脱原発の夏〜お盆でも熱い永田町と霞ヶ関、読者からの嬉しい便り "ハワード・ジン『肉声でつづる民衆のアメリカ史』と、訳者「あとがき」、そして私”

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「再稼働反対」官邸前行動〜9歳の少年が堂々と野田批判(8月10日)

http://www.youtube.com/watch?v=i-rRd37i2qM&feature=youtu.be
(動画3分強)
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お盆で故郷に行っていました。このお盆の最中でも官邸前の「金曜行動」が続くのだろうかと心配していましたが、OurPlanetTVは「脱原発の夏〜お盆でも熱い永田町と霞ヶ関」と報じていましたし、「レイバーネット日本」も次のように報じていてホッとしました。

<お盆休みの終盤でとりわけ暑さが厳しかった8月17日(金)。この日も官邸前・国会前・経産省前・環境省前など霞ヶ関一帯で、多くの人たちが手製のプラカードを持参し「原発再稼動反対」「規制委員会人事案撤回」の声を上げた。いつもより人数は少なめだったが、参加者の怒りと真剣度はまったく変化なく、金曜デモが確実に定着したことを示していた。>
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1424
http://www.labornetjp.org/news/2012/0817

この一週間前の8月10日の金曜行動では9歳の少年がマイクを握って、脱原発を訴えただけでなく、「消費税反対」「野田内閣批判」までおこない、参加者を驚嘆させました(聴衆に大きなどよめきが起きました)。

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私は以前から「官邸前の金曜行動」に賛同しつつも、主催者による「抗議行動のありかた」や「フリースピーチのありかた」にひとつの大きな疑問を感じてきました。

それは主催者が「脱原発」以外の発言を許さなかったり、参加者がもっている脱原発を訴える旗や幟(のぼり)にグループ名や組合名を示すことを許さない、厳しい規制をかけていたからです。

アメリカのニューヨークを拠点として広がった「占拠」運動は若者を中心とした個人やグループの運動として全国に広がって行きましたが、その運動に労働組合が参加してくることを大歓迎していました。

というのは労働組合は初め、この「占拠」運動を冷ややかな眼で見ていたからです。しかし、「我々99%は、1%によって支配され搾取されている」という訴えは、組合に組織されている労働者の胸にも響き、ついに組合すらも「占拠」運動を支援したり行進に参加するようになりました。

また「占拠」運動のスローガンもウォール街の不正を糾弾するものから「学生の授業料値上げ阻止」「家の立ち退き・差し押さえ阻止」など多種多様で、むしろスローガンが多様であるからこそ、大手メディアもどれを批判しどれを攻撃してよいか分からず「スローガンが焦点化していない」と攻撃する始末でした。

日本の原発推進勢力は、同時に「消費税増税」「TPP推進」「沖縄米軍基地の維持、米軍機オスプレイ配備強行」を裏で支えている勢力と同じなのですから、「脱原発」の集会で上記の問題にふれて、「根っこはひとつなのだから手をたずさえて共に闘おう」と呼びかけるべきなのです。

それを「脱原発以外はスピーチの話題にしてはならない」などと規制をかけることは、この「金曜行動」の参加者に、もっと広い視野で原発問題を考えさせる機会をも奪うことになり、むしろ原発推進勢力(日本を支配している1%の勢力)を喜ばせるだけでしょう。

同時にそれは参加者の幅をせばめ、本当は3万人(あるいは30万人)の参加者があったかも知れない集会・行進を1万人(あるいは10万人)に縮小させる働きをしたかも知れないのです。

その意味で、上記で紹介した9歳の少年の発言は参加者に大きなどよめきを引きおこし、いつもは発言を規制する主催者も為す術(すべ)を知らないという雰囲気でした。ぜひ下記動画(3分強)を御覧ください。

http://www.youtube.com/watch?v=i-rRd37i2qM&feature=youtu.be

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ところで最近、拙著『英語教育が亡びるとき』(明石書店)を読んだ読者から下記のようなメールをいただきました。

<46才、元サラリーマンの英語教員です。最近になってAmazonで先生の著書「英語教育が亡びるとき」を見つけ、読み始めました。年来、自分だけで、浅学ゆえにボンヤリとしか疑っていなかったことに対して、先生が明確に語っておられるように思います。御本をありがとうございます。まずは先生の思料を十分に吸収しとうございます。>

上記のN先生に「ブログ『百々峰だより』も読んでいただければありがたいのですが」と書き送ったところ、さっそく次のような返事をいただきました。

<Blogも読みました。この国の病み様は、オスプレイも、TPPも、新指導要領も、原発問題も、すべて同根のように見えてきます。>

だとすれば、「脱原発以外の発言は慎んでください」と規制をかけることは(その理由に一理あるとしても)この運動を広げかつ深化させることにつながらないのではないでしょうか。

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ところで、上記メールをいただいたN先生から更に長文の便りが添付ファイルで届きました。先月初めに出版したばかりの拙訳『肉声でつづる民衆のアメリカ史』(明石書店)についてのものです。

脱原発や基地反対運動など、日本の民衆運動に少しでも貢献できればと願いつつ、この訳書を送り出したものとしては、本当に嬉しい便りでした。ブログに転載を御願いしたところ快諾をいただきましたので、下記に紹介させていただきます。

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ハワード・ジン『肉声でつづる民衆のアメリカ史』と訳者「あとがき」、
そして私


