戦争責任と原発責任――誰がどんな順に「戦争や原発の責任」を負うべきなのか

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http://passion-fruit.blog.so-net.ne.jp/2012-06-23 (出典)
<註>上記の説明では「移住権利ゾーン」「移住義務ゾーン」しか書いてありませんが、「放射能管理ゾーン」を入れれば、九州は別としても関東以南のほとんど全てが管理ゾーンになるでしょう。

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今後の抗議運動については下記のような便利なサイトがありますので、ぜひそれを御活用ください。

脱原発デモ集会の開催情報
http://www47.atwiki.jp/demomatome/

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前回のブログで「私の推測=仮説では、原発を裏で推進している勢力は次の三つであり、野田首相はこの裏勢力が担ぎ出した単なる御神輿(おみこし)に過ぎない」として、下記のように書きました。

第1勢力:平和憲法を改悪し(仮想敵国として中国・北朝鮮の脅威を煽り立てながら)日本を核大国=軍事大国にしたいと思っている政治家その他
第2勢力:原発を輸出することによって巨大な利益を得ようとしている巨大企業(これは同時に日本を兵器輸出ができる国にしたいと思っている勢力です)
第3勢力:「原子力ルネサンス」というスローガンを掲げながら、ブッシュ氏ですらやらなかった原子力産業に乗り出したアメリカ=オバマ政権

そして前回のブログでは、日本=野田政権がアメリカ=オバマ政権の傀儡(かいらい)になっていることを、ヒラリー国務長官の発言と、原発事故直後の日本政府による行動で、検証してきました。

さらに7月23日(月)、住民の意向を無視して垂直離着陸輸送機オスプレイの配備が米海兵隊岩国基地(山口県岩国市)に強行搬入されたことで、日本=野田政権がアメリカ=オバマ政権の傀儡(かいらい)になっていることが改めて明らかになりました。

しかし今回のブログでは、別の観点から、もう一度「なにが脱原発を妨げているのか」を考えてみたいと思います。

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前回のブログでも書いたように、『肉声でつづる民衆のアメリカ史』の翻訳出版の疲れが出たのか、正直なところ、私は今もあまり体調が良くありませんし、ブログも本来の目的である「英語教育や国際理解(とりわけアメリカ理解)」のほうに徐々に重点を移していきたいと思っています。

しかし、原発事故=「日本沈没」という危機を目の前にしていると、なかなかそうもいかず困っています。ましてや、「おおい原発の再稼働」の要望書が地元おおい町や福井県の側から出されたニュースを聞くと、やはりどうしても書かずにはいられない気持ちになってきます。

というのは、他の人があまり書かないことで、言っておきたいことがあることに気づいたからです。それは原発事故が起きたときの責任を誰がどんな順にとるかということです。このことが明確に自覚されていないから、上記のような地元の動きになっているのではないかと思うからです。

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福島原発事故が起きて、その責任を問う運動が起きていますが、その焦点は東電や政府に向けられています。東電の株主総会で、株主が経営者の責任を厳しく糾弾して、その退陣を求めたのも、その一貫でしょう。

しかし、株主が「今回の事故のため東電の株価が大きく下落したから責任をとれ」と言うだけだとしたら、何かが間違ってはいないでしょうか。今回の原発事故で東北・関東どころか東海・北陸地方まで死の灰が撒き散らされたのは明らかです。

地下鉄サリン事件で猛毒をばらまいたことで最初は無実のひとが刑事責任を問われ、それがあとで「オーム真理教」という宗教団体の仕業ということが明らかになり、死刑を含む強い求刑がおこなわれたことは周知の事実です

(ただし発達した資本主義国で「死刑」という制度があるのはアメリカと日本だけです)。

もしサリンという猛毒をばらまいただけでこれだけの罪に問われるのであれば、放射能という「サリンよりもはるかに強力な猛毒」をばらまくことに手を貸したひとたちは、もっともっと重い罪に問われるべきでしょう。

東電という会社が「サリンよりもはるかに強力な猛毒」をばらまいた直接の下手人だとしても、そのような会社に資金を出して悪行を手助けした責任は、株主にはないのでしょうか。

かつて南アフリカ共和国がアパルトヘイトという残酷な黒人差別制度を維持していた頃、「そのような残酷な制度を維持している南ア政府と貿易をしている企業には出資するな」という強い運動がアメリカの大学で広がりました。アメリカの大学では株を購入して経営資金にあてているところが少なくなかったからです。

だとすれば、株主が総会で「今回の事故のため東電の株価が大きく下落したから責任をとれ」「俺は損をしたから弁償しろ」というだけだとしたら、どこか倫理観に問題があると言えないでしょうか。死の灰を日本中にばらまくことに手を貸した自分をも糾弾しなければ、公正を欠きはしないでしょうか。

