深刻な汚染なんだと国はまずは言わなければいけない」
(STVラジオ2011年8月22日)
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/08/25/stv-aug22/

「汚い国。少なくとも50キロ離れた飯舘村までは人が戻れるレベルではありません 」
(MBSラジオ「たね蒔きジャーナル」(毎日放送)2011年8月22日)
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/08/23/tanemaki-aug2-2/

「高濃度の下水処理場汚泥などは石棺や地下バウンダリーの材料にすればよい」
(MBSラジオ「たね蒔きジャーナル」(毎日放送)2011年8月22日)
http://hiroakikoide.wordpress.com/

しかし、小出氏による「大人は食べるべきだ」との声に励まされて、今まで畑や田で野菜や米を作ろうと意気込んでいた人たちは、小出氏の「少なくとも50キロ離れた飯舘村までは人が戻れるレベルではありません 」と言われて、どんな気持ちがしたでしょうか。

耕作地の汚染された表土をひっくり返したり表土をはぎ取ったりしながら野菜や稲作に励んできた農民にとっては、今さら「本当はもっともっと深刻な汚染なんだ」「人が戻れるレベルではありません 」と言われたんでは、立つ瀬がないでしょう。怒りを通り越して、ことばも出ないのではないでしょうか。

しかも、「本当はもっともっと深刻な汚染なんだと国はまずは言わなければいけない」ということばを聞いて、私は思わず耳を疑ってしまいました。この「国」ということばを「研究者」「科学者」ということばに代えて、そのまま小出氏にお返ししたいと思ったからでした。

というのは、政府3キロ地点は帰宅できないほど高濃度汚染地域になっていることを政府が発表にしたことに関して、驚いたことに、小出氏は、8月22日の「たね蒔きジャーナル」で、次のように言っているのです。

「汚い国。少なくとも50キロ離れた飯舘村までは人が戻れるレベルではありません 」
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65759478.html

水野 「はあー、で、この発表がなんで今なんだろうかと、思うんですよ。これは今にならないとわからないものなんですか」
小出 「いいえ、とっくに分かっていました」
水野 「だいたい何月頃にだったらわかって…できるだけ早く皆さんにお伝えしようとしたら、何月頃に発表できるものだったんですか。」
小出 「もう3月中には分かっていました」
水野 「ああ、3月中には計算できるものなんですね」
小出 「はい」
水野 「なんで今なんですか?」
小出 「言いたくなかったんでしょうね」
(中略)
水野 「ただですね、ラジオネーム・こーらるさんごうさんという方がこういう1句(ママ)下さっております。『今頃に、なってやっぱり、だめという』。つまり、えーまあ、もう戻れるかも知れないというような淡い期待だけを持たせて、今度はもしかしたら最低10年帰れないところもあると、いうような話になってきているわけですよね」
小出 「はい。最低ではありません。何十年、100年、200年という単位で帰れません。」
水野 「はあー、じゃあ、人間の一生から見たらずうっと帰れない…」
小出 「1人の人間から見れば、もう一生です」
水野 「でもそのことを国が言いませんやん」
小出 「汚ない…」
水野 「いかにも何年かしたら帰れそうですし。早い人はもう9月にも帰れそうではないですか」
小出 「はい。汚い国だと私は思います」
水野 「でも本当にもし、どっかの地域を除染して、帰れるということで、帰してしまう可能性もありますよね、国は」

上記の小出氏のことばからすれば、「帰れない」ことは「もう3月中には分かっていた」のです。

そして「戻れるかも知れないというような淡い期待だけを持たせて、今度は最低10年は帰れないところもあるというような話になってきている。でもそのことを国は言わなかった」という水野アナウンサーのことばを受けて、小出氏は「はい。汚い国だと私は思います」と述べているのです。

しかし、「帰れない」ことは政府にも「3月中には分かっていた」とすれば、原子炉の研究者である小出氏にも同じことが言えるはずです。ところが毎回の「たね蒔きジャーナル」を聞いてきたつもりの私が、これまで一度たりとも氏の口から「帰れない」ということばが出るのを耳にしたことはありません。

沖縄の集団自殺や満州の残留日本人孤児を例にあげながら、私はブログで何度も「これまで国家は国民を守ったことがない」と述べてきましたから、国家が「汚い」ということは私もよく知っているつもりですが、「3月中には分かっていたのに国民にそれを言わなかった」ことを理由に小出氏が国家を「汚い」と評するのであれば(そして事実それは「汚い」行為なのですが)、「では小出氏はどうだったのか」と、どうしても問い詰めたくなるのです。

