リビアの都市ベンガジにおけるアメリカ大使館員の殺害事件をめぐって――エマ・ゴールドマンの「愛国主義」(2)

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Stand By Me
"Playing For Change: Peace Through Music"
http://www.youtube.com/watch?v=Us-TVg40ExM




http://playingforchange.com (出典:世界を変革し平和を希求する音楽集団)
*誰が誰の傍に寄り添うべきなのか、そんなことを自然と考えさせてくれる不思議なつくりになっています。


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 一刻も早く本来の目的である「英語教育」の話題に戻りたいと思っているのですが、一向に気力・体力が回復せずイライラしています。
 ところが,そうこうしているうちに、リビアや魚釣島などをめぐり、次々と新しい事件が起き、また「英語教育」に戻れなくなってしまいました。
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私は前回のブログで、アメリカが第一次世界大戦へと動き始めているとき(1908)、エマ・ゴールドマンという女性がサンフランシスコでおこなった有名な演説「愛国主義――自由への脅威」(『肉声でつづる民衆のアメリカ史』上巻、475-476頁)を引用しつつ、次のように書きました。

 アメリカは「大量破壊兵器があるから」という口実でイラクを侵略しました。それが嘘であることが分かったとき、急いで「イラクに民主主義をもたらす」という口実に切り替えました。
イスラム教は遅れた野蛮な宗教であるから、イスラム教徒に民主主義を教えてやろう(できれば彼らをキリスト教徒に改宗させよう)というわけです。
さらに、イスラム教にもとづく経済ではなく「アメリカ流の進んだ経済」の手ほどきをしてやるということも目標に掲げました(それは国有化されていた企業をアメリカ資本に開放することが真の目的でしたが)。
今のリビアやイラクは、この方向で運営されていますし、できればシリアも同じ方向で破壊=復興したいのでしょう。シリアが破壊されれば次はイランの番です。
こうしてアメリカ流の「愛国主義」は、エマ・ゴールドマンの下記の定義に、みごとに合致することになりました。
 <尊大・自惚れ・自己本位が愛国主義の本質です。そして、ある特別な場所に生まれる幸運に巡りあったひとは、他の場所に住むひとより自分が優れていて、高貴で偉大で聡明である、とみなしています。だから、その選ばれた場所に住むすべてのひとの義務は、自分の優越性を他のすべてのひとに強制するために、戦い、殺し、死ぬことなのです。>


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イスラム教を冒涜(ぼうとく)した映画がYouTubeで流されたことをきっかけに、中東だけでなくアジアのイスラム国にまで抗議の嵐が吹き荒れました。このなかでリビアではアメリカ大使館員が殺害される事件すら起きました。

私は上記の引用で、アメリカは「イスラム教は『遅れた野蛮な宗教』であるからイスラム教徒に民主主義を教えてやろう(できれば彼らをキリスト教徒に改宗させよう)というわけです」と書きました。

イスラム教を「遅れた野蛮な宗教」とする、このような意識は欧米に広く浸透しています。

中東を専門とする著名な調査報道記者ロバート・フィスクは、下記の記事で、その証拠として幾つかの事例をあげつつ、これまでにもイスラム教を冒涜する事件が欧米で後を絶たなかったことを説明しています。

「挑発者は政治と宗教は別だと知っていて工作している」
The provocateurs know politics and religion don't mix

http://www.independent.co.uk/voices/comment/the-provocateurs-know-politics-and-religion-dont-mix-8131297.html

例1:デンマークの新聞が爆弾入りのターバンを巻いたムハンマド(イスラム教の預言者)の漫画を載せた。
例2:テキサス州の牧師が「コーラン(イスラム教の聖書)を公の場で焼却する催し」をおこなうと宣言した。
例3:アメリカ軍兵士がバグラム米軍基地(アフガニスタン)でコーランを引き裂いて焼却するという事件を起こしても、単なる「偶発的事件」として放置された。

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他方、ロバート・フィスクの同記事によれば、フランスのパリでは、キリストが女性と "make love" する映画を上映した映画館が焼き討ちにあい、その映画を見に行ったひとも殺されるという事件が起きました。「キリストを冒涜する映画は許せない」「それを見に行く奴も許せない」というわけでしょう。