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同じことが原発を受け入れた自治体にも言えはしないでしょうか。確かに原発事故が起きたとき、死の灰を真っ先に浴びたのは地元の住民でした。その意味では死の灰の「被害者」であることに間違いありません。

しかし、他方で事故を起こす可能性がある原発を受け入れたことで、その自治体(および自治体住民)は、死の灰を撒き散らす「加害者」にもなることを引き受けたのではないでしょうか。

(福島の場合、死の灰の90%が幸いなことに海に流れました。しかし福井の場合、福島の9倍が京都・滋賀・大阪その他の陸地に撒き散らされるのです。そのことをどのくらい地元自治体は自覚しているのでしょうか。)

もちろん住民の中には一貫して原発に反対して村八分にされ、その結果「沈黙を強いられた」ひとも少なくありません。東電の札束攻撃や政府お抱え御用学者の甘言に屈したひとも多かったことでしょう。

しかし,だからといって「原発を受け入れたことによって、事故時には他地区にたいして加害者にもなる」責任を免れたわけではないでしょう。

(これは、東京大空襲や広島・長崎の被害者が、日本がアジアにとって侵略者=加害者であったという事実を覆い隠すことができないのと同じでしょう。)

逆に、そのことの自覚がないからこそ、おおい町や福井県のように、臆面もなく再稼働の要望書を出してくることになるのではないでしょうか。

(これは日本政府が、中国や朝鮮にたいしておこなった戦争責任を認めて正式に謝罪しないどころか、ことあるごとに反中国・反北朝鮮の世論をつくって平和憲法を破壊し、核大国・軍事大国になろうとしているのに似ています。)

(また、これは日本政府が、アジア太平洋戦争の末期に、「集団自決」など沖縄住民に多大なる犠牲を強いたにもかかわらず、いまだにそれを正式に認めようとしないことにも通じるものです。)

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この「被害者」であると同時に「加害者」であるということを明確にしないかぎり、再稼働要請の自治体を批判することは、困難を極めることになるでしょう。

他方、原発の受け入れ自治体が「加害者」にもなりうることが明確になれば(震災の瓦礫を日本全国にばらまくことは、「加害責任」を二重に犯すことになりますから)おいそれと「再稼働してくれ」とは言いがたくなることは明らかです。

福島を援助することは放射能に犯された瓦礫を引き受けて死の灰をさらに全国にばらまくことではありません。むしろ放射能による汚染度が低い地域から、害の少ない食べ物を福島に届けることであるべきです。

それどころか、双葉町がおこなったように、一刻も早く福島から住民を集団疎開させて、被爆者を少しでも少なくすることです。集団疎開がむりなら、個人でも疎開できるように、政府が援助すべきでしょう。

放射能に汚染された瓦礫は、事故現場から移動・拡散させてはならない。これがチェルノブイリ事故の教訓だったはずです。「除染」効果がほとんどないこともチェルノブイリで実証済みのことではないでしょうか

(スベトラーナ・アレクシエービッチ(松本妙子・訳、2011)『チェルノブイリの祈り―未来の物語』岩波現代文庫を参照してください)

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<閑話休題> 時間にゆとりがある方は、次の「世の中に向けて怒りと愛を込めてのメッセージソング」を聞いてみてください。

FRYING DUTCHMAN "humanERROR" (17分)
http://www.youtube.com/watch?v=Q5p283KZGa8&feature=related
 京都を拠点に活動するFRYING DUTCHMANの鴨川ライブです。英訳の字幕が付いていますが、もっとよい英訳がありそうです。生徒・学生に挑戦させてみたらどうでしょう。

FRYING DUTCHMAN 「Human Error」
http://www.youtube.com/watch?v=W60k4ygB-h0
 映像がないだけ逆にメッセージが直接、響いてきます。「世界中が日本の原発処理に熱い視線を注いでいる」「日本のアーテイストがこの事態にどう立ち向かうかを世界が見つめている」というメッセージが迫力を持って訴えてきます。この曲は上記の問いにたいする自分なりの答えなのでしょう。

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これらのことを考えるようになったのは、小出裕章氏の反原発講演を映像で見たことがきっかけになっています。

その映像では小出氏が講演の冒頭で「このたびは私の努力が至らず、このようなことになり申し訳なく思っています」と挨拶していました。

それどころか小出氏は「原発事故を起こした責任はおとなにあるから汚染食品はおとなが食べましょう」とすら言っていたのです。そのことばを聞いたとき何とも言えない違和感を感じました。