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では今頃になって、なぜ小出氏は「除染はできない」「自宅に戻ることもできない」と言い出したのでしょうか。

それは私が推測するに、7月28日の衆議院厚生労働委員会で東大教授・児玉龍彦氏が「七万人の人が自宅を離れて彷徨っているときに国会は一体何をやっているのですか」と満身の怒りを込めて政府と議員を告発し、それが大きな反響を呼んだたことが一因になっているのではないかと私は思っています。

児玉氏は上記の委員会で現地における自分の除染体験を述べつつ、「今のままだと除染は利権がらみの公共事業になりかねない危惧を私はすごくもっております。国の財政事情を考えたら、そんな余裕は一瞬もありません。どうやって除染を本当にやるか」と訴えましたが、それを受けて今や「除染、除染」の大合唱という観すらあります。

小出氏は、このような新しい流れに危機感を感じて、ついに重い腰をあげて「除染はむりだ」「帰宅もむりだ」と声を上げ始めたのではないか。これが私の推測です。

私は、前回8月21日の下記ブログで紹介したように、チェルノブイリの経験からすれば、高濃度汚染地域では「除染」ではなく、「集団移住」や「学童疎開」、あるいは旧ソ連で実施したような、「被爆者」たちだけでつくる「新しい街」づくり以外にないと思っています。

チェルノブイリの教訓 ― 復興へのヒント「新しい街」スラブジチの建設、 ECRRからの警告 ―首都圏を含む200キロ圏内で今後10年間で20万人がガンを発病する!!
http://pub.ne.jp/tacktaka/?entry_id=3848007

莫大な経費をかけても、25年後の現在、放射能のレベルがほとんど下がっていないチェルノブイリの経験から、私たちはもっと学ぶ必要があります。

ですから、小出氏が「除染はむりだ、できないのだ」とハッキリ言い始めたことは大きな前進だと思っていますし、この「変節」を喜びたいと思いますが、あたかも「汚れている」のは「国・政府」だけであるかのような言説は、氏の評価を大きく下落させるのではないかと恐れています。

国・政府だけでなく、おそらく小出氏も「帰れない、戻れない」ということは分かっていたはずなのですから、そのことを自己批判した上で政府を「汚い」と言うべきではなかったでしょうか。

さもなければ、「政治が嫌いな」小出氏の言動が今や大きな政治的意味をもつようになってきているだけに、今後の「真の復興」の妨げにもなりかねません。

この教訓をふまえて、願わくば、「原発事故を引き起こした責任者として、大人は汚染食品を食べるべきだ」という言説にたいしても氏の建設的「変節」を願わずにはいられません。

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<註1> 原発事故にたいする「大人=責任」という論については、、汚染された瓦礫の処理とも深く関わる問題ですので、別に詳しく論じる必要があるのですが、今は時間的肉体的にそのゆとりがありません。いつになったら、その責任を果たせるか分かりませんが、必ず書きたいと思っています。
<註2> 小出氏は、「除染はできない」「家には戻れない」と言い出したら福島県民全体を移住させなければいけないことになり、それでは国家が破産すると考えて、今まで言い出せずにいた可能性もあります。しかし、それでは政府と全く同じレベルになり、「国は汚い」などと批判すれば、「天に唾するもの」ということになるでしょう。
<註3> それにしても第2のノーベル賞と言われる「ライト・ライブリフッド賞」を受賞し、原子力資料情報室(CHNIC)の代表として活躍してきた故・高木仁三郎氏が、この福島原発事故の時にまだ生きていれば、反原発・脱原発の運動はもっと違った様相を呈していただろうに!と残念でたまりません。
<註4> 詳細は省きますが、戦後の廃墟=焼け野原から現在の日本をつくりだしたことを考えれば、現在の技術力を活用して「第2の敗戦」と言われる現状を立て直すことは、あの当時ほど困難だとは思えません。しかし、ただでさえ疲弊している庶民をさらに鞭打つような「復興税」では復興=景気回復などあり得ない。このことだけは確かでしょう。ではどうすればよいのか。それについても今回は割愛せざるを得ません。
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狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

Author:狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

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