ところがニュージーランドの新聞編集者が、「表現の自由」を理由に、上記の漫画を自分の新聞で再掲したと自慢げに語ったとき、フィスクが「では次回イスラエルがレバノンを侵略したとき頭に爆弾を載せたユダヤ教預言者の漫画を載せますか?」と尋ねると、その編集長は慌てて「それはユダヤ人差別になるからダメだ」と言ったというのです。

これが欧米人(しかも新聞編集者という知識人ですら)の一般的反応だと、上記の記事でフィスクは嘆いているのです。

幾つかのラジオ番組司会者が「リビアのベンガジとエジプトのカイロでほぼ同時に起きたアメリカ大使館員への抗議行動は、"911”と同時に起こるよう仕組まれたものだろうか」とフィスクに尋ねたそうです。

その答えとして、フィスクは自分の記事を次のような皮肉で締めくくっています。

「むしろ、 "911"と同時になるよう仕組んだのは、この映画のアラビア語版をその日に合わせてYouTubeの載せた側ではなかったのか」という疑問が、彼らの頭には決して浮かばなかったようだ。


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<註> フィスクの記事原文は下記にあります。
Robert Fisk:The provocateurs know politics and religion don't mix
http://www.independent.co.uk/voices/comment/the-provocateurs-know-politics-and-religion-dont-mix-8131297.html
・・・Several radio presenters asked me yesterday if the unrest in Cairo and Benghazi may have been timed to “coincide with 9/11.”It simply never occurred to them to ask if the video-clip provocateurs had chosen their date-for-release to coincide with 9/11.

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ところでアメリカ本土では、いま大統領選挙が激烈に闘われています(本当は緑の党からも立候補者が出ているのですが、大手メディアは全く取りあげようとしていません)。

この選挙戦で共和党のロムニー候補は、今回のリビア大使館員の殺害にたいするオバマ大統領の対応が生ぬるいとして、「今の事態に対処するには強いアメリカが必要だ」「強いアメリカとは強い軍隊のことだ」と演説しています。

さらにロムニー候補は、「何よりの強い軍隊をもたねばならない」「強い軍隊さえあれば誰もアメリカに刃向かおうなどとは思わない」とも述べています。彼の愛国主義は強大な軍事国家をつくることとイコールなのです。
http://www.democracynow.org/2012/9/14/headlines#9143

ロムニー氏には、中東やアジアのイスラム国で吹き荒れている怒りが何に由来するかを考えてみる気が全くないようです。

独裁者といわれたフセインでさえ、イラクでこれほど大量の人殺しはしませんでしたし、国土を完全に破壊し住めない土地にすることもしませんでした。それどころかイラクでは女性でも自由に大学に行くことができました。

カダフィも独裁者として攻撃されましたが、そのリビアは医療も教育も無料でした。その豊かな国を破壊し、ほとんど更地の状態にしたのは誰だったのでしょうか。<末尾の註を参照してください>

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しかし、リビアの事件にたいするオバマ大統領の対応も、ロムニー氏とそれほど大きな違いがあるわけではありませんでした。オバマ氏は遊説先のコロラド州で次のように演説しました。

「我々の同胞を殺したものを必ず裁きにかける。私は世界中の人たちに告げたい。我々に害をなさんとする者はすべて、どんなテロ行為であろうと、罰せられずに済むことはない。我々が世界のすべてにたいして誇らかに提示した価値の光を、彼らが決して曇らせることはない。どんな暴力行為であろうと、アメリカ合州国の決意を揺るがせはしない。」

Obama Vows to Bring Libyan Attackers to Justice
http://www.democracynow.org/2012/9/14/headlines#9143
President Obama: "We are going to bring those who killed our fellow Americans to justice. I want people around the world to hear me. To all those who would do us harm: No act of terror will go unpunished. They will not dim the light of the values that we proudly present to the rest of the world. No act of violence shakes the resolve of the United States of America."