最近になって初めて私は街頭の"デモ"なるもの、つまり「反原発」「再稼働反対」なるデモに参列しました。最近、私は少し変わりました。

私は元来、英語・英書一般に興味を持っておりましたが、ある頃、特に自分の好きなジャンル(歴史や超短編)の英書を読み漁っていました。たいして読書通でもないのに、たいして英語がすらすらと読める訳でもないのに、実は特に訳があって英書を手当り次第に読む必要に迫られていた頃でした。2008年の12月頃でした。

そこで、いくつかの有名なチョムスキの著書にまつわって、私はハワード・ジンという人を初めて知りました。英語や言語学に興味を持っている者なら、言語学 → チョムスキ → ジン、という具合につながっていくのは自然なことでしょう。

尊敬すべきはハワード・ジン。私はそれ以来この優れた、世界に遍在する人民・草莽の優れた理解者、類稀なる教育者に惹かれ続けて、日常の些事や本職に時間を割かれながらも、片手間ながらも、その発信を、どこかで何となく気になって追い続けていたのでした。

氏の著作や活動に影響を受け、この現在世界の中でその一部を、目にも留まらぬ極小さではありましょうが、極小ながらも確実に構成している私、という存在の内奥が、以前より変わっているのがわかります。

読者に感動と勇気を与えずにおかない。それは「訳者あとがき」のいう通りでもありました。そしてそのような私に似た極小の類は世界に増殖しています。

一方、この日本では、ジンの精神が現実の動きとして具体化してゆくのは、今これからが始まりであるといえるでしょう。では、それは日本では、どのように進展して行くのでしょうか。

この日本では政治に多くの者が関心を持てずに唯々諾々としていた時間が、どうやら "3.11以降" はいったんは止んで、人々はより深くものごとを捉える考え方を身につけ始めたように思います。私にはそう思えます。

かつて見えなかったものが見え、分からなかったことが分かり、手のつけられない混沌だと例えられがちであったこの現在世界が、混沌なのではなく混沌であるかのように、一部の者たちに都合がいいように、私たちが思い込まされている世界であることが、次第に私たち自身に理解されてきているように思えるのです。

このような理解を得た、私たちのような人民・草莽が世界に何千何万人いることか、そう考えると、『肉声でつづる民衆のアメリカ史』のエピローグに掲げられているパティ・スミスの歌 “PEOPLE HAVE THE POWER” を、いま勇気を持って改めて、力強く口ずさむことが出来るのです。


     パティ・スミス「俺たち民衆には力がある」動画5分
     

ハワード・ジン亡き今、そしてそのアメリカ “合州国” ではなくこの日本で、この訳書『肉声でつづる民衆のアメリカ史』や訳者「あとがき」は、浅学でかつ英書読みに達者でもない私たちや、これから先に世直しをしてゆく次代の者たちにとって、まだ混沌の中に光明を見いだせない人々にとって、身近で手にとりやすい "勇気の源"、いつでも振り返ってみることのできる "力の泉" になることでしょう。少なくとも私にとっては大きな励ましでした。

なぜなら、「訳者あとがき」にある訳者の願いは、ハワード・ジン本人の願いに同じであるはずだからです。より多くの読者層は日本語で語られてこそ的確に、そして自然に理解が出来ます。

だから、この一連のジンの著作が斯様に世界に浸透したのだとすれば、この国に訳書が出る必然性は時間の問題でもあったのかもしれません。

しかしながら、ジンの願いは今や、特にこの日本で、冗漫に望むのではなく早期に実現する必要があります。なぜなら既成のこの国の仕組みは、多くの者たちの声を聞こうとせず、誰も何の責任もとらず、あまつさえ隙あらば “3.11以前” と同じように万事を進めていきたい、そのように指向しているからです。つまりこの国は "3.11以降" が未だに全く何も収束していないのです。

“3.11以降”の世をそれ以前の元の位置に収めようとする勢力に対して、ジンに学んだ力を発揮することが、Zinn Readers には求められます。次代に責任を果たすために、次代に侮蔑されないために、どうしても必要です。

そしてこの大著を訳了した者と、それを鋭意に読み解いた者たちは、ジンから知恵と勇気を授かっているはずなのです。そのことを訳者も「あとがき」で語っています。

ジンをひとたび理解したというならば、言行一致というものが人として信頼され得るために必要とされるものならば、もはや私たちは、次のことを胸に刻むべきだと思います。

「日常の些事にかまけている、生業にとらわれるのみで身動きが取れない、学ぼうとしない、学ぶ時間がない、象牙の塔に篭っているだけ等々――そんなふうに見られてはいけないのだ。なかんずく次代のまだこれから学んでゆく者たちからそのように指弾されては恥ずかしいのだ。」

それが、ハワード・ジン自伝の書名 “You can't be Neutral on a Moving Train ! “ に込められている意味だと考えます。まさにこの書名のとおり、「激動の時代に中立などありえない」のですから。

この大著を訳了した者と読了した者は、ハワード・ジンの心奥に迫ったはずです。

言い古されているように、私たちのひとりひとりの声も力もみな些末なものです。そして弱者は強者に脅されます。私も常にこの自分の卑小さと恐怖を感じています。私がこのたび訳者に連絡を取ったのも、この自分の心細い心証からゆえだと思います。Zinn Readersはその理解と行動をともにすることができるし、その役目が私たちにはあると思います。

私は今頃になって、こんな歳になってから、はじめて街頭の "反原発" "再稼働反対" なるデモに参列したのでした。最近、私は少し変わりました。(2012/08/08)


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<註> N先生の便りでしばしば言及されている「訳者あとがき」は下記に載せてあります。時間があるときに御覧いただければ幸いです。
http://www42.tok2.com/home/ieas/voices-postscript.pdf
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