小出氏の言辞は、「アジア一帯を軍事侵略した責任は、それを認めた国民全体にあるのだから」と言って、当時の日本政府が犯した罪をまったく免罪する、いわゆる「一億総懺悔」と同じことばに、私には聞こえました。、

子どもを守るために「放射能に汚染された食品はおとなが食べろ」という言辞は、聞こえは非常によいのですが、大人と子どもの食事を別々につくることができる(時間的にも経済的にも)豊かな家庭は、この日本のどこに、どれほど存在するのでしょうか。

私の主宰する研究会の会員には,小出氏の「このたびは私の努力が至らず、このようなことになり申し訳なく思っています」「原発事故を起こした責任はおとなにあるから汚染食品はおとなが食べましょう」ということばに、「しびれてしまった」と述べた会員もいたことも私には信じがたいことでした。

金と権力で原発を強行した政府・電力会社を糾弾することなく、まず自分の力が至らなかったことや大人の責任を云々することは、外目には美しい言動に映るでしょうが、そのことが今の「おおい町や福井県の言動」につながっているとしたら、「しびれてしまった」と手放しで喜んでいるわけにはいかないと思うからです。

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小出氏が反原発に全勢力をかたむけてきた人物であることは誰しも認めることでしょう、しかし、そのことと「このたびは私の努力が至らず、このようなことになり申し訳なく思っています」という言辞を認めることは別のことです。

そもそも原発を止める運動が誰か個人のちからで可能だと思っていたとしたら、それこそ傲慢だと言うべきでしょう。

能登半島の志賀原発が建てられようとしていたとき、私も建設阻止のため何度も現地まで足を運び、地元の老人が法律や原子力の勉強をしているのを目にして、これこそ本当の学問だと思ったものでした。

脱原発は個人のちからや裁判闘争だけでは、勝利できません。裁判闘争が勝利できるのも、裁判所にどれだけの傍聴者が詰めかけるか、裁判所の外でどれだけのひとが抗議集会に集まるか、にかかっています。

(そのことを証明するのが、公民権運動を初めとするアメリカの民衆運動でした。『肉声でつづる民衆のアメリカ史』明石書店には、それを実証する数々の運動と、その苦闘を語る民衆の、胸を打つ体験に充ち満ちています。)

にもかかわらず、原発を阻止できなかったことを自分個人の問題にしたり、それとは一挙に飛躍して「大人一般」の問題にしているかぎり、受け入れ自治体の「加害責任」を彼らに自覚させることに成功するはずはありません。

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小出氏は原発事故の直後から、「集団疎開」や「移住する権利」をはっきりと明言してきませんでした。

私が氏の言動を「小出裕章非公式まとめ」というサイトで追いかけてきたかぎりでは、氏は「老人が見知らぬ土地に移住しても孤独な生活や困難が待っているだけ」と言わんばかりの言辞が繰り返されるだけでした。

それに反して,俳優・山本太郎氏は一貫して「サテライト疎開」を呼びかけて、東西奔走してきました。

確かに「見知らぬ土地に移住しても孤独な生活や困難が待っている」という現実はあるでしょう。しかし、だからといって「集団疎開」や「移住する権利」をはっきりと明言することを避ける必要はないはずです。

それでは、子どもをかかえた家族は、その老親と一緒に共倒れしなければならないのでしょうか。孤独な老人をどう守るかは、それこそ移住を受け入れた地域や政府・自治体が考えることであり、それこそが福島にたいする真の援助と言うべきでしょう。

25年後のチェルノブイリを見れば分かるとおり、そこはひとの住める場所ではありません。たしかに移住した地になじめず、ここに戻ってきて自給自足をしている老人はいますが、それは全くの例外的存在です。

細野原発担当大臣への提案(1/2)/チェルノブイリの教訓②
http://www.dailymotion.com/video/xke428_yyyyyyyyyyyy-1-2-yyyyyyyyyyy_news
細野原発担当大臣への提案(2/2)/チェルノブイリの教訓②
http://www.dailymotion.com/video/xke45d_yyyyyyyyyyyy-2-2-yyyyyyyyyyy_news

チェルノブイリでは老人を定期的に訪れて援助する警官(兵士だったかも?)がいますが、日本政府は家族が戻ってきて警官(兵士)の代わりに世話をしろと言うのでしょうか。共倒れしろと言うのでしょうか。

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以上のことは、「除染」についても言えます。小出氏が「除染は効果がない」と言い始めたのは、東大教授・児玉龍彦氏が「国の原発対応に満身の怒りを表明します!私は法律を犯しています!」と国会で怒りの訴え、除染の訴え(2011/07/27)をしてからでした。