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オバマ大統領は、アフガニスタン、パキスタン、さらにはイエメンで、どれだけのひとを無人爆撃機で殺そうが、まったく気にならないようです。ブッシュ氏でさえ、陰でしかやらなかった暗殺を、彼は堂々と公言して実行するようになりました。これが「世界のすべてにたいして誇らかに提示した価値」なのでしょうか。

こうしてアメリカ流の「愛国主義」は、エマ・ゴールドマンの下記の定義に、改めて、みごとに合致することになりました。

<尊大・自惚れ・自己本位が愛国主義の本質です。そして、ある特別な場所に生まれる幸運に巡りあったひとは、他の場所に住むひとより自分が優れていて、高貴で偉大で聡明である、とみなしています。だから、その選ばれた場所に住むすべてのひとの義務は、自分の優越性を他のすべてのひとに強制するために、戦い、殺し、死ぬことなのです。>


すなわち、アメリカという「選ばれた場所」に住むすべてのひとの義務は、「自分の優越性」=「世界のすべてにたいして誇らかに提示した価値」を他のすべてのひとに強制するために、戦い、殺し、死ぬことなのです。

しかしその価値は、不思議なことに、サウジアラビアやバーレーンといった王制独裁国家には適用されないようです。

そこでは蜂起した民衆が弾圧され、またその王制独裁国家からFSA(自由シリア軍、アルカイーダといわれる集団もその中にいる)に武器・弾薬・武装部隊が送り込まれているのですが、それもオバマ大統領には全く気にならないようです。

Dirty War on Syria: How the FSA Massacred Citizens of Daraya
http://tv.globalresearch.ca/2012/09/dirty-war-syria-how-fsa-massacred-citizens-daraya

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今回は、「愛国主義」と「魚釣島」をめぐる日本政府・中国政府(&アメリカ政府)の対応にもふれるつもりでしたが、ここで力尽きました。次回に回したいと思います。どうかお許しください。
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<註> リビアへの攻撃について、前回のブログで紹介した物理化学者である藤永茂氏は次のように述べています(2011年8月31日に書かれた「リビア挽歌(2)」題する記事の冒頭部分です)。
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2011/08/post_8437.html
 「カダフィの政府軍による大虐殺からリビア国民を守る」という名目の下に開始されたNATOによるリビア空爆は、想像を絶する物凄さで行なわれました。
 8月23日のNATOの公式発表によると、過去五ヶ月間にNATO空軍機の出撃回数(sorties)は2万回を超えました。一日あたり130回の物凄さです。
 対地攻撃を行なった戦闘爆撃機が一機に複数の爆弾や誘導ミサイルを搭載しているとすると、正確激烈な破壊力を持った数万の爆弾やミサイルがリビアの人々の上に降り注いだことになります。
 リビアの人口約650万人、人口的には福岡県と佐賀県を合わせた位の小国です。ミサイルの標的が戦車であれ、輸送車 両、船舶であれ、カダフィの住宅であれ、放送局、大学であれ、無人ではない場合が普通でしょうから、多数の人間が殺傷されたに違いありません。
 8月上旬に、NATO空爆による死者2万という報道がちらりと流れたことがありましたが、あり得ない数字ではありません。
  しかも、NATOの反政府軍支援は空爆に限られたわけではありません。大型ヘリコプターなどによる兵器,弾薬,物資の補給も行なわれ地上でも多数のNATOやCIAの要員が間接的に参戦した模様です
 しかし、こうしたNATOの活動の具体的報道は殆ど完全な管制下にあります。これだけの規模の軍事暴力が、国際法的には全然合法性のないままで (UNの決議内容をはるかに超えて)、人口数百万の小独立国に襲いかかったのです。
 まことに言語道断の恐るべき前例が確立されました。カダフィと息子たちの今後の命運など、この暴虐行為の歴史的意義に較べれば、三面記事の値打ちしかありません。


リビアについては藤永氏の下記「リビア挽歌1」ぜひ参照していただきたいと思います。そうすればリビアの「民衆蜂起」なるものが、今のシリアと同じく、いかに欺瞞に満ちていたかが分かっていただけると思います(しかし老齢の物理化学者がこれだけの分析をしているのに日本の大手メディアの記者たちは何をしているのでしょうか)。
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2011/08/post_8b65.html

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