つまり小出氏はチェルノブイリの経験から、除染が効果ないことを以前から知っていたのです。にもかかわらず氏は「集団疎開」や「移住する権利」をはっきりと明言せず、その代わりに「大人は福島を食べよう」と言い続けきました。

以前の本ブログでも紹介したように、氏は「海の汚染を調べろというのも、漁民のことを考えるとつらい」とも言ってきました。

原発の研究者として「除染が効果なし」と知っていたのであれば、もっと早くにそのことを指摘し、除染で無駄に使われる膨大なお金を、被爆者が移住するための援助に使うべきだと、なぜ氏は主張しなかったのでしょうか。

今も福島には移住を権利として認められないために、やむなくそこに居住することを強いられている多くの住民がいます。

お金にゆとりがあるひとたちは、自由に家族を沖縄や外国に移住させることもできますし、どうしても「ここに残って自給自足の生活をしたい」という老親を援助することもできるでしょう。福島県外から汚染の少ない食品を送り届けることも可能でしょう。

しかし、そんなことが一般庶民にできるでしょうか。こんなことを考えると腹が立ってきて、それ以来、私は「小出裕章非公式まとめ」というサイトを視聴することをやめました。ですから、いま小出氏がどのような見解や行動をとっているかを私はあまり知りません。

今は氏の言動に変化があるのかも知れません。しかし氏の「フクシマを食べよう」といったような初期の言動が、現在の日本全体にわたる広範囲の「瓦礫受け入れ」の素地をつくったことは疑いようのない事実だと私は思っています。

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要するに私がここで言いたかったことは、原発を新設したり再稼働を許す自治体は、自分が国民の「加害者」になることを自覚しなければならないし、事故が起きたときには汚染された瓦礫を他人に押しつけたりせず、自分が引き受ける覚悟をしなければならない。それが「加害者」としての責任の取り方であろう、ということでした。

また、放射線量が高すぎて「除染」がむだな地域があることを知っていながら、それをハッキリと言わない科学者は、今まで「原発は安全です」と言って国民をだましてきた政府や東電と基本的には同じ立場に立っていることになりはしないか、ということでした。

除染が可能であるということになれば帰郷も可能であるということになり、帰郷しないで新しい道を探ろうと思っていた被災者はいつまでも自分の未来を決断できないからです。

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このように書くと、「おまえは反原発で頑張ってきた小出氏を批判しすぎだ」と言われるかも知れません。

しかし小出氏は、あれだけ反原発の闘士として英雄視されているのですから、その氏がとる言動は、たとえささやかなものであっても、脱原発運動の今後を左右する非常に大きな影響力を発揮します。

このことが本ブログで原発問題をとりあげるたびに私の心にずっと引っ掛かってきました。だからこそ、一度は小出氏の言動をきちんと検証しておく作業は欠かせないと思ったのです。

最近も車で走りながらラジオを聞いていると「瓦礫を受け入れることが福島や東北を支援することであり、それを受け入れないのはひとにも劣る行為だ」ということが大声で叫ばれています。

このような意見を耳にするたびに、一度は小出氏のことをきちんと述べてからでないと、私のブログの焦点を英語教育や国際理解に移せないと思うようになりました。

日本の大半が「住めない土地」「食えない土壌」になってからでは、英語教育や国際理解をどう論じようが、まったく「意味なし」だと考えるからです。

英語なんか知らなくても日本で生きていけますが、原発について知らなくては生きていけない日本になっているのです。

そのことを英語教師にもぜひ知ってほしいと思います。「英語で授業!」などと大騒ぎしている場合ではないのです。

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<註1> 本当は、沖縄と福島の「犠牲」は同じかという問題や、原爆投下や東京大空襲といった「アメリカの戦争犯罪」を免罪してきた日本政府が、南京大虐殺や731部隊、従軍慰安婦、沖縄の「集団自決」などといった「日本の戦争犯罪」をも同時に免罪することをおこなっている問題など、論じたいことは多いのですが、もう十分に長くなりすぎていますし、私の気力・体力も尽き果てましたので、別の機会にしたいと思います。

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<註2> 本稿を書き終えたあとで下記のような優れた論考があることを知りました。私と違った観点で似た結論に達しています。
* 大飯原発再稼動に賛成・容認するおおい町と福井県の皆さんへ(06/17)
http://hirookay.blog.fc2.com/blog-entry-31.html
* 大飯原発再稼動に賛成・容認するおおい町と福井県の皆さんへ(要約版、06/23)
http://hirookay.blog.fc2.com/blog-entry-32.html
 筆者は岡山博氏(仙台赤十字病院呼吸器科医師、東北大学臨床教授)です。 
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狐狸庵居士(田舎の国立大学を2010年に定年退職)

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